第1章 │ 家族的なものとその敵 この第一部では、保守とリベラルの対立を超え、より柔軟に共同体の構成原理について語るためには、「家族」と「訂正可能性」の概念を新しく設立することが重要であることを示す。独立して読める議論になっているが、問題設定は二〇一七年に出版した『観光客の哲学』という著作を引き継いでいる[★1]。 同書は好評で迎えられ、賞もいただいた。けれども欠陥もあった。第一部は「観光客の哲学」と題され、第二部は「家族の哲学」と題されていたが、両者がきちんと接続されていなかったのである。 ぼくはいまの政治は、世界的にも国内的にも、また古典的な政治においてもネットの争いにおいても、「友」と「敵」の観念的な対立に支配されていると考えている。したがって、その対立を抜け出すことが決定的に重要である。『観光客の哲学』では、その認識のうえで、「観光客的な連帯」こそが脱出の鍵となり、新たな連帯のモデルは「家族」に求められるという主張を展開した。 観光客と家族は、日常的にはかなり隔たりがある言葉である。観光客という言葉には、好奇心に導かれるままあちこちに顔を出す無責任な消費者という印象がある。だからこそ『観光客の哲学』では、観光客を、友にも敵にも分類できない第三の存在の比喩として用いた。他方で家族という言葉のイメージは対照的だ。家族はむしろ人生や運命の重さを感じさせる。家族をころころと変えることはできないし、成人になって新しい家族を迎えれば責任も生じる。それなのに、ふたつがつながり、連帯のモデルになるとはどういうことなのか。前著ではそのつながりを明確に理論化することができなかった。 そこでぼくは以下、伝統的な哲学を参照しつつ、そのつながりをはっきりと言葉にしてみたいと思う。観光客にしろ家族にしろ、あまり哲学や政治思想で話題になる概念ではない。けれども本論を読んだ読者は、両者の関係への注目が、いま公共性や正義を考えるうえでたいへん示唆に富むものであることを理解するはずである。 観光客と家族について考えることは、本書が出版される二〇二三年には新たなアクチュアリティを帯びてもいる。 六年前に『観光客の哲学』が出版された時点では、それらは哲学的に取り上げるような主題ではなかった。観光客の増加は経済的には注目されていたが、社会のありかたを変える現象だとは考えられていなかった。逆に家族の役割に注目すべきだという主張は、たんに保守的で時代錯誤なものだと思われていた。当時は、観光客のテーマは社会の持続性とはあまり関係がない軽いもので、逆に家族のテーマはあまりにも深い関わりがある重いものだと思われていたのである。 ところが二〇二〇年に始まった新型コロナウイルスのパンデミックが、両者をとりまく環境を劇的に変えてしまった。コロナ禍以前は観光客は気軽に歓迎される存在だった。日本だけでなく世界中が観光産業の成長に期待をかけてもいた。それが突然のように、不要不急の移動で感染を広げ市民の安全を脅かす迷惑な存在として、世界中で警戒される対象に変わってしまった。コロナ禍の初期には、留学生や外国人労働者の半ば強制的な帰国も相次いだ。 家族への視線も大きく変わった。コロナ禍以前は、家族や「家」といった言葉は、リベラルの知識人にとってあまり肯定的に語られるものではなかった。彼らは、教育にしろ介護にしろ、家庭から公共へできるだけ責任を移行すべきだと主張していた。 ところがコロナ禍が始まると、突然「家」が肯定的に語られるようになった。みなできるだけ自宅に閉じこもり、教育も介護も自力で行い、仕事はテレワークで済ませ、接触は同居家族とのあいだに限るべきだという主張がおおっぴらに行われるようになった。それまでのリベラルの論調からすれば、それでは世帯間の経済格差が教育や介護の質に反映してしまうし、家族がいないひとは孤独を強いられるので問題だと批判が巻き起こったはずである。けれどもそのような議論はほとんど提起されなかった。二〇二〇年から二〇二一年にかけて、日本では「ステイホーム」や「おうちごはん」といった新語がしきりに語られたが、「ホーム」にしろ「おうち」にしろ、本来は排除的で差別的な含意をもちうる言葉である。それがこれほど手放しで肯定される状況を、コロナ禍のまえだれが想像することができただろう。 二〇二三年現在、パンデミックによる政治や経済の混乱はようやく収束しつつある。今後はさまざまな対策のうちなにが有効でなにが混乱を招くだけだったのか、各国で検証が進むことだろう。 この三年間、日本に限らず世界各国は、観光客に象徴される軽さ=開放性を否定し、家族に象徴される重さ=閉鎖性に回帰することで「感染症に強い」社会を構築しようと試みてきた。それはいっけん避けられない選択だったようにみえる。けれども、開放性を捨て閉鎖性に戻るという論理は、あまりにも単純すぎなかっただろうか。観光客的なものと家族的なものは、それほどはっきりと対立するものだったのだろうか。否、そもそもそれ以前に、開かれているものは危険で、閉じられているものこそ安心といった二分法は、どこまで哲学的に妥当なものだったのだろうか。この第一部の議論は、以上のような点で、コロナ禍のイデオロギーを原理的に再検証するものにもなっている。 1 それでは議論を始めるとしよう。ぼくはさきほど、家族の役割はコロナ禍のまえには肯定的に捉えられていなかったと記した。そこで思い浮かべていたのは、現代日本のリベラルを代表する社会学者、上野千鶴子の「おひとりさま」肯定論である。 上野は二〇〇〇年代の半ば、日本の既婚女性は夫や子どもにあまりにも束縛されているので、老後は離婚し、独居老人=「おひとりさま」として公的なサービスに頼るべきだし、行政もその生きかたを支援すべきだと問題提起を行い、大きなセンセーションを巻き起こした[★2]。この主張はフェミニズムの文脈で受け取られることが多いが、本質的には男性にも適用されるものだろう。上野は、家族は個人の自由を奪い、社会の改善も阻む厄介な存在だと考えている。家族という小さな単位への執着は、大きな公共の実現にとっては障害になるというわけだ。 このような主張は一般の読者をぎょっとさせる。実際に上野は「家族の破壊」を企てる過激な論者として批判されることが多い。けれども家族と公共を対立させる発想そのものは、彼女固有のものでも、また日本のリベラルに固有のものでもない。それはむしろ、リベラル、というよりもさらに広く、ある種の社会思想で通奏低音であり続けてきたものである。 建築史家の本田晃子は、ソ連時代の住宅建築史を扱った『革命と住宅』で興味深い指摘をしている[★3]。本田によれば、革命後のソ連では、労働者を家庭から解き放ち、家事や育児などを国家によるサービスに置き換えるため、住居の設計が根本的に見なおされていた。彼女は一九二五年にモスクワで行われたある集合住宅の設計コンペを例に挙げている。そのコンペでは、共同食堂や共同浴室、保育園やリクリエーション・ルームなどの整備が要件に入っていた一方、ひとりあたりの居住面積を六平方メートルにまで切り詰めることが求められていた。それらの指定からは、発注者が「住民は睡眠以外の時間は基本的に共有スペースで過ごすものと想定」していたことが読み取れるという[★4]。革命後のソ連においては、いまふうにいえば、「ステイホーム」とはまったく逆の、なるべくホームにはいない生活様式が推奨されていた。それは上野の「おひとりさま」論にまっすぐ通じている。 本田の論考は「革命は「家」を否定する」という一文で始まっている。共産主義は私的所有を否定する。家族は私的所有の場そのものである。家族とは、「わたしの父」「わたしの母」「わたしの子」と、それぞれが私的な関係で呼びあう場所のことだからだ。共産主義が家族を壊し、個人と公共を媒介なく直結しようと試みたことは、論理的な必然でもあった。 本田はそのような集合住宅の理想の起源を、一九世紀の社会主義者、ニコライ・チェルヌイシェフスキーが記した『何をなすべきか』という長編小説に求めている。同書は一八六三年に書かれ、革命前のロシアで広く読まれた。若い女性が一念発起して裁縫工場の経営に乗り出す小説で、労働者が男女入り混じって生活をともにし、共同で工場を運営するさまがたいへん理想的に描かれている。改革の過程で女性の主人公が伝統的な結婚観や家庭観に疑いを抱く物語になっており、フェミニズムの歴史において注目されることも多い。 このような家族の否定の歴史は、社会主義や共産主義を超えてさらに古く遡ることができる。 哲学史的にはそれはプラトンにまで遡る。プラトンは『国家』というたいへん有名な著作を書いている。同書には「正義について」という副題があり、理想の国家像や人間像が論じられている。書かれたのは二四〇〇年ほどまえのことだが、その議論はいまの思想にまで絶大な影響を与えている。そこではすでに、家族の存在が、私的所有や集団生活の問題と連動して否定的に議論されている。 プラトンの議論はこうだ。人間は多様であり、能力が異なっている。それゆえ集団で生活し、生産物を交換して、相互の欠落を補うのが好ましい。そのようにして国家が生まれるが、それが大きくなると、こんどは国家を運営することに特化した人々、プラトンがいうところの「守護者」が求められるようになる。彼らをいかに選び育てるかが、国家の命運を決めることになる。 プラトンはこの前提のうえで、そんな守護者に公徳心を与えるにはどうしたらよいのか、その方法について議論した。プラトン自身の言葉を引用すれば、「国家の利益と考えることは全力をあげてこれを行なう熱意を示し、そうでないことは金輪際しようとしない気持が見てとれるような者たち」を育てるにはどうしたらよいか、という問題だ[★5]。その議論は『国家』の第三巻から第五巻にかけて行われている。そしてそこで提案されるのが、守護者たちはすべてを公共に捧げるべきなので、自分のものと国家のものを区別しない環境で生活しなければならない、具体的には、財産をもってはならないし、固有の住居ももってはならないし、食事もひとりでとってはならないといった数々の禁止事項なのである。 禁止事項には家族をもつことも含まれている。プラトンは、守護者は世襲であってはならず、すべての市民のなかから、階級やジェンダーの分け隔てなく、資質のみに基づいて選ばれるべきだと考えた。これは現代の視点でみても先進的な提案だが、だとすれば守護者には男性も女性もいることになる。では彼らは性交し子どもをつくってもよいのであろうか。むろんよい。けれども家族をつくってはならない。守護者は特定の子の父母としてふるまってはならず、生まれた子どもは国家全体の子どもとして育てられねばならない。ふたたびプラトンの言葉を引用すれば、彼は、「これらの女たちのすべては、これらの男たちすべての共有であり、誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは、いかなる者もこれをしてはならないこと。さらに子供たちもまた共有されるべきであり、親が自分の子を知ることも、子が親を知ることも許されないこと」と明確に婚姻や家族を否定している[★6]。守護者は、財産をもつべきでないように、家族ももつべきでないのである。 念のために付け加えておけば、ここで議論されているのは、あくまでも支配層のあるべきすがただ。プラトンはあらゆる家族を解体すべきだと主張したわけではない。そんなことをしたら人間は滅んでしまう。 けれども、プラトンの哲学においては、彼ら守護者こそが、欲望や快楽に打ち克ち正義を体現する人々だとみなされている。『国家』は、それ以外の市民の生活についてはほとんどなにも語っていない。したがって、ここに記された家族の否定や私的所有の否定が、プラトンにおいて、特定の職業にとどまらない人間一般の理想として考えられていたこともまたまちがいない。 ひとは公共的であるためには、家族を否定しなければならない。ひとことでいえばプラトンはそう考えていたわけだ。 プラトンの提案はあまりに過激で、常識で考えるなら実現できそうにない。けれどもそれだけに、その理想は後世の思想を規定し続けた。 近代の理想社会論の起源といわれるトマス・モアの『ユートピア』を見てみよう。一六世紀の著作で、架空の「ユートピア島」への訪問記というかたちをとって、あるべき社会像が議論されている。 モアのユートピア島には家族がある。結婚は神聖だとも記されている。それはプラトンと異なる社会像のようにみえる。けれども、ではそこで家族が素朴に肯定されているかといえば、必ずしもそうはいえない。モアはカトリック信徒で、当時のイギリスではプラトンのように婚姻を正面から否定することはできなかった。彼はその制限のなかで、伝統的な家族観を読み替え、世俗的な公共性に奉仕する新しい家族像を提案しようと試みている。その点に注目すると、『ユートピア』の記述はまた別のすがたを現してくる。 たとえば、ユートピア島の家族には、プラトンの守護者と同じく財産の私有が認められない。住居も占有できないし、食事もほかの家族と一緒にとらなければならない。家族だけの生活は許されていない。 ではなにが許されているのかといえば、家族の意義はなによりもまず職業の継承にあることになっている。子は親の職業を継ぐ。その教育の単位が家族だ。だから職業を継ぎたくない子は、年少期に家族を離れ、別の職業の別の家族の養子にならなければならない。人数も決まっている。ユートピア島の家族は少人数の親密な空間ではない。都市部であれば成人が一〇人以上一六人以下、農村部ではもう少し多数と定員が定められ、それ以上に増えれば強制的に分割されることになっている。モアが理想として描き出しているのは、確かに結婚や血縁で結ばれたまとまりではあるけれど、ぼくたちが知る家族とはまったく異なった機能をもつ存在である。 家族の存在は、時代が下り、キリスト教の圧力が弱くなると、ふたたびはっきりと否定されるようになる。一八世紀半ばには、ルソーが『人間不平等起源論』で、人間は自然状態では特定の配偶者も固定した家族ももたなかったはずだと記している[★7]。ルソーは社会状態が人間を不幸にしたと説いた思想家だったが、否定すべき社会にはじつは家族も含まれていた。 一九世紀に入ると、チェルヌイシェフスキーにも影響を与えた空想的社会主義者、シャルル・フーリエが現れる。彼は独特の夢想的な世界史を構想したことで知られ、人類の婚姻は、単婚から多婚へ、そして「全婚」(オムニガミー)へと進化すると主張した[★8]。単婚とはいわゆる一夫一婦制を、全婚とは、男女の双方がともに複数の配偶者をもつ婚姻形式を意味する。そこではみなが家族的なしがらみなく性的に自由に結合し、生まれた子どもは社会の共有物となる。これはプラトンが『国家』で理想とした性関係と家族形態に近い。 ルソーやフーリエの家族の否定はあくまでも抽象的な問題提起だったが、一九世紀半ばにマルクス主義が現れると、家族の忌避は現実の政策論にも影を落とすようになる。フリードリヒ・エンゲルスは住宅不足を論じた一八七〇年代の論文で、労働者ひとりひとりに個別の住居を与えることは「反動的」であり、「家とかまどからの労働者の駆逐」こそが「労働者の精神的解放の第一条件」になると宣言している[★9]。労働者は、「家とかまど」を失わなければ公共の使命に目覚めないというのだ。本田が指摘したような革命後の集団住宅への志向は、このような主張の延長線上に必然的に現れたものだといえるだろう。 そして二〇世紀に入ると、以上のような家族否定=理想国家論を逆手にとった理想国家批判、いわゆるディストピア小説が現れ始める。 二〇世紀のディストピア小説は、オルダス・ハクスリーが一九三二年に刊行した『すばらしい新世界』とジョージ・オーウェルが一九四九年に刊行した『一九八四年』に代表されるといわれる。 ハクスリーの『すばらしい新世界』はいまでいえばSFである。物語は、人間が工場で生み出され、精神状態を薬物で管理できるようになった遠い未来を舞台としている。そこでは性的な快楽の追求が肯定され、奨励されてすらいるが、出産とは完全に切り離されている。人間関係はすべて社会全体の利益を損なわないように合理的に配分され、「父」や「母」といった私的で家族的な関係は倒錯的なものだとみなされている。他方でオーウェルの『一九八四年』は主流文学に近い作風である。舞台は近い未来(それが一九八四年)で、ハクスリーの小説のように夢想的な技術が登場するわけではない。人間は人間から生まれているし、家族も残っている。けれどもこんどはこちらでは、全体主義的監視が私的領域を覆い尽くしている。家にはカメラが設置され、家庭内の行動はすべて国家に報告されている。『一九八四年』は、その結果として家族のあいだの愛や信頼が完全に損なわれた世界を描いている。 このふたつの小説は、一般には対照的な未来像を描いた作品として評価されている。実際に読後感もかなり異なる。けれども、いまの要約でわかるとおり、ともに公的な領域が私的な領域を完全に吞み込み、家族の親密性が否定される世界を舞台としている。ハクスリーもオーウェルも、近代の思想のはてには家族の否定があると考えた。そのうえで、男女の私秘的で非公共的な恋愛を軸にして、そんなディストピアが揺るがされる物語を記したのである[★10]。 2 以上のように、家族の否定は、けっして現代日本に特有なものでも、また近年になって発明されたものでもない。それは古代から長いあいだ受け継がれてきたひとつの強い思想である。 本論ではのちにハンナ・アーレントの『人間の条件』という著作に触れる。彼女はそこで、ひとことで要約すれば、私的な欲望を満たし、私的に行動するだけでは人間は人間であることができないと主張している。人間は公的な領域に関わるからこそ人間でいられる。私的な領域に閉じ込められていたのでは動物と変わらない。だから哲学者は公について考えねばならない。のちにぼくはそれとは異なる読解の可能性を提示するが、とりあえず一般的な理解としては彼女はそう考えていた。アーレント以外にも、似た主張を展開した哲学者は数多くいる。 家族を公共と対立させる思想。これは確かにわかりやすい。家族とは常識で考えれば、「私」のエゴに満ちた、閉鎖的で排除的な人間関係の代名詞だ。そして哲学とは、まさにそのようなエゴからひとを解放する営みだ。だとすれば、哲学者が家族を否定するのは当然のように思われる。 けれども、本当に家族とは閉鎖的で排除的な人間関係でしかないのだろうか。否、そもそもそれ以前に、閉鎖的で排除的な人間関係とはなにを意味し、開放的で包摂的な人間関係とどのように違うのだろうか。ぼくはふたたびそこから原理的に考えなおしてみたいと思う。そうすると、家族という言葉とイメージのなかに、ここまでの駆け足の要約には収まりきらない、もっと複雑で、厄介で、ねじれた性質が宿っていることが見えてくるからである。 もういちど『国家』に戻ってみよう。ぼくはさきほど、プラトンの国家論は後世の思想に大きな影響を与えたと記した。 批判がなかったわけではない。プラトン批判は多岐にわたるが、二〇世紀においてもっとも有名なもののひとつが、カール・ポパーが一九四五年に出版した『開かれた社会とその敵』である。ポパーはオーストリア出身の哲学者で、一般には科学哲学の業績で知られている。同書は二部構成で、第一部はずばり「プラトンの呪文」と題されている。 ポパーのプラトン批判は基本的には単純である。彼の批判は「閉ざされた社会」と「開かれた社会」の対立のうえに組み立てられている。 閉ざされた社会とは「呪術的ないし部族的ないし集団主義的な社会」のことである。そこでは個人は社会の一部でしかなく、全体がまとまりをもった「有機体」として捉えられている。それに対して、開かれた社会は、社会全体の有機的なまとまりを欠いた、けれどもそれゆえに逆に「諸個人が個人的決定に直面する社会」のことである。それはいまふうにいえば「自由主義的」で「個人主義的」な社会だが、必ずしも近代に生まれたものではない。ポパーの考えでは、その起源は前五世紀のアテナイに遡る。その誕生を体現するのがソクラテスだ。ポパーは、「閉ざされた社会から開かれた社会への移行は人類が通過してきた最も深遠な革命の一つ」だと記している。 そして、プラトンはまさにその革命を否定する哲学者だった。これがポパーの主張の要である。ソクラテスの言行はおもにプラトンの記録で知られる。けれども彼以外による記録もある。両者を照合したとき、プラトンが師の精神を「裏切」っていたことは明らかだとポパーは主張する。プラトンは『国家』でソクラテスの思想をねじまげて記録し、古代の部族社会をモデルに全体主義的な国家像を再構築しようとした。プラトンは開かれた社会の到来を拒絶し、閉ざされた社会に戻ろうとした反動の哲学者だったというわけだ[★11]。 この批判には頷けるところがある。プラトンがソクラテスの真意を歪めたかどうかはわからないとしても、『国家』の国家論は確かに全体主義的である。さきほど紹介したように、守護者には私的な意志や欲望は認められない。ただ公共への奉仕だけが求められる。これをふつうは全体主義的という。 そして確かに復古主義的でもある。さきほどの紹介では割愛したのだが、プラトンはじつは『国家』を著したあと、晩年に『ティマイオス』と『クリティアス』という短い対話篇を残している。 両篇で展開される対話は『国家』の続きという設定になっている(専門家のあいだでは続きではないという議論もあるらしいが、とりあえずふつうにはそう読める)。そこではソクラテスが、『国家』で提示された過激な提案が実現不可能な夢物語ではない証拠として、『国家』の会話が交わされた翌日、ティマイオスとクリティアスとヘルモクラテスという三人の人物に、古代アトランティスと古代アテナイの物語をしてくれと頼むことになっている。 物語は本当は、三部作で語られるかなり長いものになる予定だったらしい。『ティマイオス』と『クリティアス』はその未完の三部作の二作だと考えられている。だから残された議論は断片的である。第一作の『ティマイオス』は大部分が宇宙生成をめぐる神話的な議論に占められ、あまり社会の話は出てこない。第二作の『クリティアス』でようやくアトランティスの政治体制の話が始まるが、途中で放棄され、第三作の『ヘルモクラテス』は書かれなかった。それゆえプラトンの構想の全貌を知ることはできない。けれども残された部分を読むだけでも、プラトンが、『国家』で語った家族や私有財産の禁止について、自分独自の提案ではなく、過去に存在した理想状態への回帰だと想定していたことは明らかだ。 プラトンの国家論は全体主義的で復古主義的であり、危険である。ポパーのこの批判は現実の政治とも密接に関係している。じつはプラトンの著作は、戦前のドイツ語圏で、ナチスの支持者によって積極的に読まれていた[★12]。実際『国家』には、ナチスの政策に近い主張が含まれている。たとえばプラトンは守護者の子どもについて、「種族」の優秀性を保つため、能力の劣った子を選別し破棄すべきだと記している[★13]。これは優生学の主張にほかならず、ナチスのアーリア神話や人種主義と親和性がある。ナチス的想像力とプラトンの近接性は、ハイデガーのような高名な哲学者のテクストにも表れている。ハイデガーには一九三三年に「ドイツ大学の自己主張」という有名な講演があり、研究者のなかではナチスへの接近を示すものと位置づけられることが多い。この講演はまさに『国家』の引用で終わっている。 ポパーの祖父母はユダヤ人だった。彼は迫害を恐れて、ナチスによる併合直前の一九三七年にオーストリアを脱出している。『開かれた社会とその敵』は、まさにそのナチスの勢力拡大を眺めながら移住先の南半球で書かれ、第二次大戦終戦直後に出版された書物である。ポパーのプラトン批判は、そんな時代状況が要請したものでもある。 さて、以上を要約すれば、ポパーはまず開放性と閉鎖性を対置し、開放性が善だと前提したうえで、プラトンの国家観は閉鎖的だから悪だと批判したのだということができる。ポパーの立論はそのかぎりでとても単純だが、現実にプラトンの著作が全体主義に親和的なものとして読まれた歴史的な経緯を考えれば、だからといって軽視してよいものでもない。 とはいえ、ここではそのような背景を離れ、ポパーの論理そのものを抽象的に検討してみることにしよう。そうすると気になってくるのが、彼の議論に潜む、家族あるいは「部族」のイメージをめぐるねじれである。 ポパーは『国家』に描かれた理想国家のすがたを、繰り返し「部族的」という言葉で形容している。そして、部族的だからだめなのだと批判している。部族は家族に近い言葉である。ポパー自身も両者を区別なく使っており、部族的な国家像を「一大家族」とも形容している[★14]。けれども実際には、ここまで見てきたように、プラトンはむしろ家族的な組織原理を否定していたと捉えるべきである。『国家』は守護者に家族をもつことを禁じている。すなわちポパーは、家族を捨てた人々が建設する国家の構想を、それ自体が部族的=家族的だと批判していることになる。これはいったいどういうことなのだろうか。 このねじれの存在は専門家によっても指摘されている。ギリシア哲学の研究者である納富信留は、プラトンを主題とした著書の一章をポパーによる批判の検討にあてている。そこで彼は、プラトンの理想が古代の部族国家にあったこと、そして部族が一般的に血縁集団で構成されることを認めつつも、「プラトンのポリス論は反対に、血縁や家族の役割を徹底的に削ぐ提案を行って」おり、そのなかでは「集団よりもむしろ個人の素質や能力が重視され」るはずなので、ポパーの批判はあたらないと反論している[★15]。まったく妥当な反論である。 ちなみにそこで納富が傍証に引いているのが、『国家』の第一〇巻に登場する輪廻論である。プラトンは、ひとの魂は不滅で、身体が死んだあとは別の人間や動物のなかに転生すると考えていた。転生先は、前世の血縁や社会階層などとはいっさい関係なく、各人が積み上げた徳や転生時の偶然だけで決まる。この世界観に示されているように、プラトンの哲学は本質において個人主義的であり、ポパーはその性格を捉え損ねているというのが納富の考えである。だとすれば、『国家』の理想国家論も、血縁に頼る古代的な部族への回帰ではなく、むしろ個人と個人の関係をもとに再構築される「新しい部族」の提案だったと理解するのが正解だったのかもしれない。その場合は、ポパーの批判はたんに的外れだったということになろう。 けれども、ぼくはここではもう少しそのねじれそのものにこだわりたいと思う。というのも、ぼくはその混乱に、ある関係を「開かれたもの」だとみなし、別の関係を「閉ざされたもの」だとみなす、その区別そのもののむずかしさが表れているように感じるからである。 開放性と閉鎖性は、本当はそれほどはっきりと区別できるものではない。だからポパーの批判はねじれを抱えてしまう。ぼくはむしろそう考えたい。『開かれた社会とその敵』からもうひとつ例を挙げてみよう。 前述のように同書は二部構成になっている。第一部がプラトン批判にあてられ、第二部ではヘーゲルとマルクスが批判の対象になっている。とりわけ強く批判されているのはヘーゲルだ。 そこで展開されるヘーゲル批判は、プラトンへの批判よりさらに激しい。同書によれば、ヘーゲル哲学は、古くさい有機的な国家観を「大言壮語する言葉の魔術と隠語の力によって」強引に正当化した「部族主義のルネッサンス」にすぎず、まったく内容がない。にもかかわらずそれが一九世紀から二〇世紀にかけてのヨーロッパの知的世界で成功を収めたという事実は、「文明の敵に対するわれわれの文明の抗争史上最大の詐欺」であり、「道徳的無責任の時代」の幕を開きファシズムを用意するものだったと、ポパーは口を極めて罵っている[★16]。一事が万事、こんな調子で進んでいく。 このような表現はあまりに強烈で、哲学的な批判というよりプロパガンダを思わせる。けれども全面的に首肯できないわけではない。ヘーゲルの著作が抽象概念のオンパレードで、同語反復ばかりなことはよく知られている。 全体主義を準備したとの批判にも妥当性がある。たとえば、一八二一年に出版され、ヘーゲルの主著のひとつとみなされている『法の哲学』には、「なんびとにとっても、国家のうちにあるということは絶対的に必然」であり、「国家が存在するということが人間世界における神の歩み」だという強い表現がある[★17]。ヘーゲルは、ひとは国家の一員にならなければ「主体」として完成しないと考えた。だから彼は、はじめにばらばらな個人がいて、それが集まり、相互の安全を確保するために契約して国家を設立するといった、いわゆる社会契約論を認めなかった。人間は主体であるためには国家に所属しなければならない。国家に所属しない個人なるものは、そもそも主体になっておらず、責任ある人間になっていない。だから契約もできない。ヘーゲルの哲学においては、国家は個人よりもまえに存在するのだ。 けれども、少しでも『法の哲学』を読めばわかるように、ヘーゲルの国家論を「部族主義のルネッサンス」と捉えるのはやはりむずかしい。ポパーの議論はここでも似たねじれを抱えている。 ヘーゲルの国家論はつぎのような論理のうえに組み立てられている。彼は人間と人間の関係を「人倫」と呼ぶ。それは「家族」「市民社会」そして「国家」の三つの段階を通って発展するとされている。「家族」は愛に支えられた関係で、自己と他者が一体になっている。つぎに「市民社会」が現れる。そこでは自己と他者の一体性は破壊され、他者は自分の目的を実現するための手段にすぎなくなってしまう。 ヘーゲルはここでいちど、親密な「家族」と個人主義的な「市民社会」をはっきりと対置させている。そのうえで『法の哲学』は、いままでの哲学は両者の対立を乗り越えられなかったという認識を示し、つぎに「国家」をそれを乗り越えるものとして再導入している。その過程は、ヘーゲル自身の言葉を借りれば「個人の自立性と普遍的な実体性とのとてつもなく大きな合一がそこで起きるところの精神」となるが[★18]、ここでは彼の難解な表現につきあう必要はない。肝心なのは、ヘーゲルの哲学において、国家が、家族と市民社会の対立、ポパーの言葉でいえば「閉ざされた社会」と「開かれた社会」の対立を止揚する存在として考えられているということだ。にもかかわらず、ポパーはそれを閉ざされた社会の回帰として批判しているのである[★19]。 3 以上のふたつの例は、開かれた社会と閉ざされた社会、市民社会と家族、公的領域と私的領域といった対立そのものが、哲学的に考えるとあまりにも単純なものであることを示唆しているように思われる。 ぼくはさきほど、哲学は公について考える営みなのだから、家族を否定するのは当然かもしれないと記した。それはポパーの言葉で表現すればつぎのようになる。哲学は開かれた社会について考える営みである。社会を閉ざすものは批判しなければならない。家は閉じている。だから家は批判され解体されねばならない。 けれども実際にはそのような批判はうまくいかない。ポパーは閉ざされた社会を批判しようとした。それは確かに成功した。けれども彼は同じ論理で、閉ざされた社会の外に出ようとしたはずのプラトンも、さらには閉ざされた社会と開かれた社会の対立そのものを乗り越えようとしたヘーゲルも、同じように閉ざされた思想として批判せざるをえなくなってしまっている。 その事態はつぎのようにも表現できる。プラトンは家族の外に出ようとした。ヘーゲルも家族の外に出ようとした。にもかかわらず、結果として構想された社会は、ポパーにはともに家族的なものにしかみえなかった。家族の外にも家族しかなかった。この逆説はいったいなにを意味しているのだろうか。 哲学と異なる視点も導入しておこう。ぼくはここまで、プラトンもヘーゲルもロシアの共産主義者も日本のリベラルも、みな同じ「家族」なるものについて語ってきたかのように話を進めてきた。 けれども現実には家族のかたちは時代と地域によって異なる。家族とひとことでいっても、古代ギリシアと近代ヨーロッパと日本とでは、それぞれかなり形態が異なっている。そしてその多様性は、社会構造や思想にも大きな影響を与えていることが知られている。 家族の多様性について考えるとき、必ず参照されるのがエマニュエル・トッドである。トッドは哲学者ではない。人類学者で歴史学者である。けれども彼の仕事は、ポストモダニズムが影響力を失ったあと、もっとも注目すべき社会思想のひとつだと考えられている。そのトッドによれば、人類の家族は大きく三つに分類される。「核家族」「直系家族」「共同体家族」である。 核家族とは、日本の都市部でいま一般的にみられるような、夫婦がいて子どもがいるだけの小さな家族のことである。この形態においては、子どもは成人し、結婚したら別の世帯をつくって家を離れなければならない。だからひとつの家にはつねに二世代(親と子)しか住んでいない。 直系家族は、子どものひとりが跡取りになり、結婚後も同じ世帯に残り続ける家族のことである。だからひとつの家に三世代が同居するときがある。日本で戦前の旧民法で制度化されていたのがこの形態で、それゆえトッドの著作では日本は直系家族が支配的な地域に分類されている。 そして最後の共同体家族とは、男女で役割が異なり、女子が結婚したら夫の世帯へ移る一方、男の兄弟すべてが結婚後も同じ世帯に残る家族形態を意味する言葉である。そこでは、ひと組の夫婦のもと、複数の息子の妻子が同じ屋根のしたに暮らすことになる。いわゆる大家族を想像すればよいだろう。 この分類そのものは一九世紀まで遡るもので新しいものではない。ただし、かつては共同体家族がもっとも原始的で、産業革命が起きて近代化が進み、社会の流動性が高まった結果、いまでは核家族が目立つようになったのだと信じられていた。そのようなイメージは、古代人の社会を狩猟民の大家族として描く娯楽作品にいまでも継承されている。ところがトッドの研究は、そんな常識に反して、核家族こそがもっとも古く普遍的な形態であることを明らかにした。共同体家族は、歴史上のある時点でユーラシア大陸の中央部に誕生し、急速に拡散した新しい形態であるらしい。日本が直系家族の地域なのは、地理的に辺境で、家族形態の革新が届かなかったためだと考えられている。同じように、ユーラシア大陸のほかの周辺部にも核家族や直系家族の地域がところどころ残っている。ヨーロッパのほうを調べると、イングランドでは核家族が、ドイツでは直系家族が支配的であることがわかる。 共同体家族がいつ生まれたかはわかっていない。ただしトッドはある著作のなかで、中国北部において、直系家族から共同体家族への転換が、紀元前後の数世紀、秦漢帝国の成立とほぼ同時期に起きたという仮説を提示している。 トッドによれば、漢の封建制度は「長子相続の廃止」と「兄弟間の平等」を原理としており、共同体家族の特性を反映している。他方で秦漢以前の殷や周の制度は直系家族の特性を反映しており、その性格は残された法や文書から読み取れるという。日本では一般に、殷周期は共同体家族に近い「氏族」が統治する都市国家の時代で、続く春秋戦国期になって氏族制が崩れ、封建制度に移行するのだと教えられている。それゆえ、殷周こそ直系家族の時代だというこの仮説が歴史学的にどれほど妥当なのか、ぼくには判断することができない。 ただ、家族形態と社会制度を比較して検討するトッドのこの視線は、中国史のさまざまな問題に新たな光をあててくれるようには思う。それは思想の読みかたも変える。たとえばトッドは同じ著作のなかで、「周時代に創設され最初の成功を収めた儒教は、典型的な直系家族イデオロギーである」と指摘している[★20]。孔子は直系家族の思想家だった。もしその位置づけが正しいのだとすれば、儒教がのち形骸化し、儀礼化し、官僚国家の道具へ変化していくのは、思想的な是非以前に、単純に人々が直系家族の時代を忘れていったからだという説明もできるだろう。家族の変化は、人々の社会の捉えかたそのものを変えてしまうのである。 さて、そんなトッドは、本論のここまでの議論に関わるつぎのような指摘も行なっている。 前述のように家族には三つの類型がある。そのなかでは共同体家族がもっとも新しいものなのだが、さらにそのなかで「外婚制」という特殊な性質をもつ家族形態の分布を調べるとおもしろいことがわかる。トッドによれば、じつはそれは、二〇世紀に共産主義国家が成立した、あるいは共産主義が政治的に大きな力をもった地域の分布とぴたりと重なっている。具体的には、ロシア、中国、旧ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ハンガリー、モンゴル、ヴェトナムといった国であり、またフィンランド北部やイタリア中部といった地域である。 トッドの考えでは、この一致はつぎのような理由で生じている。共同体家族は、特定の跡継ぎを指定せず、ひとりの父のもとで兄弟が平等に暮らす家族である。したがって、政治的な権威主義と経済的な平等主義が受け入れられやすい。ひらたくいえば、「偉大な父」の庇護のもと、みなが平等な条件で暮らす社会という理想が共有されやすい。それゆえ共産主義が根づいたというのだ。 共産主義の分布がある特定の家族形態の分布と重なっている。この発見は単純だが、それだけに衝撃的である。なぜならばそれは、共産主義による家族の否定そのものが、共同体家族という特定の家族が生み出したイデオロギーでしかなかった可能性を示唆するからだ[★21]。 革命は家の否定から始まった。革命後のソ連では、労働者が家庭に滞在する時間をできるだけ少なくし、共同生活の場にひきずりだすような住宅の改革が試みられていた。にもかかわらず、もしその家の否定が、それ自体特定の家族形態によって支えられる価値観でしかなかったのだとすれば、これはどのように考えればいいのだろう。だとすれば、プラトンやヘーゲルによる家族の否定もまた、同じように別の家族形態に支えられていたのかもしれない。もしそうだとすれば、ポパーがそれらをみな「部族主義」と称したこともあながち誤りではなかったことになるが、同じ疑念はむろんポパー自身の「開かれた社会」の思想にも向けることができる。 実際にトッドは、共産主義だけでなく、ほかの政治思想もそれぞれ特定の家族形態に支えられて現れているのだと主張している。彼は「二〇世紀の歴史を決定したイデオロギー分布の源には、家族の存在があったのである」と断言している[★22]。たとえば彼の分析によれば、フランス革命の理念は、パリ盆地で支配的だった「平等主義核家族」と切り離せない関係にある。平等主義核家族とは、親子のあいだに束縛がない核家族の性格を維持しつつ、兄弟のあいだの財産の平等にも配慮した家族形態のことである。自由と平等の理念は、その特徴のイデオロギー的な表現にほかならない。またトッドは、ドイツと日本で直系家族が支配的だったことが、ともに近代の一時期、極端な民族中心主義を展開したことと関係しているのではないかと推論している。跡継ぎをひとりだけ指定し、ほかの兄弟を世帯から追い出してしまう直系家族は、支配者の権威を高め、市民間の不平等を受け入れる土壌を育むからである[★23]。 トッドは、ポパーが「開かれた社会」の特徴だと考えた個人主義と自由主義についても似たような考察を展開している。詳しい論証はトッドの著作にあたってほしいが、彼の調査によれば、イングランドはもともと「絶対核家族」が支配的な数少ない土地のひとつだった。絶対核家族は、親子のあいだに束縛がないだけでなく、兄弟のあいだの財産の平等にもほとんど関心を向けない、いわば核家族の純粋種である。そのような家族形態を基礎として育まれた、たがいに束縛もなければ関心も低いいわば「ドライ」な人間関係のありかたが、個人主義と自由主義を生み出し、のちに産業革命と結びついて全世界に広がることになった。それがトッドが考える近代リベラリズムの歴史である。もしもこの仮説が妥当なのだとすれば、ポパーの「開かれた社会」の構想もまた、しょせんは特定の家族類型のイデオロギーであり、もうひとつの「部族主義」でしかないということになるだろう。 したがって、家族の外にも家族しかないというのはたんなる哲学的な逆説ではない。それはトッドにしたがえば人類学的な真実なのだ。 プラトンも共産主義者もポパーもみな、家族を否定し、自由な個人が集う開かれた社会を構想しようとした。にもかかわらず、みな別の家族のイデオロギーのなかでしか動けなかった。家族という言葉には、そのようなとても強い支配力がある[★24]。 家族は狭い。そして小さい。だからぼくたちは家族を超えて社会をつくる。公共をつくる。多くのひとがそう信じている。 けれども、ここまでの議論が示唆するのは、もしかしたらそんなのはすべて幻で、ぼくたち人間はしょせんは家族をモデルにした人間関係しかつくれないのではないかという疑いである。家族のかたちが異なるだけで。 第2章 │ 訂正可能性の共同体 4 哲学は家族を否定し続けてきた。一方に家族的で私的で閉ざされた領域があり、他方には家族を超えた公共的で開かれた領域があると信じてきた。 けれども、前章の議論で示したように、家族的なものと家族的でないものの区別はそれほど明確なものではない。しかもその曖昧さは、たんなる論理的な不備ではなく、人間の思考そのものの限界を示している可能性がある。社会は確かに家族よりも広い。にもかかわらず、ぼくたちはその社会なるものについて、結局のところ特定の家族形態に頼ることなしには想像したり議論したりすることができないのかもしれない。もしも共産主義が共同体家族のイデオロギーでしかなく、自由主義もまた絶対核家族のイデオロギーでしかなかったのだとすれば、二〇世紀の長い冷戦はしょせんはふたつの「家族」の争いでしかなかったことになる。そのような可能性について、哲学はいままでなにも考えてこなかった。 それゆえ、ここからさきは、家族という言葉について、いままでのような二分法に頼って語るのをやめることにしよう。すなわち、家族という言葉を、開放的で公共的な領域と対置された、「親密」で「閉鎖的」で「私的」な領域を名指すものとして使うのをやめて、むしろ、閉ざされたものと開かれたもの、私的なものと公的なもの、親密なものと親密ではないものの対立を横断して規定するような、より柔軟な関係概念として捉えなおしてみよう。 ぼくたちは家族についてしか語れない。家族の外に出ることができない。いくら家族から離れても、そこにもまた家族を見出してしまう。だとすれば、そのさきに進むためには、家族の概念そのものを再定義する必要があるのではないか。 あらためて家族とはなにか。この章では同じ哲学でも、プラトンやヘーゲルやポパーとは異なるタイプの哲学を参照して考えてみたい。 ウィトゲンシュタインは二〇世紀でもっとも有名な哲学者のひとりである。そしてもっとも謎めいた哲学者のひとりでもある。 彼は一九二二年に三〇代前半の若さで『論理哲学論考』という著作を発表した(雑誌初出は前年)。この本はまるで論理学の教科書のようなスタイルで記されている。そこで披露されているのは、自然言語の文(命題ともいわれる)は、詩など特殊なものをのぞいてすべて世界の事象と対応して真偽が決まるべきであり、哲学はその対応の基礎づけとしてあるべきだとの信念である。ひとことでいえば、ウィトゲンシュタインは、世界の謎は、言葉をちゃんと論理的に使えばほとんどが解消されると主張した。この著作は同時代の哲学者に絶大な影響を与え、いまでも古典として読まれている。 ウィトゲンシュタインの名前は、この『論理哲学論考』だけでも十分哲学史に残っただろう。ところが彼はそのあとふしぎなキャリアを歩む。 ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を書き上げたあと、哲学から離れると宣言して周囲を驚かすことになる。そして実際に出版を待たずにオーストリアの田舎に引きこもり、小学校教師になってしまう。彼はじつはヨーロッパでも有数の資産家の息子であり、たいへんな財産をもっていたのだが、それもすべて放棄してしまう。けれどもそんな教師生活も五年ほどで破綻し、一九二〇年代末には大学に戻ることを余儀なくされる。しかしそのあとも少数の学生に向けて講義するだけで、著作や論文はいっこうに発表しない。最終的に一九五一年に六二歳で亡くなるが、生前に発表した文章は、『論理哲学論考』のほかは、教師時代に著した子ども向けの小さな辞典と短い論文ひとつが知られているだけだ。 なぜそんなふしぎなキャリアを歩んだのか。研究者のあいだでは、彼の何十年もの沈黙は、ある時期以降、かつての自分の思想に懐疑を抱き、そこから決別したことに起因すると考えられている。その懐疑による断絶はきわめて深いので、この哲学者について語る場合は、ふつう『論理哲学論考』のころの「前期」とその思想を疑い始めて以降の「後期」に分けることが多い。 後期のウィトゲンシュタインは、前期とはまったく異なる言語観に基づいた、まったく異なるタイプの哲学を模索し続けた。その歩みは、学生が残した講義ノート、口述のタイプ原稿のほか、一九三〇年代から一九五一年の死まで、二〇年間にわたって断続的に執筆された大量の草稿に記録されている。ほとんどは未完成の断章だったが、ウィトゲンシュタインは一九四〇年代にいちどだけ刊行を試みたことがあった。彼はそのとき草稿の一部をまとめ、序文まで用意して出版社と交渉を行なっている。結局それは実現しなかったのだが、彼の死のあと、刊行を予定されていた部分が弟子の手で『哲学探究』という題名をつけて公刊された。そしてこちらもまた二〇世紀の哲学に、『論理哲学論考』と同じか、あるいはそれ以上の衝撃を与えることになるのである。 さて、そんなウィトゲンシュタインをここで呼び出したのは、まさにその後期の『哲学探究』に、「家族的類似性 Familienähnlichkeit」というたいへん重要な、そして印象深い表現が現れるからである。 家族的類似性そのものは理解がむずかしい概念ではない。たとえば、父がいて、母がいて、息子がいて、娘がいたとする。父と息子は背恰好が似ている。父と娘は目もとが似ている。母と息子は口もとが似ている。母と娘は話しかたが似ている。彼らはそれぞれ似ていて、明らかに同じ家族だとわかる。けれども全員に共通の特徴を取り出すことはできない。そういうことはよくある。これが家族的類似性である。 なぜこの言葉が重要なのか。そこをきちんと理解するためには、もうひとつ「言語ゲーム Sprachspiel」という概念について知る必要がある。言語ゲームは後期ウィトゲンシュタインを代表する概念で、彼の哲学に興味がなくても、多くの哲学入門書に登場するので聞いたことがあるかもしれない。 前期のウィトゲンシュタインは、言葉は世界を記述するためにあると考えた。だからすべての文=命題は、その構造をしっかり分析し、世界との対応関係を定めれば真偽が決まるはずだと主張した。 対して後期の彼は、ひとは言葉を使ってゲームをしているだけだと考える。たとえばあなたのまえに石板があるとしよう。横にはまったく言葉の通じないひとがいる。そのとき相手が、石板を指さしてなにかを叫んだとする。あなたはそれをどのように解釈するだろうか。聞こえるのは耳慣れない音声だけだ。だから解釈にはさまざまな可能性がある。相手は言葉を教えてくれているのかもしれない。その音声は石板という意味の名詞なのかもしれない。けれども「それをもってこい!」という意味の命令文かもしれない。あるいは単純に怒りや喜びの発露なのかもしれない。そのいずれの解釈が正しいかは、音声そのものをいくら分析しても決まらない。正しいかどうかがわかるのは、そのあとのあなたの行動に対して、相手が新しい返答を返してきてからだ。むろんそれでもなにもわからないかもしれない。 発話の意味は、発話そのものをいくら分析しても明らかにならず、発話外の状況によってしか決まらない。ウィトゲンシュタインはそのような状況を「言語ゲーム」と呼び、それこそが自然言語の原初的な条件だと考えた。ひとは辞書と文法書で言葉を学ぶのではない。チェスやサッカーをプレイしながら学ぶように、実際に発話を繰り返しながら、試行錯誤でその規則を学んでいくしかないのである。 5 これそのものは驚くほどの指摘ではない。にもかかわらず言語ゲームの概念が哲学的に注目を浴び続けているのは、ウィトゲンシュタインがそこにつぎのような逆説的発見を付け加えていたからである。 ひとは言葉を使ってゲームをしている。そう聞けばふつうは、発話者つまり「プレイヤー」は、自分がなんのゲームをプレイしているか、いかなる規則に従っているかぐらいは理解しているはずだと考える。チェスのプレイヤーが、目のまえの盤面がチェスのものであることを認識し、チェスの規則に照らして駒を動かしているように。 けれどもウィトゲンシュタインは、そのような常識に反し、言語ゲームにおいては、プレイヤーは自分がなんのゲームをプレイしているか理解することができないし、またどんな規則に従っているかも理解することができないと主張したのである。つまり、いったいなんのゲームをプレイしているのかわからないまま、ただプレイだけを続けている、それこそが言語の本質だと主張したのだ。この発見が多くの哲学者を驚かせた。 なぜそのような発見が導かれるのだろうか。さきほどの例に戻ってみよう。ただしこんどは、あなたが声を出すと仮定してみる。 あなたが「石板!」と叫ぶ。あなたはそれをどのような意図で発したのだろうか。むろん相手に石板の名前を教えるためだったかもしれない。けれども「もってこい」という意味で「石板!」と叫んだのかもしれない。きれいだとか大きいだとかの理由で、感嘆を込めて「石板……!」と叫んだ可能性だってあるだろう。相手からすればすべて同じ叫びである。発話が「教える」というゲームのものなのか、「命令する」というゲームのものなのか、どちらとも異なるものなのか、それを定めることができるのはあなただけだ。 けれども、そこで自分がいかなるゲームをプレイしていたのか、どこまで確実に定めることができるだろうか。たとえば最初に「石板!」と叫んだとき、あなたは名前を教えることを意図していたとする。にもかかわらず相手は石板を手に取り、あなたのもとに運んできた。つまり命令として機能してしまった。あなたは面倒なので、しばらくのあいだ訂正せず、あとになって「さきほどの発声は名前を教えるものだった」と説明したのだとしよう。相手はそれで納得した。けれどもそこに第三の人物が現れて、でも実際は相手は石板を運んでいたのだし、あなたはその行動を訂正しなかった、だから最初の発話はそもそも命令だったに違いない、いまになって石板の名前だと言いだすのはごまかしだと告げられたら、反論できるだろうか。 ウィトゲンシュタインが『哲学探究』で示したのは、じつはこのような指摘に反論することはとてもむずかしい、というよりも原理的に不可能だということである。ぼくたちはふつう、自分の意図は自分がいちばんよくわかっていると考えている。けれども、その意図は現実には見ることも触ることもできない。だからいくらでも他者によって遡行的に再解釈可能なのだ。 近代ヨーロッパの哲学は、自分が自分の考えをいちばんよくわかっていることを前提にしている。一七世紀のデカルトの「我思うゆえに我あり」から二〇世紀のフッサールによる超越論的現象学の構想まで、その自明性はほとんど疑われていない。ウィトゲンシュタインの主張は、その前提にまっこうから挑戦している。だから多くの哲学者に驚きを与えた。 けれどもそれは哲学の世界を離れれば、逆説でもなんでもない、ありふれた現実の再発見にすぎないともいえる。ぼくたちは言葉を発しているとき、自分がなんのゲームをプレイしているかわかったつもりになっている。たとえば恋人にむかって愛の言葉を囁いているときは、恋愛のゲームのなかにいると思い込んでいる。けれども、現実にはそこにはつねに、第三者がやってきて、じつはおまえはいままでずっと別のゲームをプレイしていたのだ、相手は本当は恋人ではなく、おまえを愛しておらず、したがっておまえの言葉も愛の言葉としては機能しておらず、おまえはずっとハラスメントをしていたのだと指摘される可能性がつきまとっているのだ。そこで、いや、自分としてはずっと恋愛のつもりだった、ハラスメントの訴えはおかしいと反論したとしても、それはもはや有効な反論にならない。ウィトゲンシュタインの発見は、そのような事例に引きつけると理解しやすい。 ぼくたちはみな言葉を使ってゲームをしている。そこでは複数のゲームが重なりあっている。そのため、あるゲームをプレイしていたつもりが、いつのまにか別のゲームのなかに入り込んでしまうことがある。それがウィトゲンシュタインが考える言語ゲームの世界である。 それでは、それら複数のゲームはたがいにどのような関係にあるのだろうか。いいかえれば、言語ゲームにはどれほどのタイプがあり、共通する本質はいったいなんなのだろうか。その本質が解明されれば、愛のゲームとハラスメントのゲームがどのように違うのか、なぜ一方から他方に移行してしまうのか、答えが導けるかもしれない。 けれども、ウィトゲンシュタイン自身はけっしてそのような探究を行わなかった。彼はむしろ、言語ゲームにはそもそも共通の本質なるものがなく、その本質の欠如こそが重要なのだと主張していた。 前述の家族的類似性という言葉はまさにここで登場する。ウィトゲンシュタインは『哲学探究』でつぎのような議論を展開している(第六六節から第六七節)。そもそもゲームにはさまざまな種類がある。ボードゲームもあるしカードゲームもある。チェスもあればテニスのようなスポーツもある。子どもの遊戯もある。ぼくたちはそれらをすべてゲームと呼んでいるが、ではそこに共通の本質を取り出すことができるだろうか。特定のふたつだけを取り出せば、ボールを使う、ふたりで遊ぶ、勝ち負けがあるなどなど、共通の特徴をもろもろ指定することができるかもしれない。けれども明らかに、上記の例すべてに共通する特徴はない。 そのうえで彼は続ける。「わたしはこのような類似性を、「家族的類似性」という言葉によってより以上によく特徴づけることができない。なぜなら、ひとつの家族の構成員のあいだで成立しているさまざまな類似性、体格、容貌、目の色、歩きかた、気質などなども、同じように重なりあい、交差しあっているからである。──だからわたしは、「ゲーム」はひとつの家族を形成しているといおう」[★25]。 ぼくたちはみな言葉を使ってゲームをしている。そこでは複数のゲームが重なりあっている。そしてそれら複数のゲームは「家族」を形成している。ゲームは相互に家族のように似ており、交差しあっている。だから発話者は、教育のゲームから命令のゲームへ、あるいは愛のゲームからハラスメントのゲームへと、自分でも気がつかないまま移動してしまうことがあるのだ。 以上のように、『哲学探究』においては「家族」という言葉が核心的な場所で現れている。その言葉は、言語ゲームの厄介な性質を包括的に記述するための、ほとんど唯一の比喩として登場している。 そしてここで注目してほしいのが、ウィトゲンシュタインのこの家族の比喩が、第一章で検討した哲学者たちのそれとは対照的な含意をもつものとして使われていることである。 プラトンやヘーゲルやポパーにおいては、家族とはまずは共同体の閉鎖性を意味していた。ある共同体に属するとは、ウィトゲンシュタインが好む言葉でいいかえれば、その共同体を支える「規則」に従い、固有の「ゲーム」に参加することを意味している。プラトンたち哲学者は、家族という共同体においては、そのゲームが固く閉じられていると考えた。家族にはそれぞれ固有の慣習(規則)がある。それはぼくの家とあなたの家では異なるし、あなたの家とあなたの友人の家でも異なる。ひとは、生まれ落ちた家にとどまるかぎり、特定のゲームの外に出ることができない。だからこそ、彼らは、開かれた社会をつくるために、まずは人々を家から引き離さねばならないと考えたのである。 けれどもウィトゲンシュタインの「家族」は、それとはまったく別のありさまを意味している。ゲームには本質がないので、発話者はあるゲームから別のゲームへいつのまにか移動してしまう。それが言語ゲーム論の中核の主張だったが、ウィトゲンシュタインはそこで、その移動の不可避性を根拠づけるためにこそ「家族的類似性」という言葉を提案している。つまりは彼は、家族の比喩を、共同体が閉じているさまではなく、むしろ閉じることができないさまを意味するものとして使っているのである。 ぼくはさきほど、家族を、開放性と閉鎖性を横断して規定するような、より柔軟な関係概念として捉えなおしたいと記した。その企てにおいて、このウィトゲンシュタインの用法はよい出発点になる。 というわけで、ここからさきはウィトゲンシュタインのその家族の用法の可能性を最大限に展開し、新たな概念へと育てたいのだが、じつはそのためにはウィトゲンシュタインの言葉そのものからあるていど離れる必要がある。 というのも、じつは後期ウィトゲンシュタインの哲学はたいへん変わったスタイルで記されており、要約や応用がきわめてむずかしいものだからである。ここまでの説明もかなり無理をしている。 そもそもこの哲学者については、専門家のあいだでは、特定の理論や体系を取り出すこと、それそのものが誤りだと指摘されることが多い。たとえば古田徹也は『はじめてのウィトゲンシュタイン』という著作で、「ウィトゲンシュタイン自身の議論の企図はむしろ、ひとつの理論だけで多様な物事をまとめ上げようとする硬直化した思考を解すことにある」のであり、特定の理論の構築にはなかったと注意を促している[★26]。その警告に照らせば、「家族的類似性」の「家族」に注目し、新しい家族論の基盤にしようという本論の狙いは、まさにウィトゲンシュタインの意図を読み違えた「硬直化した思考」ということになる。 ぼくはそのような批判の可能性を承知している。けれどもそのうえで、本論の目的はウィトゲンシュタインの忠実な読解にはなく家族の概念の再検討にあるのだから、そのような読み替えを進めてよいと割り切っている。ここからさきは、ソール・クリプキという別の哲学者を導きの糸として議論を進めることにしよう。 6 クリプキは一九四〇年生まれで、日本の思想家でいえば柄谷行人と同世代の哲学者である。若くして伝説的な論文を記し、アメリカの哲学界では大きな影響力をもっている。けれども著作は長いあいだ二冊しか存在しなかった(七〇歳を越えてから論文集と講演集が一冊ずつ出版されている)。影響力のわりに著作が少ない点は、ウィトゲンシュタインに通じるところがある。 その二冊のひとつが、一九七六年の講義をもとに、一九八二年に単行本として出版された『ウィトゲンシュタインのパラドックス』である。クリプキはそこで、後期ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論を再検討することで、とても興味深い共同体論に辿りついている。そしてぼくは、その共同体論こそが新しい家族の概念の基礎になると考えている。 どういうことだろうか。ウィトゲンシュタインは、人間の言語的なコミュニケーションのなかに、「自分がなんのゲームをプレイしているのかわからないまま、ただプレイだけを続けている」という厄介な性格を発見した。クリプキは同じ性格をあらゆるコミュニケーションのなかに見出している。クリプキは、ひとことでいえば、ウィトゲンシュタインの直感的な洞察を論理学的に緻密な理論に変えた人物だ。 具体的に紹介しよう。クリプキは著作のなかでたいへん印象深い思考実験を展開している。たとえば加算という基礎的な算術を考えてみる。あなたはいままで、「+」という記号を用いてその算術を支障なく遂行してきた。 そこでいま「68+57」という数式に出会ったとする。それはあなたが出会ったことのない数式だった。むろんこの例どおりのことはありえないだろうが、あなたがいままで行なった計算は有限のはずだから、初見の数式は必ず存在する。その数式に置き換えればこの架空の状況は成立する。とにかく、そのような「はじめての計算」でも、あなたはなんらかの答えを返すことができる。それが加算の「規則」を知っているということだからである。 というわけで、あなたは「125」と答えを返す。ところがここでクリプキはつぎのような懐疑論者を連れてくる。 懐疑論者はあなたに対して、「125」ではなく「5」と答えるべきだったと主張する。あなたはなぜと問うだろう。そうすると相手はつぎのように答える。 あなたはどうやら、自分がいままでどのような規則に従ってきたか、わかっていなかったようだ。あなたは「+」という記号は加算を意味すると信じてきた。そして実際、それで正しい答えを出してきた。けれどもその「+」という記号は、じつは加算(プラス)ではなく、それにそっくりな「クワス」という別の演算を意味していたのだ。クワス算の答えはあるところまでは加算と同じだが、「125」以上に大きくなると「5」になる。あなたはいままで「+」を使って、「125」より小さい結果が出る計算しか行なったことがなかった。だからあなたは、加算とクワス算の差異にたまたま気がつかなかった。けれども本当は、自分では気づかなかっただけで、いままでもずっとクワス算を行なってきたのだ。だから今回も、加算ではなくクワス算に従い「5」と答えを返すべきなのだと。 この主張は直感的にはバカげている。にもかかわらず、クリプキの検証によれば、じつはこの主張に反論することは原理的に不可能である。反論のためには、あなたが「+」という記号で、それまでずっとクワス算ではなく加算を意味していたことを証明しなければならない。けれどもそれができないのだ。 加算とはなにか、別の方法で説明すればいいと考えるかもしれない。たとえば、自分にとって「+」の記号は、片方の数について指を折りながら1からその数になるまでを数え(つまり68まで数え)、続けてもうひとつの数をそれに加えるかたちで最後まで数えて(つまり69に始まり125まで数え)、それで最後に到達した数を答えとすることを意味していた、自分はいままでそうやって答えを出してきたのであり今回も同じ規則に従った、そうしたら結果は「125」になったのであり、だからこの答えでいいのだと説明を試みるかもしれない。ところがクリプキによれば、懐疑論者はそのような反論に対しても、さきほどとまったく同じ理屈で再反論を返すことができる。いわく、あなたがいままで行なってきたのはじつは数えること(カウント)ではなく、それとそっくりな「クワウント」という別の作業で、それはあるところまではカウントと同じ結果を返すが、答えが「125」以上になるとすべて「5」になるというものだったのだ、あなたは自分で指を折り曲げていたにもかかわらず、自分がカウントではなくクワウントの作業を行なっていることに気がついていなかった、だから今回の答えはやはり「5」になるべきなのだと。 クリプキの懐疑論者は、このようにして、およそあらゆる反論を再反論で論破することができる。それゆえぼくたちは原理的に、自分がいま加算を行なっているということを証明することができない。示すことができるのは、せいぜい、「+」という記号を使い、なにか計算らしきものをやっているという事実だけなのだ。 繰り返すが、このような懐疑論者の主張はまったくバカげており、典型的な屁理屈である。それはクリプキもわかっている。 にもかかわらずこの思考実験が重要なのは、それによって、ウィトゲンシュタインが発見した「自分がなんのゲームをプレイしているのかわからないまま、ただプレイだけを続けている」という性格が、けっして自然言語の曖昧さに起因するものではなく、数学や論理学を含む科学的な知一般の条件であることが示されてしまったからである。ぼくはここでは説明をかなり単純化しているので、納得できないひとはクリプキ自身の著作にあたり、厳密な論証を追ってほしい。ぼくたちは、自分がある言葉や記号でなにを意味しているか、じつは自分でもわかっていない。その無知は、日常の言語だけではなく、自然科学も覆っている。 クリプキはつぎのように記している。「なにかの言葉でなにかを意味するといったようなことはありえない。新しい言葉の適用ひとつひとつが暗闇のなかの跳躍であり、どのような現在の意図も、これから選択するかもしれないいかなる行為とでも調和するように解釈することができるのである」[★27]。 この主張はおそろしく破壊的である。なぜならばそれは、規則も意味も本当は実在せず、現在の行為を支えているはずの規則や意味は、未来の行為に照らしていくらでも論理的に遡行的に書き換えることができるということを意味してしまっているからだ。いままでと同じ規則に従って行動している、いままでと同じ意味で発話しているといった主張は、もはやいかなる実質的な意味ももたない。それは未来の「いかなる行為とでも調和するように解釈することができる」。これがクリプキのいう「ウィトゲンシュタインのパラドックス」である。 7 とはいえ、現実には規則も意味もしっかり実在している。クワスを主張する懐疑論者が現れることはないし、現れたとしても排除される。少なくとも、ぼくたちはそう信じて言葉や数式を使用している。 だからこそ、クリプキはこの発見を「パラドックス」と呼んだわけである。懐疑論者の問題提起は論理的には正しい。それに従えば規則も意味も成立するわけがない。けれども実際には、その逆説は日常においてあっさりと回避されている。いったいなぜそんなことが可能なのか。 これはとても重要な問いである。クリプキはまさにこの謎を解こうとして、共同体をめぐる議論に向かうことになった。 彼がまず提起したのは、規則や意味という概念は、特定の行為が成功したのか失敗したのか、その成否を判定する他者がいなければそもそも成立しないのではないかという疑いである。 たとえば、あなたが「わたしはいま「+」で加算を意味している」と考えたとする。そして実際にそう計算していたとする。けれどもその命題は、あなたがひとりでそう考え、ひとりで加算を行なっているかぎり、じつはまったく実質的な意味をもっていないのではないか。それは空虚な命題だから、真偽を定めることができず、したがって懐疑論者を退けることもできない。そのように理解すれば「パラドックス」は回避できる。「わたしはいま「+」で加算を意味している」といった命題が意味を獲得し、真偽の判定が可能になるのは、あなたが加算結果を他者と共有し、あなたの「+」と他者の「+」が本当に同じものなのか、比較して確認したあとでのことだと考えるわけである。クリプキはつぎのように記している。「あるひとのいまがその過去の意図と調和しているのかどうか、それを決めることができる真理条件や事実は存在しない」。したがって「もしひとりの人間が孤独のなかで考えられるのであれば、規則とはそれを受け入れる人間を導くものなのだという考えはなんら実質的な内容をもたないのである」[★28]。 規則や意味の成立は、原理的に他者を必要とする。ぼくたちは他者がいてはじめて、規則や意味について有意味に語ることができる。 これはあたりまえの主張に聞こえるかもしれない。けれどもクリプキの仕事の重要性は、なんども繰り返しているように、そのようなラディカルな他者依存性が、加算のような算術においてすら排除できないと論証したことにある。 ぼくたちはふつう、さすがに加算ぐらいは、普遍的な数学の原理に従い孤独に遂行可能なはずだと信じている。けれどもクリプキによれば可能ではない。人間は加算においてすら、原理に頼ることができない。現実に人間が行なっているのは、こいつは加算を理解している、あいつは加算を理解していないという、個々の事例についての具体的な成否判断でしかないというのだ。 あらゆる規則、あらゆる意味の一貫性は、それが生み出した行為に依存して、未来の他者の判断によって遡行的に産出されるものにすぎない。クリプキはウィトゲンシュタインの言語論を読みなおすなかで、そのような認識に辿りついた。これは別の視点でいいかえれば、規則や意味の一貫性なるものが、ひとがだれを仲間だと思い、だれを仲間だと思わないか、それぞれの共同体の境界を決める判断と不可分に結びついているということを意味している。 実際冷静に考えてみると、まさにそれこそが、前記の「パラドックス」を回避するために人々が日常で行なっていることである。ぼくたちはみな加算を行なっている。いいかえれば加算の共同体に属している。ところがそこに、「+」とは加算ではなくクワス算を意味する記号であり、「68+57」の答えは「5」であるべきだと主張する変な人物がやってくる。それがクリプキの懐疑論者である。 クリプキは哲学者として、そんな懐疑論者の主張にはけっして完全には反論できないことを示した。その結論は学界に衝撃を与えた。けれども現実においては、ぼくたちはそもそもそんな屁理屈に耳を傾けたりはしない。ただたんに、おまえは「+」の意味さえわからないのか、それならば出なおしてくれとゲームからの退場を促すだけである。いいかえれば、その人物を「+」をめぐる価値観を共有する仲間だとみなさず、プレイヤーの共同体から追い出すだけの話だ。ふたたびクリプキを引用すれば、「もし問題の個人が、特定の状況において、共同体が行うであろうことと一致しないことをするのであれば、共同体はもはやそのひとに概念[の理解]を帰属させることができなくなる」だけであり、したがって懐疑論者に反論できなくてもなんの問題も起こらないのである[★29]。 ぼくたちはみなゲームに参加している。けれどもなんのゲームに参加しているのかはわからない。どんな規則に従っているのかもわからない。ただプレイし続けている。自分がなんのゲームに参加し、どんな規則に従っていたのかがわかるのは、個別のプレイ行為をめぐって、それは正しい、それはまちがっていると第三者によって判定されたあとでのことだ。 だから、あらゆるゲームは必ず、プレイの成否を判定するプレイヤーや観客の共同体を必要とする。さきに規則があり、それを理解するプレイヤーが共同体をつくるのではない。さきに共同体があり、それがプレイヤーを選別することで規則が確定するのだ。クリプキは、ウィトゲンシュタインが提示した逆説を、このような裏返った共同体論をつくることで解決したのである[★30]。 8 以上駆け足ではあったが、クリプキがウィトゲンシュタインの逆説を規則をめぐる一般的な理論に発展させたこと、そしてそれに付随して興味深い共同体論を提案していたことを確認した。それでは、このような議論が新しい家族論の構想にどう関係するのだろうか。 ここまでのクリプキの紹介には、じつは家族という言葉がまったく登場しなかった。それは偶然ではない。そもそも『ウィトゲンシュタインのパラドックス』に家族が出てこないのである。後期ウィトゲンシュタインを扱っているにもかかわらず、この著作では家族的類似性がいっさい触れられていない。 ぼくはその回避が意図的かどうかを判断できるほどクリプキの仕事に詳しくない。けれども興味深い欠落だということはできる。というのも、ウィトゲンシュタインの家族的類似性の視点には、ここで紹介している共同体論を大きく揺るがし、さらに拡張する可能性が秘められていると思われるからである。 どういうことか。クリプキは、規則とプレイと共同体の関係についてつぎのように記している。「そのようなテストに合格した個人は、加算するひととして共同体に受け入れられる。[……]逸脱した答えを出すひとは、訂正され、彼らはまだ加算の概念を理解していないと(ふつうは子どもに対してだが)告げられる。そして、十分に多くの点で訂正不可能なほど逸脱しているひとは、共同体の生活とコミュニケーションにたんに参加できないのだ」[★31]。 ここで「訂正」という言葉が現れていることに注目しよう。「+」を加算ではなくクワス算を意味する記号として使用しているプレイヤーは、ゲームの共同体からいったんは排除される。しかしそこで、それはクワス算ではなく加算を意味する記号だ、だから「68+57」の答えは「5」ではなく「125」なのだと共同体の成員から告げられたとき、聞き入れて答えを訂正するのであれば、プレイヤーは共同体に受け入れられる可能性がある。クリプキはそう記している。対して「訂正不可能なほど逸脱しているひと」は、どうあっても共同体に受け入れられることはない。それが前述の懐疑論者である。 訂正という言葉は『ウィトゲンシュタインのパラドックス』で重要な位置を占めているわけではない。けれどもこの一節は、クリプキの共同体論を発展させるうえで欠かせない視点を提出している。ここで「訂正」と呼ばれているものは、共同体の内部と外部の境界を揺るがし、その成員を拡大する契機のことにほかならないからである。いかなる共同体も、内部の正しさに閉じこもり、外部からの参加を排除したままでは滅びる。クリプキはここで、プレイヤーの誤りを「訂正する」というかたちで、外部を内部に取り込む論理について語っているのだ。 だとすれば、ぼくたちはここで、クリプキ自身はいっさいその可能性に触れていないものの、その「訂正」は共同体からプレイヤーへ向けられるだけでなく、逆にプレイヤーから共同体へ向けられることもあると考えるべきではないだろうか。 ゲームの規則は永遠ではない。規則そのものも移り変わっていく。本来は排除されるはずのラフプレイやルール違反やハッキングが、時代の移り変わりに従ってプレイヤーの共同体に認められ、正規のプレイに変わることがある。ぼくたちは確かにふつうは、「+」がクワスだと主張する突飛なプレイヤーを相手にしないだろう。けれどもときには、なるほど、きみの解釈のほうがおもしろいかもねといって、規則そのものを遡行的に変えてしまう、つまりは最初から「+」をクワスだったことにしてしまうこともありうるのではないか。というよりも、ゲームや共同体が持続するとは、そもそもそのような遡行的訂正の連続でしかないのではないか。 さきに規則があり、それを理解するプレイヤーが共同体をつくるのではない。さきに共同体があり、それがプレイヤーを選別することで規則が確定する。クリプキはそう結論づけた。 けれどもぼくの考えでは、その結論もまだ静的すぎる。現実には規則は移り変わっていく。共同体も移り変わっていく。ゲームそのものが変わっていく。規則が共同体を生み出すわけでもなければ、共同体が規則を生み出すわけでもない。むしろ、プレイヤーたちが繰り出すプレイについて下される毎回の成否判断、そしてそれに付随する「訂正」の作業こそが、規則と共同体をともに生み出し、ゲームのかたちを動的に更新していくと考えるべきではないだろうか。 ウィトゲンシュタインの「家族」という言葉は、まさにそのような、クリプキが触れなかった動的に訂正され更新される共同体を意味するものとしてふさわしいように思われる。なぜならば、彼がわざわざ家族の比喩を使って造語した「家族的類似性」は、全体を支配する強い同一性はないものの、部分と部分のあいだでは小さな共有された特徴があり、それらが重なりあうことでひとつの広がりをつくるような、ゆるやかな同一性を意味する言葉として提出されていたからである。そのイメージは、規則が変わり、プレイヤーも入れ替わり、あらゆる細部が訂正されつつも、それでもいつまでも「同じゲーム」であるような、いまここで論じている共同体のありかたとぴたりと一致している。 言語ゲーム論を展開するにあたり、『哲学探究』はなんどか子どもの遊びを例に出している。遊びとゲームはドイツ語では同じ Spiel だ。 だれもが幼いころに経験するように、子どもの世界では、しばしばある遊びがいつのまにか別の遊びに変わってしまうことがある。鬼ごっこをしていたと思ったらケイドロになり、ケイドロをしていたと思ったらかくれんぼになる。はっきりした始まりや取り決めがないまま続いている遊びも多い。規則だけでなく参加者も曖昧だ。子どもはすぐに仲良くなる。そしてすぐに飽きてしまう。だから、ずっと同じ子どもたちが同じ場所でひとつの遊びを続けているようにみえたのに、よくみるといつのまにか最初の子どもたちはいなくなり、すっかり参加者が入れ替わって、遊びの内容もべつものに変わっているということもめずらしくない。 ぼくがここからさき「家族」と呼ぶのは、そのような子どもの集団をモデルとする共同体のことである。そこでは、みながずっと同じ遊びを続けているはずなのに、なにもかもが柔軟に「訂正」され続ける。 プラトンやヘーゲルやポパーは、家族を閉ざされた共同体だと考えた。それは長い哲学の歴史に規定されたものでもあった。けれどもウィトゲンシュタインとクリプキから引き出した本論の枠組みにおいては、家族はもはや閉ざされた共同体だとはみなされない。かといって開かれているわけでもない。 なぜそういえるのか。新しい「家族」を、ウィトゲンシュタイン的な意味での言語ゲームに参加する、プレイヤーの共同体として定義しよう。規則は変わる。伝統や習慣や価値観は時代に応じて変わる。プレイヤーも入れ替わる。古い世代は死に新しい世代が生まれる。けれども、なにもかもが変わっていくにもかかわらず、参加する家族=プレイヤーたちは、なぜかみな「同じゲーム」に参加し続けていると信じている。その矛盾したダイナミズムが家族の本質である。 だから家族は、閉じているとも開かれているともいえる。家族は遊びを共有する親密な共同体であり、その規則を理解できない参加者は、クリプキの懐疑論者のようにあっさりと排除される。だから閉じている。けれども、さきほども記したように、ときにそんな遊びに参加する他者が現れ、思いもかけぬ行動によって規則を遡行的に「訂正」してしまうこともある。だから完全に閉じているわけでもない。その点では開かれているともいえる。家族とゲームの概念は、開放性と閉鎖性の二項対立よりも上位にある。開かれたものと閉ざされたものを対立させる発想は、人間のありかたを考えるうえではそもそもあまりにも粗雑なのだ。 ぼくは『観光客の哲学』で、これからの時代に必要な「観光客的な連帯」について論じ、それは「家族的」でもあると形容していた。同書には多くの感想が寄せられたが、なかにはその議論を、親子や兄弟姉妹のような密な人間関係が大事なのだとか、最後に頼りになるのは血縁なのだといった情緒的な主張として理解する向きもみられた。 けれどもここまでの説明で明らかになったように、ぼくがそこで「家族」という言葉で考えたかったのは、むしろきわめて論理的な問題だったのである。はっきりしたアイデンティティがあるわけでもなく、参加者が固定しているわけでもなく、新しい状況にあわせてすがたを変えていきながら、それでも「同じなにか」を守り続けていると主張する組織や団体。政党にしても企業にしても結社にしても、あるいは国民国家そのものにしても、世界にはそのような存在が溢れているが、その強さの源泉はなんなのか。ぼくはそれについて考えたいと思った。そしてもしこれから新しい政治的な連帯がありうるとしたら、それもまたこの不可思議な柔軟性を手に入れなければならないだろうと考えた。それゆえぼくは、いまだ生煮えであることは知りつつも、『観光客の哲学』に家族についての章を挿入したのである。 家族的類似性と訂正可能性のうえに設立される新しいつながりの概念。次章以降では、その哲学の政治的な意味についてあらためて考えることになる。 9 社会思想の話に戻るまえに、もう少し「訂正」の概念を練り上げておきたい。 ぼくはいま、家族を、成員も規則もなにもかもが変わっていくにもかかわらず、参加者たちはなぜかみな「同じゲーム」を行い「同じなにか」を守り続けていると信じている、そのような共同体なのだと記した。そのダイナミズムを担う鍵が訂正の概念だというのがぼくの主張だが、しかしそれは具体的にどういうことだろうか。なにもかもが訂正されるというなら、たんになにも守っていないだけではなかろうか。鬼ごっこがケイドロになりケイドロがかくれんぼになるのだとすれば、もう同じゲームではないのではなかろうか。 すべてが訂正されうるにもかかわらず、なお同じものが残り続けるという逆説。その構造をより明確にするために、クリプキのもうひとつの著作、『名指しと必然性』を紹介しよう。同書は一九七〇年の講義をもとに、一九八〇年に単行本として出版された著作である。 こちらはウィトゲンシュタインを主題にした仕事ではない。言語ゲーム論も扱われていない(家族的類似性はいちどだけ言及されている)。しかしそこには、共同体と訂正可能性の関係を考えるうえできわめて重要な洞察が含まれている。 クリプキが『名指しと必然性』で挑んだのは、固有名についてのある謎だった。どのような謎だろうか。 固有名というのは、じつは哲学的にかなり厄介な性質を備えている。固有名ではない一般名、たとえば「三角形」のような数学的な概念や「中性子」のような物理学的な実体といったものは、定義があるていどはっきりしている。少なくともふつうはそう理解されている。 定義がはっきりしているというのは、いいかえれば、特定の名詞に頼らなくても、定義をきちんと並べれば同じ対象を過不足なく指示できるということである。たとえば「三角形」というかわりに、「同一直線上にない三点と、それらを結ぶ三つの線分に囲まれた図形」と記しても、表現は冗長になるが、同じ対象を指すので問題は起こらない。名前と定義のあいだのそのような置換可能性を、論理学の用語では「一般名はそれを含む命題の真理値を変えることなく、確定記述の束で置き換えることができる」と表現する。命題とは文のことで、確定記述とは定義のことで、真理値とはその文が真か偽か分析した結果のことだ。 一般名は定義の束に置き換えることができる。一九世紀から二〇世紀にかけて、論理学が整備されてそのようなことがわかってきた。 そこまではよかったのだが、つぎに、それならば人名や地名などの固有名についても同じ操作が可能なのではないかと考える人々が現れた。たとえば「ソクラテス」という名詞であれば、「Xは哲学者である」「Xは男性である」「Xはアテナイ市民である」「Xは書物を書かなかった」「Xはプラトンの師だった」などで定義される「X」を指定し、定義を十分に増やせば、固有名とそのXは完全に置換可能になるのではないか。前期ウィトゲンシュタインもまた、おおざっぱにいえばそのように考えた哲学者たちのひとりである。 けれどもこの構想には大きな欠陥があった。「三角形」や「中性子」といった一般名の意味あるいは指示対象は[★32]、確かに定義によって過不足なく定まると考えることができる。しかし、だとすれば、定義そのものを否定する命題は、真偽以前に意味をもちえないことになる。 たとえば「三角形がじつは三辺で構成されていなかった」「中性子がじつは電荷をもっていた」といった文を考えてみよう。ここで「三角形」と「中性子」を定義に置き換えれば、両者は「三辺で構成されているものがじつは三辺で構成されていなかった」「電荷をもたないものがじつは電荷をもっていた」といった文になる。これらは内部で論理的に矛盾しており、そもそも意味のある文として成立していない。一般名を定義の束に置き換えるとは、定義そのものを否定できなくなることを意味するのだ。 ところが厄介なことに、固有名を主語にするときは、そのような定義の否定を含んだ命題が、問題なく意味をもって成立してしまう。こんどは「ソクラテスはじつは男性ではなかった」や「ソクラテスはじつは書物を書いていた」といった文を考えてみよう。ソクラテスという名がかりに「Xは男性である」「Xは書物を書かなかった」といった条件を満たすXとして定義されていたのだとすれば、ふたつの文は「男性であるXがじつは男性ではなかった」「書物を書かなかったXはじつは書物を書いていた」という文と等しいということになる。これらは上記の例と同じく、内部で論理的に矛盾しておりそもそも意味をもたない。 けれども、実際にはぼくたちはけっしてそのようには感じない。「ソクラテスはじつは男性ではなかった」や「ソクラテスはじつは書物を書いていた」といった文は、日常においては完璧に意味が通る。むしろそのような文は、なんらかの歴史的発見があり、ソクラテスについての従来の認識が訂正されるときによく使われているものである。自然科学では、定義そのものの否定には意味がないと定めてもよいかもしれない。けれども歴史学のような人文科学では、定義そのものを否定することができないとそもそも研究自体が成立しないのである。一般名と固有名は、この点においてまったく挙動が異なっている。 固有名は定義の束に還元することができない[★33]。だとすれば、固有名の指示対象はいったいどのようなメカニズムで定まっているのだろうか。それがクリプキが挑んだ謎だった。 この問題設定は、のちに彼が『ウィトゲンシュタインのパラドックス』で展開する共同体論とも不可分につながっている。なぜならば、両者はともに、「じつは……だった」という定義の揺らぎについて考察する議論だからである。 クリプキが『名指しと必然性』で問うたのは、要は、「ソクラテス」という記号がいままでずっと男性の哲学者を指示するものとして定義されてきたのに、「ソクラテスはじつは男性ではなかった」といった命題が有意味に成立してしまうのはなぜかというものである。それは『ウィトゲンシュタインのパラドックス』の議論では、つぎのような状況に相当するだろう。ある共同体において、「ソクラテス」という記号はずっと男性の哲学者を指示するものとして使われてきた。そしてそれにだれも疑問を挟まず、議論は続いてきた。ところがそこに新しい参加者が現れ、ソクラテスはじつは女性だった、あなたたちはいままでずっと「ソクラテス」が男性の哲学者を指示すると考えていたようだが、それは誤りで指示していた人物はじつは女性だったのだと告げたとする[★34]。固有名の定義の訂正はまさにそのような新しい参加者の出現によって可能になるのだが、これはまさに前述のクワス算をめぐる問いそのものである。そのような提案がなぜ成立し、受け入れられてしまうのか。それがクリプキの一貫した問いなのだ。 訂正という言葉は、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』と同じく、『名指しと必然性』においても重要なものとして提示されているわけではない。けれどもぼくはそれこそが、クリプキのふたつの仕事を貫く鍵概念だと考えている。 クワス算の逆説と固有名の逆説は、ともに記号の遡行的な訂正可能性に関わって生じている。ぼくたちは日常的に、なにかを意味していると信じて言葉や記号を用いている。けれどもその意味はひとりでは確定できない。自分ではある言葉であることを意味したと確信していても、あとからおまえはじつは同じ言葉で別のことを意味していたのだと言われたら、原理的に反論できない。クリプキは、その同じ問題をふたつの理論で検討しているのである。 ぼくはさきほど懐疑論者によるクワス算の主張は屁理屈だと記した。けれども、以上のソクラテスの例に照らすとわかるように、遡行的な訂正可能性そのものはありふれたものでもある。 ソクラテスはじつは女性だった。ここではその命題は思考実験の例として導入されているが、現実にそのような発見がないとはいえない。今後、どこかの時点で、古代アテナイに彼に相当する男性の哲学者は存在せず、そのかわり、いままで彼に帰されてきたすべての活動を行い、なぜかソクラテスという男性名で活躍した女性がいたという考古学的な事実が発見される可能性もないとはいえない。その発見はいままでのソクラテスについての理解を根底から覆すだろう。多くのひとが想像してきたソクラテスのすがたは、どこにも存在しなかったということになるだろう。 にもかかわらず、それでも多くのひとは「ソクラテスはいなかった」とは考えないだろう。「ソクラテス」という名が指示してきた対象が現実には存在しなくなったにもかかわらず、あいかわらず同じ名を利用し続け、ただ「ソクラテスはじつは女性だった」とだけ語り、むしろ定義のほうを訂正してしまうだろう。ぼくたちはここにこそ、すべてが訂正可能であり、なにもかもが変わりながらも、それでもなお「同じなにか」を守っているとアクロバティックに主張し続ける、家族なるものの構成原理の論理的基盤を見出すことができる。 それゆえ、本論が導入したい新しい「家族」の概念は、特定の固有名の再定義を不断に繰り返すことで持続する、一種の解釈共同体だと定義することができる。実際国家にしても企業にしても、あるいはブランドにしても、長く続く共同体なるものはみな「わたしたちは……だった」という、遡行的な気づきの連続によって持続しているのだ。 固有名は、その定義を遡行的に訂正することができる。だから一般名とは異なる論理的な挙動をする。この固有名の奇妙な性格こそが、開かれているものでも閉じているものでもない、「家族」という第三の共同体の構成原理となる。それがこの第一部の核となる主張である。 それにしても、固有名にはなぜこのような奇妙な性質があるのだろうか。最後にクリプキの答えを見てみよう。 クリプキの考えでは、固有名の指示対象はそもそも定義により決定されていない。「多くの話し手にとって、名前の指示対象は、記述によってよりもむしろコミュニケーションの「因果的」な連鎖によって決定されている」と彼は記している[★35]。ここで「因果的な連鎖」とは、話し手が特定の固有名の意味をだれからどのように教わり、またそのひとがだれからどのように教わったのかという、きわめて具体的な言葉の伝達の連鎖を意味している。 クリプキは、固有名の指示対象は、そもそも定義ではなくこの言語外的な連鎖によって決まるので、逆に定義をいくらでも訂正できるのだと考えた。彼の仮説によれば、ぼくたちは固有名を使うとき、たとえ無意識にではあったとしても、そのような連鎖の存在を前提としている。そしてその連鎖を辿ることで、あらゆる固有名について、起源にある名指しに遡ることができるはずだと想定している。たとえば「ソクラテス」という名を使うときは、かつて二五〇〇年近くまえ、だれかがその名によって、男性であれ女性であれ特定の人物を名指す行為があったはずであり、言葉の定義が怪しくなったときはいつでもそこに戻ることができる、そのような想定があるからこそ定義の遡行的な訂正が可能になるのだというのである。クリプキは、その名指しへの信頼を「伝統」という言葉でも形容している[★36]。 この議論には批判も多い。あまりに荒唐無稽に響くからだ。「ソクラテス」という名を使うたび、あなたはじつは二一世紀の日本から前五世紀のアテナイまで長い言葉の連鎖を辿り名指しの原場面に遡っているのだと言われても、納得するひとは少ないだろう。 けれども、そのような批判はいささか的を外している。クリプキはおそらく、名指しへの遡行が現実に可能だと主張したかったわけではない。人々がそれが可能だと信じていると主張したかったわけでもない。ただ、固有名の奇妙なふるまいを観察すると、人々がそう信じていると仮定するほかなくなってしまう、そのような背理法にも似た論理を展開したにすぎないのである[★37]。起源への遡行、「伝統」なるものは、現実には存在しないかもしれない。にもかかわらず、ぼくたちはあたかもその存在を信じているかのようにふるまっている。そこが大事なのである。 固有名の定義もゲームのルールも、いくらでも変わりゆくものでしかない。にもかかわらず、ぼくたちは同じ名を使い続け、同じゲームをプレイし続けていると信じている。少なくとも、そう信じているかのようにふるまっている。クリプキはコミュニケーションの不確定性という現実から出発して、最終的に幻想の分析に辿りついた。『名指しと必然性』と『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は、この点において、いっけん専門的な言語哲学にみえるけれども、政治思想や社会思想にもたいへん大きな示唆を与えてくれる書物なのである。 第3章 │ 家族と観光客 10 家族とは閉じた共同体だと考えられてきた。けれども本論では、家族を、閉ざされた人間関係ではなく、訂正可能性に支えられる持続的な共同体を意味するものとして再定義したい。 この提案はけっして哲学の言葉遊びではない。「家族」という言葉の日常的な用法に立ち返ってみよう。日本語の辞書類を引くと、「家族」とは、同じ家に住み、生活をともにする配偶者および血縁の人々を意味する言葉だとある。英語やほかの言語でも似た定義が書いてある[★38]。 つまり「家族」という言葉には、辞書のうえでは同居と血縁が結びつけられている。家族の範囲をそのように定義するのは、過去の社会構造の名残りだろう。 現実にはその定義はすでに失効している。多くのひとは家族と同じ家に住んでいないし、生活もともにしていない。 たとえばぼくは東京に住んでいる。ぼくの両親は一〇〇キロほど離れた伊豆に住んでいる。それではぼくと両親は家族でないのかといえば、ふつうは世帯は異なっても家族だというだろう。あるいはぼくには娘がいる。彼女はいつか家を出る。そのとき彼女が家族でなくなるのかといえば、変わらず家族だと多くのひとが考えるのではないか。「同じ家に住み、生活をともにする」ことは、もはや家族の必要条件ではなくなっている。 血縁も必須ではなくなりつつある。日本は欧米に比べて養子に消極的だといわれている。それでもいまや六〇〇〇人を超える子どもが里親家庭で生活しており、近年の調査によれば、里親制度に関心をもつ夫婦は一〇〇万組にのぼるという[★39]。彼らの家族がほんものではないとはだれもいえまい。現代人は「家族」という言葉をかなり柔軟な意味で使い始めている。最近はペットでさえ家族の一員だとみなされることがある。家族のかたちは急速に変わり、多様化しつつある。 この第一部の議論は、そのような現実の変化に対する哲学からの応答でもある。家族という言葉は、辞書のなかでも、哲学の議論においても、おそろしく古いまま残されている。だから家族について議論しようとすると、その言葉を記すだけで復古主義的に響き、新しい現実に対応できない。その罠を逃れるためには、まずは家族という言葉そのものをアップデートしなければならないのだ。 冒頭で記したとおり、本論は『観光客の哲学』の問題設定を引き継いでいる。同書の第六章には、家族の構成原理には「強制性」と「偶然性」と「拡張性」の三つの性格が認められるという記述があった。 そこで展開したのはつぎのような議論である。ぼくたちはみな家族に属している。いま家族に属していないひとも、かつては家族に属していたはずである。生みの親から捨てられた、施設で育てられた、子どもたちだけで路上で集団生活をしていたといった事例でも、人間は一定の年齢まで育つためにはだれかの庇護が必要で、そのかぎりで庇護者という家族がいたということができる。人間はひとりでは大人になれず、したがってすべてのひとに家族は存在する。 けれどもその家族は選ぶことができない。生まれるにしろ、育てられるにしろ、家族の構成員は一方的に押しつけられる(強制性)。そしてその選択に必然的な理由はない(偶然性)。父と母が別の人物だったら、ぼくはそもそもぼくではない。だから両親の組み合わせは必然といえるが、とはいえふたりが「このぼく」を生み出したことにはなんの理由もないので、その点では偶然だともいえる。 そしてひとは大人になる。大人になるとは、子の立場から親の立場に移行するということである。たとえ生物学的に子どもをつくらず、ずっと独り暮らしだったとしても、社会人として生きているかぎり、組織をつくったり後輩を育てたり、なんらかの家族的な人間関係に入り、それを運営する立場に立たざるをえなくなる。そのときぼくたちは、家族の境界がじつに柔軟なものであることに気づく(拡張性)。子どもが生まれれば家族のありかたは変わる。ペットを飼うようになればまた変わる。家族は、ある視点からみれば閉鎖的で抑圧的な共同体だが、別の視点でみれば開放的で自由な共同体でもある。家族の構成原理には、このようにたがいに調和しない三つの性格が共存している。『観光客の哲学』ではそう記した。 同書では三つの性格を列挙しただけで、その奇妙な共存を可能にするメカニズムまでは検討できなかった。けれども、ウィトゲンシュタインとクリプキを導入したことによって、家族という共同体がなぜ強制的で偶然的で、にもかかわらず拡張性に満ちているように感じられるのか、あるていど説明が可能になったように思う。 家族とは、成員も規則もなにもかもが変わっていくにもかかわらず、参加者たちはなぜかみな「同じゲーム」を行い、「同じなにか」を守り続けていると信じている、そのような共同体のことである。ぼくたちはみな、そんな家族のゲームのなかに、いかなる同意もなく新しいプレイヤーとして生まれ落ちる。ゲームはすでに存在しているのだから、参加は強制的で、いかなる必然性もないように感じられる。 にもかかわらず、規則はつねに遡行して訂正可能なので、家族というゲームは拡張可能性に開かれてもいる。家族の参加者は、「同じ家族」の体裁を保ったまま内実をいくらでも変更することができる。養子を迎え入れることも、別の国に移住して別の家族と融合することも、あるいは一族と決別して新しい集団を立ち上げることもできる。そして、それでもずっと、自分たちは「同じ家族」であり、伝統を守り続けているのだと主張することができる。 このように、家族の構成原理の三つの性格は、人間のコミュニケーションの本質からまっすぐ導き出されたものだと考えることができる。言語ゲームは逆説によって成立しているので、家族もまた逆説によって成立している。たとえば、ふつうは伝統を守ることと伝統を変えることは対立するものだと考えられている。けれども家族においては、伝統を守ることと伝統を変えることは結局は同じことなのであり、むしろその二重性こそが「同じ家族」の持続可能性を支えるのである。 11 もう少しだけ『観光客の哲学』の話を続けさせてもらおう。本論はそもそも同書のふたつの主題、「観光客」と「家族」をつなぐために書かれたものだった。 ぼくは『観光客の哲学』でつぎのように記している。二〇世紀前半のドイツの法学者、カール・シュミットは、政治とは本質的に、「友」と「敵」の対立を基礎として敵を殲滅する行為なのだと主張した。友と敵の対立は、共同体の内と外の対立といいかえてもよい。シュミットは要は、政治とは、共同体の境界を定め、外部を排除する行為なのだと規定したわけだ。 ぼくはそれを批判し、友でも敵でもない第三の立場を考えるのが重要だと主張した。観光客とはその第三の立場のことだ。たとえば古い小さな村を考えてみる。シュミットに従えば、住民は「友」で、よそものは「敵」となる。ふつうはその分割で事足りる。しかしそこが観光地に変貌し、毎年住民の数倍の数の観光客が訪れるようになったとしよう。観光客は村を通り過ぎていくだけだから、友とはいえない。ともに村の未来をつくるわけではないし、ゴミなどで迷惑を蒙ることもある。けれども敵でもない。経済的には恩恵を与えてくれるし、新しい住民も連れてきてくれるかもしれない。いままでの政治思想は、そのような「中途半端」な参加の意味についてあまりに考えてこなかったのではないか。それがぼくの問題提起だ。 背景には、きわめて具体的に、コロナ禍以前、日本だけでなく世界中で市民の国境を越えた移動が急増しており、社会や政治参加のありかたに影響を与え始めていたという観察があった。けれどもそれだけでもない。 現代は政治に溢れた時代である。地球規模の環境問題から国家間の紛争、個人間のハラスメントまで、毎日のように新しい政治的な問題が提起され、当事者や専門家がそれぞれの立場から正義を叫んでいる。あらゆる問題が論争の対象となり、人々は友と敵に分かれ争っているが、マルクス主義のような大きな枠組みはもはや存在しないので、現実は調べれば調べるほどわからなくなる。それゆえ多くの人々は、すべてを単純な陰謀論で切り取り心の平安を保つか、あるいはすべてに無関心になって麻痺するか、どちらかの状態に陥っているように思われる。それがポピュリズムとフェイクニュースに溢れた現代社会の基本的な条件だ。 したがってぼくは、なにかについて断片的な情報しか入手できないまま、友にもならず敵にもならず「中途半端」にコミットすることの価値を、あらためて肯定する必要があると考えた。それが『観光客の哲学』の核となる執筆動機である。そのような肯定がなければ、現代人はまともに政治に向きあうことができない。ぼくたちはどうせすべての問題に中途半端にしか関わることができないのだから、まずはその限界をきちんと認め、そのうえで新たな社会思想を立ち上げなければならないのだ。 ぼくたちはすべての問題に中途半端にしか関わることができない。これはけっして冷笑主義の表明ではない。本論をここまで読んできた読者は、それがすべてのコミュニケーションの条件であると理解できるはずだ。 ぼくたちは加算の規則すら完璧に提示できない。ソクラテスの名前すら完璧に定義できない。そのような単純な例においてすら、原理的に他者からの訂正可能性に曝されている。 だとすれば、もっと複雑な事例だったらどうか。沖縄について、福島について、憲法改正について、あるいは慰安婦や性差別やレイシズムについて、だれが完璧に「正しく」言葉を使い、「正しく」現実を認識できているだろうか。ぼくたちはむしろ、あらゆる事例について、つねに想定外の発見や新たな被害者が現れることを折り込み、理解の訂正が必要となる可能性を意識しておくべきではないだろうか。自分こそ被害者であり当事者だと思っていても、いつなんどき、あなたはじつは当事者ではない、あなたこそ加害者だったと言われてしまうかわからない、それが現代の政治的発言や活動の条件なのであり、それこそを避けられないものとして受け入れるほかないのではないだろうか。そして逆にその裏返しとして、すべてのひとが、自分が当事者ではなく、被害者でもなく、完璧には語れない問題についても、中途半端なコミットメントに乗り出す勇気をもつべきではないだろうか。ぼくたちはどうせいつもまちがい、いつかは訂正される、そのような諦めとともに。 このように、前章でウィトゲンシュタインとクリプキの言葉を使って明らかにした条件は、家族的な複雑な構成原理を生み出すとともに、また観光客的な中途半端さを生み出すものでもある。 ぼくたちは常識に従うかぎり、共同体は閉じているか開かれているかのどちらかであり、ひとは友か敵かのどちらかだと考えてしまう。けれども現実には、共同体は閉じていて同時に開かれているということがありうるし、ひとも友でもなければ敵でもないということがありうる。多くの哲学者はその二面性を理解することができなかった。だから彼らは家族についても観光客についても思考できなかった。 観光客は共同体の内にも外にも属さない。ゲームの内にも外にも属さない。ふたたび子どもの遊びの例で示せば、鬼ごっこがケイドロになり、ケイドロがかくれんぼになるとき、ふらりとやってきていつのまにか遊びに加わり、そしてまた去っていく、そんな名も知れぬ子どもたちが「観光客」である。彼らはゲームの規則を知っていたとも知らなかったともいえる。ゲームに参加したともいえるし、参加していなかったともいえる。 さきほどの事例に引きつけていえば、観光客とは、沖縄について、福島について、憲法改正について、あるいはそのほかさまざまな問題について、政治的な意志表明を行う運動の共同体に加わり、そしてまた去っていく、そのような一般市民のことである。彼らの存在は当事者や活動家からすれば迷惑かもしれない。ともに運動の未来をつくるわけでもなく、本気でないならば出て行ってくれといいたくなるかもしれない。けれども、そのような中途半端な人々の関与を認めることなしに、あらゆる共同体は持続的なものになりえない。運動も持続的なものになりえない。それがウィトゲンシュタインとクリプキの言語哲学から導かれる、実践的な結論のひとつである。 もうひとつ『観光客の哲学』を補足する論点を加えておきたい。同書にはところどころで「誤配」という言葉が登場する。 誤配はぼくがむかしから好んで使っている言葉である。メッセージが届くべきひとに届かないこと、逆に届くべきでないひとに届いてしまうこと、届いたとしても想定外のタイミングで届いてしまうことなどを意味する。そのようなコミュニケーションの「失敗」は、じつは公共性や創造性の源泉にもなりうるものであり、政治やビジネスから完全に排除してはならない。 ぼくは『観光客の哲学』で、その誤配の概念を、ネットワーク理論あるいはグラフ理論と呼ばれる数学的な理論に関連づけて説明している。そこではつぎのような議論を展開している。 グラフ理論とは、ものともの、ひととひとの関係のかたちを数学的に捉える理論のことである。たとえばたいていのひとは、見知らぬ人間といきなり友人になるよりも、友人同士もまた友人であるような、閉鎖的な人間関係を強化することを好む。それはグラフ理論の言葉では「クラスター係数が大きい」と表現される。ところが現実の人間関係を調査すると、人々の交友は意外なほど広がってもいて、意外な場所で友人の友人に出会ったりする。そちらはこんどは「スモールワールド性」と呼ばれる。人間は一方では明らかに閉鎖的なコネ社会を好む傾向があるのに、他方ではとても開放的な共同体もつくっているようにみえる。 なぜそんなことが可能なのだろうか。グラフ理論はこのような謎に数学的な回答を与えてくれる。 グラフ理論によれば、閉鎖的でありつつも開放的であるというその二面性は、「つなぎかえ」と呼ばれる操作を仮定することで実現可能になる。つなぎかえとは、たくさんの頂点(ノード)が線分(枝)でつながることによってつくられているネットワークにおいて、各頂点を始点とする線分の終点を、特定の確率でランダムに選ばれたほかの頂点につけかえる操作を意味する専門用語である。人間関係に対応させれば、あるひとが友人として関係する相手を、特定の確率でぜんぜん知らない他人に置き換えてしまうような操作のことだと考えればいい。現実においてもそういう操作が無意識に行われていると仮定すると、みなが親しいひととばかりつきあおうとしても、それなりに開放的な世界が実現する。 ぼくの考えでは、この「つなぎかえ」こそが、誤配の数学的な実体である。誤配=つなぎかえがなければ、ひとはみな親密な世界に閉じこもり、社会は無数の閉鎖的な世界(クラスター)に分解してしまう。けれども実際には誤配=つなぎかえがあちこちで起こっているからこそ、ぼくたちの世界は、そこそこ他者に開かれながらも、ひとつのまとまりでいられるのだ。 そして、この誤配=つなぎかえは、前章まで考察してきた訂正可能性の概念とも深く関係している。加算の共同体に懐疑論者がやってきて、規則がクワス算に変わる。あるいはソクラテスを名指す共同体に新事実の発見者がやってきて、指示対象が女性に変わる。そこで起きているのは、まさに、それまで共同体内で伝承されてきた規則や意味の「つなぎかえ」だからである。共同体は、それまでプレイヤーのあいだで共有されていた意味や規則のネットワークが、ランダムな誤配=つなぎかえによって半ば強制的に「訂正」されることで持続性を獲得するのである。 だとすれば、誤配=つなぎかえが閉鎖的かつ開放的な人間関係を可能にするというグラフ理論の数学的な発見は、じつは、訂正可能性が家族的な共同体を可能にするという本論で紹介している言語哲学の発見と、本質的に同じことをいっているのかもしれない。 この問題の本格的な検討には学問横断的な知識が必要であり、ぼくの力に余る。だから思いつきとして触れることしかできないが、そもそもそのような視点で見ると、ウィトゲンシュタインとクリプキの哲学は、それ自体がグラフ理論や関連する領域に親和性が高いように思われてくる。家族的類似性の発想はネットワークや人工知能の理論を想起させるし、クリプキの固有名論もじつは、それを支える「可能世界意味論」なる理論において、複数の可能世界のあいだの「到達可能性」というネットワーク図そっくりの比喩を根幹に据えていることが知られている[★40]。開かれているものと閉ざされているものの二項対立の彼方には、もしかしたら、とても豊かな新しい人文知の領域、人間とはなにか、社会とはなにかという問いに対する、まったく新しいフロンティアが開かれているのかもしれない。 家族は観光客でつくられる。家族は誤配で生まれ、訂正可能性によって持続する。それがぼくの考えだ。 これは抽象的な理論であるとともに、きわめて具体的な記述でもある。ぼくたちは家族をつくる。その過程で、思わぬひとと出会い、思わぬひとと結婚し、思わぬ子どもをつくる。あるいは思わぬ別れや死に直面する。なにひとつ予想どおりのことなどない。家族や人生の運命なるものは、遡行的にさまざまな訂正によって、いってみれば捏造されたものでしかない。誤配と訂正の連鎖こそが、現実の人生の特徴である。家族とは神聖で親密で運命的で、そして訂正不可能な閉ざされた共同体だという発想のほうが、よほど非現実的なのだ。 家族とは訂正可能性の共同体だ。そこでは、偶然と運命、変化と保守、開かれているものと閉ざされているものは対立しない。それらの対立は、哲学的に厳密には、遡行的な訂正可能性が作り出す幻影にすぎない。次章では、その認識から導かれる新しい社会思想の可能性を議論することにしよう。 第4章 │ 持続する公共性へ 12 ここまで、公と私、市民社会と家族、開放性と閉鎖性、「開かれた社会」とその敵といった対立は厳密には成立しないといった議論を展開してきた。そのような問題提起をした背景には、じつは、冒頭で記したコロナ禍の問題に収まらない、より広範な政治状況への関心がある。 日本ではこの一〇年、左派あるいはリベラルと呼ばれる勢力が退潮し続けている。とりわけ、二〇一六年に学生主導の新しい運動だったSEALDsが解散し、二〇一七年に民進党が実質的に解体して以降は、坂を転がり落ちるように支持を失っている。けっして与党が支持されているわけではない。二〇二二年に安倍晋三元首相が銃撃されたあと、半年ほどはむしろかつてなく自民党批判が高まった。しかし左派系野党はその批判を支持に変えることができない。ネットでもリベラルへの反発は年々激化している。大学人や知識人の声は大衆に届かなくなった。左派は社会の分断が進んでいるのが原因だというが、それならば保守も同じ条件だ。明らかにリベラルだけが苦境に陥っている。 なぜそんな非対称性が生じているのか。その非対称性は、ここまでの議論と深く関係している。 そもそもリベラルとはなんだろうか。とりわけ、保守と対立するものとしてのリベラルとはなんだろうか。 保守とリベラルの対立は「右」と「左」の対立に重ねて理解されることが多い。とりわけネットではそのように理解されている。思想史的にはその用法は正しくない。保守は「革新」と対立し、社会変革への消極的な態度を示す言葉である。他方でリベラルは「自由」という意味の言葉で、個人と社会の関係を示している。それゆえ保守とリベラルは本来は対立しない。たとえば、個人の自由を重んじるがゆえに、逆に社会の急進的な変革に慎重だという立場は十分にありうる。その場合はリベラルな保守主義者ということになる。 にもかかわらず、なぜいまの日本では保守とリベラルが対立して理解されているのだろうか。そこにはねじれた経緯がある。政治学者の宇野重規は『日本の保守とリベラル』と題された著作でつぎのような説明を与えている。 保守とリベラルの対立はそもそもがアメリカのものである。アメリカの二大政党制では、共和党は「保守」で、民主党は「リベラル」だとされている。ではアメリカでなぜその対立が有効に機能したかといえば、それは、同国では、いわゆる「左」、すなわち共産主義や社会主義が政治的な力をもつことがなかったからである。アメリカでは、みながリベラリズムを支持しているという前提のうえで、古典的なリベラリズムを守る側が「保守」、現代的なリベラリズムを推進する側が「リベラル」だという独特の差異化が成立した。他方で冷戦期のヨーロッパでは、政治はまずはリベラリズムと共産主義の対立によって、つまり右と左の対立によって語られていた。日本はこの点では、アメリカよりヨーロッパにはるかに近かった。 ところが厄介なことに、冷戦構造が崩壊し、「左」の存在感がなくなった一九九〇年代以降、日本でも、みながリベラリズムを支持しているという前提が曖昧なまま、その保守とリベラルの対立が新たな政治の軸として輸入されることになってしまった。結果として、宇野も指摘するように、アメリカ式に保守とリベラルを対立させてはいるものの、実態は「かつての看板だけを替えたものであり、今もなお本質的には「右(保守)」と「左(革新)」の対抗図式が持続していると捉えることも可能」な状況が生まれてしまった[★41]。いま日本の若い世代がリベラルと左派をほぼ同義で用いるのはこのためだ。 以上の経緯からわかるように、いまの日本における保守とリベラルの対立は、じつは保守主義やリベラリズムの実質とはあまり関係がない。かといって冷戦時代の左右対立がそのまま引き継がれているわけでもない。ではそれはなにを意味しているのかといえば、両者はじつは、いま人々が漠然と感覚している、政治や社会へのふたつの異なった態度への便利なレッテルでしかなくなっているのではないか。宇野は別の著作でつぎのように指摘している。「あえていえば、仲間との関係を優先する[……]立場が保守と、普遍的な連帯を主張する[……]立場がリベラルと親和性をもつといえる。このことは、政治において、共同体の内部における「コモン・センス(共通感覚)」を重視するか、あるいは、自由で平等な個人の間の相互性を重視するかという違いとも連動し、今後の社会を論じていく上での有力な対立軸となるであろう」[★42]。 この規定は簡潔だが的を射ている。冷戦が終わってすでに三〇年以上が経っている。共産主義は実質的に終わっている。確かに書店の人文書の棚には、資本主義は終わる、共産主義には未来があると謳った本がいまだに並んでいる。けれどもだれもそれが具体的な政策につながる言葉だとは信じていない。かつての左右対立は機能していない。そもそも保守と社会変革も対立していない。いまの日本では、むしろ保守勢力こそが社会制度の改革を進めている。逆にリベラルは、護憲に代表されるように、しばしば「保守的」な主張をしている。ではどこに保守とリベラルの対立の淵源を求めるべきかといえば、もはやそれは連帯の範囲の差異ぐらいにしか現れていないのではないか。ぼくの考えでは、それが宇野が指摘していることである。 保守もリベラルも抽象的な目標では一致する。たとえば弱者を支援しろといわれて反対する政治家はいない。けれどもリベラルはそこで、できるだけ広く「弱者」を捉え、国籍や階級、ジェンダーなどを超えた普遍的な制度を構築しようとする。それに対して保守はまず「わたしたち」のなかの「弱者」を救おうとする。むろん、その「わたしたち」の内実は事例により異なる。「わたしたち日本人」のこともあれば「わたしたち男性」「わたしたち富裕層」のこともある。いずれにせよ、そのような共同体を優先させる発想、それそのものがリベラルにとっては反倫理的で許しがたいということになる。他方で保守にとっては、身近な弱者を救わなくてなにが政治だということになろう。いまの日本の保守とリベラルの対立は、抽象的な主義主張の対立としてというより、そのような連帯の感覚の対立として捉えたほうが理解しやすい。 これは、いまの日本で使われている保守とリベラルの対立が、本書でいう閉鎖性と開放性の対立にほぼ重なっていることを意味している。保守は共同体が閉じていることを前提としている。そのうえで仲間を守る。それに対してリベラルは共同体は開かれるべきだと信じる。だから保守を批判する。 それゆえ、ここまで検討してきた開放性をめぐる逆説は、保守とリベラルの非対称性を考えるうえでも重要な示唆を与えてくれる。法や制度は万人に開かれねばならない。それは正しい。だれも反対しない。けれども肝心の閉鎖性と開放性の対立がそれほど自明なものではない。 現在は左派に階級闘争のような実質的な理念がない。それゆえ、いまの左派、つまりリベラルは、自分たちの倫理的な優位を保証するため、形式的な開放性の理念に頼るほかなくなっている。けれども、ここまで繰り返し指摘してきたように、開かれている場を志向すること、それそのものが別の視点からは閉鎖的にみえることがある。これはけっして抽象的な話ではない。現実にいま日本のリベラルは、彼らの自意識とは裏腹に、閉じた「リベラル村」をつくり、アカデミズムでの特権や文化事業への補助金など、既得権益の保持に汲々としている人々だとみなされ始めている。 そんな意見は一部の「ネトウヨ」が言っているだけだ、と鼻で笑う読者もいるかもしれない。その認識は誤っている。左派への厳しい視線はもはやネットだけのものではないし、日本だけのものでもない。たとえば二〇二一年には、作家のカズオ・イシグロのあるインタビューが話題になった。彼はつぎのように述べている。「俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです」[★43]。イシグロは二〇一七年のノーベル文学賞受賞者で、リベラルを代表する世界的な作家である。そんな彼が漏らしたこの述懐は、現在の「リベラル知識人」たちが、世界の市民と連帯しているかのようにふるまいながら、じつのところは同じ信条や生活習慣をもつ同じ階層の人々とつるみ、同じような話題について同じような言葉でしゃべっているだけの実態を鋭く抉り出している。 保守は閉ざされたムラから出発する。リベラルはそれを批判する。けれども、そんなリベラルも結局は別のムラをつくることしかできないのだとすれば、最初から開き直りムラを肯定する保守のほうが強い。いまリベラルが保守よりも弱いのは、原理にまで遡ればそのような問題なのではないか。 13 だからこそ、ぼくはここで、開かれてもいれば閉じられてもいる持続的な共同体、すなわち「家族」とはいかなるものなのか、その構成原理について執拗に語っているのである。いまや多くの人々が「開かれ」の逆説に気がついている。リベラルは、共同体の閉鎖性を批判し、「開かれ」を称揚するだけでは信頼を回復することができない。同時にその開放性をいかに持続させるか、いいかえれば、いかに「開かれつつ閉じるか」を考え提案する必要がある。保守でもリベラルでもない、第三の立場が求められている。 以上の認識のうえで、この最後の章では、ここまでの家族論の政治的な応用可能性を考えてみたい。 まず参照したいのがリチャード・ローティである。この哲学者については『観光客の哲学』でもすでに紹介している。 ローティはアメリカの哲学者である。一九三一年生まれで、クリプキよりも九歳上、フランスの思想家でいえばジャック・デリダと同じ世代にあたる。一九七九年の『哲学と自然の鏡』で注目を集め、一九八二年の『プラグマティズムの帰結』および一九八九年の『偶然性・アイロニー・連帯』といった著作によって国際的に広く知られるようになった。プラグマティズムと呼ばれる思想を核に仕事をしている。 プラグマティズムとは、かんたんに説明すれば、「真理」とか「正義」とかいった抽象的な概念について、そこになにか超越的なものが隠されていると考えるのではなく、むしろそれらが現実の生活のなかで果たす実用的(プラグマティック)な機能に注目し、その観点から哲学や倫理学を再構築しようとする思想的立場のことである。プラグマティズムは一九世紀のアメリカで生まれ、デューイのような社会的な影響力をもつ人物も生み出したが、学問としては二〇世紀前半にいちど力を失った。前期ウィトゲンシュタインに代表されるような、論理的で実証的なスタイルが学界を席巻したからである。けれども一九五〇年代以降、その新たなスタイルにも限界があることがわかり、ふたたび息を吹き返すことになった。 ローティは、そこで復活した新たなプラグマティズム(ネオ・プラグマティズム)を代表する哲学者だとみなされている。論理的哲学の可能性をぎりぎりまで追求してみたものの、結局はうまくいかず日常言語の検討に戻るというプラグマティズムへの転回は、第二章で紹介したウィトゲンシュタインの変化と並行してもいる。 ところで、そのようなローティは、哲学の仕事とはべつに「リベラル・アイロニズム」と呼ばれる独特の政治的な立場でも知られている。『観光客の哲学』の記述と一部重なるが、かんたんに振り返っておこう。 リベラル・アイロニズムの立場は『偶然性・アイロニー・連帯』という著作で打ち出されている。それは、ひとことでいえば、公と私の徹底した分裂を受け入れる立場のことである。ローティは「公的なものと私的なものとを統一する理論への要求を捨てさる」ことだと説明している[★44]。 公と私の分裂を受け入れるとだけ聞くと、凡庸な主張だと思われるかもしれない。けれども話はそれほど単純ではない。 たとえばあなたが急進的な政治運動に関わることになったとしよう。あるいはより単純に特定の神を信じるということでもかまわない。そのときあなたは当然、自分が信じている思想や神は普遍的なものであり、ほかのひとも同じ思想や神を信じるべきだと感じるはずである。現実に友人を勧誘しなかったとしても、できれば信念を共有したいと思っているはずだ。そういう思いがなければ真剣な活動家や信者だとはいえない。政治思想や宗教というものは、原理的にそのような普遍性や公共性への志向を備えている。 にもかかわらず、ローティは、そのような普遍性への思いこそ、私的な領域に閉じ込めるべきだと主張するのである。それが「リベラル・アイロニズム」だ。それはひらたくいえば、革命の理念を信じてもいい、カルトの神を信じてもいい、ただしその思いはあくまでも自分の心のなかだけにしまって、公共の場に持ち出すなという要請である。これはほとんど自己矛盾である。まったく公共に出て行かず、ひとり孤独に信じる運動や宗教なるものには、そもそもほとんど意味がない。ローティ自身もそのことはわかっていて、だから彼は自分の思想を「アイロニズム」と名づけている。アイロニーはふつうは「皮肉」と訳されるが、ここでは矛盾を矛盾と知りながら受け入れる態度を意味している。 リベラル・アイロニズムは自己矛盾のうえに成立する。だから批判には弱い。実際にローティはかなり批判されている。にもかかわらず彼がその立場を打ち出したのは、まさにその自己矛盾こそが、「自由で民主的な世界」を維持するために必要不可欠だと考えられたからである。 ローティは問題の『偶然性・アイロニー・連帯』を一九八九年に出版している。これは象徴的な年である。六月には中国の北京で天安門事件が起き、一一月にはベルリンの壁が壊された。同時期にはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』が発表され、自由民主主義の勝利が高らかに謳い上げられた。ローティの仕事はそのような状況と密接に関わっている。 ローティを含む「西側先進国の住民」は自由で民主的な世界に生きている。彼はまずそのすばらしさを肯定する。それができない古い左翼を批判もしている。けれども同時にその自由がけっして無制限な自由でないことにも注意を促している。自由で民主的な世界においては、確かにだれもが自分の好きな神を信じることができる。革命の物語でも陰謀論でも好き勝手に主張することができる。けれどもそれはあくまでも個人の趣味の範囲においてのことである。それを超えた夢を抱き、本当の社会変革を試みることは許されない。自由民主主義なるものは、みながその限界を受け入れることでかろうじて維持されている。それがローティが強調していることである。リベラル・アイロニズムの自己矛盾は、いわば、自由民主主義の統治原理が支払わざるをえない思想的な代償なのだ。 その代償はローティ自身も支払っている。彼は「理論は人間の連帯よりもむしろ私的な完成のための手段になった」と記している[★45]。ここで「理論」とは「哲学」とほぼ同じ意味で使われている言葉である。 ローティは哲学者だ。哲学は本来は普遍的な主張を目指す。けれどもローティの考えでは、彼自身のものも含め、哲学はもはや、現代では「私的な完成のための手段」、つまり趣味としてしか生き残れないのである。哲学は「人間の連帯」の基礎にはなりえない。 ローティの著作から三〇年以上が経過している。けれども、ぼくたちはあいかわらず自由と民主主義の勝利を謳い上げる体制のなかに生きている。二〇二二年にウクライナ戦争が勃発して以降は、ますますその傾向が強まっている。したがって彼の議論は古びていない。ぼくたちはいまだに、公と私を分離し、普遍的な理念こそ私的な領域に閉じ込めねばならない時代に生きている。 いま記したように、そんな時代においては、哲学は連帯の基礎になりえない。それではローティは、いったいなにによって新たな連帯を基礎づけるべきだと考えていたのだろうか。これが『偶然性・アイロニー・連帯』のもうひとつの主題である。 結論からいえば、そこでローティが期待を向けたのが「共感」や「想像力」である。彼はそれをつぎのように表現している。これからの連帯を支えるのは、「わたしたちが信じたり欲望したりしていることを、あなたも信じたり欲望したりしますか」という信念に関わる問いではなく、「あなたは苦しんでいますか」というより単純な身体的な問いであるべきなのだと[★46]。 どういうことだろうか。前者の問いは、読めばわかるように、特定の伝統や文化、世界観や道徳観などの共有を確認するものである。わたしはある思想を信じている、あなたも同じ思想を信じていますか、信じているのなら連帯しましょうというわけだ。現実に人々はふつう、そのような価値観の共有を前提として結社や政党や企業をつくっている。少なくともそう思い込んでいる。 けれども、ローティの考えでは、そのような共有によって社会全体の連帯を基礎づけることは本質的に自由民主主義の原理に反している。そのやりかたでは、価値観を異にするひとは社会から排除されることになるからである。ひらたくいえば、「文句があるならこの国から出て行け」ということになるからだ。実際にそのような発言はいまネットでよく聞かれる。 それゆえローティは、思想や価値観の共有ではなく、目のまえの他者が感じている「苦痛」への共感のほうが、連帯の基礎として有望だと考えたのである。それが後者の「あなたは苦しんでいますか」という問いの意味するものだ。相手が敵国人だろうが、犯罪者だろうが、テロリストだろうが、多くのひとは目のまえでだれかが血を流して苦しんでいればとりあえず手を差し延べてしまう。そのふるまいは価値観を超える。そこにこそ新しい連帯の基礎を求めるべきではないか。 この提案はアカデミズムで強い反発を呼び起こした。他者の苦痛への共感が重要というが、現実には共感こそ偏見や差別の温床ではないか、ひとは身近な友人には手を差し延べるが見知らぬひとの苦痛は平気で無視する、そんなものを根拠に連帯などつくれるはずがないと批判が相次いだのである。 ぼくはさきほど、保守は「わたしたち」から始め、リベラルは普遍性から始めると記した。その分類に従えば、ローティはここで、リベラリズムをめぐる議論のなかに、まさに保守的な優先順位を持ち込んだのだということができる。反発を招いたのは当然だろう。 実際、ローティの主張に保守主義に近づいているところがあるのは事実である。ぼくはさきほど「あなたは苦しんでいますか」という問いを引用した。じつは彼はその直前に、そのような共感も結局は「わたしたちリベラル」を出発点にするしかなく、そのかぎりで「民族中心主義的」であることを認めている。 民族中心主義とはおだやかではない。しかしそのような主張はローティの立場から必然的に導かれる。リベラル・アイロニズムは自由と民主主義を尊重する思想である。けれどもそもそもローティがなぜそれらを尊重しているのかと問われれば、彼自身は、たまたま彼が自由民主主義の国に生まれ育ったからだと答えるほかない。さきほど説明したように、リベラル・アイロニズムを信奉するかぎりにおいてそれ以上の普遍的な正当化は禁じられているからだ。それゆえ彼は、彼自身の思想を含め、なにもかもが「わたしたちリベラル」のものであり、自民族の価値観の肯定だとしかいいようがないのである。 ぼくにはこの論理のねじれは避けられないもので、むしろ知的な誠実さを証明するものと感じられる。けれども一部の読者には危険な開きなおりに聞こえるのかもしれない。ローティの保守的な傾向は、のち一九九八年に出版された『アメリカ 未完のプロジェクト』という著作ではさらにはっきりとしてくる。同書の原題は直訳すると『われわれの国を完成させる』というもので、「われわれの国」、すなわちアメリカの価値観の肯定をかなり明確に表明している。そこでローティは民主主義の尊重とはアメリカの歴史の尊重であると宣言しており、左翼が力をもてないのは「国家に対する誇り」が足りないからだとも発言している[★47]。『偶然性・アイロニー・連帯』から同書にいたる九年間は、ソ連が崩壊し、アメリカの「帝国」化が進んだ九年間でもある。岡本裕一朗のように、ローティの保守化を、そのような地政学的変化に呼応するものとして捉える研究者もいる[★48]。 14 それでは、ローティの連帯の構想は、結局のところリベラルの保守化を示すものにすぎないのだろうか。ぼくはそう思わない。ここでこそいままでの家族論が重要な示唆を与えてくれる。 もういちどローティを読んでみよう。繰り返すが、彼は普遍的な理念が支える連帯を信じなかった。彼が信じる連帯は、具体的な人生に対する具体的な共感に支えられるもののみである。ローティ自身はそれを「他人の人生の細部への想像力による同一化」と呼んでいる[★49]。 ローティはその「細部への想像力」についてつぎのような事例を挙げている。第二次大戦時のヨーロッパで、ナチスの圧政に抗い、隣人のユダヤ人を匿ったり逃亡を助けたりした多くのイタリア人やデンマーク人がいた。大きな希望を与えてくれる話だが、ローティはそこで、彼らは隣人が同じ「人間」だから、人類愛の精神に基づいて助けたのだろうかと問いかける。彼はそうではないだろうと答える。「人間」という観念は、命のリスクを冒してまで他人を助けるには抽象的すぎるからだ。現実に共感の引き金として働いたのは、このひとは同じミラノ人である、同じユトランド人である、同じ職業組合に属している、同じ幼な子を抱える親であるといった「細部への同一化」だったのではないか。多くのひとは、人類よりもはるかに小さな「わたしたち」にしか共感できない。これがローティの出発点だ。 しかしローティは同時に、その共感の範囲そのものが書き換えられ、拡大していく可能性にも注目している。イタリア人がユダヤ人を助けたのは、隣人が同じ幼な子を抱える親だからだった。ゆえに別の単身のユダヤ人は平気で見捨てた。確かにそういうことはあっただろう。けれどもそれは永遠の限界ではない。そこで手を差し延べた経験は、彼らの「わたしたち」の範囲を確実に変えていくからだ。実際にそのようにして倫理や常識は変わっていく。 ローティは、連帯の範囲は共感の経験そのものによって変化していくと考えていた。彼は、連帯とは「苦痛と屈辱の点における類似性に比較して(部族、宗教、人種、習慣そのほかの)伝統的な差異がどんどん些細なものにみえてくる能力」であり、「わたしたちから大きく異なった人々を「わたしたち」のなかに包含するものと考える能力」でもあると定義している[★50]。ひとは、他人の小さな苦しみを知ることによって、それまでこだわっていた大きな思想や価値観の差異が「どんどん些細なものにみえてくる」ようになる。そして「わたしたち」の内実もどんどん多様になっていく。ローティが希望を見出すのは、この漸進的な変化に対してである。だからそれはけっして現状の共感共同体への単純な居直りではない。 ローティは確かに民族中心主義を肯定するかのような文章を記している。けれどもそれもよく読むと両義的である。 ローティは、「わたしたちリベラル」について、それは「自分自身を拡張し、より大きな、いっそう多様性に富むエトノスを創造するために身を捧げる」集団であるべきなのだと記している[★51]。ここで「エトノス」とは民族や慣習を意味している。民族中心主義は英語ではエスノセントリズムで、語源的にはエトノス中心主義という意味だ。つまりローティはここで、「わたしたちリベラル」は、エトノス自身を拡張し多様化するエトノスであるべきだというじつに再帰的な定義を提案しているのである。「わたしたちリベラル」が民族中心主義的に肯定可能なのは、その民族=エトノスの内部に自己変革と自己拡張の契機が繰り込まれているがゆえなのだ。 ローティの書物は『偶然性・アイロニー・連帯』と題されていた。アイロニーと連帯と並び、「偶然性」という言葉も鍵概念となっている。 なぜ偶然性が重要なのだろうか。共感や想像力は「わたしたち」から出発するしかない。それがまずは彼の主張だ。 けれども他方で、ローティはその「わたしたち」の範囲が「偶然的」であることも繰り返し強調している。ぼくたちは確かに特定の国に生まれ落ちる。アメリカ人なり日本人なりに生まれ落ちる。それは避けられないし、そのかぎりで想像力の限界を抱える。しかし同時にその条件は、その想像力の範囲にはなんの必然性もないことも意味している。ぼくたちがアメリカ人だったり日本人だったりすることには必然性がない。したがってアメリカ人風に考えたり日本人風に考えたりすることにも必然性はない。その徹底した根拠の不在=偶然性を自覚するのが、彼のいうリベラル・アイロニストなのだ。 だから、ローティの考えでは、逆に、ぼくたちはその根拠の不在を梃子にして、共感の範囲をいくらでも書き換えることができるはずだということになる。ぼくたちはみな「わたしたち」から出発するしかないが、同時にその「わたしたち」の範囲はあまりにも根拠が薄弱なので、他者への共感を介していくらでも修正し拡張することができる。それがローティの思想なのである。 それゆえ、ローティの思想は、かりに保守主義と呼ぶとしてもかなり奇妙な保守主義だということになる。そこでは保守すべきものこそがたえず変化し更新されるというのだから。 この主張はふつうは逆説にしか聞こえない。だからこそローティは批判された。けれども、本論の読者にはすでにおわかりのように、これはたんなる逆説ではない。以上の思想は、前章まで見てきた家族論とみごとに呼応しているからだ。 ぼくはさきほど、本論がいう「家族」、つまり訂正可能性の共同体の構成原理には、強制性と偶然性と拡張性の三つの特徴があると記した。ローティが構想する新しい連帯はその三つの条件をみごとに満たしている。まずは連帯は「わたしたち」から始まる。ぼくたちは生まれ落ちる場を選択できず、したがって「わたしたち」の共感の範囲も選択できない(偶然性)。だからそれは強制的で排除的に感じられる(強制性)。けれども同時に、その「わたしたち」は輪郭が曖昧で、具体的な他者への共感によっていくらでも拡張することができる。「わたしたち」は、同じ「わたしたち」を保っていると信じたまま、内実を漸進的に変化させることができる(拡張性)。ぼくたちはすでに、ウィトゲンシュタインとクリプキの言語哲学を参照することによって、この三つの条件が人間の言葉やコミュニケーションの限界から必然的に導かれるものであることを確認している。ローティもまた、『偶然性・アイロニー・連帯』において、同じ条件に政治思想の言葉で辿りついた。クリプキもローティもともに、目のまえの他人が予想外の行動をとったとき、ひとは意外とその他人を「理解」できてしまうという弱点に注目し、それを逆に共同体の構成原理に取り込んだのである。 したがって、ローティの思想は、閉じた社会に居直るものでも開かれた社会を目指すものでもない、つまり保守でもリベラルでもない第三の「家族的」な政治思想を考えるうえで、重要な参照点となる。 ローティの思想は保守とリベラルの対立を超えている。いささか突き放していえば、にもかかわらず、彼がリベラルを自称したことで話がややこしくなったようにも思われる。とはいえ、かりに彼が保守を自認していたところで、話が単純になったとも思えない。 あえて保守のなかに位置づけるならば、ローティの思想は再帰的保守主義とでも呼ぶしかないはずだ。そこでは保守すべきものがたえず再帰的に再構成されるものとして考えられている。それはそれで矛盾に響く。ローティは、リベラルを自称しようが保守を自称しようが、ともにふつうには矛盾と思われる議論を展開しており、だからこそ対立を超えているのである。 ぼくたちは家族しかつくれない。閉じた社会しかつくれない。開かれた社会の構想は論理的な一貫性を維持できない。だからローティは「アイロニズム」などと言いだすしかなかった。 しかし、ここまでの議論でわかるように、それは必ずしも閉ざされた社会に居直るしかないことを意味しない。なぜなら、閉じた社会は、けっして構成員自身が思うほどには閉じておらず、じつはあちこちに穴が空いていて、遡行的な訂正可能性によってつねに開かれた社会への圧力がかけられているからである。 もしも保守的な居直りを避けたいのであれば、ぼくたちはこれからはその圧力に希望を見出すことができるだろう。リベラルな「開かれ」にまっすぐ向かわなくとも、保守的な「閉ざされ」をたえず訂正し、再定義し続けることはできるのであり、そちらにこそ新しい政治思想の基礎を置くことができるだろう。ぼくたちはもはや、開かれていることだけを正義だと考えるべきではないのだ。 15 リベラルは開かれていることを正義だと考えている。それは「公共性」という言葉の理解によく表れている。 公共性について考えるとき、いまでもよく参照されるのは政治学者の齋藤純一が二〇〇〇年に出版した『公共性』である。齋藤は『偶然性・アイロニー・連帯』の訳者のひとりでもある。 齋藤はこの著作で、まず冒頭に「共同体が閉じた領域をつくるのに対して、公共性は誰もがアクセスしうる空間である」と記している[★52]。「公共性」と「共同体」を対置し、前者が開かれているのに対して後者は閉ざされているのだとするこの定義は、のちの多くの議論の前提となった。本論ではここまで公と私の対立を開放性と閉鎖性の対立に重ねてきたが、齋藤のこの書き出しに象徴されるように、その重ね合わせは政治学でも広く承認されている。「わたしたち」から始める保守の主張が反公共的にみえるのは、まずは、公共といえば開かれたものというこの想定があまりにも常識化しているからなのである。 けれども、齋藤のこの定義そのものについていえば、じつはけっして純粋に学問的なものとはいえない。それは学問の外の力学も反映している。 齋藤自身が指摘しているように、公共性という言葉は、二〇世紀の半ばまで、彼らリベラルのなかでは積極的に言及されるものではなかった。状況が変わったのは一九六〇年あたりで、そのころにハンナ・アーレントの『人間の条件』、およびユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』が相次いで出版されている。 それでも日本では「公」という言葉そのものに悪いイメージがあり、公共性は長いあいだ議論の対象にならなかった。それが冷戦が終わり共産主義への期待がなくなると、急にリベラルの注目を集めるようになる。同時に小林よしのりや西尾幹二といった新世代の保守論客が急速に台頭し、「公」や「公共」についてナショナリズムと結びつけて活発に議論するようになった。 齋藤の『公共性』はその状況を強く意識して書かれている[★53]。したがって、公共性を閉じた共同体(国家)と対立させ、開放性として定義するという齋藤の立論は、じつはそれ自体が、リベラルが保守からこの言葉を奪い返すために行なった企てのひとつだと解釈できる。実際そのあと、公共や公共性といった言葉はすっかりリベラルのものになり、二〇〇九年に誕生した民主党政権は「新しい公共」を政策の柱に掲げるまでになる。 それゆえ、保守が閉じた共同体を好み、リベラルが開かれた公共性を好むという対立そのものも、本当のところは最近つくられたものにすぎないといえる。だから本論では、まずは開かれていることを正義だと考えるのが正しいのか、そこから疑っていこうと提案しているのだ。 第一部を締めくくるにあたり、最後にいま名前を挙げた『人間の条件』を読みなおしてみることにしよう。同書は、二〇世紀を代表する政治哲学者、ハンナ・アーレントが一九五八年に出版した著作で、刊行から半世紀が経過したいまも公共性をめぐる議論では参照され続けている。 アーレントもまた、ふつうに読めば、開かれたものと閉ざされたものの対立を前提として思考し、公共性を考えるために家族を排除した哲学者である。 たとえば『人間の条件』には、「公的領域と私的領域、ポリスの領域と家政および家族の領域、そして共通の世界に関わる営為と生命の維持に関わる営為──これらそれぞれふたつのもののあいだの決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である」という一節がある[★54]。 アーレントは、まさにここで参照されている「古代の政治思想」を理想とした哲学者だった。それゆえこの一節は、彼女が理想とする公共性(ポリス)が家庭(オイコス)の排除で成立するものであることをはっきりと示している。人間は、ポリスとオイコスを区別するからこそ、アリストテレスが定義したように「政治的動物」でありうる。それなのに近代においては「生命の維持」の価値があまりに高くなり、その区別が見失われてしまっている。これがアーレントの根底にある問題意識である。『人間の条件』は、公と私の境界をあらためて引きなおし、公的に生きることの重要性を訴えるために書かれた書物だった。 それではアーレントは、その公と私をどのように区別するべきだと考えていたのだろうか。 彼女はじつは公共性にふたつの異なった定義を与えている。ひとつは「現れ」による定義である。「[公共的であるということは]公に現れるすべてのものが、あらゆるひとによって見られ、聞かれ、可能なかぎり広く公示されることを意味する」と彼女は記している[★55]。公共のなかに現れることは、自分の行為が他人に見られ、聞かれるのを承認することである。見られ、聞かれたくないものは私的な領域に押し込めるほかない。公共性を開かれていることと同一視する考えかたがここから導かれる。齋藤の書物はこの規定を重視して書かれている。 しかしもうひとつの定義がある。そちらは「共通」「共同」による定義である。アーレントは、いまの引用の直後に公共性は「わたしたちすべてにとって共通なものとしての世界」のことでもあると記している。 アーレントのいう「世界」は自然環境のことではない。それは、「人間の工作物、人間の手による制作物、あるいは人間がつくりあげた世界のなかにともに住まう人々のあいだで生じるできごと」の総体、すなわち人間がつくる社会環境のことである。ひとは自分がつくったものに守られて生きている。そのような「工作物」には道具や彫刻のように物理的なものもあれば、法や文学のように抽象的なものもある。いずれにせよ、それらは個人が死んだあとも共通のものとして残る。だから公共性の基盤になる。アーレントはそう考えた。彼女は不死と公共性の関係について、「現世における潜在的な不死性へのこのような超越がないかぎり、いかなる政治も、つまり厳密にいえば、いかなる共通の世界もいかなる公的領域もありえない」と記している[★56]。こちらの定義は、開放性というよりも時間的な持続性と結びついている。 ふたつの定義はどうつながっているのだろうか。アーレントは『人間の条件』で、ひとが多数いるという事実をしばしば強調している。「この[人間の]複数性こそが、すべての政治的な生の条件であり、その必要条件であるばかりか最大の条件でもある」と彼女は記している[★57]。 人間が複数いること。この単純な事実こそが、アーレントの政治思想をもっとも深いところで支えている。ひとは私的な領域では隠れている。そして公共においてはじめて「現れる」。それこそが人間が人間らしく生きることの根幹だが、そこで「現れる」とは必ずだれかがいる空間のなかに現れるということである。ひとりきりで「現れる」ことはできない。 それゆえ、開放性としての公共性、すなわち「現れの空間」が機能するためには、まずは、現実に多数の多様な人々を受け入れている「共通の世界」が用意されていなければならないのだ。具体的には、古代ギリシアの都市国家に必ず併設されていた広場を想像すればよいだろう。広場という空間があり、それを囲む彫像や石碑があるからこそ、ひとは他者と触れあい、歴史を知ることができる。アーレントのなかでは、開放性と持続性はそのような理路でつながっている。 16 アーレントは公共性を、一方では開放的な「現れの空間」として定義し、他方では持続的な「共通の世界」として定義した。両者はまずは「人間の複数性」を蝶番にしてつながっている。 けれども『人間の条件』をよく読むと、そのふたつの規定が微妙に齟齬を起こしていることにも気がつく。 その齟齬を明らかにするためには、別の論点を導入しなければならない。『人間の条件』は、公共性の定義に加えて、人間が「活動的な生」を送るうえでの営為(アクティヴィティ)を三つに分類したことでも知られる書物である。アーレントの考えでは、人間的な営為は、労働(レイバー)、制作(ワーク)、活動(アクション)の三つに分けられる[★58]。 この区分はとても有名で、『観光客の哲学』でも参照している。だから詳しくは説明しない。とりあえずここでは、「労働」は肉体的な賃労働を、「制作」は職人的なものづくりを、「活動」は言語的なコミュニケーションを指す言葉と理解してくれればよい。 この三つの営為はけっして対等ではない。アーレントは、そのなかでもっとも重要で、もっとも人間的なものは「活動」だと主張した。ひとは労働でも制作でもなく、活動を通してのみ、公共に接続しひとりの人格として「現れる」ことができるというのである。あえて現代日本の例で置き換えれば、ひとは、小遣い稼ぎのためにコンビニでバイトしたり(労働)、自己満足のため孤独にイラストを描いたり(制作)しているだけではだめで、世間に出て、見知らぬ他者とともに共通の社会課題について語りあったり政治運動に参加したり(活動)するようになってはじめて、充実した生を送ることができる。これがアーレントの主張だ。 繰り返すがこの区分はとても有名で、いまでも暗黙にこの序列を前提に話をしている論者は多い。けれどもぼくの考えでは、これはかなり問題のある主張である。その欠陥は哲学的な反論を組み立てなくても、二一世紀の社会の現状を考えるだけで直感的に理解できる。 労働が人間的ではなく価値が低いという主張はわからないではない。肉体労働にしろサービス業にしろ、多くの単純労働は機械に置き換えられる傾向にあるし、それが歓迎されてもいる。けれども問題は、手を動かす作品制作までも言論や政治参加に対して劣位に位置づけてしまっていることである。おそらくその序列は、市民といえばもっぱら言論を戦わせたり戦場に出たりするばかりで、日常の生活において家具を製作したり、彫刻を彫ったり、料理をしたり、楽器を奏でたりはほぼ奴隷に任されていた古代ギリシアの社会秩序を反映している。 しかしその発想はいまも通用するだろうか。現代ではクリエイティブ産業の影響力はとても大きい。映像作家にしろミュージシャンにしろファッションデザイナーにしろ、作品によってじかに社会を動かすクリエイターはたくさんいる。その影響はときに政治にも及んでいる。『人間の条件』をいまあらためて読むのであれば、活動と制作のこの序列は根本的に見なおす必要があるように思われる[★59]。 活動と制作のこの怪しげな序列は、さきほど紹介した公共性の定義にも入り込んでいる。 アーレントは一方で、活動だけが公共性を構成できると主張している。ここでの公共性は「現れの空間」としてのそれである。彼女は「活動は、わたしたちすべてに共通である世界の公的な部分にもっとも密接な関係をもっているだけでなく、そのような部分を構成する唯一の営為である」とはっきりと記している。この「公的な部分」はすぐあとで「現れの空間」といいかえられている[★60]。 なぜ労働も制作も公共性を構成できず、活動しか公共性を構成できないのか。それは活動だけが「自分がだれであるかを示し、それぞれの唯一の人格的なアイデンティティを積極的に明らかにする」営為だからである[★61]。アーレントはそれを、活動においてのみ、「なに」(ホワット)ではなく「だれ」(フー)が問われるのだとも表現している。 どういうことだろうか。労働では「だれ」は問われない。これはすぐに理解できるだろう。労働者は、体力や技能など、さまざまな属性で比較され、必要があればすぐに交換可能な「労働力」にすぎない。あなたが休めばだれかがシフトに入る。 制作においてもやはり「だれ」は問われない。むろん作者名が大切な作品はある。現代美術などはとくにそうだ。けれどもそれはあくまでも例外的な事例であり、制作においては作品は原則的に作品自体の質で評価される。作者が匿名でも質がよければ流通するし、高い値段で売れる。それが制作のいいところでもある。 けれども活動においてはまったく状況が異なる。活動の典型は政治的な言論である。政治では「だれ」こそが死活的に重要である。同じ発言でも、発話者が異なれば受け取られかたはまったく異なる。同じことをいっても、批判されるひともいれば支持されるひともいる。いいかえればつねに「人格」が問われる。残酷なようだがそのような判断基準の多層化こそが人間の本質であり、その本質が極端に現れたのが政治の場だといえる。アーレントは、ひとがそのように人格でぶつかりあうことこそが、公共性の不可欠な条件だと考えた。それゆえ、労働でも制作でもなく、活動だけが公共性を構成できると主張したのである。 このホワットとフーの区別は、第二章で論じた固有名の問題とも関係している。齋藤はアーレントが提示する「現れの空間」の思想的な意味を、「表象の空間」と対立させることで説明している[★62]。 「現れの空間」と「表象の空間」のその対立は第二章の言葉を使えば、「固有名の空間」と「確定記述の空間」の対立といいかえることができる。ぼくたちはふつう、人間をさまざまな集団に分類している。このひとは女性だとか、高齢者だとか、外国籍だとか、障害者だとか、「表象」または確定記述をあてはめることで理解している。そもそも代議制がそのような理解に居直ることで成立している。けれども齋藤によれば、そのような政治は原理的に「表象の空間」しかつくれず、そのかぎりで公共性をつくれない。本当の公共性は、表象による分類を経ることなく、市民ひとりひとりを「ひとつの人格」として、いかなる確定記述にも還元できない固有名として受けとめる空間として構想されなければならない。それが齋藤が説くアーレントの公共性論の可能性である。 社会が開かれているとは、すべてのひとが固有名として尊重されることを意味する。これは確かに美しい理想である。アーレントの公共性論はリベラルな論者のあいだではそのように理解されている。 しかし、人間をいかなる集団にも分類せず、あらゆる市民に対して固有の人格として接する政治や統治なるものは、本当に実現可能だろうか。 ひとに固有の人格として接することはコストもリスクも高い。全員にはできない。現実的に考えれば、行政にできるのはそのように接するひとをできるだけ多くすることぐらいである。だとすれば、それは結局は、「固有の人格として接すべき人々」といった新しい分類を生み出すことにしかならないのではないか。アーレントが理想とした古代ギリシアの公共性が女性や奴隷を排除していたことを考えれば、これは具体的にありうる話である。そしてそれは同時に、あらゆる閉ざされた社会を否定し、開かれた世界を目指す議論が、それ自身閉ざされたものにしかならないという本論が指摘してきたリベラルの逆説、その反復そのものでもある。 とはいえアーレントの公共性論は以上で尽きるものではない。すでに述べたように、『人間の条件』では公共性にもうひとつの定義が与えられている。持続性による定義である。 そしてアーレントはそちらでは、こんどは公共性は活動だけでは構成できないと主張しているようにみえる。 どういうことだろうか。ぼくたちは制作によってものをつくる。ものには客観性があり、制作者が死んだあとも持続的に存在する。その持続性こそが「共通の世界」に公共性を与える。それが『人間の条件』の基本思想だった。 ではそれは前述の人間的営為の三区分とどう関係しているのだろうか。ここで注目すべきは、じつは労働も活動も、ともにそのような持続性を与える機能をもたないということである。 アーレントの考えでは、労働の生産物は、その定義上、労働者の生命を維持するため消費され消えてしまうものにすぎない。乱暴に要約するならば、バイトでもらった賃金が生活費にすべて消えるような事態を想像すれば理解しやすいだろう。他方で活動の生産物も残らない。活動とは、相手や状況の固有性に応じて生成されるコミュニケーションのことだからだ。それは、あくまでも特定の状況で、特定の他者に向けて発せられるものなのであり、それを超えた持続性はもたない。ではどのような営為が持続可能なものを残すことができるのかといえば、それは制作である。「持続性と耐久性がなければ世界はありえないが、それを世界に保証するのは制作の生産物である」とアーレントははっきりと記している[★63]。 ぼくはさきほど、開放性としての公共性は物理的に持続する世界を前提とすると述べた。したがってこの記述は、アーレントが公共性について、さきほど引用した断言とは裏腹に、けっして活動者の言論のみで支えられるものではないと考えていたことを示唆している。ひとが人格として触れあう「現れの空間」が開かれたとしても、それを「共通の世界」として持続させるためには、どうしても制作者たちのものづくりの助けが必要なのだ。 アーレントはつぎのようにも記している。「活動し言論する人々は、〈工作人〉[制作するひと]の最高の能力における助けを必要としている。つまり、芸術家、詩人、歴史編纂者、記念碑建設者、作家の助けを必要としている。なぜならば、その助力なしには、彼らの営為の生産物、すなわち彼らが演じ語る物語は、けっして生き残ることができないからである」[★64]。ここで言われていることは明確である。政治家や哲学者は確かに公共性を担う。彼らは言葉で他者と触れあう。しかしその営みはそれだけでは消えてしまう。それが歴史になるためには、本が書かれ、記念碑が建てられ、ものづくりが行われなければならない。本当の公共性は、活動と制作が組み合わされなければ実現しないのである。 以上のように、アーレントは一方では公共性は活動だけで構成されると主張しながら、他方では活動だけでは構成されないと主張していたように思われる。 なぜこのような混乱が起きたのか。おそらくそれは、前述のように、制作と活動の序列化があまりに乱暴だったために生じている。『人間の条件』という著作の全体は、公と私という二項対立に基づく公共性をめぐる議論と、活動と制作と労働という三項鼎立に基づく人間的営為をめぐる議論のふたつの柱から成立している。ふたつの論点は必ずしも重ならない。にもかかわらず、アーレントは両者を強引に重ねようとし、活動は公的な領域に開かれた営為で、労働は私的な領域に閉じ込められた営為だという単純な対応を採用したため、第三項である制作の果たす役割について語りにくくなってしまったのではないか[★65]。 とはいっても、『人間の条件』をきちんと読めばわかるように、その役割はけっして語られていないわけではない。そしてその点に注目することで、アーレントの公共性論もよりいっそう豊かに理解できるというのがぼくの考えである。 アーレントは公共性を開放性のみで定義したのではない。開放性と持続性によって定義した。開放性としての公共性は活動によって可能になり、持続性としての公共性は制作によって可能になる。だとすれば、公共性の質は、活動と開放性だけでなく、制作と持続性の観点からも判断されなければならない。 そしてぼくは、このように理解したアーレントの公共性こそが、まさに本論が論じてきた訂正可能性の概念と深く関係していると考えている。これが本論で最後に提示したい論点である。 17 活動は制作の助けがなければ残らない。それはいいかえれば、活動の成果が「共通の世界」の構成要素になるかどうかを決めるのは、活動を担うひと自身ではなく、制作者というまったく別のタイプの人々だということである。政治家や言論人の価値は、「芸術家、詩人、歴史編纂者、記念碑建設者、作家」など、ものづくりに関わるひとの働きで決まるのだ。 アーレント自身が、じつは活動者は自分の固有性をわかっていないと記している。「活動の完全な意味が明らかになるのは、ようやくその活動が終わってからのことであ」り、「活動と言論においてひとは自己を開示するが、じつはそのときも自分がなにものであるかは知らないし、どのような「だれ」を暴露することになるのかもまえもって予測することはできない」[★66]。 これはとても重要な記述のように思われる。前述のように、いままでのアーレント理解では、「現れの空間」ではひとは「なに」ではなく「だれ」として向かいあうのであり、そこが「表象の空間」のコミュニケーションとは異なるとされていた。それなのに、じつは活動者自身も自分が「だれ」かがよくわからないのだとしたら、「現れ」と「表象」の対立そのものが怪しくなる。アーレントは同じ箇所でつぎのようにも記している。「活動者自身の説明は[……]重要性と信頼性の点で、歴史家の物語にけっして匹敵することはできない。[……]物語が活動によってかならず生み出されるものだとしても、その物語を感じとり「つくる」のは活動者ではなく物語作家のほうなのだ」。この記述は、アーレントがじつは、自分が「だれ」であるか、たとえ活動者自身による提示があったとしても、物語作家のような制作者によっていつでもそれは訂正されうるし、またそのほうが力が強いと考えていたことを示している。 ひとはふつうは属性に閉じ込められている。けれども「現れの空間」では固有の人格として現れることができる。リベラルはそのように主張してきたが、本当は「現れ」だけでは公共性は成立しない。公共性は、「現れの空間」に現れた固有の人格なるものを、制作者という他者が記録して「共通の世界」のなかに定着させることではじめて生まれるのだ。そしてそこでは制作者が活動者の自己理解を訂正してしまうこともありうる。アーレントはそう主張している。 これはとてもわかりやすい話だ。活動者は自分が「だれ」であるかを訴える。たとえば、自分はいままでの政治家とは違う、社会を変える、だから投票してくれと有権者に向けて訴える。けれどもその自己理解が正しいかどうか決めるのは、あくまでも後世の歴史家だ。いくら正しく行動したつもりでも、時代とともに倫理基準が変わり、おまえはじつは腐敗していた、じつは差別主義者だったと言われたら、それには原理的に反論できない。アーレントが主張しているのは、ひらたくいえば、公共性にはそういう残酷な性格があるということである。そしてそれはまさに、本論がクワスやソクラテスの例を出して論じてきた言語ゲームの性格そのものでもある。アーレントの公共性論は、制作と持続性の論点を導入することで、ウィトゲンシュタインとクリプキの洞察にかなり近づけて理解することができる。 アーレントがウィトゲンシュタインについてなにを語っているのか、ぼくは詳しく知らない。おそらくあまり接点はないだろう。クリプキの著作はそもそも彼女の死後に刊行されている。けれどもアーレントの政治思想は、彼らの言語哲学を参照すると、まったく新しく読みなおすことができるかもしれない。 アーレントは、社会の基礎にある公共性を、訂正可能性に支えられた持続的な共同体、すなわち「家族」として構想していた。 ぼくはそのように考えてみたいが、これは研究者には暴論に聞こえるだろう。さきほども記したように、彼女はそもそも、ポリスをオイコスから、つまりは公共性を家政から切り離すべきだと主張していたはずだからだ。 けれども、そのような理解を許す余地がまったくないわけではない。アーレントの政治思想は、たくさんの人間がいるという単純な事実をとても重視している。人間がたくさんいるということは、人間が生まれているということである。ひとがたえず新しく生まれ、新しい思考の可能性とともに参入してくることこそが、公共性を支えている。彼女は、子が生まれ、ひとが増えるというその単純な事実が、思想的にとてつもなく重要であることを理解していた数少ない哲学者のひとりだった[★67]。それはもしかしたら、彼女がユダヤ人で、ホロコーストを逃れてアメリカに渡った経験と関係するのかもしれない。 人間が多数存在することが、意見の多様性を生み出し、公共性を準備する。アーレントはまずはその複数性を維持する条件について考えた。そう理解すれば、彼女の真の関心はポリスとオイコスの区別よりさらに深く、世界の持続性そのものにあったのだとも解釈できる。 ここでは触れることしかできないが、実際にアーレントはさまざまな著作で持続性の問題こそを中心に議論している。たとえば『人間の条件』の五年後、一九六三年には『革命について』という著作を発表している。同書はひとことで要約すれば、フランス革命を低く評価し、アメリカ独立革命を高く評価する著作である。なぜふたつの革命が対照的に評価されるのかといえば、アーレントの考えでは、前者が革命という熱狂の記憶しか残さなかったのに対して、後者が合衆国憲法と共和制という「公的見解を形成するための永続的な制度」を残したからである[★68]。あるいはまた晩年の一九七〇年に行われたカントの政治哲学をめぐる講義も、この点で注目すべき仕事である。アーレントはそこではこんどは、公共的な言論が成立するためには、「読者」や「観客」が必要になると論じている[★69]。 アーレントは革命の熱狂を評価しなかった。その理想が新しい制度に定着しなければ評価しなかった。同じように開かれた議論があるだけでは満足しなかった。読者や観客がいて、未来に伝えられなければだめだと考えた。 世界が持続すること。ひとが生まれ、ものがつくられ、歴史がつながっていくこと。その肯定から始まるアーレントの政治思想は、彼女自身が家族という言葉を使わなかったとしても、ぼくにはまさに「家族の哲学」の名にふさわしいように思われる。開かれているとか閉じられているとかは、そのあとにくる話だ。 アーレントはじつは『人間の条件』で、制作を「ポイエーシス」というギリシア語でいいかえている[★70]。それは哲学ではよく知られた言葉で、日本語で「詩作」とも訳される。そしてそれはまた、本論のはじめで参照したプラトンが、『国家』で理想国家の実現のために排除しようとした概念としても知られている。プラトンは、ポイエーシスに携わる人々、すなわち「詩人」は、守護者たちの心を乱すので追放されねばならないと語っていたのである[★71]。 プラトンは国家から家族を排除しただけではない。ものづくりも排除していた。開かれた社会を目指し、言葉だけを操っていればよいというリベラルの錯誤は、二四〇〇年前の哲学者から現在までまっすぐにつながっている。本論のアーレント読解が、その伝統に楔を打ち込む助けになればよいと思う。 第一部を閉じるにあたり、とりあえずの結論を記しておきたい。ぼくはここまで、市民社会と家族、開かれた公と閉ざされた私、リベラルと保守といった対立を脱し、共同体のありかたについて考えるためには、ウィトゲンシュタインとクリプキの哲学から引き出せる「訂正可能性」の考えかたに注目し、家族の概念を再構築することが必要であると論じてきた。 共同体の同一性がたえず訂正され続けるということ。それは共同体が持続可能だということでもある。最近のリベラルは開放性についてばかり考えてきた。そしてあまりにも持続性に無頓着だった。 ぼくは『観光客の哲学』で「マルチチュード」という概念に触れている。哲学者のアントニオ・ネグリが一九九〇年代に提示したもので、グローバルな市民がつくる新しい連帯を意味している。従来の党や市民運動とは異なるかたちの組織原理だとされ、一時期はずいぶんともてはやされた。 けれども残念なことに、ネグリの提案から四半世紀以上が経ついまになっても、そのマルチチュードなるものがどのように組織化されるのか、なにを理念として掲げるのか、左派の哲学者はまともな理論をなにひとつ生み出すことができていない。その理論の欠如はあまりに深刻なので、逆に最近ではシャンタル・ムフのように、ポピュリズムに期待するしかないといった議論まで現れるようになっている[★72]。実際いまの左派は、気候変動にせよジェンダー問題にせよ、メディアと組んでポピュリズムを演出することにはずいぶんと長けている。抗議運動は世界中でおしゃれなものになり、若者や芸能人がこぞって参加するようになった。その盛り上がりは一部の学者やメディア人には新たな希望にみえるのかもしれない。けれども祭りは祭りにすぎない。多数派の意見を変えたりはしない。かりに左派が、長期的な戦略なく一時の流行に乗って事足れりとするのであれば、それはかつてアーレントが指摘したような、熱狂のみを追い求めたフランス革命の失敗を反復するだけに終わるだろう。少なくとも日本では、本章冒頭で記したとおり、この一〇年で左派あるいはリベラルと呼ばれる勢力は驚くほど衰退した。原因の一端は、まちがいなくそのようなポピュリズム志向にある。 したがってぼくは、いまのリベラルの言語には、組織や運動の持続可能性の視点がもういちど強力に導入されるべきだと考える。最後のアーレントの読解はそのような問題意識のうえで行われている。 政治が目指すべき公共性は、開放性の場としてだけではなく、同時に持続可能な場として、したがって訂正可能性の場としても構想されなければならない。それが第一部の結論である。 理想の政治は、あらゆる法、あらゆる偏見、あらゆる差別、あらゆるイデオロギー、あらゆる友敵の分割を乗り越えるものでなければならない。本書の議論はそのような信念のうえに組み立てられている。その点ではリベラルの側に立つ。 けれども同時にぼくは、その理想は、歴史の蓄積を否定するのではなく、つまり「リセット」するのではなく、過去の不条理さをあるていど許容しつつ、しかし同時につねに訂正可能性に開いていくような、持続的な運動を経由して実現されるほかないと考える。その点では本書はリベラルから離れている。そのような諦念は、リベラルからすれば、保守的であり、また現状追認として非難されるものでもあろう。しかしぼくは、それだけが現実的な社会変革の態度だと考える。ぼくたちは、「リベラルなアイロニスト」として、あるいは再帰的な保守主義者として、伝統を守るために変える、あるいは変えるために守る、そのような両義的な態度をもって社会に接さなければならない。おそらくは、それだけが人間にできることなのである。 かつてジャック・デリダは、脱構築とは正義のことだと記した[★73]。それに倣えば、ぼくの考えは、正義とは訂正可能性のことだと表現できるかもしれない。人間はつねに誤る。正義はその訂正の運動でしかない。正義は、開かれていることにではなく、つねに訂正可能なことのなかにある。 蛇足ながら、本書のスタイルについて短く記しておきたい。ぼくはこの第一部を、ポパーのプラトン解釈から始め、トッド、ウィトゲンシュタイン、クリプキといった人々を経て、最後はローティとアーレントの再解釈で締めた。続く第二部でも同じようなスタイルで議論を進めている。 人文学は過去のアイデアの組み合わせで思考を展開する。だからこのようなスタイルはよく見られるものではある。 とはいえ本書の参照元は、時代も言語もジャンルもあまりにばらばらに散っている。その点で違和感を抱いた読者も多いだろう。本書はクリプキとローティやアーレントを自在に組み合わせているが、彼ら自身が相互に参照しているわけではない。連結を支えているのは結局のところはぼくの直感である。このような読解はいまでは歓迎されない。専門家からすれば根拠のないアクロバットにすぎないだろうし、逆に一般の読者からすれば不必要に哲学者の名前を並べた迂遠なものにみえるだろう。 にもかかわらず、あえてこのようなスタイルを採用したのは、それこそがいま哲学の再生のために必要だと思われたからである。 二〇二三年のいま、日本では人文学の評判は落ちるところまで落ちている。言論人や批評家にかつての存在感はない。有名な学者もほとんどいない。世に出てくる文系学者といえば、活動家まがいの極端な政治的主張を投げつける目立ちたがりの人々ばかりだ。SNSを開けば、文系はバカだ、非科学的だ、役にたたない、他人の仕事にケチをつけているだけだといった罵詈雑言が溢れている。ぼくは文系学部の出身だが、もしいま一〇代の高校生だったら進学先に文系を選ぶことはありえなかっただろうと、そのような言葉に接するたびに真剣に思う。 人文学は信頼を回復しなければならない。人文学には自然科学や社会科学とは異なった役割があることを、きちんと論理的に伝えなければならない。じつは本論はそのような意図でも書かれている。 前述のように、人文学は過去のアイデアの組み合わせで思考を展開する。自然科学のように実験で仮説を検証するわけではない。社会科学のように統計調査を活用するわけでもない。プラトンはこう言った、ヘーゲルはこう言った、ハイデガーはこう言った……といった蓄積を活用し、過去のテクストを読み替えることで思想を表現する。すべての人文学がそうではないと反論されるかもしれないが、少なくともその中心を担ってきた大陸系哲学はそのようなスタイルを採る。 人文学のこのようなスタイルは、現在では否定的に評価されることが多い。それは非科学的で権威主義的で、ときにカルト的にすらみえるからだ。そのとおりのこともある。 けれどもぼくの考えでは、人間はけっしてそんな怪しげな営みを破棄できない。なぜならば、その「カルト的」なスタイルは、じつは人間が言語を用いて思考するかぎり避けることができない、ある条件を凝縮して反映したものにすぎないからである。その条件が、まさに本論で「訂正可能性」と呼んできたものである。 ぼくたちは単純な加法ですら完全には定義できない。クリプキの懐疑論者を排除できない。だとすれば、真理や善や美や正義といった厄介で繊細な概念について、同じようにすべてをひっくり返す懐疑論者の出現をどのようにして排除することができるだろうか。人文学者はそのことをよく知っている。それゆえ人文学は、すべての重要な概念について、歴史や固有名なしの定義など最初から諦めて、先行するテクストの読み替えによって、すなわち「訂正」によって、再定義を繰り返して進むことを選んでいるのである。それは結果的に、先行者の業績を無批判に尊重する、非科学的で権威主義的なふるまいにみえる。しかしけっしてそれが目的なわけではない。 だからぼくは本論で、訂正可能性について理論的に語るとともに、またその訂正の行為を「実践」しなければならないと考えた。ぼくはこの第一部で、家族や訂正可能性について「正しい」理解を提案したのではない。ぼくが行なったのは、ウィトゲンシュタインの哲学を訂正し、ローティの連帯論を訂正し、アーレントの公共性論を訂正する……といった訂正の連鎖の実践である。だから本論の結論も、いつかまた読者のみなさんによって訂正されるかもしれない。その可能性は排除できない。むしろその排除の不可能性こそが人文学の持続性を保証するのだ。 人文学がこのようなスタイルをとるのは、けっして人文学者が愚かだからではない。人間はそもそもそのようにしてしか思考できないのだ。人文学が消滅するときがあるとすれば、それは人間が人間でなくなり、ウィトゲンシュタインとクリプキの指摘が無効化されるときなのではないかと思う。 人間が人文学を原理的に破棄できないということ。続く第二部では、それを民主主義の問題として考えてみよう。 ★1 東浩紀『観光客の哲学』増補版、ゲンロン、2023年。初版は『ゲンロン0 観光客の哲学』というタイトルのもと二〇一七年に出版された。初版と増補版では章番号がずれているが、増補版のもので参照する。 ★2 上野千鶴子『おひとりさまの老後』、法研、2007年。 ★3 同論考は電子雑誌『ゲンロンβ』に連載されていたもので、二〇二三年秋にゲンロンより単行本として刊行予定。以下では連載時の出版情報で参照する。 ★4 本田晃子「革命と住宅」第1回、『ゲンロンβ57』、2021年。 ★5 412E。藤沢令夫訳。『プラトン全集』第11巻、岩波書店、1976年、246頁。全集では同じ巻のなかでも収録作品によって訳者が異なることがある。以下、全集からの引用は、参照している作品の訳者名のみを初出時に書名の前に記載している。 ★6 457D。同書、354頁。 ★7 「この原初の状態では、家も小屋もいかなる種類の所有物もなく、各人は、偶然に、しばしばたった一晩の宿りのために住居を定め、雄と雌は出会いと機会が生ずるに応じ欲望のままに偶然に結びつ」く。原好男訳。『ルソー全集』第4巻、白水社、1978年、215頁。 ルソーを家族を否定する哲学者として捉えるこの記述には、違和感を覚える読者が多いかもしれない。実際、彼は『新エロイーズ』や『エミール』といった著作では家族の価値を高らかに謳い上げている。けれどもルソーは複雑な人物で、問題はそれほど単純ではない。とりあえずここでは、ルソーが上記の引用のように、自然状態では家族も私有財産もなかったはずだと記述していたことを重視した。この思想家については、のち第二部で主題的に扱う。 ★8 石井洋二郎『科学から空想へ』、藤原書店、2009年、170頁以下。 ★9 フリードリヒ・エンゲルス『住宅問題』、村田陽一訳、国民文庫、1974年、36頁。 ★10 性愛あるいは恋愛がディストピアを揺るがすという構図はこの二作に共通している。少し詳しく紹介しておく。 まず『すばらしい新世界』の世界では複数の性的パートナーをもつことが奨励されている。小説前半の男性主人公「バーナード」と女性主人公「レーニナ」はともにその常識に違和感を抱いており(最終的には受け入れるのだが)、その感覚が後半の物語を動かす重要人物「野蛮人ジョン」を呼び寄せる原動力となっている。他方で『一九八四年』の世界ではより明確に恋愛が物語の鍵になっている。男性主人公「ウィンストン」は反体制的な思想を抱く人物として導入されているが、その志向は若い女性「ジュリア」と出会うことで先鋭化する。そのうえで小説は、全体主義的な権力がふたりを拘束し、相互に裏切らせ、愛を打ち砕くことで精神的支配を取り戻すというかたちで進んでいく。同作で権力者は、「これまでわれわれは親子間、個人間、男女間の絆を断ち切ってきた[……]将来は、妻や友人といったもの自体が存在しなくなるだろう」と語っている。ジョージ・オーウェル『一九八四年』新訳版、高橋和久訳、ハヤカワepi文庫、2009年、414頁。以下、[ ]は引用者による補足を、[……]は省略を示す。本文内の引用も同じ。 ちなみに二〇世紀前半の重要なディストピア小説としては、もうひとつ、この二作に先行して一九二〇年から二一年にかけて共産主義体制下で書かれたエヴゲニー・ザミャーチンの『われら』がある。同書はソ連では発表できず、はじめは英訳で出版された。興味深いことにこの小説も似た構造を備えている。全体主義国家は、そこでも家庭と性を完全に管理する存在として描かれている。男性主人公「Д-503」はある女性との出会いがきっかけでその支配から外れ、物語が動き出す。つまりは、ハクスリーもオーウェルもザミャーチンも、みなそろって性愛をディストピアに対する懐疑や抵抗の拠点として描いているのである。 とはいえこの特徴は、二一世紀の視点で読みなおすと、男性小説家の都合のいい女性幻想にみえなくもない。本書第一部の議論は公共(ポリス)と家族(オイコス)の分割を疑うことを主題としている。本文ではほとんど触れていないが、その分割はいうまでもなく性差別と結びついている。西洋の知的な伝統においては女性は長いあいだポリスの外部に排除され、オイコスに閉じ込められていた。だからこそハクスリーもオーウェルもザミャーチンも、女性の登場人物を国家への抵抗の拠点として無造作に導入できたのだろう。 ★11 カール・R・ポパー『開かれた社会とその敵 第一部 プラトンの呪文』、内田詔夫、小河原誠訳、未來社、1980年、172、174、191頁。以下断片的な引用については、段落の最後の注などにまとめてページ数を示すことがある。 ★12 佐々木毅『プラトンの呪縛』、講談社学術文庫、2000年、137頁以下。 ★13 459A以下。『プラトン全集』第11巻、357頁以下。 ★14 『開かれた社会とその敵 第一部 プラトンの呪文』、64頁。 ★15 納富信留『プラトン 理想国の現在』、慶應義塾大学出版会、2012年、35頁。 ★16 カール・R・ポパー『開かれた社会とその敵 第二部 予言の大潮』、内田詔夫、小河原誠訳、未來社、1980年、34、36、78頁。 ★17 第75節、第258節。ヘーゲル『法の哲学』、藤野渉、赤沢正敏訳、中公クラシックス、2001年、第Ⅰ巻、231頁、第Ⅱ巻、223頁。 ★18 第33節。『法の哲学』第Ⅰ巻、137頁。ところで、ここでは触れるにとどめておくが、興味深いことに、ヘーゲル自身もじつはプラトンの『国家』について、私的所有の廃止を条件とするその国家像は家族的なるもの(「兄弟的団結」)への後退にすぎず、「精神の自由と法ないし権利との本性を見そこな」っているので乗り越えなければならないと記している(第46節。第Ⅰ巻、164頁)。つまりは、プラトンが家族を批判して開かれた国家像を語り、ヘーゲルはその国家像が家族的だと批判して別の開かれた国家像を語り、ポパーもまたその国家像が家族的だと批判して別の開かれた国家像を語るという連鎖が生じているのである。 ★19 本文ではポパーの『開かれた社会とその敵』しか参照することができず、それゆえこの哲学者には否定的な役割しか与えることができなかった。けれどもそれは本当はフェアではない。というのも、彼は、『開かれた社会とその敵』に先行する仕事において、本論にとってもきわめて示唆的な「反証可能性」という概念を提出しているからである。補足しておきたい。 反証可能性の概念は、ポパーの科学哲学の仕事で提案されたものである。二〇世紀はじめのヨーロッパでは、相対性理論や量子力学、集合論の出現などの革命が相次ぎ、哲学者たちの関心は真理や科学性をどのように定義しなおすかという問題に集まっていた。まだ三〇代の若者だったポパーも同じ問題に取り組み、『科学的発見の論理』という著作を一九三四年に発表した。 同書の主張は、ひとことでいえばつぎのようなものである。ある理論が科学的と呼ばれるためには、論理的な体系性や経験に基づいた実証性だけでは不十分である。科学が科学であるためには、そのテストによって理論全体の正しさが検証されるような、なんらかの具体的な予測が導き出されることが必要不可欠だ。たとえばアインシュタインの相対性理論からは、重力は光を曲げるので、太陽近くに見える星は本来の位置からずれて見えるはずだという予測が導き出される。この予測は現実に一九一九年の皆既日食を利用した観察で正しいと確認された。もしそこで異なった観察結果が出ていたら、すなわち「反証」されていたら、相対性理論はその時点で放棄されただろう。このようなテスト可能性=反証可能性こそが科学の科学性を支える。ポパーはそう考えた。 これはいっけんあたりまえのことをいっているようだが、哲学的にはじつはかなりラディカルな帰結を導く。というのも、反証可能性による判断は、その定義上理論の「誤り」しか教えてくれないからである。反証が失敗したとしても、理論全体の正しさが証明されるわけではない。さきほどの事例であれば、なるほど確かに、星の見かけの位置が予測と異なってずれていなかったとしたら相対性理論は放棄されるしかない。けれども逆に予測どおりずれていたとしても、それはこの個別の事例で予測の正しさが確認されたことを意味するだけである。いつか新しい事例で反証が成功し、理論が誤りだとみなされる可能性は残り続ける。 つまりは科学の科学性を反証可能性によって定義することは、理論そのものの正しさはけっして証明できないという、原理的な不能性を受け入れることを意味するのである。ポパーによれば、経験科学、すなわち数学や論理学と異なり世界の観察を必要とする物理学のような学問においては、そもそも正しさなるものは具体的な予測について確認できるだけであり(専門用語でいえば単称命題のかたちで証明できるだけであり)、理論全体については成立しない(帰納による一般化は機能しない)。ひらたくいえば科学の正しさなるものはつねに暫定的なものでしかない。いくら盤石にみえても、いつひっくり返るかわからないのだ。 本文を読み進めてくれるとわかるように、この「正しさ」をめぐる認識は、のち第二章で明らかにするウィトゲンシュタインとクリプキの言語哲学ときわめて近いものになっている。そもそも本論の鍵となっている「訂正可能性」は、反証可能性に語感がたいへん似ている。それゆえ第一部の最後ではもういちどポパーに戻るべきだったのだが、議論の展開上どうしても叶わなかった。ぼくが本論でいいたかったのは、自然科学が反証可能性によって定義されるのだとすれば、人文学は訂正可能性によって定義されるということでもある。 ★20 エマニュエル・トッド『家族システムの起源I ユーラシア』上巻、石崎晴己監訳、藤原書店、2016年、185頁。 ★21 同書、56頁参照。ここの訳注で邦訳者は、トッドの思想を「共産主義とは、共同体家族の価値観の近代イデオロギー的再編ないし復興に他ならない」と要約している。 ★22 エマニュエル・トッド『世界の多様性』、荻野文隆訳、藤原書店、2008年、292頁。 ★23 フランス革命と平等主義核家族の関係については、同書、52-53頁、463頁参照。直系家族と民族中心主義の関係については同書、「第三惑星」第3章参照。そこでは直系家族は権威主義家族と呼ばれている。 ★24 家族の外にも家族しかなく、家族の否定が家族の再提示になってしまうというこの歪みは、個人の単位でみれば精神分析的な現象でもある。議論が複雑になるのを避けるため、ぼくは本論では精神分析の話題は避け、フロイトもラカンも参照しなかった。とはいえ、本論はそもそも家族論でもあり、本当はあちこちに精神分析の影響が顔を覗かせている。 ★25 第67節。藤本隆志訳。『ウィトゲンシュタイン全集』第8巻、大修館書店、1976年、70頁。訳文は原文を参照し一部変更している。 ★26 古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』、NHKブックス、2020年、230頁。 ★27 Saul A. Kripke, Wittgenstein on Rules and Private Language, Harvard University Press, 1982, p.55. ソール・A・クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』、黒崎宏訳、産業図書、1983年、108頁。訳文は原文を参照し一部変更している。以下も同じ。 ★28 ibid., p.89. 同書、173-174頁。 ★29 ibid., p.95. 同書、186頁。 ★30 クリプキの『哲学探究』解釈とその「解決」は、じつはウィトゲンシュタイン研究者のあいだでは正確ではないとみなされているらしい。ウィトゲンシュタインはクリプキが抽出したような「パラドックス」を提示しておらず、したがって解決をそもそも必要としなかったというのが標準的な評価のようだ。とはいえ、クリプキが解釈したウィトゲンシュタイン(業界用語で「クリプケンシュタイン」と呼ぶ)が単純な誤読の産物というわけではない。哲学者の飯田隆によれば、クリプケンシュタインは、それはそれで哲学的な懐疑論の伝統に基づいて重要な問題提起をしている。けれどもウィトゲンシュタイン自身はそもそも哲学の重要性を信じておらず、したがって問題提起すらしていないと考えるべきであるようだ。飯田はその齟齬を「スタイルの問題」と形容している。飯田隆『クリプキ ことばは意味をもてるか』、NHK出版、2004年、112頁以下。だとすれば、クリプケンシュタインをウィトゲンシュタインを使って補おうという本論の試みは、学問的にはますます倒錯しているということになるのかもしれない。 ★31 Wittgenstein on Rules and Private Language, p.92. 『ウィトゲンシュタインのパラドックス』、179-180頁。 ★32 言語哲学における「意味」の意味は、じつは日常的な日本語の語感としてはたいへんわかりにくいものになっている。言語哲学の歴史では、ゴットロープ・フレーゲが一九世紀の末に記した「意義と意味」という論文がたいへん重要なものとされている。そこで「意味」と訳されているのは Bedeutung、「意義」と訳されているのは Sinn というドイツ語である。フレーゲは同論文で「明けの明星」と「宵の明星」というふたつの言葉を例に挙げ、両者はともに物理的には金星を指し、それゆえ同じ Bedeutung をもつが、使われる文脈は違うので Sinn は異なると論じた。だとすれば日本語の語感としては Bedeutung は「指示対象」と訳し、Sinn こそ「意味」と訳したほうがよいと思われるが、なぜかいまもこの訳が定着している。それゆえここでは「意味あるいは指示対象」と等値で記している。なお、フレーゲの英訳では、Bedeutung は reference、Sinn は sense と訳されており違和感はない。 ★33 議論をわかりやすくするためこのように記しているが、じつは固有名と一般名の境界は明確ではない。一般名も本質的には固有名と同じ性格を備えている。つまり定義が訂正可能である。たとえば単位の例を考えてみよう。メートル(長さの単位)が一八世紀末に地球の子午線弧を基準に定義されたことはよく知られている。けれどもいまでは光速度を基準に定義されている。したがって、かつての一メートルはいまでは一メートルではない。同じように秒(時間の単位)やキログラム(質量の単位)も当初の定義は破棄され、いまでは物理定数を基準に定義されている。「一メートル原器がじつは一メートルではなかった」というのは、論理的にはありえない命題である。けれどもぼくたちは自然にそれを受け入れているし、だからこそ物理学も進歩しているのである。なお、一般名も固有名と同じ逆説を抱えているという問題については、クリプキ自身が『名指しと必然性』の最終講義の主題としている。Saul A. Kripke, Naming and Necessity, Harvard University Press, 1980, p.116f. ソール・A・クリプキ『名指しと必然性』、八木沢敬、野家啓一訳、産業図書、1985年、137頁以下。 ★34 ここでは話を単純にするため、男性でなければ女性だとみなしている。 ★35 ibid., p.59. 同書、212頁。訳文は原文を参照し一部変更している。以下も同じ。 ★36 ibid., p.106. 同書、128頁。 ★37 クリプキはつぎのように記している。「わたしのおもな主張は、わたしたちは名前が固定的であるという直接的な直観をもっており、それは特定の文の真理条件についての理解のなかに現れているということなのである」。ibid., p.14. 同書、15頁。 ★38 二〇二三年二月現在、グーグルの日本語辞書は「家族」を「同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々」と定義している。日本の出版物における規定はつぎのとおりである。小学館の『日本国語大辞典』第2版(2001年)は「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた近親者を含む生活共同体」と定義している。同社の『日本大百科全書』第2版(1994年)は「夫婦・親子を中心とする近親者によって構成され、成員相互の感情的絆に基づいて日常生活を共同に営む小集団」と定義している。すべて血縁と共同生活を条件としている。凡社の『世界大百科事典』改訂新版(2007年)には「近親関係を中心に構成される最小の居住集団を〈家族〉とか〈世帯〉とか呼んでいる」との記述があり、「家族」と「世帯」が同一視されている。ただし同じ項目には「英語における family(家族)という語にしても、従来この語がもっていた使用人を含めた世帯、あるいはこの語に含まれていた財産、血統などの意味が落ち、一つの家に住む少数の親族という今日的意味が定着したのは、近々19世紀初めのことにすぎない。この変化の背後にはこの小集団を賃金労働によって扶養される単位に単純化した、産業革命以後の新しくて強力な社会関係が横たわっているのである」との記述があり、家族の概念はもともとはより広かったことが示唆されている(「家族」、執筆者は村武精一)。 日本語以外ではつぎのとおりである。英語では family は、古い用例と断りつつも、血縁だけでなく召使いなども含む言葉として定義されている(“A group of people living as a household, traditionally consisting of parents and their children, and also (chiefly in early use) any servants, boarders, etc.; any household consisting of people who have long-term commitments to each other and are (usually) raising children; such a group as a fundamental social unit or institution.,” Oxford English Dictionary, oed.com, last modified in July 2023. URL=https://www.oed.com/dictionary/family_n)。フランス語の辞書では famille は「血縁関係で結ばれている、生者あるいは死者の個人の集合」と定義され(Larousse, Dictionnaire de français, 1996、訳は引用者、以下も同じ)、ドイツ語の辞書では Familie は「両親もしくは片親、そして少なくともひとりの子からなる(生活)共同体」と定義されている(Duden, Deutsches Universalwörterbuch, 2015)。ともに英語よりも血縁を重視している。ロシア語のオンライン事典では、法律用語としての semiya(семья)を、「婚姻、血縁、姻戚あるいはそのほかの関係(たとえば養子)によって設立された社会的制度で、その構成員は共通の家計と相互扶助によって結び合わされている」と定義している(Большая российская энциклопедия 2004-2017, URL=https://old.bigenc.ru/law/text/3547965)。「そのほかの関係」が明記され「社会的制度」と記されている点が興味深い。 ★39 日本財団ジャーナル編集部「潜在的な里親候補者は100万世帯! なぜ、里親・養子縁組制度が日本に普及しないのか?」、「日本財団ジャーナル」、2019年2月12日。URL=https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2019/17667 ★40 本文では省略せざるをえなかったが、クリプキはじつは若いころに様相論理学と呼ばれる分野で画期的な業績を上げている。『名指しと必然性』はその仕事と深い関係にある。 様相論理とは、真偽を扱う古典論理を拡張し、必然性や可能性も記述可能にした論理のことである。ひらたくいえば、「はPである」というかたちの命題だけでなく、「がPであることは必然である」や「がPであることは可能である」といった命題も扱うことができる論理のことだ。必然や可能といった様相概念は、二〇世紀前半においては論理的な概念だと考えられていなかった。ある人々は、それらは命題の内容そのもの(がPであるかどうか)に関わる概念ではなくひとの認識(がPであることを必然/可能だと思うかどうか)に関わる心理的な概念だと考えていたし、別の人々は、必然性とは分析性(命題の論理構造を分析すれば導き出せるトートロジー)の別名だと考えていたからである。 ところが一九五〇年代から六〇年代にかけて、「可能世界意味論」と呼ばれる新しい方法論が現れ、様相論理は学界の中心に躍り出ることになった。クリプキはそこで主導的な役割を果たしたことで知られる。クリプキらが構築したその新しい意味論においては、必然性や可能性などの様相概念は、「可能世界」のあいだの「到達可能性 accessibility」という概念を使って記述しなおされている。たとえば、ある世界における「がPであることは必然である」という命題は、「その世界から到達可能なすべての可能世界においてがPであることが真である」という命題に、「がPであることは可能である」という命題は、「その世界から到達可能な可能世界のうち少なくともひとつの可能世界でがPであることが真である」という命題として解釈しなおされるのである。この新解釈によってどのような学問的な飛躍があったか、またそれがクリプキの固有名論とどのような関係をもつのかの説明は、専門書をあたってほしい。けれども、多数の世界が「到達可能性」によって連結され、ある世界からある世界には到達できるが、別の世界には到達できないといった論理空間の構造が、本文で参照しているグラフ理論に近いことは想像がつくのではないかと思う。 飯田隆はある解説書のなかで、可能世界意味論の体系を、複数の都市(可能世界)が鉄道(到達可能性)で連結されているさまと比較している。飯田隆『言語哲学大全Ⅲ 意味と様相(下)』、勁草書房、1995年、108頁。固有名の訂正可能性(誤配)の存在が示唆しているのは、もしかしたら、ぼくたちの自然言語が、この現実から別の可能世界への論理的な到達関係を、つないでは切断し、またつなぎなおすというようにたえず再構築し続けているということなのかもしれない。 ★41 宇野重規『日本の保守とリベラル』、中公選書、2023年、17頁。 ★42 宇野重規『保守主義とは何か』、中公新書、2016年、204-205頁。 ★43 カズオ・イシグロ、倉沢美左「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ」、「東洋経済オンライン」、2021年3月4日。URL=https://toyokeizai.net/articles/-/414929?page=2 ★44 Richard Rorty, Contingency, Irony, and Solidarity, Cambridge University Press, 1989, p.xv. リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』、齋藤純一ほか訳、岩波書店、2000年、5頁。訳文は原文を参照し一部変更している。以下も同じ。 ★45 ibid., p.96. 同書、197頁。 ★46 ibid., p.198. 同書、411頁。 ★47 リチャード・ローティ『アメリカ 未完のプロジェクト』、小澤照彦訳、晃洋書房、2000年、41頁。ローティと保守思想の関係は長く複雑で、実際は『偶然性・アイロニー・連帯』以前にすでに保守だったともいえる。彼の最初の著作である『哲学と自然の鏡』はそもそもが、現代保守主義の代表的な哲学者、マイケル・オークショットへの言及で終わっている。 ★48 岡本裕一朗『ネオ・プラグマティズムとは何か』、ナカニシヤ出版、2012年、92-93頁。 ★49 Contingency, Irony, and Solidarity, p.190. 『偶然性・アイロニー・連帯』、397頁。 ★50 ibid., p.192. 同書、401頁。 ★51 ibid., p.198. 同書、411頁。 ★52 齋藤純一『公共性』、岩波書店、2000年、5頁。 ★53 同書、3頁参照。 ★54 Hannah Arendt, The Human Condition, Second edition and Sixtieth anniversary edition, The University of Chicago Press, 2018, p.28. ハンナ・アレント『人間の条件』、志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、49-50頁。訳文は原文を参照し一部変更している。以下も同じ。 ★55 ibid., p.50. 同書、75頁。 ★56 ibid., pp.52, 55. 同書、78、82頁。ここで「現世における潜在的な不死性」と訳した語句は、英文では potential earthly immortality。 ★57 ibid., p.7. 同書、20頁。 ★58 「営為」の原語は activity。原文では、人間の vita activa を支える activities が、labor、work、action の三つに分類されると表現されている。志水速雄による邦訳では順に「活動力」「労働」「仕事」「活動」と訳されている。考えられた訳語ではあるが、「活動力」のひとつとして「活動」があるというのは日本語として混乱を呼ぶ。そこでここでは「営為」という言葉に訳した。work を「仕事」でなく「制作」と訳したのは、本章でも最後に言及しているように、アーレントがこの言葉をギリシア語のポイエーシスと等置しており、また彼女自身によるドイツ語訳で Herstellen と訳されているからである。work は「仕事」と訳すことができるが、ポイエーシスと Herstellen をそう訳すのはむずかしい。 ★59 この問題については別の場所で独立して論じたことがある。東浩紀「アクションとポイエーシス」、『新潮』2020年1月号。 ★60 The Human Condition, p.198. 『人間の条件』、319-320頁。 ★61 ibid., p.179. 同書、291頁。 ★62 『公共性』、40頁以下。 ★63 The Human Condition, p.94. 『人間の条件』、148頁。 ★64 ibid., p.173. 同書、273頁。 ★65 ぼくはここで、哲学者のジャック・デリダが論じたパロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)の関係を思い浮かべながら議論を展開している。デリダは『エクリチュールと差異』そのほかで、パロールはエクリチュールなしには存在できない、にもかかわらず西洋哲学はつねにパロールを特権視し、あたかもエクリチュールがなくても単独で存在できるかのように思考を展開してきたと指摘していた。ここで観察されるのはまさにそれと同じ排除である。パロールがエクリチュールなしには存在できないように、活動も本当は制作なしには存在できない。アーレント自身もそう書いている。にもかかわらず、彼女は同時に、活動が活動だけで存在し、公共性を構築できるかのように議論してしまっているのである。 ★66 The Human Condition, p.192. 『人間の条件』、310-311頁。つぎの段落の引用も同じ。 ★67 『人間の条件』の冒頭にはつぎのような一文がある。「可死性[mortality]ではなく出生[natality]こそ、形而上学的思考と区別される政治的思考の中心的カテゴリーであろう」。ibid., p.9. 同書、21頁。おそらくはアーレントはここで、形而上学的思考という言葉でハイデガーの存在論を示唆している。ハイデガーは人間=現存在について、固有の死から考えることの重要性を説いた哲学者だった。他方でアーレントは、まずは出生について考える。 なお、アーレントにおける出生の概念については、戸谷洋志と百木漠の共著『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』が参考になる。慶應義塾大学出版会、2020年。同書はハンス・ヨナスの哲学との比較を通して、出生の概念が、アーレントのなかで不安定で逆説的な位置を占めていることを鋭く抉り出している。その不安定さはおそらく本論で検討している制作の概念のそれと重なる。パロールはエクリチュールに依存し、活動は制作に依存し、ポリスはオイコスに依存し、政治は出生に依存する。けれども同時に、パロールについての思考はエクリチュールを消し、活動についての思考は制作を消し、ポリスについての思考はオイコスを消し、政治についての思考は出生を消してしまうのである。 ★68 アーレントはつぎのように記している。「[大衆の]意見はフランス革命とアメリカ革命の両方で発見されたが、共和政の構造そのもののなかに、公的見解を形成するための永続的な制度をつくりあげる方法を知っていたのはアメリカ革命だけであった」。ハンナ・アレント『革命について』、志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、369頁。 ★69 ハンナ・アーレント『カント政治哲学の講義』、ロナルド・ベイナー編、浜田義文監訳、法政大学出版局、1987年、91頁以下参照。 ★70 The Human Condition, p.195f. 『人間の条件』、315頁以下。 ★71 605B以下。『プラトン全集』第11巻、718頁以下。 ★72 たとえばムフはつぎのように記す。「左派ポピュリズム戦略は、いっそうの民主的な秩序を求める共通の感情に支えられた、集合的意志の結晶化をめざしている。この戦略が要求するのは、新しい同一化の形式をもたらす言説的/情動的な実践への書き込みを通じて、欲望と感情の様々なレジームを創出することである」。シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』、山本圭、塩田潤訳、明石書店、2019年、103頁。じつに抽象的である。ぼくたちが必要としているのは、その肝心の「レジーム」が具体的にいかなるものになるべきなのか、その指針となる哲学なのだ。 ★73 ジャック・デリダ『法の力』新装版、堅田研一訳、法政大学出版局、2011年、34頁。
コメントを残す