観光

はじめに本書あるいは本誌は、弊社ゲンロンが二〇一五年一二月に創刊した批評誌『ゲンロン』の時期遅れの創刊準備号( 0号)であり、同じくゲンロンが二〇一一年一月に創刊したムック『思想地図 β』の三年半の空白を挟んでの終刊号( 5号)であり、またぼく東浩紀が二〇一六年から一七年にかけての冬に書き下ろした哲学書でもある。本書を雑誌と捉えるか単行本と捉えるかは、流通上の形式の問題であり、あまり本質的なことではない。とにもかくにも、ぼくは、この書物の最初から最後まで、広告や編集後記を除きすべての文章を自分自身で書き起こした。本書は哲学書である。ぼくは批評家だが、哲学について考えている。ぼくの最初の文章は一九九三年に出版された。それは、ソ連の反体制作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンについての評論だった。それ以来、四半世紀にわたり、ぼくはさまざまなことを考えてきた。とりわけ、二一世紀のこのネットとテロとヘイトに覆われた世界において、ほんとうに必要とされる哲学はどのようなものかを考えてきた。本書にはその現時点での結論が書きこまれている。ぼくはこの四半世紀、哲学や社会分析からサブカル評論や小説執筆まで、多岐にわたる仕事を行ってきた。それゆえ、受容も多様で、不毛な誤解に曝されることもあった。本書はその状況を変えるためにも書かれた。だから本書はいままでの仕事をたがいに接続するように構成されている。本書は、『存在論的、郵便的』の続編としても、『動物化するポストモダン』の続編としても、『一般意志 2・ 0』の続編としても、『弱いつながり』の続編としても読むことができるはずである。『クォンタム・ファミリーズ』の続編としてすら、読むことができるかもしれない。ぼくは本書を書き進めるなかで、この二〇年近い長い年月のなかではじめて、自分の「批評」のスタイルを、素直になんの屈託もなく肯定する心持ちになった。ぼくはいままでずっと、批評家であることに負い目を感じていた。批評なんて書いてもだれも得をしないし、喜ばないと思っていた。その迷いが消えた。本書の執筆を終え、ぼくはいま、かつてなく書くことの自由を感じている。本書の成立の経緯は複雑である。本書はもともと『思想地図 β』の 5号として、二〇一三年に刊行され、弊社友の会の会員(第四期)のみなさんに届けられるはずだった。その時点では、複数の執筆者によるムックとして企画されていて、このような単著になるとは考えられていなかった。ところが、同書の刊行はさまざまな事情で不可能になった。とはいえ、すでに会費は集めてしまっていたので、同じ価値の書籍か雑誌を送り届ける必要があった。そこでぼくは、『ゲンロン』の創刊にあたり、特別にぼくひとりの語り下ろしの準備号を刊行することにした。それが、いまみなさんが手にしている本の出発点となった企画である。同書の制作は、早ければ二〇一五年の秋、遅くとも同年度内の刊行を目指して進められた。夏には語り下ろしの収録を終え、編集作業に入った。構成原稿はほどなくしてできあがり、ぼくの修正もいったん半分以上終わった。けれどもそこからさきに真の困難があった。二〇一五年の一二月には、創刊準備号であるはずの本書の出版を待たず、『ゲンロン』が創刊された。同誌は好評をもって迎えられた。またゲンロンカフェやスクールなどの運営を通じ、弊社の認知も広がり始めた。そのような変化のなかで、ぼく自身があらためて本書の企画に疑問を覚え始めた。なによりもそれが語り下ろしなのが気にくわなかった。たしかにいまでは評論やノンフィクションの多くは語り下ろしで、今後もその流れは変わらないように思われた。けれども『ゲンロン』の創刊のあと、いまぼくがそれを追うべきかといえば、そうではない気がした。そこでぼくは、二〇一六年の冬になって、それまでの原稿をすべて破棄し、新しい本をゼロから書き下ろすことを決意したのである。本書の原稿はそのあとの三ヶ月間で書かれている。以下の議論では「誤配」が鍵になっている。その概念を先取りして用いるとすれば、本書はまさしく誤配の産物である。もしも弊社が『思想地図 β』最終号のためにあらかじめ会費を徴収し、のち出版できなくなるという事故がなければ、本書はけっして構想されることがなかっただろう。また、いまから七年前、ひょんなことから起業を決意し、それまでとはまったく異なる人生に足を踏み入れることがなければ、やはりこのような本を書くことはなかっただろう。そしてそのときはぼくはいまごろは、批評の自由をふたたび感じることもなく、本を書くことそのものを止めてしまっていただろう。実際、ぼくはこの一〇年ほど、もう本など書く気はないと言い続けていたのだ。最初から本を書こうとしていたら、ぼくは絶対に本を書けなかったにちがいない。誤配こそが社会をつくり連帯をつくる。だからぼくたちは積極的に誤配に身を曝さねばならない。それが第四章で記すテーゼだが、本書は、存在そのものがまさにそのよい例になっている。とはいえ、大前提として、誤配とは迷惑なものである。本書の制作は多くのひとに負担を強いた。出版まで年単位でお待たせした友の会第四期および第五期の会員のみなさん、そしていくども変わる計画と無理のあるスケジュールに振り回された印刷会社と書店関係者のみなさんに、この場を借りて、心よりお詫びを記しておきたい。社員も苦しめた。本書の内容が恩返しになっていたら幸いだ。批評には、まだ大きなことができる。少なくとも、大きなことを語ることはできる。そんなメッセージが、できるだけ多くの読者に誤配されればよいと考えている。二〇一七年三月一日東浩紀 1ぼくは二〇一四年に『弱いつながり』という小さな本を刊行した ★ 1。そこではぼくは、村人、旅人、観光客という三分法を提案している。人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる「観光客」的なありかたが大切だという主張である。この議論は予想外の反響を呼んだ。観光客という「ウチ」でも「ソト」でもない第三の存在様式という言いかたに、人生論や自己啓発として解釈できる余地があったためだろう。実際、出版社はそのように広告を打ってもいた。けれども、思想や批評を少しでもかじった読者であれば、そんな話はありふれていると感じたはずである。実際、『弱いつながり』では触れていないが、ぼくの観光客論は、山口昌男の有名な「中心 −周縁」図式をはじめ、思想史や批評史のさまざまな議論から示唆を受けて作られている。そもそもそれ以前に、ぼくが強い影響を受けた批評家の柄谷行人が、似たようなことを言っている。ある時期の彼は、「共同体」は閉じているからだめだ、「外部」からやってくる「他者」が必要なのだと説き続けていた。ぼくの議論は、柄谷のその議論を更新するものでもある。『弱いつながり』は、その点では本質的に新しいものではない。とはいえ、本質がどうこうと言いだしたら、古代ギリシア以来、新しいものなどいっさいないのが哲学というものである。むしろ、哲学書としての『弱いつながり』の本質は、その新しくないテーマを新しいスタイルで語ったところ、つまりは本質ではない意匠のほうにあるのかもしれない。さっそく脱線して付け加えれば、本質こそが非本質で非本質こそが本質だというこのねじれた関係は、じつは哲学ではむかしから問題とされていて、本質と非本質のあいだのその決定不可能性こそ哲学の「本質」だとも言える。それはまさに、ぼくが大学時代に研究していたフランスの哲学者、ジャック・デリダの主張だった。いずれにせよ、『弱いつながり』の観光客論の本質は、あるていどその非本質的なスタイルのほうにある。というのも、ぼくがそこで企てたことは、ひとことで言えば、いままで「他者」や「遊牧民」といった、左翼的で文学的で政治的で、そしてどこかロマンティックな言葉で語られていた概念を、「観光」というじつに商業的で即物的で世俗的な言葉に結びつけてしまうことだったからである。そのような試みは、ぼくの知るかぎり、『弱いつながり』と本書がはじめてである。観光客論と他者論は、本質は同じかもしれない。しかしそれでも、「他者が大事だ」と主張するのと「観光客が大事だ」と主張するのとでは、ニュアンスは大きく異なる。そして本書は、まさにそのニュアンスの差異がいま重要だと考え、その差異の意味を理論的に基礎づけるべく書かれた本である。ぼくたちはこれから本書で、さまざまな哲学者や思想家の名前に出会うことになる。そこに挙がっているひとも挙がっていないひとも含め、この七〇年ほどの、人文系のいわゆる「リベラル知識人」にはひとつの共通の特徴がある。それはみな、手を替え品を替え「他者を大事にしろ」と訴え続けてきたということである。むろん、細かく見れば、その「他者」の捉えかたにもいろいろ差異があり、フランス人のデリダが考える他者の概念は抽象的すぎるとドイツ人のユルゲン・ハーバーマスが言ってみたり、あるいはそのような論争こそがほんとうの他者を見えなくするとアメリカ人のリチャード・ローティが言ってみたりと、議論があったりもした ★ 2。しかしそれでも、ぼくたちはみな他者を尊重するべきだ、共同体の外部を尊重するべきだという点では、あるていど影響力のある思想家はみな一致していたと言える。それはおそらくは、二〇世紀の前半、ナショナリズムの高揚の果てに相次ぐ大戦で膨大な死者を生みだした人類がたどりついた、最低限の共通の倫理だった。自分の国のことばかり考えていてはだめだ──それが、つい最近までの、人類社会の(少なくとも公的な場で語られるかぎりでの)基本原理だったのである。けれどもいま、その状況は急速に変わりつつある。「他者を大事にしろ」という単純な命法に、だれもが耳を貸さなくなり始めている。ぼくは本書では、具体的な政治状況についてはあまり語らない。けれども、もし可能であれば、読者には、本書が、二〇一六年から二〇一七年にかけての時期に、すなわち、イギリスが EUからの離脱を決定し、アメリカで「アメリカ第一」を掲げるドナルド・トランプが大統領になり、世界中でテロが相次ぎ、日本ではヘイトスピーチが吹き荒れる、そのような時代に書かれたことは覚えておいてほしいと思う。二〇一七年のいま、人々は世界中で「他者とつきあうのは疲れた」と叫び始めている。まずは自分と自分の国のことを考えたいと訴え始めている。他者こそ大事だというリベラルの主張は、もはやだれにも届かない。したがってぼくは本書では、他者論ではなく、あえて「観光客」論を展開したいと考える。ぼくはここからさき、ほとんど「他者」という言葉を使わない。この言葉はあまりにも手垢に塗れているからだ。他者と声に出した瞬間に、本書の議論は特定のイデオロギーのなかに組みこまれ、少なからぬ読者を失ってしまう。しかし、それでも、ぼくが考え続けているのは、結局のところ他者の問題なのである。そしてそれはぼくなりの戦略でもある。他者のかわりに観光客という言葉を使うことで、ぼくはここで、他者とつきあうのは疲れた、仲間だけでいい、他者を大事にしろなんてうんざりだと叫び続けている人々に、でもあなたたちも観光は好きでしょうと問いかけ、そしてその問いかけを入り口にして、「他者を大事にしろ」というリベラルの命法のなかに、いわば裏口からふたたび引きずりこみたいと考えているのだ。観光客から始まる新しい(他者の)哲学を構想する。これが本書の目的である。誤解を避けるためにひとつ注意を記しておきたい。ぼくは観光客ではあるが(長い休暇は家族と観光旅行に出かけている)、観光学者ではない。また観光業の実践者でもない(ただしのち述べるように、自分が経営する会社で年に一回、ウクライナのチェルノブイリへのツアーを実施してはいる)。観光客に対してフィールドワークを行っているわけでもない。本書の観光についての記述は、あくまでも哲学的な記述、言い換えれば「概念」についての記述にとどまっている。したがって、「観光客の哲学」をタイトルに掲げているものの、本書は現実の観光産業とはあまり関係をもたない。観光業の実態の紹介はまったく行わないし、観光客の心理の分析も行わない。本書はあくまでも哲学書である。それも、これからさき読み進めればわかるように、かなり抽象的な議論を行う哲学書である。デリダが「郵便」と言ったからといって郵便局や切手の話をしたわけではないように、あるいは柄谷が「交通」と言ったからといって鉄道や高速道路の話をしたわけではないように、本書もまた「観光」と言ってもホテルやカジノの話をするわけではない。それが本書のスタイルだ。だから、ビジネスや観光研究に役立つ話を期待した読者は、ここで本を閉じるのがよいかもしれない。本書の「観光客」は、あくまでも、あるタイプの哲学の伝統をよりさきに進めるための、新しい概念の名称になっている。とはいえ、同時にもうひとつ注意を記しておけば、これは必ずしも、ぼくが現実の具体的な観光に関心をもたないことを意味しない。ぼくとしては、ほんとうはそちらについても語りたい。ドバイの人工性やカリブ海クルーズの大衆性やディズニーワールドの完成度について、熱く語りたい。あるいはジェフリー・バワが手がけたスリランカのリゾートの魅力について、楽しく語りたい(これらはこの数年でたまたま出かけた場所である)。しかし、じつは既存の哲学や思想の語彙には、観光の体験について積極的に語ろうとするとそれだけでぶつかるような、大きな壁が存在する。みなさんもいま、あるていど人文書に親しんでいる読者であればとくに、ドバイやディズニーランドについて積極的に語ると聞いて、どこか居心地の悪さを感じたのではなかろうか。リゾートやテーマパークについて語るのはいいが、それはなにか思想とはちがうんじゃないか、それはビジネスであり社会学でありジャーナリズムではあるかもしれないが、思想にはならないんじゃないかと思ったのではなかろうか。その直観こそが壁である。だからぼくたちは、観光について具体的に語るまえに、まずはその壁の正体を探らなければならない。そして必要とあらばそれを壊さなければならない。本書が観光の概念をめぐる抽象的な議論にとどまるのは、そのような制約があるからだ。だとすれば、本書は、正確には、観光客の哲学そのものというよりも、観光客の哲学を考えることを可能にするための概念的な準備作業、観光客の哲学・序論とでも称するべきものなのかもしれない。いずれにせよ、観光についての哲学的思考は、そのような準備作業を必要としている。 2それでは議論に入ることとしよう。いろいろとややこしい留保をつけたが、ぼくが観光客の哲学の必要性を提案している背景には、むろん、まずはいま、世界中で観光がブームであるという単純な事実がある。日本はこの四半世紀ですっかり貧しくなってしまった。日本人はいまや金を使わない。日本で観光がブームだったのは遠いむかしである。だから、観光がブームと言われても首を傾げる読者がいるかもしれない。しかし、そんな読者も「爆買い」という言葉くらいは聞いたことがあるはずだ。二〇一四年から二〇一六年にかけては、中国人観光客の旺盛な消費が日本中の観光地を救っていた。中国人に限らない。日本に来る外国人観光客の数は、目に見えて増加している。統計を見てみよう。図 1は観光庁の統計である。この図を見れば明らかなように、日本ではいま、国内観光客の低迷を補うように、外国人観光客の数が急速に増加している。二〇一五年の訪日外国人旅行者数は一九七四万人にのぼり、二〇一六年には二四〇〇万人にまで増えると予想されている。震災直前の二〇一〇年が八六一万人だから、六年で三倍近くに伸びたことになる。日本政府は、これを近い将来に四〇〇〇万人にまで伸ばそうと、観光産業を積極的に支援している。そしてここで重要なのは、じつはこれは日本だけの現象ではないことである。日本はたしかにこの数年、官民を挙げて観光客の誘致に力を入れている。「クールジャパン」もあるしオリンピックもある。右記の急成長にはその成果が現れている。しかし、観光客の増加、とりわけ国境を越える観光客の増加は、全世界的な傾向である。もうひとつ統計を挙げておこう。図 2は国連世界観光機関の調査結果である。ここに示されているのは、それぞれの国にとっての外国人観光客(インバウンド)、すなわち国境を越える観光客の数だ。この図からわかるのは、この二〇年でインバウンドの総数がじつに二倍以上に伸びているということである。その数は、一九九五年の五億二七〇〇万人に対して、二〇一五年は一一億八四〇〇万人にのぼっている。しかも 9・ 11とリーマンショックの影響を除けば、右肩上がりでほぼまっすぐ増加し続けている。この数字はあくまでも国境を越えた観光客の数なので、同じ時期に急成長したはずの中国市場の国内観光客などは含んでいない。それを考慮すれば、成長の傾きはもっと急になるだろう。観光というと日本では、高度経済成長期からバブル期にかけての古い消費活動といった印象が強い。けれども実際にはそれは、二一世紀のもっとも有望な成長産業のひとつなのである。日本政府がいま観光に力を入れている背景には、このような事情がある。世界はいま、かつてなく観光客に満たされ始めている。二〇世紀が戦争の時代だとしたら、二一世紀は観光の時代になるのかもしれない。二一世紀は観光の時代になるかもしれない。だとすれば、哲学は観光について考えるべきだろう。本書の出発点には、まずはそんなあたりまえの感覚がある。では、観光の時代はどのような時代になるのだろうか。その問いに答えるためには、観光とはなにかを定義する必要がある。ところが観光の定義は意外とむずかしい。日本の観光学の教科書では、観光はざっくりと「楽しみのための旅行」としか定義されていない ★ 3。これはあまりにも漠然としていて、ほとんど役に立たない。さきほど統計を引用した国連世界観光機関は、観光を「継続して一年を超えない範囲で、レジャーやビジネスあるいはその他の目的で、日常の生活圏の外に旅行したり、また滞在したりする人々の活動を指し、訪問地で報酬を得る活動を行うことと関連しない諸活動」と定義している ★ 4。こちらは明確このうえない定義だが、こんどはあまりに形式的すぎて、逆に内容についての規定を含まない。いまの時代、仕事を求めて国境を越える人々(移民)は多く、戦争や災害を避けて他国に逃れる人々(難民)も増えている。この指標は観光客をそのような人々から区別するため導入されたものだが、統計には役立っても、観光についての思考の足がかりにはなりそうにない。このようなとき、哲学はしばしば語源を調べてみるものである。いちおう日本語から始めてみると、「観光」という熟語は、英語の「ツーリズム tourism」あるいは同語源のヨーロッパの言葉の訳語として明治期に使われ始めたことが知られている。この熟語は『易経』に由来し、もともとは「国の威光を観る」という別の意味で使われていた。それゆえこの語源は、観光の概念について考えるときあまり参考にならない。そこで「ツーリズム」のほうの語源を調べてみる。「ツーリズム」は、「ツアー tour」に「イズム ism」がついて作られた言葉である。前者の「ツアー」は、いまは単独で旅行を意味する言葉となっている。しかし、辞書を調べると ★ 5、じつはこの用法そのものがあまり古いものではないことがわかる。 tourは、古フランス語の torなどを語源とする言葉で、旅行の意味をもつようになったのは一七世紀半ばごろらしい。当時のイギリスの貴族には、若いころにヨーロッパ大陸とりわけイタリア半島を巡り、ヨーロッパ文化の継承者としての自覚を深める教養旅行の習慣があった。それが「グランドツアー」と呼ばれている ★ 6。その tourに ismがついた tourismが現れるのはようやく一九世紀初期のことだ。この歴史からわかるのは、観光(ツーリズム)はかなり新しい言葉だということである。それはあくまでも近代に生まれた言葉なのだ。観光は近代以降の存在である。これは実際、多くの学者が一致している認識でもある。ぼくはさきほど観光学には観光のはっきりとした定義がないと述べたが、むろん個々の研究には参照すべきものがある。そのひとつ、ジョン・アーリとヨーナス・ラースンによる著作『観光のまなざし』は、「観光者である、ということは「近代」を身にまとう、という特質の一環である」と記している ★ 7。旅はむかしから存在した。巡礼も冒険もむかしから存在した。けれども観光は近代以降の社会にしか存在しない。二世紀のローマ貴族がユーフラテス河に「観光」したとか一五世紀のヴェネチア人がパレスチナに「観光」したとかいった表現は、比喩としてはいいけれども、けっして正確なものではない。それでは、近代の観光が、それら観光ではない近代以前の旅から区別される特徴はなんだろうか?アーリとラースンは、それが大衆性だと指摘している ★ 8。その大衆性は、産業革命と不可分に結びついている。彼らによれば、ローマにもヴェネチアにも、近代観光に通じるさまざまな制度があった。ローマ帝国には旅行関連の施設があったし、ヴェネチアではパレスチナへの定期的なツアーが組まれていた。しかしローマ人やヴェネチア人の旅はあくまでも一部の富裕層のものだった。他方で近代に現れた観光はけっして一部の富裕層のものではない(さきほど挙げた統計の一〇億という数字が、その大衆性をなによりも証拠だてている)。両者はその点で区別される。観光が観光になるためには、産業革命が進み、労働者階級が力をもち、彼らの生活様式が余暇を含むものに大きく変わらなければならなかった。言い換えれば、大衆社会と消費社会が生まれなければならなかった。大衆社会と消費社会というこの言葉は、一般には二〇世紀の社会を指すために使われるが、その萌芽は一九世紀半ばに現れている。その萌芽から観光が生まれる。アーリとラースンはつぎのように述べている。「一九世紀の都市の経済的、人口的、空間的変容のもたらした効果の一つは自己の振舞いを自分たちで律する労働者階級の共同体を生んだことである。この共同体は彼らをとりまく社会の新旧いずれの制度からも比較的自立的だったのだ。この様な共同体は労働者階級の余暇の形態を作り上げるのに意味があった」 ★ 9。その新たな余暇から、新たな産業、すなわち観光が生まれたのである。アーリとラースンは、その歩みを具体的には、一八四〇年代に始まった、イングランドでの海浜リゾートの開発に見ている。一九世紀には労働者による海水浴が流行し、海岸の寒村が急激に都市化する現象が見られた(ブライトンなど)。それはまた、貴族たちに独占されていた一八世紀的な湯治の代替物でもあった。当時の海水浴は、純粋な娯楽ではなく、むしろ湯治に近いものだと考えられていた。二一世紀のいま、観光は多様化し、大衆観光以外にさまざまな形態が現れている。たとえば、エコツーリズムやスタディツアーなどと呼ばれるものが一例である。それゆえかえって見えにくくなっているが、じつは大衆観光こそが、観光の本来のすがたなのだ。観光のそのような大衆性は、もう少し属人的な歴史からも確認できる。観光の歴史を語るうえで欠かせない人物として、トマス・クックがいる。ひとむかしまえにヨーロッパを個人で旅行したことのある読者なら、赤い表紙の「トマス・クックの国際時刻表」を覚えているかもしれない。あのクックである。トマス・クックは一八〇八年に生まれ、一八九二年に亡くなった実業家である。その人生はほぼヴィクトリア朝の時代に重なっている。クックは、鉄道を利用した最初の団体旅行(大衆観光)の企画者であり、周遊券やホテルクーポン、旅行小切手、ガイドブックなど、現在の観光業の基礎となる手法のほとんどを開発したと言われている。彼の団体旅行事業は、一八四一年に、開通したばかりの鉄道を利用した一〇マイル強の旅行の斡旋から始まり、一九世紀の後半を通じて急成長を遂げた。一八五〇年代からは国外旅行にも進出し、一八七二年には世界初の世界一周ツアーを実現した。一八八〇年代にはイギリスのエジプト占領を裏で支え(そのころにはもう経営権は息子に移っていたが)、政治的影響力ももった。一八九〇年には、世界中に八四の支店、八五の代理店を抱える、名実ともに大英帝国を代表する巨大企業に成長している。彼の名を冠したトマス・クック・グループは、いまでも世界を代表する旅行代理店であり続けている。そのクックの事業は、産業革命の中心的な産業、石炭業と織物工業を抱えるイングランド北部から始まっている。彼が対象としたのは、貴族や知識階級ではなく、産業革命を背景に急速に力をつけつつあった中産階級や労働者階級である。つまり、彼はまさに、アーリとラースンが指摘した社会変化に応えようとした実業家だったと言える。実際にクックの最初期の事業のひとつは、まさに、アーリとラースンが注目したような海水浴場への安価な日帰り旅行を提供することだった。そしてここで重要なのは、そのクックの事業が、彼の啓蒙や社会改良への情熱と不可分に結びついていたことである。彼は、自分は利益のためだけに仕事をしたことはないと公言していた ★ 10。クックはたとえば、当時はまだ政治的に微妙な関係にあったスコットランドへのツアーを企画したり、地方貴族の邸宅である「カントリーハウス」の見学を事業化したりした。また彼は敬虔なキリスト教徒で、禁酒運動に熱心に取り組んでもいた。そもそも彼の最初の旅行斡旋事業は、禁酒運動大会のためのものだった。加えてもうひとつ、クックの事業が新しい交通技術(鉄道)と密接に関係していたことも見逃せない。彼が活躍した時代は、イギリス全土を鉄道網が覆っていく時代にぴたりと一致していた。実際に彼の観光事業は鉄道事業会社との連携で拡大し、ツアーの行き先は鉄道が伸びるごとに増えていった。観光と啓蒙と技術のそのような結びつきは、一八五一年にロンドンで開かれた第一回万国博覧会でひとつの頂点を迎えることになった。のちにまた触れるように、このロンドン万博は一九世紀半ばの大衆社会化と産業主義化を象徴するきわめて重要なできごとだったが、クックはまさにそこに一六万人もの人々を送りこんでいる。クックは、観光を通じて大衆を啓蒙し、社会をよくすることができると本気で信じた人物だった。近代観光の歴史はその信念から始まっている。それゆえ逆に、クックのその試みは、しばしば貴族や知識人などの既得権益層からの非難に曝されることになった。ある伝記は、その衝突についてつぎのように記している。「カントリー・ハウスの公開に際しても、なかなか[貴族は]それに応じてくれようとせず[……]クックが率いる団体の無教養、粗野を口にして憚らないのだった。[……]どやどやと群れをなして押し寄せる「大衆」にほとんど生理的な拒否反応を示したのだった。[……]クックは逆にそのことを目標にしていた」。クックは一八六〇年代に、一八世紀まで貴族たちが独占していたグランドツアーの目的地、イタリアへの団体旅行も実現している。それそのものがクックの価値転倒的な意図を証拠だてているが、案の定そこでも自国の(現地の、ではない)政府高官から厳しい批判を受けている。政府高官は、観光客について、マナーをわきまえず、イギリス人の評判を下げるだけの「醜悪な連中」だと罵倒している ★ 11。じつは当時は、パリやローマに行ったイギリス人観光客のすがたが、よく保守的なメディアの物笑いの種になっていた。その構図は、一五〇年後のいまの日本で、中国人観光客を笑う構図とほとんど変わらない。ここまでの議論をまとめよう。観光とはまずは「楽しみのための旅行」であり、「訪問地で報酬を得る活動を行うことと関連しない」「日常の生活圏の外に旅行したり、また滞在したり」することだった。しかしそれは、より本質的には、大衆社会や消費社会の誕生と結びついたものだった。観光は、新しい産業と新しい交通が生みだした新しい生活様式と結びついた行為であり、古い既得権益層と衝突する行為でもあった。それでは、これからそのような観光がますます世界を覆っていくとして、それはぼくたちの文明にとってどのような意味をもつだろうか。観光は世界をどう変えるのか。観光客の哲学を構想するにあたり、まず思いつくのはそのような問いである。しかし、その問いについて考え始めると、ぼくたちはすぐ壁にぶつかることになる。じつはいままでの学問は、このような問いにほとんどなにも答えていないからである。あるいは答えていたとしても、否定的にしか答えていないからである。どういうことか。研究状況をざっと眺めてみよう。まず、日本の観光学は実学中心である。さきほども触れたように、教科書は観光を「楽しみのための旅行」としか定義していない。実学ではそれで十分なのだろう。ぼくはそれを否定するわけではない。しかしその定義がなにも思考を促してくれないことは明らかである ★ 12。では観光学の外部はどうだろうか。あるいは英語圏はどうか。そちらで観光に触れたものとして知られているのは、ダニエル・ブーアスティンが一九六二年の『幻影の時代』で行った指摘である。同書の第三章は「旅行者から観光客へ」と題されている。そこで彼は有名な観光客批判を展開した。『幻影の時代』は「疑似イベント」(マスコミが作りあげた偽のできごと)を鍵概念にした現代社会批判で知られる著作だが、ブーアスティンによれば、観光もまた典型的な「疑似イベント」である。「旅行することは疑似イベントとなってしまった。[……]われわれは窓から外を見る代わりに鏡のなかを見ている。そこに見えるものはわれわれ自身の姿である」 ★ 13。つまり彼は、旅は本物に触れるからいい、しかし観光は本物に触れないからだめだと述べたのだ。この批判はあまりに単純すぎて、のち観光学のなかからも、ディーン・マキャーネルの一九七六年の『ザ・ツーリスト』など、さまざまな批判が現れている。しかし、それが、いまも残る知的軽視の一種の雛形を作ったことはまちがいない。ブーアスティンが導入した旅(トラベル)と観光(ツーリズム)の対置はいまも生き残っている ★ 14。観光学は、観光の本質について考えない。観光学の外部は、観光を表層的な現象としてしか捉えていない。それゆえ観光の本質についてはだれも考えていない。観光研究史をごくおおざっぱに要約すれば、そのような状況があった。それが変わる兆しが現れたのは、一九九〇年代に入ってのことである。じつは前掲の『観光のまなざし』はその画期となった著作である。この著作は、一九九〇年にアーリの単著として刊行され、のち二〇一一年にラースンを共著者に加え、内容を大幅に増補して第三版が出版されている(第一版への批判に対する反論やネットの出現を考慮した新たな考察などが入っている)。同書は、フーコーを参照しつつ観光の誕生を「まなざし」の誕生として捉えた著作で、ポストモダニズムや文化研究の成果も活かされており、後続世代への影響も大きい。けれどもそんな本でさえ、冒頭にはつぎのような注意が記されている。「観光、行楽そして旅行は一般の評者が思ってきた以上に重要な社会現象である。いっけんするとこんなつまらない主題で本を書くことはないだろうと思える。じっさい、社会科学者たちは労働とか政治という重厚なテーマについては苦心を重ねて説いてきたが、行楽などという、取るに足らない現象の説明をせよと言われると、たいへんな困惑を覚えるのではないかと想像されるのである」 ★ 15。この文章は第三版にも存在している。つまりは観光は、一九九〇年になっても(あるいは二〇一一年になっても!)、いまだ学問的には「つまらない」「取るに足らない」ものだと考えられていたのである。実学以外の観光研究者は、その視線に対してあらかじめ防衛線を張らねばならなかったのだ。加えて、さらに悲劇的(喜劇的?)なのは、そのような状況をひっくりかえし、観光学の理論的な基礎を築いたはずのアーリたち自身が、現在のグローバル化する観光に対しては否定的な見解を表明していることである。『観光のまなざし』第三版の最終章は、「リスクと未来」と題され、テロリズムと観光の関係や生態系の破壊などに触れたあと、急成長するドバイの観光産業に対する辛辣な批判で終わっている。「ドバイ首長国の衰退は、観光のまなざしの意義ということでは、もっと広い意味での衰退の始まりということになるのだろうか。二〇五〇年の先になっても、まだ比較的広く、またふつうのこととして「観光のまなざし」は機能しているのだろうか」 ★ 16。いちおうは疑問文で書かれているが、アーリたちの意図が否定にあることは明らかである。彼らは、二一世紀が観光の時代になるとしても、そこにはもはや変質した観光しかないと考えている。ブーアスティンのような単純な観光批判は、現在では通用しない。観光のさまざまな機能についてもう少し繊細な考察がなされてはいる。しかしそれでも、資本主義と深く結びついた観光のダイナミズムそのものに対しては、観光学者たちでさえいいところを見つけられない。しかし、だとすれば、なぜいま世界は観光客に覆われつつあるのだろうか? 人類が愚かだからだろうか? 人類はこのまま能天気に、ツーリズムとショッピングモールとテーマパークに囲まれて、ポストモダンの子宮に守られ、そしてそのまま歴史の終わりのまどろみのなかを漂っていくのだろうか?ぼくはそう思わない。だから観光客の哲学を考えている。 3観光は一九世紀に生まれた。そして二〇世紀に花開いた。二一世紀は観光の時代になるかもしれない。だとすれば、そろそろ観光の意味について哲学的な考察が必要だ。これが本書のもともとの出発点である。にもかかわらず、いろいろと調べていくと、観光について哲学的に、しかも否定的にではなく語ることはむずかしいことがわかってくる。それがぼくたちが直面する壁である。観光客の哲学を構想するためには、まずはこの壁を壊さなければならない。本書の議論はここから始まる。本書はその壁に正面からぶつかっていく。第二章で壁の正体を確定させ、第三章で壁に穴を開ける。そして第四章で、穴のむこうがわに見える来たるべき観光客のすがたを確定させ、第一部の議論を終える。第二部ではまた別の議論が行われる。第二章と第三章は、ぼくにしては「まじめ」な、堅い哲学論文風の文章で記されている。そこでは、ヴォルテール、カント、シュミット、コジェーヴ、アーレント、ノージック、ネグリといった思想家たちが召喚され、ひとりひとりテクストが読まれていく。本書が哲学書を謳う以上、そのような構成は避けられなかった。しかし同時に、その構成は、哲学書のまわりくどい論述に慣れない読者にとっては、本書全体の流れや狙いを見えにくくするものであるかもしれない。そこでここでは、第一章を終えるまえに、観光客の哲学を考えることでそもそもぼくはいったいなにをしようとしているのか、より広い文脈のなかでの狙いを直截に記しておこうと思う。狙いは三つある。ひとつめの狙いは、グローバリズムについての新たな思考の枠組みを作りたいというものである。観光はグローバリズムと切り離せない。言い換えれば、国境の横断と切り離せない。それはトマス・クックが創設したときからそうである。クックは事業創設の当初から国外観光を目指していた。したがって、観光の是非をめぐる議論は、グローバリズムの是非をめぐる議論と切り離せない。グローバリズムの是非は、二〇一七年のいま、まさに世界中で問われている問題である。本書はそのなかで書かれているが、では本書はグローバリズムに対してどのような立場に立つのか。観光客の哲学を構想することからわかるように、本書はけっしてグローバリズムすなわち悪とは考えない。むしろ、グローバリズムを悪としてしか捉えてこられなかったこと、それこそがいままでの人文思想の限界だと考える。なぜか。理論的な話は次章以降で行うので、ここではグローバリズムの事実について、単純な見解を述べておきたい。グローバリズムは善か悪か。ぼくがこの問題について考えるとき思い起こすのは、二〇一〇年に BBCが制作し、いまはネットで公開されているひとつの動画である。図 3にそのひとコマを模写したものを示す。模写ではわかりにくいかもしれないが、この映像では、スクリーン上の縦軸に平均寿命、横軸にひとりあたりの国民所得が取られ、そのうえに先進国から発展途上国まで、さまざまな国の状況が人口に比例した面積の円でプロットされるかたちになっている。つまりは、国民所得が高く(豊かで)平均寿命が長い(健康な)国ほど、右上にプロットされるわけだ。そして時間を進めるとグラフの全体が変化する。興味をもった読者はぜひ実際の映像を見てほしいが、そこで衝撃的なのは、二〇世紀のはじめを起点として時間を進めていくと、ほぼ確実に国家間の格差が小さくなり、すべての国が右上に、つまり豊かで健康な位置に向かっていくということである。むろん、あいだに第一次大戦や第二次大戦のような例外はある。左下に転落していく国もある。たとえば終戦直後の日本がそうである。しかしそれは例外にすぎない。とくに一九七〇年代以降の平均寿命の格差の縮小は劇的で、感動すら覚えるほどである。人類はいま確実に、より豊かで、より健康になっている。むろんこれは、単純化された「プレゼン」映像にすぎない。「豊か」といっても、そもそも国民所得がほんとうの豊かさを反映しているのかといった疑問はある。しかしそれでもこの映像からは、世のなか、とりわけ左翼メディアで流通する、グローバリズム批判一辺倒の言説とはかなり異なった世界像が浮かんでくることはたしかである。グローバリズムはたしかに富の集中を強めただろう。先進国内部で貧富の差を拡大もしただろう。しかし同時に国家間では貧富の格差を縮めてもいる。それをどう捉えるか。自国民の犠牲で他国民が豊かになっているので問題だと捉えるか、それとも人類全体は豊かになっているのでよしと考えるか。否定的に見るか肯定的に見るかはともかく、ひとつだけ言えるのは、いまや世界は急速に均質になりつつあるということである。さきほどの映像でも示されていたことだが(ある国家のひとつの都市を抜き出し、国家と見なしてプロットするというかたちで)、現代では国家間の経済格差は、各国国内の都市と地方の格差よりも小さくなりつつある。一〇年ほどまえ、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』という本がベストセラーになったことがあったが ★ 17、その表現を借りれば、世界はいままさに「フラット」になりつつある。ぼくたちはいまや、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも旧共産圏でも中東でも、どこの国に行っても、同じ広告に出会い、同じ音楽を耳にし、同じブランドの入ったショッピングモールに行き同じ服を買う、そのような生活ができる時代に生きている。観光客の急増はこの変化と切り離せない。観光客の哲学的な意味を問うとは、この「フラット化」の哲学的な意味を問うということに等しい。このように記すと、おまえは資本の暴力を肯定するつもりかと怒る読者がいるかもしれない。けれども、本書を最後まで読んでいただければわかるように、ぼくは素朴な資本主義肯定を語りたいわけではない。観光客をめぐる思考がどのように「抵抗」の足がかりになるのか、それはこれからの議論を見てもらいたい。ふたつめの狙いは、ひとつめに比べて少し抽象的になるが、人間や社会について、必要性(必然性)からではなく不必要性(偶然性)から考える枠組みを提示したいというものである。そもそも観光は必要に迫られて行うものではない。それは、さきほどの教科書の定義(楽しみのための旅行)や国連世界観光機関の統計基準(訪問地で報酬を得ない)にもすでに表現されている。生活や職業の必要に迫られて行う旅行は観光ではない。観光は、本来ならば行く必要がないはずの場所に、ふらりと気まぐれで行き、見る必要のないものを見、会う必要のないひとに会う行為である。だからそれは、一部の富裕層だけでなく、中産階級や労働者階級ですら、生きるために不必要なものにあるていどお金を投じることができるようになった、産業革命以降の生産力の上昇した豊かな社会でしか産業としては成立しないのである。観光のこの不必要性(偶然性)は、都市文化の問題と深く結びついている。アーリとラースンは、観光の誕生が、ドイツの批評家、ヴァルター・ベンヤミンが注目した「遊歩者」(フラヌール)の出現と同時であることに注意を促している ★ 18。一九世紀前半のパリでは、「パサージュ」と呼ばれるガラス屋根つきの商店街建築(アーケード)が流行した。パサージュは室外であるけれど屋根に覆われている。遊歩者とは、その室内とも室外とも呼びがたい空間を、各店の店先を覗きこみながらぶらぶらと無為に歩く人々を指す言葉である。このような人々は、パサージュが出現するまえは存在しなかった。社会学者の若林幹夫が指摘するように ★ 19、パサージュはショッピングモールの遠い起源であり(一般にはモールの建築的な起源は一九五〇年代のアメリカに求められるが)、遊歩者はモールを歩く人々の遠い起源である。そして、観光客とは、訪問先の風景のなかに、まさに遊歩者のように入っていく人々のことにほかならない。観光客は訪問先で生活上の必要をもたない。買わなければならないものも、行かなければならないところもない。観光客にとっては、訪問先のすべての事物が商品であり展示物であり、中立的で無為な、つまりは偶然のまなざしの対象となる。観光のまなざしとは、世界すべてをパサージュ =ショッピングモールと見なすまなざしにほかならないのだ。ぼくはさきほど、クックが参加したロンドン万博に触れた。じつはこの万博はパサージュと深い関係がある。一八五一年のロンドン万博は、当時のイギリスで社会の中心が貴族から中産階級に移動し、求められる価値観もまた美から産業へと移動したことを象徴する、歴史的にきわめて重要な事件だったことが知られている。ここでは簡単な紹介にとどめるが、そこでとくに人気を集めたのが「水晶宮」と呼ばれる巨大なガラス建築だった ★ 20。鉄骨とガラスの組み合わせで建築され、内部には世界各国の工業生産物がところ狭しと並べられたその巨大建築は(その内部構成そのものが仮想的な世界旅行でもある)、ベンヤミンが示唆するように ★ 21、パサージュの一種の理想形態でもあった。ロンドン万博は、まさに観光客 =遊歩者の天国としてつくられていたのである。観光客は、訪問先を、遊歩者のようにふわふわと移動する。そして世界のすがたを偶然のまなざしで捉える。ウィンドウショッピングをする消費者のように、たまたま出会ったものに惹かれ、たまたま出会ったひとと交流をもつ。だからときに、訪問先の住人が見せたくないものを発見することにもなる。本書ではぼくは、観光と都市の関係、観光と視覚の関係、観光と複製技術の関係といった表象文化論的な問題系での考察をほとんど行うことができなかったが、しかし、ほんとうは、観光客の本質を捉えるうえでこの「ふわふわ」性(偶然性)はきわめて重要である。そこにこそ観光客の限界があり、また可能性がある。ぼくはのち第四章で、同じ問題を異なった角度から取りあげる。ちなみに付け加えれば、このパサージュあるいは水晶宮のイメージは、また一九世紀の政治思想とも深く関わっている。有名な空想的社会主義者、シャルル・フーリエは、彼が考える理想の共同体「ファランジュ」のための建築を設計するにあたり、パサージュをモデルとしたことが知られている。つまりフーリエは、ショッピングモールこそがユートピアだと、少なくともその基礎になると考えていたのである。新たな産業と新たな技術に支援された新たな階級が集う新たな消費空間 =パサージュの出現は、当時の社会主義者にユートピアの新しいイメージを与えていた。ぼくはのち第七章で、ドストエフスキーが、まさにそのイメージこそを標的として『地下室の手記』を記したことに触れ、そこから新しい観光客的主体について考えることになる。最後にもうひとつ。みっつめの狙いは、ふたつめの狙いよりさらに抽象的になるが、「まじめ」と「ふまじめ」の境界を越えたところに、新たな知的言説を立ち上げたいというものである ★ 22。どういうことか。学者は基本的にまじめなことしか考えない。学者とはそもそもがそういう人間である。しかし観光とは「ふまじめ」なものだ。だからそれは、学者たちにとっては、まさに「まじめ」に研究対象にするのがとてもむずかしい。ぼくは次章以降、観光客の哲学の困難について思想史的な検証を行うが、それはわかりやすく言えばそのような困難でもある。これはまた、冒頭で述べた本質と非本質のねじれとも関係している。けれども、人文系の学者は、まさにいま「まじめ」と「ふまじめ」のその二項対立こそを超えねばならないというのがぼくの認識である。なぜか。たとえばテロのことを考えてみよう。テロは「まじめ」に語るべき問題の代表のように思われる。そして観光のような「ふまじめ」な問題とは対極に位置するもののように思われる。しかしほんとうに両者はそれほど遠いのだろうか?実際にはその両者は意外なほど近いように思われる。アーリとラースンは『観光のまなざし』の最終章で、観光産業の発展は同時にテロのリスクの増大を意味していると警告を発している。「観光地は観光者だけでなくテロリストも惹きつけてしまっている」 ★ 23。テロリストは観光客に偽装するし、ときに観光地を襲う。しかしそれだけではない。二〇一〇年代半ばのいま、テロの最大の問題は、むしろテロリスト自身が観光客的な存在になっていることにある。ぼくがここで念頭に置いているのは、ホームグロウン・テロリストやローンウルフと呼ばれる、先進国の内部で、組織的な背景がなく孤独に犯罪を準備する新しいタイプのテロリストたちである。彼らはイデオロギーをもたない。標的も政治家や経済要人に限らない。彼らはむしろ、この二一世紀の世界で幸せに生きる一般大衆、それ自体を攻撃する。ロンドン万博に大衆料金で入り(同万博には特定の日に入場料が安くなる制度があった)、パリのパサージュを一銭も使わずに遊歩して楽しんでいた労働者階級、その子孫をこそ標的としている。現実にそのような事件は頻繁に起きている。本書執筆の前後に限っても、まず二〇一五年の一一月にはパリでライブハウスやレストランが銃撃された。二〇一六年六月にはフロリダでナイトクラブが襲われ、同月のイスタンブールでは空港のロビーが爆破され、同年七月にはニースで花火大会帰りの観光客で賑わう街路にトラックが突入した。年末の一二月にはベルリンでも同じようにトラックがクリスマス市に突入し、そして年が明けて二〇一七年元日には、ふたたびイスタンブールのナイトクラブで銃の乱射が起きている。いずれもとくに政治的なイベントがあったわけではなく、標的になる要人がいたわけでもない。紛争地でもない。犯人が特定されれば(たいていは死んでいるが)いちおうは動機が探られ、ジハーディズム(イスラム過激主義)や難民問題との関連が掘りだされるが、その内実はといえば、ネットで動画を熱心に観ていたていどであることも多い。そんな彼らの動機については、「まじめ」に考察すればするほど空回りしてしまう。彼らの行為は現実にひとを殺し、ときに自殺までしているのだから、「まじめ」と言うほかない。ひとの死ほど「まじめ」なことはない。しかしその動機をたどると、とても「まじめ」とは思えない浅薄さに出会うのだ。イスラム国( IS)がネットで公開した、ハリウッド映画ばりに過度な編集が施された処刑動画を観たことのあるひとならば、「まじめ」と「ふまじめ」とのあいだで宙づりにされるこの感覚に覚えがあるはずである。そしていまは世界中で、あの動画に影響を受けてテロリストが誕生している。そしてここで問題なのは、「まじめ」とも「ふまじめ」とも言えないこのような行為に対しては、じつは政治的な思考は原理的に対処できないということである。なぜならば、のち第二章でカール・シュミットの著作に照らして詳しく見るように、政治的なるものの本質は友(自国民)と敵(テロリスト)を公的な基準で分けることにあるからである。公的とはここで言えば「まじめ」ということである。政治とは原理的に「まじめ」な行為だ、というのがシュミットが指摘したことだ。けれどもいま話題のテロリストたちは、彼らはそもそも「まじめ」な、すなわち公的で政治的な目的をもたないのだ。今後いくら各国の政府が諜報活動をさかんにしても、彼らの計画を事前に捉えることは至難の業だろう。彼らはそもそもが「まじめ」な目的をもたないのだから、その意図も捉えようがない。テロリストたちの動機を「まじめ」に探ろうとすること、それそのものが彼らの行動を見えなくしてしまう。だから、その行動原理を言語化するためには、いちど「まじめ」と「ふまじめ」の境界を棚上げする必要がある。政治的行動の背景には政治的意志なり決断があるという前提を、根本から疑う必要がある。そして観光客的なるものと政治の関係を、根本から再考する必要がある。観光客の哲学について本を書いている背景には、このような問題意識も存在している。なお、いささか先走って言えば、おそらくは彼ら「まじめかふまじめかわからないテロリスト」をより正確に表象することができるのは、シュミット的な「敵」ではなく、むしろドストエフスキーが前掲の小説で描いたような「地下室人」のイメージである。二一世紀のテロリストは、シュミット的というよりもドストエフスキー的、言い換えれば政治的というよりも文学的な存在なのだ。政治は「まじめ」と「ふまじめ」の峻別なしには成立しないが、文学はその境界について思考することができる。この意味では本書は、文学的思考の政治思想への再導入の必要性を訴える本でもある。観光客とは、政治と文学のどちらにもおらず、またどちらにもいる存在の名称である。 ★ 1 東浩紀『弱いつながり』、幻冬舎、二〇一四年。 ⏎ ★ 2 ハーバーマスによるデリダ批判については、ユルゲン・ハーバマス「時間化された根源性哲学の凌駕」、『近代の哲学的ディスクルス Ⅰ』三島憲一ほか訳、岩波書店、一九九九年所収を参照。原書出版は一九八五年。ハーバーマスによるフランス哲学の批判を超克するローティの試みについては、リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』齋藤純一ほか訳、岩波書店、二〇〇〇年を参照。同書でローティが話題にしているのはおもにハーバーマスとフーコーの対立だが、それはハーバーマスとデリダの対立と置き換えてもさしつかえない。三者の「他者」観の差異をきわめておおざっぱに要約すれば、他者とは理性でわかりあえると主張するのがハーバーマス(近代主義者)であり、他者とはむしろわかりあえない存在のことなのだと主張するのがデリダ(ポストモダニスト)であり、そもそも他者の定義なんて深めても意味がないので局面によって使い分けようと主張するのがローティ(プラグマティスト)である。ローティのこの著書についてはのち第四章で触れる。 ⏎ ★ 3 岡本伸之編『観光学入門』、有斐閣アルマ、二〇〇一年、二頁。 ⏎ ★ 4 佐竹真一「ツーリズムと観光の定義」、『大阪観光大学紀要』開学一〇周年記念号、二〇一〇年による日本語訳。表記一部変更。 URL = http:// library. tourism. ac. jp/ no. 10 SinichiSatake. pdf ⏎ ★ 5 Oxford English Dictionary. URL = http:// www. oed. com ⏎ ★ 6 グランドツアーについて詳しくは、岡田温司『グランドツアー』、岩波新書、二〇一〇年が参考になる。 ⏎ ★ 7 ジョン・アーリ、ヨーナス・ラースン『観光のまなざし〔増補改訂版〕』加太宏邦訳、法政大学出版局、二〇一四年、八頁。なおこの「増補改訂版」は、原書では本文でのち触れる「第三版」に相当している。 ⏎ ★ 8 「この大衆的観光のまなざしは北イングランドの工業地帯の裏町に萌したのだ。本章は、工業都市の労働者階級が、生活圏から離れてひと時をよそへ行ってみようと考えたということが、なぜ当時の社会状況と合致した行為となったのか、そのことに焦点をあててみたい。観光のまなざしは、なぜイングランド北部の労働者階級から起こってきたのか。[……]この観光の発展は旅行の、ある意味「民主化」を表している」。『観光のまなざし』、四六頁。 ⏎ ★ 9 『観光のまなざし〔増補改訂版〕』、五一–五二頁。 ⏎ ★ 10 蛭川久康『トマス・クックの肖像』、丸善ブックス、一九九八年、一八〇頁以下。 ⏎ ★ 11 『トマス・クックの肖像』、一四六–一四七頁、一五二頁以下。引用箇所の近くで蛭川は、クックの最大の敵は、この政府高官のようなイギリス人に見られる「スノビズム」だったと述べている(一五三頁)。ぼくはかつて『動物化するポストモダン』という本で、アレクサンドル・コジェーヴを引用して、この「スノビズム」という言葉と「動物」を対置させたことがある。後者についてはあらためて第二章で触れるが、その対置を思い起こすと、この指摘は興味深い。観光客は動物だった。観光は動物を支援する産業だった。スノビズムは動物に対立する生きかただった。だからこそスノビズムが観光の最大の敵になったのである。 ⏎ ★ 12 日本では最近、観光学術学会という名の新たな学会が立ち上がっている。設立趣意書には、つぎのように記されている。「日本における観光研究に求められているのは、理論的な学術研究の進展です。これまでの日本における観光研究は、その実学的性質から、学術的考察や分析の面で脆弱であったことは否めません」。観光学術学会「学会の記録」、二〇一二年。 URL = http:// jsts. sc/ archive ⏎ ★ 13 ダニエル・ J・ブーアスティン『幻影の時代』星野郁美・後藤和彦訳、東京創元社、一九六四年、一二八頁。 ⏎ ★ 14 cf. Dean MacCannell, The Ethics of Sightseeing, University of California Press, 2011, Appendix.なおここでは触れるにとどめるが、アメリカの歴史学者、エリック・リードの『旅の思想史』も、「旅」と「観光」のこの対置を導入し、後者を否定している。そしてこの書物が本書の(第二章以降の)文脈でとりわけ興味深いのは、リードがそこで、観光の誕生に、ヘーゲル主義の死、そして「他者」の概念の死を重ねていることである。「われわれの時代は弁証法のつらい終末の時なのであり、自己同一性を、外部にある他者の敵対的世界に照らして劃定していた人々にとっては悲しい時代なのである。[……]ヘーゲルは死に、埋葬され、現代の意識、現代の旅人の心の中に組み込まれているというわけである」。エリック・リード『旅の思想史』伊藤誓訳、法政大学出版局、一九九三年、三七五頁。観光はヘーゲルの死のあとで生まれる。裏返せば、ヘーゲルを殺さないと観光は理解できない。ぼくたちはつぎの章でこの問題に本格的に取り組むことになる。 ⏎ ★ 15 『観光のまなざし〔増補改訂版〕』、五頁。 ⏎ ★ 16 『観光のまなざし〔増補改訂版〕』、三七一–三七二頁。 ⏎ ★ 17 トーマス・フリードマン『フラット化する世界上』『フラット化する世界下』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、二〇〇六年。なお、第二章で触れる実業家の鈴木健は、世界は「フラット」になったというよりむしろ「なめらか」になったのだと述べている。境界はなくなったが、しかしすべてが均質化したわけではなく、政治にしろ経済にしろ連続的な推移で捉えるべき状態に変わったという意味である。ぼくもその認識に同意するが、ここではわかりやすく人口に膾炙した「フラット」の表現を用いる。鈴木健『なめらかな社会とその敵』、勁草書房、二〇一三年参照。 ⏎ ★ 18 『観光のまなざし〔増補改訂版〕』、二四二頁以下。本論では触れることができなかったが、じつはアーリとラースンは観光の誕生が写真の誕生と同時であることも指摘している(というよりもアーリとラースンの著作の主題はそちらにある)。写真もまたベンヤミンの主要なテーマのひとつである。観光、写真、遊歩者はすべて同時期に生まれ、そして内的につながっている。観光はじつはすぐれてベンヤミン的なテーマなのだ。 ⏎ ★ 19 若林幹夫「多様性・均質性・巨大性・透過性」、若林幹夫編著『モール化する都市と社会』、 NTT出版、二〇一三年、二一三頁以下。 ⏎ ★ 20 この建築の文化史的意義については、松村昌家『水晶宮物語』、ちくま学芸文庫、二〇〇〇年が参考になる。 ⏎ ★ 21 ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第 1巻』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫、二〇〇三年、四〇四頁など。 ⏎ ★ 22 なにを「まじめ」に語り、なにを語らないべきか。その分割はきわめて政治的なものであり、ある種の問題については、その「まじめ」そのものの再設定を行わないと語ることができないということがありうる。ぼくはそのむずかしさについて、かつて、日本の戦後責任論を主題とした加藤典洋と高橋哲哉の論争に即して記したことがある。東浩紀編『ゲンロン 3』、ゲンロン、二〇一六年、二二頁以下。 ⏎ ★ 23 『観光のまなざし〔増補改訂版〕』、三四一頁。強調を削除。 ⏎ 図 1 日本政府観光局( JNTO)調べ。 2015年は推計値。観光庁ウェブサイトをもとに制作。 http:// www. mlit. go. jp/ kankocho/ siryou/ toukei/ in_ out. html ⏎ 図 2 国連世界観光機関 2015年白書をもとに制作。 http:// cf. cdn. unwto. org/ sites/ all/ files/ pdf/ annual_ report_ 2015_ lr. pdf, p. 15 ⏎ 図 3 Hans Rosling’ s 200 Countries, 200 Years, 4 Minutes-The Joy of Stats-BBC Four映像の 1コマをもとに制作。 https:// www. youtube. com/ watch? v = jbkSRLYSojo ⏎ 1以下の数節は付論である。本来であれば、第一章から第二章へ、議論をまっすぐに進めるのが望ましい。しかし、本書の性格上、本書の読者には、いままでのぼくの著作の読者がかなりの数いるはずである。そのなかには、ぼくが二〇一〇年代に入って「観光客」と言いだしたことに対して戸惑っているかた、また、この数年のぼくの実践と本書の関係について疑問を抱いているかたもいるだろう。そこでここでは、そのような読者のため、本書の構想を過去の仕事に接続するべく、ふたつほど補足説明を記しておくことにした。ぼくの仕事に関心のないかたは、この付論はまるまる飛ばしていただいてかまわない。のちにここでの議論に言及するところも数ヶ所あるが、そこで知識がなくても、基本的に本書の内容は理解できるはずである。それでは、駆け足で補足をすませてしまおう。まず第一の補足は理論的な背景についてである。たしかにぼくは最近まで「観光」という言葉を使ってこなかった。しかし、観光客のような「ふまじめな存在」についてはかなりまえから考えてはいた。じつはぼくは、似た現象について「二次創作」という言葉で考えていたのである。どういうことだろうか。ぼくはいまでも、ある世代の読者にはオタク系サブカルチャーに詳しい批評家だと見なされている(実際にはこの数年ほとんどアニメも見ていないしゲームもプレイしておらず、すっかり最新の状況に疎くなっているのだが)。そのような見方が広まったきっかけは、いまから一五年ほどまえ、二〇〇一年に刊行された『動物化するポストモダン』という本だ。そこでぼくが注目したのは、オタクたちの「二次創作」という行為である。それは、マンガやアニメから、一部のキャラクターや設定だけを取り出し、「原作」から離れて、自分の楽しみのためだけに別の物語を作りあげる創作活動のことである。たとえば、少年マンガを愛する(おもに女性の)読者が、自分のお気に入りのキャラクターに性的な行為を演じさせ、ポルノを作成したりする活動を意味する(こういう作品は実際に無数に存在する)。二次創作はあくまでもアマチュアの出版物であり、流通経路も即売会や専門書店に限定されているが、その影響はたいへん大きく、ある時期以降のオタク文化は二次創作抜きには語ることができない。興味をもった読者は『動物化するポストモダン』にあたってほしい。例は古びているが、本質はいまも変わっていない。この二次創作は、本書の文脈につなげれば、まさに「観光」的な性格をもつと考えることができる。というのも、それは、特定の作品について、その一部を抜き出し、原作者が期待した読みかたとはまったく別の読みかたを、しかも原作者に対してなんの責任も負わずに「ふまじめに」生みだす働きのことだからである。それは、観光客が、観光地に来て、住民が期待した楽しみかたとはまったく別のかたちで楽しみ、そして一方的に満足して帰るありかたに構造的に似ている。両者に共通するのは無責任さである。観光客は住民に責任を負わない。同じように二次創作者も原作に責任を負わない。観光客は、観光地に来て、住民の現実や生活の苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して帰っていく。二次創作者もまた、原作者の意図や苦労などまったく関係なく、自分の好きなところだけを消費して去っていく。したがって、観光客が観光地の住民から嫌われるように、二次創作もまた原作者や原作の愛読者から嫌われることがある。最近では二次創作はずいぶんと社会的に認知され、原作者とのあいだのトラブルも少なくなったようだが、かつては原作者が、自分の作品をポルノに読み替える二次創作に怒りを表明した例もあったと聞く。そのすがたは、観光客に対して怒りを表明する住民にとても似ている。さらに踏みこめば、観光も二次創作もともに、最初は嫌われるにもかかわらず、時間が経つにつれ受け入れられ、いつのまにか住民や原作者の経済がそれなしには成立しなくなってしまう、そういう皮肉な過程があるところも共通している。前述のとおり、現在のオタク文化は二次創作なしには成立しない。いくら二次創作が嫌いで否定したいと思ったとしても、もはや原作の市場そのものがそれなしには経済的に成立しない。同じように、いまや少なからぬ地方自治体の経済が観光に依存している。ネットには「原作厨」という興味深いスラングがある。作品の映像化にあたり、なによりも原作の世界観が大事だと考える人々を指す言葉だ。アニメ化ならともかく、小説やマンガの実写ドラマ化や実写映画化では、どうしてもあるていど二次創作的な、つまり原作を変える部分が出てくる。たとえば登場人物の性格が変わったり、物語の結末が変わったりする。そういうとき、原作厨の人々は「原作とちがう」と文句を言うわけだ。この原作厨の抵抗は、観光地の住民が、観光客の想像に対して抱く違和感と同じ構造をしている。たとえば、日本に短期滞在した外国人が、「ゲイシャ」「フジヤマ」「アキハバラ」ばかりに注目し、写真を撮り帰っていくとする。彼らの写真は、日本に住むぼくたちからすれば、多様な現実のなかから彼らが好むイメージだけを取り出した、いわば「日本の二次創作」にすぎない。ぼくたちはそれを「日本についてなにもわかっていない」と笑う。それはまさに原作厨の態度である。住民が観光客を認めないように、原作厨は二次創作を認めない。しかし、同時に、住民の経済が観光客なしには成立しないように、原作厨の喜びもじつは二次創作(二次創作的な実写ドラマ化や実写映画化)なしには存在しない。なぜならば、それこそが原作者を潤わせるからである。実際、それがいくら「原作とちがう」ものだったとしても、実写ドラマ化や実写映画化によって、原作は売れ、より広い読者を獲得するのが現実である。ぼくは『動物化するポストモダン』で、このような現実に注意を向けつつ、現代の社会や文化について考えるためには、「二次創作をするオタク」の存在を無視するわけにはいかないと訴えた。そこから出てきたのが「データベース消費」の概念である。原作者と二次創作者の関係を住民と観光客の関係に重ねる以上の並行関係を念頭に置けば、ぼくのサブカルチャー論は、たやすく本書の観光客論に接続できるはずである。もう少しだけ記しておく。ぼくは二〇〇七年に、『動物化するポストモダン』の続編にあたる『ゲーム的リアリズムの誕生』という著作を出している。『動物化するポストモダン』は社会分析の書物だったが、その続編でぼくが試みたのは作品分析である。ぼくの考えでは、ある時期以降(おおざっぱには一九九五年以降)のオタク系コンテンツは、大なり小なり、みな最初から二次創作の想像力を内面化するようになっている。二次創作の市場が一定規模を超えると、作家はみなあらかじめ二次創作で読み替えられる可能性を考えるようになるし、その読み替えを先取りしてキャラクターを作ったほうが商業的に成功しやすいと判断するからである。その結果、市場に流通する物語やキャラクターは独特の偏りを帯びてくる。キャラクターの設定やデザインは、二次創作されやすいように「萌え」化するし、物語のほうも、最初からいくらでもスピンオフを作ることができるように、パーツに分かれたデータベース化が進むことになる。あるゲームのジャンルでは、物語の二次創作(読み替え)が先取りされた結果、同じ事件がいくども繰り返すループ(時間の反復)のモチーフが流行したりすることになる。これはポストモダン社会ではじつに一般的な現象だと言える。オタク文化にかぎらず、現代社会においては、ある作品が、それ自体の価値だけで評価され流通することはほとんどない。あらゆる作品は、「ほかの消費者がその作品をどう評価するか」、そして「自分がこの作品に評価を与えたとして、ほかの消費者は自分のその評価についてどう考えるか」といった、「他者の視線」を内包したかたちで消費されることになる。それは理論的には、かつてケインズが「美人投票」の例で語り、ルネ・ジラールが「欲望の三角形」という言葉で語り、社会システム理論が「二重の偶有性」と命名した現象である。かりにそれらの言葉を知らなくても、フェイスブックの「いいね!」機能を思い浮かべれば、その本質はたやすく理解することができる。ひとは、気に入った投稿を素朴に「いいね!」するわけではない。むしろ「いいね!」をつけると他人からの評判が上がるものに対してこそ、積極的に「いいね!」をつけていく。そのため、ネットワーク全体で見ると、政治のような、ひとにより賛否が分かれる厄介な話題は避けられ、猫画像や料理画像のような「無害」なコンテンツにどんどん「いいね!」が集まっていくことになる。ぼくたちはいま、「他人の欲望を欲望する」(他人のいいね!にいいね!する)メカニズムが、かつてなく猛威を振るう世界に生きているのである。ぼくは『ゲーム的リアリズムの誕生』で、そのような状況は新しい批評の視座を求めると主張した。そこでは、作品を分析するにあたって、まず作品自体の評価があり、つぎにその消費環境があるという常識的な順序が適用できない。作品自体があらかじめ消費環境を織りこんでいるので、分析者もそれを考慮して作品に向かわなければならない。いわば「メタ作品」を分析する「メタ視線」が必要になる。二次創作を想定して原作が作られるというのは、まさにその状況の好例である。思想の世界では、ボードリヤールが、一九七〇年代にまさにそのような「メタ批評」の必要を説いていたことが知られている(シミュラークル論)。ただ、具体的な方法論はとくに提示されていなかった。ボードリヤールたちポストモダニストの指摘は、英語圏ではのちに制度化され文化研究(カルチュラル・スタディーズ)を生みだす。日本ではそれに相当する「メタ視線」の分析は、批評や現代思想ではなく、むしろその外側から現れている。大塚英志が一九八九年に出版した『物語消費論』と宮台真司らが一九九三年に刊行した『サブカルチャー神話解体』の二冊が、その先駆的な例だ。ぼくの仕事は彼らの延長線上にある。小説でも映画でもマンガでもなんでもよいが、作品を愛するひとというのは、たいていの場合、作品そのものの読解を重視し、その消費環境についての分析は「社会学的なもの」として排除しがちである(いまでも文芸誌にはそのような時代錯誤な批評があふれている)。けれども現代においては、作品の内部(作品そのもの)と外部(消費環境)を切り離し、前者だけを対象として「純粋な」批評や研究を行うという態度、それそのものが成立しない。外部が内部にどのように繰りこまれているのか、そのダイナミズムを理解しなければ批評も研究も存在できないのだ。ぼくは『ゲーム的リアリズムの誕生』で、そのダイナミズムへの注目を「環境分析」的読解と名づけた ★ 1。これは本書の言葉で言えば、観光客の視線による分析が、現代のコミュニティ分析や地域研究では最初から必要だということを意味している。ひとはしばしば、住民が無自覚に生きている「素朴な土地」がまず最初にあって、つぎに観光客に発見され、経済的利益と引き替えに素朴さを失っていくという順序で事態を捉えがちである。けれどもほんとうにそうか。現代の消費環境においては、最初に原作があって、つぎに二次創作が来るのではない。原作者は最初から二次創作について考え抜いている。だとすれば、同じように、最初に「素朴」な住民がいて、つぎに観光客が来るという順序もじつは転倒しているのではないか。否、むしろ、いまはあらゆる場所が、観光客の視線をあらかじめ内面化し、町並みやコミュニティをつくるように変わってしまっているのではないか。言い換えれば、すべてがテーマパーク化しているのではないか。この問題は慎重な検討に値する。ところで、ぼくはさきほどから「ポストモダン」という言葉を使っている。この言葉についても短く補足しておきたい。ポストモダンという言葉は、一時期のフランス思想で好まれたものである。日本では一時フランス思想が妙なかたちで流行し(ニューアカ)、そのあと流行が一気に終息したために、この言葉の使用を好まないひとが一定数いる。彼らは、ポストモダンという言葉が出てきただけで嘲笑し、時代遅れの議論と決めつける傾向がある。けれども、そのような人々のほとんどは、実際にはポストモダンをめぐる議論に詳しくなく、この言葉に対して流行語として反応しているだけである。本書ではこれからもときおりこの言葉が登場するが、それはこのような日本での流行とはなんの関係もないものと考えて欲しい。もともとポストモダンあるいはポストモダニズムという言葉は、一九七〇年以降の時代を示す文化史的な概念にすぎない。その時期に現代社会のありかたが大きく変容したのは事実であり(この点については第六章でふたたび触れる)、それ以降の時代は以前とはなんらかの言葉で区別しなければならない。フランス人はそれをポストモダンと呼んだ。それだけである。それゆえ表現はちがっても似た概念を使う学者は多くいる。たとえば、ウルリッヒ・ベックやアンソニー・ギデンズのような非フランス語圏の社会学者は、ほぼ同じ事態を「再帰的近代化」と呼んでいる ★ 2。「再帰性」とは、自分の行動が他人にどう見えるのかをつねに意識して行動を決定する、そのようなメタな態度の名称であり、つまりは「他者の欲望を欲望すること」の名称である。ぼくたちはまさに「他者の欲望を欲望すること」が全面化する社会に生きている。この点ではポストモダンはまったく終わっていない。否、それどころか、ポストモダンがますます深くなった時代に生きている。二一世紀のポストモダンあるいは再帰的近代の世界においては、二次創作の可能性を織りこむことなしにはだれも原作が作れず、観光客の視線を織りこむことなしにはだれもコミュニティがつくれない。本書の観光客論はこのような射程のなかで構想されている。二次創作者はコンテンツの世界での観光客である。裏返して言えば、観光客とは現実の二次創作者なのだ。 2第二の補足は、本書とこの数年の実践との関係についてである。ぼくは二〇一三年に『福島第一原発観光地化計画』という本を出版した ★ 3。福島は二〇一一年の原発事故で世界的に「有名」になってしまった、その状況はもう覆らない、だとすればその状況を逆手にとり、被災地を広島やアウシュヴィッツのようにダークツーリズムの「聖地」にすることは考えられないか。そのような提案が書かれた書物である。ダークツーリズムとは、イギリスの観光学者が一五年ほどまえに提案した概念で、戦争や災害など「悲劇の地」を観光の対象とする新しい実践のことを指す ★ 4。日本でも震災後に注目され、現在は専門誌も発刊されている。ぼくは同じ二〇一三年に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』という本も出版しており ★ 5、そこでは、一九八六年に福島と同じく原発事故を起こしたウクライナのチェルノブイリでいま観光地化が進んでいる現実を紹介し、被災地復興の参考にしてもらうべく情報を提供した。『福島第一原発観光地化計画』は、それを受けて出版されたものだ。一部の読者はご存じかと思うが、この本の出版は激しい反発を呼んだ。内容以前に「観光地化計画」という名称へ強い批判が寄せられた。また、東京出身で、福島に縁がないぼくがこのような本を出版したこと、その事実そのものへの反発も強かった。加えて決定的だったのが、福島県出身で社会学者の開沼博が、同計画の参加者で、前掲書へ寄稿もしているにもかかわらず、本が出版されると態度を翻し、批判者へと変わったことである。当時のぼくへの批判はきわめて強かったので、もしかしたら読者のなかにも、東浩紀は「観光地化計画」という名称で被災地を食い物にした人物という印象をもつかたがいるかもしれない。本書は「観光客」をタイトルに掲げている。それゆえ、わずか四年前の同じ「観光」を掲げた同書の存在を無視するわけにはいかない。そこで、同計画と本書の関係について簡単に補足しておこうと思う。いまの説明からわかるとおり、『福島第一原発観光地化計画』への批判はほとんどが内容に関するものではなかった。多くが「観光地化」という名称に基づく単純な誤解、あるいはそこから連想を重ねた中傷で、反論に値するものではなかった。それらの中傷については、ぼくおよびぼくの会社が、同計画の取材や出版に関して、公的な資金や電力会社の援助を一円ももらっていないことを明確にすれば十分である。それゆえぼくが反論すべきは、唯一開沼による批判に対してだけだと思われる。ただし開沼は観光地化計画の内容にはほとんど言及していないので、論点を取り出すのはむずかしい。しかしそれでも、二〇一五年にぼくが開沼と『毎日新聞』紙上で展開した往復書簡、および同時期に彼が出版した『はじめての福島学』を読むと ★ 6、ひとつの争点が浮かび上がってくる。開沼の主張は、要は、福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろというものである。福島には原発事故以外の多様な側面がある。被災者は原発事故以前から生きているし、以後も多くは原発事故と無関係に生きている。被災地に関わるならば、まずはその日常感覚を受け入れるべきではないか。そこで「観光地化」などと言いだすのは彼らの気持ちを踏みにじるものではないか。その主張はよく理解できる。福島の人々が、福島を原発事故のイメージで塗りつぶすのは暴力だと感じるのは当然である。そもそも福島県は広く、事故が起きた浜通り地域は同じ福島でも会津から一〇〇キロ近く離れている。福島県の多くの地域には、同じ福島でも原発事故の影響はほとんどない。開沼はまずその事実を啓蒙すべきだと考える。ぼくはその点で開沼と同意見である。けれども、ぼくが疑問に思うのは、まさにそのような啓蒙が万能ではないからこそ、観光地化の提案が必要なはずではなかったかということである。言い換えれば、ぼくの提案は最初から開沼の啓蒙の「あと」にあるはずなのに、なぜそれを無視して批判するのかということである。観光とは現実の二次創作であるという観点から考えてみよう。福島が原発事故のイメージで塗りこめられてしまうとは、本書の言葉で言い換えれば、福島のイメージが、もともとの現実(原作)を離れて、事故の印象を中心に「二次創作」されてしまうことを意味する。福島の二次創作、いわば「フクシマ化」は、ときに「風評被害」と呼ばれている。震災から六年が経ち、風評被害の認識も広がり、国内では福島と言われ原発事故を思い浮かべるひとはかなり減ってきている。けれども国外ではそう簡単にはいかない。国内には「原発事故以前の福島」(原作)を覚えているひとがたくさんいるが、国外ではそうではないからである。国外では福島の名を原発事故(二次創作)ではじめて知ったひとが多い。そこから生じるであろう状況は、日本でいま「チェルノブイリ」がなにを意味するかを考えてみればたやすく想像できる。チェルノブイリにも事故以前の長い歴史がある。豊かな自然もある。実際に後述するように、いまのチェルノブイリは放射能汚染の点でかなり回復を遂げている。そもそもチェルノブイリの事故から、もう三〇年以上の月日が流れているのである。けれども、日本人のどれだけが「現実のチェルノブイリ」を想像できるだろうか。いまだに「放射能で汚染された不毛の土地」「奇形の子どもが生まれた呪われた土地」といったイメージに囚われているのが、たいていのひとの限界なのではないだろうか。だとすれば、福島についても同じことが起きると考えるのが合理的である。「フクシマ」は国際的には、チェルノブイリと並ぶ原発事故や放射能汚染の代名詞になっている。被災者がどれほど不愉快に思ったとしても、福島がそのような特別な地名になったことは事実である。では、その現実に対してどのような態度を取るべきか。むろんぼくも、まずはフクシマの虚構性に抗うべきだと考える。ぼく自身、チェルノブイリで似た試みを行っている。ぼくの会社では、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』の出版後、一年に一度、希望者をチェルノブイリの旧立入禁止区域と事故を起こした原発構内に案内するツアーを開催している。ツアーはすでに四回実施され、参加者は一〇〇人以上にのぼる。そこで彼らが口を揃えて漏らすのが、チェルノブイリは想像していたよりもはるかに「ふつう」だったという感想である ★ 7。「ふつう」というのは、つまり、「放射能で汚染された不毛の土地」という二次創作とは関係のない日常がそこにあったということである。そのかぎりではぼくは、福島を原発事故のイメージで塗りつぶすなと訴える開沼と、ほぼ同じ立場で活動しているとも言える。しかし、ぼくは福島については、もういちだん複雑な戦略を立てるべきだと考える。そして出版したのが『福島第一原発観光地化計画』である。いまや世界には福島の二次創作(フクシマ)ばかりが流通している。その現実は原作(本来の福島)を大切にするひとからすれば耐えがたいだろう。開沼はその耐えがたさを訴える。いわば彼は原作厨の立場に立っている。その気持ちは尊重されるべきである。しかし同時に、このポストモダンの世界で、二次創作をけっして消し去ることができないこともまた事実である。フクシマをめぐる幻想は、これからもどうしようもなく再生産され続ける。だとすれば、そのような二次創作 =フクシマの流通を逆手に取って、人々の一部でも原作 =本来の福島に導くことはできないか。つまりは、原発事故以外の福島について情報発信するだけではなく、まったく逆に、「事故現場を見てみたい」「廃墟を見てみたい」といった感情を逆手に取って福島の魅力を世界に発信する、そのようなプログラムは考えることができないか。ぼくが行ったのはそのような提案である。原作を大切にしてもらうためには、いちど二次創作を通らなければならない。これはいっけんわかりにくいかもしれない。論理だけ追えば、言葉遊びのようにも見えるだろう。けれども具体的にはとてもわかりやすい話である。たとえば、ぼくがいまチェルノブイリに人々を案内することができるのは、彼らが二次創作のチェルノブイリ(放射能汚染の不毛の土地)をいちど信じたからである。原発事故がなければ、そしてチェルノブイリが「ふつうではない」と思わなければ、だれがわざわざウクライナの辺境の田園地帯まで赴くだろうか。同じように開沼が『はじめての福島学』を出版することができたのも、そもそもあの事故があったからのはずである。原発事故がなければ、そしてモンスター化したフクシマが流通しなければ、なぜわざわざ福島学など構想する必要があるだろう。二次創作がなければ原作への回路もない、そういうことはありうるのだ ★ 8。ぼくはさきほど、チェルノブイリツアーの参加者はみな「ふつう」だと感想を漏らすと述べた。けれどそれは失望を意味しない。むしろ関心の広がりを意味する。チェルノブイリの歴史は古く、記録は一二世紀にまで遡り、かつてはユダヤ人が人口の半分を占める町だった。チェルノブイリが位置するポリーシャ地方は美しい森が広がる沼沢地帯で、いまは廃墟となってしまった発電所近くの町、プリピャチはソ連を代表するユートピアとして建設された先進的な人工都市だった。日本人の多くはそのようなことを知らない。関心ももたない(外国人が現実の福島に関心をもたないように)。そしてチェルノブイリに対し幼稚な幻想を抱いている。しかしぼくたちはそれを一方的に責めるべきではない。むしろそれを利用すべきである。なぜならば、たとえ動機が幼稚な幻想であったとしても、いちどチェルノブイリに赴き、そこが「ふつう」であることを知ったツアー参加者は、必然的にその事故以外の背景情報に関心を抱くことになるからである。そしてこんどはその厚みのなかで、あらためて事故の意味を考えることになるからである。実際に、それがぼくが毎年のチェルノブイリツアーで狙っている効果である。ぼく自身もまた、最初にチェルノブイリを訪れたときには、幼稚な幻想しか抱いていなかった。ひとは、自分が「ふつうではない」と思いこんでいた場所に赴き、そこが「ふつう」であることを知ってはじめて、「ふつうでない」ことがたまたまそこで起きたという「運命」の重みを受け取ることができる。「ふつうであること」と「ふつうでないこと」のその往復運動こそが、ダークツーリズムの要である。これは空理空論だろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。いずれにせよ、ぼくは『福島第一原発観光地化計画』で、以上のような水準で観光地化の必要性を提案したつもりだった。それは実践的であると同時に理論的であり、哲学的であると同時に政治的な挑戦のように思われた。けれども残念ながら、そのようには理解されず、議論も広がらなかった。復興事業は生々しい利益が絡む世界である。書き手のキャリアも関係する世界である。ぼくにはその生々しさを乗り越える賢さやタフさは欠けており、結果として観光地化の提案は、宛先を見失ったまま空中分解してしまった。その結果については、ぼくはいまも自分の能力不足を痛感している。いずれにせよ、ぼくの提案は権力や資本と関係していなかった。ぼくの福島をめぐる提案は、純粋に知的かつ倫理的な関心に駆動されていた。本書にはその関心の核心が書かれている。その点では本書は『福島第一原発観光地化計画』の続編でもある。 ★ 1 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』、講談社現代新書、二〇〇七年、一五四頁以下。 ⏎ ★ 2 ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ『再帰的近代化』松尾精文ほか訳、而立書房、一九九七年参照。 ⏎ ★ 3 東浩紀編『福島第一原発観光地化計画』、ゲンロン、二〇一三年。この著作は『思想地図 β』第四号の下巻にあたる。 ⏎ ★ 4 cf. John Lennon, Malcolm Foley, Dark Tourism, International Thomson Business Press, 2001. ⏎ ★ 5 東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』、ゲンロン、二〇一三年。この著作は『思想地図 β』第四号の上巻にあたる。 ⏎ ★ 6 東浩紀・開沼博「脱「福島論」」、毎日新聞(ウェブ版)、二〇一五年。 URL = http:// mainichi. jp/ correspondence/ 開沼博『はじめての福島学』、イースト・プレス、二〇一五年。 ⏎ ★ 7 大山顕「チェルノブイリは「ふつう」だった」、「デイリーポータル Z」、二〇一六年。 URL = http:// portal. nifty. com/ kiji/ 161118198099_ 1. htm ⏎ ★ 8 ぼくはのち本論で、観光客について論じるなかで、フランスの哲学者、ジャック・デリダの「誤配」という概念を鍵として借用することになる。そのデリダの哲学には、もうひとつ「エクリチュール」(文字)という有名な概念がある。それは「パロール」(話し言葉)と対をなし、デリダにおいては、文字は話し言葉から派生するものだが、しかし話し言葉もまた文字なくしては成立しないというねじれた相互依存を範例に、ものごとの本質が非本質に本質的に依存してしまう関係を一般に意味する概念として使われている。ここでぼくが「福島」と「フクシマ」に見いだしているのは、まさにそのねじれた問題である。観光地化とはエクリチュール化のことなのだ。 ⏎ 1ぼくは二〇一一年に『一般意志 2・ 0』という本を出版している ★ 1。その中核はルソーの再読である。ルソーは、近代民主主義の礎を築いた思想家として知られている。しかし同時に、ロマン主義文学の父としても知られている。そして、『人間不平等起源論』や『社会契約論』の著者である思想家としてのルソーの人間観と、『新エロイーズ』や『エミール』や『告白』の著者である文学者としてのルソーの人間観は、じつはかなり開きがあるというのが哲学史的な常識である。ルソーは、政治思想家としては、個人は共同体の意志にしたがうべきだと主張した、全体主義に近い立場の人物として知られている。「一般意志はつねに正しい」という『社会契約論』の一節(第二編第三章)はあまりにも有名である。この一節は、共同体の意志が個人の意志に優越すべきだと主張するものとして受け取られ、実際、のち参照するカール・シュミットのような保守の思想家によって肯定的に評価されている ★ 2。他方でルソーは、文学者としては、孤独を尊び、偽善を許さず、共同体の規範の押しつけを許さない徹底した個人主義者として受け入れられている。『新エロイーズ』は、慣習や階層に縛られない自由な感情の発露としての恋愛表現の起源と考えられている。『告白』は、私的な性体験や嫉妬感情の赤裸々な記述で多くの読者に衝撃を与えた。そちらではルソーは、全体主義者どころか、むしろドストエフスキーと比較されるような情熱的な実存主義者だと考えられている。全体主義か個人主義か。社会か実存か。つまりは政治か文学か。エルンスト・カッシーラーは、その分裂を「ジャン =ジャック・ルソー問題」と呼んだ ★ 3。しかし、そこにはほんとうに分裂があるのだろうか? 社会と実存は対立するのだろうか? ぼくは疑わしく思った。そこでぼくは『一般意志 2・ 0』では、『社会契約論』、とりわけそこで提出された「一般意志」という有名な概念の再解釈が、分裂の謎を解く鍵となることを示そうとした。詳しくは同書を読んでほしいが、ぼくがそこで打ち出したのは、ルソーの「一般意志」の概念は、社会と交わりたくない、他人とも会話したくない、人間がそもそも嫌いな人々、現代風に言えば「ひきこもり」や「コミュ障」の人々のために構想された、社会性の媒介なしに社会を生みだしてしまう逆説的な装置として読むべきだという提案である。ルソーは人間が嫌いだった。社会も嫌いだった。『学問芸術論』や『人間不平等起源論』に記されているように、彼はそもそも、人間は、社会などつくらず、したがって学問も芸術ももたず、家族単位でばらばらに生きるのが本来のすがただと考えていた。にもかかわらず、人間は現実には社会をつくった。なぜか? ルソーは、人間は本来は社会などつくりたくないはずだと信じていたからこそ、逆にその問いに答えねばならなかった。言い換えれば、個人主義の文学者が集まり全体主義的な社会を生みだすメカニズムを考案しなければならなかった。「一般意志」の概念はその必要性から生みだされたのだ。この観点で読めば、『新エロイーズ』も『告白』も『社会契約論』も、矛盾なく一貫して理解できる。というわけで『一般意志 2・ 0』は書かれたのだが、そうなると逆につぎの疑問が湧いてくる。ルソーに分裂はない。ぼくはそう考える。だとすると、いったいなぜ人々はそこに分裂を見てきたのか?じつは本書の主題である「観光客の哲学」は、その疑問と深く関係している。本書は表面的には『一般意志 2・ 0』の延長にある著作ではない。ルソーを読み解くわけでも社会契約を扱うわけでもない。しかし、本書の主題の「観光客」は、まさに、社会などつくるつもりがないが、にもかかわらず社会をつくってしまう存在の範例として考えられている。この点では本書は『一般意志 2・ 0』の続編でもある。人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。言い換えれば、公共性などだれももちたくないのだが、にもかかわらず公共性をもつ。ぼくには、この逆説は、すべての人文学の根底にあるべき、決定的に重要な認識のように思われる。実際、多少とも社会思想史に詳しい読者であれば知っているように、それはルソーの時代においては、多くの哲学者に共有された認識だった。たとえば、『社会契約論』とほぼ同時期に出版されたアダム・スミスの『道徳感情論』は、まさにルソーと同じように、私的で孤独な個人がいかにして社会を構成するようになるのか、そのメカニズムを主題としている。その探究はいまでもまったく色褪せていない。けれども、ふしぎなことに、一九世紀以降の人文系の社会思想においては、この逆説はなぜか思考の中心にならなかった。かわりに中心には、人間はそもそも人間が好きであり、社会 =国家をつくるものであり、社会 =国家のなかでどんどんみずからを高めていくものであり、むしろそうでない人間は「人間」の名に値しないのだという、不自然なドグマが居座ることになった。いわゆるヘーゲル主義の問題でありナショナリズムの問題だが、詳しくはまたあとで記す。いずれにせよ結果として、一九世紀以降の世界においては、社会性のある人間と社会性のない人間、公共性のある人間と公共性のない人間、公的な人間と私的な人間、政治家と文学者、前章での言葉を使えば「まじめ」な人間と「ふまじめ」な人間とが単純に切り分けられることになった。ルソーの思想は、その切り分けのなかで捉えるからこそ、分裂しているように見える。そして、第一章で示唆したように、観光客あるいはテロリストもまた、その切り分けのなかで捉えるからこそ、見えなくなるのである。二一世紀の思想は、もういちどそれを見えるようにしなければならない。人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。なぜか。本書は、その謎を解くヒントを、一般意志の再読にではなく、観光客のありかたに見いだそうと試みるものである。それはまた同時に、一九世紀以降の、まじめな公とふまじめな私を対置させる政治思想への異議申し立てでもある。第二章では、観光客の哲学の基礎固めを行う。ぼくはまず、ルソーとほぼ同時代のふたりの哲学者を取りあげ、観光客について思考するためのふたつの手がかりを引き出す。続いて時代を下り、二〇世紀の三人の哲学者を参照することで、その手がかりを展開するためには思想そのものをどのように変えるべきなのか、その課題を明らかにしたいと思う。観光客について考えること、それは、近代の標準的な人間観を更新し、新たな人間観、新たな社会観、そして新たな政治観を提示することにつながっている。 2哲学者のひとりめは、ルソーと同時期に活躍し、またルソーの論敵でもあったヴォルテールである。ルソーの論敵と記したが、じつはこの紹介にはあまり意味はない。というのも、ルソーは論敵だらけの人物だったからである。ルソーは、啓蒙主義が頂点を迎え、社交界とサロン文化が花開いた一八世紀半ばのパリで活動していた。しかし、さきほど記したように、彼自身は人間嫌いで、社交性に欠けた被害妄想気味の人物でもあった。それゆえルソーは、ヴォルテールだけでなく、多くの同時代人と諍いを起こしている。なかでも有名なのはディドロおよびヒュームとの諍いで、前者についてはルソー自身が『告白』に詳細な記録を残しており、後者は書簡集として出版されている ★ 4。両者ともに、哲学的議論を期待して読むと溜息しか出ないくだらない諍いでしかないが、しかし裏返せば、そのようなくだらなさこそが、さきほど触れた逆説(なぜ人間は人間が嫌いなのに、人間と社会をつくるのか)を問うルソーの原動力だったとも言える。とはいえ、この話もまた踏みこむと長くなるので別の機会に譲る。いずれにせよ、ヴォルテールはルソーの同時代人だった。そのヴォルテールの代表作に『カンディード』という奇妙な小説がある。一七五九年に出版された作品で(『社会契約論』の三年前であり、スミスの『道徳感情論』と同年である)、現代風に言えば、ドタバタ冒険小説のなかにところどころ哲学的な省察が入ったような、じつにふしぎな形態の小説である。いまの読者にはあまりなじみがないかもしれないが、文学史では高く評価されていて、後世の作家に与えた影響も大きい。たとえば、第七章で読解するドストエフスキーは、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のような代表作を構想するにあたり、ロシア版の『カンディード』を書きたいと繰り返し言っていたことが知られている。つまり『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』は、ある意味でこの小説の子孫なのだ。ロシアの文芸理論家、ミハイル・バフチンは、この作品を、ソクラテスとドストエフスキーがともに属する「メニッペア」なるジャンル(対話的でカーニバル的な文学)を代表する傑作だと評価している ★ 5。ソクラテスは哲学者、ドストエフスキーは文学者という区別は、ここではあまり意味がない。ソクラテス、ヴォルテール、ドストエフスキーの三者は、いずれも、強烈な笑いと風刺であらゆる価値を批判し、相対化する達人だった。ではヴォルテールはなにを批判していたのか。『カンディード』は哲学史においても評価が高い。そこでは同作の重要性は、ライプニッツが主張した「最善説」(オプティミズム)を批判したところにあると言われる。最善説とは、「世界は最善であり、悪の事実にもかかわらず合目的的であり、有限な諸事物の価値は、普遍的全体を実現する手段として肯定されるというテーゼ」のことである ★ 6。要は、世界は全体としてうまくいっているんだから、細かい悪いところには目をつむっておけという考えだ。その起源はプラトンやアリストテレスにまで遡る(というよりも日常的にはあらゆるところに見いだせる)が、最善説の哲学をもっとも体系的に展開したのは、一七世紀から一八世紀にかけて生きた哲学者、ライプニッツである。彼は『弁神論』で、「あらゆる可能的世界の中に最善なるものがないとしたら神はいかなる世界をも産出し得ないであろう」と記している ★ 7。神は存在する。神は最善である。したがって、神がこの世界をつくったのだとすれば、この世界もまた最善のはずだ。そんな世界に悪があるように見えるのは、ぼくたち人間の知性が制限されているからにすぎない。現実に戦争や災害や事故があり、苦しむひとがいたとしても、それは神の計りしれない配慮において、必ず最善につながり救済につながっている。これがライプニッツの世界観である。神がいるとかいないとか、世界が最善かどうかといった話だけ聞くと、いかにもキリスト教固有の問題であるかのように響く。実際にそれは神学論でもあって、最善説を認めるか否かは、神の存在を認めるか否かの選択に直接に連動している。ドストエフスキーの読者であれば、ここで『カラマーゾフの兄弟』の有名な一節を思い起こすことだろう。そこでは登場人物のひとり(イワン)が、もうひとり(アリョーシャ)に向かって、たとえ将来的にはキリストが復活し、救済が実現されるとしても、いまここでの苦しみや悲しみがあるかぎり神の存在は認められないと熱弁を振るうことになる ★ 8。そこで標的とされているのはまさに最善説である。ロシア版『カンディード』を書きたいというドストエフスキーの夢は、ここできちんと実現されている。けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説はキリスト教を離れても成立する議論である。というのも、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性や一回性に対する態度にあるからである。最善説の支持者はこの現実に「まちがい」はないと考える。すべての苦しみや悲しみに意味があると考える。批判者はそうではないと考える。なんの意味もなく、無駄に苦しめられ殺されるひともいると考える。重要なのはその対立である。では、この両者のどちらが「正しい」のか。じつはその問いにはあまり意味がない。ぼくたちはそもそもひとつの現実しか生きることができず、だれもこの現実をほかの現実と比較することができないので、そこに「まちがい」があるかどうかも決定できないからである。最善説の是非は、ぼくたちがひとつの現実に閉じこめられているかぎり、原理的に答えることができない。だからそれは最終的には、議論で解決すべきものではなく、ひとりひとりの信念に委ねるべきものである。この世界に「まちがい」はあるのか。あると思うひともいれば、ないと思うひともいるだろう。それはともに正しいと言うほかない。むしろ重要なのは、その信念が実践に与える影響のほうである。ライプニッツは、「まちがい」はないと信じたほうがひとは幸せになれると考え、ヴォルテールは、逆にあると考えなければひとは誠実に生きることができないと考えた。ヴォルテールは、まさにその誠実さを証明するためにこそ、『カンディード』を書いたのである。ところでこのように記すと、最善説の是非は結局は信仰の問題で、学問もまた、とりわけ「理系」の学問(自然科学)とは関係ないと思われるかもしれない。しかしそれは誤解である。吉川浩満は『理不尽な進化』で、まさにヴォルテールを参照しつつ、一九世紀半ばに誕生した進化論の最善説的な性格を指摘している ★ 9。ダーウィンの『種の起源』は、『カンディード』からちょうど一〇〇年後に出版された。ダーウィンが唱えた進化論は、一般には、歴史に特定の目的を見いだす(文系的な?)イデオロギーを一掃した、信仰など入る余地のない、完全に科学的な世界観だと見なされている。けれども、吉川によれば、そこにも最善説が入りこんでいる。なぜならば、進化論とはそもそも、いまぼくたちが目にしているこの生物相、すなわちこの現実こそが、長い淘汰の結果として生まれた「最善」の生物相であるはずだというきわめてライプニッツ的な信念に支えられているからである。形態だけを見れば、生物にはしばしば欠点がある。しかし、それらの「まちがい」も、淘汰の過程ではきちんと理由があって残ってきたものだと捉えるのが、言い換えれば、本質的にはまちがいでは「ない」ものだとして捉えるのが、進化生物学者の公理なのだ。吉川によれば、その発想の是非は、いまだに進化生物学で問われ続けている。彼は、スティーヴン・ジェイ・グールドによるリチャード・ドーキンスへの批判(適応主義批判)の本質は、学会では十分に理解されなかったが、まさにその最善説的性格に対する批判にあったと主張している。この世界に「まちがい」はあるのか否か。それはあまりに原理的な問いなので、経験科学の発見によって決着がつくものではない。それゆえ逆に、その選択は、実証だけで支えられるはずの科学にも深く侵入しうる。ヴォルテールのライプニッツ批判は、この点では、いまも二世紀半前と変わらず重要である。ヴォルテールは『カンディード』で、世界は「まちがい」に満ちていると訴えた。どのように訴えたのか。本論の文脈で興味深いのが、そこで彼が旅のモチーフを取り入れていたことである。第一章で触れたように、ヴォルテールが生きた時代には、イギリスの上流階級の子弟のあいだでグランドツアーが流行していた。その慣習は大陸諸国にも広まり、ルソーも若いころイタリアへ旅行をしている。そのため当時の小説には、旅をする主人公がしばしば現れる。ただしそこで描かれる旅は、必ずしも、現実のグランドツアー、すなわちイタリアへの旅行にかぎらなかった。たとえば『新エロイーズ』では、失恋した主人公は船に乗りいったん世界中を旅している。このような仕掛けが用いられたのは、当時、すなわち啓蒙主義時代のヨーロッパの人文知が、ヨーロッパ外からもたらされたさまざまな「驚異」により、大きな変容を遂げつつあったからである。フーコーが『言葉と物』で描きだしたように、当時の知識人たちは、あらゆる学問領域を横断して、人間とはなにか、理性とはなにか、文明とはなにかといった定義そのものを根底から再構築する必要に迫られていた。そしてその再考を促すもっともわかりやすい契機が、ヨーロッパの外への旅だった。ヴォルテールもその仕掛けを利用している。『カンディード』の主人公、カンディード(作品の題名は主人公の名前である)はあちこちに旅をしている。物語を簡潔に紹介しておこう。カンディードは純朴な青年で、ウェストファリアの片田舎に暮らしていた。パングロスという家庭教師がいて、彼にライプニッツの哲学(最善説)を学んでいた。そして美しい貴族の娘に恋をしていた。そんな彼が、あるトラブルから故郷を追い出されて旅に出る。そして、ブルガリアで戦争に巻きこまれ(これは実際にはプロシアの戦争のことだと言われている)、リスボンで大地震にあい(これは実際に一七五五年に起きた)、南米にわたり宝石を手に入れたりと波瀾万丈の人生を送る。ヨーロッパ北部に始まり、地中海からオスマントルコ帝国、さらにはアルゼンチンやパラグアイなどの新大陸までを股にかけたその移動は、まさに世界規模である。そしてカンディードは、その過程で、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験し、戦争や災害の悲惨な光景をたくさん目にし、最善説に疑いを抱くようになる。そして、そんなあるとき、同じように故郷を追われ、梅毒の乞食に落ちぶれたパングロスと再会する。また、ユダヤ人の妾になり、すっかり美貌が衰えた貴族の娘にも再会する。パングロスと娘は不条理に苦しんでいる。けれどもパングロスはどうしても最善説の誤りを認めない。世界の「まちがい」を認めない。物語の最後になっても、彼は貧困にあえぎながら、世界に「まちがい」はないのだと叫び続ける。「個々の不幸は全体の幸福をつくりだす。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」 ★ 10。この滑稽さが『カンディード』の要である。世界には「まちがい」がある。ヴォルテールは、その認識を読者に与えるために、主人公に世界旅行をさせた。ぼくはここに、観光というモチーフが効果的に使われた最初の哲学を見たいと思う。観光は社会学的には一九世紀に誕生した。ヴォルテールの時代にまだ観光は存在しない。そもそも『カンディード』の物語を素直に読めば、主人公の旅は観光ではまったくなく、むしろ難民の移動や人身売買に近い。にもかかわらず、ぼくが『カンディード』で描かれた旅を「観光」と呼びたいのは、それがあくまでも仮想の旅行だからである。仮想というのがわかりにくければ、思考実験のための架空の旅行であり、想像力の拡張のための架空の旅行だと言ってもいい。近代の観光産業が、クックの社会改良主義とともに生まれたことはすでに述べた。観光は、観光客の啓蒙を、すなわち想像力の拡張を目的としていた。『カンディード』の旅も同じものを目的としている。『カンディード』にはたしかに世界各地の地名が登場する。しかしヴォルテール自身はヨーロッパの外に出ていない。またこの作品はそもそも紀行文や調査報告ではない。風刺小説である。したがって、そこで語られる物語はほとんどが荒唐無稽なほら話であり、本書の言葉で言えば「二次創作的」なステレオタイプでしかない。ロシアのアゾフ海では人間が人間を食べているし、南米の奥地には道ばたの小石まで純金の黄金郷が存在する。つまりは、さきほどの付論で挙げた例につなげれば、そこで描かれたのはすべて「福島」ではなく「フクシマ」にすぎない。けれども、ヴォルテールはおそらく、彼の目的のためにはそれで十分だと考えたのだ。否、むしろそのほうがよいと考えたのかもしれない。彼は、最善説を否定するにあたり、悲惨な個々の現実を突きつけるのではなく(というのも、そのような事例の列挙はたやすく最善説に回収されるので)、むしろ、世界旅行という思考実験を導入することで、世界にはつねにぼくたちの想像を超えた悲惨な現実があるかもしれないという、その可能性一般を突きつけようと試みたのである。ぼくはここに、現代のダークツーリズムに近い問題意識を見る。観光が、知識の拡張というより、むしろ想像力の拡張と不可分のものであること、ぼくはこの問題に第一部の最後で戻ることになる ★ 11。思考実験としての世界旅行について、もうひとつ例を挙げておく。ルソーやヴォルテールと同時代の有名な哲学者に、ディドロという人物がいる。『百科全書』の編纂で歴史に残る哲学者だが、彼は一七七二年に『ブーガンヴィル航海記補遺』という短いテクストを記している。『ブーガンヴィル航海記補遺』は、ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルという実在の冒険家が記した実在の世界旅行記に着想を得て、その偽の補遺として書かれており(つまりブーガンヴィルは書いていない)、その内容も、ヨーロッパ人の牧師とタヒチ人のあいだの架空の対話、およびその対話をめぐるふたりの読者のあいだの架空の対話の二部から成っているというじつに奇妙な本である。架空の対話は、むろんすべてディドロが書いている。一八世紀のこのようなテクストを読んでいると、現在の哲学がいかに堅苦しく不自由になってしまっているかを痛感するが、それはともかく、そのなかでディドロは、未開の「タヒチ人」(それそのものがディドロの空想だ)につぎのように発言させている。お前さんの国で[近親相姦によって]火あぶりにされようがされまいが、わしの知ったことじゃないよ。しかし、お前さんはタヒチの風習を楯にとってヨーロッパの風習を非難してはいけないが、それと同じで、お前さんの国の風習をかつぎ出してタヒチの風習を非難するのもどうかと思うよ。わしらはお互いにもっとがっちりした規則がほしいわけだ。ところで、その規則というのは何だろう? ★ 12ヨーロッパ人は近親相姦を否定する。しかし「タヒチ人」は否定しない。ディドロは『カンディード』と同じように、世界旅行の仮定を導入することによって、人間や社会の本質について、ヨーロッパの常識に囚われない普遍的な視座を獲得しようとしている。現代思想に多少詳しい読者であれば、ここで、二〇世紀を代表する文化人類学者、クロード・レヴィ =ストロースの仕事を思い起こすかもしれない。レヴィ =ストロースはまさに、緻密なフィールドワークと大胆な理論によって、ヨーロッパ人の常識的な人間観や社会観(ヨーロッパ中心主義)を切り崩した人物だった。その人類学的視線は、ルソーとヴォルテールの時代の思考実験の直系の子孫でもある ★ 13。 3哲学者のふたりめは、イマヌエル・カントである。この哲学者についてはあらためて紹介する必要はないだろう。この三世紀でもっとも大きな影響力をもった哲学者である。カントの影響下でヘーゲルが生まれ、カントへの反発からニーチェやハイデガーが生まれ、のちカントの復興として分析哲学が生まれる、そんな巨大な存在だ。そのカントは、ヴォルテールの『カンディード』から四〇年ほどのち、フランス革命期の一七九五年に『永遠平和のために』というタイトルの小著を出版している。同書は、カントが晩年に(カントは一八〇四年に七九歳で死んでいる)記した短いテクストで、長いあいだあまり重視されなかった。けれども、二〇世紀に入り、国際連盟や国際連合ができる時代になってあらためて注目を浴びることになり、いまではカントのもっともよく読まれる本のひとつになっている。この本の主題は、タイトルのとおり「永遠平和」を実現するための条件の検討である。「永遠」と入っているのは、たいていの平和は一時的な「休戦」でしかないのに対し、この本ではより強力な平和維持体制の創設が問題となっているからだ。カントは、これからもしばらくのあいだ、世界には多数の主権国民国家が存続するだろうし、それを超える統一政府も生まれないだろうと考えた(この想定は二二〇年後のいまも変わらず通用する)。そのうえで、対等に並び立つ複数の主権がある状況で、平和を維持するためにはどうしたらよいのかと問うたのである。カントの主張を要約しておこう。彼は、永遠平和の設立のためには三つの条件が必要だと記している。ひとつめは「各国家における市民的体制は共和的でなければならない」というものである(第一確定条項)。これは各国の国内体制についての規定である。永遠平和の体制に参加する国は、専制的であってはならない。国民が王に盲目的にしたがう国ではなく、自分たちで自分たちを統治する国でなくてはならない。これがまず第一の条件だ。最近の日本では「民主主義」という言葉が便利なキャッチフレーズとして広まっているので、このように記すと「それは民主主義的な社会であれということか」と受け取る読者がいるかもしれない。しかしカントは「民主主義的でなければならない」とは述べていない。共和主義(統治方法についての概念)と民主主義(統治者の人数についての概念)は本質的に異なる概念であり、民主主義的ではない(統治者の数は少ない)が共和主義的である(行政権と立法権が分離している)社会は十分にありうる。カントが重視したのは、あくまでも共和主義のほうであり、むしろ民主主義は否定している ★ 14。ふたつめは「国際法は自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」というものである(第二確定条項)。こちらはこんどは国際体制についての規定である。まずはそれぞれの国が市民の自由を保障した共和国になり、つぎにそれらの国々が合意のうえに上位の国家連合をつくる。カントはこの順序がきわめて大切だと考えていた。これがのち、二〇世紀に入って、国際連盟や国際連合の(そしていま崩壊の危機に直面している EUの)理論的な基礎になる。ここで重要なのは、さきほども記したように、カントが世界共和国(統一政府)について実現性を否定していたことである。彼は、主権国家はみな世界共和国の実現を好まないし、好むようになる理由もないので、実現はむずかしいと考えていた。だから彼はかわりに、主権国家がみな平和を望まないとしても、結果的に平和を実現してしまうような「消極的な代替物」について考えようとしたのである ★ 15。それが彼の提案する永遠平和の体制だ。その発想は、人間はみな社会が嫌いだが、にもかかわらず社会がつくられる理由を探求しようとしたルソーと共通している。そして最後が「世界市民法は普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されねばならない」というものである(第三確定条項)。この条項は説明がむずかしい。というのも、さきのふたつがあくまでも国家のありかたを問うものだったのに対して、この第三条項は社会や個人のありかたに踏みこんでいるからである。「普遍的な友好をもたらす諸条件」とはなんだろうか。カントは興味深いことを述べている。カントによれば、ここで「問題とされているのは人間愛ではなく、権利であ」る。カントが考えているのは、諸国民がたがいに愛しあい、尊敬しあうべきだといった友愛や感情の問題ではなく、あくまでも権利の問題なのだ。では具体的には、いかなる権利の保障が「普遍的な友好をもたらす諸条件」になるのか。カントはそこで「訪問権」について語る。国家連合に参加した国の国民は、たがいの国を自由に訪問しあうことができなければならない。それは「地球の表面を共同に所有する権利に基づいて、たがいに交際を申し出ることができるといった、すべての人間に属している権利」であり ★ 16、この権利の保障なしに永遠平和は存在しない。そしてカントによれば、これがきわめて重要なのだが、それはあくまでも訪問の権利だけを意味し、客人として扱われ歓待される権利は含まない。「友好の権利、つまり外国人の権限は、原住民との交際を試みることを可能にする諸条件をこえてまで拡張されはしないのである」とカントはきっぱりと記している。外国人は交際を「試みる」ことはできる。でもその成功は保障されないし、保障されなくてよい。この訪問権の規定は、短いながらも謎めいており、それだけに研究者に注目されてきた。カントはここで、永遠平和が、第一および第二条項の規定にかかわらず、国家を対象とする条件だけでは成立しないと述べているように見える。永遠平和は、各国が共和国になり、国家連合がつくられるだけでは達成されない。それは、「世界市民法」が成立し、個人が国境を越えて自由に移動できるようにならないと達成されないのである。さて、本書の文脈で興味深いのは、この訪問の権利の規定が、いま読むとあたかも観光の権利の規定であるかのように読めることである。カントの時代にはまだ観光産業は存在しない。観光する大衆も存在しない。したがって、学問的には、カントがここで観光客について語ったと考えることはできない。おそらく彼が念頭に置いていたのは外交官や貿易商人である。彼はマスツーリズムの時代など想像もできなかっただろう。けれども、ぼくは、そのように読み替えたほうが、カントの構想の本質をよりクリアに取り出せるのではないかと考える。どういうことか。前述のように、この第三条項は、そのまえに置かれた第一および第二条項とは明らかに異質である。いちおうは『永遠平和のために』のなかの論理では、第一条項が国内法、第二条項が国際法、第三条項が世界市民法に対応するという建てつけになっているが、この世界市民法なるものそのものが、実在する国内法および国際法とは異なり完全に仮想的なものであり、すでに異質である。これは裏返せば、この第三条項が、第一および第二条項のなんらかの弱点を補うものとして構想されたはずであることを示唆している。ではその条項にはいったいどのような弱点があり、第三条項でどのように補われたのか。第一および第二条項が説く永遠平和への道は、じつはきわめて単線的である。それは、成熟した市民が集まって成熟した国家(共和制)をつくり、成熟した国家が集まって成熟した国際秩序(国家連合)をつくり、その結果として永遠平和が訪れるという、成熟の連鎖の物語だからである。しかしそのような物語は、必ず、成熟していない国(共和的でない国)は国際秩序から排除してよい、否、むしろ排除すべきだという発想を呼び寄せるだろう。それは現実に起きている。冷戦崩壊以降、とりわけ二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ以降、世界はしばしば「ならずもの国家」という表現を使うようになった。それはまさに国際秩序から排除すべき国家の名称である。かつて、イラク、イラン、北朝鮮などにその名称があてられた。いま話題のイスラム国( IS)も同じ枠組みで捉えられている。ならずものと名指したからといって、そうたやすくその存在を排除することはできない。むしろならずものは増え続けている。いまや国際政治の軸をなす対立は、国家と国家の対立ではなく(むろんそれがないわけではないが)、むしろ国際秩序とその「外部」 =ならずものたちの対立である。ならずもの国家は、国家としての成熟 =国際秩序への参入を拒否している。しかし国際社会はその拒否そのものを拒否している。結果としてならずもの国家はますます怒りを深めていく。ぼくたちはそのような悪循環に直面している。この対立は、従来の政治学が問題とする国益の対立とは位相が異なっている。それはむしろ第一章で述べたテロリストの「ふまじめさ」と関係している。現在の国際社会は、その悪循環にうまく対応できていない。現実に対応できていないだけではなく、基礎となる理論が存在しない。本書冒頭で述べたように、二〇世紀後半の人文思想は他者への寛容を積極的に説いてきた。しかし、ならずもの国家の台頭は、まさにその倫理の説得力を失わせる。他者への寛容はたしかに重要だが、しかし寛容になるためには相手もあるていど成熟していないと困るというしごくまっとうな反論に対して、従来の他者論はほとんどなにも言い返すことができない。実際、アメリカのリベラルの代表である政治哲学者のジョン・ロールズは、湾岸戦争ののち「無法国家」の排除を認めているし ★ 17、ドイツの左翼知識人の代表である社会学者のユルゲン・ハーバーマスも、一九九九年のコソヴォ空爆を支持している。ともに少なからぬ読者の失望を招いた発言だったが、先進国を代表する責任ある知識人として、彼らにしてもそれ以外の態度表明はむずかしかっただろう。そのむずかしさの原因は、遡れば二世紀前の『永遠平和のために』の第一および第二条項にある。成熟した市民が成熟した国家をつくり、成熟した国家が成熟した国際秩序をつくるという歴史観を採用するかぎり、国際社会は未成熟なものを排除せざるをえない。そして排除された未成熟は、幽霊のように、テロとして回帰し続けるのだ。しかし、第三条項は、まさにこのジレンマから脱出し、別のしかたで永遠平和への道を考えるヒントを含んでいる。そしてそのヒントは、カントがあくまでも外交官など一部の政府関係者を想定して記したであろう訪問の権利を、彼自身の意図を超え、大衆観光客の移動を想定した観光の権利としてあえて読み替えることで、さらにクリアに見えてくる。これがぼくの提案である。ぼくの考えでは、この第三条項の追加でカントが提示しようとしたのは、国家と法が動因となる永遠平和への道とはべつに、個人と「利己心」「商業精神」が動因となる永遠平和へのもうひとつの道があり、この両者が組み合わされなければ永遠平和の実現は不可能だという認識である。彼は『永遠平和のために』の「第一補説」でつぎのように記している。自然は、賢明にも諸民族を分離し、それぞれの国家の意志が、国際法を理由づけに用いながら、そのじつ策略と力によって諸民族を自分の下に統合しようとするのを防いでいるが、しかし自然は他方ではまた、互いの利己心を通じて諸民族を結合するのであって、実際世界市民法の概念だけでは、暴力や戦争に対して、諸民族の安全は保障されなかったであろう。商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力(手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦争を防止するように強いられている、と考えるのである。 ★ 18カントはここで、国家と法だけでは永遠平和の設立には不十分であることをはっきりと述べている。複数の民族に分かれ、複数の国家意志のもとに置かれた人々は、「利己心」を通じてしか結合できない。「商業精神」こそが各国家を国家連合の設立へと誘う。永遠平和は商業なしにはありえない。この補説と第三条項をあわせて読むと、カントの訪問権のアイデアが、「利己心」「商業精神」と不可分なものだったことがわかる。したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問 =観光の事実は平和の条件になる。それがカントが言いたかったことではないか。それもまた、二一世紀のいま現実に起きていることである。国際社会が「ならずもの国家」を指定し、テロリストを生みだしている裏側で、世界は膨大な数の観光客を送り出してもいる。彼ら観光客は必ずしも「共和国」から来るとはかぎらない。中国もロシアも中東諸国も、西欧の基準では成熟した国家と言えないかもしれず、それゆえ国家としては、永遠平和設立のための国家連合には加えてもらえないかもしれない。けれども、それらの国の市民も、観光客としては世界中を闊歩しており、そしてそのかぎりで祖国の体制とは無関係に平和に貢献している。実際、日本と中国あるいは韓国との関係はつねに深刻な政治的問題を抱えているが、相互に行き来する大量の観光客によって、関係悪化はかなり抑止されている。観光のこのような機能は、それが発明されたときすでに意識されていた。クックはスコットランドへの最初のツアーを企画するに際して、それが両地域の友好に結びつくことを期待していた ★ 19。カントは、大衆観光の存在こそ知らなかったが、この第三条項で、まさに、個人が主体となる移動のそのような政治的機能を先駆的に見据えていたとは言えないだろうか。だからこそ彼は、訪問 =観光の権利を、世界市民の権利として、つまり祖国の体制とは無関係に尊重されるべきものとして規定したのではないだろうか。したがって、ぼくたちは、ならずもの国家は排除するほかないかもしれないが、ならずもの国家からの観光客は排除してはならない。中国といくら国交が悪化しても中国からの観光客を受け入れねばならないし、ロシアといくら国交が悪化してもロシアからの観光客を受け入れなければならない。それは中国なりロシアなりを国家として評価するからではない。そのような権利を普遍的に保障しなければ、それ自体は中国やロシアと無関係につくることができる永遠平和のための国家連合、それそのものの原理が内部から蝕まれるからなのである。前述のように、カントは訪問の権利と客人の権利を区別している。訪問の権利が保証するのは、相手国に行く権利だけであり、友人として歓迎されることは含まない。これはまさに、観光客のありかたをそのまま記述したかのような規定である。旅行代理店が観光客に保障するのは、相手国に行く権利だけであり、友人として歓迎されることではない。観光が観光であるかぎり、観光客の身の安全は保障されるけれど、保障されるのはそこまでである。実際には、観光客として訪れたさきで住民の非難にあい不愉快な思いをするかもしれない。友好は訪問 =観光なしには存在しえないが、訪問 =観光が必ずしも友好を生みだすとはかぎらない。このように条件を列挙するとわかるように、カントの訪問権はそもそも、外交官をモデルとするより観光客をモデルとしたほうが理解しやすいのだ。外交官は、カントの規定と異なり、たいていの場合は客人の権利(歓待される権利)を享受できてしまう。成熟した市民が成熟した国家をつくり、成熟した国家が成熟した国際秩序をつくり、最終的に世界平和が達成される。カントは、永遠平和にいたるそのような単線的な歴史を語るとともに、そこから外れる「利己心」と「商業精神」の道も同時に提示していた。訪問 =観光の観念は、そこで決定的な役割を果たしている。 4ヴォルテールによれば、観光する人々は「まちがい」に気がつく。カントによれば、観光する人々は永遠平和を設立する。このふたつのテーゼはいっけん関係がないように見える。しかし両者はともに、単線的な歴史への抵抗という契機を共通してもっている。成熟した市民が成熟した国家をつくり、成熟した国家が成熟した国際秩序をつくり、万人の幸福が達成される。それはまさに最善説の世界観である。実際にカントは『永遠平和のために』のなかで、いくどか「運命」や「摂理」といった表現を用いている。「自然の機械的な過程からは、人間の不和を通じて、人間の意志に逆らってでもその融和を回復させるといった合目的性がはっきりと現われ出ているのであって、そこでこうした合目的性は、[……][ある観点で見れば]運命と呼ばれるし、[……][別の観点で見れば]摂理と呼ばれるであろう」 ★ 20。カントのこの文章は、国家は戦争のような「まちがい」を犯すが、しかしその「まちがい」もまた、自然の賢明さにより最終的には永遠平和という善につながるのだという信念をはっきりと表明している。ヴォルテールは、まさにそのような信念を拒否するために『カンディード』を記した。そしてカントは、その同じ信念が取りこぼすものを救うためにこそ(彼自身はその意図を十分に自覚していなかったかもしれないが)、第三条項を記載したというのがぼくの考えである。それでは、そのような観光客の政治的な──というよりも亜政治的な可能性、国家から国家連合への単線的な物語に属さない、未成熟な「ふわふわした存在」がつくりだす友好の可能性について、哲学はどのような議論を行っているのだろうか。第一章で指摘したように、ぼくたちはここで哲学の大きな壁に出会うことになる。ただ、こんどはぼくたちはあるていど哲学の言葉を手に入れている。その壁の正体をできるだけ明らかにしてみよう。カントの『永遠平和のために』から一四〇年ほど下った二〇世紀に、同じドイツ語圏にカール・シュミットという法学者が現れる。シュミットは一九世紀末生まれだが、二〇世紀の思想家と呼んでさしつかえない。この学者はじつに問題含みの人物で、第二次大戦時にはナチス政権の理論的支柱となり、戦後は戦争犯罪人として逮捕された。けれども同時に、独特の理論構成で知られ、保守、リベラルの区別なく戦後の社会思想に大きな影響を与えてもいる。支持者には極右もいれば極左もいる。その彼の仕事のなかでも、もっとも有名で、理論的にも重要なもののひとつが、一九二七年に発表され、のち一九三二年に刊行された『政治的なものの概念』である。シュミットはそこで、政治が政治として機能するのは「友」と「敵」が峻別されているときだけだという、たいへん大胆な理論を提唱した。それは一般に「友敵理論」と呼ばれている。どのような理論だろうか。『政治的なものの概念』は、表題のとおり「政治とはなにか」を主題としている。シュミットによれば、抽象的な判断には、必ずその判断の基礎となる固有の二項対立がある。たとえば、美学的な判断は美と醜の二項対立(美しいかどうか)に、倫理的な判断は善と悪の二項対立(正しいかどうか)に、経済的な判断は益か損かの二項対立(儲かるかどうか)に支えられている。それらの対立はすべて原理的に独立している。美しいけれど正しくないことや、正しいけれど儲からないといったことは、世のなかにいくらでもある。ぼくたちがそのような判断ができるのは、美学と倫理と経済が独立した判断の範疇を構成しているからである。判断の独立性は、それぞれ固有の二項対立をもっていることで保証されている。だとすれば、政治を政治として、美学からも倫理からも経済からも区別する、固有の二項対立とはなんだろうか。シュミットは、それは友と敵の対立だと考えた。政治は、友と敵の二項対立のうえに成立する。しかし友と敵の対立とはなにか。彼は、それは「具体的・存在論的な意味において解釈すべき」であり、「経済的・道徳的その他の諸概念を混入させて弱めてはなら」ないと述べている ★ 21。「具体的・存在論的な意味」とは、要は殺すか殺されるかの意味だということである。戦争のような極限状況において、友を守るために敵を殲滅する判断を下す。それがシュミットの考える政治の本質である。そしてその判断には、美醜、善悪、損益といった別の二項対立は関わってはならない。「経済的・道徳的その他の諸概念を混入させ」れば、どんな戦争においても、敵の主張のほうが正しい、あるいは敵と組んだほうが儲かるといった判断があるかもしれない。しかし、そのような判断は、原理的に政治とは別の種類の判断であり、政治的判断に関係してはならない。つまりは、たとえそれが倫理的に正しくなく、経済的に損になる行為でしかなかったとしても、友の存在を守るためにやらねばならないことがあるとすれば、断固それを遂行するべきであり、それこそが「政治」だというのが、シュミットの考えなのである。これが友敵理論だ。ここで注意しておきたいのは、シュミットのいう「友」「敵」が、この言葉から連想される常識的な意味とは異なるいささか独特な概念だということである。それは私的な友情や敵意とはいっさい関わらない。シュミットの考える「敵」は、あくまでも「公的な敵」、すなわち共同体の敵を意味している。それは、私的な敵、つまり、ぼくなりあなたなりが私的な理由で敵対的感情を抱いているもろもろの個人のことは意味しない。だから、ある人物が私的には敵だが、公的には友ということはありうる。実際に戦争においては、私的には憎んでも憎みきれない人物とも、同じ国民として見知らぬ「敵」相手にともに戦うことになる。あるいは逆に、私的な友とも、公的な敵として戦いあうことになる。そのような状況はときに戦争の滑稽さあるいは悲劇として語られるが、シュミットによれば、むしろそれこそが政治 =戦争の本質である。友敵の区分は公が、そして公だけが行う。友敵は公的な存在であり私的な存在ではない。そして友敵の区別がなければ政治はない。これは、シュミットの政治についての思考が、まずは共同体の境界画定を前提としていることを意味している。政治はまず、世界を内部(友)と外部(敵)に分け、共同体(友の空間)を確立する。そしてその区別には、政治的な理由以外に根拠がなくていい。なぜならば、そもそもその境界画定そのものが政治の専権事項だからである。実際、シュミットの「敵」についての説明はほとんど同語反復になっている。「政治上の敵が道徳的に悪である必要はなく、美的に醜悪である必要はない。経済上の競争者として登場するとはかぎらず、敵と取引きするのが有利だと思われることさえ、おそらくはありうる。敵とは、他者・異質者にほかならず、その本質は、とくに強い意味で、存在的に、他者・異質者であるということだけで足りる」 ★ 22。政治は無根拠に敵を定める。そのうえで政治は、共同体の存続を第一に考え、必要とあらばほかのあらゆる判断を停止する。以上が『政治的なものの概念』の主張である。ここでは触れるにとどめるが、このような「政治優先」「共同体優先」の考えは、シュミットの思想の全体を貫いている。彼は『政治神学』という別の著作で、主権者(政治を行うもの)とは「例外状況」で決定を下すもののことであり、そして例外状況とは、すべての法秩序が停止し、国家の存続が問われるときのことであると記している ★ 23。日常は法で支配できる。しかし例外状況になると政治が必要になる。そして政治は、倫理も経済もすべてを飛び越えて、共同体の存続のみを考慮し、超法規的な判断を下すことができる。シュミットはそう考えた。あらためて指摘するまでもなく、これはきわめて危険な思想である。それは独裁を肯定し敵の殲滅を肯定し、しかもそこにいっさい異論の入る余地を残さない思想である。実際にシュミットは、さきほども記したように、この思想に導かれ、ナチスの独裁を支持し、ユダヤ人の排除政策を推進することになった。 5友敵理論はじつに危険な思想である。とはいえ、それは単純に危険だという理由で排除できるものでもない。なぜならば、それは、ユダヤ人が嫌いだとかドイツ国家の偉大さを示したいといった感情的な理由で作られたものではなく、国家とはなにか、人間とはなにかを考え抜いた結果として、論理的に引き出された理論でもあるからである。どういうことか。カントとシュミットのあいだにヘーゲルという哲学者がいる。近代の法体系や政治理論に絶大な影響力をもった哲学者である。そのヘーゲルは、国家を市民社会の「理性」にあたるものだと捉えた。たとえばいま、ぼくたちは日本列島という地理的な境界のなかに住んでいる。同じ言葉を使い、モノやカネを交換し、ひとつの社会を形づくっている。けれども、ヘーゲルはそれだけでは国家にはならないと考える。国家は、その人々が、われわれはひとつの土地に住み、ひとつの歴史を共有し、ひとつの社会をつくるひとつの民族なのだという自己意識を抱いたときに(ヘーゲルの言葉を使えば「おのれを思惟し、おのれを知り、その知るところのものを知るかぎりにおいて完全に成就するところのもの」になったときに ★ 24)はじめて生まれる。それがヘーゲルの考えである。つまりは国家とは、事実の産物というより、なによりもまず意識の産物なのだ。この規定は近代政治思想の基礎をなしている。そしてここで決定的に重要なのが、ヘーゲルの哲学において、市民社会から国家へのその移行が、たんなる歴史的あるいは社会学的な展開としてではなく、人間の精神的な向上と結びつけて語られていたことである。ヘーゲルによれば、人間はまず家族のなかで「自然的な倫理的精神」として現れる。ひらたく言えば、家族の愛に包まれた自足した存在として生きることになる。しかしつぎに家の外に出る。市民社会に入る。市民社会というのは、ひととひととが、愛ではなく言語や貨幣を媒介に交流する領域のことである。そこではひとは、みな他者の欲望を介して自分の欲望を満たすようになる。ヘーゲルの言葉を使えば「利己的目的は、おのれを実現するにあたって[……]普遍性によって制約され」るようになる ★ 25。それは、ひとが、主観性と客観性、特殊性と普遍性、つまりは私と公のあいだで引き裂かれた存在となることを意味している。市民社会のなかの人間は、ひらたく言えば、ふたたび愛のなかで自足できなくなり、自分が他人から見たらどう見えるのか、自分は社会のなかでなにをやるべきなのか、そのことばかり考えなければいけなくなるのである。そして最後に、国家が、まさにその分裂を統合する契機として現れる。ヘーゲルによれば、ひとは国家に所属し、国民になることによってはじめて、公的 =国家的な意志を私的な意志として内面化し、普遍性を特殊性のなかで経験するようになる。というよりも、ヘーゲルの考えでは、そのような内面化の実現(特殊性と普遍性の統合)こそが、国家なるものの精神史的な存在意義なのだ。『一般意志 2・ 0』の読者のため付け加えておけば、特殊性と普遍性を統合する「国家意志」というこの奇妙な概念の想定こそが、ヘーゲルがルソーの「一般意志」の解釈として引き出したものであり、すなわちルソー問題(個人主義と全体主義の分裂)のヘーゲルなりの解決になっている。ひとは、家族から離れ、市民を経て、最後に国民になることではじめて成熟した精神に到達する。「個々人の最高の義務は国家の成員であることである」とヘーゲルは記している ★ 26。ひとは国家に属さなければ精神的に成熟しない。これはあまりにも奇妙な主張のように思える。少なくともその考えは、グローバリズムが世界を覆い、モノとヒトの流通が日常的に国境を越えている二一世紀の現代では、端的に時代遅れのように感じられる。実際に情報社会論の世界では、伊藤穰一の「創発民主制」や鈴木健の「なめらかな社会」の提案などに代表されるように ★ 27、国境を含め、あらゆる境界は幻想にすぎず、情報技術の進展によりそれらの境界は順次解体されていくはずだといった議論が一定の影響力をもっている。それらの議論は、思想的には次章で触れる「リバタリアニズム」の一分岐と位置づけられ、おもに経営者やエンジニアに支持されている。けれども、ヘーゲルの国家論は、哲学的に見ると、そのような議論よりもはるかに深い射程をもっていると考えられる。というのも、そこで提示された国家の必要性は、実際に存在する国家の必要性としてだけではなく、むしろ、精神の歩みの問題として考えられているからである。人間は自分のことしかわからない(特殊性しかわからない)。しかし他方でひとりでは生きていけない(普遍性がないと生きていけない)。ではどうやってその両者に折り合いをつけるのか? ヘーゲルが「国民になること」の必要性をもち出すのは、まさにその疑問に答えるためである。だからそれは、国家論として記されているが、けっして政治思想や社会思想の枠に収まりきるものではない。それは、人間についての、とくにその成熟についての思考と不可分に結びついた議論なのである。人間がきちんとした人間になるためには、家族の一員であること(即自)や、市民社会で他者に触れること(対自)とは別に、なんらかの上位の共同体に属すること(即自かつ対自)が絶対的に必要だと、ヘーゲルはそう考えたのだ。勘のいい読者は、ここで議論が本章冒頭の問いに戻ってきたことに気がつくだろう。ぼくは、「人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。なぜか」と問いかけた。一九世紀のヘーゲルは、その問いに対して、「人間は国家をつくり、国民になることで、社会をつくりたくなかった未成熟な自分を克服することができるから」と答えた哲学者なのである。さて、さきほど紹介したシュミットの友敵理論は、まさにこのヘーゲルの人間観を突き詰めたところに現れている。人間が人間であるためには、なんらかの国家意志を内面化し、普遍性と特殊性を統合しなければならない。その統合の作用がなければ人間はなく、したがって国家がないところに人間はない。それゆえ、人間が人間であるためには、美や倫理や功利の判断とはまったく別の水準で、所属先の国家が存在しなければならない。政治とは、まさにその国家を存続させる営みである。シュミットは、このような論理のもとでこそ、友敵を峻別し、国家の輪郭を明らかにする「政治」の重要性を指摘できている。したがって、友敵理論はたんなる危険思想ではないし、また時代遅れの理論として片づけられるものでもない。むしろそれは、前述のようなヘーゲルの人間観が乗り越えられないかぎり、これからもいくらでも再来しうる思想だと考えられる。実際にそれは、いままさに再来の可能性が高まっている思想だと言うこともできる。というのも、『政治的なものの概念』は、二〇一七年のいま読みかえすと意外にアクチュアルな記述に満ちた本だからである。『政治的なものの概念』はじつは、ワイマール期のドイツで高揚していた自由主義的で個人主義的な思潮に抵抗するために書かれた書物である。当時のドイツではすでに、交通や交易の発展によって、国境は遠からず消滅し、国家もなくなり世界はひとつになるといった、いまのグローバリズムとそっくりの主張が展開されていた。シュミットの議論はその思潮への抵抗として組み立てられている。それゆえ『政治的なものの概念』は、いまのグローバリズム批判にもつながる例示や記述に満ちている。これは歴史的には当然のことである。現在のグローバリズムは、そもそもが、一九世紀から二〇世紀初頭にかけていちど進んだ自由主義と経済統合の動きが、両大戦と冷戦による七〇年ほどの中断を経て、あらたによみがえったものである。したがって、一九三〇年代のシュミットの関心と二〇一〇年代のぼくたちの関心に並行性があっても、とくに驚くことではない。それゆえ、シュミットの友敵理論は、グローバリズムが進むいま、あらためて復活する可能性が大いにある。しかもそれは、現在行われている凡百のグローバリズム批判よりも、はるかに哲学的深度が深い。グローバリズム(二〇世紀初頭の自由主義)を批判する論者は、むかしもいまも数多くいる。彼らは多くの場合、グローバリズムの導入は自国産業にとって損になると、あるいは自国文化を破壊するといった主張を展開する。けれども、シュミットはその類の議論には関わらない。なぜならば彼の考えでは、そのような批判は、政治的な判断に経済的あるいは美学的な判断(グローバリズムは損だ、あるいは醜いといった判断)を持ちこんだものにすぎず、結局は政治の価値を損なうものだからである。そうではなく、シュミットがグローバリズムを拒否するのは、端的にそれが友敵の区別を抹消し、政治そのものを抹消するからなのだ。彼は当時活躍した自由主義の論客の名を挙げ、その議論においては「闘争という政治的概念は[……]経済的側面で競合に、他方「精神的」側面で討議に化してしまう」のだと、言い換えれば、自由主義は「国家および政治を、一方では個人主義的な、したがって私法的な道徳に、他方では経済的な諸範疇に従属させ、その独自の意味を奪い去る」のだと記している ★ 28。自由主義は国家の必要性を経済や道徳に還元する。しかし、友敵の区別は、それが個人の利益になるから(経済的に得だから)行うものでもなければ、心の支えになるから(倫理的に正しいから)行うものでもない。それは、人間が人間であろうとするかぎり、精神の構造から必然的に要請される。自由主義者はその根本を理解していない。シュミットはその無知にこそ苛立っている。したがって、シュミットは、国家の消滅を企てるグローバリズムは、たとえそれが経済的に利益をもたらそうと、あるいは自国文化の拡大につながろうと、とにかく拒否すべきだと考える。国家が存在しなくなったら、政治は存在しなくなる。政治が存在しなくなったら、人間は人間でなくなってしまう。シュミットは、人間が人間であるために、グローバリズムを拒否するのだ。これ以上に強い批判の論理があるだろうか。シュミットは、国境なき世界の理想について、つぎのように憂鬱な調子で記している。およそ国家が存在するかぎりは、つねに、複数の諸国家が地上に存在するのであって、全地球・全人類を包括する世界「国家」などはありえない。[……]もしも地上のさまざまな民族・宗教・階級その他の人間集団がすべて一体となり、相互間の闘争が事実上も理論上も不可能となるならば、[……]そこに存在するものはただ、政治的に無色の世界観・文化・文明・経済・道徳・法・芸術・娯楽等々にすぎず、政治も国家もそこには存在しないのである。地球・人類のこのような状態が果たして到来するのか、またいつ到来するのか、わたくしは知らない。[……]「世界国家」が、全地球・全人類を包括するばあいには、それはしたがって政治的単位ではなく、たんに慣用上から国家と呼ばれるにすぎない。またもし実際に、たんに経済的な、また交通技術的な単位を基礎として全人類・全地球が統一されるのであれば、それはまだ、まず第一に、たとえば同じアパートの居住者や、同じガス会社に加入したガス利用者や、同じバスの旅客が、社会的「単位」であるというのと同様な意味での「社会的単位」であるにすぎない。 ★ 29人間は人間であるかぎり、国家をつくり、友をつくり、敵をつくる。だから国家は必ず複数存在しなければならない。裏返せば、もしこの惑星上にただひとつの世界国家しかなくなり、公的な敵がいなくなったとしたら、それはもはや哲学的には、国家がなく、政治もなく、それゆえ人間がいない世界と言うほかない。シュミットはそう主張するのである。ひとは、普遍的な意志を特殊な意志として内面化することで、はじめて精神的に成熟し「人間」となる。その契機は、家族でも市民社会でもなく、国家だけが与えることができる。ひとは国民にならなければ人間になることができない。友敵の区別がなければ人間になることができない。グローバリズムを撃つ論理を探るなかで、シュミットはこのような理論にたどりついた。あらためて確認するまでもなく、これは、本書の主題である観光客の哲学にとってじつに厄介な障害となる理論である。友敵の対立をくぐりぬけないと、ひとは人間になりえない。だとすれば、「村人でも旅人でもない観光客」は、そもそも人間未満の未熟な存在ということになる。個人のたんなるまとまりは、「同じアパートの居住者や、同じガス会社に加入したガス利用者や、同じバスの旅客」を超えるものではなく、政治的な検討に値しない。だとすれば、祖国の体制を離れ、個人の私的な動機に基づき国境を越える観光客の集団は、原理的に政治的思考の対象にはなりえないことになる。ぼくはさきほど、観光客の哲学を考えるとは「国家から国家連合への単線的な物語に属さない、未成熟な「ふわふわした存在」がつくりだす友好の可能性」について考えることだと記したが、以上のように、友敵理論の存在は、そしてその背景にあるヘーゲルのパラダイムは、そのような思考の可能性をあらかじめ奪い去っている。近代の人文思想には、人間についてまともに考えようとすればするほど、観光客についてはまともに考えることができないという構造があるのだ。しかし、障害は同時に可能性でもある。観光客の哲学を阻むヘーゲルとシュミットのパラダイムは、逆に、観光客の哲学がどのようなものであるべきか、そのすがたを裏側から照らしだすものでもあるだろう。近代思想は、人間は友敵の対立をくぐらないと成熟しないと述べた。だとすれば、ぼくたちは、観光客の哲学を設立するために、その対立をくぐらない別の成熟のメカニズムを探る必要がある。言い換えれば、国家への所属を介さずに、普遍と特殊を重ね合わせるメカニズムを考える必要がある。また近代思想は、家族から市民社会へ、そして国家へ、さらに国家連合へという単線的な精神史を考えた。だとすれば、ぼくたちは、その単線を複線化すべく、家族と市民社会を経たあと、国家にいたることのない、別の政治組織の可能性を考えねばならない。抽象的すぎるだろうか。そう響いたかもしれない。しかし、ぼくが言おうとしているのはきわめて具体的なことである。人間がもし、特定のただひとつの国家に属し、その価値観をきちんと内面化し、つまり国民としての自覚に目覚め新聞を読んだり選挙に行ったりデモに行ったりし、そしてそのあとで世界市民にいたるというやりかたではなく、ほかの方法でいきなり普遍性を手に入れることができるとしたら、それはどのようにしてか。ぼくが考えたいのはその可能性なのだ ★ 30。 6ここまでの議論で、観光客の哲学の課題を、かなりはっきりとつかむことができたのではないかと思う。家族から市民へ、国民へ、そして世界市民へといった単線的な物語から外れるもの、それは近代思想の枠組みでは原理的に政治の外部とされているけれども、ぼくはむしろそこにこそ新たな政治の回路があると考えたい。その可能性を記述する言葉こそ、観光客の哲学であり、本書が手に入れたいものである。というわけで、つぎの第三章ではいよいよその課題に取り組むことになるが、そのまえに本章の後半では、友敵理論と観光客の哲学の対立関係を多角的に捉えるべく、シュミットと同時代のふたりの思想家を参照し、ふたつの新たな言葉を導入しておきたいと思う。観光客の哲学の可能性は、さまざまな問題と連動している。ひとつめの言葉は「動物」である。ぼくは本章のまえに置いた付論で、二次創作の概念を紹介するにあたり、『動物化するポストモダン』という著作に触れた。同書の議論では、タイトルにあるとおり「動物」が鍵となっている。ぼくはその動物の概念を、アレクサンドル・コジェーヴというフランスの思想家から借りている。コジェーヴは、シュミットよりひとまわり年下の人物で、シュミットとも交流があった(シュミットは一八八八年生まれでコジェーヴは一九〇二年生まれ)。モスクワ生まれで、ロシア革命後にドイツに亡命し、戦後はフランスの外交官としても活躍したユニークな経歴をもつ哲学者である。そのコジェーヴは、一九三〇年代に行われた講義の記録をまとめ、一九四七年に出版された『ヘーゲル読解入門』という書物で(正確にはそこにさらに一九六八年の第二版で加えられた長い注で)、つぎのようなことを述べている。「ヘーゲルやマルクスの語る歴史の終末は来たるべき将来のことではなく、すでに現在となっている[……]。私の周囲に起こっていることを眺め、イエナの戦いのあとに世界に起きたことを熟考すると、イエナの戦いの中に本来の歴史の終末を見ていた点でヘーゲルは正しかったことを私は把握したのである」 ★ 31。コジェーヴは、人間が人間として生きる「歴史」は本質的に一八〇六年のイエナの戦い(ナポレオン戦争)で終わっていたのであり、二〇世紀のふたつの大戦は、現在がすでに「ポスト歴史」(歴史の終わりのあとの時代)に入っていることを確認させるものにすぎなかったと述べた。のち二〇世紀も終わり近くになって、アメリカの政治学者、フランシス・フクヤマがこの図式を援用して「歴史の終わり」論を主張し、同名の著書(『歴史の終わり』)が世界的なベストセラーとなったので、そちらを経由して知っている読者が多いかもしれない。ただしフクヤマのほうは、歴史の終わりを確認する契機を冷戦の終焉に定めている。人間の歴史が終わるとはいかにも奇抜な主張に聞こえるが、この背景にも、シュミットの思想と同じくヘーゲル独特の人間観が横たわっている。ヘーゲルの考えでは(コジェーヴが解釈し要約したヘーゲルの考えでは)、人間とは、みずからの存在を賭けて他人の承認を求め、環境を変革し続ける精神的な存在にほかならない。「人間は自己の人間的欲望、すなわち他者の欲望に向かう自己の欲望を充足せしめるために自己の生命を危険に晒し、それによって自己が人間であることを「証明」する。[……]このまったくの尊厳を目指した生死を賭しての闘争がなかったならば、人間的存在者は地上に存在しなかったであろう」 ★ 32。裏返して言えば、誇りを失い、他人の承認も求めず、与えられた環境に自足している存在は、たとえ生物学的には人間であってももはや精神的には人間とは言えないというのが、コジェーヴとヘーゲルの考えである。だから、人類がみなそのような自足した存在になってしまえば、人間の歴史は──種としての人類そのものが存続したとしても──終わる。コジェーヴが第二次大戦後の世界を「ポスト歴史」と呼んだのは、このような人間観を踏まえてのことである。戦後の冷戦に直面した彼は、人類はナポレオン戦争以来なにも本質的に新しい理念を発明しなかったのだと、なかば絶望的な気分に囚われていたわけだ。そして「動物」という言葉は、まさにその「ポスト歴史」についての記述に登場する。歴史の終末の後、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを開き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう。そうなった場合、これらすべてが「人間を幸福にする」と述べることはできなくなる。むしろ、ポスト歴史の動物であるホモ・サピエンスという種(これは豊かできわめて安全な暮らしを過ごすことになろうが)は、みずからの芸術や愛や遊びに関わる振舞いに基づき満足することになるであろうと言わねばなるまい。 ★ 33ポスト歴史の世界でも、人間は社会活動をする。都市を造り文化を創る。しかしそれはもはや「人間」の活動とは言えない、むしろ動物の戯れに近い。コジェーヴは、この強烈な文章の直後に、「ポスト歴史の動物」の例としてアメリカの消費者を挙げている。「アメリカ的生活様式はポスト歴史の時代に固有の生活様式であり、合衆国が現実に世界に現前していることは、人類全体の「永遠に現在する」未来を予示するものである[……]。人間が動物性に戻ることはもはや来たるべき将来の可能性ではなく、すでに現前する確実性として現れたのだった」 ★ 34。戦後のアメリカに生きているのは、誇りを失い、他人の承認も必要とせず、与えられた環境に自足して快楽を求め商品を買っているだけの動物的な消費者の群れでしかない。そこにはもはや「人間」はおらず、歴史もなく、したがって永遠の現在だけがある。それがコジェーヴの見立てである。コジェーヴは、アメリカの消費者は「動物」だと規定した。ちなみに付け加えれば、彼は同じ注で戦後の日本にも触れ、日本人はある理由で動物にはならないと述べている。しかし、ぼくは『動物化するポストモダン』で、彼の「動物」「ポスト歴史」の規定は、ある時期以降の日本のオタクたちにこそあてはまると指摘した。そしてそこから、前述のような二次創作のダイナミズムへの注目を経て、最終的に「データベース的動物」という独特の概念の提案にいたるのだが、ここではそちらについて詳しくは紹介しない。いずれにせよ、ジャンクフードと娯楽に囲まれ、政治も芸術も必要とせず、つぎつぎと提供される新商品に快楽を委ねているだけのアメリカの消費者が「動物」にしか見えないという指摘は、ヘーゲルのパラダイムを知らなくとも、直感的に理解できる読者が多いだろう。そのかぎりでは、コジェーヴは、多少言いすぎの嫌いはあれ、けっして奇抜なことは言っていない。そして、ここで注意しておきたいのは、コジェーヴがこの歴史観を打ち出したのが、まさにシュミットが『政治的なものの概念』を出版したのと同じ一九三〇年代だったということである。前述のように『ヘーゲル読解入門』は複雑な成り立ちの書物で、一九三〇年代の講義が一九四〇年代に出版され、そこにさらに一九六〇年代に注が加わっており、いま引用した箇所はその最後の注の一部である。だから文章そのものは一九六〇年代に書かれたものなのだが、「人間」「歴史」「動物」をめぐる議論の構図が一九三〇年代に作られたことはまちがいない。したがって、コジェーヴの問題意識はシュミットのそれと深く共鳴している。実際にいま引用した「ポスト歴史」についての文章を、さきほど引用したシュミットの「世界国家」についての記述と比較すると、驚くほど近い比喩で構成されていることに気がつくだろう。シュミットもコジェーヴもともに、人間と人間の生死を賭けた闘争がなくなり、国家と国家の理念を賭けた戦争が解消され、世界がひとつになり消費活動しか存在しなくなった時代における人間の消失を問題にしている。シュミットはそれを政治の喪失(自由主義化)と呼び、コジェーヴは歴史の終焉(動物化)と呼んだ。シュミットもコジェーヴもグローバリズムに抵抗した。国境を超え、均質な消費社会で世界を覆うグローバリズムは、彼らにはヘーゲルの人間観への深刻な挑戦に見えた。シュミットの友敵理論をコジェーヴのポスト歴史論と接続することで、ぼくたちは、そのグローバリズムが導く人間のすがたを形容するものとして「動物」という言葉を手に入れることができた。人間には必ず友と敵がいる。そして国家がある。しかし動物には友も敵も存在しない。そして国家も存在しない。国家を離れ、民族を離れ、他者の承認も歓迎も求めず、個人の関心だけに導かれてふわふわと行動する観光客は、以上の点でまさに「動物」だと言うことができる。実際、ここでは詳しくはたどらないが、観光の歴史はグローバリズムの歴史と密接に関わっている。初期のグローバリズムが第二次大戦で一頓挫したときに、トマス・クックが一九世紀に立ち上げた事業(トマス・クック・アンド・サン社)も大きな危機を迎えている。同社は一時国有化すらされている。それが復活するのは、一九七〇年代以降、「ポスト歴史」の動物化がますます全面化し、ポストモダンと呼ばれる高度消費社会が実現した時代においてのことである。観光は歴史の終わりの申し子である。観光客の思想的な意味について考えることは、ポスト歴史の動物の思想的な意味について考えることにほかならない。 7ふたつめの言葉は「消費」である。それに関連して「労働」「匿名」も鍵となる。こちらで読みたいのはハンナ・アーレントだ。アーレントもまた、ユニークな経歴をもつ哲学者である。彼女は一九〇六年生まれで、コジェーヴとほぼ同世代にあたる。ドイツ出身のユダヤ人で、のちアメリカに亡命し、戦後はおもに英語で執筆を行った。『全体主義の起原』や『イェルサレムのアイヒマン』といった著作が有名で、ナチスの犯罪を鋭く追及した政治哲学者という印象が強いが、他方で若いころは、そのナチスに近い有名な哲学者、ハイデガーの愛人だったというゴシップもよく知られている。もともと二〇世紀を代表する哲学者のひとりと見なされていたが、この二〇年ほどますます評価が高まっている。そのアーレントは、一九五八年に『人間の条件』という著作を出版している。タイトルから想像されるように、そこで問題とされたのも、シュミットやコジェーヴと同じく人間の消失である。アーレントもまた、人間には、生物学的な人間(ホモ・サピエンス)であることとは別に、「人間」として生きるための独特の哲学的条件があると考えた。そして現代では、人々はその条件を失っていると考えた。『人間の条件』は、人々がその条件を取り戻すために書かれた書物である。それでは、アーレントはなにが人間の条件になると考えたのか。アーレントは、人間が行う社会的な行為(アクティヴィティ)を三つに分類している。活動(アクション)と仕事(ワーク)と労働(レイバー)である ★ 35。そして彼女は、「活動」と「仕事」は人間の生に意味を与えるが「労働」は意味を与えない、にもかかわらず現代社会では労働が優位になっているのが問題だ、と議論を立てたのである。どういうことだろうか。話を簡単にするため、「活動」と「労働」の対立に絞って説明してみよう ★ 36。アーレントは、古代ギリシアのポリスを公共性のひとつの理想だと考えた。「活動」はそんなギリシア市民の政治的な(ポリス的な)行為をモデルに考えられた理念型である。それは具体的には、広場 =公共空間(アゴラ)にすがたを現し、演説をし、他人と議論するといった言語的で身体的な行為を意味している。二一世紀のいまであれば、議会への立候補や政治集会での演説に加え、市民運動に参加したり NPOで社会奉仕を行ったりするような行為を広く指す言葉だと理解すればいい。対して「労働」は「人間の肉体の生物学的過程に対応する行為」である ★ 37。生物学的過程に対応するとは、つまりは、そこでは身体の力だけが問われるということを意味している。それは現代で言えば、コンビニやファストフード店のバイトのような、だれが行っても同じで、人数と時間のみで換算される賃労働を名ざしている。そしてここで重要なのが、アーレントがこのふたつの概念を、行為者の固有名性に注目して対置していることである。固有名性とは、ひらたく言えば「顔」「名前」の問題のことである。アーレントは、活動においては行為者の固有名性が決定的に重要だと考える。実際、政治家の演説において重要なのは、なにを述べているかという内容よりも、むしろだれがその演説をしているかという「顔」のほうである。他方で労働では顔や名前はまったく重要ではない。工場労働者やバイト店員は匿名の数にすぎない。実際、コンビニに商品を買いに行くときに、だれがレジの担当者かを気にする消費者はほとんどいないだろう。どの店舗かすら気にしていないかもしれない。労働においては、アーレントの言葉を借りれば、顔のない「生命力」が売買されているにすぎないのである。アーレントはこの対立を「他者」や「公共性」の有無の対立にも重ねている。アーレントによれば、活動の場には必ず「他者」がいる。聴衆がいない演説はありえないし、奉仕先と顔を合わせないボランティアはありえない。活動の本質は、たがいに顔を曝し、差異を認めあったうえでの言語的なコミュニケーションにあるので、必ず他者の存在を要求する。それは公共の意識にもつながる。対照的に、労働の場には他者がいない。労働の本質は、人間が顔をなくし、人数と時間で計量される「生命力」を提供することにある。だからそこには他者が現れようがないとアーレントは考える。読者のなかには、そんなことはない、たとえばコンビニのレジ係は客という他者に接しているではないか、そこには人間と人間の関係があるではないかと疑問に思うひともいるかもしれない。しかし、アーレントであれば、そこでの客は「生命力」の宛先になっているだけで、他者として現れているわけではないのだと答えることだろう。コンビニ店員と客の関係は、人間と人間の関係というより機械と人間の関係に似ている。具体的に考えても、コンビニレジの仕事はロボットやセルフレジでも置き換え可能であり、近い将来にはそうなるだろう。労働には他者が存在せず、労働者は賃金のためだけに働く。それは、労働は本質的に「私的」な(自分のための)経験であり、公共の意識につながらないことを意味している。バイトは時給のためにタスクをこなしているだけであり、コンビニをよくしたいとか社会をよくしたいとか思って働いているわけではない。以上の整理のうえで、アーレントは、人間が人間として生きるのは「活動」に従事するときだけであり、「労働」の場では人間の条件は奪われているのだと主張した。それが『人間の条件』の要である。アーレントはつぎのように記している。「〈労働する動物〉は、自分の肉体の私事の中に閉じ込められ、だれとも共有できないし、だれにも完全に伝達できない欲求を実現しようともがいている」。労働は、動物的な欲求(食欲など)を孤独に満たすためのものにすぎない。だから労働ではひととひとはつながることができない。ぼくの満足(賃金)はあなたの満足とは独立している。それに対し、「活動とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の行為であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間ではなく、多数の人間であるという事実に対応している」。物の欲求はひとを孤独な満足に閉じこめるだけだが、活動 =言語のコミュニケーションはひととひとをつなぐことができる。ひとはそこではじめて、「自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を現わす」のだ ★ 38。人間は、顕名で(名を顕して)、他者と議論し、公共の意識を抱くときにはじめて人間であることができる。けれども、匿名で、他者との議論なく、生命力を自分ひとりの賃金と交換しているときには人間であることができない。これが『人間の条件』の基礎をなす概念対立である。顕名で公共的である存在だけが「人間」の名に値する。匿名で私的な存在はその名に値しない。だとすれば後者は、コジェーヴの言葉を借りれば「動物」と呼ぶべきだろう。実際、アーレントは「労働する動物」という表現も用いている。アーレントのこの整理は、哲学の知識がなくてもたやすく理解することができる。コンビニのバイトでは人間の条件が奪われていると言われれば、そんなものかなと頷く読者も多いだろう。しかし、このアーレントの哲学は、理論的には大きな弱点を抱えていることも知られている。なぜならば、そもそも彼女がモデルとして参照した古代ギリシアの都市国家は、奴隷制のうえに成立していたものだったからである。古代ギリシアではたしかに、顕名で公共的な「人間」と匿名で私的な「労働する動物」が明確に分かれていたかもしれない。アーレントはその区別を現代に復活させることを提案した。けれども実際にはそこには、顕名の市民たちによる活動 =政治 =ポリスは、彼ら市民がそれぞれ所有する奴隷たちの匿名の労働 =家政 =オイコスで支えられるという、じつに残酷単純な下部構造があったのである。だとすれば、その区別を現代にそのまま持ちこみ蘇らせようとすることは、はたして適切な選択だろうか。政治活動やボランティアの公共的な価値ばかりを強調し、労働に関わっているかぎり人間は人間になることができないと論を立てるのは、むしろ労働の現場から生まれるさまざまな思考を政治の場から排除することにつながるのではないだろうか。ひらたく言えば、アーレントこそが、コンビニバイトをいちばん人間扱いしていないのではないだろうか。政治学者の齋藤純一は、アーレントの哲学を高く評価しつつも、『人間の条件』については、「生命にかかわるあらゆる問いを公共的空間から締めだ」し「身体の必要や苦しみを語る声を不適切かつ不穏当なものと見なす」ものなので「根底から批判されねばならない」と厳しく記している ★ 39。では、その弱点はどう克服すればよいのだろうか。「労働する動物」がつくる公共性が考えられねばならないとして、それはどのような人間観と政治観を必要とするのか。それらの問いへの回答は専門家に任せるとして、本論の文脈で重要なのは、『人間の条件』のその弱点が、まさにシュミットの友敵理論やコジェーヴのポスト歴史論の弱点と同じ原因で生まれたと考えられることである。ぼくがここでアーレントの例を出したのは、一般に彼女が、シュミットやコジェーヴ、とりわけシュミットとは対照的な思想家だと考えられているからである。実際、ナチスに協力したシュミットと、ナチスの迫害を恐れ亡命したユダヤ人のアーレントは政治的に対極に位置している。アーレントは左翼で、シュミットは右翼である。けれども、そのようなイデオロギーの意匠を剝ぎ取ると、彼らの思想は驚くほど近い構造をもっている。どういうことか。シュミットもコジェーヴもアーレントも、一九世紀から二〇世紀にかけての大きな社会変化のなかで、あらためて人間とはなにかを問うた思想家である。そこでシュミットは友と敵の境界を引き政治を行うものこそが人間だと答え、コジェーヴは他者の承認を賭けて闘争するものが人間だと答え、アーレントは広場で議論し公共をつくるものこそが人間だと答えた。答えはいっけん三者三様だが、彼らが人間と対比したものを考えると、共通の問題意識が浮かびあがってくる。シュミットが友敵理論を構築したのは、友と敵の分割を気にせず、経済的な利益だけを追求する人間(自由主義者)が現れたからである。コジェーヴが闘争の精神をもち歴史をつくるものこそが人間だと主張したのは、闘争も歴史も必要とせず快楽に自足する人々(動物的消費者)が現れたからである。そしてアーレントが『人間の条件』を執筆したのは、ふたたび引用を繰り返せば、「自分の肉体の私事の中に閉じ込められ」た、他者を必要としない「労働する動物」が現れたからである。コジェーヴは動物的な消費者を批判し、アーレントは「労働する動物」を批判した。近代の大衆社会では労働者はそのまま消費者になる。だから労働の問題と消費の問題は表裏一体である。実際、アーレントは消費もまた労働と同じ論理で批判している。彼女によれば、労働は生命力を貨幣に変え、消費はその貨幣で動物的欲求を満たすだけの行為である。労働が公共につながらないように、消費も公共につながらない。彼女はつぎのように記している。「〈労働する動物〉の余暇時間は、消費以外には使用されず、時間があまればあまるほど、その食欲は貪欲となり、渇望的になる」。したがって、「苦痛と努力の足枷から完全に「解放された」人類は、世界全体を自由に「消費」するようになり、人類が消費したいと思うすべての物を日々自由に再生産するようになるだろう」が、その「ユートピア」で生まれるのは「幸福」を追求する「大衆文化」だけで、人間の生になにも意味を与えてくれないだろう ★ 40。この文章は、さきほど引用した世界国家の理想を批判するシュミットの文章、ポスト歴史の「動物」の生を皮肉交じりに描くコジェーヴの文章と、驚くほど言葉づかいが似ている。シュミットとコジェーヴとアーレントは同じパラダイムを生きている。彼らはみな、経済合理性だけで駆動された、政治なき、友敵なきのっぺりとした大衆消費社会を批判するためにこそ、古きよき「人間」の定義を復活させようとしている。言い換えれば、彼らはみな、グローバリズムが可能にする快楽と幸福のユートピアを拒否するためにこそ、人文学の伝統を用いようとしている。本書が「観光客」について考えることで乗り越えたいのは、まさにこの無意識の欲望である。二〇世紀の人文学は、大衆社会の実現と動物的消費者の出現を「人間ではないもの」の到来として位置づけた。そしてその到来を拒否しようとした。しかし、そのような拒否がグローバリズムが進む二一世紀で通用するわけがない。実際、人文学の影響力は今世紀に入って急速に衰えている。だから、ぼくたちは人文学そのものを変革する必要がある。それが、本書の基礎にある危機意識である。最後に付け加えておこう。シュミットやアーレントたちのあと、二〇世紀の後半には、表面的には、大衆社会や消費社会の分析に取り組む学派があちこちで現れる。フランス語圏におけるジャン・ボードリヤールやロラン・バルトのような記号論的な消費社会分析、英語圏における文化研究(カルチュラル・スタディーズ)と呼ばれる文化社会学の一派、あるいはドイツ語圏のフリードリヒ・キットラーやノルベルト・ボルツなどである。ポストモダニズムと呼ばれるのはだいたいそれらの組み合わせで、いわゆる「現代思想」の業界でよく参照されるのはむしろその動向である。だからそちらを知る読者は、人文思想が大衆社会を排除したなんていつの話だと疑問に思うかもしれない。そもそもその業界では、ヘーゲルの政治観や人間観はとっくに乗り越えられたことになっている。しかし実際には、その生半可な理解のほうが罠なのである。なぜならば、現実を見れば、いま名前を挙げたポストモダニストたちの社会分析や文化分析が──個別の現象や作品の解釈であるていどの成果をあげたとはいえ──公共とその外部、人間とその外部、政治とその外部を分割する二項対立の解体にいっさい手をつけることができず、また現実の政治にもほとんど影響を与えることができなかったことは明らかだからである。ポストモダニストはたしかに、政治とその外部を「脱構築」すると主張していた。そしてそれは学会や一部読者層のあいだで流行はした。しかし、現実の社会においては、そのような彼らの主張そのものが、非政治的なもの(戯れ)として政治の外部に排除されたと言える。彼らポストモダニストたちの仕事はときおり「文化左翼」と総称されるが、その命名(文化)そのものが、彼らの仕事が政治的なものだと見なされていないことを証拠だてている。実際に二〇一七年のいま、国内でも国外でも、いわゆる「現代思想」の担い手は、文化左翼に甘んじ大学のなかで文学批評や芸術批評を講義するか、あるいはすべての理論を捨てて(つまりポストモダニストの矜持を捨てモダニストに戻り)、古い「政治」のスタイルを受け入れデモに参加し街頭に出るか、どちらかしかできなくなっている。そこでは政治とその外部の対立がみごとに再生産されている。なにひとつ脱構築されていないし、なにひとつ変わっていない。ぼくはその状況に思想の敗北を見る。だから、ぼくは、もういちど基礎の基礎に戻り、近代思想の人間観と政治観を、過去のテクストの小手先な解釈変更などに頼るのではなく、根本から問いなおすべきだと考えるのだ。観光客は、その企図のためにとても適した存在である。観光客は大衆である。労働者であり消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星上を飛びまわる。友もつくらなければ敵もつくらない。そこには、シュミットとコジェーヴとアーレントが「人間ではないもの」として思想の外部に弾き飛ばそうとした、ほぼすべての性格が集っている。観光客はまさに、二〇世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、二〇世紀の思想の限界は乗り越えられる。ヘーゲルが、家族から市民へ、そして国民へという弁証法でしか人間を定義できなかったのだとしたら、観光客から立ちあがる人間の定義はありえないものか。それがぼくが考えていることである。 ★ 1 東浩紀『一般意志 2・ 0』、講談社、二〇一一年。 ⏎ ★ 2 カール・シュミット『独裁』田中浩・原田武雄訳、未來社、一九九一年、一三三頁以下参照。 ⏎ ★ 3 エルンスト・カッシーラー『ジャン =ジャック・ルソー問題』生松敬三訳、みすず書房、一九七四年。 ⏎ ★ 4 ルソーとディドロの諍いについては、ルソー自身の晩年の著作『告白』の第九巻を参照のこと。『ルソー全集』第二巻、小林善彦ほか訳、白水社、一九八一年。ルソーとヒュームの諍いについては、山崎正一・串田孫一『悪魔と裏切者』、ちくま学芸文庫、二〇一四年が参考になる。本文で記したとおり双方ともに諍いの内容はじつにくだらなく溜息しか出ないが、近代民主主義の礎が現実にはどのような人物によってつくられたのか、ルソーの人格を知るうえで(けっして否定的な意味においてだけではなく)これらの「論争」は『人間不平等起源論』や『社会契約論』と並んで必読である。 ⏎ ★ 5 ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』望月哲男・鈴木淳一訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、二六九頁以下。 ⏎ ★ 6 『岩波哲学・思想事典』第一版、岩波書店、一九九八年。「オプティミズム」の項目。執筆は酒井潔。 ⏎ ★ 7 『ライプニッツ著作集』第六巻、佐々木能章訳、工作舎、一九九〇年、一二七頁。 ⏎ ★ 8 第二部第五編「プロとコントラ」第三節の末尾。そこでイワンはつぎのように語っている。「そしてやがて世界のフィナーレ、永久調和の瞬間にすばらしく価値ある何かが起こり、現れて、すべての人間の心を満たし、すべての怒りを鎮め、人間の罪や、彼らによって流されたすべての血をあがなう、しかもたんに人間に生じたすべてを許すばかりか、正当化までしてくれる、とな。/でもな、たとえそうしたことがすべて生じ、実現したところで、このおれはそんなものは受け入れないし、受け入れたくない! やがて平行線も交わり、おれ自身がそれをこの目で見て、たしかに交わったと口にしたところで、やはり受け入れない。/これがおれの本質なのさ、アリョーシャ、これがおれのテーゼなんだ」。フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 2』亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇六年、二一九頁。 ⏎ ★ 9 吉川浩満『理不尽な進化』、朝日出版社、二〇一四年、二〇五頁以下。 ⏎ ★ 10 ヴォルテール『カンディード他五篇』植田祐次訳、岩波文庫、二〇〇五年、二八三頁。この台詞は物語の最後に出てくるものではないが、パングロスの哲学は最後まで変化しないので、彼の哲学を紹介するうえではさしつかえない。 ⏎ ★ 11 本論ではこれ以上議論しないが、観光と想像力の関係について考えるうえで、トマス・クックが一八七二年に最初の世界一周ツアーを行ったまさにそのとき、同時にジュール・ヴェルヌがパリの日刊紙で『八十日間世界一周』を連載していたという符合はきわめて示唆的である。『トマス・クックの肖像』、一八五頁以下参照。 ⏎ ★ 12 ドニ・ディドロ『ブーガンヴィル航海記補遺他一篇』浜田泰佑訳、岩波文庫、一九五三年、七〇頁。一部漢字表記を変更。 ⏎ ★ 13 クロード・レヴィ =ストロース「人類学の創始者ルソー」(塙嘉彦訳)、山口昌男編『未開と文明』新装版、平凡社、二〇〇〇年参照。この講演の記録で、レヴィ =ストロースは「ルソーは、当時はまだ存在しなかった人類学という科学を、それが登場する実に一世紀も前に、構想し、欲し、予告し、そしていっきに既成の自然および人間の列に加えた人であります」と記している(五七頁)。なお、本論では結局まったく触れる余裕がなかったのだが、ここでレヴィ =ストロースは「憐れみ」の重要性についても述べている。ルソーの「憐れみ」については、本論ではのち第四章でローティの哲学(プラグマティズム)に関連して触れる。観光客の哲学は誤配の哲学であり、したがって憐れみの哲学であるというのが、そこでぼくが打ちだす主張なのだが、レヴィ =ストロースが人類学とは憐れみの学問だと言っていることとあわせれば、結局のところ本書でぼくが言おうとしているのは、観光客とは小さな人類学者であるべきだという提言として要約できるのかもしれない。 ⏎ ★ 14 たとえばカントはつぎのように述べている。「そこで次のように言えるであろう。国家権力をもつ人員(支配者の数)が少なければ少ないほど、またこれに反して国家権力を代表する程度が大きければ大きいほど、それだけいっそう国家体制は共和制の可能性に合致し、漸進的な改革を通じて、ついには共和制にまで高まることが期待できる、と。こうした理由から、この唯一完全な法的体制の達成は、すでに貴族制の方が君主制の場合よりも困難であるが、民衆制になると、暴力革命による以外は不可能である」。イマヌエル・カント『永遠平和のために』宇都宮芳明訳、岩波文庫、一九八五年、三六頁。強調を削除。 ⏎ ★ 15 『永遠平和のために』、四七頁。強調を削除。 ⏎ ★ 16 『永遠平和のために』、四九頁。強調を削除。 ⏎ ★ 17 ジョン・ロールズ『万民の法』中山竜一訳、岩波書店、二〇〇六年、一一六頁以下。本書の原書は一九九九年に刊行されたものだが、そのさらに原型となった講演は一九九三年に行われている。 ⏎ ★ 18 『永遠平和のために』、七三–七四頁。強調を削除。 ⏎ ★ 19 『トマス・クックの肖像』、一四頁以下。 ⏎ ★ 20 『永遠平和のために』、五六頁。強調を削除。 ⏎ ★ 21 カール・シュミット『政治的なものの概念』田中浩・原田武雄訳、未來社、一九七〇年、一七頁。 ⏎ ★ 22 『政治的なものの概念』、一五–一六頁。 ⏎ ★ 23 カール・シュミット『政治神学』田中浩・原田武雄訳、未來社、一九七一年、一九頁以下。 ⏎ ★ 24 G・ W・ F・ヘーゲル『法の哲学 Ⅱ』藤野渉・赤沢正敏訳、中公クラシックス、二〇〇一年、二一六頁(第二五七節)。 ⏎ ★ 25 『法の哲学 Ⅱ』、九一頁(第一八三節)。 ⏎ ★ 26 『法の哲学 Ⅱ』、二一七頁(第二五八節)。強調を削除。 ⏎ ★ 27 伊藤穰一「創発民主制」公文俊平訳、国際大学 GLOC OM、二〇〇三年。 URL = http:// www. glocom. ac. jp/ publications/ glocom_ review_ lib/ 75_ 02. pdf 鈴木健『なめらかな社会とその敵』、勁草書房、二〇一三年。前者の全文と後者の一部は、東浩紀編『開かれる国家角川インターネット講座 12』、 KADOKAWA、二〇一五年に収録されている。本文では批判的に紹介しているが、ぼくたちの社会が国境含めさまざまな境界で制御されていること、それそのものがいまや自明性を失っており、境界画定を前提とするものとは別の新しい政治過程を構想する必要があるという点については、ぼくもまた伊藤や鈴木と認識を共有している。ただし、伊藤と鈴木がその境界解体が技術的手段で行われると考えるのに対して、ぼくはそこで人文的な発明が必要だと考える。観光客の哲学はその発明の名称だ。 ⏎ ★ 28 『政治的なものの概念』、九一–九二頁。強調を削除。 ⏎ ★ 29 『政治的なものの概念』、六一–六二、六八頁。強調を削除。 ⏎ ★ 30 国民(成熟した大人)としての自覚を介することなく、未成熟な個人がいきなり普遍とつながる回路を模索すること。サブカルチャー評論の言葉に翻訳すれば、これはすなわち「セカイ系」の問題である。「セカイ系」とは、国家や社会などの現実的な舞台設定の導入ぬきに、主人公の小さな恋愛と世界の破滅のような巨大なできごとを短絡させる物語類型の総称で、日本のオタク系コンテンツでは二〇〇〇年代にあるていどの流行を見た。ぼくはこの言葉を、サブカルチャーでの用法を拡大し鍵概念にして、新しいタイプの文芸批評を書こうと試みたことがある。興味のあるかたは、東浩紀『セカイからもっと近くに』、東京創元社、二〇一三年を参照されたい。本書第二部は「家族の哲学」を主題としているが、それは同書収録の新井素子論と深い関係をもっている。新井は「不気味なものの家族」を考えた作家だった。彼女が愛したぬいぐるみとは不気味なもののことである。 ⏎ ★ 31 アレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』上妻精・今野雅方訳、国文社、一九八七年、二四五–二四六頁。強調を削除。 ⏎ ★ 32 『ヘーゲル読解入門』、一六頁。強調を削除。 ⏎ ★ 33 『ヘーゲル読解入門』、二四五頁。強調は引用者。 ⏎ ★ 34 『ヘーゲル読解入門』、二四六頁。強調を削除。原語挿入を削除。 ⏎ ★ 35 以下本書での引用は、ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、一九九四年による。ただし本書では、同書で「活動力」と訳されている activitiesを「行為」と訳しなおしている。 activities単体としては「活動力」の訳のほうが適切だが、「活動力」と「活動」を異なる概念として区別するのは、日本語の語感としてあまりに無理があるように思われたからである。 ⏎ ★ 36 ここで省略した「仕事」は、「すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す」行為だと規定されている(『人間の条件』、一九 −二〇頁)。つまり「労働」が金目当てのコンビニでのバイト、「活動」が社会貢献が目的のボランティアや政治運動に相当するとすれば、「仕事」は業務や趣味でのものづくりに相当する。本論では、大きな議論の組み立て(政治と経済の二層構造)の関係上この第三項を簡単に位置づけられないので説明を省いたが、この「仕事」こそほんとうは現代社会を考えるうえで重要な概念である。現代はオタクとエンジニアの時代である。それはつまり「仕事」の時代だとも言えるからである。アーレントは『人間の条件』で、近代ではまず活動が仕事に置き換えられたのだが、その勝利はただちに労働に乗り越えられたのだと記している(四六四頁以下)。産業革命は仕事する人間 =工作人の勝利の結果だった。この観点から見れば、第六章で検討する情報技術革命とは、まさにネットを舞台にして仕事 =工作人の復活が試みられた運動だったと言える。そしてそれは、理想主義者によればさらに活動の復活(政治の復活)にもつながるはずだった。しかし、実際には、労働の蔓延、すなわちフェイクニュースとアフィリエイトで転がされる匿名のネットユーザーの蝟集しか生みださなかったのである。 ⏎ ★ 37 『人間の条件』、一九頁。 ⏎ ★ 38 『人間の条件』、一七七、二〇、二九一頁。引用一部改変。 ⏎ ★ 39 齋藤純一『公共性』、岩波書店、二〇〇〇年、五六–五七頁。 ⏎ ★ 40 『人間の条件』、一九三–一九六頁。 ⏎

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