増補新版のためのまえがき 我々は妥協を重ねながら生きている。 何かやりたいことをあきらめたり、何かやるべきことから眼を背けているだけではない。 どういうことなのか。なぜこうなってしまうのか。何か違う、いや、そうじゃないんだ……。そのように感じられる何ごとかについて、「まぁ、いいか」と自分に言い聞かせながら、あるいはむしろ、自分にそう言い聞かせるよう心がけながら生きている。 この本は、そうした妥協に抗いながら書かれた。自分が感じてきた、曖昧な、ボンヤリとした何かに姿形を与えるには、それが必要だった。 もちろん、妥協に抗うことは楽ではない。けれども、大きな慰めもあった。自分が相手にしている何かは、実は多くの人に共有されている問題であること、それどころか、人類にとってのこの一万年来の問題であることが分かってきたからである。 その問題は「暇と退屈」という言葉で総称されている。本書は、暇と退屈の問題への取り組みの記録である。問題は解決したわけではない。それどころか、いくつもの問いが残されたままである。そこでこの新版には、残された問いを論じた試論、「傷と運命──『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて」が収録されている。 本書は哲学の本であるが、哲学を勉強したことがない人でも、自分の疑問と向き合おう、自分で考えようという気持ちさえもっていれば、最後まできちんと読み通せる本として書かれている。実際、初版発行以来、実に多くの方がこの本を通読してくださった。 本書が哲学の本であるとは、それがある問題を扱っていることを意味する。哲学とは、問題を発見し、それに対応するための概念を作り出す営みである。過去の哲学者たちも、各々が各々の問題を発見し、それに対応するべく新しい概念を作り出してきた。本書もまた新しい概念の創造を試みている。 人の生は確かに妥協を重ねる他ない。だが、時に人は妥協に抗おうとする。哲学はその際、重要な拠点となる。問題が何であり、どんな概念が必要なのかを理解することは、人を、「まぁ、いいか」から遠ざけるからである。 筆者は本書を執筆する中で、哲学をそのようなものとして体験した。本書を読むことが読者の皆さんにそのような体験をもたらすことを心から期待している。 二〇一五年二月 國分功一郎 目次 増補新版のためのまえがき まえがき 序章 「好きなこと」とは何か? 第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか? 第二章 暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか? 第三章 暇と退屈の経済史──なぜ〝ひまじん〟が尊敬されてきたのか? 第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か? 第五章 暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か? 第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か? 第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか? 結論 あとがき 注 付録 傷と運命──『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて 文庫版あとがき 暇と退屈の倫理学 だからもろもろの物を利用してそれをできるかぎり楽しむことは賢者にふさわしい。たしかに、味のよい食物および飲料をほどよくとることによって、さらにまた、芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは賢者にふさわしいのである。 ──スピノザ『エチカ』 まえがき 数年前のこと。 俺は歌舞伎町が好きなフランス人の友人といっしょにあの界隈をぶらついていた。入る店がなくて一時間ぐらいはぶらついていただろうか。 同じ客引きに二度も会った。すこし苦労の跡が見える、やさしい表情をした太めの若い男は、「どんな店をお探しなんですか?」と親切に尋ねてきた。ゆっくり飲んで話ができる店を探していただけだったので、すこし立ち話をして彼とは別れた。 歩きすぎて疲れた。仕方なくバーに入った。 テレビではイギリスのサッカーを放映していた。どうやらスポーツバーというものらしい。 ビールを飲み始めたのだが、テレビの方から何やらうるさい声が聞こえてきた。メガネをかけた短髪の男がサッカーの試合を見て騒いでいたのだった。俺よりもすこし年上だろうか。 彼はサッカーの試合の成り行きに一喜一憂しながら、大声を上げている。シュートが外れれば大きな声で落胆し、選手がドリブルで進めば大きな声で歓声を上げた。 不思議だったのは彼が楽しんでいるようには見えないことだった。彼の声は明らかに周囲にいる人たちに向けられていた。それは何というか、自分を見て欲しいとの思いが込められた声だった。自分はサッカーの試合に熱中している、と、彼は全力で周囲に訴えかけている、そんな風に見えた。 俺はそのことを友人に伝えられなかった。そう感じたのは俺の感覚にすぎない。それは証明できることではないし、そもそもそのときにはその感覚はうまく言葉にならなかった。 もう一五年前のことだ。 俺はある財団から留学のための奨学金を得て、フランスのストラスブールに留学しようと準備を進めていた。 周囲にそのような経験のある人はいなかったので、まったくの手探りだった。向こうの大学から提出をもとめられた書類がいったい何を指しているのか、それすらも分からない状態でひどく困っていた。 そんななか、留学に役立つ情報を集めたセンターがあると耳にした。俺は藁にもすがる気持ちでそこに行くことにした。 詳しいことは覚えていないのだが、海外の大学のパンフレットなどがたくさんそろっていたように思う。 そもそもどういう学部に行けばよいのかすら分からない。自分ではなんとなく哲学とか思想とか、そういった分野に関心があるのだろうと思っていたが、政治学科出身の自分が哲学科に行ってやっていけるのか、ほとほと自信がなかった。 パンフレットをぱらぱらと眺めていた。たいして役には立たない。ため息をついただろうか。目の前のものから気が逸れた。すると向こうのカウンターから話し声が聞こえてきた。センターでは確か予約制で留学相談を行っていた。おそらくその話だろうと思い、座ったままでぼんやりと相談話を聞いていた。 手前にいる女性は俺と同い年ぐらいの女子学生だろうか。その女子学生がカウンターの向こうにいる女性の相談員に話をしていた。相談員はどうもひどく困っている様子だった。 美術に関心があるということをその女子学生は相談員に伝えたようである。しかし、美大に行っているわけではないし、美術のことを何か自分で勉強したわけでもないようだ。特にだれが好きというわけでもないらしい。ただ「美術に関心がある」のである。 相談員はしきりに「もう決められた相談時間を過ぎましたので……」と女子学生に伝えていた。しかし次の相談相手が遅刻して来ないので、仕方なく相談を続けていた。 覚えているのは、女子学生がほとんど何もしゃべらないことだった。何もしゃべらないのに執拗に相談をもとめているのが不思議だった。彼女はそれほどまでに執拗に、いったい何をもとめていたのだろうか。 やっと相談が終わった。というより相談員が無理矢理終わらせたという感じだった。相談員はこういう時間延長は例外的なことですからと何度も何度も女子学生に言っていた。彼女は晴れた表情を見せるでもなく、落胆するでもなく、首を動かさずに立ち上がり、首を動かさずに歩いて去っていった。 俺はストラスブール大学の哲学科に一年間留学したあと、帰国して修士論文を書いた。そして博士課程に入ってから今度はパリに留学した。二〇〇〇年のことである。 パリにいる間、とある日本のテレビ番組のことを耳にした。高度経済成長期に様々な困難な仕事に携わった無名のリーダーやそれを支えた人たちを取り上げたこの番組は、当時、中高年男性から熱狂的な支持を受けていた。 留学中も何度か一時帰国することがあった。その時に実際に番組を見た。多くの中高年男性が支持する理由がよく分かった。そして俺自身も胸を熱くしながら物語を見ていた。 だが、その番組の主題歌に、なぜか違和感があった。それは、たたえられるべき仕事をしながらも、誰の目にもとまらずに消えていった人たちのことを歌っていた。歌い手のことはむしろ好きだった。ファンだった。しかし、なぜかその歌と、その歌の使い方は気に入らなかった。その時はその理由が分からなかった。 留学を終えて帰ってきた年のことだったと思う。その番組の特番が放送されていた。そこでこんなシーンが流れた。企業を定年退職した六〇代の男性たちが必死にその歌をコーラスで歌っていたのだった。 俺は悲しくなった。そして、あの歌が、あの歌のあの使い方が、なぜいやだったのかが分かった気がした。 俺はこの本を書きながら、これまでに出会ってきた、いや、すれ違ってきた多くの人たちのことを思い起こしていた。俺が彼らのことをこんなにも鮮明に記憶しているのは、間違いなく、自分は彼らにどこか似ていると思ったからだ。 この本は俺が自分の悩みに答えを出すために書いたものである。自分が考えてきた道がいかなるものであるかを示し、自分が出した答えをいわば一枚の画として描き、読者のみなさんに判断してもらってその意見を知りたいのである。 そのことを記して、この本を開始する。 序章 「好きなこと」とは何か? 人類の歴史のなかにはさまざまな対立があり、それが数えきれぬほどの悲劇を生み出してきた。だが、人類が豊かさを目指して努力してきたことは事実として認めてよいものと思われる。人々は社会のなかにある不正や不便と闘ってきたが、それは社会をよりよいものにしようと、少なくとも建前としてはそう思ってきたからだ。 しかし、ここに不可解な逆説が現れる。人類が目指してきたはずの豊かさ、それが達成されると逆に人が不幸になってしまうという逆説である。 イギリスの哲学者バートランド・ラッセル[1872-1970]は、一九三〇年に『幸福論』という書物を出版し、そのなかでこんなことを述べた。いまの西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。それに対し、東洋諸国ではそういうことはない。また共産主義革命が進行中のロシアでは、若者は世界中のどこよりも幸せであろう。なぜならそこには創造するべき新世界があるから(1)……。 ラッセルが言っているのは簡単なことである。 二〇世紀初頭のヨーロッパでは、すでに多くのことが成し遂げられていた。これから若者たちが苦労してつくり上げねばならない新世界などもはや存在しないように思われた。したがって若者にはあまりやることがない。だから彼らは不幸である。 それに対しロシアや東洋諸国では、まだこれから新しい社会を作っていかねばならないから、若者たちが立ち上がって努力すべき課題が残されている。だからそこでは若者たちは幸福である。 彼の言うことは分からないではない。使命感に燃えて何かの仕事に打ち込むことはすばらしい。ならば、そのようなすばらしい状況にある人は「幸福」であろう。逆に、そうしたすばらしい状況にいない人々、打ち込むべき仕事をもたぬ人々は「不幸」であるのかもしれない。 しかし、何かおかしくないだろうか? 本当にそれでいいのだろうか? ある社会的な不正を正そうと人が立ち上がるのは、その社会をよりよいものに、より豊かなものにするためだ。ならば、社会が実際にそうなったのなら、人は喜ばねばならないはずだ。なのに、ラッセルによればそうではないのだ。人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になるというのだ。 もしラッセルの言うことが正しいのなら、これはなんとばかばかしいことであろうか。人々は社会をより豊かなものにしようと努力してきた。なのにそれが実現したら人は逆に不幸になる。それだったら、社会をより豊かなものにしようと努力する必要などない。社会的不正などそのままにしておけばいい。豊かさなど目指さず、惨めな生活を続けさせておけばいい。なぜと言って、不正をただそうとする営みが実現を見たら、結局人々は不幸になるというのだから。 なぜこんなことになってしまうのだろうか? 何かおかしいのではないか? そう、ラッセルの述べていることは分からないではない。だが、やはり何かおかしい。そして、これをさも当然であるかのごとくに語るラッセルも、やはりどこかおかしいのである。 ラッセルが主張したように、打ち込むべき仕事を外から与えられない人間は不幸であると主張するなら、この事態はもうどうにもできないことになる。やはり私たちはここで、「何かがおかしい」と思うべきなのだ。 人類は豊かさを目指してきた。なのになぜその豊かさを喜べないのか? 以下に続く考察はすべてこの単純な問いを巡って展開されることとなる。 * 人間が豊かさを喜べないのはなぜなのだろうか? 豊かさについてごく簡単に考察してみよう。 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕がうまれる。その余裕にはすくなくとも二つの意味がある。 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れる。稼いだ金銭をすべて生存のために使い切ることはなくなるだろう。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働にすべての時間を割く必要がなくなる。そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんな風に考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだろうか? そして何に使っているのだろうか? 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている」という答えが返ってきそうである。たしかにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のことはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしている、と、そのように考えるのは当然だ。 ならば今度はこんな風に問うてみよう。その「好きなこと」とは何か? やりたくてもできなかったこととはいったい何だったのか? いまそれなりに余裕のある国・社会に生きている人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか? こう問うてみると、これまでのようにはすんなりと答えが出てこなくなる。もちろん、「好きなこと」なのだから個人差があるだろうが、いったいどれだけの人が自分の「好きなこと」を断定できるだろうか? 土曜日にテレビをつけると、次の日の日曜日に時間的・金銭的余裕をつぎ込んでもらうための娯楽の類を宣伝する番組が放送されている。その番組を見て、番組が勧める場所に行って、金銭と時間を消費する。さて、そうする人々は、「好きなこと」をしているのか? それは「願いつつもかなわなかった」ことなのか? 「好きなこと」という表現から、「趣味」という言葉を思いつく人も多いだろう。趣味とは何だろう? 辞書によれば、趣味はそもそもは「どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方」(強調は引用者)を意味していた(『大辞泉』)。これが転じて、「個人が楽しみとしている事柄」を指すようになった。 ところがいまでは「趣味」をカタログ化して選ばせ、そのために必要な道具を提供する企業がある。テレビCMでは、子育てを終え、亭主も家にいる、そんな年齢の主婦を演じる女優が、「でも、趣味ってお金がかかるわよね」とつぶやく。すると間髪を容れず、「そんなことはありません!」とナレーションが入る。カタログから「趣味」を選んでもらえれば、必要な道具が安くすぐに手に入ると宣伝する。 さて、カタログからそんな「その人の感覚のあり方」を選ぶとはいったいどういうことなのか? * 最近他界した経済学者ジョン・ガルブレイス[1908-2006]は、二〇世紀半ば、一九五八年に著した『ゆたかな社会』でこんなことを述べている。 現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられてはじめて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、一九世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない(2)。 経済は消費者の需要によって動いているし動くべきであるとする「消費者主権」という考えが長く経済学を支配していたがために、自分の考えは経済学者たちから強い抵抗にあったとガルブレイスは述べている(3)。つまり、消費者が何かを必要としているという事実(需要)が最初にあり、それを生産者が感知してモノを生産する(供給)、これこそが経済の基礎であると考えられていたというわけだ。 ガルブレイスによれば、そんなものは経済学者の思い込みにすぎない。だからこう指摘したのである。高度消費社会──彼の言う「ゆたかな社会」──においては、供給が需要に先行している。いや、それどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせるようにしている、と。 いまとなってはガルブレイスの主張はだれの目にも明らかである。消費者のなかで欲望が自由に決定されるなどとはだれも信じてはいない。欲望は生産に依存する。生産は生産によって満たされるべき欲望を作り出す(4)。 ならば、「好きなこと」が、消費者のなかで自由に決定された欲望にもとづいているなどとは到底言えない。私たちの「好きなこと」は、生産者が生産者の都合のよいように、広告やその他手段によって作り出されているかもしれない。もしそうでなかったら、どうして日曜日にやることを土曜日にテレビで教えてもらったりするだろうか? どうして趣味をカタログから選び出したりするだろうか? こう言ってもいいだろう。「ゆたかな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、たしかにその余裕は余裕を獲得した人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもかなわなかったことではない。 問題はこうなる。そもそも私たちは、余裕を得た暁にかなえたい何かなどもっていたのか? * すこし視野を広げてみよう。 二〇世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業と呼ばれる領域の巨大化にある。二〇世紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしていた。芸術が経済から特別に独立していたということはない。 けれども二〇世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの作品を操作的に作り出して大量に消費させ利益を得るという手法が確立された。そうした手法にもとづいて利益をあげる産業を文化産業と呼ぶ。 文化産業については厖大な研究があるが、そのなかでも最も有名なものの一つが、マックス・ホルクハイマー[1895-1973]とテオドール・アドルノ[1903-1969]が一九四七年に書いた『啓蒙の弁証法(5)』である。 アドルノとホルクハイマーはこんなことを述べている。文化産業が支配的な現代においては、消費者の感性そのものがあらかじめ製作プロダクションのうちに先取りされている(6)。 どういうことだろうか? 彼らは哲学者なので、哲学的な概念を用いてこのことを説明している。すこし嚙み砕いて説明してみよう。 彼らが利用するのは、一八世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カント[1724-1804]の哲学だ。カントは人間が行う認識という仕組みがどうして可能であるのかを考えた。どうやって人間は世界を認識しているのか? 人間はあらかじめいくつかの概念をもっている、というのがカントの考えだった。人間は世界をそのまま受け取っているのではなくて、あらかじめもっていた何らかの型(概念)にあてはめてそれを理解しているというわけだ。 たとえば、たき火に近づけば熱いと感じる。このとき人は、「炎は熱いから、それに近づくと熱いのだ」という認識を得るだろう。この「から」にあたるのが、人間があらかじめもっている型(概念)だ。この場合には、原因と結果を結びつける因果関係という概念である。因果関係という型があらかじめ頭のなかにあるからこそ、人は「炎は熱いから、それに近づくと熱いのだ」という認識を得られる。 もしもこの概念がなければ、たき火が燃えているという知覚と、熱いという感覚とを結びつけることができない。単に、「ああ、たき火が燃えているなぁ」という知覚と、「ああ、なんか顔が熱いなぁ」という感覚があるだけだ。 人間は世界を受け取るだけではない。それらを自分なりの型にあてはめて、主体的にまとめ上げる。一八世紀の哲学者カントはそのように考えた。そして、人間にはそのような主体性が当然期待できるのだと、カントはそう考えていた。 アドルノとホルクハイマーが言っているのは、カントが当然と思っていたこのことが、いまや当然ではなくなったということだ。人間に期待されていた主体性は、人間によってではなく、産業によってあらかじめ準備されるようになった。産業は主体が何をどう受け取るのかを先取りし、あらかじめ受け取られ方の決められたものを主体に差し出している。 もちろん熱いモノを熱いと感じさせないことはできない。白いモノを黒に見せることもできない。当然だ。だが、それが熱いとか白いとかではなくて、「楽しい」だったらどうだろう? 「これが楽しいってことなのですよ」というイメージとともに、「楽しいもの」を提供する。たとえばテレビで、ある娯楽を「楽しむ」タレントの映像を流す。その翌日、視聴者に金銭と時間を使い、その娯楽を「楽しんで」もらう。私たちはそうして自分の「好きなこと」を獲得し、お金と時間を使い、それを提供している産業が利益を得る。 * 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。 ならば、どうしたらいいのだろうか? いまアドルノとホルクハイマーを通じて説明した問題というのはけっして目新しいものではない。それどころか、大衆社会を分析した社会学の本には必ず書かれているであろう月並みなテーマだ。だが本書は、この月並みなテーマを取り上げたいのである。 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。 なぜ暇は搾取されるのだろうか? それは人が退屈することを嫌うからである。人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのか分からない。このままでは暇のなかで退屈してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。では、どうすればよいのだろうか? なぜ人は暇のなかで退屈してしまうのだろうか? そもそも退屈とは何か? こうして、暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いがあらわれる。〈暇と退屈の倫理学〉が問いたいのはこの問いである。 * 〈暇と退屈の倫理学〉の試みはけっして孤独な試みではない。同じような問いを発した思想家がかつて存在した。時は一九世紀後半。イギリスの社会主義者、ウィリアム・モリス[1834-1896]がその人だ。 モリスはイギリスに社会主義を導入した最初期の思想家の一人である。当時の社会主義者・共産主義者たちは、どうやって革命を起こそうかと考えていた。いまでは想像もできないかもしれないが、彼らにとって社会主義革命・共産主義革命はまったくもって現実的なことだった。そして実際に二〇世紀初頭にはロシアで革命が起こるのである。 さて、モリスが実におもしろいのは、社会主義者であるにもかかわらず、革命志向の他の社会主義者たちとはすこし考えが違うことだ。彼らはどうやって革命を起こそうかと考えている。いつ、どうやって、労働者たちと蜂起するか? それで頭のなかは一杯だ。 それに対しモリスは、もしかしたら明日革命が起こってしまうかもしれないと言う。そして、革命が起こってしまったらその後どうしよう、と考えているのである。 一八七九年の講演「民衆の芸術」で、モリスはこんなことを述べている。 革命は夜の盗人のように突然やってくる。私たちが気づかぬうちにやってくる。では、それが実際にやってきて、さらには民衆によって歓迎されたとしよう。そのときに私たちは何をするのか? これまで人類は痛ましい労働に耐えてきた。ならばそれが変わろうとするとき、日々の労働以外の何に向かうのか?(7) そう、何に向かうのだろう? 余裕を得た社会、暇を得た社会でいったい私たちは日々の労働以外のどこに向かっていくのだろう? モリスは社会主義革命の到来後の社会について考えていた。二〇世紀末、社会主義・共産主義体制は完全に破綻したが、それはモリスの問いかけをいささかもおとしめはしない。むしろいまこそ、この問いかけは心に響く。「豊かな社会」を手に入れたいま、私たちは日々の労働以外の何に向かっているのか? 結局、文化産業が提供してくれた「楽しみ」に向かっているだけではないのか? * モリスはこの問いにこう答えた。 革命が到来すれば、私たちは自由と暇を得る。そのときに大切なのは、その生活をどうやって飾るかだ、と。 なんとすてきな答えだろう。モリスは暇を得た後、その暇な生活を飾ることについて考えるのである。 いまでも消費社会の提供する贅沢品が生活を覆っていると考える人もいるだろう。「ゆたかな社会」を生きる人間は生活を飾る贅沢品を手に入れた、と。 実はそれこそモリスがなんとかしようとしていた問題であった。モリスは経済発展を続けるイギリス社会にあって、そこに生きる人々の生活がすこしも飾られていないことに強い不満を抱いていたのである。 当時のイギリス社会では産業革命によってもたらされた大量生産品が生活を圧倒していた。どこに行っても同じようなもの、同じようなガラクタ。モリスはそうした製品が民衆の生活を覆うことにガマンならなかった。講演のタイトルになっている「民衆の芸術」とは、芸術を特権階級から解放し、民衆の生活のなかにそれを組み込まねばならないという意志をあらわしたものだ。 つまり、モリスは消費社会が提供するような贅沢とは違う贅沢について考えていたのである。 モリスは実際にアーツ・アンド・クラフツ運動という活動を始める。彼はもともとデザイナーだった。友人たちと会社を興し、生活に根ざした芸術品を提供すること、日常的に用いる品々に芸術的な価値を担わせることを目指したのだった。人々が暇な時間のなかで自分の生活を芸術的に飾ることのできる社会、それこそがモリスの考える「ゆたかな社会」であり、余裕を得た社会に他ならなかったのだ(8)。 モリスが作り出した工芸品は金持ちの嗜好品になってしまい、すこしも民衆のなかに芸術が入り込むための手伝いにはならなかったという批判もある。この批判は間違ってはいない。だが、モリスの考える方向は私たちに大きなヒントを与えてくれるだろう。 かつてイエスは「人はパンのみにて生きるにあらず」と言った。 吉本隆明はこの言葉を解釈して、人はパンだけで生きるのではないが、しかしパンがなければ生きられないことをイエスは認めたのだと言った(9)。 モリスの思想を発展させれば次のように言えるのではないだろうか。 ──人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。 * もう一つ、重要な論点を付け加えておこう。 文化産業はあらかじめ受け取られ方の決められた楽しみを、産業に都合のよいように人々に与え続けるのだと言った。私たちはそれを受け取り、「楽しむ」。 だが、人間はそれほどバカではない。何か違う、これは本当じゃない、ホンモノじゃないという気持ちをもつものだ。楽しいことはある。自分は楽しんでいるのだろう。だが何かおかしい。打ち込めない……。 アレンカ・ジュパンチッチ[1966-]という哲学者が、大変興味深く、そして、大変恐ろしいことを述べている。すこし言葉を足しながら紹介しよう。 近代はさまざまな価値観を相対化してきた。これまで信じられてきたこの価値もあの価値も、どれも実は根拠薄弱であっていくらでも疑い得る、と。 その果てにどうなったか? 近代はこれまで信じられてきた価値に代わって、「生命ほど尊いものはない」という原理しか提出できなかった。この原理は正しい。しかし、それはあまりに「正しい」が故にだれも反論できない、そのような原理にすぎない。それは人を奮い立たせない。人を突き動かさない。そのため、国家や民族といった「伝統的」な価値への回帰が魅力をもつようになってしまった。 だが、それだけではない。人は自分を奮い立たせるもの、自分を突き動かしてくれる力を欲する。なのに、世間で通用している原理にはそんな力はない。だから、突き動かされている人間をうらやましく思うようになる。たとえば、大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たち。人々は彼らを、恐ろしくもうらやましいと思うようになっている(10)。 自分はいてもいなくてもいいものとしか思えない。何かに打ち込みたい。自分の命を賭けてまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい。なのに、そんな使命はどこにも見あたらない。だから、大義のためなら、命を捧げることすら惜しまない者たちがうらやましい。 だれもそのことを認めはしない。しかし心の底でそのような気持ちに気づいている。 筆者の知る限りでは、この衝撃的な指摘をまともに受け止めた論者はいない。ジュパンチッチの本は二〇〇〇年に出ている。出版が一年遅れていたら、このままの記述では出版が許されなかったかもしれない。そう、二〇〇一年には例の「テロ事件」があったからだ(11)。 ジュパンチッチは鋭い。だが、私たちは〈暇と退屈の倫理学〉の観点から、もう一つの要素をここに付け加えることができるだろう。大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである。食べることに必死の人間は、大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。 生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。大義のために死ぬとは、この羨望の先にある極限の形態である。〈暇と退屈の倫理学〉は、この羨望にも答えなければならない。 * 本書の構成について簡単に述べておきたい。 最初の第一章では、暇と退屈というこの本の主題の出発点となる考えを練り上げる。暇と退屈がいかなる問題を構成しているのかが明らかにされるだろう。 第二章から第四章までは主に歴史的な見地から暇と退屈の問題を扱っている。第二章はある人類学的な仮説をもとに有史以前について論じる。問題となるのは退屈の起源である。第三章は歴史上の暇と退屈を、主に経済史的な観点から検討し、暇が有していた逆説的な地位に注目しながら、暇だけでなく余暇にまで考察を広める。第四章では消費社会の問題を取り上げ、現代の暇と退屈を論じる。 第五章から第七章では哲学的に暇と退屈の問題を扱う。第五章ではハイデッガーの退屈論を紹介する。第六章ではハイデッガーの退屈論を批判的に考察するためのヒントを生物学のなかに探っていく。第七章ではそこまでに得られた知見をもとに、実際に〈暇と退屈の倫理学〉を構想する。 本書は一息に通読されることを目指して書かれており、寄り道となるような議論、込み入った議論、引用文などは、そのほとんどを注のなかに記してある。さしあたって、注は読まなくてよい。より詳しく知りたいと思われた方は、後で注を参照して理解を深めていただきたい。なお、邦訳のある外国語文献については、既訳を最大限に活用させていただいたが、適宜原書を参照し、訳文に手を加えた場合があることをお断りしておきたい。 第一章 暇と退屈の原理論 ──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか? 原理というのは、すべての議論の出発点となる考えのことである。暇と退屈の原理論と題された本章では、暇と退屈を考えていくための出発点を追求しようと思う。 ではどこにそれをもとめようか? どんなテーマについても、たいていそれを論じている人がいる。そうした先駆者の考えを参考にできれば効率がいい。ここでもそのようなやり方をとることにしよう。 暇と退屈を考察した人物として本書が最初に取り上げたいのは、一七世紀のフランスの思想家、ブレーズ・パスカル[1623-1662]の議論である。 近年書かれた退屈論に、ノルウェーの哲学者ラース・スヴェンセン[1970-]の『退屈の小さな哲学』がある。これは大変優れた書物であり、本書でもこのあと参照することになるのだが、そのスヴェンセンが「退屈についての最初の偉大な理論家」と述べたのがパスカルである。彼は、パスカルの分析は一七世紀に書かれたものとは思えないほど現代的であるとも言っている(1)。 読んでみれば分かるが、パスカルの分析は本当に見事である。あまりにも見事であるがゆえに、読んでいてすこし腹が立つほどなのだ。いったいどういうことなのか? 実際にパスカルの分析を見ていこう。 パスカルという人 改めて述べれば、パスカルは一七世紀フランスの思想家である。一六歳のときに「円錐曲線試論」を発表した早熟の天才数学者であり、また、二度の「回心」を経て信仰に身を捧げることを決意した宗教思想家でもある。 とはいえ、彼の名を世間に知らしめているのは、何よりも『パンセ』というその著作、そしてまたそのなかにある「考える葦」という有名な一節だろう。パスカルについては何も知らなくとも、「考える葦」という言葉を耳にしたことのある人は多いのではないか。「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である(2)」。 この一節だけを読むと、パスカルはずいぶんとヒューマニスティックな思想家のように思われるかもしれない。人間の力を信じる、心熱く、優しい人物と思われるのではないだろうか。 実際に『パンセ』をひもとくと、そういうイメージは吹き飛ぶ。パスカルは相当な皮肉屋である。彼には世間をバカにしているところがある。そしておそらく、それが最もよくあらわれているのが、本書が暇と退屈についての考察の出発点にしたいと考えている、「気晴らし」についての分析である。 人間の不幸の原因 退屈と気晴らしについて考察するパスカルの出発点にあるのは次の考えだ。 人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。 パスカルはこう考えているのだ。生きるために十分な食い扶持をもっている人なら、それで満足していればいい。でもおろかなる人間は、それに満足して部屋でゆっくりしていることができない。だからわざわざ社交に出かけてストレスをため、賭け事に興じてカネを失う。 それだけならまだましだが、人間の不幸はそれどころではない。十分な財産をもっている人は、わざわざ高い金を払って軍職を買い、海や要塞の包囲線に出かけていって身を危険にさらす(パスカルの時代には、軍のポストや裁判官のポストなどが売り買いされていた)。もちろん命を落とすことだってある。なぜわざわざそんなことをするのかと言えば、部屋でじっとしていられないからである(3)。 部屋でじっとしていられないとはつまり、部屋に一人でいるとやることがなくてそわそわするということ、それにガマンがならないということ、つまり、退屈するということだ。たったそれだけのことが、パスカルによれば人間のすべての不幸の源泉なのだ。 彼はそうした人間の運命を「みじめ」と呼んでいる。「部屋にじっとしていられないから」という実につまらない理由で不幸を招いているのだとしたら、たしかに人間はこの上なく「みじめ」だ。 ウサギ狩りにいく人はウサギが欲しいのではない 話を進めよう。ここからがパスカルの分析のおもしろいところだ。 人間は退屈に耐えられないから気晴らしをもとめる。賭け事をしたり、戦争をしたり、名誉ある職をもとめたりする。それだけならまだ分かる。しかし人間のみじめはそこでは終わらない。 おろかなる人間は、退屈にたえられないから気晴らしをもとめているにすぎないというのに、自分が追いもとめるもののなかに本当に幸福があると思い込んでいる、とパスカルは言うのである。 どういうことだろうか? パスカルがあげる狩りの例を通して見てみよう(4)。 狩りというのはなかなか大変なものである。重い装備をもって、一日中、山を歩き回らねばならない。お目当ての獲物にすぐに出会えるとも限らない。うまいこと獲物が見つかれば、躍起になって追いかける。そのあげく、捕れた捕れなかったで一喜一憂する。 そんな狩りに興じる人たちについてパスカルはこんな意地悪なことを考える。ウサギ狩りに行く人がいたらこうしてみなさい。「ウサギ狩りに行くのかい? それなら、これやるよ」。そう言って、ウサギを手渡すのだ。 さて、どうなるだろうか? その人はイヤな顔をするに違いない。 なぜウサギ狩りに行こうとする人は、お目当てのウサギを手に入れたというのに、イヤな顔をするのだろうか? 答えは簡単だ。ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではないからだ。 狩りとは何か? パスカルはこう言う。狩りとは買ったりもらったりしたのでは欲しくもないウサギを追いかけて一日中駆けずり回ることである。人は獲物が欲しいのではない。退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、ひいては、みじめな人間の運命から眼をそらしたいから、狩りに行くのである。 狩りをする人が欲しているのは、「不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らせてくれる騒ぎ(5)」に他ならない。だというのに、人間ときたら、獲物を手に入れることに本当に幸福があると思い込んでいる。買ったりもらったりしたのでは欲しくもないウサギを手に入れることに本当に幸福があると思い込んでいる。 パスカルは賭け事についても同じことを述べている。毎日わずかの賭け事をして、退屈せずに日々を過ごしている人がいるとしよう。「賭け事をやらないという条件つきで、毎朝、彼が一日にもうけられる分だけのカネを彼にやってみたまえ。そうすれば、君は彼を不幸にすることになる(6)」。当然だ。毎日賭け事をしている人はもうけを欲しているのではないのだから。 欲望の対象と欲望の原因 パスカルが述べていることをより一般的な言い方で定式化してみよう。それを、〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉の区別として説明することができるだろう。 〈欲望の対象〉とは、何かをしたい、何かが欲しいと思っているその気持ちが向かう先のこと、〈欲望の原因〉とは、何かをしたい、何かが欲しいというその欲望を人のなかに引き起こすもののことである。 ウサギ狩りにあてはめてみれば次のようになる。ウサギ狩りにおいて、〈欲望の対象〉はウサギである。たしかにウサギ狩りをしたいという人の気持ちはウサギに向かっている。 しかし、実際にはその人はウサギが欲しいから狩りをするのではない。対象はウサギでなくてもいいのだ。彼が欲しているのは、「不幸な状態から自分たちの思いをそらし、気を紛らせてくれる騒ぎ」なのだから。つまりウサギは、ウサギ狩りにおける〈欲望の対象〉ではあるけれども、その〈欲望の原因〉ではない。それにもかかわらず、狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。つまり、〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違える。 賭け事でも同じように〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を区別できる。賭け事をしたいという欲望はもうけを得ることを対象としている。だがそれは、賭け事をしたいという欲望の原因ではない。繰り返すが、「毎日カネをやるから賭け事をやめろ」と言うなら、あなたはその人を不幸にすることになるのだ。その人はもうけが欲しいから賭け事をしているわけではないのだから。 どちらの場合も、〈欲望の原因〉は部屋にじっとしていられないことにある。退屈に耐えられないから、人間のみじめさから眼をそらしたいから、気晴らしがほしいから、汗水たらしてウサギを追いもとめ、財産を失う危険を冒して賭け事を行う。それにもかかわらず、人間は〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を取り違える。ウサギが欲しいからウサギ狩りに行くのだと思い込む。 熱中できること、自分をだますこと こう考えてくると、気晴らしは要するに何でもよいのだという気すらしてくる。退屈を紛らしてくれるなら何でもいい。あとは、選択可能な気晴らしのなかから、個人個人にあったものが選ばれるだけである、と。 だが、たしかに何でもよいのかもしれないとはいえ、条件はある。簡単だ。気晴らしは熱中できるものでなければならない。気晴らしは騒ぎを引き起こすものでなければならないのである。なぜ熱中できるものでなければならないのだろうか? 熱中できなければ、ある事実に思い至ってしまうからである。気晴らしの対象が手に入れば自分は本当に幸福になれると思い込んでいるという事実、もっと言えば、自分をだましているという事実のことだ。 パスカルははっきり言っている。気晴らしには熱中することが必要だ。熱中し、自分の目指しているものを手に入れさえすれば自分は幸福になれると思い込んで、「自分をだます必要があるのである(7)」。 〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉の区別を使って次のように言い換えてもいい。人は、自分が〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違えているという事実に思い至りたくない。そのために熱中できる騒ぎをもとめる。 自分をだますといっても、そこには深刻な趣きなどすこしもないことにも注意しておこう。人間は部屋にじっとしていられず、必ず気晴らしをもとめる。つまり、退屈というのは人間がけっして振り払うことのできない〝病〟である。だが、にもかかわらず、この避けがたい病は、ウサギ狩りとか賭け事のような熱中できるものがありさえすれば、簡単に避けられるのだ。ここに人間のみじめさの本質がある。人間はいとも簡単に自分をだますことができるのである。 もっともおろかな者 さて、いま私たちはパスカルの手を借りながら、人間のおろかさのようなものを取り上げて論じている。まるでそれが人ごとであるかのように。 先に〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉とを区別したけれども、これは実に便利な区別であるから、日常生活で応用したいと思う人もいるかもしれない。たぶん、「君は自分の〈欲望の原因〉と〈欲望の対象〉とを取り違えているな」と指摘できる場面は日常生活のなかに数多く存在しているだろう。 だが、もしあなたが、ウサギ狩りや賭け事のたぐいの気晴らしに熱中している人に向かってそのようなことを述べ立てて、いい気になっていたとしたら、あなたはパスカルから次のように言われてしまうに違いない。 ──そんな風にして〈欲望の原因〉と〈欲望の対象〉の取り違えを指摘しているだけの君のような人こそ、もっともおろかな者だ。 パスカルはこう言っているのだ。 人間はつまらない存在であるから、たとえば台の上で玉突きするだけで(ビリヤードのこと)十分に気を紛らわせることができる。なんの目的でそんなことをするのかと言えば、翌日、友人たちにうまくプレーできたことを自慢したいからだ。 同じように学者どもは、いままでだれも解けなかった代数の問題を解いたと他の学者たちに示したいがために書斎に閉じ籠もる。 そして最後に──ここ!──こうしたことを指摘することに身を粉にしている人たちがいる。それも「そうすることによってもっと賢くなるためではなく、ただ単にこれらのことを知っているぞと示すためである。この人たちこそ、この連中のなかでもっともおろかな者である(8)」。 狩りや賭け事は気晴らしである。そして、「君は、自分がもとめているものを手に入れたとしても幸福にはならないよ」などと訳知り顔で人に指摘して回るのも同じく気晴らしなのだ。 しかもその人は、先に見た取り違えのことを知ったうえで、自分はそこには陥っていないと思い込んでいるのだから、こういう人はもっともおろかだとパスカルは言うのである(9)。 パスカルの解決策 こうやってパスカルが気晴らしについて述べていることを見てくると、この思想家は本当にすべてを先回りして書き留めている気がしてくる。〈欲望の対象〉と〈欲望の原因〉を取り違えている者はおろかである。そして、知ったような顔をして、そうしたことを指摘して回っている連中はもっともおろかな者である……。 パスカルの言っていることはあまりにもあたっていて、あまりにもあたっているからすこし腹が立つと言ったことの意味がお分かりいただけたのではないだろうか。 すると逆にパスカルに尋ねたくなる。いったいどうしろと言うのか? 気晴らしを巡る考察の末に現れるパスカルの解決策とは何か? 人間のみじめな運命に対するパスカルの解決策とは何か? 拍子抜けするかもしれないが、それは神への信仰である。 パスカルは、「神なき人間のみじめ」「神とともにある人間の至福」と言う。これはけっして、「神への信仰が大切である」とか「人間は神への信仰によってこそ幸せになれる」などと抽象的に述べられているのではない。 パスカルは人間のみじめさを実に具体的に考えている。人間が退屈という病に陥ることは避けがたい。にもかかわらず人間は、つまらぬ気晴らしによってそれを避けることができる。そしてその結果、不幸を招き寄せる。 この構造から脱却するための道が神への信仰なのである。 苦しみをもとめる人間 だいぶパスカルの議論につきあってきた。そろそろ話を別の方面へと広げていこう。 パスカルの考えるおろかな気晴らしにおいて重要なのは、熱中できることという要素だった。熱中できなければ、自分をだますことができないから気晴らしにならない。 では、さらにこう問うてみよう。熱中できるためには、気晴らしはどのようなものでなければならないか? お金をかけずにルーレットをやっても、ウサギを楽々と捕らえることのできる場所で狩りをしても、気晴らしの目的は達せられない。 つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、なかなかウサギに出会えないなどといった負の要素がなければならない。 この負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷と言ってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。 ならば次のように言うことができるはずだ。退屈する人間は苦しみや負荷をもとめる、と。 私たちは普段、精神的・身体的な負荷を避けるために、さまざまな工夫を凝らして生きている。たとえば、長いこと歩いて疲れるのを避けるために自動車に乗る。だが、退屈すると、あるいは退屈を避けるためであれば、人はわざわざ負荷や苦しみをもとめる。苦労して山を歩き、汗びっしょりになって、「それをやろうと言われても欲しくもない」ウサギを追いもとめる。 つまり、パスカルの言うみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしをもとめてしまう人間とは、苦しみをもとめる人間のことに他ならない。 ニーチェと退屈 パスカルより時代は下って一九世紀。フリードリッヒ・ニーチェ[1844-1900]は『悦ばしき知識』(一八八二年)のなかでこんなことを言っている。 いま、幾百万の若いヨーロッパ人は退屈で死にそうになっている。彼らを見ていると自分はこう考えざるを得ない。彼らは「何としてでも何かに苦しみたいという欲望」をもっている、と。なぜなら彼らはそうした苦しみのなかから、自分が行動を起こすためのもっともらしい理由を引き出したいからだ(10)……。 ニーチェはさまざまな哲学者を縦横無尽に引き合いに出すけれども、パスカルはなかでもお気に入りだったらしい。彼の著作のなかで一二一回もパスカルが引用されているという。ここはパスカルに言及した箇所ではないが、退屈についてのその透徹した認識は、あの一七世紀の思想家と通底している。苦しみが欲しい……。苦しみから自分の行為の理由を引き出したい……。退屈した人間は、そのような欲望を抱く。 苦しむことはもちろん苦しい。しかし、自分を行為に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。何をしてよいのか分からないというこの退屈の苦しみ。それから逃れるためであれば、外から与えられる負荷や苦しみなどものの数ではない。自分が行動へと移るための理由を与えてもらうためならば、人は喜んで苦しむ。 実際、二〇世紀の戦争においては、祖国を守るとか、新しい秩序を作るとかいった使命を与えられた人間たちが、喜んで苦しい仕事を引き受け、命さえ投げ出したことを私たちはよく知っている。 『悦ばしき知識』は数あるニーチェの著作のなかでも有名なものの一つだ。というのも、そのなかで、かの有名な「神は死んだ」という宣言がなされたからである。神の死を宣告する書物のなかで、ニーチェが退屈についての考察を記したという事実には、何か偶然以上のものを感じざるを得ない。ここに描かれているのはまさしくパスカルの言う「神なき人間のみじめさ」である。 ファシズムと退屈──レオ・シュトラウスの分析 苦しみが欲しいという欲望をニーチェは、当時の、退屈する幾百万の若いヨーロッパ人たちのなかに見出した。そしてニーチェに先見の明があったことは、残念ながら後に明らかになる。さらに時代を下ろう。 二〇世紀の大事件の一つはファシズムの台頭である。ファシズムについては、政治、経済、歴史、思想、心理……さまざまな分野で厖大な研究が積み重ねられている。私たちはここで〈暇と退屈の倫理学〉の観点からこれに迫ろう。実はニーチェが分析した「幾百万の若いヨーロッパ人たち」の心持ちは、ファシズムの心性に極めて近いものである。 参考にしたいのは、レオ・シュトラウス[1899-1973]という哲学者の分析である。シュトラウスはドイツ生まれのユダヤ人である。彼は後にアメリカに亡命することになるのだが、亡命以前、ドイツにまだとどまっていた間、ファシズムがドイツで台頭していく様をその目で見ていた。シュトラウスはその経験を詳細に語っている。 シュトラウスによれば、第一次大戦後のドイツの思想状況は次のようなものだ(11)。 当時、大戦後のヨーロッパでは、近代文明の諸々の理念が窮地に立たされていた。それまでヨーロッパが先頭に立って引っ張ってきた近代文明は、理性とかヒューマニズムとか民主主義とか平和とか、さまざまな輝かしい理念を掲げていた。ところが、そうした理念を掲げて進歩してきたはずの近代文明は、おそろしい殺戮を経験した。第一次世界大戦のことである。もしかしたら近代文明は根本的に誤っていたのではないか? そんな疑問が広がった。 その疑問を抱いたのは若い世代である。父や母、学校の先生たちが言っていたこと、さらには本や新聞に書かれていたこと、そうしたことは何か間違っていたのではないだろうか? 上の世代は熱心に「理性が大切だ」「ヒューマニズムが必要だ」「民主主義を守らねばならない」「平和を維持しなければならない」と僕らに語りかけていた。僕らにそうした理念を押しつけてきた。それらを信じ、守ることを強制してきた。だけれども、そんなものは何の役にも立たなかったではないか? ならば、近代文明には何か根本的な問題があるのではないか? 彼らは親の世代にこうした疑問をぶつけたのだった。 しかし、上の世代は何も答えることはできなかった。それはそうだろう。彼らは単にそれらの理念を信じていただけだったのだから。彼らは見事なまでに保守的な態度に出た。「大切なものは大切なんだ」と繰り返すだけだった。知識人たちも同じだ。彼らもまた近代文明が作り上げてきた理念をただ信じていただけだったのだ。 若者は落胆した。そして、上の世代に強い反感を抱いた。「お前たちは俺たちが作り上げてきた理念を守っていればいいのだ」と偉そうな態度に出ていたくせに……。まるで「お前らにはもうやることはないから、ただ俺たちが作ってきたものを守れ」とでも言わんばかりの態度に出ていたくせに……。そうした理念が危うくなってもすこしもものを考えようとしない。若者は上の世代を憎んだ。そして、彼らが信奉していた近代文明を憎んだ。 緊張のなかにある生 そこにもう一つの事情が付け加わる。当時は共産主義が強い支配力をもっていた。親の世代の多くが近代文明を信じていたように、共産主義革命の到来を信じる共産主義者たちもまたたくさん存在していた。共産主義者たちはこう説いた。近いうちに革命が起こる。それによって真に平和な世界がやってくる。それは国家も階級もない世界、貧困も戦争もない世界だ……。 しかし、若者たちにとって、その世界はすこしも魅力的でなかった。彼らはむしろそんな世界を恐れ、憎んだ。それは各人が毎日毎晩、わずかな快楽を得て暮らしていく世界である。平和で何も起こらない世界、つまり、すべてが終わってしまった世界。そこではもう心や魂が奮い立たされることなどない。もはや人が使命感に燃えて事を為すこともない。それは「血や汗や涙を知らない世界」である。 近代文明を信じていた親たちは近代文明でもうすべてが終わっているかのように語っていた。共産主義者たちは今度来る革命ですべてが終わると語る。どちらを信奉しようと、彼ら若者にはやるべきことなどない。それらの世界がどうして若者の心を打つことができようか? 若者たちは緊張のなかにある生だけが本来の生だと考えるようになっていた。言い換えれば、真剣な生だけが望ましい生である、と。彼らにとっての真剣な生とは、「緊急事態、深刻な極限的状況、決定的な瞬間、戦争といったものに絶えず直面している社会」において体験される生のことであった。そこにこそ、自分たちが自分たちの生命を賭けて何かに打ち込む瞬間がある。生きていると実感できる瞬間がある。なぜならそのときに彼らは、「まだ何も終わっていない」と、そして、「自分は何かを作り上げる運動に参加している」と感じることができるからだ。 緊張、緊急、極限……なんと言ってもよいが、彼らにとっては極度の負荷がかかった状態を生きること、苦しさを耐えて生き延びること、それこそが生なのだった。彼らの心にあるのは、まさしくニーチェが──あるいはそれ以前にパスカルが──診断したあの欲望、苦しみたいという欲望である。 シュトラウスがこの講演を行ったのは第二次大戦の終結以前、一九四一年のことである。その時点で既にシュトラウスは「ナチズムはそのうちに滅びるだろう」と述べている。シュトラウスは正しかったわけだ。だが彼は同時に恐ろしいことを述べている。ナチズムとは、ファシズムを欲したこの欲望をひどく矮小化したものにすぎない。だから、ナチズムが滅びようとも、ファシズムを欲した人々の欲望は残り続ける。この欲望の震源地はより深いところにある(実際、以上の分析は戦後の日本の状況にも通じるところがある(12))。 たしかにそうだ。ウサギ狩りに行く人間は、実のところ、「緊急事態」をもとめる人間とそう変わりない。ウサギ狩りですむか、破滅的戦争までもとめるかは、時代背景が決めるところである。私たちはウサギ狩りに行く人間をパスカルのようにバカにしてすませるわけにはいかないのである。 ラッセルの『幸福論』 ここまで、パスカルの考察をもとにして議論を深めてきた。それによって、〈暇と退屈の倫理学〉の出発点を得られたように思う。 人間は部屋でじっとしていられない。だから熱中できる気晴らしをもとめる。熱中するためであれば、人は苦しむことすら厭わない。いや、積極的に苦しみをもとめることすらある。この認識は二〇世紀が経験した恐ろしい政治体制にも通じるものであった。 今度は、この基本的な認識をもとにしてこの後どのように議論を進めていけばよいか、どんな問題に答えるべきか、そうしたことを考えたい。 そのために二人の哲学者に登場してもらおう。 一人目は既に序章で言及したバートランド・ラッセルである。ラッセルは二〇世紀を代表するイギリスの大哲学者だ。『ライプニッツの哲学』や『西洋哲学史』などの哲学史研究から、『数学原理』などの数理哲学まで、哲学のなかの幅広い分野をカバーする仕事をした。 また、他方、ベトナム反戦運動、反核運動などの平和運動でもよく知られており、ノーベル賞を受賞した大知識人でもある。人類が誇るべき偉大なる知性だ。 そのラッセルもまた、彼独自の仕方で〈暇と退屈の倫理学〉を構想している。それが見出されるのが、彼が書いた啓蒙書の一つ、『幸福論』(一九三〇年)である。 この本は翻訳が文庫にもなっており、日本では入手しやすい書物であるが、それほどよく読まれているとは思われない。もしかすると、扱われている題材が非常にソフトで、知的刺激を欠くと思われていることがその理由の一つかもしれない。しかし、その判断は早計である。この本は実に鋭い時代意識にもとづいて書かれたものなのだ。 幸福であるなかの不幸 ラッセルは冒頭で、自分が幸福について考えを述べるにいたった理由を説明している。「動物は、健康で、食べる物が十分にあるかぎり幸福である。人間も当然そうだと思われるのだが、現代世界ではそうではない(13)」。 取り立てて不自由のない生活。戦争や貧困や飢餓の状態にある人々なら、心からうらやむような生活。現代人はそうした生活をおくっているのだが、しかし、それにもかかわらず幸福でない。満たされているのだが、満たされていない。近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。 自分が論じたいのは、そのような現代人の不幸、すなわち、「食と住を確保できるだけの収入」と「日常の身体活動ができるほどの健康」をもち合わせている人たちを襲っている日常的な不幸である、とラッセルは言う。 人はそれを贅沢病と呼ぶかもしれない。飢餓や貧困や戦争に比べれば何のことはないと言う人もいるかもしれない。 だが、日常的な不幸には、そうした大きな非日常的不幸とは異なる独特の耐え難さがある。何かと言えば、原因が分からないということである。 飢餓や貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。あるいはそれが分かっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかが分からない。だからこそ逃れようにも逃れられない。そのことがこの不幸をますます耐え難くする。 ラッセルはこの何だかよく分からない不幸に対して、「一つの治療法」を提案しようと試みるのである。 ラッセルとハイデッガーの驚くべき一致 ラッセルがこのように考えるに至った時期のことを忘れてはならない。『幸福論』は一九三〇年に出版されている。つまりラッセルはこの時期に、日常的な不幸が一つの大きな問題となって社会を揺るがしていることに危機感を抱いたということだ。 私たちはこの本の最後でマルティン・ハイデッガー[1889-1976]という哲学者の退屈論に取り組むことになる。これは退屈論の最高峰と言うべきものなのだが、実はハイデッガーがその退屈論を講義していたのが、一九二九年から一九三〇年にかけてである。まったく同じ年のことなのだ。そして、読めば分かることだが、ハイデッガーが扱っているのも、ラッセルと同じく、食と住を確保できるだけの収入と、日常の身体活動ができるほどの健康をもち合わせている人たちの不幸なのである。 実はこの符合は、ハイデッガーとラッセルのことを知っている者にとっては少々驚きの事実である。なぜなら、二人は政治的にも哲学的にも犬猿の仲であり、まさしく水と油の関係にあるからだ。 ハイデッガーは二〇世紀の大陸系哲学を代表する哲学者であり、ラッセルは二〇世紀の英米系分析哲学を代表する哲学者である。これら二つの傾向はいまに至るまで対立し続けており、両者ともに相手を哲学として認めようとしていない。ラッセルがその著書『西洋哲学史』のなかでハイデッガーをまったく取り上げなかったのは有名な話である(ラッセルによればハイデッガー哲学は、哲学ではなくて「詩」である)。 また、ハイデッガーはナチズムに荷担したことでもその名を知られているが、ラッセルは反ファシズム運動の活動家でもあった。ハイデッガーの退屈論には、その後の彼の行動を予感させる議論がつまっているのだが、ラッセルはおそらくその議論を認めはしなかっただろう。 だが、こうした強烈な対立にもかかわらず、二〇世紀初頭を体験したこれら二つの偉大なる知性は、同じ時期にまったく同じ危機感を抱いたのである。取り立てて不自由のない生活のなかに巣くう不幸。物言わぬ霧のようにただよってくる退屈。それに危機感を抱いた二人の哲学者は、イギリスとドイツで同時にこれへの対応を試みたわけだ(14)。 退屈の反対は快楽ではない 実際にラッセルの退屈論を検討しよう。 退屈とは何か? ラッセルの答えはこうだ。退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものである。 どういうことだろうか? ラッセルの言わんとするところを理解するためには、ここで「事件」が何を意味しているのかを明確にしなければならない。 ここに言われる「事件」とは、今日を昨日から区別してくれるもののことである。 人は毎日同じことが繰り返されることに耐えられない。「同じことが繰り返されていくのだろう」と考えてしまうことにも耐えられない。だから、今日を昨日から区別してくれるものをもとめる。もしも今日何か事件が起きれば、今日は昨日とは違った日になる。つまり、事件が起きれば同じ日々の反復が断ち切られる。だから人は事件を望む。しかし、そうした事件はなかなか起きはしない。こうして人は退屈する。これが、「事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」という退屈の定義の意味するところである。 こう考えると奇妙なことに気がつくだろう。退屈する心がもとめているのは、今日を昨日から区別してくれる事件である。ならば、事件はただ今日を昨日から区別してくれるものであればいい。すると、その事件の内容はどうでもよいことになる。不幸な事件でもよい。悲惨な事件でもよい。 「他人の不幸は蜜の味」と言われる。だれかが他人の不幸を快く感じたとしても、それはその人の性質が根底からねじ曲がっていることを意味しない(もちろんすこしはねじ曲がっているかもしれないが)。この蜜の味には、ある構造的な要因があるのだ。 しかもそれどころではない。事件を望む気持ちは、他人の不幸はもちろんだが、我が身に降りかかる不幸にすら及ぶだろう。退屈する人間はとにかく事件が欲しいのだから。人間は自分が不幸になることすらもとめうる。 したがって最終的に次のように述べられることになる。「ひと言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である」(15)。 退屈しているとき、人は「楽しくない」と思っている。だから退屈の反対は楽しさだと思っている。しかし違うのだ。退屈している人間がもとめているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。興奮できればいい。だから今日を昨日から区別してくれる事件の内容は、不幸であっても構わないのである。 人は楽しいことなどもとめていない 退屈する人間は興奮できるものなら何でももとめる。それほどまでに退屈はつらく苦しい。ニーチェも言っていた通り、人は退屈に苦しむのだったら、むしろ、苦しさを与えてくれる何かをもとめる。 それにしても、人が快楽などもとめていないとは驚くべき事実である。「快楽」という言葉がすこしかたいなら、「楽しみ」と言ってもいいだろう。退屈する人は「どこかに楽しいことがないかな」としばしば口にする。だが、彼は実は楽しいことなどもとめていない。彼がもとめているのは自分を興奮させてくれる事件である。 これは言い換えれば、快楽や楽しさをもとめることがいかに困難かということでもあるだろう。楽しいことを積極的にもとめるというのは実は難しいことなのだ。 しかも、人は退屈ゆえに興奮をもとめてしまうのだから、こうも言えよう。幸福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなくて、楽しみ・快楽をもとめることができる人である、と。楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生活していることよりも、むしろ、そうしたものを心からもとめることができることこそが貴重なのだ。 有名な聖書の言い回しをもじって、こんな風に言えるだろうか。 ──幸いなるかな、快楽をもとめることのできる人。彼らは事件をもとめることがないだろう。 ならば問題は、いかにして楽しみ・快楽を得るかではない。いかにして楽しみ・快楽をもとめることができるようになるか、である。 熱意? ラッセルの思想は〈暇と退屈の倫理学〉という本書の試みにとって重要な参照点である。そこから学ぶべきことは実に多い。ある意味では本書の結論がそこに書かれていると言ってもいいぐらいである。 だが、その点を強調したうえで、疑問点についてもここで述べておきたい。 『幸福論』の読後感には何かすっきりとしないものがある。釈然としないものが残る。どういうことかと言うと、ラッセルの結論が単純すぎるのである。 ラッセルが同書の第二部「幸福をもたらすもの」のなかで到達する答えは簡単だ。熱意、これである。幸福であるとは、熱意をもった生活を送れることだ──これがラッセルの答えだ。 もうすこし詳しく見てみよう。ラッセルによれば、幸福には二種類ある(16)。一方の幸福はどんな人間にも得られるものであり、他方は読み書きのできる人間にしか得られないものだ。両者は地味なものと凝ったもの、動物的なものと精神的なもの、感情的なものと知的なものなどと形容されうる。 ラッセルはそれぞれに対して例を掲げている。まずどんな人間にも得られる幸福について。ラッセルが紹介するのは彼が個人的に知っていた二人の人物である。 一人は屈強な肉体をもった、読み書きのできない井戸掘りである。彼は選挙権を得るまで国会というものの存在すら知らなかった。だが彼は「幸福ではちきれそう」だった。彼にとっては、体力と仕事に恵まれ、岩石という障害物に打ち勝って穴を掘ることが幸福である。そしてそれが十分に満たされていた。 もう一人はラッセルが雇っていた庭師である。彼は庭を荒らすウサギと年がら年じゅう戦っていた。庭師は「ウサギのことをまるでロンドン警視庁がボルシェヴィキのことを話すように話す」。彼は終日働いているが喜びの泉は涸れることがない。そんな彼の喜びを供給するのは、「あのウサギのやつら」である(またウサギだ……)。 学のある人間はそんな単純な喜びで満足することはできないと人は言うかも知れない。だがラッセルによれば、最高の教育を受けた人も彼らと同じような喜びを得るのである。ラッセルがあげるのは科学者の例だ。科学はその意義を広く認められている。だから科学者は自分の課題に真っ正面から取り組み、課題を達成することで、大いなる幸福を得ることができる。 ラッセルの結論の問題点 以上は極端な例ではあろう。ラッセルにもそのことは分かっている。とにかく彼が言いたいのは、熱意をもって取り組める活動が得られれば幸福になれるということだ。だからその活動はどのようなものでも構わない。仕事、趣味、さらには主義主張を信じること。熱意をもてる活動はたくさん転がっているとラッセルは主張する。 したがって、ラッセルが最終的に提案する幸福になるための秘訣は次のようなものになる。 幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味をひく人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ(17)。 これはこれですばらしい結論である。これ自体にはだれも反論しないだろう。本書の結論もこのラッセルの結論とそれほど異なったものにはならないかもしれない。 だが、やはり何かが足りない気がする。退屈している人にこう言ったところでどれほどの効果が期待できるだろう? 彼らは言うだろう。──自分だって、興味をひく人や物に対してできるかぎり友好的に接したいと思っているんだ。けれど、そうした人や物がいったい何なのか、どこにあるのか分からないのだ、と。 また、そうやって右往左往する人々に対して気晴らしをエサのように与えて生き延びる現代の文化産業の問題はどうなるのか? そのなかで、ラッセルの解決策はどれほどの意味があるだろうか? それこそ文化産業は、人が「友好的」に接してくれるであろうものをあらかじめ計算してエサを用意するのだ。 東洋諸国の青年、ロシアの青年は幸福である? それだけではない。ラッセルの結論には非常に重大な欠陥がある。既に序章で軽く触れておいた問題だが、これは非常に重要であるので、もう一度、今度は詳しく述べたい。 ラッセルによれば熱意をもった生活を送れることが幸福である。さて、この観点からみると、いまの(一九三〇年段階での)ヨーロッパの青年は不幸に陥りがちである、とラッセルは言う。なぜなら、自分の優れた才能を十分に発揮できるような仕事が見つからないからである。 ヨーロッパでは既に多くのことが成し遂げられている。これから青年たちが苦労して作り上げねばならない新世界はおそらく存在していない。だから、ヨーロッパの青年は不幸に陥りがちなのだ(ニーチェも同じことを指摘していた)。 それに対し、ロシアの青年たちはおそらく世界で最も「幸福」な青年である。なぜなら革命を経た彼らは、いままさに、新しい世界を作ろうとする、その運動のなかに生きているからである。 ラッセルは当時の日本の青年たちにも言及している。インドや中国や日本の青年たちは政治状況故にその「幸福」を妨げられているけれども、ヨーロッパの青年たちのように内的な障害が存在しているわけではない。つまり、政治状況が変われば、彼らは、新しい世界を作り上げていく運動を始めることができる。彼らもまた幸福になれる(18)……。 熱意こそが幸福の源泉だと言うのだから、このような議論が出てくるのは当然である。 しかし、これで本当によいのだろうか? やるべきことが残っている世界に生きている者は幸福で、やるべきことが残っていない世界に生きている者は不幸であると、そんなことでいいのだろうか? もしも、これから新しい世界を作れるか否かという外的な条件が人の幸福を決定するのであれば、ヨーロッパの青年たちはどうすればよいのだろうか? 彼らが不幸に陥るのは仕方がないことなのだろうか? 当時のロシアや日本の青年について言われていることにも大いに問題がある。新しい世界を建設するという課題が与えられ、それによって熱意を得ること、それは本当に幸福なのだろうか? 熱意をもって取り組むべきミッションを外側から与えられること、それを幸福と言ってよいのだろうか? 熱意さえもてればいいのだろうか? 人類はこれまで、豊かな社会を築き上げるためにさまざまな活動に取り組んできた。だが、ラッセルの言うとおりならば、「一生懸命に働かなければならなかった時代、あのときが一番幸せだったよね」というありふれた諦念に陥る他ない。豊かになったら今度は、「頑張っていた頃が一番幸せだったよね」などと口にするというのなら、不幸のなかに人々を投げ込んでおけばよかろう。その方が「一生懸命に働かなければならない」のだから「幸せ」であろう。 なぜこんなことを言うのか? それはラッセルの答えが不気味な具体案を招き寄せるように思えるからだ。もしも、外側から課題を与えられ、熱意をもてれば幸福になれるというのなら、何でもよいから熱意がもてる課題を適当に与えてやればよいということになるだろう。若者のエネルギーが余っているから、彼らを奮い立たせるような課題を作り上げて、そこでエネルギーを使い切ってもらえばいい、そうなるだろう。たとえば、社会が停滞したら、戦争をすればいい。 熱意の落とし穴 熱意はおそらく幸福と関連している。だが、ラッセルはそこから「熱意があればよい」「熱意さえあれば幸せである」という結論に至ってしまった。そこが問題である。 実際、ラッセルはこの結論の問題点にも気づいていたように思われる。彼は熱意の傾けられる道楽や趣味が、大半の場合は根本的な幸福の源泉ではなくて、現実からの逃避になっているとも指摘しているからである(19)。 しかもラッセルは、本物の熱意とは、忘却をもとめない熱意であるとも述べている。彼は「熱意」とみなされる現象が、単に現実から眼をそらす逃避や忘却のための「熱意」でありうる可能性に気づいているのだ(20)。 ならばなぜ、「新世界の建設」という課題が与えられているからロシアの青年たちは幸福であるなどと簡単に断言できるのだろうか? 日本の青年たちも政治状況さえ変われば「新世界の建設」を始められるから幸福であるなどと断言できるのだろうか? そうして得られる「幸福」は、単に、逃避や忘却のための熱意かもしれないではないか? 私たちには分かるのだ。パスカルを読んだから。人間は部屋にじっとしていられないから熱中できる気晴らしをもとめる。そして、欲望の向かう対象(ウサギ狩りのウサギ)が本当に欲しいのだと勘違いする。欲望を引き起こした原因(部屋にじっとしていられないこと)はそれとは別だというのに。 「新世界の建設」という外から与えられた課題が、パスカルの言う意味での気晴らしでないとどうして言い切れようか? 「新世界の建設」は高尚な課題であるから、ウサギとは違うのだろうか? いや同じである。高尚であるがゆえに、人は自分がパスカルの言う気晴らしの構造に陥っていることをなかなか認めないだろう。ならばそれは厄介な気晴らしである可能性さえある。 したがって、当時のヨーロッパの青年たちを、当時のロシアや日本の青年たちと比べるという視点そのものが完全にまちがっていると言わねばならない。これは、現代のそれなりに裕福な日本社会を生きる若者を、発展途上国で汗水たらして働く若者たちと比べて、「後者の方が幸せだろう」と言うのに等しい。これはまちがっているどころか、倫理的に問題がある。なぜならそれは不幸への憧れを生み出すからである。 不幸に憧れてはならない。したがって、不幸への憧れを作り出す幸福論はまちがっている。〈暇と退屈の倫理学〉の構想はこの点に大いに注意せねばならない。 スヴェンセン『退屈の小さな哲学』 今度は別の哲学者の退屈論を取り上げよう。本章の冒頭で言及したスヴェンセンの『退屈の小さな哲学』である。 この本は世界一五カ国で刊行された話題の本である。スヴェンセンはこの本を専門的にならないように、いわばカジュアルなものとして書いたと言っている。たしかに彼の口調は軽い。だが、その内容はほとんど退屈論の百科事典のようなものだ。もし退屈についての参考文献表が欲しいと思えば、この本を読めばよい。参照している文献の量では、本書はスヴェンセンの本にはかなわない。 スヴェンセンの立場は明確である。退屈が人々の悩み事となったのはロマン主義のせいだ──これが彼の答えである。 ロマン主義とは一八世紀にヨーロッパを中心に現れた思潮を指す。スヴェンセンによれば、それはいまもなお私たちの心を規定している。ロマン主義者は一般に「人生の充実」をもとめる。しかし、それが何を指しているのかはだれにも分からない。だから退屈してしまう。これが彼の答えだ(21)。 人生の充実をもとめるとは、人生の意味を探すことである。スヴェンセンによれば、前近代社会においては一般に集団的な意味が存在し、それでうまくいっていた。個人の人生の意味を集団があらかじめ準備しており、それを与えてくれたということだ。 たとえば近代以前、共同体のなかで一人前と認められることは大きな価値を有していた。共同体はある若者を一人前と認めるための儀式や試練(成人の儀式等々)を用意する。個人はそれを乗り越えることに生きる価値を見出す。 あるいは、神が死を迎える以前、信仰がまだ強い価値と意味を保持していた時代を思い浮かべてもいいだろう。そこでは人間の生も死も宗教によって意味づけられていた。 ところが、近代以降、このような意味体系が崩壊する。生の意味は共同体によって一方的に与えられるような一元的なものではなく、いろいろな方法で探すことができるものになった。言い換えれば、生の意味が共同体的なものから、個人的なものになった(22)。 そこからロマン主義が生まれる。ロマン主義者は、生の意味は個人が自らの手で獲得すべきだと考える。とはいえ、そんなものが簡単に獲得できるはずはない。それ故、ロマン主義者たる私たち現代人は退屈に苦しむというわけである(23)。 みんなと同じはいや! 一八世紀の啓蒙主義の時代では、人間は理性的存在として平等であり、平等に扱われねばならないと盛んに論じられた。ロマン主義はそれに対する反動である。そこではむしろ人間の不平等が高く掲げられる。個人はそれぞれ違うのであって、理性とかいった言葉で一様に扱ってはならない。つまりロマン主義は、普遍性よりも個性、均質性よりも異質性を重んじる。他人と違っていること。他人と同じでないこと。ロマン主義的人間はそれをもとめる。いま風に言えばこうなるだろうか──「みんなと同じはいや!」「私は他人と同じでありたくない!」「私らしくありたい!」。 ロマン主義が現れる以前の世界では、経済的な不平等、身分にもとづく不平等が社会の全体を覆っていた。したがってそこでは平等の実現こそが至上命題であった。だが、多かれ少なかれ平等が達成されると、こんどは再び不平等がもとめられたわけだ。 「他人と違っていたい」とは、だれもがいつでも抱いている気持ちのように思われるかもしれないが、それは大変疑わしい。スヴェンセンによれば、この気持ちはロマン主義という起源をもつ。そして、「僕たち現代人はロマン主義者のように考えている(24)」。 さて、こうなるとスヴェンセンが処方する、退屈への解決策もおおむね見当がつく。 私たちはロマン主義という病に冒されて、ありもしない生の意味や生の充実を必死に探しもとめており、そのために深い退屈に襲われている(25)。だからロマン主義を捨て去ること。彼によれば、それが退屈から逃れる唯一の方法である。「退屈と闘うただ一つ確かな方法は、おそらくロマン主義と決定的に決別し、実存のなかで個人の意味を見つけるのを諦めることだろう(26)」。 スヴェンセンの結論の問題点 ラッセルの解決策が、広い関心をもつように心がけ、自分の熱意のもてる対象を見つけるべし、という積極的な解決策であったとすれば、スヴェンセンのそれは、退屈の原因となるロマン主義的な気持ちを捨て去るべし、という消極的な解決策である。そして、消極的な解決策は、解決策でないことがしばしばだ。 これでは、退屈してしまうことが問題であるのに、退屈している君が悪いと言い返しているようなものである。それが言い過ぎだとしても、このような解決策にはだれもが途方に暮れる他ないだろう。どうやってロマン主義を捨て去ればいいのか? 自分の心のどこに、どのような形でロマン主義があるのかも分からないのに? そもそも、ロマン主義的な心性をもった人間がそれを捨て去ることはできるのか? スヴェンセンの言うように、それは単に「諦める」ということではないのか? つまり、「お前はいま自分のいる場所で満足しろ」「高望みするな」というメッセージにすぎないのではないか? してみると、数えきれぬほど多くの固有名を掲げる博学スヴェンセンの書きぶりは、この結論的メッセージの単純さを覆い隠すための衒学的装飾であったのではないかとすら思えてしまう。 それに、退屈とロマン主義というテーマ自体は大変興味深いものだが、スヴェンセンは退屈の問題をそこに集約させすぎている感がある。ロマン主義的退屈はやはり退屈の一つにすぎない。現代人のなかにそれに悩んでいる人もいるだろうが、それだけではない。パスカルの扱った退屈がロマン主義で説明し切れるかと言えば、そうではあるまい。スヴェンセンの著書に、参考にすべき点は多いが、退屈をロマン主義に還元する姿勢はとても支持し得ないし、彼の解決策にはまったく納得できない。 * 以上、パスカルの気晴らしに関する議論を出発点にして、暇と退屈についての原理的な考察を試みた。その考察はこの後も何度も参照されることになるだろう。 また注目すべき退屈論を二つ取り上げ、それぞれの分析と解決策を検証するとともに、それらの問題点も指摘してみた。ラッセルは積極的な答えを、スヴェンセンは消極的な答えをそれぞれ出していた。どちらにも見るべきところはあり、どちらにも納得できないところがある。 それらを最大限に活用しながら、以下、〈暇と退屈の倫理学〉を探しもとめていこう。 第二章 暇と退屈の系譜学 ──人間はいつから退屈しているのか? これまでの議論で、退屈が人間と切り離しがたい現象であることは分かってもらえたと思う。退屈しない人間はおらず、生きることは退屈との戦いである。そんな印象すらある。 『聖書』は原罪という物語によって人間の宿命を説明した。それによって人々は、自分たちの苦悩に満ちた生について納得のいく解釈を得ようとした。私たち人間はかつて罪を犯したから額に汗して働かなければならなくなったし、女性は苦しんで子を産まねばならなくなったのだ、と。 その宿命のなかに、「人間は退屈しなければならなくなった」という項目が入っていてもよかったのではないだろうか? 汝らはこれから退屈に耐えねばならない──神がそう命じた、と。そんな気すらしてくるのである。 では、神が命じたにせよ、そうではないにせよ、人間はいったいいつから退屈し始めたのだろうか? たしかに退屈は人間から切り離しがたい。だが、だとしても、現に退屈が存在しているのだから、それはやはりどこかの時点で始まったものであろう。 退屈はいつどうやって発生したのだろうか? 退屈の起源はどこにあるのだろうか? 本章ではこの途方もない問いに敢えて取り組んでみたい。 この問いには歴史学によっては答えを出せない。たとえば、古代の遺跡からだれかが退屈していたことを示す証拠が手に入ったとしても、当然ながらそこに退屈の起源を見出すことはできない。それ以前にも人間は退屈していたかもしれないからだ。 本章では「系譜学」というやり方を採用することにしたい。歴史学は時間を遡るが、系譜学は論理を遡る。つまり、「何年にだれが何をした」と考えるのではなくて、いま我々の手元にある現象を切り開いて、その起源を見つけていこうとするのである。 とはいえ、そのような手法のことはどうでもいい。早速取り組みを始めよう。 退屈と歴史の尺度 退屈の起源を考える際に留意すべき点がある。それは一般に退屈が、人類の歴史のなかで比較的新しい現象として取り扱われているという事実である。もうすこし言うと、退屈は多くの場合、「近代」に結びつけられている。 たしかに近代において、退屈はそれまでにないほど強く意識されるようになった。伝統的共同体が崩壊し、自由が認められるようになり、さまざまなモノや情報が過剰に供給されることになった近代。そこでは退屈は重い悩みの種である。 だが、ここに落とし穴がある。退屈を近代から考えてしまうと、退屈の理由を社会の側にもとめることになってしまうのだ。もちろん退屈が社会と無関係であるわけはない。しかし、社会から退屈を説明するのでは、人間の人間性と退屈との関わりを問うことができない。 だからこの近視眼的な見方をどうにかしなければならない。そのためには、何百年という単位で考えられるような歴史の尺度ではダメである。もっと広く、何千年、何万年という単位で考えなければならない。そうした考察には多分、歴史というよりは、人類史という言葉がぴたりと来るだろう。 そのような人類史の視点で退屈を考えるとき、参考にしたい考古学・人類学上の一つの仮説がある。西田正規の提唱する「定住革命」がそれだ(1)。 人類と遊動生活 サルや類人猿は他の動物たちと同様、あまり大きくない集団をつくり、一定の範囲内を移動して暮らしてきた。どれほど快適な場所であろうと、長く滞在すれば荒廃する。食料はなくなるし、排泄物で汚れてしまう。だが頻繁に移動すれば、環境を過度に汚染するのを防ぐことができる。汚染された環境もしばらくすれば元に戻る。時間が経ったらまたそこに帰ってくればいい。 このように移動しながら生きていく生活を遊動生活と呼ぶ。遊動生活は高い移動能力を発達させてきた動物にとって、生きるための基本戦略だった。 さて、この遊動生活の伝統は人類にも受け継がれた。人類は長きにわたり遊動生活を行ってきた。一所に定住することなく、大きな社会を作ることもなく、人口密度も低いまま、環境を荒廃させぬままに数百万年を生きてきた。 ところがその生活様式があるときに大きく変わった。人類は一所にとどまり続ける定住生活を始めたのである。約一万年前のことだ。人類は約一万年前に、中緯度帯で、定住する生活を始めたことが分かっている。 一万年と言うと途方もない長さに思えるかもしれない。けれども、仮に一世代を二〇年とすれば(つまり平均的な親子の年齢差を二〇歳とすれば)、一万年前とは五〇〇世代前のことにすぎない。親を五〇〇人ほど遡るだけで一万年前に到達する。 二足歩行する初期人類は遅くとも四〇〇万年前には出現したと考えられている。すると人類の歴史のなかで一万年とはどれほどの長さであろうか。四〇〇万年のうちの一万年は、四メートルのうちの一センチに相当する。つまり、人類史の視点から見れば、人類が遊動生活を放棄し、定住生活を始めたのはつい最近のことだと言わねばならないのである。 日本列島について言うと、縄文時代以前の後期旧石器時代、列島の住人たちは、山麓や河川・湖岸沿いの一〇キロから二〇キロの範囲を通常の生活領域として遊動生活を送っていたと見られている(2)。瀬戸内技法による石器が近畿・瀬戸内地方から遠く離れた新潟県や山形県で発見されたり、産地が特定できる黒曜石製の石器が産地から二、三百キロ以上離れた遺跡から発見されることがあることから、彼らがかなりの遠距離移動を行っていたことも分かっているという(3)。縄文時代は約一万年前に始まる。日本列島でも約一万年前まではそのような遊動生活が行われていたのである。 遊動生活についての偏見 遊動生活は一般にこんな風に考えられてはいないだろうか。遊動生活を行っていた人間は、定住したくても定住できなかったのだ、と。人間は本来は住む生き物だが、住むためにはさまざまな経済的基盤が必要になる。だから、そうした経済的基盤をまだ手に入れていない、発展途上の遅れた人間たちが非定住を強いられ、遊動生活を行っていたのだ、と。 一つの場所にとどまっていられないなんて……。しょっちゅう別のところに行かなければならないなんて……。住むことに慣れている定住生活者なら、そう考えるのは当然だ。そして遊動生活者について、彼らは定住したくても定住できなかったのだと考えても当然だ。 しかし、遊動生活者は、本当に、できることなら定住したいと考えていたのだろうか? 定住のための経済的基盤と言うときに、真っ先に出てくるのは農業などの食料生産技術のことだろう。では、遊動生活者は、畑を耕すなど、時間をかけて食料を手に入れる技術を身につけていないために、仕方なく移動する生活をしていたのだろうか? すこし立ち止まって考えてみてもらいたい。人類は長い遊動生活の伝統のなかでホモ・サピエンスまで進化してきた。その人類が「いつの日か定住するぞ!」と願い続けてきたなどと考えられるだろうか? 何百万年も不都合な生活に耐えてきたなどと考えられるだろうか? むしろこう考えた方がいいのではないか。人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式は、むしろ遊動生活にこそ適している。だからこそ、何百万年もの間、遊動生活を続けてきた、と。 強いられた定住生活 現在、人類の大半は定住生活を行っている(4)。そのために私たちは、定住中心主義とでも言える視点から人類史を眺め、遊動生活について価値判断を行ってしまう。住むことこそが人間の本来的な生活様式であると考えてしまう。 そうすると、人類の歴史の大部分は定住したくても定住できなかった歴史とみなされることになる。そして人類史は、どうやって定住生活が可能になったのかという視点から眺められることになるだろう。 しかし、定住する条件さえみたされれば人類はただちに定住するものだろうか? たとえば、私たち定住民が遊動生活を始めることは極めて困難である。私たちはすでに一万年の定住生活の歴史をもち、それに慣れ親しんでしまっているからだ。同じことが定住化についても言えよう。定住生活の条件がそろったからといって、一万年どころか何百万年も続けてきた遊動生活をやめて、おいそれと定住化することなどできるだろうか? 既に確立された生活様式があるのに、進んでそれを放棄し、新しい生活様式をもとめるなどということは考えにくい。慣れ親しんだ生活様式を放棄することは大変な苦労を強いられる出来事であるからだ。するとこう考えてみることができるだろう。人類は定住生活を望んでいたが経済的事情のためにそれがかなわなかったのではない。遊動生活を維持することが困難になったために、やむを得ず定住化したのだ、と。 定住と食料生産 これまでの人類史では食料生産の開始があまりにも強調されてきた。そのために定住の開始がもたらすインパクトは十分に検討されてこなかった。 定住には食料生産は必ずしも必要ない。実際、北アメリカ北西海岸の諸民族やアイヌなどは定住生活を行っているが、農耕民ではない。彼らは食料生産を行わず、主に漁撈活動によって定住生活を営んでいる。 食料生産を重視する見方では、彼らの生活様式を単に例外的なものとして片づけることしかできなかった。これは実に不思議なことである。なぜなら日本の縄文文化が、食料生産技術をもたない定住生活者たちによってはぐくまれた文化であることは、中学校の歴史の教科書にも書いてあることだからだ(稲作の到来時期については議論が盛んだが、いずれにせよ、稲作到来以前に定住生活が始まっていたことは疑い得ない(5))。 つまりこういうことだ。食料生産は定住生活の結果であって原因ではない。農業などの技術を獲得したから定住したのではなくて、定住したからその技術が獲得されたのだ。「遊動生活者は食料生産ができないから定住したくともできない」という見方は定住中心主義に強く拘束されている。そして、食料生産を定住生活の前提とする見方は、よく知られた事実(たとえば縄文時代の人々は定住していたが食料生産を行っていなかった)を考え直してみるだけですぐに崩れてしまう、もろい偏見なのである。 遊動生活と食料 遊動生活者は自然によってもたらされるものを採集して食料を確保する。もちろん資源には限りがあるから、ある場所にとどまっていては食料が不足する事態が必ず訪れる。その場合には生活の場所を移動する。 よく誤解されることだが、遊動民は一日中重たい荷物を背負って風に吹かれながら歩き続けているのではない。移動も毎日行われるわけではない。現在の遊動民についての研究では、移動は数百メートルほどだと言う(もちろん、もっと遠くまで移動する場合もあるだろうが)。子どもや妊婦等々の存在をあげて遊動生活の困難を説くことはできないのである。 遊動生活を行っていれば、食料に困ることはない。むしろ、定住生活を行うと食料に困るのだ。人間はすぐに周囲の環境を汚染し、資源を使い尽くすからである。定住生活者は、したがって、何らかの手段で食料を確保しなければならない。重要なのは貯蔵である。貯蔵の技術が発達すれば、食料のない時期にも飢えをしのげる。だが、場所によっては限界があるだろう。ここに、食料生産が促された原因がある。 そもそも具体的に考えてみて欲しい。ずっと移動しながら暮らしてきた人間が、慣れ親しんだ生活様式を捨ててまで、わざわざ天候などに大きく左右される食料生産という実験に乗り出したりするだろうか? 作物を育て収穫するまでには大変な時間がかかる。しかも極めて繊細な技術を必要とするため、一度にその技術を獲得することは不可能である。ならば、慣れ親しんだ遊動生活を捨てざるを得ない事情があって定住生活を強いられた人たちが、苦労して食料生産という技術を獲得したと考えるのが妥当ではないだろうか? 定住中心主義的なものの見方によって、私たちは具体的に考えてみれば分かることすら想像できなくなっているのだ。 なぜ一万年前、中緯度帯であったか? なぜ一万年前に中緯度帯で定住が始まったのだろうか? この時期、足並みをそろえたかのように、ヨーロッパ、西アジア、日本など、ユーラシア大陸の各地に定住集落が現れていることを考古学が明らかにしている。西田によればその背景には、氷河期から後氷期にかけて起こった気候変動と、それに伴う動植物環境の変化がある。 人類がもともと暮らしていた熱帯環境を出て中緯度帯へ進出したのは、およそ五〇万年前と考えられている。中緯度帯は、当時、寒冷であったため、草原や疎林が広がっていた。そうした開けた環境では視界がきく。狩りの技術を発達させた人類は、主に槍を用いてウマやウシ、トナカイ、毛サイ、マンモス、洞穴グマなどの有蹄類を狩り、生活していたものと思われる。 だが、氷河期が終わりを告げた約一万年前、温暖化が進み、中緯度帯が森林化してくると、この生活戦略は大きな変更を迫られる。温帯の森林が拡大してくれば、それまで狩っていた有蹄類は減少する。また、森林では百メートル先の獣を見出すことすら困難である。森に住む獣は、アカシカやイノシシなど、氷河期の大型獣から比べるといずれも小さな獣であって、それまでは有効であった槍も使えない。しかも、手に入れても肉は少ない。 「中緯度地域における温帯森林環境の拡大は、旧石器時代における大型獣の狩猟に重点を置いた生活に大きな打撃を与えたに違いない(6)」。 狩猟が困難になれば、植物性食料か魚類への依存を深める他ない。だが、温帯森林環境では、熱帯森林と異なり、植物性食料のとれる量が季節によって大きく変動する。また、魚類資源に依存するにしても、冬場は水域での活動が困難である。したがって、この地域で生活を続けるためには、貯蔵が必須の条件となる。そして貯蔵は移動を妨げる。貯蔵の必要に迫られた人類が、定住を余儀なくされたことがこうして想像できるのである。 最近一万年間に起こった大きな変化 定住化の原因については、より詳細な議論が必要であろう。また、定住化の過程についても、それが漁具の出現と並行していること、水辺で起こっていることなど、他にも興味深い事実が見出される。 あまり横道に逸れないために、ここでは次の点を確認しておくにとどめよう。人類はそのほとんどの時間を遊動生活によって過ごしてきた。だが、気候変動等の原因によって、長く慣れ親しんだ遊動生活を放棄し、定住することを強いられた。いま私たちはその定住がすっかり当たり前の風景となってしまった時代を生きている。 定住化の過程は人類にまったく新しい課題を突きつけたことだろう。人類の肉体的・心理的・社会的能力や行動様式はどれも遊動生活にあわせて進化してきたものだからである。だとすると、定住化はそれら能力や行動様式のすべてを新たに編成し直した革命的な出来事であったと考えねばならない。 その証拠に、定住が始まって以来の一万年の間には、それまでの数百万年とは比べものにならない程の大きな出来事が数えきれぬほど起こっている。農耕や牧畜の出現、人口の急速な増大、国家や文明の発生、産業革命から情報革命。これだけのことが極めて短期間のうちに起こった。これこそ、西田が定住化を人類にとっての革命的な出来事と捉え、「定住革命」の考えを提唱する理由に他ならない。 では、その革命の中身は具体的にはいかなるものであったのだろうか? 人類はいかなる変化を強いられたのか? またいかなる課題を乗り越えねばならなかったのか? 引き続き、この革命がもたらした大きな変化について見ていこう。 そうじ革命・ゴミ革命 生活していればゴミが出るし、生きていれば排泄物が出る。したがって定住生活者は、定期的な清掃、ゴミ捨て場やトイレの設置によって環境の汚染を防がなければならない。私たちはそうしたことを当たり前と思っている。そうじをしなければならないことも、ゴミをゴミ捨て場に捨てることも、トイレで用を足すことも。 しかし、定住革命の視点に立つなら、これらはすこしも当たり前ではない。遊動生活者は、ゴミや排泄物のゆくえにほとんど注意を払わない。理由は簡単だ。彼らはキャンプの移動によって、あらゆる種類の環境汚染をなかったことにできるからである。遊動生活者にはポイ捨てが許されている。 するとこう考えることができる。数百万年も遊動生活を行ってきた人類にとって、そうじしたり、ゴミ捨て場をつくったり、決められた場所でのみ排便したりといった行動を身につけるのは容易ではなかったのではないか? まずゴミについて考えよう。いま文明国の多くがゴミ問題に悩まされており、ゴミの分別をしきりに市民に教育している。だがうまくいかない。 これはある意味で当然のことである。ゴミというのは意識の外に放り捨てたものだ。もはや考えないようにしてしまったもの、それがゴミである。ゴミの分別とは、そうして意識の外に放り捨てたものを、再び意識化することに他ならない。考えないことにしたものについて再び考えなければならないのだから難しいのである。 遊動生活を行っていたときにはこのような課題に直面することなどなかった。食べたら食べかすを放り投げておけばよかったのだから。 定住生活を始めた人類は新たな習慣の獲得を強いられた。定期的に清掃活動を行い、ゴミはゴミ捨て場に捨てるという習慣を創造せねばならなかった。たとえば貝塚のようなゴミ捨て場を決めて、そこにゴミを捨てるよう努力した。 重要なのは、そのときの困難が今日にも受け継がれているということだ。ゴミの分別がなかなか進まないこと、そうじがまったくできない人がいることは、この困難の証拠なのである。 トイレ革命 次にトイレについて考えよう。子育てをしたことのある人ならだれでも知っているが、子どものしつけで一番大変なのが、トイレで用を足すのを教えることである。 よく考えて欲しい。オムツをつけた幼児であっても、立ち上がり、駆け回り、話をし、笑う。おべっかなどの高度な技術を使って大人に自分の要求を飲ませようとすることもしばしばだ。彼らは生物として極めて高度な行動を獲得している。 それにもかかわらず、彼らは便所で用を足すことができない。それは周囲からの粘り強い指導の下でやっと獲得できる習慣である。 現在、布オムツから紙オムツへの移行によって、オムツ離れの時期が遅れてきていることが指摘されている(かつては二歳前でオムツ離れをすますことがほとんどだったが、いまでは三歳や四歳を過ぎてもオムツ離れできないことも珍しくない)。これは、決められた場所で排泄を行うという習慣が、人間にとってすこしも自然でないことのあらわれに他ならない。だからこれほどまでにそれを習得することが困難なのである。 特定の便所を設けないという文化は数多く存在する(ヴェルサイユ宮殿にトイレがないのは有名な話だ)。そもそも排泄行為を我慢することほどつらいものはない。 そうじやゴミ、そしてトイレについての考察は、定住革命というものの困難を教えてくれる。人類は大変な苦労を重ねて、ゴミと排泄についてのエートスを獲得してきたのだ。 しかもそれだけではない。ここから分かるのは、定住革命が、かつて人類が一度だけ体験した革命ではないということである。たしかに人類はある一定の時期に定住革命を成し遂げた。だが、定住生活を行う個々の人間もまたその人生のなかで定住革命を成し遂げなければならないのである。少なくとも二つ、すなわち、トイレで用を足すようになること、そして、そうじを行い、ゴミをゴミ捨て場に捨てるようになることである。定住生活を行う私たちは苦労をしてこの革命を成し遂げている(もちろん成し遂げていない人もいるが、それはすこしもおかしなことではない)。 定住革命は人類史上の出来事であると同時に、定住民がその人生のなかで反復しなければならない革命である。定住革命はいまここでも(トイレやゴミ捨て場で)行われているのだ。 死者との新しい関わり方 遊動民が死体をもって移動することは不可能である。だから死体はそこに置いていかれる。 だが、定住民にはそうはいかない。だから、特別の仕方で、置いておく場所を作らなければならない。それが墓場だ。実際、考古学においては、墓場がゴミ捨て場と並び、定住生活の開始を徴づける重要なメルクマールになっている(7)。 こちらに生きている者の場所があり、あちらに死んだ者の場所がある。定住は、生者と死者の棲み分けをもとめる。 すると、死者に対する意識も変化するだろう。あの場所にはあいつの体がある。でも、あいつはどこに行ってしまっただろう……。 死体の近さは、死者だけでなく、死への思いを強めるはずである。それは、やがて、霊や霊界といった観念の発生につながることだろう。それは宗教的感情の一要素となる。 社会的緊張の解消 定住社会では、コミュニティーのなかで不和や不満が生じても、当事者が簡単にコミュニティーを出ていくことができない。そのため不和や不満が蓄積していく可能性が高い。 学校でのクラスのことを考えると分かりやすいだろうか。ケンカや仲違いなどの不和が起こっても、生徒は毎日同じクラスに行って、同じ席に座らなければならない。だが想像してみて欲しい。もし、席が毎日自由に決められたら? しょっちゅう勉強の場所が変わったら? 少なくとも、不和が、すべてが固定されている場合と同じように堆積していくことはないだろう。新しい環境が人々をリフレッシュさせ、それこそ〝水に流す〟ことも多くなるに違いない。 定住社会の場合はそうはいかない。したがって、不和が激しい争いになることを避けるためにさまざまな手段を発展させる必要がある。「これはしてもよい」「これはしてはいけない」といったことを定める権利や義務の規定も発達するだろう。 争いが起こったときには調停が行われるだろうが、そこで決定した内容を当事者たちに納得させるための拘束力、すなわち何らかの権威の体系もはぐくまれることだろう。法体系の発生である。 ちなみに、遊動狩猟民は、一般に、食料を平等に配分し、道具は貸し借りする。これは遊動民なりの、不和を避けるための技術と考えることができる。驚くのは、過度の賞賛を避ける習性をもっているということだ。ブッシュマンの社会では、大きな獲物を捕らえてきた狩人は、頭を下げて、そっとキャンプに戻り、ひっそりこっそりと獲物を皆の目に付くところに置いておくのだという。過度に賞賛されて、権威的存在ができることを避けるのである。 社会的不平等の発生 遊動生活においては大量の財産はもち運べない。いや、そもそも大量の財産をもつ必要がない。食料はあたりから採ってくるのだし、道具などは貸し借りするからだ。 先に述べた通り、定住社会は食料の貯蔵を前提としている。これは私有財産という考え方を生む。また、貯蔵は当然、貯蔵量の差を生む。ここから経済格差が生まれる。そして経済格差は最終的に権力関係をもたらす。自らの財を用いて、人を使用(雇用)できるようになるからだ。財力のある者はその定住コミュニティーの権力者になる。 すると盗みなどの犯罪も発生するに違いない。もたざる者はもてる者から分捕ろうとするから。こうして、法体系はよりいっそうその必要性を増す。法秩序は文明の尺度の一つであろうが、これが定住という現象と強く結びついていることが分かる。 退屈を回避する必要 さて、ここまで定住化が人間にもたらした変化の一部をあげてきたが、本書にとって最も重要であるのは次の点だ。定住によって人間は、退屈を回避する必要に迫られるようになったというのである。どういうことだろうか? 遊動生活では移動のたびに新しい環境に適応せねばならない。新しいキャンプ地で人はその五感を研ぎ澄まし、周囲を探索する。どこで食べ物が獲得できるか? 水はどこにあるか? 危険な獣はいないか? 薪はどこでとればいいか? 河を渡るのはどこがいいか? 寝る場所はどこにするか? こうして新しい環境に適応しようとするなかで、「人の持つ優れた探索能力は強く活性化され、十分に働くことができる。新鮮な感覚によって集められた情報は、巨大な大脳の無数の神経細胞を激しく駆け巡ることだろう(8)」。 だが、定住者がいつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていく。人間はその優れた探索能力を発揮する場面を失っていく。だから定住者は、行き場をなくした己の探索能力を集中させ、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面をもとめなければならない。 こう考えれば、定住以後の人類が、なぜあれほどまでに高度な工芸技術や政治経済システム、宗教体系や芸能などを発展させてきたのかも合点がいく。人間は自らのあり余る心理能力を吸収するさまざまな装置や場面を自らの手で作り上げてきたのである。 たとえば縄文人は、土器に非常に複雑な装飾を施した。単に生きるためであれば、土器は土器として使えればよいのであり、あのような装飾は不要である。その他にも縄文時代の定住者たちは、生計を維持するのには必要のないさまざまな物品を残した。装身具や土偶、土版、石棒、漆を塗った土器や木器等々。「それは石器や石屑、焼け石など、生活に必要なごく実用的な遺物の多い旧石器時代の遺跡のあり方とは、きわだった対照をなしている(9)」。 定住民は物理的な空間を移動しない。だから自分たちの心理的な空間を拡大し、複雑化し、そのなかを「移動」することで、もてる能力を適度に働かせる。したがって次のように述べることができるだろう。「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである(10)」。いわゆる「文明」の発生である。 負荷がもたらす快適さ 人類の大脳は他の動物とは比べものにならないほどに高い情報処理能力を獲得した。遊動生活は人に多くの課題の解決を強いるが、そのことは結果として、この情報処理能力を十全に発揮させることになった。人間は遊動生活において自らのもてる能力を思う存分に発揮することができた。 もちろん遊動生活者のすべてがいつもそうできたわけではないだろう。遊動生活者は毎日キャンプを移動させるわけではないのだから、自らの「優れた探索能力」が行き場をなくしてしまう日もあったろう。 だが、そのときに彼らは移動できるのだ。キャンプの事情ですぐに移動できなくとも、彼らには必ず自らの能力を思う存分発揮するチャンスが訪れるのだ。 新しい環境で生活することは非常に大きな負荷をもたらす。引っ越し直後の苦労を考えてみればよい。どこで何が買えるのか? どのルートで通勤・通学すればよいのか? まわりには何があり、どんな危険が潜んでいるのか? 隣人とどういった関係を結んでいけばよいのか? 数限りない課題が待ち受けている。 遊動生活の場合も同じだ。新しい環境のなかで、生活のために必要な情報や資源をすばやく入手しなければならない。しかもそうした場面が日常的に訪れる。西田は指摘していないが時間的制約もあるに違いない。情報や資源の入手は日の出ている日中に行われる必要があるだろう。すると日没がタイムリミットとなる。移動後、新しいキャンプの位置を決めた後で、限られた時間内に、相当な課題をこなさねばならない。 そうした労苦こそは、まさしく遊動生活の困難として考えられてきたわけだが、遊動民の側から定住生活を見ることによって、この論理を逆転させることができるのだ。すなわち、遊動生活がもたらす負荷こそは、人間のもつ潜在的能力にとって心地よいものであったはずだ、と。 自分の肉体的・心理的な能力を存分に発揮することが強い充実感をもたらすであろうことは想像に難くない。そして、定住生活ではその発揮の場面が限られてくる。毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がる。そうすると、かつての遊動生活では十分に発揮されていた人間の能力は行き場を失う。もっといろいろなことができるはずであるのに、することがない。自分の能力を十分に発揮することができない。まさに退屈である(11)。 こうして退屈をまぎらせる必要が、人類にとっての恒常的な課題として現われることになる。もちろん遊動民が退屈を知らなかったということはないだろう。しかし、定住は退屈を、人間一人一人が己の人生の中で立ち向かわねばならない相手に仕立て上げたのだ。 〈暇と退屈の倫理学〉という一万年来の課題 先に、ゴミとトイレの事例に則して、定住民は自らの力で定住革命を成し遂げなければならないのだと述べた。同じ事が退屈についても言えるのではないだろうか? 定住革命は退屈を回避する必要を与えた。ならば定住民は自らの手で、退屈を回避するという定住革命を成し遂げなければならない。ちょうどトイレに行って用を足し、ゴミ捨て場でゴミを捨てる習慣を身につけたように。 そして、当然ながら、トイレやゴミにかかわる定住革命が困難であるように、退屈にかかわる定住革命も困難である。それを成し遂げられない人がいることは、すこしも不思議ではない。 それどころか、ゴミにはゴミ捨て場、排泄物にはトイレという決定的な解決策が与えられたのに対し、退屈についてはこのような決定的な解決策が見出されていない。つまり、本書が取り組んでいる〈暇と退屈の倫理学〉は、一万年来の人類の課題に答えようとする大それた試みなのだ。 こう考えると、定住とは、パンドラの箱であったのかもしれない。そこから数えきれぬほどの災いが生じたのである。 パスカルは述べていた、「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋のなかに静かに休んでいられないことから起こるのだ」と。これはまさに定住以後の人間の不幸だ。だがパスカルよ、人間が部屋のなかに静かに休んでいられないのは当然のことなのだよ! 信仰の必要性を説くパスカルには従えない。そして、当然のことながら、遊動生活時代の復活を夢みることもできない。パンドラの箱には最後に「希望」が残っていたらしい。本書はまさにこの「希望」の探求である。 *遊動生活者と定住生活者についての注 先に紹介した岡村道雄『縄文の生活誌』には、当時の生活を読者にうまく思い描いてもらうために著者の岡村が創作した物語が挿入されている(他の部分と区別するためにフォントを変えて印刷されている)。 同書を単なる学術書とは異なる一流の読み物たらしめているこの物語は実に興味深いものなのだが、それだけではない。岡村は定住革命を説いているわけではないが、彼が想像した先史時代の人々の生活の物語は、実に見事に定住革命説に、とりわけ退屈の定住革命的解釈に一致しているのである。 どういうことかと言うと、話は実に単純であって、岡村の描く物語のなかで、遊動時代の人々は実に忙しなく働き、課題をこなしていくのに対し、定住時代の人々は実にのんびりと優雅に過ごしているのだ。 まず、約二万三千年前、現在の宮城県仙台市富沢とその周辺で生活していた二人の壮年男性と一人の青年の物語を見てみよう(言うまでもなくこれは岡村の想像した物語である)。彼らは遊動生活を営んでいる自分たちのキャンプからすこし離れてある任務に携わっていた。 「使い込んで小さくなったナイフ形石器が、ついに四つに折れてしまった。もう捨てるしかない。男がムラ〔短期の生活拠点〕にいたときからずっと使い続けてきた、大事な道具だ。この石器は、山形盆地の寒河江川に出かけたときに作ったものの一つである。〔…〕春先に山へ向かって移動するニホンジカの群れの動きを、今日、やっと確認できた。これで、とりあえず明日は家族が待つムラに戻れる。ただ、帰る道すがらでも石器は必要なので、急いで代わりを作らなければならない。昨日、三十分ほど南に歩いたところを流れる名取川で拾っておいた黒色頁岩を、皮袋から取りだした。〔…〕このあたりは、西側に丘陵が続き、遠くに見える奥羽山脈には、まだ雪が厚く被っている。丘陵の麓には、扇状地がいくつも形成され、東へなだらかにのびていた。小さな河川が蛇行して幾筋にも分かれ、とくに富沢周辺は、扇状地形に挟まれた低湿地にあたっており、ところどころに沼地があった。しかし、おおむね平坦な土地で、草原が広がり、まばらに針葉樹の林が点在する見通しの良い地形であった。/数日前から三人は、ここを中心にシカの群れが現れるのを見張りながら、食料や資材になりそうなもののありかをさぐっていた。〔…〕男三人は、西側に続く丘陵の麓を、男たちの集団の本拠地ムラに向かって歩きはじめた。〔…〕三人の男のムラでは、妻や子どもたちは、今か今かと男たちの帰りを待っていた。男たちは家族の元へ戻っても、のんびり休む暇もない。やがて移動してくるニホンジカの群れを迎え撃つために、槍の先に付ける尖ったナイフ形石器をはじめ、解体に適した鋭いナイフ形石器や彫刻刀形石器を作らなければならないからだ」(三九~四四頁)。 続いて、約一万一千年前、シシ(兄)とサル(弟)の二家族。彼らの年老いた母と、それぞれに妻、二人の子どもがいる。夏と冬を中心とした、二時期の「振り子型半定住生活」をいとなむ集落の物語。先の遊動生活者たちの生活と比べて、どのように描かれているかを見て欲しい。 「夏ではあるが、丘陵の上にいると周囲から風が吹き上げ、けっこう涼しい。見下ろすと丘陵の下には沖積平野が広がり、遠く北西方向には、東シナ海に続く吹上浜の砂丘が望める。/シシは今年、サルの家族を誘って、二回目の夏をまたここ栫ノ原で過ごしている。日が落ちはじめた西の空が、真っ赤な夕焼けに染まるのを眺めながら、久しぶりに、ゆったりとした時間をひとり楽しんだ。/「この頃、少し暖かくなってきたようだ。自分が生まれた頃にくらべると、吹上浜の海岸もだいぶ内陸に入り込んでいる。そういえば、このあたり一帯の植物も、広葉樹が多くなってきたような気がする」。〔…〕今の季節、二つの家族は、草地の上に簡単な小屋掛けをしただけの住居で暮らしている。春には山菜やフナなど川の小魚を、夏になるとしばしば海まで出かけて貝や魚を、秋が来るとシイやアカガシなどの木の実を採った。最近では、とくに木の実の収穫が増え、人手が足りなくなるほどだ。炉穴で薫製にして保存食料とする魚やシカ、イノシシの肉と一緒に、冬に備えて貯蔵した。/妻のアザミは、今日シシが捕ってきた魚を、石組み炉で焼いていた。このあたり一帯に多くある溶結凝灰岩の板石を運び込んで、舟の底のような形に組んだ炉である。つい最近までは一カ所に数カ月も居住することはなかったので、わざわざ重い石を運んで炉を築くこともせず、焚き火だけで調理をしたり暖を取っていた。〔…〕食事が終わったころにはあたりがすっかり暗くなり、たくさんのホタルが飛び交い、空にはかぞえきれないほどの星が、すぐそこに手が届くように輝いていた。今日も無事に過ごせたことを、家族みんなで感謝しよう。しばらくそれぞれの思いに耽っていたが、やがて、細い柱を立て、カヤで簡単に屋根を葺いた小屋に潜って、早めの眠りについた」(六四~六七頁)。 生きるために次々と課題をこなしていく遊動生活。それは苦しい生活というよりは、むしろ語の正確な意味において充実した生活であろう。そこでは、生きることと自らの活動とががっちりと組み合っている。対し、定住生活において人は余裕をもつ。夕日を眺めて物思いに耽り、調理の仕方も工夫し、食事の後には感謝のお祈りもする。この余裕が退屈へと移行するのにほとんど時間はかからない。どちらの生活がよかったとかわるかったとかいった話ではない。この革命は人類に大きな課題を与えたのである。 *定住革命の哲学的意味についての注 定住革命という考え方がもつインパクトは計り知れない。本書ではこれを退屈との関わりにおいてしか捉えることができないが、この考えは哲学に対しても大きな影響をもたざるを得ないだろう。 もうすこし詳しく言うと、定住中心主義に対する批判は、哲学的人間観を根本的に変更せしめる可能性をもっている。というのも、哲学のなかには定住中心主義があるように思われるからである。それを最もはっきりと言明し、「住む」ということに人間の本質を見出し、そこから広大深淵な哲学的思索を繰り出した思想家が、本書でも既に何度か名前をあげたマルティン・ハイデッガーである。たとえば、「建てる 住む 思考する」と題された講演のなかで、彼はこう述べている。 「ich bin〔英語で I am──引用者注〕とは何のことだろうか。bin がそれに属する古い語 bauen は答える。ich bin、du bist が意味するのは、ich wohne〔我ハ住ム〕、du wohnst〔汝ハ住ム〕ということである、と。汝があり、我があるその様式、我々人間たちがそれに従って地上にあるその仕方は、das Buan〔buan は古高ドイツ語で bauen(住む)に対応する語──引用者注〕すなわち住むということ das Wohnen である。人間であるとは、死すべきものとして地上にあることであり、それは住むことである」(12)。 ハイデッガーの断言には強い力が込められている。人間であるとは住むことである。Ich bin(私がある)が意味するのは、ich wohne(私は住む)である。ハイデッガーは、人間の本質を住むことに見る。 これはおそらく彼が生涯貫き通した主張であった。初期の著作『存在と時間』(一九二七年)は、人間を「世界内存在」として定義したうえで、ここに言われる「内存在」(=中にあること)とは「……のもとに住む」の意であると解説している(13)。 約二〇年後に書かれた『ヒューマニズムについての手紙』(一九四六年)でも、同書を解説しながら、「世界内存在」の本質が「住むこと」にあることを再確認している(14)。 定住革命説を検討した私たちは、このような露骨な定住中心主義には距離をとらざるを得ない。このような人間観は最近一万年の人間にしか通用しないものであるかもしれないからだ。 しかし、ハイデッガーは最近一万年のことしか考えていない視野狭窄の哲学者であるなどと言って彼を批判した気になっているとすれば、浅はかと言う他ないだろう。なぜなら私たちがいま住んでいること、住まないわけにはいかないこと、これらは厳然たる事実だからである。そもそも本書は、定住革命説による定住中心主義への批判を重大な問題提起として受け止めつつも、やはり、住むことを前提にして書かれている。 ここで紹介した「建てる 住む 思考する」という講演の背景は、さらに慎重な判断を私たちに迫るものである。同講演は、第二次大戦後の一九五一年、ドイツ・ヘッセン州ダルムシュタット市で行われたシンポジウム「人間と空間」で行われた。このシンポジウムでは、戦災からの復興、これからのドイツ建築のあり方が大きなテーマとなっていた。既にドイツは戦後復興の端緒につこうとしていたとはいえ、そこでは破壊された都市がイメージされていたはずである。 ハイデッガーは住居不足の悲惨にも言及している。そしてそのうえで、「住むということの本来的な欠乏」ということを言う。人間はまだ、住むということがどういうことなのか理解していないと言うのである。さらにハイデッガーは、人間は「住むことをはじめて学ばねばならない」とも述べている(15)。 ハイデッガーの露骨な定住中心主義からは、彼の思想の根幹に本書の構想とは相容れないものがあることが窺える。しかし、「住むことをはじめて学ばねばならない」という問いかけそのものは〈暇と退屈の倫理学〉の構想と共鳴する。 住むとはどういうことなのか? 人間はどう住むべきなのか? 住むことについてのハイデッガーの考察は、本書の後半で論じられるその退屈論とも無縁ではないはずだ。 第三章 暇と退屈の経済史 ──なぜ〝ひまじん〟が尊敬されてきたのか? 前章では定住革命説を参考にしながら、退屈の起源について考察した。そのなかで、退屈という悩みは人類の生活様式の大きな変化と関わっていることが分かった。 本章では、その後の歴史のなかで、人類がどう暇と退屈に向き合っていったのかを見ていきたい。その際、特に経済との関わりに焦点を絞ることにしよう。暇と退屈の問題はもちろん文明の全体と関わっている。だが、経済との関わりはそのなかでも特に重要と思われる。実際、このテーマでいくつかの重要な研究が既になされているのである。 暇と退屈はどう違うか? さて、〈暇と退屈の経済史〉の考察に乗り出す前に、ここで一度落ち着いて、本書のキーワードを見なおしてみたい。そのキーワードとはもちろん、「暇」と「退屈」である。 これまでこの言葉を何度も使ってきた。けれども、それらをきちんと定義していなかった。いや、それどころか、暇と退屈はまったく別物であるというのに、それらを区別すらしていなかった。 「暇」と「退屈」という二つの語は、しばしば混同して使われる。「暇だな」とだれかが口にしたとき、その言葉は「退屈だな」と言い換えられる場合が多い。しかし、当然ながら暇と退屈は同じものではない。 暇とは、何もすることのない、する必要のない時間を指している。暇は、暇のなかにいる人のあり方とか感じ方とは無関係に存在する。つまり暇は客観的な条件に関わっている。 それに対し、退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分を指している。それは人のあり方や感じ方に関わっている。つまり退屈は主観的な状態のことだ。 たとえば、定住革命は暇という客観的条件を人間に与えた。それによって人間は、退屈という主観的状態に陥った。このように説明できるだろう。 こうして二つの語を正確に位置づけると、新しい問題が見えてくる。両者の関係の問題である。暇と退屈の関係はどうなっているのだろうか? 両者は必然的に結びつくのだろうか? 暇に陥った人間は必ず退屈するのだろうか? それとも、暇に陥った人間は必ずしも退屈するわけではないのか? あるいはまた、退屈の側から暇を眺めれば次のような問いが出てくる。退屈は必ず暇と結びついているのだろうか? つまり、退屈しているとき、その人は必ず暇のなかにいるのだろうか? それとも退屈しているからといって、必ずしも暇のなかにいるわけではないのだろうか? 尊敬される〝ひまじん〟 上の問題を、暇の価値という観点から考察してみよう。 私たちは「ひまじん」という言葉をいい意味では使わない。それはたいてい人をバカにするために用いられる。また、「暇だ」という一言が自慢げに語られるとは思えない。要するに暇というのは評判が悪い。 ところがこれと逆のことを述べた本がある。経済学者ソースティン・ヴェブレン[1857-1929]の『有閑階級の理論』(一八九九年)である。 有閑階級とは、相当な財産をもっているためにあくせくと働く必要がなく、暇を人づき合いや遊びに費やしている階級のことを言う。ヴェブレンはこの階級に注目しながら、人類史の全体を描き出そうとした。 この本を読み始めると読者は最初とても驚く。いま述べた通り、そこでは、暇であることにはかつて高い価値が認められていたと書かれているからである。つまり、有閑階級は周囲から尊敬される高い地位にある階級だったと書かれているのである。 しかし有閑階級とは、いわば〝ひまじん〟の階級である。なぜこのようなことになるのだろうか? このような疑問が出てくる原因は、暇と退屈の混同にある。既に述べたように、私たちはしばしば両者を混同する。「暇だ」という言葉はほとんどの場合、「退屈だ」という意味である。だから暇であることが悪いことに思えるのである。「ひまじん」という言葉に否定的な価値が与えられるのもそのためだ。 しかし、よく考えてみよう。暇があるとはどういうことだろうか? 言うまでもなく、暇があるとは余裕があるということだ。余裕があるとは裕福であるということだ。すなわち、あくせく働いたりしなくても生きていける、そのような経済的条件を手に入れているということだ。 逆に、暇のない人たちとはどういう人たちであろうか? 暇のない人とは、自由にできる時間がない人、つまり、自らの時間の大半を労働に費やさねば生きていけない人のことだ。暇のない人とは、経済的な余裕のない人である。経済的に余裕がないのだから、社会的には下層階級に属する。いわゆる「貧乏暇なし」のことである。 有閑階級とは、社会の上層部に位置し、あくせく働いたりせずとも生きていける経済的条件を獲得している階級である。彼らは労働を免除されている。労働は下層階級が彼らの代わりに、彼らのために行うのである。それ故、ヴェブレンはこのように述べたのだ。ギリシャ哲学者の時代から現代にいたるまで、労働を免除されていること、そこから解放されていることこそが価値あるすばらしいことだったのだ、と(1)。 こう考えてもよいだろう。有閑階級とは、いわば、暇であることを許された階級である、と。 有閑階級と所有権 有閑階級と言うとたぶん「有閑マダム」なる言葉を思い起こす人が多いと思う。また一般に有閑階級と言うと、一九世紀の資本主義社会を謳歌したブルジョワジーや、預金から得られる利子だけで生活する金利生活者などを指す場合が多い。 だがヴェブレンはこの言葉をもっと広い意味で使っている。彼によれば有閑階級は人類史のある時点で発生し、それ以降、人類の歴史をずっと規定してきた存在なのである。 有閑階級は、人類が「原始未開状態」から「野蛮状態」へと移行する際に発生した階級であるとヴェブレンは言う(2)。ここで、原始未開状態は平和的な生活が営まれていた状態、野蛮状態は人間が好戦的になった状態を指している。 ヴェブレンによれば、人類はかつて平和のなかで生きていた(3)。だが、その後、何らかの理由で戦争や略奪を好む存在へと変わっていった。有閑階級は戦争や略奪を好む状態とともに発生したと言われている(4)。ヴェブレンはこの野蛮状態への移行を、所有権の発生として説明している(5)。つまり、有閑階級は所有という考えが発生すると同時に生まれた階級だと言っているのである(6)。 所有権が制度化されれば、私有財産なるものが存在し始める。私有財産が存在し始めれば、財産の差、つまり貧富の差が生まれ、やがては階級の差も出てくる。有閑階級とは、私有財産にもとづく格差を内在する社会に特有の階級だということになるだろう。 暇の見せびらかし 彼ら富をもつ者は、自分たちで生産的活動を行う必要がない。やるべき仕事がない、そのことこそが彼の力の象徴である。暇であることこそが、尊敬されるべき高い地位の象徴である。したがって暇は明確なステータスシンボルとなる。 暇はステータスシンボルなのだから、有閑階級は自らの暇を見せびらかそうとする。これをヴェブレンは「顕示的閑暇」と呼ぶ。これは『有閑階級の理論』という本のカギとなる概念であり、有閑階級の根幹を支えるものである。 有閑階級は暇を見せびらかしたい。では、どうすればよいだろうか? 単に暇であることを人に見せつけることは難しい。そこで、彼の暇を目に見える形で分かりやすく代行してくれる人間集団が登場する。使用人集団である。彼らは暇を代行してくれる存在である(7)。 彼らはきれいな身なりをして、自分たちに多大な費用がかかっていることを示す。調度品の維持など、生活するには大して重要でもない仕事を熱心に行い、主人に仕える(8)。これが「閑暇の遂行」である(9)。「暇を遂行する」とは奇妙な感じがするが、まさしく彼らはそれを仕事にしているのである。 顕示的閑暇の凋落 暇の見せびらかしが進んだ段階を、ヴェブレンは「半平和愛好的産業段階」と呼ぶ。奴隷の使用など、略奪や暴力をむき出しにした暇の見せびらかしは避けられているからである。 しかし、「半平和愛好的産業段階」で実現されているのは、その名の示す通り、完全な平和ではない。平和は形式的なものに留まっている(10)。それは当然だろう。他人の暇を「遂行」するために人が雇われるような社会が不平等に満ちていることは言うまでもないからだ。 歴史もまたこのような判断を下し、社会は徐々に変化していった。賃金労働者と現金支払制を中心にした「平和愛好的産業社会」の到来である(11)。これは、ヴェブレンが『有閑階級の理論』を出版した頃に現れ始めていた二〇世紀の大衆社会を指していると考えられよう。 一九世紀末から二〇世紀頭にかけて、いわゆる有閑階級(その大半は利子生活者)の凋落が見られた。両世紀の境目を生きたヴェブレンの頭にもおそらく、凋落していく有閑階級の姿が思い描かれていただろうと思われる(12)。 この段階に至ると、使用人集団が減ってくる。富の再配分が見なおされ、階級差はすこしずつ縮まっていった。その結果として、暇の見せびらかしも有効性を失う。 その代わりに現れたのがステータスシンボルとしての消費である。ある人物がどれほどの使用人を抱えているかは、その人の家にでも招かれてみなければ分からない。だが、何を着ていて、どんな家に住んでいて、どんな車に乗っているかは、一目見れば分かる。社会の規模が大きくなるにつれて、一目見てすぐに分かるようなステータスシンボルの方が重宝されるようになったわけだ。 また、かつては従者が自らの存在そのものによって主人の地位を顕示していたが、この段階に入ると、顕示の役割を担うのは妻である。妻が消費を代行し、それによってまさしく〝主人〟の地位を示す。 ヴェブレン理論の問題点 さて、以上がヴェブレンの歴史理論の大枠なのだが、読んでいると、いくつもの疑問が出てくる。それはなぜかと言えば、何でもかんでも顕示的閑暇で説明しようとしているからである。本当にそれによって歴史のダイナミクスを説明できるのだろうか? たとえば使用人集団の発生を暇の見せびらかしというだけで説明できるだろうか? 単に、使用人集団に、暇の見せびらかしという一機能があったというだけのことではないだろうか? 顕示的閑暇は本当に歴史を動かしてきた動因なのだろうか? 他にもいくつか問題はある。だが、ここではある一つの概念に注目したい。この概念はヴェブレン理論の問題点の核心を教えてくれるからである。 その概念とはヴェブレンの掲げる「製作者本能 instinct of workmanship」である。製作者本能は、「有用性や効率性を高く評価し、不毛性、浪費すなわち無能さを低く評価する感覚」と定義されている(13)。要するに、無駄を嫌う性向のことだ。ヴェブレンはそうした性向が人間の中に本能としてあると言う。 たとえば、平和愛好的産業社会の段階になると、この本能は無駄と思われるものを審美的に拒否する感覚として現れるとヴェブレンは言う(14)。この本能は人間に、暇の見せびらかしや誰かに暇を代行させるといった明らかな無駄を蔑ませる。さらには物や努力の無駄な消費に対する非難をも生み出す(15)。 さて、製作者本能は無駄を嫌う傾向のことなのだから、ここまでは簡単だ。問題はこの後である。ヴェブレンはなぜか、暇の見せびらかしの基礎にあるのもこの製作者本能だと言うのである。「特殊な事情の下では」──という言い訳がましい一言を付しながらヴェブレンは言うのだが(16)──この製作者本能は階級の区別や、武勇に対する好みを生み、結果的に「競争心に基づく力の誇示」をもたらす(17)。 製作者本能は暇の見せびらかしを生み出す。しかし、製作者本能は暇の見せびらかしを蔑ませるとも言われていたではないか? 暇の見せびらかしを生み出すものが、暇の見せびらかしを蔑ませるというのは何も説明していないに等しい。要するにヴェブレンの説明はここで破綻している。 別の観点から言えば、「製作者本能」という言葉は実はあってもなくてもどちらでもいい。顕示的閑暇が或るときに生まれ、それに対する蔑みが或るときに生まれたと言えばいい。それだけのことである。 アドルノのヴェブレン批判 なぜヴェブレンは無理をしてまで、こんな「本能」を人間に見出すのだろうか? 答えは簡単である。人間に製作者本能をもっていてもらいたいとヴェブレン自身が切望しているからである。ヴェブレンは自分の欲望をそこに投影している。彼は、浪費や贅沢を嫌う性向を人間の中に本能として見出したくて仕方ないのだ。 製作者本能を本能として説明するならば、過去の歴史もすべてこの本能から説明しなければならなくなる。暇の見せびらかしもこの本能によって説明しなければならなくなる。だから無理が出てくる。 本書の序章で言及した哲学者のアドルノがこの点を明確に指摘している。ヴェブレンはピューリタン的である。彼は、額に汗して労働することだけが幸福をもたらすのであり、文化などは浪費に過ぎないと考えている(18)。これがアドルノによるヴェブレン批判の骨子だ(19)。 アドルノは、ヴェブレンは有閑階級を妬んでいるのだと鋭く指摘している。なぜヴェブレンは彼らを妬んでいたのだろうか? 働かずに生きていける階級が存在していることが許せなかったからだろう。だからこそヴェブレンは、額に汗して働くことだけが幸福をもたらすはずだと考えた。というか、そう自分に言い聞かせた。 アドルノは芸術を非常に高く評価した哲学者である(自身はもともと作曲家志望であった)。だからヴェブレンのように、労働することこそがすばらしくて文化などはまやかしであるとか、そもそも人間には製作者本能が備わっているなどといった説はガマンならなかったのだろう。 ヴェブレンvsモリス 『有閑階級の理論』第六章には工業製品を論じた箇所があるのだが、それを読むとアドルノの批判がまっとうなものであったことがよく分かる。 ヴェブレンはこう言う。工場で作られる日用品はありふれているがゆえに嫌われることがある。だが、それはまちがっている。どこに行っても同じものがあるということはその製品の完全性の証拠だ。手作り品と機械製品を比べてみよ。機械製品の方が仕上がりははるかに完璧だ。デザインも細部までずっと正確に再現されている。それに比べて手作り品はどれもバラバラだ。まったく同じものを大量生産できる機械製品がいかにすばらしいか! こういう次第である。 さて大変興味深いことに、ヴェブレンはこう主張した後で、本書が序章で取り上げたウィリアム・モリスに言及する。もちろん否定的な言及である。 モリスはアーツ・アンド・クラフツ運動を始めた。芸術性を兼ね備えた手作りの日用品こそが民衆の生活のなかに入っていかなければならないとモリスは考えていた。 しかしヴェブレンによれば、そのような運動は「不完全性への礼讃」に他ならない。工業製品の完全性に対する単なる反動であり、「無作法と無駄な努力に関する彼らの宣伝」にすぎない。ヴェブレンの工業製品びいきは実に徹底している。 この対立は実に興味深いものである。というのも、まさしくモリスは、産業革命以降、粗悪な工業製品が人々の生活を覆い尽くしてしまったことを嘆いてアーツ・アンド・クラフツ運動を始めたからである。工業製品という同じ品を巡って、ヴェブレンとモリスはまったく反対の評価を下しているわけである。 二人のそもそもの好みが正反対ということだろうか? これは趣味の違いだろうか? いや、アドルノの視点から見れば、この対立の意味するところを解き明かすのは簡単だ。ヴェブレンは「文化は浪費」だと思っている。だから、芸術的価値ばかりを取り上げて、工業製品を批判するモリスが気にくわないのだ。 モリスは正反対である。彼は文化あるいは芸術こそが人々に幸福をもたらすと考えている。あるいはまた、人々を幸福にするような文化・芸術が必要だと考えている。労働は必要である。しかし人間の生が労働だけに縛られてはならない。労働に縛られない世界がもたらされねばならない。 暇を生きる術を知る者と知らぬ者──「品位あふれる閑暇」 ヴェブレンは労働を過度に高くもち上げ、文化や贅沢を過度に貶める。彼自身、「有閑階級」への妬みをもっており、それがその理論に大きな歪みをもたらしている。その歪みが最もよく現れているのが「製作者本能」の概念であり、これが彼の歴史理論に大きな矛盾を引き起こしている。 このようにヴェブレンの本には重大な欠陥がある。しかし、だからといって『有閑階級の理論』を全面否定してしまうのは早計だ。実はこの本には、有閑階級をまったく別の視点から見なおすヒントもまた見出せるのである。その点を見ていこう。 歴史のなかで労働に対する負のイメージはすこしずつ消えていった。有用な努力は肯定的に捉えられ、むしろ閑暇を見せびらかすという無駄は非難されるようになった。これは一八・一九世紀のブルジョワ社会の段階を指している。 さてヴェブレンはこの段階での新しい有閑階級の大部分、つまりブルジョワジーが、平民の生まれであることに注目する。どういうことだろうか? ブルジョワジーというのは裕福である。金持ちである。しかし歴史が示す通り、彼らは成り上がりである。成金である。つまり、彼らには金も力もあるのだが、教養がない。なぜならもとは平民だからだ。 ここでヴェブレンは「品位あふれる閑暇 otium cum dignitate」というキケロの言葉を掲げる(20)。古い有閑階級、たとえば貴族はこれを知っていたと言うのだ。有閑階級、正確に言うと有閑階級の伝統をもつ者たちは、暇を生きる術を知っていた。彼らは品位あふれる仕方で、暇な時間を生きることができた。 それに対し、新しい有閑階級は暇を生きる術を知らない。彼らは暇だったことがないから。彼らは金のためにあくせく働いてきた。だから彼ら新しい有閑階級は「品位あふれる閑暇」を知らない。有閑階級の伝統をもたないから。よって暇になるとどうしたらいいのかが分からない。暇に苦しみ、退屈する。 さらに二〇世紀の大衆社会は、より大きな問題をもたらすことになるだろう。ブルジョワジーのみならず大衆もまた暇を手にすることになる。幸か不幸か、労働者に余暇の権利が与えられたからだ。 これは何を意味するか? 暇を生きる術を知らないのに暇を与えられた人間が大量発生したということだ。有閑階級が常に引き受け、また対応してきた課題が、一挙に社会問題化したわけである。 かつての有閑階級は、暇のなかで退屈せずに生きる術を知っていた。ならば、有閑階級は〈暇と退屈の倫理学〉にとって極めて重要な存在である。彼らにおいては暇と退屈が結びつかない。だからこそ、「品位あふれる閑暇」という伝統が存在していた。 もちろん、この階級が他の階級の大いなる搾取によって成立していたことを見逃してはならない。この階級を美化してはならないし、その復活を望んでもならない。 だが、彼らの存在はヒントになる。暇と退屈を直結させないロジックを彼らは与えてくれる。本章冒頭の問いに戻って言えば、暇のなかにいる人間が必ずしも退屈するわけではないことを教えてくれる(21)。 この意味において、つまり、著者ヴェブレンの意図とはほとんど無関係なところで、『有閑階級の理論』は重要な著作なのである。 ラファルグの労働賛美批判 いま余暇の権利に言及した。続いてこれについて考えよう。 有閑階級が没落した後、労働者階級は余暇の権利を得る。余暇の権利という考え方が成立するためには、労働観の転換が必要であった。つまり、労働を神聖視し、労働することそれ自体がすばらしいとする労働観が覆されねばならなかった。 このように述べると、『有閑階級の理論』が述べていたことに反すると思われるかもしれない。あのなかでは労働は歴史を通じて忌み嫌われてきたと書かれていたからだ。 たしかに歴史上そのような時代は長く続いた。しかし、一九世紀に労働者の運動が盛んになるにつれて事態は急速に変化していった。労働者の権利を要求する運動は、おのずと、労働者そのものの賛美を内に抱え込む。すると、労働者のアイデンティティである労働もまた高い位置に置かれることになる。 余暇の権利を確立するにあたり覆された労働観とは、このような労働観のことを指している。だからそれは歴史的に見れば新しいものだ。 労働賛美を疑う思想は、労働運動に携わる者のなかから生まれてきた。最も有名なのが社会主義者ポール・ラファルグ[1842-1911]の労働賛美批判である。 ラファルグはこう言った。労働運動に関わるものたちは労働者を賛美し、労働を称えている。しかし、よく考えてみろ。労働賛美はそれこそ労働運動の敵である資本家がもとめていることではないのか? 資本は労働者をもっともっと働かせたいと思っているのだから! ラファルグは、フランスの二月革命で労働者が掲げた要求である一八四八年の「労働の権利」が労働を神聖視していることに疑問を感じ、『怠ける権利』という政治文書を発表する。第一章の冒頭は次のように始まっている。 資本主義文明が支配する国々の労働者階級は、いまや一種奇妙な狂気にとりつかれている。その狂気のもたらす個人的、社会的悲惨が、ここ二世紀来、あわれな人類を苦しめつづけてきた。その狂気とは、労働への愛、すなわち各人およびその子孫の活力を枯渇に追いこむ労働に対する命がけの情熱である。こうした精神の錯誤を食い止めることはおろか、司祭も、経済学者も、道徳家たちも、労働を最高に神聖なものとして祭り上げてきた(22)。 労働者階級は、自分たちを苦しめている元凶である労働を信奉するという「狂気」に陥っている、というわけだ。ラファルグは学生時代から社会主義運動に入り、ロンドンでマルクスと会う。マルクスの次女のラウラと結婚したことは日本でもよく知られている。つまりそれほどマルクスの近くにいた。 ラファルグの思い込み しかし、期待に胸をふくらませてラファルグの文章を読んでみると、大いに失望することになるだろう。ラファルグの文章には「資本主義文明」についてのいかなる洞察もない。いったいマルクスのそばで彼は何を学んだのだろうか? 彼の文章には分析が欠けている。労働が労働者を苦しめているのに労働者がそれを賛美するのはおかしいと言っているだけなのだ(ちなみに、マルクスはラファルグとラウラの結婚に大反対だった)。 たとえば『怠ける権利』の末尾は次のようになっている。 もしも労働者階級が、彼らを支配し、その本性を堕落させている悪癖を心の中から根絶し、資本主義的搾取の権利にほかならぬ人間の権利を要求するためではなく、悲惨になる権利にほかならぬ働く権利を要求するためではなく、すべての人間が一日三時間以上労働することを禁じる賃金鉄則を築くために、すさまじい力を揮って立ち上がるなら、大地は、老いたる大地は歓喜にふるえ、新しい世界が胎内で躍動するのを感じるだろう……。〔…〕おお、《怠惰》よ、われらの長き悲惨をあわれみたまえ! おお、《怠惰》よ、芸術と高貴な美徳の母、《怠惰》よ、人間の苦悩の癒しとなりたまえ(23)! もちろんアジテーションを目指した文章なのだから仕方がないという向きもあるだろう。それに質の低い政治文書などありふれているのだから、ここでラファルグを取り上げて非難するのは悪趣味とも思われるかも知れない。 だがラファルグをここで取り上げるのには理由がある。彼は余暇や怠惰と資本主義の関係について根本的な思い違いをしているからである。 ラファルグは「資本主義文明」が大嫌いである。だから、労働者階級が労働を賛美することで、それとは気づかずに資本の論理に取り込まれていることが許せない。怠惰の賛美はそこから出てくる。労働をもとめるのではなく、余暇をもとめること。それこそが資本の論理の外に出ることだとラファルグは信じている。 しかし、実はそれは完全にまちがっているのだ。ラファルグの能天気な思い込みは、二〇世紀に木っ端みじんに砕け散ったと言ってよい。なぜなら、余暇は資本の外部ではないからだ。どういうことか引き続き見ていこう。 労働者を使って暴利を貪るにはどうすればよいか? 一九世紀に労働運動が広まりを見せ始めた頃、労働者の権利はゼロに等しかった。マルクスの『資本論』の「労働日」の節を読んでみるといい。一九世紀イギリスの労働者の労働状況がよく分かる(二七時間労働、炭坑で働く幼児……)。 当時の資本家は、規制のないのをいいことに、労働者をこき使うことができた。そしてそれに対する反省から、工場法などが次第に整備されていき、労働者の権利が社会的に認知されるようになる。 ここで立ち止まって考えてみよう。労働者の権利が守られていなかった当時、資本家は労働者をこき使い、暴利を貪っていた。たしかにこれは事実である。 だが、労働者は生物である。明らかな体力的限界をもっている。ろくに休ませもせずにこき使うというのはその人間に無理をさせるということだ。 さて、人間に無理を強いて働かせるとどうなるか? 当然、効率は悪くなる。同じ仕事をするにしても、調子がよいときよりも、時間がかかってしまったり、失敗したりする。 するとこう考えねばならない。労働者を使って暴利を貪りたいのであれば、実は労働者に無理を強いることは不都合なのだ。労働者に適度に余暇を与え、最高の状態で働かせること──資本にとっては実はこれが最も都合がよいのだ。 フォーディズムの革新性 そのことに気がつき、それまでの生産体制を一新するスタイルを発明したのが、アメリカの自動車王ヘンリー・フォード[1863-1947]である(24)。 フォードは一九〇三年にフォード・モーター社を設立。一九〇八年に有名な大衆車フォードT型を売り出す。当時非常に高価であった自動車を低価格で販売し、大衆の足にすることに成功した。それは画期的な出来事だった。 値段の変化は驚くべきものである。発売当時の価格は八五〇ドルだったが、一九二四年には二九〇ドルにまで下がっている。二四年当時には一九九万台を販売して市場占有率が五〇パーセントを超えた。この驚異的な成長を可能にしたのが、フォーディズムと呼ばれるまったく新しい生産方式であった。 フォーディズムはまず、その組み立てラインによって特徴づけられる。シカゴの精肉業者が用いていたコンベヤシステムにヒントを得たフォードは、自動車の組み立てラインにはじめてベルトコンベヤを導入した。自動車組み立てに大量生産方式が導入されたのである。 その際、彼は二つの原則を立てている。 一 もし避けることができるならば、一歩以上歩んではならない。 二 けっして体をかがめる必要がない。 注意しよう。これは労働者に対する禁止ではない。労働者が自ら歩んだり、体をかがめたりする必要がないように配慮して、機器や部品を配置するということだ。フォードは作業員の都合を考えて生産工程を作り上げた。 第二の特徴は高賃金、そして生産高に比例して賃金も上昇する生産性インデックス賃金制である。これによって労働者の士気が上がる。士気が上がれば生産性は向上し、その結果、製品の価格を下げることができる。価格が下がれば製品はもっと売れる。売れれば賃金が上がる。フォーディズムはまさしく二〇世紀の高度経済成長のモデルとなった。 第三の特徴、それは一日八時間労働制と余暇の承認である。労働者は十分な休息を取ることが認められたし、またそれが推奨された。ベルトコンベヤによる作業では規則正しい正確な動作がもとめられる。そのためには心身が万全の状態でなければならない。労働時間の制限、余暇の承認はそのために要請される。 労働としての休暇 このように見てくると、フォードが労働者思いのすばらしい経営者に思えてくる。実際それはある面ではまちがいではないだろう。彼は慈善事業家でもあり、フォード財団、フォード病院なども設立している。「企業の成功は同時に労働者の繁栄である」という信念も彼の本音であろう。 だが、こうした思いやり、労働者に対するケアが、すべて生産性の向上という経済原理にもとづいていることを忘れてはならない。フォードは生産性を向上させるために労働者をおもんぱかっているのであって、その逆ではない。したがって、生産性を向上させるためであれば何でもするし、生産性を低下させる要素があればそれを断固として排除するだろう。 たとえば、フォードは労働者の労働時間を制限し、十分な休暇を取ることをもとめたが、その一方、労働者が休暇中に何をしているのかを探偵やスパイに調査させている(25)。つまり、工場に戻ってきた際に支障を来すようなことをしていないか、チェックしているのである。 たとえば夜や休日に家で飲んだくれていたら、体調を崩すからベルトコンベヤでの精密な作業に支障を来す。家庭がうまく行っていなければ精神的に不安定になり作業に支障を来す。だからフォードは工場の外に出た労働者を徹底的に監視・管理したのである。 これは何を意味するだろうか? このような生産体制においては、休暇は労働の一部だということである。休暇は労働のための準備期間である。労働はいわば、工場のなかだけでなく工場の外へも「休暇」という形で続くようになったのである。余暇は資本の論理のなかにがっちりと組み込まれている。 昔、栄養ドリンクのCMで「二四時間働けますか?」というキャッチコピーがあったが、まさしくそれである。工場だけでなく、工場の外でも、休暇という形で働かなければならない。 これこそが、余暇は資本の外部ではないということの第一の意味である。資本は労働者をうまく活用するために、余暇をも活用し始めた。余暇を自らの論理のうちに取り込む方策を開発した。 グラムシによる禁酒法の分析 イタリアのマルクス主義哲学者、アントニオ・グラムシ[1891-1937]は、フォーディズムを同時代的に眺めながら的確な分析を行っていた。彼は禁酒法とフォーディズムの関係に注目している。 禁酒法とは、アルコール飲料の製造や販売を禁止した米国の法律である。一九二〇年に施行されたが、密造や密売が続出したために三三年には廃止されている。とはいえ、かの国では一三年間もアルコールの製造と販売が禁止されていたことになる。 グラムシは、フォーディズム的な労働の合理化と禁酒主義はまちがいなく関係していると述べている。また、スパイを使った労働者の私生活の監視にも言及している(26)。二日酔いでベルトコンベヤ作業を行うのは困難である。アルコールがなくなれば、労働者は帰宅後も休暇中も、資本にとって都合のよい過ごし方をする(27)。まさしく労働の合理化である。 ただしここで一方的に資本家だけを非難することで満足してはいけない。グラムシはこう言っている。そのような労働の合理化をもとめたのはけっして産業家だけではない。労働者もまたこれをもとめたのだ、と。「アメリカ合衆国で、フォード化された産業に適合する新しい型の勤労者を育成するのに必要な条件であった禁酒法が失敗したのは、なおも遅れた状態にあった辺境に住む勢力が反対したためであって、産業家や労働者が反対したためでは断じてなかった(28)」。 グラムシの分析によれば、労働者は禁酒法の考えに賛成であったのだ。なぜだろうか? 酒におぼれることなく労働すれば、それに見合う報酬が与えられる制度が目の前に作られていたからだ。高賃金の必要がここから生まれる。 労働者はもちろん高賃金を喜ぶ。だがそれは「諸刃の剣」である。それは資本家に都合がよい仕方で労働者全体を安定的に維持するための道具である。高賃金の見返りに、労働者は私生活をも売りに出すのである(29)。少なくとも、アルコールの摂取は一三年間も我慢したのだ。 高い賃金を払い、しかもその賃金を「合理的」に消費させ、それによって合理的な労働力を得る。それは労働者自身にとってもけっして悪いことではない。「まじめに」働いていればそれに見合うだけの見返りが得られるのだから。しかし、このような労務管理は、けっして労働者その人のことを考えているわけではない。だからスパイも使う。 労働者もフォードのやり方にけっして満足しきっていたわけではなかった。一九三〇年代には大規模な労働争議が起きるが、フォードは労働組合の組織化に反対し、労働者に対し一歩も譲ろうとはしなかった。フォードは労使協調を述べたが、それは労働者が彼に従う限りでの協調である。彼に従わぬものは容赦なく切り捨てられる。 もちろん、企業とはそういうものだという考えもあろう。だが、ここではそういった価値判断が問題なのではない。重要なのは、一見労働者をおもんぱかっているように見えるフォーディズム的労務管理は、その名の通り、新しい型の管理にもとづいているということ、そして、その管理は余暇を取り込む形で形成されているということである。 管理されない余暇? さて、余暇が管理された余暇となり、休暇が労働の一部となっているのだとしたら、当然ここで次のような発想が生まれてくる。資本の論理に取り込まれた余暇が問題なのだから、そうでない余暇をもとめればよいのではないか。つまり「怠ける権利」をもとめればよいのではないか。 ここから、余暇は資本の外部ではないということの第二の意味について考えねばならない。そしてここで再び暇と退屈の問題が現れるのである。 管理されない余暇があったとして、私たちはそのなかでいったい何をするのだろうか? 何をすればよいのか? 余暇だから何もしないのか? だが、何もしないことなどできるだろうか? パスカルは何と言っていただろうか? 私たちは何もせずにはいられないのである。 さらに、『有閑階級の理論』から引き出した結論もここに付け加えよう。労働者階級、つまり新たに余暇を与えられた階級は、「品位あふれる閑暇」の伝統をもたない。だから余暇が与えられると何をしていいのか分からない。 こうして現れるのがレジャー産業に他ならない。レジャー産業の役割とは、何をしたらよいか分からない人たちに「したいこと」を与えることだ。レジャー産業は人々の要求や欲望に応えるのではない。人々の欲望そのものを作り出す。 フォードは、自社の労働者たちがフォードの車を買い、自分たちの足として、そして余暇のためにそれを用いることを望んでいた。フォードが労働者たちに十分な賃金と休暇を与えたのは、労働者たちに抜かりなく働いてもらうためだけではない。そうして稼いだお金で労働者たちに自社製品を買ってもらうためでもあった。フォードで働いてもらい、フォードの車を買ってもらう。そしてレジャーを楽しんでもらう。 一九世紀の資本主義は人間の肉体を資本に転化する術を見出した。二〇世紀の資本主義は余暇を資本に転化する術を見出したのだ。 自分の欲望を広告屋に教えてもらう──ガルブレイス いまレジャー産業について述べた構造を、経済学者のガルブレイスは『ゆたかな社会』(一九五八年)でより一般的に論じている。 ガルブレイスによれば、「消費者主権」という経済学の最も基本的であったはずの概念が、現代ではまったく通用しなくなっている。消費者主権とは、「経済システムは消費者に奉仕するものであって、その消費者が経済を最終的に支配する」という考えと定義されている(30)。簡単に言えば、消費者に欲しい物があって(需要)、それを察知した生産者がその物を生産する(供給)、こういった構造を当たり前だとするのが消費者主権という考えである。 当然ながら、現代ではそうなっていない。消費者の側に欲しい物があって、それを生産者が供給するなどというのはまったくの事実誤認である。 たとえば数年前まで問題なく使っていたパソコンとそのソフト。なぜそれをいまも使うことができないのか? これ以上ワープロソフトが進化したところでほとんどの利用者には関係がない。ワープロソフトの利用者が一年ごとのソフトの進化を望んでいるわけではない。ソフト会社が「こんどのバージョンにはこんな機能がついていますよ」「すばらしいでしょ」「欲しいでしょ」と言っているにすぎない。利用者の欲望を作り出しているにすぎない。 ガルブレイスが言うように、現代社会の生産過程は、「生産によって充足されるべき欲望をつくり出す(31)」。そして新しいソフトには高機能のパソコンが必要になる。そうして、まだまだ使えるパソコンが毎日、山のように捨てられる。この構造はほとんどの産業に見出される。 ガルブレイスはこう言っている。「一九世紀のはじめには、自分の欲しいものが何であるかを広告屋に教えてもらう必要のあるひとはいなかったであろう」(32)。 ガルブレイスは以上の説を唱えた際、他の経済学者たちから強い抵抗を受けたという。多くの経済学者にとっては、人々が欲望を抱いていて、それに産業が応えるというのが自明のモデルであったからだ。 しかし、この消費者主権のモデルを信じて疑わないというのは能天気に過ぎる。 たとえば、一九世紀ドイツの労働運動の指導者にフェルディナント・ラッサール[1825-1864]という人がいる。彼は「夜警国家」という言葉をはじめて使ったことで有名である。 彼は一八六二年の時点で既に資本主義の特徴を次のように説明していた。以前は欲求が供給や生産に先行していた。欲求が供給や生産を引き起こし、かつ決定していた。今日では生産と供給が欲求に先行し、これを強制している。つまり、欲求のために生産されるのではなくて、世界市場のために生産されるのである(33)。 既に一九世紀半ばの時点でこのような生産体制は自明のものだったのだ。ガルブレイスの指摘はむしろ遅すぎたというべきかもしれない。 「新しい階級」 いまではガルブレイスの言うことは常識に属する。陳腐な響きすらあるかもしれない。とはいえ、そうした考え方が受け入れられていなかった時点で、これを分かりやすく提示したことは大いに評価されねばならない。 だが、納得がいくのはここまでだ。彼がこの分析から引き出した結論には大いに疑問が残るのである。どういうことか詳しく見ていこう。 ガルブレイスは「ゆたかな社会」を分析しながら、消費者主権モデルの崩壊を指摘すると同時に、その社会のなかに一つの「希望」を見出している。彼の言う「新しい階級」がそれである。 ガルブレイスによれば、人類はこれまでさまざまな手段を使って、「労働は労働しないことと同じように楽しいのだ」と人間に信じ込ませようとしてきた。しかしことごとくそれに失敗した(34)。やはり多くの人にとって労働とは、不愉快であってもやらざるを得ないものなのだ(35)。 ところが、そうではない人たちがいる。彼らにとっては仕事は楽しいのが当然である。彼らは報酬の多少にかかわらず最善の努力をする。給料が重要でないわけではない。だが、彼らにとっては何よりも他人から尊敬されることこそが、仕事における満足の重要な源泉になっている(36)。 そうした人々こそ、ガルブレイスの言う「新しい階級」である。簡単に言えば、仕事こそが生き甲斐だと感じている人である。 この階級は閉じられていない。この階級から離れる人はほとんどいないが、毎年何千人もの人がこの階級に入ってくる。「準備のための十分な時間とかねに恵まれた青春時代をもち、正式の学業をパスしていくだけの才能さえもった人ならば、誰でもこの階級の一員になれる(37)」。 ガルブレイスによれば、一九世紀初頭のイギリスやアメリカで「新しい階級」を構成していた者は、ごく少数の教育者と牧師、作家やジャーナリスト、芸術家だけであった。また、『ゆたかな社会』の初版が書かれた一九五〇年代にはそれは数千人だけであった。しかし、同書の第四版が出た一九九〇年代には、その数は数百万人にまで増えたと言う(38)。 仕事の充実? 彼は当然この変化を好ましく思っている。だからこの階級を急速にいっそう拡大することこそが社会の主要な目標の一つであると彼は結論する(39)。所得が増えることよりも仕事が充実することを目指すべきではないか? たしかに分からないではない。それどころかそれに同意する人は多いだろう。 だが、ガルブレイスの提案には大いに疑問が残ると言わねばならない。仕事が充実することはたしかにすばらしいかもしれない。だが、仕事が充実することと、「仕事が充実するべきだ」と主張することは別の事柄である。 このように述べるのはなぜかと言えば、ガルブレイスの提案には大変残酷な側面があるからだ。しかも彼自身はその残酷さを残酷さとして理解できていないようなのだ。 「仕事が充実するべきだ」という主張は、仕事においてこそ人は充実していなければならないという強迫観念を生む。人は「新しい階級」に入ろうとして、あるいは、そこからこぼれ落ちまいとして、過酷な競争を強いられよう。ガルブレイスは次のように述べている。 新しい階級の子どもたちは小さい頃から、満足の得られるような職業──労働ではなくてたのしみを含んでいるような職業──をみつけることの重要性を念入りに教えこまれる。新しい階級の悲しみと失望の主な源泉の一つは、成功しえない息子──退屈でやりがいのない職業に落ち込んだ息子──である。こうした不幸に会った個人──ガレージの職工になった医者の息子──は、社会からぞっとするほどのあわれみの目でみられる(40)。 医者の息子が「ガレージの職工」になったとして、そのどこにどういう問題があるというのか? なぜ彼はあわれみの目で見られなければならないのか? そんな視線の持ち主の差別意識こそ、私たちはあわれみの目をもって眺めてやるべきだ。 そして、そういう見方がまるで当然であるかのように書くガルブレイスに対しても同じことを言わねばならない。彼が「ガレージの職工」に対する自らの差別意識に気づかないのはなぜなのか? また、なぜ「新しい階級」が新しい強迫観念を生むことに無頓着でいられるのか? しかも彼は、このようにして新しい強迫観念、新しい残酷さの存在を認めたうえで、次のように述べてそこから目を背けるのだ。 しかし新しい階級はかなりの防衛的な力をもっている。医者の息子がガレージの職工になることは稀である。たとえ彼がどんなに不適格であろうと、彼はほそぼそとながらも何とか自分の階級の中にすれすれに生きることができるだろう(41)。 こんなずさんな主張がどうして経済学者の口から出てくるのだろうか。「新しい階級」からこぼれ落ちる人間などたくさんいるに決まっている。そしてまた、仮に「ガレージの職工になった医者の息子」がそういうこぼれ落ちた人間なのだとしても、彼はいかなる劣等感も感じる必要などない。当たり前だ。 にもかかわらず、彼は周囲の「憐れみの目」によって劣等感の方へと追い詰められていくのだ。まったく恐ろしい事態である。そのような劣等感を生み出すプレッシャーを作り上げ、また増長しているのは、「「新しい階級」が拡大していくべきだ」とするガルブレイスのような経済学者の主張に他ならない。 あきれたことにガルブレイス本人も次のように述べている。「この階級〔新しい階級〕の一員が給料以外には報酬のない通常の労働者に没落した場合の悲しみにくらべれば、封建的な特権を失った貴族の悲しみも物の数ではないであろう(42)」。その通りだ。そしてガルブレイスよ、よく聞け。君こそがこの「悲しみ」を作り上げているのだ。 ポスト・フォーディズムの諸問題 フォーディズムに話を戻そう。フォーディズムは二〇世紀の高度経済成長を支えたモデルであった。そして私たちはその影の部分に注目した。 実はもはやその影の部分に恐れをなす必要はない。というのも、フォーディズムは既に終わりを迎えているからである。現代ではもはやフォーディズム的な生産体制は成立し得ない。それに代わって、ポスト・フォーディズムと呼ばれる体制が急速に広まっている。 ではポスト・フォーディズムとは何か? まずはフォーディズムの凋落の原因から考えてみよう。 なぜフォーディズムは過去のものとなったのだろうか? フォーディズムは高賃金によって労働者のインセンティヴを確保している。したがって、経済が右肩上がりでなければ維持できない。効率よく生産した製品が効率よく売れなければ、フォーディズムの狙うサイクルはうまくまわらない。そしてそのサイクルはもはやかつてのようにまわっていない。これが第一の理由である。 第二の理由は消費スタイルの変化に関わっている。こちらの方が根源的である。 先にフォーディズムについて説明した際のことを思い出して欲しい。フォードは一九〇八年に八五〇ドルでフォードT型を売り出した。さまざまな努力でその価格を下げ続け、一九二四年には二九〇ドルまで下げた。 つまり、フォードは一五年以上にわたって、同じ製品を売り続けた。フォーディズムの時代は質の高い製品を安い価格で提供すれば、同一の製品を売り続けることができたのである。 しかし、いまの時代、そんなことが考えられるだろうか? 一五年以上も自動車メーカーが同じ自動車を作り続けることなど考えられるだろうか? とうてい考えられない。 フォーディズムの時代は、同じ型の高品質の商品を大量に生産すれば売れた。したがって経営者は、いかにして高品質の製品を効率よく大量に生産するかを考えたし、それを考えていればよかった。それに対し、現代の生産体制を特徴づけるのは、いかに高品質の製品であろうと同じ型である限りは売れないという事態である。いかなる製品も絶えざるモデルチェンジを強いられる。モデルチェンジをしない限り製品は売れない。 不断のモデルチェンジが強いる労働形態 家電の世界はだいたい半年で新製品が出てくる。ただ食物を冷やしておけばよい冷蔵庫に関して、それほど頻繁なモデルチェンジが可能であるとは思えない。大幅な省エネシステムが考案されたというのなら分かる。しかしそんな技術革新が半年に一回も起こるわけがない。要するに、必要のないモデルチェンジを企業も強いられているのである。モデルチェンジしなければ売れないから、仕方なく新しいモデルの冷蔵庫を「開発」しているのだ。 数ある製品のなかでも、特に激しいモデルチェンジを繰り返しているのは携帯電話である。そのモデルチェンジのスピードたるやすさまじい。絶えざるモデルチェンジによってしか消費者の目を引くことができなくなっている。 ここではそのような「無駄」なモデルチェンジをそれ自体として批判したいのではない(43)。注目するべきは、このような生産体制が強いる労働のあり方である。現在の消費スタイルは生産スタイルを決定的に規定しているからである。 モデルチェンジが激しい場合には、巨大な設備投資を行って生産することが難しい。なぜなら一度作った設備も半年後にはいらなくなるからだ。したがって機械で製品を作ることは困難になる。ではどうするか? もちろん人間にやらせるのである。もしもある程度の設備投資が可能であれば機械にやらせるであろう作業を人間にやらせるわけである。 また、モデルチェンジが多いということは、新しい製品を出すたびごとに生産者側が大きな賭けを強いられていることを意味する。どのモデルがどれだけ売れるかはまったく不透明である。したがって、安定した生産をあらかじめ予定できない。要するに、労働者を一定数確保しておくというやり方をとれない。売れたら多くの労働者が必要になるし、売れなかったら労働者はいらない。 フォードは徹底した管理で(スパイまで使って)労働者の生産性を上げた。この場合、管理の下で、しかし雇用は安定している。その前提にあるのは生産の安定性だ。今後どれだけ生産していくのかがはっきりと分かっているから、労働者をフォードがもとめる「すぐれた」工員へと磨き上げていくことができた。 だが、フォーディズムが崩壊した後の生産体制、つまりポスト・フォーディズムの生産体制においては、そもそも徹底した管理の対象となるような労働者を雇用できない。状況の変化にフレキシブルに対応して工員を雇う(つまり、いらないときには放り出す)必要があるからだ。 〈暇と退屈の倫理学〉とハケン 現在、派遣労働や契約社員といった非正規雇用の拡大が大きな社会問題になっている(日本では働いている人の三分の一が非正規雇用である)。この問題は企業や経済団体、そして政府のモラルの問題のように思われている。つまり、非正規雇用の労働者をこき使って、一部の人間がボロもうけしている(それはたしかにそうなのだが……)のだから、社会正義の観点からそうした一部の特権階級を弾劾し、労働者を保護せよ、と。 もちろん、この主張は正しい。だが非正規雇用は、単にだれかがズルをしているから生み出されたものではない。現在の消費=生産スタイルがこれを要請してしまっているのだ。つまり、モデルチェンジが激しいから機械に設備投資できず、したがって機械にやらせればいいような仕事を人間にやらせなければならない。売れるか売れないかが分からない賭けを短期間で何度も強いられるから、安定して労働者を確保しておくことができない。したがって、労働者を企業に都合のよいように鍛え上げていくというプロセスすらもはや成立しない。 かつてオフィス・オートメーションが現れたときには、機械が人間の雇用を奪うと恐れられた。しかしそれは杞憂に終わった。いまは人間が機械の代わりをしている。このポスト・フォーディズムの時代にあっては、「新しい階級」の提言など戯言でしかない。 「ハケン」が問題としてクローズアップされている現在、〈暇と退屈の倫理学〉の構想はのんきなものに思われてしまうだろうか? 暇があるとか、退屈できるなどとはなんと贅沢なことよ。そんなことを考えている暇(!)があったら、いま労働者が強いられている非正規雇用という問題こそを考えるべきだ、と。 このような反論には真っ向から異議を唱えねばならない。なぜなら、〈暇と退屈の倫理学〉こそは、ポスト・フォーディズムの諸問題に対する一つの対案たり得るからである。現在のポスト・フォーディズム的生産体制の根幹にあるのは、消費スタイルの問題である。絶えざるモデルチェンジを行わねば消費者は買わず、生産者も生き残れない、そのような生産体制がいま決死の努力で維持されている。 このサイクルを回しているのは消費者であり生産者である。しかし、彼らは自分たちで回しているこのサイクルを自分たちの手で止められなくなっている。ならばどうすればよいのか? 消費者が変わればいいのだ。もちろん厖大な時間はかかるであろうが、モデルチェンジしなければ買わない、モデルチェンジすれば買うというこの消費スタイルを変えればいいのだ。 なぜモデルチェンジしなければ買わないし、モデルチェンジすれば買うのか? 「モデル」そのものを見ていないからである。モデルチェンジによって退屈しのぎ、気晴らしを与えられることに慣れきっているからである。 私たちは実際に「チェンジ」しているかどうかではなく、「チェンジした」という情報そのものを消費する。むろん、こんなことはこれまで消費社会論のなかでさんざん言われてきたことだ。特に日本では一九八〇年代に「差異が消費される」云々といった話をうんざりするほど聞かされた。 だが、なぜかつての消費社会論はそれに対する処方箋を出せなかったのだろうか? なぜ現状分析、現状肯定に終わったのだろうか? 簡単だ。かつて消費社会論を弄していた連中には、消費社会の問題点を何とかしようという気などまったくなかったのだ。何一つものを真剣に考えていなかったのだ。 しかしそれだけではない。そもそも理解が決定的に不足していたのである。消費者は要するに退屈していてパスカルの言うような気晴らしをもとめているのだということ、したがって、退屈をどう生きるか、暇をどう生きるかという問いが立てられるべきだということ、このことを消費社会論の論者たちはまったく理解していなかったのである。 消費社会については次章で詳しく検討したいと思う。とにかくここで強調しておきたいのは、上のような無理解が決定的な欠落になるということだ。なぜならそれによって現在の労働の悲惨がまったく捉えられなくなるからだ。〈暇と退屈の倫理学〉は、労働の諸問題にも深く関わっているのである。 * 最後に、前章と本章の議論をまとめておこう。 定住は人類をいかんともしがたい〈能力の過剰〉という条件のなかに放り込んだ。人類はそれをもとにして文化という営みを発展させてきたが、それと同時に、絶えざる退屈との戦いをも強いられたのだった。 だが、退屈はほどなくして、人間にとってのこの上ない難題ではなくなる。有史以来の政治社会、身分制、権力の偏在、奴隷的労働などが、大多数の人間に恒常的な暇を与えることを許さなかったからである。そこでは暇は独占の対象であった。そして暇を独占する階級が有閑階級として発展する。 もちろん、民衆レベルでの暇の度合いが相対的に増した時代や社会は存在しただろう。社会が経済的に発展すれば、暇な時間が増えるのは当然だからである。とはいえ、他の時代とは比べものにならないほど退屈が話題にされることになるのは近代であり、より正確に言えば一九世紀以降の社会である。 資本主義が高度に発達し、人々は暇を得た。またそれは「余暇」という形で権利の対象にもなった。これはある意味で近代人がもとめてきた〈個人の自由と平等〉の達成でもあった。 だが彼らは自分たちがもとめていたものが実際には何であるのかを分かっていなかった。人々は突然暇のなかに投げ込まれた。そして暇を生きる術をもっていなかったために右往左往した。それまで眠り込んでいた退屈の怪物が再び頭をもたげてきたのである。 退屈について論じる論者の多くは近代に注目するが、それは近代社会が、それまで潜在的なものに留まっていた退屈の問題を再び活性化したからである。退屈は近代社会が生み出したものではない。だが逆に前章で見た通り、退屈を超歴史化するのも間違っているのであって、人間と退屈のつきあいは人間の生活様式に関係しているのである。 しかも、住むという様式を選択したからと言って退屈が運命づけられるわけでもない。有閑階級がもっていた「品位あふれる閑暇」の伝統はそれを証立てている。もちろん、この伝統がどれほどこの階級に浸透していたのかは分からないし、退屈していた有閑階級も当然いただろう。だが、暇を独占してきた階級が何らかの知恵をもち得たという事実は注目に値する。 第四章 暇と退屈の疎外論 ──贅沢とは何か? 前章の末尾で予告した通り、本章では消費社会と退屈の関係について考察したい。 私たちが生きているこの現代社会は、実にさまざまな仕方で特徴づけられる。だが、〈暇と退屈の倫理学〉の観点から見て最も重要なのは、それが消費社会であることだ。本章で見ていくように、消費社会は退屈と強く結びついている。消費の論理と現代の退屈とは切っても切れない関係にある。 その消費社会と退屈との関係を問うていく際に、どうしても避けられない概念がある。それが本章のタイトルに掲げた「疎外」である。これは現在とても不人気な、それどころか積極的に遠ざけられている概念である。なぜそんなことになっているのかというと、この概念が厄介な問題を携えていると思われているからである。 本章の後半では、その問題を解決し、「疎外」の概念を正確に位置づけるために、やや込み入った哲学的議論を行いたいと思う。これはどうしても必要な作業なのだが、煩わしく思う読者がいたら、読むのを後回しにして先に進んでもらっても構わない。 必要と不必要 突然だが、日常的にはよく使うけれど立ち止まって考えられることのほとんどない、とある言葉を取り上げるところから始めたいと思う。 その言葉とは「贅沢」である。 贅沢とはいったいなんだろうか? まずはこのように言えるのではないだろうか? 贅沢は不必要なものと関わっている、と。必要の限界を超えて支出が行われるとき、人は贅沢であると感じる。たとえば豪華な食事がなくても生命は維持できる。その意味で、豪華な食事は贅沢と言われる。装飾をふんだんに用いた衣類がなくても生命は維持できる。だから、これも贅沢である。 贅沢はしばしば非難される。人が「贅沢な暮らし」と言うとき、ほとんどの場合、そこには、過度の支出を非難する意味が込められている。必要の限界を超えた支出が無駄だと言われているのである。 だが、よく考えてみよう。たしかに贅沢は不必要と関わっており、だからこそそれは非難されることもある。ならば、人は必要なものを必要な分だけもって生きていけばよいのだろうか? 必要の限界を超えることは非難されるべきことなのだろうか? おそらくそうではないだろう。 必要なものが十分にあれば、人はたしかに生きてはいける。しかし、必要なものが十分あるとは、必要なものが必要な分しかないということでもある。十分とは十二分ではないからだ。 必要なものが必要な分しかない状態は、リスクが極めて大きい状態である。何かのアクシデントで必要な物が損壊してしまえば、すぐに必要のラインを下回ってしまう。だから必要なものが必要な分しかない状態では、あらゆるアクシデントを排して、必死で現状を維持しなければならない。 これは豊かさからはほど遠い状態である。つまり、必要なものが必要な分しかない状態では、人は豊かさを感じることができない。必要を超えた支出があってはじめて人は豊かさを感じられるのだ。 したがってこうなる。必要の限界を超えて支出が行われるときに、人は贅沢を感じる。ならば、人が豊かに生きるためには、贅沢がなければならない。 浪費と消費 とはいえ、これだけでは何かしっくりこないと思う。 お金を使いまくったり、ものを捨てまくったりするのはとてもいいことだとは思えない。必要を超えた余分が生活に必要ということは分かるし、それが豊かさの条件だということも分かる。だが、だからといって贅沢を肯定するのはどうなのか? このような疑問は当然だ。 この疑問に答えるために、ボードリヤールという社会学者・哲学者が述べている、浪費と消費の区別に注目したいと思う。贅沢が非難されるときには、どうもこの二つがきちんと区別されていないのだ。 浪費とは何か? 浪費とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収することである。必要のないもの、使い切れないものが浪費の前提である。 浪費は必要を超えた支出であるから、贅沢の条件である。そして贅沢は豊かな生活に欠かせない(1)。 浪費は満足をもたらす。理由は簡単だ。物を受け取ること、吸収することには限界があるからである。身体的な限界を超えて食物を食べることはできないし、一度にたくさんの服を着ることもできない。つまり、浪費はどこかで限界に達する。そしてストップする。 人類はこれまで絶えず浪費してきた。どんな社会も豊かさをもとめたし、贅沢が許されたときにはそれを享受した。あらゆる時代において、人は買い、所有し、楽しみ、使った。「未開人」の祭り、封建領主の浪費、一九世紀ブルジョワの贅沢……他にもさまざまな例があげられるだろう(2)。 しかし、人類はつい最近になって、まったく新しいことを始めた。 それが消費である。 浪費はどこかでストップするのだった。物の受け取りには限界があるから。しかし消費はそうではない。消費は止まらない。消費には限界がない。消費はけっして満足をもたらさない。 なぜか? 消費の対象が物ではないからである。 人は消費するとき、物を受け取ったり、物を吸収したりするのではない。人は物に付与された観念や意味を消費するのである。ボードリヤールは、消費とは「観念論的な行為」であると言っている(3)。消費されるためには、物は記号にならなければならない。記号にならなければ、物は消費されることができない(4)。 人は何を消費するのか? 記号や観念の受け取りには限界がない。だから、記号や観念を対象とした消費という行動は、けっして終わらない。 たとえばどんなにおいしい食事でも食べられる量は限られている。腹八分目という昔からの戒めを破って食べまくったとしても、食事はどこかで終わる。いつもいつも腹八分目で質素な食事というのはさびしい。やはりたまには豪勢な食事を腹一杯、十二分に食べたいものだ。これが浪費である。浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。 それに対し消費はストップしない。たとえばグルメブームなるものがあった。雑誌やテレビで、この店がおいしい、有名人が利用しているなどと宣伝される。人々はその店に殺到する。なぜ殺到するのかというと、だれかに「あの店に行ったよ」と言うためである。 当然、宣伝はそれでは終わらない。次はまた別の店が紹介される。またその店にも行かなければならない。「あの店に行ったよ」と口にしてしまった者は、「えぇぇ? この店行ったことないの? 知らないの?」と言われるのを嫌がるだろう。だから、紹介される店を延々と追い続けなければならない。 これが消費である。消費者が受け取っているのは、食事という物ではない。その店に付与された観念や意味である。この消費行動において、店は完全に記号になっている。だから消費は終わらない。 浪費と消費の違いは明確である。消費するとき、人は実際に目の前に出てきた物を受け取っているのではない。これは前章で指摘したモデルチェンジの場合と同じである。なぜモデルチェンジすれば物が売れて、モデルチェンジしないと物が売れないのかと言えば、人がモデルそのものを見ていないからである。「チェンジした」という観念だけを消費しているからである。 ボードリヤール自身は消費される観念の例として、「個性」に注目している。今日、広告は消費者の「個性」を煽り、消費者が消費によって「個性的」になることをもとめる(5)。消費者は「個性的」でなければならないという強迫観念を抱く(いまの言葉ではむしろ「オンリーワン」といったところか(6))。 問題はそこで追求される「個性」がいったい何なのかがだれにも分からないということである。したがって、「個性」はけっして完成しない。つまり、消費によって「個性」を追いもとめるとき、人が満足に到達することはない。その意味で消費は常に「失敗」するように仕向けられている(7)。失敗するというより、成功しない。あるいは、到達点がないにもかかわらず、どこかに到達することがもとめられる。こうして選択の自由が消費者に強制される(8)。 「原初の豊かな社会」 消費社会を相対的に位置づけるために、それとは正反対の社会を紹介しよう。ボードリヤールも言及しているが、人類学者マーシャル・サーリンズ[1930-2021]は「原初のあふれる社会」という仮説を提示している(9)。これは現代の狩猟採集民の研究を通じて、石器時代の経済の「豊かさ」を論証したものである。 狩猟採集民はほとんど物をもたない。道具は貸し借りする。計画的に食料を貯蔵したり生産したりもしない。なくなったら採りにいく。無計画な生活である。 彼らはしばしば、物をもたないから困窮していると言われる。そして、それは彼らの「未来に対する洞察力のなさ」こそが原因であると思われている(10)。つまり、計画的に貯蔵したり生産したりする知恵がないために十分に物をもっていないとして、「文明人」たちから憐れみの目で眺められている。 しかし、これは実情から著しくかけ離れている。彼らはすこしも困窮していない。狩猟採集民は何ももたないから貧乏なのではなくて、むしろそれ故に自由である。「きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは日々の必需品に関する心配からまったく免れており、生活を享受しているのである(11)」。 また、彼らが未来に対する洞察力を欠き、貯蓄等の計画を知らないのは、知恵がないからではない。彼らのような生活では、単に未来を思い煩う必要がないのだ。 狩猟採集生活においては少ない労力で多くの物が手に入る。彼らは何らの経済的計画もせず、貯蔵もせず、すべてを一度に使い切る大変な浪費家である。だが、それは浪費することが許される経済的条件のなかに生きているからだ。 したがって狩猟採集民の社会は、一般に考えられているのとは反対に、物があふれる豊かな社会である。彼らが食料調達のために働くのは、だいたい一日三時間から四時間だという(12)。サーリンズは、農耕民に囲まれていたけれども農業の採用を拒否してきた、ある狩猟採集民のことを紹介している。なぜ彼らは農業の採用を拒んできたのか? 「そうなればもっとひどく働かねばならない」からだそうである(13)。 もちろん狩猟採集民を過度に理想化してはならない(14)。狩猟採集民もうまく食料調達ができないことはあろうし、環境の変化によって容易に困窮に陥ることはあろう(しかし、農耕民の方がその可能性が高いとも言えるのだが……)。 重要なのは、彼らの生活の豊かさが浪費と結びついているということである。彼らは贅沢な暮らしを営んでいる。これが重要である。ボードリヤールやサーリンズも言うように、浪費できる社会こそが「豊かな社会」である。将来への気づかいの欠如と浪費性は「真の豊かさのしるし」、贅沢のしるしに他ならない。 浪費を妨げる社会 消費社会はしばしば物があふれる社会であると言われる。物が過剰である、と。しかしこれはまったくのまちがいである。サーリンズを援用しつつボードリヤールも言っているように、現代の消費社会を特徴づけるのは物の過剰ではなくて稀少性である(15)。消費社会では、物がありすぎるのではなくて、物がなさすぎるのだ。 なぜかと言えば、商品が消費者の必要によってではなく、生産者の事情で供給されるからである。生産者が売りたいと思う物しか、市場に出回らないのである。消費社会とは物があふれる社会ではなく、物が足りない社会だ(16)。 そして消費社会は、そのわずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が消費し続けるように仕向ける。消費社会は私たちを浪費ではなくて消費へと駆り立てる。消費社会としては浪費されては困るのだ。なぜなら浪費は満足をもたらしてしまうからだ。消費社会は、私たちが浪費家ではなくて消費者になって、絶えざる観念の消費のゲームを続けることをもとめるのである。消費社会とは、人々が浪費するのを妨げる社会である。 消費社会において、私たちはある意味で我慢させられている。浪費して満足したくても、そのような回路を閉じられている。しかも消費と浪費の区別などなかなか思いつかない。浪費するつもりが、いつのまにか消費のサイクルのなかに閉じ込められてしまう。 この観点は極めて重要である。なぜならそれは、質素さの提唱とは違う仕方での消費社会批判を可能にするからである。 しばしば、消費社会に対する批判は、つつましい質素な生活の推奨を伴う。「消費社会は物を浪費する」「人々は消費社会がもたらす贅沢に慣れてしまっている」「人々はガマンして質素に暮らさねばならない」。日本でもかつて「清貧の思想」というのが流行ったがまさしくこれだ。 そうした「思想」は根本的な勘違いにもとづいている。消費は贅沢などもたらさない。消費する際に人は物を受け取らないのだから、消費はむしろ贅沢を遠ざけている。消費を徹底して推し進めようとする消費社会は、私たちから浪費と贅沢を奪っている。 しかも単にそれらを奪っているだけではない。いくら消費を続けても満足はもたらされないが、消費には限界がないから、それは延々と繰り返される。延々と繰り返されるのに、満足がもたらされないから、消費は次第に過激に、過剰になっていく。しかも過剰になればなるほど、満足の欠如が強く感じられるようになる。 これこそが、二〇世紀に登場した消費社会を特徴づける状態に他ならない。 消費社会を批判するためのスローガンを考えるとすれば、それは「贅沢をさせろ」になるだろう。 消費対象としての労働と余暇 消費を記号や観念の消費として考えていくと、実は、現代のさまざまな領域が消費の論理で動いていることが分かる。人間のあらゆる活動が消費の論理で覆い尽くされつつある(17)。 なかでもボードリヤールが注目するのは労働である。現在では労働までもが消費の対象になっている。どういうことかと言うと、労働はいまや、忙しさという価値を消費する行為になっているというのだ。「一日に一五時間も働くことが自分の義務だと考えている社長や重役たちのわざとらしい「忙しさ」がいい例である(18)」。 これは労働そのものが何らの価値も生産しなくなったという意味ではない。当然ながら社会のなかにある労働は価値を生産しているし、それがなければ社会はまわらない。「労働の消費」という事態が意味しているのはそうではなくて、消費の論理が労働をも覆い尽くしてしまったということである。 こうやって見ると、ガルブレイスが能天気に推奨していた「新しい階級」の問題点がさらにいっそうよく分かる。ガルブレイスは仕事に生き甲斐を見出す階級の誕生を歓迎した。しかし、それは消費の論理を労働にもち込んでいるにすぎない。彼らが労働するのは、「生き甲斐」という観念を消費するためなのだ。 ここからさらに興味深い事態が現れる。労働が消費されるようになると、今度は労働外の時間、つまり余暇も消費の対象となる。自分が余暇においてまっとうな意味や観念を消費していることを示さなければならないのである。「自分は生産的労働に拘束されてなんかないぞ」。「余暇を自由にできるのだぞ」。そういった証拠を提示することをだれもが催促されている(19)。 だから余暇はもはや活動が停止する時間ではない。それは非生産的活動を消費する時間である(20)。余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールしなければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇という時間なのだ(21)。 『ファイト・クラブ』が描く消費社会 消費社会は人を終わらない記号のゲームへと導くのだった。人はそこでせわしなく意味を追いかける。次々に新しい意味を供給され、それを消費し続ける。すると、一見したところ消費社会は、退屈とは対極に位置するライフスタイルを人々にもたらすように思われるかもしれない。人はせわしなく生きることになるのだから。 もちろん、そう判断するのは早計である。消費は限界がないから延々と繰り返され、延々と繰り返されるのに満足がもたらされないという先ほど指摘したこの悪循環について考えるだけでも、そのことは想像できるかもしれない。以上の分析だけでも、消費社会は満たされなさという退屈を戦略的に作り出し、人々をそのなかに投げ込むことで生き延びていると言えるかもしれない。 だがここでは、そのことをより分かりやすく説明するために一つの映画を紹介したいと思う。一九九九年にアメリカで製作された『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督)である。これは消費社会とそれに対する拒否とが陥る末路を、悲喜劇的な仕方で見事に描いた作品である。 主人公はエドワード・ノートン演じる自動車会社勤務のビジネスマン。自社製の自動車の事故現場を訪れ、原因を調査し、リコールすべきかどうかを査定するのが彼の仕事だ。 毎日のように飛行機に乗って事故現場へと向かい、ホテルに泊まる。毎日違う場所で寝て起きる生活。飛行機やホテルで出される一回きりしか使えないアメニティーグッズ(歯ブラシ、綿棒、スナック)を使い捨てる毎日。彼はそれに疲れ果てている。 そのためであろうか、彼は自虐的である。自動車のリコールに関する冷酷な計算の論理(たとえ事故が自社の車の欠陥に由来するものであろうと、予想される賠償総額がリコール費用を下回るならリコールしない)を飛行機で隣り合わせた人間に語る(飛行機で出会う人間は一回きりの友人である)。 あるいは、自分の乗る飛行機がこのまま大事故を起こさないかと夢想する。飛行機が揺れるたびに興奮を覚える。 さて、そんな彼の楽しみは北欧家具である。悩みに悩んでソファーを買い、部屋のなかをブランド家具で埋め尽くしている。彼の部屋は彼そのものである。カメラをパンしながら部屋の家具の商品名と価格を表示し、彼の部屋をブランド家具メーカーのカタログの立体化のように描き出す冒頭のシーンは見事だ。その部屋のなかで彼は言う。「現代の若者はポルノよりブランドだ」。 彼は不眠症に悩まされている。何日も眠れず、現実感覚を失っている。すべてがコピーのコピーのコピー……のように思えてくる。救いをもとめて医者通いするうちに、偶然、彼の思いを満たしてくれるものを発見する。それが難病患者たちのミーティングである。 アメリカではよく見られるもののようだが、これは同じ悩みを抱える人たちが悩みを打ち明け、ともに語り、泣く場である(話は逸れるが、こうしたケアの場をきちんと準備できるところは、アメリカ社会の強さである)。 彼はガンで睾丸を摘出した人々の集いに偽名を使って参加する。ミーティングの場、最初に語り始めた男は、離婚した元妻が再婚相手との間に娘をもうけたとよろこばしげに語る。そして最後に泣き出す。そう、睾丸をもたない彼は彼女と子どもを作ることができなかった。おそらくそれで離婚したのである。 話が終わると、メンバーは一対一で話すようにもとめられる。ノートン演じる彼は、ある巨漢とペアを組むことになる。彼は自らの半生を語る。筋肉増強剤を濫用したためにガンになった。そしてガンのために睾丸を摘出した。家族にも見捨てられ、無一文になった。 最後に巨漢は言う。「こんどは君が泣く番だ、コーネリアス」。「コーネリアス」はノートン演じる男が使った偽名である。 「コーネリアス」は偽の参加者である。だが、それにもかかわらず、彼は堰を切ったように泣き始める。そしてその晩、泥のように眠るのである。ミーティング参加者たちの「苦しみ」に囲まれることで彼は安らぎを得たのだ。 タイラーとの出会い あるとき彼は飛行機のなかで、ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンに出会う。石けんを作って売っているというタイラーは、何から何まで彼とは正反対で自由奔放。反社会的行動もいとわない。ふとしたきっかけで二人は酒場で飲み交わすことに。言葉を交わすなか、ブランド品にしがみつく生き方を非難してタイラーは言う。「俺たちは消費者だ。ライフスタイルの奴隷だ」。「お前は物に支配されている」。タイラーはまさしく消費社会を拒否する人間である。 そのタイラーが、酒場の外で奇妙な願いを申し出る。 「俺のことをできるかぎり強く殴ってくれ」。 当惑しつつも言われるがままにタイラーを殴り始めると、二人はそのまま血みどろになるまで乱闘を続ける。そして殴り合いの後、ノートンが演じていたあのブランド男は、タイラーが乗り移ったかのような自信に満ちた顔つきになる。二人は意気投合し、共同生活を始める。 二人はその後もたびたび酒場の外で殴り合っていたが、不思議なことにその殴り合いに参加したいという者たちが出てきた。参加者は次第に増え、その集まりは「ファイト・クラブ」と呼ばれるようになる。 クラブには社会の中心から外れた男たちが集う。清掃員やウエイターなどけっして高所得を得ているとは言えない労働者たち。会社で無用者扱いされているサラリーマン。がりがりでひよわなガリ勉風の男。チャラチャラした生活を送ってきたことを臭わせる金髪の男。 彼らは互いに殴り合い、血を流し、そしてファイトの終了後、涙を流して抱き合う。彼らは殴り合うことで、自分たちには肉体がある、切れば血が出る、自分たちは生きていると確認しているかのようである。 ファイト・クラブのメンバーは厖大な数にふくれあがる。あるとき、タイラーはメンバーたちに言う。 すばらしい体力と知力に恵まれたお前たち 伸びるべき可能性が潰されている 職場といえばガソリン・スタンドかレストラン しがないサラリーマン 宣伝文句に煽られて 要りもしない車や服を買わされている 歴史のはざまで生きる目標が何もない 世界大戦もなく、大恐慌もない おれたちの戦争は魂の戦い 毎日の生活が大恐慌だ テレビは言う「君も明日は億万長者かスーパースター」 大噓だ その現実を知って おれたちはムカついている (DVD、20世紀フォックス ホーム エンターテイメント、二〇〇四年) クラブは拡大するにつれて、次第に当初の目的を逸脱していく。タイラーが毎週「宿題」を出し、メンバーがそれを実践するようになっていく。 「宿題」の中身は最初はいたずらのようなものである。喧嘩をふっかけろ。ビデオ屋の防犯設備を使えなくしろ。大量に餌をまいて高級車を鳩の糞だらけにしろ。駐車場のストッパーをギザギザの歯に変えて、タイヤをパンクさせろ。 だが、いたずらは次第にエスカレートしていく。そして組織もまた強固なものとなっていく。タイラーはメンバーたちに絶対的な秘密主義を強制し、またメンバーは自分がそうした秘密結社の一員として規律を与えられることに生きる喜びを感じていく。暴走するファイト・クラブ。ノートンが演じる男もタイラーのやり過ぎを戒めるが、しかし、タイラーのやることにはそれなりに理屈が通っているとも感じている……。 消費社会とそれに対する拒否 以上で映画の内容としては半分ほどである。ここには消費社会とその拒否の問題、そして暇と退屈を生きる人間の直面する困難が凝縮された形で描かれている。 ノートン演じるビジネスマンは強烈な現実感の喪失に苦しんでいる。彼はリコール査定の仕事を続けるなかで、死を数字として扱うことを、そして、その仕事を続けるために、一回きりでなくなってしまう物や人と生きることを強いられている。 彼にはこの現実が現実として感じられない。そしてその現実感の喪失が、彼に途方もない退屈を与えている。 第一章で見たように、バートランド・ラッセルは、退屈とは事件を望む気持ちがくじかれたものであり、退屈の反対は快楽ではなく興奮であると、そして、退屈している者にとって事件はただ今日と昨日を区別してくれればよいのであり、必ずしも愉快なものでなくてよいと述べていた。 自分の乗る飛行機が事故を起こして墜落することを望む彼のなかでは、事件を望む気持ちが極限に達している。彼は、今日と昨日とが区別されるなら、もはや自分の死すら厭わないだろう(彼のものではないが、劇中にこんな台詞がある。「死ぬなんて、クロエは利口だわ」)。 また、彼は退屈しているが暇ではない。仕事に忙殺される毎日だ。第三章で暇と退屈を区別した図を作成したが(本書『暇と退屈の類型』参照)、彼が体現しているのは、暇で退屈しているのでも、暇だが退屈していないのでも、暇もなく退屈もしていないのでもない、四つ目の有り様、暇はないが退屈している人間の姿である。 この暇なき退屈を生きる彼は、それをブランド品の消費という典型的な消費人間の行動によってやり過ごそうとしている。しかし、やり過ごすことができない。ボードリヤールが言ったように、消費には限界がないからだ。彼は消費はしていても、浪費はしていないのである。 彼は現実を生きているという感覚を欲している。難病患者たちのミーティングで、彼らの身体に根ざした苦しみに出会ったときに彼が解放感を感じたのはそのためだ。 彼はそこで現実(苦しみ)にやっと出会った。それまでの彼は、苦しいが苦しみのなかにいなかった。彼はきちんと苦しむことを願っている。 とはいえ、ミーティングに参加するのは、いわば、苦しみをシミュレーションすることである。それが長続きするはずがない。彼は手当たり次第に同様のミーティングに参加するようになるが、ふとしたことでそれもうまくいかなくなる(同じように偽名でミーティングに参加する女が現れ、彼は再び眠れなくなってしまう)。 殴り合いは、そうした苦しみのシミュレーションの代わりに現れる。これは「本当の」苦しみである。ファイト・クラブでの殴り合いで、彼は頭を何針も縫ってもらわねばならぬほどの大けがをする。だが、その痛みが彼に生きているという実感を与えるのだ。 ここには、 (1)現実離れした消費のゲーム──ブランド狂い (2)現実(苦しみ)のシミュレーション──難病患者ミーティングへの参加 (3)現実(苦しみ)の現前──ファイト・クラブ という三つのモデルが実に手際よく描かれている。 タイラーとはだれか? ではタイラーはどうか? 彼は典型的な反消費社会の人間である。彼は言う。「お前は物に支配されている」。「宣伝文句に煽られて/要りもしない車や服を買わされている」。 だが、重要なのはタイラーが消費社会の論理の外にいるわけではないということである。タイラーは「自分らしく」生きているのではない。彼は消費社会の論理にしたがったまま消費社会を拒否することでタイラーたり得ている。どういうことか? 消費社会では退屈と消費が相互依存している。終わらない消費は退屈を紛らすためのものだが、同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。ここには暇が入り込む余地はない。 消費と退屈のサイクルは繰り返される他ないが、しかし、やはり退屈なのだから、そのサイクルは最終的に拒絶反応を生む。そうして生まれるのがタイラーである。 タイラーのような人物は目新しく思われてしまう。ノートン演じるブランド男も、最初タイラーの自由奔放さに憧れている。消費社会の特殊な抑圧のなかでは彼のような人物はカッコよく見えてしまう(ブラッド・ピットが演じているからカッコイイのではない!)。 しかし実はタイラーは自由でも何でもない。もし彼が本当に自由であれば、彼は彼なりの新しい型の解放を積極的に考えたはずだ。だが、彼は消費社会をただ拒み、そして破壊するだけである。当然ながら、破壊の後に何が来るのか、そのときに何をなすべきなのかは、まったく考えていない。 ではなぜタイラーは破壊にしか向かえないのか? 彼は何か「本来的」な生があるかのように語るけれども、それが何なのかはすこしも明らかでないからである。これは消費によってもたらされる「個性」が何なのかを不問にしたまま「個性化」を煽る消費社会の論理とまったく同じである。彼は消費社会に促されて、しかも消費社会の論理にしたがったまま消費社会を拒否しているのだ。彼は消費社会あるいは消費人間が作り出したミラーイメージにすぎない。タイラーは消費社会の落とし子なのである。 イヤになるのは消費社会はタイラーまでをも利用するだろうということだ。タイラーは遅かれ早かれ自滅する。すると消費社会は「やはり我々の側についた方がいい」と言って「ゆたかな社会」(=消費社会)を勧めてくる。さらにはタイラーの試みを商品として利用することすらあるだろう(22)。タイラーのような消費社会のミラーイメージは、消費社会が自己の存続のために作り出しているとすら言うことができる(23)。 現代の疎外 〈暇と退屈の倫理学〉の観点から、この映画を通じて次のように言いたい。 消費社会によってもたらされる、「現代の疎外」と呼ぶべき事態がたしかに存在している。そして──映画に描かれているほどに陳腐で過激になるかどうかはともかく──この疎外の奥には何か強烈な情念がある。 一般に疎外とは、人間が本来の姿を喪失した非人間的状態のことを指す。かつては「労働者の疎外」が大いに語られた。労働者は、資本家から劣悪な労働条件・労働環境を強制され、人間としての本来の姿を失っているとされた。たとえばマルクスの『資本論』を読むと、いまでは信じられないような労働条件で働く者たちの姿が描かれている。 それに対し消費社会における疎外は、かつての労働者の疎外とは根本的に異なっている。なぜなら、消費社会における疎外とは、だれかがだれかによって虐げられていることではないからである。消費社会における疎外された人間は、自分で自分のことを疎外しているのである。ボードリヤールは次のように言っている。「〔消費社会における〕疎外された人間とは、衰弱し貧しくなったが本質までは犯されていない人間ではなく、自分自身に対する悪となり敵に変えられた人間だ(24)」。 なぜそのように言えるのか? それは終わりなき消費のゲームを続けているのが消費者自身だからである。たしかに、ある意味で消費者は消費を強制されている。広告で煽られ、消費のゲームに参入することを強いられている。しかし、それは資本家が金にものを言わせて労働者に劣悪な条件で働かせる場合の強制とは異なっている。消費者は自分で自分たちを追い詰めるサイクルを必死で回し続けている。人間がだれかに蝕まれるのではなく、人間が自分で自分を蝕むのが消費社会における疎外であるのだ(25)。 疎外と本来性 ただしここで注意しなければならない。この疎外をただ疎外と名指すだけでは重大な過ちを犯すことになる可能性がある。 本章の冒頭で述べたが、「疎外」はかつて「労働者の疎外」として盛んに論じられたけれども、あるときから、むしろ積極的に遠ざけられる概念になってしまった。なぜそういうことになったのかというと、この概念がどうも危険だと思われるようになってきたのである。どういうことだろうか? 疎外された状態は人に「何か違う」「人間はこのような状態にあるべきではない」という気持ちを起こさせる。ここまではよい。ところがここから人は、「なぜかと言えば、人間はそもそもはこうでなかったからだ」とか「人間は本来はこれこれであったはずだ」などと考え始める。 つまり、「疎外」という語は、「そもそもの姿」「戻っていくべき姿」、要するに「本来の姿」というものをイメージさせる。これらを、本来性とか〈本来的なもの〉と呼ぶことにしよう。「疎外」という言葉は人に、本来性や〈本来的なもの〉を思い起こさせる可能性がある。 〈本来的なもの〉は大変危険なイメージである。なぜならそれは強制的だからである。何かが〈本来的なもの〉と決定されてしまうと、あらゆる人間に対してその「本来的」な姿が強制されることになる。本来性の概念は人から自由を奪う。 それだけではない。〈本来的なもの〉が強制的であるということは、そこから外れる人は排除されるということでもある。何かによって人間の「本来の姿」が決定されたなら、人々にはそれが強制され、どうしてもそこに入れない人間は、人間にあらざる者として排除されることになる。 たとえば、「健康に働けることが人間の本来の姿だ」という本来性のイメージが受け入れられたなら、さまざまな理由から「健康」を享受できない人間は非人間として扱われることになる。これほどおぞましいことはない。 本来性あるいは〈本来的なもの〉は強制と排除に至る他ない。そして、疎外が盛んに論じられていた頃、あるときから人々は、「疎外」の概念が「本来性」の概念と切り離しがたいのではないかと考えるようになった。それ故に、「疎外」は危険視された。そして用いられなくなってしまった(26)。 疎外を再考する 以上が、「疎外」と「本来性」を巡る諸問題の大まかな歴史である。「本来性」の問題点ははっきりしている。そして「疎外」はあるときからその共犯者とみなされるようになった。そして、いわば同時に逮捕され、罰せられたのである。 だが、この歴史を踏まえたうえで本書は次のように問いたいのだ。たしかに本来性の概念には大いなる問題がある。しかし、だからといって疎外の概念までをも一緒に投げ捨てるべきだったのか? 疎外が本来性と共犯関係にあることは本当に間違いのない事実なのだろうか? もしかしたら、その共犯関係を見出したとき、論者たちは何か大雑把な議論に甘んじていたのではないだろうか? 一緒にすべきでないものを一緒にして論じていたのではないだろうか? 消費社会が戦略的に作り出す満たされなさのなかで退屈を感じている人間は、「これは何か違う」「こういう状態にあるべきではない」と感じる。つまり、「疎外」という言葉は口にしなくても、人は疎外を感じるのである。ならば、なぜそれを疎外と名指して論じてはいけないのだろうか? いや、むしろこう言うべきだ。疎外という概念を遠ざけてしまったなら、この事態をどう扱うことができるのだろうか? 扱えないのではないか? つまり、思想や哲学が疎外という概念を忌避し始めたときに起こったこととは、疎外はもう扱わないということだったのではないか? 要するに疎外概念に本来性概念との共犯関係を見出し、いい気になってこれを糾弾し始めた思想・哲学は、ただ単に、疎外という現実から目を背けていただけだったのではないか? もしそうだとすれば、そこに生まれていたのは、単なる現状追認の思想・哲学である。 そして実際、疎外の概念を投げ捨てた思想・哲学は、そのようなものになっていたように思われる。 ある悲惨な状況のなかで人が「これは何か違う」「こういう状態にあるべきではない」と感じるのは当然のことである。そう感じられたならその原因を究明し、それを改善するよう試みるべきである。疎外の概念はそれを可能にする。 ならば、問題は疎外の概念にあるのではない。疎外状況に対する処方箋として、後から本来性の概念が提示されてしまうことにあるのだ。疎外された者に対し、その者の「本来の姿」を提示してしまう、この救済策の方に問題があるのだ。 本来性の概念とともに疎外の概念まで投げ捨てるというのは、処方した薬を間違えていたがために、診断結果のカルテまで投げ捨ててしまうようなものだ。 退屈、とりわけ現代の退屈は、疎外と呼ばれるべき様相を呈している。ならば積極的にこの概念について考えねばならない。疎外という概念を忌避し続けることは、この現実から目を背け続けることを意味する。 では、以上を踏まえたうえで、この疎外という概念にどう向き合うべきだろうか? 問われるべきは次の問題である。かつて疎外概念を糾弾するにあたり、糾弾の理由として掲げられた疎外概念と本来性概念との共犯関係は、本当に根拠があるものだったのか? 要するに、疎外は本来性と本当に切り離せないのか? 以下、この問題について哲学史を参考にしながら詳細に検討してみたいと思う。本章冒頭で述べた通り、これはやや込み入った哲学的な議論になる。できるかぎり分かりやすくすることを目指すが、煩わしいと思われる方は読むのを後回しにして、次の章に進んでも構わない。 ルソーと疎外 疎外の概念自体は独自の哲学的伝統をもっている。その起源は神学にまでさかのぼれるが、近代的な疎外の概念の起源は一般にジャン=ジャック・ルソー[1712-1778]にあると言われている(27)。 カギとなるのはルソーが提示した自然状態の概念である。自然状態とは一七世紀頃から盛んに論じられるようになった概念である。それを論じながら哲学者たちは、人間たちが自然の状態、つまり、政府や法などが何もない状態ではどのように生きるのかについて考えた。 この自然状態論にはいくつかのバージョンがある。ルソーのそれは大変有名なものの一つである。ルソーによれば自然状態において人間たちは善良に暮らしている。人間に不幸をもたらしたのは文明社会であり、文明社会こそが人間に疎外をもたらしたのだと、彼はそのように主張する。 たとえばルソーは次のように述べている。 この状態〔自然状態〕におかれた人間はきわめて惨めな存在であると、これまで繰り返し指摘されてきた。〔…〕しかし、自由で、心が安らかで、身体の健康な人間がどのような意味で「惨め」なのか、どうか説明してほしいのだ。 私が尋ねたいのは、文明の生活と自然の生活のうちで、そこで生きる者にとって耐えがたいと感じられる生活はどちらだろうかということなのだ。私たちの周りを見渡してみよう。生活の苦しさを嘆く人ばかりではないだろうか(28)。 ルソーによれば自然状態は平和である。文明人たちが「生活の苦しさ」を嘆いているのとは対照的に、自然人たちは心安らかに生きている。さて、なぜルソーは自然人の生活を、そのような、「惨めさ」からほど遠いものとして描くことができるのだろうか? ホッブズの自然状態論 ルソーよりも前に自然状態について論じたのがトマス・ホッブズ[1588-1679]である。ホッブズとルソーの自然状態論を比較することでこの問題について考えよう。 ホッブズはルソーとは対照的に、自然状態を戦争状態として描いた。自然状態において見られるのは、「万人の万人に対する闘争」であると主張した。ホッブズがそのように主張する根拠は大変興味深いものである。 ホッブズの考えはこうだ。人間はそもそも平等である。それは平等の権利をもっているとか、平等に扱われなければならないとかいった意味ではない。人間など一人一人はどれも大して変わらないということである。 たしかに力の強い人間もいるし、反対に非常に力の弱い人間もいる。しかし、どんなに力が強い人間であっても、何人かで徒党を組んで立ち向かえば打ち倒せないほどではない。人間の間の力の差とはその程度のものである。体を動かせない人間ですら、仲間を集めて彼らに指示すれば、力の強い人間を押さえつけることができるだろう。人間の力比べは所詮ドングリの背比べの域を出ない。ホッブズはこのような人間の力の平等を議論の出発点とする。 ここから次のような帰結が導き出されることになる。人間がその力において大差ないとすると、人間はだれもが同じように同じものを希望すると予想されることになる。なぜなら、「あいつがあれをもっているなら、俺もそれをもっていていいはずだ」と思えるようになるからだ。これを〈希望の平等〉と言う。 〈希望の平等〉は不安を起こさせる。なぜなら人は、「俺はこれをもっているから、他の連中もこれを狙っているかもしれない」と予想するようになるからだ。何かをもっているときでも、何かを希望しているときでも、自分には競争相手がいるという感情が生まれる。つまり人は相互不信の状態に、そして疑心暗鬼に陥る。 当然そうした不安に人間は耐えられない。ならばどうするかというと、不安を取り除くために防衛策を講じる。一人では力の強い者にはかなわない。だから徒党を組み、自分の力を強めようとする。それだけではない。自分たちを脅かす他の人間集団があれば、先んじてそれを攻撃しようとするだろう。なにしろ、そうしなければ自分たちが攻撃されるかもしれないのである。 こうして人間の間には闘争状態が、無秩序が生まれる。これがホッブズの言う戦争状態である(29)。 戦争状態から国家形成へ ホッブズの考えでおもしろいのは、彼が平等を無秩序の根拠と考えているところだ。不平等なら秩序が自然に生まれる。だれがだれに従わねばならないかが明確であり、疑いようがないからだ。だが、人間の力は平等であり、たいした差はない。それ故に〈希望の平等〉が、そして無秩序が生じる。 さて、自然状態が続く限り、人間はこの息苦しさ、生命の危険を感じ続けねばならない。では、それは人間がそもそも望んでいた事態かと言えば、もちろんそうではない。人間はやはり平和を欲しているのである(これを第一の自然法則と言う)。 しかし、自然状態ではだれもが自分の生命を守るために好き勝手なことをしており、それ故に平和が訪れない。そこには、だれもが自分の身を守ろうとするが故に、全員の身が危うくなっているという矛盾がある。 ならばどうすればよいか? この矛盾をどう解消すればよいか? ホッブズの議論は簡単だ。自分の身を守るために全員が好き勝手にしているのを、全員で止めればいい。自然が人間に与えた「何でもできるし、何をしてもよい」権利、すなわち「自然権」を放棄し、法の支配を打ち立てればよい(これを第二の自然法則と言う)。 こうして、全員で一つの国家を形成し、一つの権威に従うという社会契約の必然性が導き出される。ホッブズによれば、社会契約は、戦争状態たる自然状態を考察するなら必ずや導き出される必然的な行為なのである(30)。 ルソーの自然状態論 さて、ホッブズの自然状態論を読むと次の疑問が生まれるに違いない。なぜルソーはホッブズとは正反対に、自然状態を「惨めさ」からはほど遠い状態として描き、善良な自然人の像を提示したのだろうか? それはルソーが性善説を信じるような人間だったからだろうか? 要するにこの違いは、ルソーとホッブズの個性の差なのだろうか? そうではない。この点をルソーの性格や感情などから説明してはならない。両者が異なった結論に至ったことには理論的な理由があるのだ。 その理由は実に簡単なものである。ルソーによれば、ホッブズの言う「自然状態」は自然状態ではない。それは既に社会が成立した後の状態、要するに社会状態を描いているにすぎない。 ホッブズはある程度の数の人間が集団生活を送っている状態を想定している。しかし、自然状態から社会状態への移行に関して問わなければならないのは、まさしくそのような人間集団の成立なのである。 だからこう言ってもいいだろう。ホッブズは自然状態と社会状態を描いたのではなくて、それらの名の下に、社会状態と国家状態とでも言えるものを描いていた。ルソーによれば、ホッブズは、「社会のなかで生まれた考え方を自然状態のうちにもち込んで、自然状態について議論している(31)」。 ルソーはそのようにホッブズを批判して、そうした人間集団そのものが成立する以前の状態を考察する。では、集団生活が開始される以前、自然状態を生きる人間はどのような存在だろうか? 人間は自然状態において自然権を謳歌している。勝手気ままに、好きなときに好きなことをする。だから、どこかの集団にとどまっている必要はないし、それどころか、だれかと一緒にいる必要もない。ルソーがはっきりと述べているが、男女が出会って一晩を共にしたとしても、次の日に二人が一緒にいる理由はない。カップルや家族はすこしも自然な集団ではないのだ。なぜなら、自然状態においては、人間をどこかに縛り付ける絆など存在しないからだ。 自然状態では強い者が弱い者を抑圧すると主張される。しかし、この「抑圧」という語が何を意味するのか自分にはよく分からないとルソーは言う。社会状態では暴力で支配する者がいるだろう。しかし、自然状態では隷従とか支配とかそういったものがそもそも成り立たない。 たとえばだれかが集めた果実や、その人が殺した獲物、その人が使っていた洞窟を、別の人が力ずくで奪うことはできる。しかし、どうやって他人を服従させることができるだろう? 「所有するものが何もない人々の間で、他人を自分に依存させる〈鎖〉をどのようにして作り出すことができるのだろうか(32)」。 ルソーがここで「所有」に言及していることは極めて重要である。所有がなければ人を隷属させたり、抑圧したりはできない。自分はこれを所有しているから、俺の命令に従うならこの所有物を分けてやろうというロジックが働かない限り、人を自分に従わせることはできないからだ。 所有は一つの制度であり、複数の人間が共通の法秩序に従うことを前提としている。自然状態においても、他人が占有するものを暴力で奪い取ろうとする輩はいるに違いない。しかし、だれかが自分の住みかを奪ったなら、自分は別の住みかを探せばいいだけである。力の強いヤツがいたところで、そいつは何もしないで人に言うことをきかせたりできるだろうか(33)? 利己愛と自己愛 ルソーの考える自然状態と社会状態とを特徴づける概念がある。「自己愛」と「利己愛」という対概念がそれだ。 自己愛は自分を守ろうとする気持ちであり、自己保存への衝動と言い換えることができる。ルソーによれば、人間はどんな状態にあろうとも自己を守ろうとする。危険が迫ればそれを避ける。自然状態であろうともそれは変わらない(そして一般に社会契約論ではこの自己保存への衝動が社会契約の動力源であるとされる)。 それに対し利己愛とは、他人と自分との比較にもとづいて、自己を他人よりも高い位置に置こうとする感情である。他人よりも優位に立ちたいと思い、劣位にある自分を憎み、優位にある他者をうらやむ、そうした感情である。これは社会状態でしか存在しない。 自己愛において現れるのは自分だけである。それに対し、利己愛においては他者が現れており、他者との関係においてしかこれは存在しない。難しく哲学的に言うと、利己愛は他者に媒介されている。 ルソーはおもしろいことを言っている。自然状態においても弱い相手から獲物を奪ったり、強い相手に自分の獲物を渡したりすることはあるだろう。だが、自然状態においてはこうした略奪行為は、「自然の出来事」としかみなされないと言うのだ。 たとえば、クマに襲われ食べ物を放り出して逃げ出したとか、せっかく取った果物をつまずいて河に落としてしまったとか、はじめて出会った力の強い人間に獲物を奪われたとか、こういったことは自然状態においては区別されない。どの場合でも、「あぁあ、なんだよぉ……」と思うだけである。なぜならどれも単なる「自然の出来事」だからである(34)。もっと言えば、略奪行為であろうと、自然災害であろうと、事故であろうと、最終的には「仕方ない」と思えるのである(35)。 このことは逆側から見てみるとよく分かる。いま私たちは自然状態ではなくて、社会状態を生きている。その社会状態を生きている私たちはスーパーで買ってきたリンゴをだれか力の強い者に奪われたら、「仕方ない」などとは思えない。奪った相手をうらむだろう。 それはなぜだろうか? 簡単だ。「力を背景にして自分からリンゴを奪うのは不当である、なぜなら彼にはそのような権利はないからだ」と思えるからに他ならない。つまり、社会状態を前提とし、構成員全員が平等な権利をもつと前提してはじめて、うらみなどの感情が生まれるのだ(36)。 平等であるとの信念ゆえに生じる否定的な感情。ルソーはこれを総称して利己愛と呼んだ。利己愛こそは支配や抑圧の起源であろう。利己愛とは、自分を他人よりも高い位置に置きたいと願う気持ちだからである。逆に言えば、利己愛がない状態であれば、人間は支配や抑圧といった邪悪なことをする必要がない(37)。できないのではない。する必要がないのだ。所有物も、人間を縛りつける秩序もないのだから、邪悪なことをする条件がそろっていないのである。 自然状態論は何の役に立つのか? ルソーが述べていることを丁寧に追っていくと、ルソーが単に自然人の善良を主張していたわけではないことが分かる。自然人は善良であるというより、邪悪なことができないし、する必要がない。自然人は、邪悪さが成立し得ない客観的条件を生きているにすぎない。 したがって、ルソーの自然状態論は価値判断(どちらがよいかわるいか)のための議論ではなくて、人間の生の客観的条件を描いたものと考えられねばならない。ルソーの思想はしばしば「自然に帰れ」というスローガンで紹介されることがあるが、この言葉がルソーの著作のどこにも見出されないのはよく知られた事実である。 そして何よりも重要なことは、ルソーが自然状態について、「もはや存在せず、おそらくはすこしも存在したことのない、多分将来もけっして存在しないような状態」と述べていることである(38)。ルソーは自然状態を、かつて人間がいた状態や戻っていける状態として描いているのでもないし、これからたどり着ける状態として描いているのでもない。 ルソーの目論見は、私たちが当然だ、当たり前だと思っている社会状態を遠くから眺めてみることにある。人間はいま社会状態を生きているからそれを疑うことができない。しかし、自然状態の話をもってくれば、「ああ、人より高い場所に自分を置きたいという気持ちは、文明社会だから出てきた気持ちであって、人間の本能なんかじゃないんだよな」と思えるわけである。 ルソーの自然状態は、社会状態を相対的に位置づけるための概念である。あるいは、自己愛と利己愛を区別するための概念である。この区別がないと、人間はいつでもどこでも利己愛に支配されて、他人より高い場所に自分を置きたいと願っているということになってしまう。しかし、人間がいつでもどこでももっているのは自己愛の方であって、利己愛ではないのだ。 これはたとえば経済学が完全競争をモデルにして話を始めるのに似ているかもしれない。完全競争は純粋に理論的なフィクションであり、そんな状態は存在しない。そして(おそらく)経済学者もそれが存在するとは思っていない。それをモデルとして立てたうえで、そこからのズレにおいて現実を描き出そうとするのだ。 本来性なき疎外 しかし、ここで注意しなければならない。 純粋なモデルを立てると、そのモデルがあたかも理想であるかのように思われてしまうことがあるのだ。たとえば完全競争こそが望ましい状態なのに、それが乱されている……というように。 ルソーの描く自然人の姿もまた同じように誤解されてきたと言わねばならない。「自然に帰れ」というルソーが一度も述べていない言葉がルソーのものとされてきた歴史は、ルソーの描く善良な自然人の姿が、本来の人間の姿であるかのように解釈されてきたことの証拠に他ならない。 「本来」という語は、辞書に言われるように、「もともとそうであること」「それが当たり前であること」「現状はそうでないが本当はそうであること」を意味する(39)。ならば、ルソーの描く自然状態は、人間にとってすこしも本来的ではない。それは「これまでも存在しなかったし、いまも存在しないし、これからも存在することはない」のだから。 ルソーは本来的な人間の姿や、人間にとっての本来的なものについて話をしているのではけっしてない。ルソーはただ、文明人の「みじめな」姿やその疎外を、自然状態というモデルを通じて描いているだけなのだ。 まとめるとこうなる。 「疎外」概念の起源と言われるルソーの自然状態論とはいかなるものか? それは、人間の本来的な姿を想定することなく人間の疎外状況を描いたものである。一言で言えば、そこに現れているのは、本来性なき疎外という概念だ。 このことは極めて重要である。ルソーは、文明人の疎外について論ぜねばならないという使命感を抱いた。そして同時に、疎外については語ろうとも、「本来的なもの」を呼び寄せてはならないと堅く自己を律した。この慎重でありかつ大胆な態度の重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはない。 「本来性なき疎外」という概念を記憶しておいていただきたい。そしてもうすこしだけ疎外についての議論におつきあいいただきたい。 マルクスと労働 近代的な疎外概念の起源がルソーにもとめられるとすれば、それを議論の中心に据えて前景化したのがG・W・F・ヘーゲル[1770-1831]であり、カール・マルクス[1818-1883]である。 ただしヘーゲルとマルクスにおいてはこの概念は正反対の意味で用いられている。ヘーゲルはこれを肯定的な意味で、マルクスはこれを否定的な意味で用いている。 ヘーゲルによれば、人間はいったん自分に固有のものを投げ捨ててこそ、高い理想を実現できる。自分に固有のものを放棄するプロセスのことをヘーゲルは疎外と呼んだ。つまり、人間はいったん自分らしさを疎外されるのだが、その疎外を乗り越えてこそ、高い理想(具体的には共同性、共に生きること)を実現できるというわけだ。 それに対してマルクスはこう反論した。 ヘーゲルは人間の疎外を頭のなかでこね回しているだけではないか? 労働者を見てみろ。彼らは自己に固有のものを投げ捨て、労働している。彼らは疎外のなかにある。そしてそのままである。自己放棄は自己放棄のままである。彼らが投げ捨てたものは彼らのもとに戻ってこない。労働力の外化によって製作された商品は、彼らのもとにではなく、資本家のもとに行くからだ。そこには高次の自己実現などない。 ここからマルクスは疎外という概念をヘーゲルとは正反対に否定的な意味で、そしてより広い意味で使用することになる。マルクスの疎外論にはやや複雑な歴史的経緯があるが、それは本文では割愛しよう(40)。マルクスがその疎外論において言ったことはけっして難しいことではない。資本主義下の工場労働者は特定の作業を強制され、いわば工場設備の一部、その部品にさせられ、「不具」「奇形物」にされてしまう。そして特定の労働の反復を強制されるため、自らの素質を生かすことができない。これがマルクスの言う疎外された労働である。 これはいまでも通用する議論であるように思われる。問題は、それがどう読まれたか、だ。 マルクス疎外論はどう読まれたか? 疎外論が盛んに論じられた一九五〇~六〇年代の書物として、フリッツ・パッペンハイム[1902-1964]の『近代人の疎外』を取り上げよう。この本はマルクスの疎外論が当時どう読まれていたのか、その雰囲気をよく伝えてくれるものである(41)。 パッペンハイムは、フェルディナント・テンニース[1855-1936]の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』と比較することで、マルクス疎外論の意義を明らかにしようとしている。 まずテンニースが言っていたことを簡単に説明しておこう。本のタイトルに現れるゲゼルシャフトとは「利益社会」などと訳されるドイツ語で、契約的な関係にもとづく社会、人為的に結合した合理的・機械的な社会を意味する。それに対しゲマインシャフトとは「共同社会」などと訳されるドイツ語で、こちらは地縁・血縁などの感情を特徴とする自然発生的な共同体を指す。テンニースは歴史的発展のなかで人類がゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと段階的に移行してきたことを示した。 さて、パッペンハイムによれば、マルクスの説く工業化された近代社会の枠組みは、ゲゼルシャフトの原型である。そこでは個人はバラバラに孤立している。個人はたとえば会社や工場で雇用されるといった特定の目的のためにのみ互いに接触する。 そうなると他人は自分にとっての手段でしかない。特殊な目的のためにつながっているのだから、当然そうなる。上司にとっての部下も、資本家にとっての労働者も、目的を達成するための手段である。 ならば、ゲゼルシャフトにおいては工場労働者が機械の部品になるのは避けられない。労働者は手段でしかないのだから。マルクスが疎外論において描いた事態はまさしく近代社会の運命であるという結論がここから導き出される(42)。 疎外論者たちの欲望 ではどうするのか? 問題はここからだ。あろうことかパッペンハイムはこの後、マルクスが批判したはずのヘーゲルの労働概念に戻ってしまうのである。 多少詳しく見てみよう。パッペンハイムによれば、マルクスは疎外された労働の危険を力説したけれども、単に疎外の否定的な面ばかりを見ていたわけではない(43)。マルクスはヘーゲルと同様に、疎外の苦しみとそれを克服する努力によって人間は自己自身へと戻ると信じていた。このことが労働過程に真の意味を与える(44)。パッペンハイムはこう述べて、マルクスの議論をヘーゲルの議論で理解してしまう。マルクスの議論がヘーゲルに対する批判から出てきたことを知っている読者なら、首をかしげてしまうに違いない。 ここに見るべきは一つの典型的な症候である。ここには疎外を論じる人々の欲望が明確に現れている。その欲望とは、本来性へと回帰したいという欲望に他ならない。労働が疎外されているから、本来の、「真の」労働へと回帰せねばならない……。当時の疎外論者たちはそう願い、そしてその願いのままに論文を書いていたのである──マルクスの文言を無視して。 繰り返すまでもないが、「真の」労働などと夢想されているものは、ヘーゲルが頭のなかでこねくり回して作った労働概念にすぎないのだと、そう指摘するところから始めたのが他ならぬマルクスではなかったか? こういった問題になると、もはや理論的にああだこうだ言っても無駄である。要するに、「疎外」と口にする人のほとんどは、「本来的なものに戻っていきたい」「本来性を取り戻したい」という欲望に突き動かされているのである。それが冷静な議論を妨げているのだ。 だからあらゆる手段を講じて「本来的なもの」を描こうとする。テキストも無視する。実際、マルクスは「真の意味」を与えられた労働過程を信じていたなどと言うとき、パッペンハイムはマルクスのテキストを引用することができない。それどころか、斥けたはずのヘーゲルが復活するのだ。 なぜマルクスの疎外論が流行した後、それが強い反発を受け、斥けられることになったのか、その理由は明らかだろう。当時の疎外論者たちが皆、ありもしない「本来的なもの」を探し続け、あるいは──最悪の場合──人に押しつけようとしていたからだ。 労働と仕事──ハンナ・アレント かつて流行した疎外論は本来性への強い欲望に貫かれていた。では、マルクス自身はどう考えていたのだろうか? ハンナ・アレント[1906-1975]のマルクス批判を参照しながら、この点について考えて、本章を閉じることとしよう。 アレントは『人間の条件』(一九五八年(45))のなかで、マルクスの労働の概念は矛盾に陥っていると述べている。アレントの指摘は至極単純である。マルクスは労働は必要だと言う。だが同時に、労働者階級は労働から解放されなければならないとも述べている。だから矛盾していると言うのである(46)。 言い換えれば、マルクスは労働を肯定し、かつ否定していることになる。アレントによればこの矛盾は、労働を論じた近代の代表的な哲学者たちにも見出される。そしてなぜこのような矛盾が現れるのかと言えば、近代の哲学者たちが〈労働〉と〈仕事〉とを区別しなかったところに原因があると彼女は言う。 では、ここに言われる〈労働〉と〈仕事〉とは何か? アレントによれば〈労働〉とは、人間の肉体によって消費されるものに関わる営みである。たとえば食料や衣料品の生産などがそれに当たる。それはかつて奴隷によって担われていた。だから〈労働〉は忌み嫌うべき行為であった(この点はヴェブレンの『有閑階級の理論』を思い出せば簡単に理解できるだろう)。 それに対し、〈仕事〉は世界に存在し続けていくものの創造であり、たとえば芸術がその典型である。〈労働〉の対象は消費されるが、〈仕事〉の対象は存続する。ゆえに〈仕事〉は〈労働〉に比べて高い地位を与えられてきた。肯定的に捉えられてきたのである(47)。 このように両者を区別した後で、アレントは次のように言う。なぜ労働が否定されたり、肯定されたりするのか? それは哲学者たちが〈労働〉と〈仕事〉を混同していたからである。同じ行為の〈労働〉的側面がピックアップされれば否定的に論じられるし、〈仕事〉的側面が注目されれば好意的に受け止められるというわけである(48)。 この混同はジョン・ロック[1632-1704]に始まる。だが、そのことによる矛盾が最も強く現れているのがマルクスだとアレントは言う。マルクスほどに労働そのものについて論じた哲学者はいなかったからである。 アレントはこのことをこんな風に表現している。マルクスの労働概念は、他では見られぬほどの根本的矛盾を抱え込んでいる。しかし、「このようなはなはだしい根本的な矛盾は、むしろ二流の著作家の場合にはほとんど起こらないものである。偉大な著作家の作品なればこそ、かえって矛盾がその作品の核心にまで導入されるのである(49)」。 アレントによればマルクスは一流であったからこそ、この矛盾を体現していたということらしい。 アレントによるマルクスのテキストの改竄 さて、アレントはマルクスは矛盾していると言っている。マルクスは一流だったから矛盾してしまったと言って、この主張を通そうとしている。しかし、本当にそうなのだろうか? 疎外された労働について論じるマルクスは、本当に、労働からの解放を唱えていたのだろうか? もちろん本書はここで、そうではない、と主張したいのである。マルクスは労働からの人間の解放などを唱えてはいない。 しかも、その証拠探しにはややこしい哲学的議論などすこしも必要ではない。その証拠はあっけないほど簡単に見つかる。アレント自身が引用しているマルクス『資本論』の一節を読むだけでいいのだ。 アレントはマルクスが、「労働が廃止されるときにのみ「自由の王国」が「必然の王国」に取って代わる」と主張したと述べている。そしてその証拠として『資本論』の一節を引用しながら次のように言う。 なぜなら「自由の王国は、欠乏と外的有用性によって決定される労働が止むときにのみ始まり」、その場合にのみ「肉体の直接的な欲求の支配」が終わるからである(50)。 念のために述べると、ゴシック表示した部分がマルクスからの引用である。 「自由の王国は、欠乏と外的有用性によって決定される労働が止むときにのみ始まり」というマルクスの一節はアレントにとって決定的なものであったらしく、マルクスを中心的に論じた『人間の条件』第三章で二度も引用されている。 しかしこれは、労働が廃止されたときに自由の王国が始まると述べた文であろうか? まったく違う。 これは、欠乏と外的有用性によって決定されるような労働が止むときに、自由の王国が始まると述べた文である。 「欠乏」によって決定されるとは、生存ギリギリの生活をしているから、仕方なく、ひどい労働条件で働くということだろう。「外的有用性」によって決定されるとは、外的に、たとえば現在の産業化社会にとって有用とみなされたものしか、まともな労働とはみなされない、そういう事態を指しているだろう。 マルクスが言っているのは、そのような労働は廃棄されねばならないということだ。 いったいどこに労働そのものの廃棄が書いてあるというのか? しかもアレントはその後の引用では、「欠乏と外的有用性によって決定される」という部分を意図的に除去し、「自由の王国はまず労働を廃止する行為において始まる(51)」などと書き記すのである。これはかなり悪質なテキスト改竄である。 マルクスにおける〈暇と退屈の倫理学〉 しかし、アレントを非難しても仕方ない。 問題は、「欠乏と外的有用性によって決定される」という文句がアレントの目に入ってこないということだ。もうこうなると、読み間違いの問題ではない。アレントの欲望の問題である。アレントはマルクスのなかに労働廃棄の思想を読み取りたくて仕方ないのである(52)。 アレントはいわゆる疎外論者たちが陥っていたのと似たトラップに陥っているように思われる。そのトラップとは一つの偏見、すなわち、疎外について論じている者は、悲惨な現実を全面的に廃棄して本来的な理想状態へと向かうことを志向しているという偏見である。 たとえば、「自然に帰れ」が何の疑問もなくルソーの言葉とされてきたのは、ルソーは文明による疎外を論じているのだから、文明の全面的な廃棄と本来的な自然状態への復帰を望んでいるはずだと思い込まれてきたからだ。アレントはこれと同種のトラップにかかっているのだ。 マルクスはたしかに「疎外された労働」について論じた。彼は近代の代表的疎外論者である。 しかし、マルクスはその代わりに「本来の労働」を置こうとしているのではないし、労働が廃棄された「本来」の人間のあり方をもとめているのでもない。彼は本来性を想定することなく疎外について考えている。つまり、ルソーの場合と同様、マルクスもまた、本来性なき疎外について考えている。 非常に長くなるが、アレントが引いていた『資本論』の一節の全体を引用しよう(面倒な人は傍点の箇所を読むだけで構わない)。 社会の現実の富と、社会の再生産過程のたえまない拡大の可能性とは、剰余労働のながさにではなく、剰余労働の生産性と剰余労働がそのもとで行われる生産条件の内容豊富さの程度とにかかっている。実際、自由の王国は、欠乏と外的有用性によって決定される労働が止むときにのみ始まる。だから、自由の王国は、事柄の性質上、現実の物質的生産の領域の彼方にある。未開人が自分の欲望をみたすために、すなわち自分の生活を維持し再生産するために、自然と闘わなければならないのと同じく、文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のもとでも、考えられるどんな生産様式のもとでも、そうしなければならない。文明人の発達とともにこの自由必然の国も拡大される。欲望が拡大されるからである。だが同時にこの欲望をみたす生産力も拡大される。この分野での自由は次の点のみにある。すなわち社会化された人間、結合された生産者が、盲目の力によって支配されるかのようにこの自然との物質的代謝によって支配されるのではなく、この物質代謝を合理的に規制し、自分らの共同の統制のもとにおくという点に、すなわち最小の力の支出をもって、自分らの人間性に最もふさわしくかつ最も適合した条件のもとで、この物質代謝をおこなうという点のみにある。だがこれはやはりまだ必然の王国なのである。この王国の彼方に自己目的としての人間の力の発展が、真の自由の王国が始まるわけであるが、しかしそれは必然の国をその基礎としてのみ花開きうるにすぎない。労働日の短縮がその根本条件である(53)。 マルクスがここで述べていることは、アレントのいう「一流」の著作家が書いたものにしては、つまらないぐらい常識的なものである。 「欠乏と外的有用性によって決定される労働」は止み、「自由の王国」が実現されねばならない。しかし、それは労働そのものが廃棄されるということではない。というのも、「自由の王国」は「必然の国をその基礎としてのみ花開きうるにすぎない」から。 どういうことかと言えば、マルクス自身が述べているように、「自由の王国」の条件は労働日の短縮なのである。働き過ぎを止めさせ、労働者に余暇を与えるということだ。労働はするけれど、余暇もある。だからこそ、「自由の王国」は「必然の王国」をその基礎とすると言われるのである(「自由必然の国」)。 肩すかしを食らったような単純な答えではないか? たしかに大切だし、重要なことなのだけれど、何かこのあっけにとられるほど単純な答えに笑わずにはいられない。 ──「必然の王国」を基礎として花開く「自由の王国」。「労働日の短縮がその根本条件である」。 労働の廃棄でも、本来的な労働の開始でもない、労働日の短縮。 言うまでもなく、労働日が短縮されれば現れるのは暇である。ならばマルクスは、労働について思考しながら、暇についても考えていたことになるだろう。 とはいえ、考えてみればこれは当然のことではないだろうか? 労働がないときに人間は暇なのだから、労働について徹底して考えた思想家が暇について考えていないわけがない。ここに、マルクスと〈暇と退屈の倫理学〉との接点が生まれる。 さて、マルクスと〈暇と退屈の倫理学〉との接点について示唆的な一節が、『ドイツ・イデオロギー』のなかにある。非常にユーモラスな一節だ。 これに対して共産主義社会では、各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲をももたず、どこでもすきな部門で、自分の腕をみがくことができるのであって、社会が生産全般を統制しているのである。だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に評論をすることが可能になり、しかも、けっして猟師、漁夫、牧夫、評論家にならなくてよいのである(54)。 「共産主義社会では」というところを読み変えればよい。これは実に示唆に富んだ一節であろう。 「欠乏と外的有用性によって決定される労働」が支配している社会では、「どこでもすきな部門で、自分の腕をみがくこと」などできない。だからそれが廃棄されなければならない。 大切なのは、魚釣りはしても漁師にはならなくてよい、文芸評論をしても評論家にならなくていいということではないだろうか? それは余暇を生きる一つの術である。 マルクスの疎外論を読み解くためには、本来性なき疎外という概念が必要である。アレントにはそれがなかった。 そして、その可能性を引き出すためには、〈暇と退屈の倫理学〉の視点が必要である。繰り返すが、マルクスの言う「自由の王国」は、労働日の短縮によってもたらされる暇において考えられているからである(55)。 * 以上、疎外論の代表的論者であるルソーとマルクスを論じてきて分かったことは、一般的な疎外論が本来性への強い志向をもつのに対し、彼らが本来性を想定することなく、しかし、疎外からの脱却を目指していたということである。 これはどういうことかと言うと、本来的なものを想定しない疎外論の方がむしろ正統派であるということだ。 本来性への志向とは、もともとはこうであったのに、そこから疎外されているから、本来の姿に戻らねばならないという過去への回帰欲望のことである。本来的なものとは、もともとそうであった姿として想定されるもののことであり、したがって、本来性という概念は過去形のものでしかあり得ない。だから本来性にもとづいて疎外論を構築するとき、その議論は強力に保守的なものとなり、時に凶暴な、暴力的なものにすらなる。本来性にもとづいて構想された疎外論は、現在の姿を全面否定し、過去の姿へと帰還するよう強制することがあり得るからである。 しかし、だからといって、本来性という概念を否定すると同時に、疎外の概念も捨て去るべきであろうか? 疎外論ブーム以後の思想・哲学は、産湯といっしょに赤子を捨ててしまったように思われる。本来的なものなど存在しないと言って、十把一絡げに疎外そのものをも否定してしまうなら、結局そこに生まれるのは現状追認の思想である。疎外を否定した以上、どんな状態も相対的に位置づけられてしまうからだ。 ルソーは文明人の惨めさを嘆き、自然人という純粋に理論的な像を作り出すことで、人間の本性に接近し、そこから文明人をよりよく導くための教育法(『エミール』)や政治理論(『社会契約論』)を考えた。 マルクスは疎外された労働を批判しつつ、本来的な労働を措定することなく、労働日の短縮にもとづいた「自由の王国」を考えた。 彼らは、疎外を徹底して思考しながら、本来性の誘惑に囚われることなく、新しい何かを創造しようとした。これは別に取り立てて困難なことではない。戻っていくべき本来の姿などないことを認めたうえで、「疎外」という言葉で名指すべき現象から目を背けないこと。〈暇と退屈の倫理学〉が目指すのもこの方向である。 ボードリヤールは消費と浪費を区別することで、消費社会がもたらした「現代の疎外」について考えた。私たちもまたそれについて考えるべきである。ボードリヤールのように「疎外」という言葉を用いて。 その疎外は、暇なき退屈をもたらしている。暇なき退屈は、消費と退屈との悪循環(消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう)のなかにある。 ただし、この疎外は、疎外論正統派(ルソーやマルクス)にならって、本来性なき疎外という枠のなかで論じられねばならない(また、この概念は、「同一性なき差異」という形でひそかにフランス現代思想に受けつがれていたことも指摘しておきたい(56))。そしてこの論及は、またしても疎外論正統派にならって、いかなる方向に向けてこの疎外からの解放を考えるべきかという問題意識を伴っていなければならない。 第五章 暇と退屈の哲学 ──そもそも退屈とは何か? 本章では退屈論の最高峰に挑戦してみたい。これまでに何度か名前をあげたマルティン・ハイデッガーの退屈論『形而上学の根本諸概念』である。 見ての通り、かなり硬いタイトルの本である。分厚いし、やたらと難解な単語も現れる。哲学にもともと関心のある人でなければ絶対に手に取らないだろう。 しかし恐れないで欲しい。彼は非常にゆっくりと、一歩一歩論理を組み立てていくタイプの哲学者である。おっくうがらずに論理と論理のつなぎ目さえきちんと理解していけば、彼の主張はむしろ分かりやすい。 しかも、彼は退屈を説明するにあたっていくつかの事例の分析を行っているのだが、この事例というのが実に日常的で分かりやすい。私たちもしばしば体験する退屈な出来事を哲学的に解説するところは愉快ですらある。 できることならこの本を最初から最後までゆっくりと解説していきたいところだが、本書の範囲を大きく逸脱してしまうので、ここでは本書の議論に直接に関係のある部分だけをかなり凝縮して解説していくことにしたい。 哲学の感動 『形而上学の根本諸概念』という本は、彼がフライブルク大学で一九二九年から三〇年にかけて行った講義の原稿をまとめたものである。邦訳で五〇〇頁以上ある。ハイデッガーの本のほとんどはこのような講義録だ。 この本の出発点にある問いは非常に単純である。哲学とは何か? ハイデッガーはそれを問うのである。 これは巨大な問いであるが、しかし単純な、単純過ぎる問いでもある。さてこんな問いをどう扱ったらよいだろう? ハイデッガーは哲学についてのある一つの定義を引用する。ノヴァーリス[1772-1801]という一八世紀ドイツロマン派の思想家が下した哲学の定義である。 ノヴァーリスによれば哲学とは何か? 哲学とはほんらい郷愁である、と彼は言う。さまざまな場所にいながらも、家にいるようにいたい、そう願う気持ちが哲学なのだ、と(1)。 いかにもロマン派という形容がぴったりとくる、すてきな定義だ。すてきな定義なのだが、しかし、ここで疑問がでてくる。なぜこのノヴァーリスの定義なのだろうか? 哲学の定義というのは無数にある。哲学者たちは哲学をさまざまな仕方で定義してきた。ではなぜそのなかからこれが選ばれたのか? ハイデッガーはなぜ他の定義には言及せずにこれを掲げるのか? ハイデッガー自身はそのことを説明していない。その意味ではハイデッガーの議論の仕方は恣意的である。自分に都合のよい定義だけを議論の出発点に置いているのだから。 しかし、そうやってその議論の仕方を斥けるのではなくて、もうすこし近寄って見てみよう。すこし先でハイデッガーはこんなことを言っている。哲学に関してどんなに広範囲のことを扱ったとしても、問うことによって私たち自身が感動させられているのでないならば、何事も理解はできない。結局はすべて誤解にとどまる(2)。 ハイデッガーという人物の個性を伝える、非常に印象的な言葉である。ハイデッガーが言いたいことは簡単だ。ある哲学の概念についてどんなに多くの知識をもっていようとも、その概念について問うことで心を揺さぶられたり、心が捉えられるといった経験がないならば、その概念を理解したことにはならない。哲学の概念は人に訴えかける。その訴えかけを受け止めていないのなら、その概念を理解したことにはならない。こういうことである。 ならばハイデッガーがノヴァーリスの定義を引用し、議論の出発点にした理由は明らかである。彼はこのノヴァーリスの哲学の定義に感動したのである。彼はこの定義の訴えかけに心揺さぶられたのだ。 ハイデッガーの哲学は彼の感動に裏づけられた哲学である。では、私たち読者は彼の哲学に感動できるだろうか? 気分を問う哲学 さて、ハイデッガーはノヴァーリスの哲学の定義を掲げた。ではそれをどう読み解いていくのか? ハイデッガーが注目するのは、この定義が「郷愁」という気分に言及していることである。ノヴァーリスは哲学を一つの気分によって定義した。 気分というのは曖昧な現象である。厳密さをもとめる哲学にはやや不釣り合いな感じがする。 しかしハイデッガーこそは、この気分というものを徹底して重視した哲学者だった。ハイデッガーによれば、哲学はいつも何らかの根本的な気分のなかに現れる(3)。当然と言えば当然である。哲学をしているのは人間であり、人間は常に何らかの気分のうちにあるのだから。哲学のような思弁的な営みも、気分と無関係なはずがない。 彼の名を哲学界に知らしめた『存在と時間』という大著では、「不安」という気分が分析されていた。人間存在の根本には死に対する不安があると彼はそう断言していた。 しかし『存在と時間』の出版の二年後に行われたこの『形而上学の根本諸概念』の講義では、もはやそのような「死に対する不安」は語られない。何か考えを変えたのだろうか? とにかく、ハイデッガーは別の気分について語ろうとするのだ。 ならばそれは何か? いま、私たちにとっての根本的な気分とは何か? ノヴァーリスはかつて「郷愁」という気分について語った。ならば、いま、私たちはどんな気分のなかにあるのか? どんな気分について考えればいいのか? ハイデッガーはその気分を「呼び覚ます」ことを目指す。私たちの根本にある気分に目を向けようとするのである(4)。 根本にある気分 ハイデッガーはここで一つの手がかりとして、当時流行していた、あるヨーロッパ文明論に言及する。オスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』がそれである(5)。 この本はそのタイトルが示唆する通りの内容である。西洋文明はこれまで近代の先頭を走り、それを牽引してきた。しかしもうその役割は終わった。いまや西洋は没落の時期にある。シュペングラーはそう述べた。 こんな悲観的な主張の本が当時ベストセラーになった。おそらくこの本は、ヨーロッパ人が何となく気づいていながらも大きな声では言っていなかったことを、はっきりと書き記していたのである。それ故によく読まれたのだ。 いまでもそうだが、学者というのは流行しているものに対して批判的である。当時の学者たちも「こんな本は流行哲学にすぎない」と言ってバカにしていた。 だがハイデッガーはすこし違った。彼はこう言う。この本の時代診断は私たちをすこしも「感動させない(6)」(やはりハイデッガーにとっては感動できるかできないかが大きな価値判断基準であるようだ)。しかし、だからといって、「流行哲学にすぎない」とバカにして片づけてもいけない(7)。 やはりそれが流行することにはそれなりの理由がある。なぜならこれが読まれたという事実は、ヨーロッパ人がたしかに何らかの「没落」の感覚をもっていることのしるしであるから。 そこからハイデッガーは次のように考えを進めていくのである。 ──私たちはいま自分たちの役割を探している。いや、というよりも、私たちはいま自分たちに何か役割を与えざるを得ない。 ──しかしそれはいったいどういうことだろう? 私たちは、自分たちで自分たちにわざわざ役割を与えなければならないほど軽い存在になってしまったのだろうか? もし私たち自身が自分たちにとって重要な存在であるのなら、わざわざ自分たちの役割を探し当てねばならないなどということにはならないだろうから。 ──どうしてそんなことになってしまったのか? なぜ私たちは自分たちの意味や可能性を見出せないのか? これではまるで、あらゆる物が私たちに対して無関心になって、大きなアクビを吹きかけているかのようではないか。 ──何にせよ、私たちは自分たちのために一つの役割を探している。「これこそが私のなすべきことだ」と言える何かを探している。 ──言い換えれば、私たちは、自分たちを自分たちにとって再び興味あるものにしようとしている。自分たちが自分たちにもっと関心をもてるようになろうとしている。 ──だが、ここには何かおかしなことがありはしないか? なぜそんなことをしなければならないのだろう? ──もしかしたら、私たち自身がいま、自分たちにとって退屈になってしまっているのではないか? だから何とかして自分たちを自分たちにとって興味あるものにしようとしているのではないか? ──しかし、人間が自分自身にとって退屈になってしまっているなどということがあり得るのだろうか? なぜそんなことになってしまったのだろうか? こうしてハイデッガーは次のように言うに至るのだ。結局、ある種の深い退屈が現存在の深淵において物言わぬ霧のように去来している(8)(「現存在」というのはハイデッガー独自の用語で、端的に人間のことを指している)。 何も言わない霧のように、いつの間にやら退屈がただよってきて、私たちの周囲を覆い尽くしている……。ハイデッガーが抱いていたのはそんなイメージである。そして、この退屈こそが私たちにとっての根本的な気分であるとハイデッガーは言うのだ。つまり、私たちは退屈のなかから哲学する他ない、と。 こうして退屈についての長い論究が始まっていく。 退屈を二つに分けてみる では、退屈とは何か? 退屈を分析するハイデッガーが最初に言うのは、退屈はだれもが知っていると同時に、だれもよく知らない現象だということである(9)。そう、退屈をだれもが知っている。しかし、それについて問われると、だれもそれが何であるのかはっきり述べることはできない。不思議である。 こういったものを分析することは実に厄介である。まったく知られていないことなら、ゼロから始めればいい。読者にはゼロから教えればいい。しかし何となく知っていることだと、その知っていることが、分析を妨げるのである。分かった気になっているから、どこまで分析を深めれば十分なのかがよく分からない。人に説明するにあたっても、「自分が知っている退屈とは違うな」と思われてしまえば、分析は道半ばであってもその人はもう耳を傾けなくなる。 そこでハイデッガーはまず、退屈を二つに分けて考えることを提案する。みんながぼんやりと知っている退屈をまずは二つに分けて考えてみようというわけだ。 一つは、 ①何かによって退屈させられること。 もう一つは、 ②何かに際して退屈すること(10)。 ハイデッガーは①を退屈の第一形式、②を退屈の第二形式と呼ぶ。 両者は同じようなものに見えるかもしれない。しかし、そうではない。 ①は受動形である(退屈させられる)。これはどういうことかと言えば、はっきりと退屈なものがあって、それが人を退屈という気分のなかに引きずり込んでいるということだ(11)。 それに対し②では、何か特定の退屈なものによって退屈させられるのではない(12)。何かに立ち会っているとき、よく分からないのだがそこで自分が退屈してしまうのである。いわば退屈が周囲を覆い尽くしてしまうような感じである。そのなかで人が退屈するのだ。 退屈の第一形式 このままでは分かりにくいだろう。しかし心配はいらない。ハイデッガーは非常に分かりやすい、日常的な事例をあげて退屈を説明してくれるからである。この事例の解読が、ハイデッガーの退屈論を破天荒におもしろいものにしている。 まずは退屈の第一形式を説明する事例である。じっくりと読んでいただきたい。 たとえばわれわれはある片田舎の小さなローカル線の、ある無趣味な駅舎で腰掛けている。次の列車は四時間たったら来る。この地域は別に魅力はない。なるほどリュックサックに本を一冊もってはいる──では、本を読もうか? いやその気にはならない。それとも何か問いか問題を考え抜くことにするか? そういう感じでもない。時刻表を読んだり、この駅から別の地域までの距離の一覧表を詳しく見たりするが、それらの地域のことは他には何も分からない。時計を見る──やっと十五分過ぎたばかりだ。では街道へ出よう。われわれはただ何かをするために、行ったり戻ったりする。だが何の役にもたたない。そこで今度は街道に沿って植わっている並木の数を数える。再び時計を見る──前に時計を見てからちょうど五分たった。行ったり戻ったりするのにも飽きたので、石に腰をおろして地面にいろんな絵を描く。そうしながら、ふと気がつくと、また時計を見てしまっている──やっと半時間たった──といった具合に進んでいく(13)。 ハイデッガー自身の体験談だろうか。非常に実感のこもった描写である。そして、読者にとっても大変想像しやすい場面だ。あまりにありふれていると言ってもいい。そんなありふれた場面をハイデッガーはどう分析していくのだろうか? 私たちもハイデッガーと一緒にこの駅舎に腰掛け、列車が来るのを待ちながら、ここに現れている退屈に迫ってみることにしよう。 退屈は何でないか? 上の描写のなかでまず目につくのは、時計を見るという仕草である。列車を待ちながら何度も時計を見てしまっている。なぜ何度も時計を見てしまうのかと言えば、それは当然、待つことに飽きていて、待つことから解放されたいと思っているからだろう。 するとこう考えられるかもしれない。何度も時計を見てしまうのは退屈だからであり、退屈なのは待っているからだ。つまり、退屈を発生させる原因は待つことである、と。 しかし、けっしてそうではない。あくまでもこの例において待つことが退屈になっているにすぎない(14)。待っていると必ず退屈するわけではないし、緊張感をもって待つこともしばしばだ。たとえば大切な試験の結果を待っている場合には、退屈を受け入れる余地などない。 では、なぜこの例においては待つことが退屈になってしまっているのだろうか? 別の観点から考えよう。 列車に早く到着して欲しいと思っているのに列車が来ない。そこに現れる気持ちは焦りである。私たちはこの焦りから脱出したいと思っている。つまり私たちを困らせているのはこの焦りだ。 すると退屈とはつまるところ焦りのことなのだろうか? いや、それも違う。たしかに焦りは退屈と関連して生じる。しかしそれが退屈と同一かと言うと、そうではない(15)。 なぜかと言えば、焦りとはむしろ、退屈を押さえ込みたいと思っているのに、そうできないときの様子であるからだ。それは退屈そのものではなくて、退屈の結果として生じている状態なのだ。 以上から分かるのは、待つことや焦りが退屈と関連して現れ出ることがあるけれども、それらは退屈そのものではないということだ。では、退屈そのものはどこにあるのだろうか? 気晴らしと時間 さらに視点を変えよう。ここまでは、退屈する私たちがどんな状態にあるのか(待っている、焦っている)を考えた。今度はそうではなくて、退屈する私たちが退屈にどう関わろうとするのかを考えてみよう。 退屈しているとき、私たちは退屈を押さえ込もうとする。退屈を押さえ込むにあたってもとめられるのは気晴らしである(16)。私たちは気晴らしによって退屈を押さえ込もうとする。 先ほどの事例に戻って考えよう。木々を数える。道を行ったり来たりする。座り込んで地面に絵を描く。こうしたことはすべて気晴らしである。どれも退屈を押さえ込むために行われている。 こうして気晴らしに注目すると、また再び、時計を見るという仕草が目につく。というのも、気晴らしが行われる度毎に、すぐに時計に目をやっているからだ。 道を行ったり来たりすると、すぐに時計を見る。地面に絵を描くと、またすぐに時計を見る。なぜなのか? もしかしたら時計を見ることも気晴らしなのだろうか? いやそうではないだろう。なぜなら、時計を見るという仕草は退屈を押さえ込むために行われているわけではないからだ。私たちは時間を確認するために時計を見ている。退屈を押さえ込むためではない。 だが、単に時間を見るためなら何度も時計を見る必要などない。すると、何度も時計を見るという行為には、どこかしら変なところがあることになる。どうやらここに問題を切り開くカギがありそうだ。 何度も繰り返し時計を見てしまうとき、私たちは単に現在の時刻を確認したいのではない。いま何時何分であるのかを知りたいのではない。そうではなくて、列車の発車までまだどれだけ時間があるのかを知りたいと思っている。 では、なぜそれを知りたいと願うのか? 目の前に現れている退屈を相手に、あとどれだけこの成果のあがらぬ気晴らしを続けねばならないのか、それを確認したいからである。いま私たちは退屈と闘っているけれども、その闘いがうまくいっていない。だからそれがあとどれだけ続くのかを確かめようとしているのである。 気晴らしを通じて行われる退屈相手の闘いとはいかなるものだろうか? 言うまでもなく、それは時間をやり過ごすこと、時間がより早く過ぎ去るように仕向けることに他ならない。 ならば、なぜ時間がより早く過ぎ去るようにしたいのか? 簡単だ。時間がのろいからである(17)。 〈引きとめ〉 さて、どうやらこの退屈を解き明かすための手がかりの一つが得られたようである。 退屈においては時間がのろい。時間がぐずついている。退屈する私たちは、このぐずつく時間によって困らされているのだ。 でも、なぜぐずつくものが私たちを困らせるのだろうか? ぐずついているものはこちらに積極的には関わってこない。だから、ぐずついているものが人を困らせるということはあまりない(18)。 たとえば、ぐずついている人間がただ横にいたとしても私たちはけっして困ったりしない。自分と関係のない人間がただひとりでぐずぐずしているだけである。ぐずぐずしている人間はこちらに関わろうとしてこない消極的な人間なのだから、たとえば、聞きたくもない話をやたらと語りかけてくる「積極的」な人間に比べればむしろありがたいぐらいだ。 なのになぜ、この退屈の場合にはぐずついているものが私たちを困らせるのか? 答えは簡単である。ぐずついているものが私たちを困らせるのは、それが単にぐずついているだけでなく、私たちを引きとめているからである。私たちは退屈しながら、ぐずつく時間によって引きとめられているのである。 〈引きとめ〉──これこそが退屈を構成する一つ目の要素に他ならない。時間がのろく、ぐずついている。こののろい時間によって私たちは〈引きとめ〉られている。これこそが退屈において生じている当のものだ。 〈空虚放置〉 ぐずつく時間による〈引きとめ〉は、退屈の第一形式を構成する要素である。この種の退屈においてはたしかにそういうことが起こっている。 しかし、これだけではまだ不十分である。これは退屈しているときの様子をより詳しく説明したものにすぎない。退屈する人の置かれた状態が、別の言葉で言い換えられたにすぎない。これだけでは退屈そのものの定義にはならない。 だからもう一歩が必要となる。そのためには次の問いに答えなければならない。なぜ私たちはぐずつく時間によって引きとめられると困るのだろうか? 気晴らしに注目することで、この問いへの答えを探ってみたい。 既に述べた通り、気晴らしが行われるのは時間をやり過ごすためであった。では、より具体的には時間をやり過ごすとはどういうことなのだろうか? つまり、気晴らしとは要するに何をすることなのだろうか? 気晴らしをしているとき、私たちは何かやるべきことを探している。やるべき仕事を探している(19)。街道を歩く。木々の数を数える。座り込んで地面に絵を描く。何かやるべき事を探し、その仕事に従事しようとする。 やるべき仕事といっても、その際、その仕事の内容はどうでもいい。どんな仕事につくかは問題ではない。ここで関心の的になっているのは、やるべき何かをもつことであって、どんなことをやるべきかではない(20)。だから普段ならそんなことはしないくせに、木々の数を数えたり、街道を行ったり来たりする。単にやることがあればよいからである。 それにしてもなぜ退屈している私たちは、やるべき仕事を探し、仕事に従事しようとするのだろうか? 仕事というのは普通、できることならやらずにすませたい、そのようなものではないだろうか? いや、そうではないのだ。やるべき仕事がないと、人は何もない状態、むなしい状態に放って置かれることになる。そして、何もすることがない状態に人間は耐えられない。だから仕事を探すのである。 先の問いに戻ろう。なぜ私たちはぐずつく時間によって引きとめられると困ってしまうのか? その答えが分かった。そうして引きとめられると、何もないところ、むなしい状態に放って置かれることになるからである。何もすることがない、むなしい状態に人間は耐えられない。だから「退屈とともに台頭してくる空虚放置へと落ち込まないために」、私たちは何かやるべき仕事をもとめる(21)。むなしい状態に放って置かれることを、〈空虚放置〉と呼ぶことにしよう。これこそ、退屈を構成する二つ目の要素に他ならない。 言うことを聞いてくれない 空虚のなかに放置されないために気晴らしを行う。これはよく分かった。 だがよく考えてみよう。空虚などあり得るのだろうか? いまの状況を考えてもらいたい。何もない、空虚だと言うけれども、電車を待つ私たちの周りには何もないのだろうか? もちろん、そんなことはない。駅舎がある。時刻表も街道も並木もある。そもそもそこは鉄道が通るような地域なのである。何もないわけではない。 たしかに何かがある。なのに、なぜ何もないと言われてしまうのか? それはこういうことである。そこには物がある。しかし、それらの物がこちらに向かって何事も仕掛けてこない。私たちを完全にほったらかしにしている(22)。 〈空虚放置〉とは単に物がないということではない。物が私たちに何も提供してくれないことを意味しているのだ。 しかし、駅舎は本当に私たちに何も提供しないのだろうか? 実際、駅舎は切符を売り与え、雨風をしのぐための場所を提供している。何も提供しないとはおかしいではないか。 いやそうではないのだ。駅舎はたしかにいろいろなものを提供している。しかし、私たちが期待しているものを提供してくれていないのだ。つまり列車である。何も提供してくれない、完全にほったらかしにしている、空虚の内に放置しているとは、すなわち、その駅舎が私たちの言うことを聞いてくれないということなのだ。 こうして長々と考え続けてきた退屈の第一形式の結論が見えてくる。ぐずつく時間によって引きとめられることで私たちが困ってしまうのはなぜか? 私たちが期待しているものを提供してもらえないからである。目の前の駅舎が退屈なのではない。目の前の駅舎はそれだけでは私たちを空虚の内に放置したりしない。目の前の駅舎が私たちの言うことを聞いてくれないから、私たちは退屈するのだ(23)。 まとめよう。 物が言うことを聞いてくれない。そのために、私たちは〈空虚放置〉され、そこにぐずつく時間による〈引きとめ〉が発生する。これが退屈の第一形式「何かによって退屈させられること」において起こっていることに他ならない。 駅舎の理想的時間 それにしても、物が言うことを聞いてくれないなどというのは自分勝手な言い回しである。駅に早めに着いてしまったのは自分の責任だろう。そうは思われないだろうか? 実はハイデッガーもそのような反論を取り上げている(24)。そして次のように言う。いまここで問うているのは、なぜ、だれの責任で退屈が発生したのか、ではない。その発生した退屈がどのようになっているのか、である。こうしてこの反論は斥けられる。 さらにそこに付け加えて、ハイデッガーは最後に変なことを言っている。物にはそれ特有の時間があると言うのである。 たとえば、駅舎には駅舎に特有の時間がある。それは何だろうか? 駅舎に特有の時間とは、駅舎というものの理想的時間である。その理想的時間とは何かと言えば、列車発車の直前である(25)。列車発車の直前に駅に到着し、待たずに列車に乗り込めた人は、駅舎の理想的時間にうまく適合したのである(26)。 ものすごく単純なことを、わざわざややこしい言葉遣いで言うハイデッガーのこのフレーズは、読んでいて吹き出しそうになるが、彼は大まじめである。ハイデッガーが言っているのはこういうことだ。私たちは何かによって退屈させられているとき、その何かがもつ時間にうまく適合していないと言っているのである。 つまりある物とそれに接する人間がいるとして、両者の間の時間のギャップによってこの第一形式の退屈が生じるのである。何かによって退屈させられるという現象の根源には、物と主体との間の時間のギャップが存在している。それによって〈引きとめ〉が生じ、〈空虚放置〉される。 この図式はさまざまな場面に応用可能だ。たとえば会議は日常生活における退屈の代表のようなものだが、そこに起こっているのも、同じようなギャップである。 実りある発言や提案といった、私たちの期待するものがいっこうに提供されない。時間がぐずついている。いつまでも分かりきった内容の発言が続けられ、結論はもうそこに見えているのに、議論がなかなかそこに到達しない。ここにあるのは、「結論は分かりきっているのに……」との判断を下している主体の時間と、その会議の場の時間とのズレ、ギャップである。会議室に〈引きとめ〉られた私たちは、自分たちの関心を引く、実りある発言や提案がないという意味で、〈空虚放置〉されている。 退屈の第二形式 退屈の第一形式、すなわち「何かによって退屈させられること」の分析はかなり説得力がある。 しかし、既に述べておいた通り、ハイデッガーはここに留まらない。退屈の第二形式「何かに際して退屈すること」の分析へと向かう。 ここで注意せねばならない。これは、単にいろいろな種類の退屈を分類するためになされるのではないということだ。「退屈にはこのようなものもあり、あのようなものもあり……」ということではないのである。 ハイデッガーは、第一形式から第二形式へと進むにつれて分析が深まっていくのだと強調している。二つは並んでいない。第二形式はより深まった退屈なのである。では第一形式よりも深い第二形式の退屈とはいったいいかなるものか? 「何かに際して退屈すること」(退屈の第二形式)と、「何かによって退屈させられること」(退屈の第一形式)とを並べてみるとすぐに分かる違いがある。第二形式においては、何がその人を退屈させているのかが明確ではないということだ。 特定の何かによって退屈させられるのではない。何かに際して、何かに立ち会いつつ、なんとなく、なぜか、いつのまにか、それと知らずに、退屈している……。第二形式が指示しているのはそのようなものだ。 しかしこのような説明だけでは分からないだろう。先ほどと同様に具体例を見てみよう。ハイデッガーは、第二形式については実例を思い浮かべるのが困難であると言いつつも、次のような例をあげる。極めて印象的な例である。 我々は夕方どこかへ招待されている。だからといって、行かねばならないということはない。しかし我々は一日中緊張していたし、それに夕方には時間があいている。そういうわけだから行くことにしよう。そこでは慣例通りの夕食が出る。食卓を囲んで慣例通りの会話が交わされる。すべてとても美味しいばかりでなく、趣味もなかなかいい。食事が済むと、よくある感じで楽しく一緒に腰掛け、多分、音楽を聞き、談笑する。面白く、愉快である。そろそろ帰る時間だ。婦人たちは、ほんとに楽しかった、とってもすばらしかったと確かめるように何度も言う。それも、別れの挨拶のときだけでなく、下へ降りて外へ出て、もう既に自分たちだけになってしまっているのにそうしている。その通りだ。とてもすばらしかった。今晩の招待において退屈であったようなものは端的に何も見つからない。会話も、人々も、場所も、退屈ではなかった。だから全く満足して帰宅したのだ。帰宅すると、夕方中断しておいた仕事にちょっと目を通し、明日の仕事についておおよその見当をつけ、目安を立てる──するとそのとき気がつくのだ。私は今晩、この招待に際し、本当は退屈していたのだ、と(27)。 何となく想像できる事態である。しかし考えてみると不思議な事態だ。どこを探しても退屈なものはない。にもかかわらず退屈してしまう。 自分自身が退屈な人間であったがために、自分自身を退屈させてしまっていたのだろうか? そうではないだろう。自分で自分を退屈させるためには、自分の殻に閉じこもって、自分で自分のことをあれこれと思い煩っているのでなければならない。 しかし、あの晩はそうではなかった。自分の殻に閉じこもるどころか、会話にも食事にも全面的に参加していた。私は私のもとで退屈したのではない。なぜだかはよく分からないが、パーティーに際して退屈したのだ(28)。 では、この退屈は錯覚で、後から「あぁ、時間を無駄に使ってしまった」という後悔から生じたものなのだろうか? それも違う。大変楽しかったけれども退屈したということは明白なのだ(29)。 これはおそらくハイデッガーの実体験なのだろう。ハイデッガーはおそらく夫人とともに何らかのパーティーに招待され、不思議な退屈を味わった。そして自問したのだ。あれはいったい何だったのか? 気晴らしはどこにあるか? 第二形式の退屈はなかなか手強いようだ。第一形式の退屈を参考にしながら分析を進めていこう。第一形式を検討していたときには気晴らしに注目することで分析の糸口がつかめた。ここでもそれに倣う。この第二形式においては気晴らしはどうなっているだろうか? パーティーの最中、何度もアクビが出そうになった(30)。あれは疲れから来るものではなかった。だから、あのアクビは退屈の明白な証拠である。たしかに退屈はしていた。まずこの点を確認しておこう。 不思議なのは、それに対する気晴らしが見あたらないことである。あのパーティーの模様ははっきりと思い出せる。けれども気晴らしとなると、それらしいものを何一つ確認できない(31)。 どういうことだろうか? 退屈はしていたけれども、いかなる気晴らしも行ってはいなかったということなのだろうか? そう考えられなくもない。実際、パーティーは楽しかったのだから。 だが、もうすこし考えてみる。そして、よくよく事態を眺めてみると、どうも気晴らしがなかったということではないらしい。こんなことを思い出した。自分はあのとき、指でトントンと机を叩きたくなった。これはよく知られているタイプの気晴らしである。 そして、指で机をトントンしようとしたとき、ちょうど、葉巻の箱がまわってきてそれを手渡された(32)。「一本どうですか?」「ああどうも。一本いただきますよ」。こうやって勧められた葉巻を吸うのは、パーティーの場では社交的な振る舞いの一つである。そして、これも気晴らしの一つだ。 こう考えてみると、たしかに気晴らしらしきものはあったことになる。木々を数えるとか、街路を行ったり来たりするとか、そういった気晴らしではないが、やはり、気晴らしらしきものはあったのである。 だが、なぜそれをはっきり思い出せないのだろう? パーティーの模様ははっきりと思い出せるというのに。どうやら、指で思わず机をトントン叩いてしまうとか、葉巻を吸うとかいった気晴らしらしきものは、第一形式の退屈における気晴らしとは性格が異なっているようだ。ここでは気晴らしは第一形式のときとは違う形で現れている。だからうまく思い出せないのだ。 葉巻と事を構えているのではなく…… 第一形式の退屈における気晴らしでは、何かやるべき仕事がもとめられていた。仕事の内容は何でもいいから、とにかく何かに携わって時間をやり過ごす、そうしたことがもとめられていた。 ではここ、第二形式の退屈においてはどうか? 葉巻はたしかにやるべき仕事を与える。指の間で葉巻を回したり、葉巻を吸ったり、煙の形を目で追ったり、ついでに灰が落ちるまでに何分ぐらい長持ちするかを見守ったりと、いろいろな仕事をしなければならない。 だが、この「仕事」は、第一形式における気晴らしがもとめた仕事とは異なっている。並木の数を数えたり、地面にいろんな絵を描いたりすることとは根本的に異なっている。並木の数を数えたり、地面にいろんな絵を描いたりしているとき、人はそれに集中しているし、集中しようとしている。自分の殻のなかに閉じ籠もっている。 しかし、パーティーで葉巻を吸う人は集中しようとしているのではない。自分の殻のなかで思いに沈み込み、葉巻と事を構えているのではなくて、葉巻を吸いながらきちんとその場に溶け込み、会話に参加し、一晩中上機嫌でいるのだ(33)。 ならば、そうやって上機嫌でいるなかで、退屈は、それこそ葉巻の煙のように、フーッと吹き払われているのだろうか? この気晴らしらしきものによって退屈は追い払われているのだろうか? そうではない。退屈は煙のように吹き払われてはいない。退屈は葉巻を吸っている間、まさにそこにある。そして、葉巻を吸う間も、葉巻と事を構えている訳ではない。葉巻を吸うという仕事は、会話やその他の振る舞いのなかに埋もれている。 ついに見つかった気晴らし さてどうやら、この第二形式において気晴らしがいったいどこにあるのか、それが見えてきたように思われる。机をトントンと指で叩くのも、葉巻を吸うのも、気晴らしらしきものである。では、なぜそれが気晴らしとは言い切れず、気晴らしらしきものに思えるのか? それは、たとえば葉巻を吸うという行為それ自体がそれだけで気晴らしであるわけではないからだ。それは気晴らしの一部なのだ。どういうことかと言うと、このパーティーや私の行為のどこかに気晴らしが存在するのではなくて、実は、そこでの立ち振る舞いの全体、ひいてはそのパーティー全体、招待そのものが気晴らしであるのだ。 私たちはこのパーティーや自分の振る舞いのどこかに気晴らしがあるものだと思い込んでいた。しかし、そうではない。実は気晴らしを探していたその場所そのものが気晴らしだったのである。だから気晴らしがはっきりと見出せないのだ。 この第二形式は「何かに際して退屈すること」と定式化されていた。その「何か」とはこの例ではパーティーを指す。ここで私は、パーティーに際して退屈している訳だが、実は同時にそのパーティーが気晴らしであるのだ。だから次のように言えよう。この退屈の第二形式においては、退屈と気晴らしとが独特の仕方で絡み合っているのである(34)。 ついに答えが見つかった。パーティーに際して退屈していたにもかかわらず気晴らしが見出せなかったのは、その「際して」いた対象そのものが気晴らしだったからである。だからこそ、特定の退屈なものが見つからないのはもちろんのこと、はっきりとした気晴らしも見出せなかったのだ。 第一形式との違いは明らかだろう。第一形式の場合には、退屈させる対象が明確にあり、それに対する対抗措置として、主体が明確な暇つぶしを行う。第二形式の場合には、主体の置かれている状況、主体の際している状況そのものがそもそも暇つぶしである。その状況は暇つぶしとして作られているのだから、暇つぶしとしての工夫に満ちたその状況のなかには、特定の退屈なものなどありはしない。何もかもがおもしろいものに仕立て上げられている。だから、会話も人々も場所も退屈ではなく、それどころかまったく満足して帰宅したのである。 第二形式における〈空虚放置〉と〈引きとめ〉 さて、この謎めいた退屈の第二形式において、暇つぶしがどう見出されるのかは分かった。では、この第二形式において退屈はいったいいかなるものであるか? 第二形式において退屈はどのような仕方で働いているか? ここでも参考になるのは第一形式の分析である。そこには退屈の形づくるものとして、〈引きとめ〉と〈空虚放置〉という二つの要素が見出された。第二形式でも事態は同じであろうか? 当然ながら同じではない。 まず第一形式において、〈引きとめ〉はぐずつく時間と結びついていた。ぐずつく時間が私たちを引きとめていた。第二形式においては、そのようなものは見出されない。パーティーにいる私はこれが早くお開きになるのを待っているわけではないし、時計に何度も目をやるわけでもない。時間がのろいわけでもない。それもそのはずで、私はこのパーティーのために進んで時間をとったのである。にもかかわらず退屈していることが問題なのだ。 〈空虚放置〉についても同じように言わなければならない。そこには空虚などない。パーティーは楽しいもので満たされている。片田舎の小さなローカル線の無趣味な駅舎にいるわけではない。私はそこでほったらかしにされているわけでもない。関心を引くものがあり、また会話においてはたえまなくはたらきかけられる。 すると、この退屈の第二形式においては、ぐずつく時間による〈引きとめ〉も、私たちを取り囲む物による〈空虚放置〉も欠けているということになるのか? 退屈の第一形式を定義したこれら二つの要素は第二形式には当てはまらないということになるのだろうか? 成育する〈空虚放置〉 最初から考えよう。第一形式においては退屈なものは特定の何か(到着しない列車)であり、それによって私たちは退屈させられる。それに対し第二形式においては、特定の退屈なものは存在せず、何かに際して私たちが退屈する。ここでは退屈させるものは「何だか分からない」という性格をもっている(35)。 何だか分からないもののなかにいるから、私たちは何かやるべき仕事をもとめてきょろきょろと探し回ったりしない。お喋りをしながら調子を合わせて周りの人たちと一緒にいる。一緒にいることへと自分を任せっぱなしにしている。付和雷同。投げやりな態度である(36)。このような態度のなかでは、何かを探し、その何かによって満たされようとする気持ちは完全にもみ消されてしまう(37)。 したがって投げやりな態度において、私たちはもうこれ以上何ももとめないようになる。そこにある物、そこにいる人、そこで演じられる会話、そうしたものが自分自身を満たしてくれるかどうかなど、もう気にかけないようになっている。周囲に自分を任せっぱなしにすることが心地いい。調子を合わせているのが愉快である。だから、自分が空虚のうちに置かれようともどうでもいい……。 こうして、そこにいる私自身のなかに空虚が成育してくる(38)。そう、ここにもまた〈空虚放置〉があるのだ。しかし、第一形式の場合とは違うタイプのものだ。第一形式の場合には、〈空虚放置〉は満たされることの欠如であった。単に物が言うことを聞かないということだった。 ところが、第二の形式の場合には、単純に空虚が満たされぬままになっているということではなくて、空虚がここで自らを作りあげ、現れ出て来る(39)。簡単に言えば、外界が空虚であるのではなくて、自分が空虚になるのだ。周囲に調子を合わせる付和雷同の態度で投げやりになり、自分をその雰囲気に任せっぱなしにする。そういう意味で自分自身が空虚になるのである。ここには第一形式とはまったく異なる〈空虚放置〉が見出される。 放任しても、放免しない〈引きとめ〉 では、〈引きとめ〉の方はどうだろうか? 第一形式では時間はぐずついていた。そのぐずつく時間が私たちを引きとめていた。第二形式ではどうか? 第二形式では時間は私たちを悩ませていない。だから時計を何度も見るということはない。つまり、時間は控えめに引き下がっている(40)。 第一形式では時間が私たちを苦しめた。時間はのろくなり、そののろい時間が私たちを引きとめていたからだ。この第二形式ではそうではない。時間は控えめであり、私たちが周囲と調子を合わせていようと何をしていようと、介入してこない。時間のことなど気にする必要がない。この意味で、時間は私たちを放任している。 これはほとんど時間が停止している状態である。時間の流れが私たちを拘束していないのだから。私たちは、その流れに絶えず気を配る必要もなければ、なんとかそれをやり過ごす必要もない。 しかし当然ながら、時間から絶対的に自由になっているわけではない。当たり前である。時間から自由になることはできない(時間の外に出るとは、おそらく死ぬことである)。するとこういうことが分かる。時間は私たちをたしかに放任している。しかし、放免してはいないのだ。ここに見出されるのは、時間への根源的な縛り付けである。第二形式において見出されるのは、根源的な時間への〈引きとめ〉なのだ。 これを分かりやすく言い換えてみよう。 たとえば、いつでもガミガミと叱ってくる親であれば、子どもは、親が見ていない隙を盗んで悪いことができる。退屈の第一形式における引きとめとは、このガミガミうるさい親と同じだ。親がいなくなれば監視は終わる。時間のぐずつきによる引きとめは、一定の時間が来れば(列車が到着すれば)終わる。 それに対し、好きなことをさせつつもじっと眺めている親からは、子どもは強い圧力を感じるだろう。たしかに自分は放任されている。しかし、自分はけっして放免されることがない。そういう感覚を強くしていくだろう。しかも控えめに引き下がっているが故に、その親にはなかなか面と向かって文句が言えないのだ。退屈の第二形式における時間への〈引きとめ〉とは、このようにして子どもに無言の圧力を与える親のようなものである。それは、「お前は私に根源的にくくりつけられているのだ」と無言で呼びかけてくるのである。 こうして、退屈の第二形式においても〈空虚放置〉と〈引きとめ〉が見出されたことになる。自分自身が空虚のうちへと滑り込んでいく。しかもそれは何かによってもたらされるのではなく、自分のなかで空虚が成育するという仕方で起こる。そして、このような空虚の成育が起こるのは、自分が時間を停止させたからである。投げやりな態度になり、もうこれ以上は何ももとめないという状態に陥っているからである。私はその停止した時間から空虚のうちへと滑り込むがままに放任されている。とはいえ、放免されるわけではなく、停止した時間へと引きとめられている。 第二形式においても、〈引きとめ〉と〈空虚放置〉という二つの要素は不可分の関係にある。この複合体こそが、第二形式において私たちを退屈させる「何だか分からない」ものである。 第二形式によって明らかになるもの ここまでハイデッガーによる二つの退屈の分析を見てきた。この分析を本書の議論と組み合わせてみたい。第三章で暇と退屈を区別し、暇がある/がない、退屈している/していない、の四項目からなる表(本書『暇と退屈の類型』参照)を作成したのをご記憶だろうか? この表について復習しておこう。〈暇でありかつ退屈している〉(①)という事態は容易に想像がつく。これは暇とか退屈について考える人ならだれにでもすぐに思いつくものである。 〈暇であるが退屈していない〉(②)というのも分からなくない。暇を楽しそうに過ごしている人がたしかにいる。また暇を生きる術をもった有閑階級もこの分類にあてはまる。 ①からの連想で〈暇がないし退屈してもいない〉(③)も容易に想像がつく。忙しく働き、充実した生活を送っている人は、特に暇をもてあましたりしないし、退屈もしていないだろうと人は考えるからだ。 以上三つと比べて、〈暇ではないが退屈している〉(④)という事態は謎めいている。ぱっと見ただけでは何を指しているのか分からない。暇ではないなら退屈しないだろうと思えてしまうからだ。暇ではないのに退屈しているとは? 暇と退屈をさして区別することなく口にしてきた人ならなおさらのこと、この疑問を抱くに違いない。 第四章では『ファイト・クラブ』という映画を例にしてこの四つ目のカテゴリーに迫ってみた。そこでは消費社会における人間がこの④のカテゴリーに当てはまるのだと述べた。とはいえ、あれは事例による説明であった。このカテゴリーそのものの説明ではなかった。 しかし、いまや私たちはこのカテゴリーそのものの説明を得たように思われる。ハイデッガーが分析した退屈の二つの形式をこの表にあてはめてみるとどうなるか? 退屈の第一形式は間違いなく〈暇でありかつ退屈している〉(①)に対応する。ならば第二形式はどうか? これに対応するのは他ならぬ、〈暇ではないが退屈している〉(④)である。 この第四カテゴリーは大変謎めいていた。ハイデッガーは退屈の第二形式を分析しながら、この④の本質を言い当てたのではないだろうか? そこでは気晴らしと退屈が絡み合っている。そこで人が感じているのは、気晴らしと区別のできない退屈である。 退屈を払いのけるはずのものが退屈になっている。本末転倒である。私たちを救ってくれるはずのものが、実は私たちを悩ましている。しかも、その救いと悩みとが絡み合っているがために、いったい何に困っているのかも不明である。 第二形式と人間の生 それだけではない。こうして謎が解けてくると、実は第四カテゴリー、つまり退屈の第二形式こそは、私たちが普段もっともよく経験する退屈ではないかと思えてくるのである。 私たちの生活は何のためやらよく分からない気晴らしに満ちている。テレビで芸能人がゲームをしているのを延々と眺めているのは気晴らしである。休日に特に欲しい物もないのに買い物に出かけるのも気晴らしである。ツイッターでいまどこで何をしているのかをつぶやくのも気晴らしである。ケータイで絶えずメールをやりとりし合うのも気晴らしである。 「高尚」だと思われる事柄も同じではないか? 古典文学を読むのも、名画を鑑賞するのも、モーツァルトやベートーベンを聴くのも気晴らしではないか? 私たちの生活がすべて気晴らしであるわけではないだろう。しかし、私たちの生活は気晴らしに満ちている。 必要だと思ってやっていることさえ、もしかしたら気晴らしかもしれない。受験勉強も気晴らしかもしれない。額に汗してあくせく働くことすら、絶対にそうではないとどうして言い切れるだろう。 だれもがその気晴らしを退屈だと感じるわけではない。しかし時折その気晴らしは退屈と絡み合う。 第四カテゴリーは一見すると謎めいている。けれども、実は私たちの生活においてもっとも身近な退屈なのだ。暇つぶしと退屈の絡み合った何か──生きることとはほとんど、それに際すること、それに臨み続けることではないだろうか? ハイデッガーが退屈の第二形式を発見したことの意義は本当に大きい。これはどれだけ強調しても強調しすぎることはない。退屈と絡み合った気晴らし、気晴らしと絡み合った退屈、退屈させる気晴らし……。そうしたものは、何か人間の生の本質を言い当てていると言ってよいように思われるのだ。 第二形式の「正気」 ハイデッガー自身、第一形式と第二形式を比べながらこんなことを言っている。第二形式には「安定」がある。退屈と気晴らしが絡み合ったこの形式を生きることは、「正気」の一種である、と(41)。 第一形式に見出されるのは大きな自己喪失である。第一形式の退屈にある人間は自分を大きく見失っている。どういうことだろうか? 第一形式の退屈のなかにある人間は時間を失いたくないと思っている。駅舎で列車を待ちながら、早く電車にきて欲しいと焦っている。なぜそんなに焦るのかといえば、何か日常的な仕事のためである。約束に間に合わない。仕事の締め切りが迫っている。そうした日常の仕事に強く縛り付けられているから、焦ってしまう。 つまり、第一形式のような退屈を感じている人間は仕事の奴隷になっているということだ。それは大袈裟に言えば、時間を失いたくないという強迫観念に取り憑かれた「狂気」に他ならない。第一形式において人は仕事熱心で時間を大切にしているのだからとても真面目なように見える。しかし実はそうではないのだ。ハイデッガーによればそれは大いなる「俗物性」への転落ですらある。 それに対し第二形式においては、自分で自分に時間をとっておいて、パーティーに行くことができている。時間に追い立てられてはいない。自分に向き合うだけの余裕もある。だからそこには「安定」と「正気」がある。 ならば、人間が「正気」で生活していくとは、気晴らしと退屈とが絡み合った、この第二形式を生きることではないだろうか? だからこそ、ハイデッガーはこの第二形式の退屈を発見することによって、人間的生の本質を言い当てたのかも知れないと言えるのだ。 退屈の第三形式 ハイデッガーの退屈の分析は鋭い。その分析は退屈を通り越して、生そのものの本質にまで迫りつつある。では、この後ハイデッガーはどう歩みを進めるのだろうか? ハイデッガーは、当初、退屈を分析し始めるにあたって、「何かによって退屈させられる」と、「何かに際して退屈する」の二つの形式のみをあげていた。しかし二つの分析を終えたいま、彼は退屈の三つ目の形式について語ろうとする。 第一形式の退屈は外から来る。それに対し、第二形式の退屈は私たちのなかから立ち昇ってくる。その意味では第二形式の方が「深い」。しかし、まだ十分に深くない。なぜなら、第二形式ではまだ気晴らしが可能であるから。というより、それは気晴らしと絡み合った退屈なのだった。 ハイデッガーはここから、もはや気晴らしが不可能であるような、最高度に「深い」退屈について考えようとする。退屈の第三形式である。 いったいそんなに「深い」退屈とはいかなるものだろうか? ハイデッガーはそれについてこう言う。私たちは多分それを知っている、と(42)。 最高度に「深い」退屈。退屈の第三形式。それは何か? 読んでいると驚かずにはいられないのだが、ハイデッガーはとくに準備もなく突然答えを出すのである。 なんとなく退屈だ(43)。 これが退屈の第三形式である。 第一形式も第二形式も実感のこもった具体的な例があげられていた。第三形式についてもそうだろうと思っていたら、「なんとなく退屈だ」という短い一文が投げ出される(44)。 なぜこれが最も深い退屈なのか? そして、どうしてこれまでのような具体的な例があげられないのか? これら二つの問いの答えは関連している。ハイデッガーによれば、先の二つの形式は何らかの具体的な状況と関連している。それに対し、最も深い退屈は状況にかかわらず、突発的に現れる(45)。なぜなら最も深い退屈だからである。だれがとか、どこでとか、どんなときにといったことに関わらないほどに深いのだ。 とはいえハイデッガーもすこしは具体的な話をしている。たとえば「なんとなく退屈だ」はこんなときに現れる。日曜日の午後、大都会の大通りを歩いている。するとふと感じる、「なんとなく退屈だ(46)」。 第三形式とは、「なんとなく退屈だ」と感じることであり、「なんとなく退屈だ」というこの声を聞き取ることであり、また「なんとなく退屈だ」というこの声そのもののことである。そうした一連の事象をハイデッガーはこの「なんとなく退屈だ」という一文に込めている。 気晴らしはもはや許されない この第三形式もこれまでと同様、気晴らしの観点からまず分析されねばならない。そして、既に述べた通り、この退屈に対してはもはや気晴らしということがあり得ない(47)。もはや気晴らしは無力である。第一形式では、退屈に対抗するという仕方で気晴らしが存在していた。第二形式では、退屈を何となく回避するという仕方で気晴らしが存在し、それが退屈と絡み合ってしまっていた。両者を比べると、第二形式では気晴らしが弱くなっているように思える。つまり、退屈が深さを増すにつれて、気晴らしは次第に力を失っていく。そしてこの第三形式においては、まったくの無力となる。 それだけではない。ハイデッガーは奇妙なことを言う。この退屈の第三形式においては、私たちは気晴らしがもはや許されないと分かっているというのである(48)。気晴らしが許されない? しかもそれを私たちは分かっている? なんとかハイデッガーの言わんとするところに迫ってみよう。 第一形式において人は退屈を気晴らしによってかき消そうとする。言い換えれば、退屈の言うことを聞く必要をなくしてしまうことに向けて努力する。ぐずつく時間によって振り回されることのないよう、何かやるべき仕事を探すわけだ。 第二形式においては、そもそも私たちは聞くことを欲しない。退屈に耳を傾けようとしていない。退屈に直面せず、ただそれにひたっている。 ならば第三形式においてはどうだろう? ハイデッガーはこう言う。ここでは私たちは、退屈に耳を傾けることを強制されている(49)。 「なんとなく退屈だ」という声。この声は私たちの存在の奥底から響いてくる。だからこそ、そこからは逃れられない。いや、逃れられないように感じる。耳を傾けねばならないと感じる。だから、「なんとなく退屈だ」という声に対して私たちは、気晴らしがもはや許されないことを了解しているとハイデッガーは言うのである。 もうすこし言い換えると、こうなるだろうか。日常生活のなかで、ふと、「なんとなく退屈だ」という声が聞こえてくることがあるのではないか、とハイデッガーは言っているのである。そして、その声が私たちの心の底から聞こえてくるのであれば、どうやってもそこに耳を傾けないわけにはいかないではないか、と言っているのである。 ハイデッガーの言うことに実感をもって同意できなくてもいい。彼が言いたいことはなんとなく分かっていただけただろうか。 第三形式における〈空虚放置〉と〈引きとめ〉 この第三形式についてもこれまでと同様、〈空虚放置〉と〈引きとめ〉の二つの観点から分析が行われる。そして実はそこから、退屈からの解放もまた描き出されることになる。 まず〈空虚放置〉だが、こちらは明々白々である(50)。「なんとなく退屈だ」においては、周囲の状況も、私たち自身も、すべてがどうでもよくなっている。すべてが一律同然にどうでもよくなっている。「なんとなく退屈だ」の声を聞いた瞬間、人は全面的な空虚のなかに置かれる。すべてがどうでもよくなる(もちろんその後で日常は取り戻され、その全面的などうでもよさのことは忘れてしまうのだろうが)。 第一形式の場合には、何か特定のもの(列車の到着)が言うことを聞かないのが問題であった。第三形式では何かが言うことを聞かないのではない。何一つ言うことを聞かないのだ。何一つ言うことを聞かない、そのような状況の真っ只中に私たちは置かれている(51)。何か宙づりのような感じだ。 だから、いかなるごまかしもきかない。つまり気晴らしはできない。「何となく退屈だ」という声に耳を塞ぐことはできない。聞くことを強制される。 ではその声を無理矢理聞かされることで人はどうなるか? ここでもう一つの契機、〈引きとめ〉が現れる。 何一つ言うことを聞いてくれない場所に置かれるとは、何もないだだっ広い空間にぽつんと一人取り残されているようなものである。ハイデッガーはこのことを「余すところなき全くの広域」に置かれると表現する(52)。 そのような広域に置かれるということは、外から与えられる可能性がすべて否定されているということだ。外からは何も与えてもらえない。あらゆる可能性が拒絶されている。するとどうなるか? 人間(現存在)は自分に目を向ける。いや、目を向けることを強制される(53)。ではそこに目を向けることを強制されてどうなるか? 人間としての自分が授かることができ、授かっていなければならないはずの可能性を告げ知らされる(54)。この状況を突破する可能性、この事態を切り開いていくための可能性、その先端部を自分のなかに見出すことを強いられる。 簡単に言えば、自分に目を向けることで、自分がもっている可能性に気がつくということである。 可能性の先端部にくくりつけられ、引きとめられ、そこに目を向けることを余儀なくされること。これが第三形式における〈引きとめ〉である。ここではそれはもはや否定的な価値をもたない。なぜなら、それは最高度に深い退屈がもたらした絶対的な〈空虚放置〉を打ち壊し、状況を切り開く可能性に目を向けることを意味するからである。この〈引きとめ〉は、解放のための可能性を教えるきっかけに他ならない。 どういうことかと言うと、ハイデッガーはここで、一つの反転の論理を展開しているのである。「なんとなく退屈だ」と感じる私たちは、あらゆる可能性を拒絶されている。すべてがどうでもよくなっているのだから。だが、むしろあらゆる可能性を拒絶されているが故に、自らが有する可能性に目を向けるよう仕向けられている、とハイデッガーは言うわけである(55)。 「なんとなく退屈だ」という声は、この可能性がいったい何であるのかについては語らない。だが、絶対的な拒絶であることによって、逆に、この可能性を告げ知らせている(56)。ゼロであるからこそゼロを突破する可能性が見える、と言うわけである。 第三形式と第一形式の関係 こうして退屈の三つの形式が出揃った。 これら三つの形式は単に並列されるものではないのだった。第一形式から第三形式へと向かうにつれて、退屈はより深くなっていくのだった。 この深さは単に言葉の上でのことではないし、深く見えるということでもない。第三形式が最も深い退屈であるとはどういうことかと言うと、この第三形式からこそ、他の二つの形式が発生するのだ。これはけっして理解するに難しいことではない。説明しよう。 第一形式は駅で列車を待つときに感じられた退屈であった。だが、なぜ列車を待つことにあれほどの退屈を感じるのか? 駅舎が言うことを聞いてくれないから、つまり、私たちの望む通りに列車を提供してくれないからである。では、なぜそれが退屈へと結びつくのか? 時間を失いたくないと思っているからだ。ならば、なぜ時間を失いたくないのか? 日常の仕事に使いたいからだ。時間を無駄にしたくないから、日常の仕事のために時間を最大限に使用したいからだ。 となると、ハイデッガーが言っていた通り、日々の仕事の奴隷になっているからこそ、私たちは第一形式の退屈を感じるのである。もしそこから自由であったなら、列車の到着まで待たなければならないぐらいでそんなに焦ったり、退屈を感じたりはしないはずだ。 しかし更に問うてみよう。なぜ私たちはわざわざ仕事の奴隷になるのだろうか? なぜ忙しくしようとするのか? 奴隷になるとは恐ろしいことではないだろうか? いや、そうではないのだ。本当に恐ろしいのは、「なんとなく退屈だ」という声を聞き続けることなのである。私たちが日常の仕事の奴隷になるのは、「なんとなく退屈だ」という深い退屈から逃げるためだ。 私たちの最も深いところから立ち昇ってくる「なんとなく退屈だ」という声に耳を傾けたくない、そこから目を背けたい……。故に人は仕事の奴隷になり、忙しくすることで、「なんとなく退屈だ」から逃げ去ろうとするのである(57)。第一形式の退屈をもたらすのは、第三形式の退屈なのである。「なんとなく退屈だ」という声から何とか逃れようとして、私たちは仕事の奴隷になり、その結果、第一形式の退屈を感じるに至るのだ。 第三形式と第二形式の関係 では、第二形式はどうか? 第二形式においては、最初、気晴らしが見あたらなかった。分析の結果分かったのは、「何かに際して退屈する」と言われる、この「何か」こそが気晴らしだったということだ。第二形式においては、したがって、気晴らしと退屈とが絡み合っていた。 だが、ここで単純な疑問がわき上がろう。そもそもこの気晴らしはなぜ行われていたのだろうか? 気晴らしは退屈があってこそ、それを払いのけるために行われるものではないのか? そうやって払いのけられるはずの退屈は見あたらず、逆に、気晴らしによって退屈が作り出されるとはどういうことなのか? 要するに一言で言えば、あのパーティーはなぜ行われていたのだろうか? 退屈の第三形式のことが分かったいま、これももはや謎ではない。退屈の第二形式の特徴は、私たちが聞くことを欲しないことだ。そう、「なんとなく退屈だ」という声、現存在の深みから立ち昇ってくるこの声を聞くことを欲しない。だから、気晴らし(パーティー)が行われるのだ。 第二形式の退屈の発端となっているあの気晴らし(パーティー)は、そもそものはじめから退屈を払いのけるために考案されていたのである。「なんとなく退屈だ」という声を聞かないですむように、あのパーティーは行われていたのだ。にもかかわらず、皮肉にも、その気晴らしに際して私たちは退屈してしまっていたのだ。 こう考えると、第一形式と第二形式にはさほど大きな違いはないようにも思える。どちらも、「なんとなく退屈だ」に対して耳を塞ぐことを目指しているから(58)。 しかし、やはり二つは違う。第二形式では私たちは自分に時間を与えていた。第一形式でのように奴隷にはなっていないため、自分自身に向き合うという姿勢がそこには現れている。それ故にこそハイデッガーは、第一形式の方が自己喪失が大きいと言うのである。 解放と自由 さて、肝腎なことをまだ確認していない。 退屈の第三形式、「なんとなく退屈だ」のなかで、人間は自分の可能性を示される。そうハイデッガーは言う。ではその可能性とは何なのか? 答えは驚くほどに単純である。「自由だ」とハイデッガーは答えるのだ(59)。退屈という気分が私たちに告げ知らせていたのは、私たちが自由であるという事実そのものである、と。 こう言い換えてもよいだろう。私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するということは、自由であるということだ。 まだ続きがある。 この段階ではまだ自由は可能性にとどまっている。人間が自由であるという可能性が示されているだけである。ではそれをどう実現するか? ここでの答えもまた驚くほど単純だ。「決断することによってだ」と言うのである(60)。 ハイデッガーは、退屈する人間には自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよと言っているのである。退屈はお前に自由を教えている。だから、決断せよ──これがハイデッガーの退屈論の結論である。 * 本章までの歩みとハイデッガーの分析を組み合わせて最後のまとめをしよう。 ハイデッガーは退屈の諸形式の分析によって、「なんとなく退屈だ」という深い退屈へとたどり着いた。普段、人間はこの声を抑えつけるために、仕事の奴隷になったり、退屈と混じり合った気晴らしに耽ったりしている。 しかし、どうしてもこの声は響いてくる。そして「なんとなく退屈だ」という声に耳を傾けたとき、私たちはだだっ広い「広域」に置かれる。あらゆるものが退き、何一つ言うことを聞かない真っ白な空間に置かれる。 このゼロの状態は、しかし、人間が自分たちの可能性を知るチャンスでもある。その可能性の先端部に否応なしに目を向けさせられるから。あらゆる可能性が拒絶されているが故に、かえってその可能性が告げ知らされる……。 ハイデッガーが述べていることを本書の文脈で翻訳すると次のようになる。 人間の大脳は高度に発達してきた。その優れた能力は遊動生活において思う存分に発揮されていた。しかし、定住によって新しいものとの出会いが制限され、探索能力を絶えず活用する必要がなくなってくると、その能力が余ってしまう。この能力の余りこそは、文明の高度の発展をもたらした。が、それと同時に退屈の可能性を与えた。 退屈するというのは人間の能力が高度に発達してきたことのしるしである。これは人間の能力そのものであるのだから、けっして振り払うことはできない。したがってパスカルが言っていた通り、人間はけっして部屋に一人でじっとしていられない。これは人間が辛抱強くないとかそういうことではない。能力の余りがあるのだから、どうしようもない。どうしても「なんとなく退屈だ」という声を耳にしてしまう。 人間はなんとかしてこの声を遠ざけようとする。わざわざ命を危険にさらすために軍職を買って戦場に赴いたり、狩りや賭け事に興じる。だが、そうした逃避も退屈の可能性そのものに対しては最終的には無力である。人間の奥底からは「なんとなく退屈だ」という声が響いてくる。 ハイデッガーは難しい言葉使いをしているけれども、けっして奇妙なことを述べているのではない。また彼の述べることは、退屈を論じる他の論者たちが述べていることにも一致する。 だが、だとしても、最終的なハイデッガーの解決策はどうも腑に落ちない。 たとえば、自分にはすべての可能性が否定されていると感じ、まさしく「広域」を生きながら部屋に閉じ籠もっている人間に対して、「お前はいま現存在(人間)の可能性の先端部を見ることを強制されているのだ。どうだ見てみろ。お前の現存在としての可能性が見えるだろう。だったら決断してそれを実現しろ」などと言っても、どうなのだろう。 この結論には、こうやって笑い飛ばすわけにはいかない重大な問題もまた潜んでいるのだが、そのことは後述しよう。 いずれにせよハイデッガーの結論には受け入れ難いものがある。しかし、彼の退屈の分析は極めて豊かなものである。特に退屈の第二形式の発見。そこには〈暇と退屈の倫理学〉を考えるうえでの大きなヒントがある。 この後はハイデッガーの退屈論を批判的に検討しつつ、結論へと向かっていきたい。 第六章 暇と退屈の人間学 ──トカゲの世界をのぞくことは可能か?
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