スマホ

今あなたがめくったばかりのページには、点が 1万個描かれていた。この点 1個が、 20万年前に私たちの種が東アフリカに出現して以来の一世代を表している。点を全部合わせると人類の歴史になる。考えてみてほしい。この中で、私やあなたにとって当たり前の車や電気、水道やテレビのある世界に生きたのは何世代だろうか。 ・・・・・・・・(点 8個分) コンピューターや携帯電話、飛行機が存在する世界に生きたのは? ・・・(点 3個分) スマホ、フェイスブック、インターネットがあって当たり前の世界しか経験していないのは? ・(点 1個分) この本の主人公は、私たちが知るかぎり宇宙で最も高度な構造物だ。感情、記憶、意識など、私たちが経験してきたことの集大成である脳。なんとなくちょっと怖いような、謎めいた存在ではあるが、私たちそのものである器官。大海のごとく果てしない時間をかけて、脳は人間が暮らす世界に適応してきた。なお、ここで言う〝世界〟とは、今の私たちが慣れ切っている世界──さっきの点でいうと最後の数個──とは根本的に違った世界のことだ。人類が現代に適応できない理由 あなたや私は、目的も意義も存在しないプロセス、つまり進化の産物だ。進化は良い物でも悪い物でもなく、私たちに意地悪をするわけでも、都合のいいことをしてくれるわけでもない。地球上の生物はそれを基本条件として、今いる環境に適応していく。そこで実際には何が起きているのだろうか。北米に生息するクマを例に挙げてみよう。クマたちはどんどん遠くに移動してアラスカにたどり着き、厳寒の極地に暮らすことになった。茶色の毛皮は雪景色に溶け込まず、唯一の獲物アザラシにもすぐに見つかってしまう。クマたちは飢餓の脅威にさらされた。 ところが、ある雌クマの卵子に突然変異という偶発的な変化が起きた。毛皮の色を司る遺伝子が、白い毛皮になるよう変化したのだ。白い毛皮を持って生まれた仔グマは、他のクマよりもアザラシに近づくのが得意だった。食料を得やすいと生き延びる可能性が高くなり、やがて子孫を残す。その子もまた白い毛皮を持ち、やはり生き延びて子孫を残す確率が高くなる。進化というのは、そんな具合に続いていくのだ。茶色い毛皮のクマは生存競争に負け、 1万年から 10万年ほどかけてアラスカのクマはみんな白い毛皮になり、あまりにも白いのでシロクマと呼ばれるようになった。 生き延びて子孫を増やす確率を高められる特性、それがさらに受け継がれ、当たり前の存在になるには長い時間がかかる。こうやって植物や動物は、私たち人類も含め、環境に適応してきた。白い毛皮のクマを生み出すというのは、進化が大仕事をしたみたいに聞こえるが、まさにそのとおり。種に大きな変化が起こるには、長い時間──本当に長い年月がかかる。 シロクマに続いて、今度は 10万年前サバンナに生きた人類を思い浮かべてみよう。その女性をカーリンと呼ぼうか。カーリンが、高カロリーの甘い果実が実る木へと走ってきた。そして実を 1個だけ食べると、満足して去っていく。翌朝にはまたお腹が空いて、あの木のところにやってくる。しかし、もう実はなくなっている。誰かが全部取ってしまったのだ。カーリンが生きる世界では、果実のない木は死を意味することもある。人口の 15 ~ 20%が飢餓で亡くなっていたのだから。 次に、別の女性を想像してみよう。同じサバンナに住むマリアだ。甘味を認識する遺伝子に突然変異が起き、甘い果実を食べると、マリアの脳にはドーパミンと呼ばれる物質が大量に分泌される。ドーパミンは満足感を感じさせ、それをしたいと思わせる物質だ(「ネガティブな感情が最優先」の項を参照)。 その結果、マリアは、木になっている果実を全部食べてしまいたいという激しい欲求を感じる。ひとつくらいでは満足せず、食べられるだけたくさんお腹に詰め込む。さすがにお腹がはちきれそうになり、よろよろと去っていく。翌朝目覚めると、また何か美味しい物を食べたくなる。それでまたあの木に行ってみるが、いくつか残しておいた果実は何者かに取られていた。残念ではあるが、前日にたくさん食べたのだから、カロリーはまだ身体に残っている。 生き延びる確率が高いのはマリアだということは、わけなく推測できるだろう。消費しきれないカロリーは脂肪として腹部に蓄積され、食べられる物が見つからないときにその人を餓死から守ってくれる。そうすると、子を産み遺伝子を残す可能性が上がる。このカロリー欲求は遺伝子のせいなので、その特質は次の世代にも受け継がれ、その世代も生き延びて子を産むことが容易になる。そこに、環境における要因も関わってくる。強いカロリー欲求を持った子供が徐々に増え、生き延びる可能性が高くなる。何千年か経つ頃には、カロリーへの欲求はゆっくりと確実に、その人たちの間で一般的な性質になっていく。 今度はカーリンとマリアを現代社会に置いてみよう。ファストフード店がひしめく世界だ。カーリンはマクドナルドの店を見つけ、ハンバーガーを 1個買い求め、ほどよく満腹になって機嫌よく店を出ていく。今度はマリアが店に入り、ハンバーガーとフライドポテト、コカ・コーラにアイスクリームまで注文して、はちきれそうなお腹で店を出ていく。翌朝、マリアはお腹が減りまた店に行くが、嬉しいことに、店は前日同様食べ物で溢れている。マリアは昨日と同じメニューを注文する。 数カ月経つと、暴食がマリアの身体を蝕み始める。余分な体重が何キロも増えただけでなく、 2型糖尿病も発症した。彼女の身体は著しく高い血糖値に耐えられなくなっている。これでカーリンとマリアは立場が逆になった。サバンナでは生き延びるのを助けてくれたカロリー欲求だが、現代社会には適していない。人類の歴史の 99・ 9%の期間、私たちの生存を維持してきた生物的なメカニズムが、突如として益よりも害を引き起こすようになったのだ。 これは仮定の話ではなく、私たちがまさにやっていることだ。何百万年もの進化の過程で身体に組み込まれたカロリー欲求を、カロリーが実質無料のような現代社会でも引き継いでいる。それに、社会の変化はほんの数世代で起きたものだ。あまりに期間が短く、人間の身体のほうは順応できていない。生物学的には、脳はカロリーを目の前にすると毎回こう叫んでいるようなものだ。「すぐに口に入れろ! 明日にはなくなってるかもしれないぞ!」 結果は明白だ。世界中で肥満と 2型糖尿病が爆発的に増えた。祖先の体重が何キロだったか正確にはわからないが、現在でも前工業化社会に暮らすアフリカの部族の調査から、いくらかヒントが得られる。彼らの平均 BMI(体格指数)はおよそ 20、つまり標準体重の範囲内の低いほうだ。今日の米国の BMIは平均 29( WHOの基準ではあと一歩で肥満)、スウェーデンの平均は 25( WHO基準の過体重)だ。 過体重や肥満の問題は、わずか数十年で貧困国から中進国に這い上がった国で特に増えている。ほんの一世代で、常に飢餓に脅かされた状態から、西洋的なファストフード文化に変わったのだ。 現代社会に適応できていないのは身体だけではない。精神面でも同じことが言える。例えばマリアは、常に危険に対する不安を感じ、危険を避けるために入念に計画を立てる。そうやって生き延びる確率を高めてきたのだ。多くの人が怪我で死んだり、他の人間に殺されたり、動物に食われたりする時代だったのだから。今の安全な世界に暮らしていたとしても、マリアは常に破滅を想定する性格のせいで心を病み、今度はうつや恐怖症になってしまうだろう。 常に周囲を確認し、異常なほど活発で、すぐに他の事に気を取られる。かつてはそんな性格のおかげで、危険を速やかに避けることができたのだ。茂みの中でカサカサと音を立てているのは、食べられる物かもしれない。すぐに見てみよう! 今では、そんな衝動や感情のせいで集中できないと、教室でじっと座っているのが困難な子だと思われる。そして AD H D[訳註:注意欠如・多動性障害]の診断が下るのだ。人間は現代社会に適応するようには進化していない 他の動物と同じく、私たち人間は環境に適応するよう進化してきた。ということは、その特質を細やかに形作ってきた環境を見てみれば、人間をより理解できるのではないだろうか。過去の世代の圧倒的多数、つまり 1万個の点のうちの 9500個分の人たちは、狩猟採集民として生きてきた。彼らの世界は、あなたや私が当たり前に思っている世界とは大きく異なる。それがどんな世界だったのかは、正確に把握することはできない。先史時代に書き残されたものはないから、大雑把なイメージしかわからないのだ。それに、一括りにしてもいけない。というのも、狩猟や採集をして暮らす集団の生活条件は、現在の地球でも場所によって異なるのと同じように、それぞれに違っていたはずだ。情報が限られている上に、一括りにはできない、それでも、当時と今の世界の根本的な違いをいくつも挙げることができる。・当時は、 50 ~ 150人程度の集団で暮らしていた。今では、地球の人口の多くが都市に暮らしている。・当時は常に移動し、住居も簡素だった。今は同じ場所に何年、何十年と住む。・当時は生涯出会う人間の数は 200人、多くて千人程度。出会う相手はだいたい自分と同じような外見だった。今は生きている間に、世界中の数百万人に出会う。・当時、全人口の半数は 10歳を迎えずに亡くなった。今は 10歳前に亡くなるのはほんの数%だ。・当時の平均寿命は 30歳足らずだった。今の(世界の)平均寿命は、女性が 75歳、男性が 70歳だ。・当時の一般的な死因は飢餓、干ばつ、伝染病、出血多量、そして誰かに殺されることだった。今の最も一般的な死因は、心臓血管疾患と癌だ。・当時の人口の 10 ~ 15%は、他の人間に殺された。今は殺人、戦争、内戦など、他の人間に起因する死は死亡者全体の 1%にも満たない。・当時は、生き延びるためには注意散漫で、周囲の危険を常に確認していなければいけなかった。今では、注意散漫にならないのがよいとされている。昔のような危険はもうないのだから。・当時は積極的に身体を動かして食べ物を探さなければ、飢死する可能性があった。今では食料を手に入れるために一歩も動く必要はない。注文すれば、玄関に届く。 要するに、私たちはあのたくさんの点の連なりの最後のたったの数千年で──いや、数百年かもしれない──周囲の環境を著しく変化させたのだ。数千年というと永遠のように聞こえるかもしれないが、進化の見地から見れば一瞬のようなものだ。その結果、私たちは今とは異なった環境に適応するよう進化してしまい、今生きている時代には合っていない。その影響がどんなものなのか、それを理解するために、思考、感情、経験をすべて司るあの器官、つまり人間の脳をもっと詳しく見てみよう。感情があるのは生存のための戦略 生まれて初めて息を吸ってから、人生最後の吐息の瞬間まで、あなたの脳はたったひとつの問いに応えようとしている。それは「今、どうすればいい?」という問いだ。脳は昨日起きたことなんて少しも気にしていない。すべては現在と未来のため。たった今置かれている状況を判断するために記憶を活用し、感情を元にして正しい方向に自分を動かそうとする。だが、ここでいう正しい方向とは、精神状態が良くなったり、キャリアアップしたり、健康を維持したりすることではない。祖先がやったように、生き延び、遺伝子を残すという方向だ。 感情というのは「自分を取り巻く環境への感想」ではない。周りで何が起きているかに応じて、身体の中で起きる現象を脳が反応としてまとめたものだ。それが、私たちを様々な行動に出させる。奇妙に思えるだろうか。では、最初から見ていこう。誰だって自分の感情を理解し、制御したい。調子が悪いときは特にそう思う。そのためには、そもそも感情とはいったい何なのか、なぜ人間に感情があるのかを理解する必要がある。感情には、精神を充実させるよりも相当重要な機能があるのだ。 他の種と同様に、人間の身体と脳を形成してきた唯一の基本ルールは「生き延びて、遺伝子を残す」ことだ。進化は、異なる戦略をいくつも試してきた。例えば「できるだけ俊敏になって敵から逃げる」もしくは「景色に溶け込み見つからないようにする」。「他の種には取れないような餌を取れるようにする」というのもある。長い首のおかげで、キリンは他の動物には届かない葉を食べることができる。また別の戦略に、これは人類の場合だが、「生き延びられるよう行動させる」がある。つまり感情というのはもともと、キリンの長い首やシロクマの白い毛皮と同じように、生き延びるための戦略だった。身体的な特質を獲得するだけではなく、素早く柔軟に、全力で行動に出られるように進化したのだ。決断を下すとき、私たちを支配するのは感情 人間のあらゆる活動は──顎を搔くことから、原子爆弾を爆発させることまで──たったひとつの欲求の結果だ。その欲求とは、胸の内の精神状態を変えたい、というもの。そこを出発点にして、私たちは感情に支配される。脅かされると、怯えるか怒るか、逃げるか攻撃に出るかだ。身体にエネルギーが足りなくなると、お腹が空き、食べ物を探そうとする。 ここが完璧な世界で、その人が直面する選択肢の情報をすべて得ることができるとしよう。サンドイッチを食べようかどうか悩んでいる人は、栄養素、味、パンが焼き立てかどうかをちゃんと把握している。今自分の身体に栄養を補給しなければいけないこと、それにはサンドイッチが最適だというのもわかっている。そういった情報をすべてまとめ、サンドイッチを食べるか否かを合理的に決定することができる。もし私たちの祖先がこんな「完璧な世界」に暮らしていて、蜂蜜がたっぷり詰まったハチの巣の前に立ったら、蜂蜜が秘める危険性と可能性についてあらゆる情報を手に入れられたわけだ。その巣に入っている蜂蜜の量とカロリー、自分の貯蔵エネルギーがいまどれくらい残っているのか。巣から蜂蜜を奪うために、負傷する危険性はどのくらいあるか。ハチ以外に危ないものはないか? 簡単にすべての情報をまとめ、蜂蜜を取るべきか否かを合理的に決定することができる。問題は、祖先がいたのはそんな完璧な世界ではなかったし、私たちがいる世界もそうではないことだ。 ここで感情が登場する。私たちに様々な行動を取らせ、瞬時に全力で行動に出られるようにするのが感情だ。意識ある「あなた」が充分な情報を持ち合わせていない場合、もしくは決断に時間がかかりすぎる場合、脳は即座に大まかな見積もりを取り、感情という形で回答を返してくれる。「すごくお腹が空いた、だからサンドイッチを食べよう」あなたの祖先も同じように、空腹を感じて蜂蜜を取ったのだ。それで大変な目に遭う可能性は低いと判断した場合、もしくは究極に飢えていた場合は。危険が大きすぎると判断すれば、恐怖を感じてやめておく。 スーパーのお菓子売り場の前に立つと、餓死を回避すべく進化したアルゴリズムが素早く見積もりを取り、私たちに答えを与えてくれる。「お菓子が食べたい!」そんな激しい欲求という形で。食べ物が溢れるほどある現実に、脳は追いついていない。だからお菓子の棚の前に立つと、多くの人は合理的な判断を下せなくなる。私たちがカロリーを欲しがるマリアの子孫である可能性は非常に高い。餓死したほうのカーリンではなくて。ネガティブな感情が最優先 こんなふうに、感情は良くも悪くも人間に様々な判断をさせる。ところで、それは独立した現象ではない。感情が湧くことで、身体と脳に連鎖反応が起こり、それが各器官の動きに影響するだけでなく、思考のプロセスや、周囲をどう解釈するかにも影響してくる。 恐怖を感じた瞬間に、脳はコルチゾールとアドレナリンを放出する指令を出す。心臓が速く強く打ち始め、筋肉に血液が送り出される。逃げるにしても、攻撃に出るにしても、最大限に力を発揮できるようにだ。お腹が空いているときに食べ物を見ると、脳がドーパミンを放出し、食べたいという欲求を促す。ドーパミンはオキシトシン[訳註:子宮収縮ホルモン]と同様に、性的に興奮するときにも放出され、他人との絆も感じさせる。そのおかげで、テレビ画面ではなく隣にいる人に集中できるのだ。 ネガティブな感情はポジティブな感情に勝る。人類の歴史の中で、負の感情は脅威に結びつくことが多かった。そして脅威には即座に対処しなければいけない。食べたり飲んだり、眠ったり交尾したりは先延ばしにできるが、脅威への対処は先延ばしにできない。強いストレスや心配事があると、それ以外のことを考えられなくなるのはこれが原因だ。私たちの祖先は、明るい希望よりも脅威の方がはるかに多い環境に生きていた。負の感情を頻繁に感じるのは、ほとんどの言語で負の感情を表す言葉の方が多数あることからも見て取れる。そもそも、普通の人は負の感情のほうがずっと気になる。争いや修羅場のない映画や小説を読みたい人なんているだろうか。 負の感情の根源はストレスだ。ということで、次の章では「ストレスとはいったい何なのか」を詳しく見ていくことにしよう。第 2章 ストレス、恐怖、うつには役目がある地球上に存在した時間の 99%、動物にとってストレスとは恐怖の 3分間のことだった。その 3分が過ぎれば、自分が死んでいるか敵が死んでいるかだ。で、我々人間はというと? それと同じストレスを 30年ローンで組むのだ。──ロバート・サポルスキー(スタンフォード大学神経内分泌学・進化生物学教授) あなたや私にとってのストレスは、多忙な日々の予定をうまく調整しなければいけない、試験勉強が充分にできていない、仕事の締め切りに間に合わない、といったようなことだ。だがそれらは歴史的に脳にストレスをかけてきた要因ではない。 医学用語で H PA系(視床下部・下垂体・副腎系)と呼ばれるシステムを詳しく見ていこう。これは数百万年の進化の産物で、人間だけでなく鳥やトカゲ、イヌ、ネコ、サルなど、基本的にすべての脊椎動物が有するシステムだ。 H PA系は、まず視床下部( H: hypothalamus)という脳の部分から始まる。そこから下垂体( P: pituitary gland)という脳の下部にある分泌器に信号が送られる。すると下垂体は、腎臓の上にある副腎( A: adrenal glands)へ、コルチゾールというホルモンを分泌するよう命令を送る。コルチゾールは身体にとって最も重要なストレスホルモンだ。 H PA系は、人間にしても動物にしても、緊急性の高い脅威に遭遇したときのために発達したのだろう。不意にライオンに遭遇すると、 H PA系が「気をつけろ」と警報を鳴らす。この反応が視床下部で始まり、下垂体が副腎にコルチゾールを分泌するよう要請するのだが、そのコルチゾールがエネルギーをかき集め、心臓の拍動を強く速くする。ストレスを感じて心拍数が上がるのは、誰しも経験があるだろう。なぜ上がるのか。それは、ライオンに遭遇したら、素早く反応して、攻撃に出るか、走って逃げるかしなければならないからだ。つまり「闘争か逃走か」。どちらにしても、筋肉に大量の血液が必要になる。そのために拍動が速く、強くなるのだ。この反応が今も私たちの身体に残っていて、ストレスにさらされると心拍数が上がる。ストレスのシステムが作られた過程 ストレスのシステム H PA系が存在するのは、私たちに感情があるのと同じ理由だ。つまり、生存のため。身体や脳の他の部分と同様に、ストレスのシステムは祖先たちが暮らしていた、今より相当に危険の多い世界で生き延びるために発達した。当時の危険は、今より頻度が高かっただけでなく、瞬時の反応を迫られるようなものがほとんどだった。ライオンを攻撃すべきか、逃げるべきか。そこでじっと立ち尽くして悩んだ人は、早々に遺伝子のるつぼから追い出されただろう。 ありがたいことに、現代では命にかかわるレベルの心配をする機会はほとんどない。ただし心理社会的な種類のストレスを受けると、脳内で同じシステムが作動する。仕事の締め切りや高額な住宅ローン、「いいね」があまりつかない、といったようなことで。今の私たちの H PA系にかかるストレスは、ライオンに出くわしたときほど集中力は求められない代わりに、長時間継続することが多い。数カ月、いや 1年続くこともある。だが H PA系はそういった類のストレスのために進化してきていない。長期にわたってストレスホルモンの量が増えていると、脳はちゃんと機能しなくなる。常に「闘争か逃走か」という局面に立たされていると、闘争と逃走以外のことをすべて放棄してしまうのだ。脳にしてみれば、こういうことだ。 ・睡眠──後回しにしよう ・消化──後回しにしよう ・繁殖行為──後回しにしよう ある程度の期間ストレスを受け続けたことのある人なら、経験があるのではないだろうか。お腹の調子が悪くなったり、吐き気がしたり、不眠や性欲低下に苦しんだりしたことが。実はそういう人が、多すぎるくらいいるはずだ。「即座に解決すべき問題以外は後回しにする」脳の仕組みを考えれば、何もおかしなことはない。ただし、長期ストレスの影響はこれだけではない。ストレスは私たちの思考能力にも影響を与える。適度なストレスは精神を研ぎ澄ましてくれるが、度が過ぎると、頭が明瞭に働かなくなる。 人間は強いストレスにさらされると、脳の中で最も発達したはずの人類特有の部分を使わずに、進化の初期の原始的な部分へと退行する。迅速に全力で対応はするが、脳の「思考」機能に助けてもらおうとはしない。そこで問題が発生する。 つまり強いストレスにさらされると「闘争か逃走か」という選択しかなくなり、緻密なプレーをする余裕はなくなる。迅速な判断を下そうと「エラーチェックモード」に入った脳にとって、最優先なのは瞬時に問題解決することだ。社会的に緻密な行動ではなく。すると、自分を取り巻く環境内で発見したエラーに激しく反応してしまう。その結果、些細なことでも強い苛立ちを感じるようになるのだ。「なんで靴下が床に転がってるんだ?」というように。 強いストレスにさらされると、周囲に気を配る余裕もなくなるので、堪忍袋の緒も切れやすくなる。一方、心が満ち足りていると、人は警戒を解く。脅威を前にした脳にとって、警戒を解くことは優先順位の最下位だ。だから、強いストレスにさらされ続けると精神状態が悪くなる。もうひとつ脳が優先度を下げる機能は、長期記憶の保存だ。記憶というのは、脳の異なる領域の間に繫がりができることで作られる。それを担当するのは、海馬という脳の記憶の中心地だ。その繫がり──つまり記憶をしっかりさせるために、海馬はできたばかりの記憶回路を通して信号を送る。しかし、ひどいストレスを受けているときはそんな余裕がない。その結果、ストレスにさらされている時期は、記憶があやふやになることが多い。扁桃体──人体の火災報知器 2018年の夏、イタリアのアルプスで登山をしていたときのことだ。急勾配の牧草地で、私は突然凍りついたように立ち止まった。なぜだかはわからない。おまけに、心臓が急に速く強く打ち始めた。数メートル後ろを歩いていた友人が驚いて「大丈夫か?」と尋ねてきた。そのときやっと、何が起きたのかがわかった。目の前の草むらに灰色のビニールホースが落ちていて、数メートルの距離だとヘビかと見紛うほどだった。無意識のうちに脳が周囲の状況を確認し、「ヘビ」を発見して、立ち止まれと警報を鳴らしたのだ。数秒経ってやっと、それがただのホースだと気づいた。 現在では、その反応を引き起こした仕組みはわかっている。このドラマで主役を演じたのは、アーモンド(扁桃)のような形にちなんで名づけられた脳の扁桃体だ。扁桃体は 19世紀前半に発見され命名されたが、その後、最初に思われていたようなアーモンド形よりも大きいことが判明した。しかしその名前がすっかり定着していたため、変更されることはなかった。 扁桃体にはいくつか重要な機能がある。記憶や感情、とりわけ他者の感情を解釈するときに大きな役割を果たす。その中でも重要なのが、周囲の危険に常に目を配り、小さなことでも警報を鳴らすこと。ここでいう警報というのは、扁桃体がストレスのシステム H PA系を作動させることだ。扁桃体の作動の仕方は「火災報知器の原則」と呼ばれている。つまり、間違えて鳴らないよりは、鳴りすぎるほうがいい。敏感だが、必ずしも正確ではない。私の扁桃体も、ヘビかもしれないものを察知し、私を立ち止まらせようと素早く警報ボタンを押したのだ。用心するに越したことはないのだから。適度なストレスにさらされよう「ストレス」という言葉はネガティブに捉えられがちだが、人間が機能するためにはストレスが必要だ。短期的なストレスなら、集中したり、思考機能を鋭くしたりすることができる。つまり、仕事で大変な 1日や 1週間があるくらいは問題はない。 ストレスのシステムは、私たちが正常に機能するためにも大切だ。 H PA系のスイッチを切った実験動物を観察すればわかる。無気力になり、何をする気も起きず、食べることさえやめた個体もいた。同じような現象が燃え尽き症候群の人にもしばしば見られる。激しい疲労感でベッドから起き上がることもできなくなるのだ。これは H PA系が正常に作動しなくなったせいだ。長期にわたり激しく作動し続けた結果、故障してしまったのだろう。 第 1章でも書いたように、人類のほぼすべての世代が、半数は 10歳までも生きられないような危険に満ちた世界に生きていた。歴史的に見ると、「火災報知器の原則」が運命を左右したのだ。ライオンに似たものを見かけるたびに逃げる人は、逃げない人よりも生き延びる可能性が高かった。たった 1回逃げそこなって死ぬくらいなら、多めに逃げて何が悪い? つまり、扁桃体が不正確なのには理由があるのだ。すぐに作動する扁桃体 あなたの扁桃体は、脅威を感じているときだけでなく、常にスイッチがオンになっている。あなたがこの本を読んでいる最中も、無意識のうちに扁桃体が周囲に気を配っている。でも、扁桃体が危険を察知するのはいいことでしょう? ええ、もちろん。ただ、あらゆるものに反応しすぎなのだ。外で大きな音がした、会議に遅れてしまった、プレゼンの準備ができていない、あるいは、最新のインスタ投稿にすぐにハートマークがつかない等々、扁桃体はそういったことすべてに反応してしまう。周囲に刺激が多いほど、扁桃体が作動する機会が増える。 皆の扁桃体が刺激される要因がいくつかある。ヘビやクモ、高い所、狭い空間などだ。ヘビやクモに嚙まれて亡くなるなんて非常に珍しいのに、不思議に思うかもしれない。スウェーデンでは毎年 250人ほどが交通事故で、 1万人以上が喫煙が原因で亡くなっている。それなら扁桃体は、タバコの箱やシートベルト非着用に反応するべきなのでは? それなのに、ヘビやクモや高い所に反応する。なぜかというと、幾千世代もの間、そういうものが命を奪ってきたからだ。進化の観点から見ると、扁桃体は自動車やタバコの脅威にはまだ適応していない。都会に暮らす人が、自動車恐怖症よりもヘビやクモ恐怖症でカウンセリングに通うのには論理的な説明がある。人間が適応してきた世界と今生きている世界は、明らかにミスマッチなのだ。人前で喋る恐怖 あなたがいちばんストレスを感じる瞬間──それは人前で喋るときかもしれない。多くの人が強いストレスを感じる局面なので、スピーチ恐怖症という名前があるほどだ。他人の目が自分に向くとなぜ居心地が悪いのか。説明として考えられるのは、人間の進化の過程で「共同体から追い出されないこと」が何よりも重要だったからだ。評価を下され、社会的に見下され、集団から追い出されたらどうなるのか──そんな想像が脳のストレスのシステムを作動させ、心臓がどくんどくんと打ち始める。 周りの評判が気になるのはつまり、遺伝子に組み込まれていることであって、これもまた、脳が現代社会に適応していない一例だ。職場でプレゼンに失敗しても、職を失って餓死することはないだろう。だが人間が生きてきた世界では、集団から追放されることは死を意味した。グループに帰属するのは安心感のためだけでなく、生存がかかっていたのだ。独りになったら生き延びられないのだから。不安──起きるかもしれないという脅威 不安。その言葉を聞いただけで心底嫌な気分になる。不安とはいったい何なのだろうか。強い不安を経験したことのある人には理解しづらいかもしれないが、もちろん、元は命を存続させるための機能だ。不安というのは非常に不快な感覚で、脅威などを体験することによって起きる。ストレスのシステムが作動するのだ。 社会人であるあなたが大学進学を目指していて、 2週間前に入学試験を受けたとしよう。入試の結果が大学のウェブサイトにアップされた。あなたはログインし、ドキドキしながら自分の名前を探す──しかし不合格だった。そんなバカな! 噓だ! 心臓も思考もフル回転する。「仕事も辞めたし、ストックホルムのアパートも契約したのに! みんなに何て思われるだろう……」その時点で、あなたはすでに強いストレスを感じている。心臓は速く強く打ち、筋肉に血液を送り始める。危険に遭遇したら、筋肉を最大限に動かせなければいけないのだから。それで試験結果が変わるわけでもないのに、身体が「闘争か逃走か」に備えているのは確かだ。 ここで時計を 2週間前、受験する前に戻してみよう。あなたはよく眠れず、食欲もあまりなく、常に不安を感じている。万が一失敗したらどうしよう、とくよくよ悩みながら。これこそが「不安」だ。そのとき、脳内でどんなシステムが作動しているかというと、そう、 H PA系だ。不安の場合もストレスの場合も「闘争か逃走か」のメカニズムが作動するが、その原因が異なるのだ。ストレスは脅威そのものに対する反応だが、不安は脅威になり得るものに対して起こる。 ストレスは危険に遭遇したときに私たちを助けてくれる。それでは、不安は何のために感じるのだろう。試験日まで最高の精神状態でいられた方がいいのに。しかしそんな単純な話ではない。不安は大事な計画を立て、集中するのを助けてくれる。「なんとかなるさ」と勉強もせずにネットフリックスばかり観ていたら、試験に受かる確率は上がらないのだから。不合理な不安さえも合理的「大事な試験に失敗したらどうしよう」という不安は理解できる。一方で、どう考えてもありえないようなことに不安を感じる場合もある。「もしも飛行機が墜落したら」という不安を抱える人の多くは、自分の身に降りかかる可能性が多かれ少なかれある災厄──実際には可能性は少ないのに──のリストを持っている。一方で、何の原因も思い当たらない漠然とした不安を感じている人もいる。それでも確かに不安は存在し、ちくちくと爪を立てる。根拠がないとわかっていても、振り払うことはできない。 積極的に悩みの種を探しているような人もいる。歴史的には、わずかでも危険の疑いがあればストレスのシステム──つまり例の「火災報知器」が作動し、それでうまくいったからだ。しかし現代では、ストレスのシステムがまったく別の理由によって無駄に作動する。気になる女の子が期待通りにチャットの返事をくれないと、こう考える。「ぼくのことなんか好きじゃないんだ。ぼくなんか無価値で、これからも絶対にいい人には出会えない」そして集団から追放される脅威に対応するため、 H PA系が作動する。 基本的には、「茂みでガサガサしているのはヘビかもしれない」と疑うのと同じことだ。その場からすぐに逃げ出せるように H PA系は作動する。「ただの風だ、気にしなくていい」と思えばいいところでも、念のため行動を起こす。それが私たちの祖先の時代には極めて役立ったが、今の世界ではそうではない。うつは天然の防護服か? 96万 9516人。とっさに読み間違えたかと思ったが、そうではなかった。スウェーデン社会庁のデータベースによれば、 2018年 12月現在、 16歳以上の 100万人近くが抗うつ薬の処方を受けている[訳註: 2018年の全人口は 1023万人]。なんと、大人の 9人に 1人以上だ。寿命が延び、身体も元気になり、ボタンひとつで世界中の娯楽に手が届くのに、私たちは今までにないほど気持ちが落ち込んでいるようだ。なぜこんなことになったのだろう。 I Tコンサルタントとして働いているのですが、今年の春は仕事でひどくストレスがありました。それに息子が精神的に不調をきたし、不登校に。その頃、マンションが売れる前に家を買ってしまったので、経済的にもぎりぎりでした。よく眠れないし、精神的にも全然元気じゃなかったんですが、なんとか動けてはいました。それが6月末になってやっと、すべて落ち着きました。マンションは売れたし、息子は治療を受けられるようになり、仕事も一段落したんです。 待望の夏休みに家族で 2週間のスペイン旅行に出かけてすぐ、何かがおかしいと気づきました。ベッドから起き上がることができず、頭の中はオートミールが詰まったような感じ。何をしても楽しくない。すべてが闇のように感じられ、ただ眠っていたかった。だからひたすら寝ました。日に 14 ~ 15時間くらい。それでも休まった気がしないんです。帰国してから受診し、心電図と血液検査の結果、診断が出ました。なんと、燃え尽き症候群──意味がわかりません。ストレスはなくなったのに! 何もかも解決した今、なぜうつになるんです?不安は人間特有のもの H PA系はイヌやネコ、ネズミやその他の動物がストレスや脅威に対応するときにも決定的な役割を果たす。とはいえ、動物の H PA系の使い方は人間とは違う。どう頑張っても「来夏この辺りでネコが増えるかも」という理由で、ネズミの H PA系を作動させることはできないし、ホホジロザメが「世界的な温暖化のせいで、今後 10年のうちにアザラシの個体数が減るかも……」と考えてコルチゾールを分泌することも確実にない。ところが私たち人間の場合、こうした仮定のシナリオでも H PA系が作動する。「もしも試験に合格しなかったら?」「もしも仕事のプレゼン準備が間に合わなかったら?」「もしも妻に捨てられたら?」 未来を予測する能力は、私たち人間が持ついちばん重要な特性かもしれないが、おかげで見たくないものまで想像できてしまう。クビになるかもしれない、捨てられるかもしれない、家のローンを払えなくなるかもしれない。そんな理由でストレスのシステムが作動するのは、知性を得た代償だ。現実の脅威と想像上の脅威を見分けることが、脳にはできないのだ。 不安は、ストレスのシステムを事前に作動させた結果だ。身体が先回りして動くこと自体はおかしなことではない。ソファに座っている人が立つときには、立ち上がるまでに血圧が下がらないようスタンバイしておかなくてはいけない。でなければ立ち眩みがする。不安にも同じことが言える。身体が事前にストレスのシステムを作動させるのだ。 不安を抱えている人のストレスシステムは、常にスイッチが入った状態だ。危険が現れたらすぐ対処できるよういつでもエンジン全開か、少なくとも瞬時に態勢を整えられる状態だ。その結果、身体は絶えず動きたがり、今いる場所から離れようとする。例えば、このような現象が起きるのだ。精神的に落ち着かない 退屈だからでも好奇心からでもなく、何か違うことをしたいと漠然と感じる。それがどこであっても、その場にいたくない。できるだけ早く部屋を出たいがために会議を終わらせる。テーブルを離れたいから急いで食事をすませる。会話が始まるか始まらないかのうちに電話を切る等々。身体が落ち着かない 筋肉は「闘争か逃走か」の構えになっている。逃げたり闘ったりする相手がいなくてもだ。それでも動こうとするので、じっとしていられない。手で物をいじり続ける。髪の房をねじる。貧乏ゆすりをする。首の後ろや背中の筋肉をぎゅっと緊張させ続け、そこが痛くなる。寝ている間に顎の筋肉に力が入り、歯ぎしりをする。疲労感 ずっと警戒状態でいるのにはエネルギーを要する。そして大量のエネルギーを消耗する。その結果疲れ切ってしまい、学校や仕事から帰宅したときにはくたくただ。お腹の不調 「闘争か逃走か」に備えているとき、身体は食べ物の消化吸収に気を配るのをやめ、それ以外の機能を優先する。自分が誰かの昼ごはんになりそうなときに消化活動をしても、あまり意味がないからだ。吐き気 食べた直後に全力で走ろうとしたことはあるだろうか。満腹の状態ではうまく走れない。不安や強いストレスで気分が悪くなるのは、胃を空にすることで速く走って逃げよう、あるいは闘おうとするからだ。俳優やアーティストが舞台の初日やコンサートの前に吐きそうなほど緊張するのはそのせいだ。口の乾き 身体が闘いに備えるとき、酸素と栄養をもっと供給するために血液が筋肉に集中する。そうやって最大限に闘えるようにするのだ。口内に3つある唾液腺は、血液から水分を取り出すことで唾液を出しているが、そのために使える血液が少なくなるせいで口が乾く。汗 逃げよう、あるいは闘おうとすると、身体は温まる。それを冷やそうとして汗をかく。最大限の結果を出そうとするとき、身体が自分を冷却しようとするのだ。 私の患者を襲ったうつ症状は、辻褄が合わないように思えるかもしれない。歴史的に見てもおかしい。不安のおかげで生き延びてきたはずなのに、うつの人は人を避け、食欲が減退し、閉じこもり、性欲を失くす。それはどれも、生き延びて遺伝子を残す可能性を減らす行為だ。それに、なぜうつ症状は、ストレスフルな時期の後に現れることが多いのだろう。長期にわたるストレスの代償 うつを引き起こす原因としていちばん多いのは長期のストレスだ。今の私たちにとって、ストレスというのは日々の予定を焦ってやりくりするといったことだ。だが祖先のストレスシステムを作動させていたのは、溢れかけたメールボックスや難航する風呂場改修工事ではない。猛獣や自分を殺そうとする人間、飢餓や感染症だ。長期間強いストレスにさらされていた人は、危険でいっぱいの世界に住んでいたわけだ。それが私たちにも残っている。 強いストレスを感じるということはつまり、危険がそこら中にある。脳はそう解釈する。だから、頭から毛布をかぶって隠れていろ、と脳が命令するのだ。そのとき脳がどんな手段で私たちを動かすのかというと、もちろん「感情」だ。脳は私たちの「気分」を使って、危険いっぱいの環境から私たちを遠ざけようとする。ひどく気分を落ち込ませることで、引きこもらせるのだ。 もし脳が現代社会に完璧に適応していれば、こういう長期ストレスのおかげでさらに実力を発揮できることになっていただろう。だって、この患者のストレス要因は、頭から毛布をかぶって隠れたところで解決はしない。しかし脳にとってそんなロジックは無意味だ。現代社会に適応するようには進化していないのだから。そして、逃げるという解決策を取る。脳にとってストレスとは、「ここは危険」という意味だ。人類の歴史上ほぼずっと、それがストレスの意味するところだったのだから。 そんなの推測にすぎないだろう、と言う人は賢い。感情や行動の進化に関して、軽々しく確実だなんて言うのは無責任だ。それでも、うつ症状が危険な世界から身を守るための脳の戦略だという説、それを裏付けるヒントがいくつかある。そのひとつは、意外なことに私たちの免疫系だ。うつ症状──感染への防御? うつになるかどうかは、あなたの遺伝子が影響する部分もある。といってもうつの遺伝子が存在するわけではなく、何百もの異なった遺伝子が少しずつ貢献している。その遺伝子によってうつになるかどうかが決まるわけではないが、うつになりやすくなる。それに関わる遺伝子を調べていくと、驚くべきことがわかった。うつのリスクを高める遺伝子には免疫を活性化させるものもある。うつと免疫には予想外の遺伝子的繫がりがあったわけだ。ということは、脳にとって、うつは感染症から身を守るための手段なのかもしれない。研究者たちはそう考え始めた。 ちょっと話が飛躍し過ぎだと思うかもしれない。細菌に感染しても、抗生物質を飲めばいいだけなのだから。しかし、抗生物質というのは新しい存在だ。ペニシリンは 1928年になって発見されたもので、それ以前は 20世紀に入ってからも、米国の子供の 3人に 1人が 5歳になるまでに亡くなっていた。 19世紀末から 20世紀初頭にかけて多かった死因は肺炎、インフルエンザ、結核、下痢の順で、どれも感染症だ。祖先の時代まで遡ると、感染症の死亡率はもっと高かったと考えられる。狩りの最中に怪我を負った場合、大量出血だけでなく、傷が化膿して死ぬリスクもあった。 だから、感染に対する様々な防御のメカニズムが進化の過程で組み込まれたのは、ごく自然なことだ。そのうちのひとつが、私たちの大事な免疫機能だ。他にも、腐った食べ物は口に入れないよう、激しい嫌悪を感じるといった行動ベースの免疫もある。さらに、こんなメカニズムもある。感染症や怪我のリスクがある状況から逃げ出そうとするのだ。これがまさに、うつと感染症を繫ぐ点だ。実際、うつを引き起こすリスクに影響する遺伝子には、役割が2つあるようだ。ひとつは、免疫機能をきちんと作動させること。もうひとつは、危険や怪我、感染症から距離を置くことだ。後者は、その人間をうつにすることで達成される。 しかし、この遺伝子が活性化するのは怪我をしたときだけではない。怪我をする危険性があるときもなのだ。そうすれば、免疫機能は常に細菌やウイルスに対峙する態勢が整っている。怪我をする危険性があるときというのは? もちろん、脅威に溢れた世界にいるとき。脅威に囲まれていることを教えてくれるのは? そう、強いストレスだ!感情を言葉で表せることが大事 私の患者は、強いストレスを受け続けた後の休暇中にうつ状態になった。危険や感染症、殺されることから身を守ろうとする脳を持っていたからだ。ホテルのベッドに横たわり人生を闇のように感じていた瞬間、彼の脳は、祖先が直面していた問題を解決していたのだ。うつは人間を助けるために発達した──その事実がうつに苦しむ人にとって何の慰めにもならないのはよくわかるが。 精神科医として働く中で気づいたのだが、患者が、自分の感情が果たす役割を理解するのはとても重要だ。不安が私たちを危険から救ってきてくれたことや、うつが感染症や争いから身を守るための術だったと知れば、患者たちもこう考えることができる。「うつになったのは自分のせいじゃない。ただ脳が、進化したとおりに働いているだけ。その世界は、今いる世界とはまったく違ったのだから」警告フラグ 長期にわたるストレスは、うつを引き起こしかねない。身体はもともと、食べ物の消化や睡眠、機嫌、セックスへの意欲よりも、「闘争か逃走か」を優先させる。その点を理解しておかなければいけないのには、もうひとつ理由がある。ストレスに深刻な影響を受けた人の多くは、実はそれまでに何度も警告を受けている。不眠、お腹の不調、感染症にかかりやすい、歯ぎしり、短期記憶の低下、苛立ちなどだ。なのになぜ警告を無視したのだろうか。 私が思うに、警報が鳴っているのに気づかなかったのだ。こうした症状をストレスだと思わなかった。とても残念なことだ。早めにブレーキをかけていれば、うつにまではならなかった可能性が充分にある。うつを含め、ストレス関連の苦しみは、治療よりも予防のほうが断然容易だ。だからストレス症状というのは、警告フラグの姿をした神の恵みなのだ。ストレスとは本来何なのか、どんな兆候が現れるのか。それを理解すれば、手遅れになる前にペースダウンすることができる。必ずしも「いちばん強いものが生き残る」わけではない うつのリスクを高める遺伝子のひとつが、神経伝達物質セロトニンを司っていて、それがストレスを感じやすくする。人工的な方法でマウスからその遺伝子を取り除くと、ストレスへの耐性ができた。そもそもなぜそんな遺伝子があるのだろうか。どうして進化の過程で取り除かれなかったのか。理由はおそらく、いちばん強いとか賢い、もしくはいちばんストレスに強い人が必ずしも生き残れたわけではなかったからだろう。危険や争いを避け、感染症にかからず、常に食料不足の世界で飢死しないことも、同じくらい大切だった。今これほど多くの人々がうつや不安に悩まされている大きな原因は、そこにあると思う。その特性が私たちを生き延びさせてきたのだから。 人間の感情が果たしてきた役割。不安やうつが人間の生存率を左右していたこと。身体のストレスシステムが、危険な世界で私たちを守るべく進化してきたこと。それを理解してもらえただろうか。さてここからは、これらの基本条件が、現代のオンライン社会にどんな影響を与えているかを見ていこう。第 3章 スマホは私たちの最新のドラッグであるできるだけ長い時間その人の注目を引いておくにはどうすればいい? 人間の心理の弱いところを突けばいいんだ。ちょっとばかりドーパミンを注射してあげるんだよ。──ショーン・パーカー(フェイスブック社元 CEO) 目につくところになくても、スマホがどこにあるのかは把握しているだろう。そうでなければ、この一文にも集中できていないはずだ。朝起きてまずやるのは、スマホに手を伸ばすこと。 1日の最後にやるのはスマホをベッド脇のテーブルに置くこと。私たちは 1日に 2600回以上スマホを触り、平均して 10分に一度スマホを手に取っている。起きている間ずっと。いや、起きている時だけでは足りないようで、 3人に 1人が( 18 ~ 24歳では半数が)夜中にも少なくとも 1回はスマホをチェックするという。 スマホがないと、その人の世界は崩壊する。私たちの 4割は、一日中スマホがないよりは声が出なくなる方がましだと思っている(本当にそうなのだ)。どこにいても──街中やカフェ、レストラン、バスの中、夕食のテーブル、おまけにジムにいても、見回すと誰もが自分のスマホをじっと見つめている。それがいいか悪いかは別として、依存してしまっているのだ。スマホのスクリーンは、いかにしてこの世を堕落させたのか。それを理解するために、再び脳の中を覗いてみよう。ドーパミンの役割 脳内の伝達物質をひとつ選んで本を書くなら、ドーパミンをお勧めする。どうしてスマホがこれほど魅惑的な存在になったのか、その理由を知りたい場合にも悪くないテーマだ。ドーパミンはよく報酬物質だと呼ばれるが、実はそれだけではない。ドーパミンの最も重要な役目は私たちを元気にすることではなく、何に集中するかを選択させることだ。つまり、人間の原動力とも言える。 お腹が空いているときにテーブルに食べ物が出てきたら、それを見ているだけでドーパミンの量が増える。つまり、増えるのは食べている最中ではない。その食べ物を食べるという選択をさせるために、ドーパミンはあなたにささやく。「さあ、これに集中しろ」ドーパミンが、満足感を与えるというより行動を促すのなら、満足感はどこから来るのだろうか。それには「体内のモルヒネ」であるエンドルフィンが大きな役割を果たしているようだ。ドーパミンは目の前にある美味しいものを食べるよう仕向けてくるが、それを美味しいと感じさせるのはエンドルフィンだ。 ストレスのシステムと同様に、脳内の報酬システムは何百万年もかけて発達してきた。どちらのシステムにとっても、現代社会は未知の世界だ。報酬システムでは、ドーパミンが重要な役割を果たし、生き延びて遺伝子を残せるように人間を突き動かしてきた。つまり食料、他人との付き合い──人間のように群れで暮らす動物にとっては大切なこと──そしてセックスによってドーパミン量が増えるのは、不思議なことではない。だが、スマホもドーパミン量を増やす。それが、チャットの通知が届くとスマホを見たい衝動にかられる理由だ。スマホは、報酬システムの基礎的なメカニズムの数々をダイレクトにハッキングしているのだ。そこを詳しく見ていこう。脳は常に新しいもの好き 進化の観点から見れば、人間が知識を渇望するのは不思議なことではない。周囲をより深く知ることで、生存の可能性が高まるからだ。天候の変化がライオンの行動にどう影響するのか。カモシカがいちばん注意散漫になる状況は? それがわかれば狩りを成功させられる確率が増し、猛獣の餌食になるのも避けられる。 周囲の環境を理解するほど、生き延びられる可能性が高まる──その結果、自然は人間に、新しい情報を探そうとする本能を与えた。この本能の裏にある脳内物質は何だろうか。もうおわかりだろう。そう、ドーパミンだ。新しいことを学ぶと脳はドーパミンを放出する。それだけではない。ドーパミンのおかげで人間はもっと詳しく学びたいと思うのだ。 脳は単に新しい情報だけを欲しいわけではない。新しい環境や出来事といったニュースも欲しがる。脳には新しいことだけに反応してドーパミンを産生する細胞があり、よく知るもの、たとえば「自分の家の前の道」といったものには反応しない。ところが、知らない顔のような新しいものを見ると、その細胞が一気に作動する。感情的になるようなものを見た場合も同じだ。 新しい情報、例えば新しい環境を渇望するドーパミン産生細胞が存在する、ということは、新しい情報を得ると脳は報酬をもらえるわけだ。人間は新しいもの、未知のものを探しにいきたいという衝動がしっかり組み込まれた状態で生まれてくる。「新しい場所に行ってみたい」「新しい人に会ってみたい」「新しいことを体験してみたい」という欲求だ。私たちの祖先が生きたのは、食料や資源が常に不足していた世界である。この欲求が、新たな可能性を求めて移動するよう、人間を突き動かしてきたのだろう。 数十万年分時間を巻き戻して、食ベ物の入手という永遠の課題に挑んでいる女性が 2人いるとしよう。片方には新しいもの──新しい場所や環境──を探したいという衝動があり、もう片方にはない。前者の方が食べ物を見つけられる可能性は高いだろう。移動すればするほど、食べものが見つかる確率は高くなるのだから。 今度は、あなたや私が生きる時代まで早送りしてみよう。脳は基本的に昔と同じままで、新しいものへの欲求も残っている。しかし、それが単に新しい場所を見たいという以上の意味を持つようになった。それはパソコンやスマホが運んでくる、新しい知識や情報への欲求だ。パソコンやスマホのページをめくるごとに、脳がドーパミンを放出し、その結果、私たちはクリックが大好きになる。しかも実は、今読んでいるページよりも次のページに夢中になっているのだ。インターネット上のページの 5分の 1に、私たちは時間にして 4秒以下しか留まっていない。 10分以上時間をかけるページは、わずか 4%だ。 新しい情報を得ると──それがニュースサイトだろうと、メールや SNSだろうと同じことなのだが──脳の報酬システムが、私たちの祖先が新しい場所や環境を見つけたときと同じように作動する。見返りを欲する報酬探索行動と、情報を欲する情報探索行動は脳内で密接した関係で、実際にはそのふたつを見分けられない場合もあるほどだ。「かもしれない」が大好きな脳 報酬システムを激しく作動させるのは、お金、食べ物、セックス、承認、新しい経験のいずれでもなく、それに対する期待だ。何かが起こるかもという期待以上に、報酬中枢を駆り立てるものはない。 1930年代の研究では、レバーを押すと餌が出てくるようにした実験で、ネズミたちは時々しか餌が出てこないようにしたほうがレバーを押す回数が多かった。いちばん熱心にレバーを押したのは、餌が出てくる確率が 3 ~ 7割のときだった。 その 20年後には、サルによる実験も行われた。ある音が聞こえると、ジュースが少し出てくるようになっている。サルのドーパミン量は、音が聞こえた時点で増加し、むしろジュースを飲んでいるときよりもずっと多かった。この実験でわかるのは、ドーパミンが快楽を与える報酬物質ではなく、何に集中すべきかを私たちに伝える存在だということだ。音が聞こえても、時々しかジュースが出てこないほうが、ドーパミン量がさらに増えることもわかった。 2回に 1回という頻度のときに、最もドーパミンが放出された。 ネズミに見られた現象がサルにも見られたわけだが、同じことが人間にも言える。お金がもらえるカードを被験者に引かせてみる。毎回お金がもらえるとわかっていると、確実にもらえるかわからないときほどドーパミンは増えない。ネズミやサルとまさしく同様に、ドーパミンが最も増えるのは 2回に 1回の頻度だった。つまり、脳にしてみれば、もらえるまでの過程が目当てなのであって、その過程というのは、不確かな未来への期待でできている。 不確かなものより、確かなものを好むべきでは? なぜ脳は不確かな結果のほうに多くのドーパミン報酬を与えるのだろうか。その答えに 100%の確証はないが、最も信憑性が高い説明はこうだ。「ドーパミンの最重要課題は、人間に行動する動機を与えることだから」「もしかしたら」がスマホを欲させる あなたの祖先が、たまにしか実のならない木の前に立っている姿を思い浮かべてほしい。実がなっているかどうかは地上からはわからないので、木に登らなくてはいけない。登ってみて何もなかったら、別の木にも登って探すことが大事だ。ハズレを引いてもあきらめない人は、そのうちに高カロリーの果実というごほうびをもらえる。それで生き延びる確率も高まる。 自然の摂理は予言できないものが多い。たまにしか実がならない木がいい例だ。ごほうびがもらえるかどうかは事前にはわからない。不確かな結果でドーパミンの量が急増するのは、新しいものを前にしたときと同じ理屈なのだろう。報酬を得られるかどうかわからなくても、私たちは探し続ける。この衝動により、食料不足の世界に生きた祖先は、そこにある限られた資源を発見し活用してきたのだ。 人間に組み込まれた不確かな結果への偏愛。現代ではそれが問題を引き起こしている。例えば、スロットマシーンやカジノテーブルから離れられなくなる。ギャンブルは長い目で見れば損をするとわかっていても、やってしまう。確かに、純粋な娯楽としての魅力はある。だが、適度な距離を取れずに、ギャンブル依存症になる人も確実にいる。脳の報酬システムが、不確かな結果にこんなにも報酬を与えてくれるのだから、ギャンブルの不確かさもとてつもなく魅力的に思えるはずだ。「ポーカーをもう 1ゲームだけ、次こそは勝てるはず」そう考えるのだ。 このメカニズムをうまく利用しているのは、ゲーム会社やカジノだけではない。チャットやメールの着信音が鳴るとスマホを手に取りたくなるのもそのせいなのだ。何か大事な連絡かもしれない──。たいていの場合、着信音が聞こえたときの方が、実際にメールやチャットを読んでいるときよりもドーパミンの量が増える。「大事かもしれない」ことに強い欲求を感じ、私たちは「ちょっと見てみるだけ」とスマホを手に取る。しかもこれを頻繁にやっている。起きている間じゅうずっと、 10分おきに。報酬中枢を煽る SNS ゲーム会社やスマホメーカー以外にも、不確かな結果への偏愛を巧みに利用している企業がある。それはソーシャルメディア、 SNSだ。フェイスブック、インスタグラムやスナップチャットがスマホを手に取らせ、何か大事な更新がないか、「いいね」がついていないか確かめたいという欲求を起こさせる。その上、報酬システムがいちばん強く煽られている最中に、デジタルな承認欲求を満たしてくれるのだ。あなたの休暇の写真に「いいね」がつくのは、実は、誰かが「親指を立てたマーク」を押した瞬間ではないのだ。フェイスブックやインスタグラムは、親指マークやハートマークがつくのを保留することがある。そうやって、私たちの報酬系が最高潮に煽られる瞬間を待つのだ。刺激を少しずつ分散することで、デジタルなごほうびへの期待値を最大限にもできる。 SNSの開発者は、人間の報酬システムを詳しく研究し、脳が不確かな結果を偏愛していることや、どのくらいの頻度が効果的なのかを、ちゃんとわかっている。時間を問わずスマホを手に取りたくなるような、驚きの瞬間を創造する知識も持っている。「『いいね』が 1個ついたかも? 見てみよう」と思うのは、「ポーカーをもう 1ゲームだけ、次こそは勝てるはず」と同じメカニズムなのだ。 このような企業の多くは、行動科学や脳科学の専門家を雇っている。そのアプリが極力効果的に脳の報酬システムを直撃し、最大限の依存性を実現するためにだ。金儲けという意味で言えば、私たちの脳のハッキングに成功したのは間違いない。シリコンバレーは罪悪感でいっぱい 極めてテクノロジーに精通している人ほど、その魅力が度を過ぎていることを認識し、制限した方がいいと考えているようだ。ジャスティン・ローゼンスタインという 30代のアメリカ人は、自分のフェイスブックの利用時間を制限することに決め、スナップチャットのほうはすっぱりやめた。依存性ではヘロインに匹敵するからと言って。スマホの使用にブレーキをかけるために、本来は保護者が子供のスマホ使用を制限するためのアプリまでインストールした。どんな人がスマホ依存症になるのか 平均すると、私たちは 1日に 3時間スマホを使っている。もちろんそれより少ない人も多い人もいるが、中でももっとも頻繁にスマホを使う人の共通点はなんだろうか。 700人近くの大学生を使ってスマホの使用習慣を調べたところ、次のようなことがわかった。被験者の 3分の 1は夜中もスマホを手放せないほど依存していて、そのせいで昼間疲れている。「ヘビーユーザー」に多いのは、タイプ A[訳註:怒りっぽく、攻撃的なほどの積極性に富み、活動的な性格]の傾向があり、自尊心は低いが競争心が強く、自分を強いストレスにさらしている人たちだった。おっとりした性格で落ち着いた人生観を持つ人──タイプ Bの人たち──は基本的にそれほどスマホに依存していなかった。 ローゼンスタインの行為が興味深いのは、彼こそがフェイスブックの「いいね」機能を開発した人物だからだ。つまり、「立てた親指」の立役者は、自分の創造物が度を過ぎて魅力的だと感じているのだ。あるインタビューでは、後悔したようにこう発言している。「製品を開発するときに最善を尽くすのは当然のこと。それが思ってもみないような悪影響を与える──それに気づいたのは後になってからだ」 このような意見を持つのは、シリコンバレーで彼 1人ではない。 iPodや iPhoneの開発に携わったアップル社の幹部トニー・ファデルも、スクリーンが子供たちを夢中にさせる点について同意見だ。「冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって。うちの子供たちは、僕がスクリーンを取り上げようとすると、まるで自分の一部を奪われるような顔をする。そして感情的になる。それも、激しく。そのあと数日間、放心したような状態なんだ」 I T企業トップは子供にスマホを与えない I T企業のトップは、自分たちが開発した製品に複雑な感情を抱いている。その最たるものが、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズのエピソードだ。ジョブズは、 2010年初頭にサンフランシスコで開かれた製品発表会で iPadを初めて紹介し、聴衆を魅了した。「インターネットへのアクセスという特別な可能性をもたらす、驚くべき、比類なき存在」と、 iPadに最大級の賛辞を浴びせた。 ただし、自分の子供の使用には慎重になっている──ことまでは言わなかった。あまりに依存性が高いことには気づいていたのに。ニューヨーク・タイムズ紙の記者が、あるインタビューでジョブズにこう尋ねている。「自宅の壁は、スクリーンや iPadで埋め尽くされてるんでしょう? ディナーに訪れたゲストには、お菓子の代わりに、 iPadを配るんですか?」それに対するジョブズの答えは「 iPadはそばに置くことすらしない」、そしてスクリーンタイムを厳しく制限していると話した。仰天した記者は、ジョブズをローテクな親だと決めつけた。 テクノロジーが私たちにどんな影響を与えるのか、スティーブ・ジョブズほど的確に見抜いていた人は少ない。たった 10年の間に、ジョブズはいくつもの製品を市場に投入し、私たちが映画や音楽、新聞記事を消費する方法を変貌させた。コミュニケーションの手段については言うまでもない。それなのに自分の子供の使用には慎重になっていたという事実は、研究結果や新聞のコラムよりも多くを語っている。 スウェーデンでは 2 ~ 3歳の子供のうち、 3人に 1人が毎日タブレットを使っている。まだろくに喋ることもできない年齢の子供がだ。一方で、スティーブ・ジョブズの 10代の子供は、 iPadを使ってよい時間を厳しく制限されていた。ジョブズは皆の先を行っていたのだ。テクノロジーの開発だけでなく、それが私たちに与える影響においても。 絶対的な影響力を持つ I T企業のトップたち。その中でスティーブ・ジョブズが極端な例だったわけではない。ビル・ゲイツは子供が 14歳になるまでスマホは持たせなかったと話す。現在、スウェーデンの 11歳児の 98%が自分のスマホを持っている。ビル・ゲイツの子供たちは、スマホを持たない 2%に属していたわけだ。それは確実に、ゲイツ家に金銭的余裕がなかったせいではない。デジタルのメリーゴーラウンドにぐるぐる回されてしまうのは簡単だ 会社である文章を書いている最中だとしよう。チャットの着信音が聞こえ、スマホを手に取りたい衝動に駆られる。何か大事なことかもしれない。やはりスマホを手に取り、ついでにさっきフェイスブックに投稿した写真に新しい「いいね」がついていないかどうか素早くチェックする。すると、あなたの住む地域で犯罪が増加しているという記事がシェアされている。その記事をクリックし、数行読んだところで、今度はスニーカーのセールのリンクが目に入る。それにざっと目を通そうとするが、親友がインスタグラムに新しい投稿をしたという通知に中断される。さっきまで書いていた文章は、すでに遥か彼方だ。 ここであなたの脳は、数十万年かけて進化した通りに機能しているだけだ。チャットの着信のような不確かな結果には、ドーパミンというごほうびを差し出す。そのせいで、スマホを見たいという強い欲求が起こる。脳は新しい情報も探そうとする。特に、犯罪事件の記事のように感情に訴えてくる、危険に関する情報を。アプリのお知らせは、社会とつながっていると実感させてくれる。脳は、あなたの話に他人がどう反応したか──投稿につく「いいね」──にも集中を注がせようとする。 もともとは生き残り戦略だったはずの脳のメカニズムのせいで、人間はデジタルのごほうびに次々と飛びつく。それが文章を書く邪魔になるからといって、脳は気にも留めない。脳は文章を書くためにではなく、祖先が生き延びられるように進化したのだから。 スマホが脳をハッキングするメカニズム、そしてなぜスマホを遠ざけておくのが難しいのか、これでわかっただろうか。私たちを虜にするスマホの魔力に、人間はどんな影響を受けているのだろうか。次はそれを見ていこう。第 4章 集中力こそ現代社会の貴重品人間はマルチタスクが苦手だ。得意だと言う人は、自分を騙しているだけ!──アール・ミラー(マサチューセッツ工科大学神経科学教授) ここ数年、複数のことを同時にやろうとしている自分に気づいたことはないだろうか。それはあなただけじゃない。私など、集中して映画を観るのも難しい。気づくとスマホに手を伸ばしているのだ。新しいメールは来ていないだろうか? 映画のストーリーを追いながら、スマホをだらだらとスクロールしてしまう。 現代のデジタルライフでは、私たちは複数のことを同時にしようとしがちだ。つまりマルチタスクだ。スタンフォード大学の研究者がこんな研究を行った。マルチタスクが得意な人が、思考力を問われる課題にどれほど秀でているかを調べる研究だ。 300人近くの被験者を集めたが、その半数は勉強しながらネットサーフィンをしてもまったく問題ないと思っている。残りの半数は、一時にひとつだけのことに取り組むのを好む人たちだ。いくつものテストを行い被験者の集中力を測定したところ、マルチタスク派の方が集中が苦手だという結果が出た。それもかなり苦手だという。中でも、重要ではない情報を選別し、無視することができなかった。つまり、何にでも気が散るようなのだ。 長いアルファベットの列を暗記するという実験でも、マルチタスク派の記憶力は残念な結果に終わった。それでも、何か得意なことがあるはずだ──研究者たちはそう信じ、ある課題から別の課題にどんどん移っていく能力、つまりマルチタスク能力を測ってみることにした。だが、得意分野のはずのマルチタスクですら、マルチタスク派は成績が悪かった。マルチタスクの代償 脳には、膨大な数の手順を同時処理するという信じられないほどすごい能力があるが、知能の処理能力には著しく限定された領域がひとつある。それは集中だ。私たちは一度にひとつのことにしか集中できない。複数の作業を同時にこなしていると思っていても、実際にやっていることは、作業の間を行ったり来たりしているだけなのだ。メールを書きながら講義を聴ける自分はすごいと思うかもしれないが、2つの作業の間で集中の対象をパッパッと変えているだけというのが現実だ。集中する対象を変えるだけなら、確かにコンマ 1秒程度しかかからない。だが問題は、脳がさっきまでの作業のほうに残っていることだ。集中がメールに移っても、脳の処理能力の一部はまだ講義に残っている。メールから講義に戻るときも同じだ。 脳には切替時間が必要で、さっきまでやっていた作業に残っている状態を専門用語で注意残余( attention residue)と呼ぶ。ほんの数秒メールに費やしただけでも、犠牲になるのは数秒以上だ。切替時間の長さを確定することはできないが、ある実験が示唆している。集中する先を切り替えた後、再び元の作業に 100%集中できるまでには何分も時間がかかるという。 しかし、マルチタスクが苦手な人ばかりではない。現実には、並行して複数の作業をできる人もいる。ほんの一握りながら、「スーパーマルチタスカー」と呼ばれる人々がいるのだ。このような特質をもつのは、人口の 1 ~ 2%だと考えられている。つまりそれ以外の大多数の人の脳はそんなふうには働かない。余談だが、基本的に女性のほうが男性よりもマルチタスクに長けているそうだ。脳は働きが悪いときほど自分をほめる 複数の作業を同時にやっているつもりで、実際にはこの作業からあの作業へと飛び回っているだけなら、確かに脳は効率よく働かない。ボールを全部落としてしまう下手くそなジャグラーさながらだ。それなら、マルチタスクなんてやめろと脳が忠告してくれてもよさそうなのに、そういうわけでもない。むしろマルチタスクをするとごほうびにドーパミンを与えて、気持ちよくさせてくれる。つまり、脳はあえて働きが悪くなるようなことを私たちにさせるのだ。それはなぜだろうか。 複数の作業の間で集中を移動させることで、気持ちがよくなる。これは私たちの祖先が、この世のあらゆる刺激に迅速に対応できるよう、警戒態勢を整えておく必要があったせいだ。わずかな気の緩みが命の危機につながる可能性があるのだから、何事も見逃さないようにしなければいけない。やはりここでも「火災報知器の原則」なのだ。集中を分散させ、現れるものすべてに素早く反応すること。人口の半数が 10歳前に亡くなるほど危険だった時代に、それは決定的な違いだった。脳はそうやって進化してきたのだ。ドーパミンという報酬を与えてマルチタスクをさせ、簡単に気が散るようにした。私たちは今でも喜んでそれに従うが、そこには代償もある。かぎりある作業記憶 マルチタスクは集中力が低下するだけではない。作業記憶にも同じ影響が及ぶ。作業記憶というのは、今頭にあることを留めておくための「知能の作業台」だ。メモに書かれた番号に電話をかけるとしよう。メモを見て数字を覚え、番号を押す。数字はあなたの作業記憶の中にあり、それは集中力と同様にかなり限定されている。だから多くの人は、 6桁か 7桁くらいしか頭に留めておけない。私など、そこまでも覚えられない。正しい電話番号やメールアドレスを何度も確認するはめになり、毎回イライラする。 ある実験では、モニターに次々と文を表示して、それを 150人のティーンエイジャーに見せた。その中にはマルチタスクに慣れた若者も含まれていた。モニターに表示されたのは、きわめて正しい文(「朝食にチーズサンドを食べた」など)もあれば、めちゃくちゃな文(「朝食に靴ひもを一皿食べた」など)もある。どれが正しいかを答える課題だ。そのくらいちょろいと思うかもしれないが、迅速に答えなければいけない。文はわずか 2秒しか表示されないのだ。加えて、スクリーンには気を散らすような情報が表示されていて、それも無視した上でだ。クリアするには、作業記憶がしっかり機能していなければいけない。 果たして結果は? マルチタスクに慣れた若者の方が、結果が悪かった。つまり、作業記憶が劣っていたのだ。特に苦手なのは、文の近くに表示される「気を散らすような情報」を無視することだった。また、マルチタスク派は前頭葉が活発なこともわかった。前頭葉のもっとも重要な役割は、集中力を持続させることだ。前頭葉が頑張らなくてはいけないというのは、喩えるとこんな感じだ。強靭な人なら片手で椅子を持ち上げられるが、そうでない人は両手を使わなくてはいけない。マルチタスク派は集中力を持続させるために、前頭葉に知能を集めなければいけなかったわけだ。しかも、こうやって前頭葉が努力したのにもかかわらず、マルチタスク派のテスト結果は悪かった。 実験を行った研究者はこんな結論を出した。マルチタスクを頻繁にやる人は、些末な情報を選り分けて無視するのが苦手なようだ。つまり、「常に気が散る人はほぼ確実に、脳が最適な状態で動かなくなる」サイレントモードでもスマホは私たちの邪魔をする 集中力も作業記憶も、私たちが複数の作業を同時にしようとすると悪影響を受けるようだ。きっとあなたは今、じゃあパソコンの電源を切り、スマホはサイレントモードにしてポケットにしまえばいいやと思っただろう。だが、そんなに単純な話ではない。前の章でも書いたように、スマホには、人間の注意を引きつけるものすごい威力がある。その威力は、ポケットにしまうくらいでは抑えられないようなのだ。 大学生 500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまった学生よりもよい結果が出た。学生自身はスマホの存在に影響を受けているとは思ってもいないのに、結果が事実を物語っている。ポケットに入っているだけで集中力が阻害されるのだ。同じ現象が他の複数の実験にも見られた。そのひとつに、 800人にコンピューター上で集中力を要する問題をやらせるというものがあった。結果、スマホを別室に置いてきた被験者は、サイレントモードにしたスマホをポケットに入れていた被験者よりも成績がよかった。実験報告書のタイトルが実験の結論を物語っている。「脳は弱る──スマートフォンの存在がわずかにでもあれば、認知能力の容量が減る」 モニター上に隠された文字を素早くいくつも見つけ出す、そんな集中力を要する課題をさせる実験もあった。その実験を行った日本の研究者も、同じような結論を出している。被験者の半分は、自分のではないスマホをモニターの横に置き、触ってはいけないことになっていた。残りの半分は、デスクの上に小さなノートを置いた。その結果は? ノートを与えられた被験者の方が課題をよく解けていた。そこにあるというだけでスマホが集中力を奪ったようだ。リンクがあるだけで気が散る ポケットの中のスマホが持つデジタルな魔力を、脳は無意識のレベルで感知し、「スマホを無視すること」に知能の処理能力を使ってしまうようだ。その結果、本来の集中力を発揮できなくなる。よく考えてみると、それほどおかしなことではない。ドーパミンが、何が大事で何に集中すべきかを脳に語りかけるのだから。日に何百回とドーパミンを放出させるスマホ、あなたはそれが気になって仕方がない。 何かを無視するというのは、脳に働くことを強いる能動的な行為だ。きっとあなたも気がついているだろう。友達とお茶をするために、スマホを目の前のテーブルに置く。気が散らないように画面を下にするかもしれない。それでもスマホを手に取りたい衝動が湧き、絶対にさわらないと覚悟を決めなければいけない。驚くことでもない。 1日に何百回もドーパミンを少しずつ放出してくれる存在を無視するために、脳は知能の容量を割かなければいけないのだ。 スマホの魔力に抗うために脳が全力を尽くしていると、他の作業をするための容量が減る。それほど集中力の要らない作業なら大きな問題にはならないだろう。しかし本当に集中しなければならないときには問題が起きる。米国の研究で、被験者に集中力の要る難しいテストをさせた。被験者の一部には、テストの最中に実験のリーダーからメールが届くか電話がかかってくるかしたが、それに返答したわけではない。それでも、メールや電話を受けた被験者のほうが多く間違えるという結果になった。実に 3倍も多く間違えたのだ! また別の実験でも、同じような影響が見られた。コンピューター上で普通のワード形式の文章を読んだ後、単語いくつかにクリックできるリンクが貼ってある文章も読んでもらった。その後、今読んだばかりの文章について質問すると、リンクを貼った文章の方が内容を覚えていなかった。リンクをクリックしたわけでもないのに。おそらく脳が常に「リンクを押すべきか否か」という決定を下し続けたせいだ。その小さな決定の度に知能の容量を使い、限りのある集中力と作業記憶の両方が削られたのだ。テーブル上のスマホを手に取らないのも、リンクをクリックしないのも、同じくらい脳が処理能力を割かなくてはいけない作業なのだ。私たちはさらに気が散るように訓練を重ねる 凄まじい量の情報にさらされるほうが、集中力を高める訓練になると思うかもしれない。スマホに気を散らされるのにも徐々に慣れるのでは? 筋肉がジョギングや筋トレによって鍛えられるのと同じで。問題は、普通の人の脳がその逆を行くことだ。気を散らすものが多いほど注意力散漫になる。 常にデジタルな邪魔が入ることで、気を散らされることにますます脆弱になるようなのだ。それがこの数年、これだけ大勢の人が、インターネットを使っていないときでも集中できない理由ではないだろうか。私自身も、本を集中して読むことが難しくなった。スマホをサイレントモードにするくらいでは効果がなく、集中したければ別室に置いておかなくてはいけない。そこまでしても、 10年前と同じように本にのめりこむのは難しい。集中を要するページにくると、スマホに手を伸ばしたい欲求に駆られる。もう昔みたいな努力はできなくなったようだ。 多くの人に同じような経験があるはずだ。気を散らされる存在が当たり前になると、それが存在しないときでも強い欲求を感じるようになる。現代社会では集中力は貴重品になってしまったのだ。ただ、私たちの注意持続時間( attention span)が 12秒から 8秒に下がり、金魚以下だというのは──ありがたいことに作り話だ。手書きメモは PCに勝る スマホの使用に特に慎重になったほうがいいのは、学校や大学の教室内だ。そこで脅かされるのは集中力や作業記憶だけではない。長期記憶を作る能力にも悪影響が出る。スマホやパソコンがそばにあるだけで、学習能力が落ちるのだから。 ある研究で、2つの大学生のグループに同じ講義を聴かせた。片方のグループは自分のパソコンを持参し、もう片方は禁止されていた。パソコンを持参したグループが講義中に何をしているかを調べてみると、講義に関するウェブページをいくつも見ていて、そのついでにメールやフェイスブックもチェックしていた。講義の直後、パソコンを使った学生たちは、もう一方のグループほど講義の内容を覚えていなかった。学生に偏りがあったためではないのを確認するために、同じ実験を別の 2グループでも行った。やはり結果は同じで、パソコンなしのグループの方がよく学習できていた。 それなら、講義中にフェイスブックを開くのをやめればいいのでは? もちろん、それで確実に効果はある。しかし、 SNSを見てしまう以外にもパソコンが人間の学習メカニズムに与える影響があるようなのだ。米国の研究では、学生に TEDトークを視聴させ、一部の学生には紙とペン、残りの学生にはパソコンでノートを取らせた。すると、紙に書いた学生の方が講義の内容をよく理解していた。必ずしも詳細を多数覚えていたわけではないが、トークの趣旨をよりよく理解できていた。この研究結果には、「ペンはキーボードよりも強し──パソコンより手書きでノートを取る利点」という雄弁なタイトルがついた。 これがどういう理由によるものなのかは正確にはわからないが、パソコンでノートを取ると、聴いた言葉をそのまま入力するだけになるからかもしれない、と研究者は推測する。ペンだとキーボードほど速く書けないため、何をメモするか優先順位をつけることになる。つまり、手書きの場合はいったん情報を処理する必要があり、内容を吸収しやすくなるのだ。 興味深いのは、スマホと一緒にいる時間が長いほど気が散ることだ。スマホを持って講演を聴いた参加者は、スマホを会場の外に置いてきた参加者と比べると、最初の 15分の理解度は同じくらいだった。しかしその後は、講演から得られる情報がどんどん減っていった。 15分間真剣に話を聴いたら、そのあとは集中が途切れやすくなるのは当然だ。そこでスマホが最後の一押しになるのかもしれない。長期記憶を作るには集中が必要 何かを学ぶ、つまり新しい記憶を作るとき、脳の細胞間の繫がりに変化が起きる。短期記憶──短時間だけ残る記憶──を作るには、脳は既存の細胞間の繫がりを強化するだけでいい。だが数カ月、数年、あるいは一生残るような長期記憶を作ろうとすると、プロセスが複雑になる。脳細胞間に新しい繫がりを作らなければいけないのだ。記憶を維持し長く保たれるようにするためには、新たなタンパク質を合成しなければいけない。 だが、新しいタンパク質だけでは足りない。記憶の長期保存には、新しくできた繫がりを強化するために、そこを通る信号を何度も出さなければいけない。この作業は脳にとって大仕事な上に、エネルギーも必要になる。新しい長期記憶を作ること──専門用語では固定化と呼ぶのだが──は、脳が最もエネルギーを必要とする作業だ。これは私たちが眠っている間に行われるプロセスで、後でも見ていくが、人間が眠ることの大事な理由にもなってくる。 固定化がどのように行われるのか、もう少し詳しく見てみよう。私たちはまず「何か」に集中する。そうやって脳に「これは大事なことだ」と語りかける。エネルギーを費やす価値、つまり長期記憶を作る価値があるのだと。つまり、積極的にその「何か」に注目を向けなければ、このプロセスは機能しないのだ。昨日、仕事から帰って鍵をどこに置いたのか思い出せない。その原因は、あなたが集中せずに別のことを考えていたからだ。脳は、これが大事だという信号を受け取らず、鍵を置いた場所を記憶しなかった。だから翌朝、あなたは家じゅう探し回ることになる。 同じことが騒がしい部屋でテスト勉強するときにも言える。集中できないから脳は「これが大事」という信号をもらえないし、あなたは読んだ内容を覚えられない。これはつまり、記憶した情報は思い出すこともできなければいけないということだ。言った通り、記憶するためには、集中しなければいけない。そして次の段階で、情報を作業記憶に入れる。そこで初めて、脳は固定化によって長期記憶を作ることができる。ただし、インスタグラムやチャット、ツイート、メール、ニュース速報、フェイスブックを次々にチェックして、間断なく脳に印象を与え続けると、情報が記憶に変わるこのプロセスを妨げることになる。色々な形で邪魔が入るからだ。 絶えず新しい情報が顔を出せば、脳は特定の情報に集中する時間がなくなる上に、限られた作業記憶がいっぱいになってしまう。テレビがついている中で勉強しようとして、おまけにスマホもいじっている。脳はあらゆる情報を処理することに力を注ぎ、新しい長期記憶を作ることができなくなる。だから読んだ内容を覚えられないのだ。 デジタルな娯楽の間を行ったり来たりするのは、情報を効率よく取り入れていると思いがちだ。だがそれはあくまで表面的なもので、情報がしっかり頭に入るわけではない。それなのに続けてしまう「原動力」は、そうすることが好きだから。そう、ドーパミンが放出されるからだ。 デジタルな(悪)習慣に、長期記憶を作る能力はどの程度脅かされるのだろうか。ある実験で、学生に自分のペースで本の 1章を読ませ、その後、内容について質問をした。被験者の一部には読んでいる最中にスマホにメッセージが届き、それに返信しなくてはいけないようにした。返信するには時間がかかるから、読み終わるまでの時間も長くなる。その後、全員同じくらい内容を覚えていることが判明したが、メッセージに返信した学生たちのほうが読むのにかなり長く時間がかかっていた。メッセージを読んで返答した時間を差し引いても、同じ 1章を読むのに長く時間がかかったのだ。 つまり、集中力を完全に回復させ、読んでいた箇所に戻るのには切替時間が必要なのだ。勉強中にメールやチャットに返信すると、読んでいる内容を覚えるのに時間がかかってしまう。スマホに費やした時間を差し引いてもだ。仕事や試験勉強でマルチタスクをしようとする人は、別の言いかたをすれば、二重に自分を騙しているのだ。理解が悪くなる上に、時間もかかる。チャットやメールをチェックするのは、例えば 1時間に数分と決めてしまい、常にチェックしないのがいい方法かもしれない。脳は近道が大好き 脳は身体の中で最もエネルギーを必要とする器官だ。成人で総消費エネルギーの 2割を費やしている。 10代の若者なら約 3割。新生児など、エネルギーの実に 5割が脳に使われているそうだ。今なら欲しいだけカロリーを身体に取り込めるが、石器時代にそれはできなかった。そのため、身体の他の部分と同じように、脳もエネルギーを節約し、できるだけ効率的に物事を進めようとする。つまり、近道をしようとするのだ。記憶に関しては特にそうだ。記憶を作るにはエネルギーがかかるのだから。 それが、デジタル社会で当然の結果を招く。ある実験で、被験者たちは様々な事実に関する文章を耳で聞き、一文ごとにパソコンに書くよう指示された。一部の人はパソコンに情報が残ると言われ、残りは情報は消去されると教えられた。文章をすべて書きこんだ後、覚えているかぎりのことを復唱してもらった。すると、パソコンに情報が残っていると思っていた人は、消されると思っていた人たちよりも覚えていた量が少なかった。 どのみち保存されるのに、なぜそれにエネルギーを浪費しないといけない? 脳はそう考えるようだ。驚くことでもない。作業の一部をパソコンに任せられるなら、そうするに決まっている。保存されるとわかっていれば、情報そのものよりも、情報がどこにあるかを覚えておくほうがいい。被験者たちがワード文書に文を書き留めた実験では、1つの文を1つのファイルにして異なったフォルダに保存してもらったが、翌日になると文の内容はあまり覚えていなかった。一方、どのフォルダにどの文書ファイルを入れたかは覚えていたのだ。グーグル効果──情報が記憶に入らない グーグル効果とかデジタル性健忘と呼ばれるのは、別の場所に保存されているからと、脳が自分では覚えようとしない現象だ。脳は情報そのものよりも、その情報がどこにあるのかを優先して記憶する。だが、情報を思い出せなくなるだけではない。ある実験では、被験者のグループに美術館を訪問させ、何点かだけ作品を写真撮影し、それ以外は観るだけにするよう指示した。翌日、何枚も絵画の写真を見せたが、その中には美術館にはなかった絵画も混ざっていた。課題は、写真が美術館で観た絵画と同じかどうかを思い出すことだ。 判明したのは、写真を撮っていない作品はよく覚えていたが、写真を撮った作品はそれほど記憶に残っていなかったことだ。パソコンに保存される文章を覚えようとしないのと同じで、写真に撮ったものは記憶に残そうとしないのだ。脳は近道を選ぶ。「写真で見られるんだから、記憶には残さなくていいじゃないか」 では、なぜ私たちは知識を身につけなくてはいけないのだろうか。スマホにグーグルやウィキペディアが入っているのに。確かに、電話番号くらいなら問題ない。だが、あらゆる知識をグーグルで代用することは当然できない。人間には知識が必要なのだ。社会と繫がり、批判的な問いかけをし、情報の正確さを精査するために。情報を作業記憶から長期記憶へと移動するための固定化は、「元データ」を脳の RAMからハードディスクに移すだけの作業ではない。情報をその人の個人的体験と融合させ、私たちが「知識」と呼ぶものを構築するのだ。 人間の知識というのは、暗記した事実をずらずらと読み上げることではない。あなたの知り合いでいちばん賢い人が、必ずしも〈トリビアル・パスート〉[訳註:一般知識を競うクイズ形式のボードゲーム]で勝つとはかぎらない。本当の意味で何かを深く学ぶためには、集中と熟考の両方が求められる。素早いクリックに溢れた世界では、それが忘れ去られている危険性が高い。ウェブページを次から次へと移動している人は、脳に情報を消化するための時間を与えていないのだ。 スティーブ・ジョブズはコンピューターを「脳の自転車」みたいなものだと称した。思考を早くするための道具だ。私たちの代わりに考えてくれる「脳のタクシー運転手」と呼ぶほうが正確かもしれない。確かに快適だが、新しいことを学ぶのを誰かに任せてしまいたいだろうか?周囲への無関心 食事やお茶をしている最中に相手がスマホを取り出すと、毎回イライラする。自分だってちっとも偉そうなことを言えるような人間じゃないのに。ただ私には、相手に感謝される以外にも、スマホを取り出したくない自分勝手な理由がある。スマホが目の前にあると、会話がつまらなく思えるからだ。スマホが魅力的すぎて、周囲に関心がもてなくなってしまう。 ある研究で約 30名に、知らない人と 10分間自由に話してもらった。テーブルを挟んで座り、一部の人はスマホをテーブルに置き、それ以外の人は置かなかった。その後、被験者たちに会話がどのくらい楽しかったかを尋ねてみると、視界にスマホがあった人たちはあまり楽しくなかった上に、相手を信用しづらく共感しにくいとも感じていた。言っておくが、スマホはただテーブルの上にあっただけで、手に取ることは許されなかった。 これもさほど驚くことではない。当然のことながら、ドーパミンが何に興味を向けるべきか指示していたのだ。毎日何千という小さなドーパミン報酬を与えてくれる物体が目の前にあれば、脳は当然そっちに気を引かれる。スマホを手に取りたいという衝動に抵抗するために、限りある集中力が使われる。先に書いたとおり、無視するというのは能動的な行為なのだ。その結果、あまり会話についていけなくなる。 友人とのディナーの感想を 300人に調査した研究者も同じ傾向を目にすることになった。被験者の半数は、ディナーの最中にメールが届くからスマホをテーブルに出しておくよう指示された。残り半数はスマホを取り出すなと指示されていた。食後、スマホがそばにあった被験者は、ディナーはいまいちだったと感じていた。極端に差があったわけではないがそれでも結果は明白だった。一言で言えば、目の前にスマホを置いていると相手と一緒にいるのが少しつまらなくなるのだ。 しかし、 1通のメールのためにスマホを出したからといって、ディナー全体が台無しになることはないのでは? ならないかもしれないが、被験者たちはスマホをスタンバイさせていただけではない。ディナーの 1割以上の時間、スマホをいじっていたのだ。 1通のメールに返信する、そのためだけに置いたはずなのに。 ドーパミンの役割はつまり、何が重要で何に集中を傾けるべきかを伝えることだが、ここで言う「重要」とはよい成績を取ることでも、キャリアアップすることでも、元気でいることでもない。祖先を生き延びさせ、遺伝子を残させることだったのだ。スマホほど巧妙に作られたものが他にあるだろうか。ちょっとした「ドーパミン注射」を 1日に 300回も与えてくれるなんて。スマホは毎回あなたに「こっちに集中してよ」と頼んでいるのだ。 授業中や仕事中でもスマホのことを忘れられないなんて、おかしいだろうか。スマホを取り出さないことに知能の処理能力を使ってしまうなんて。あまりに魅力的で、一緒に夕食を食べる仲間がつまらなく思えるほどなのだ。 10分間隔で新しい体験と報酬を与えてくれる存在。それを失うと、ストレスを感じる。いやパニックに近いかもしれない。ちっともおかしくはない。そうでしょう?マルチタスクによって間違った場所に入る記憶 記憶は脳の様々な場所に保存される。例えば事実や経験は俗に記憶の中枢と呼ばれる海馬に入る。一方で、自転車に乗る、泳ぐ、ゴルフクラブでボールを打つといった技術を習得するときには大脳基底核の線条体という場所が使われる。テレビを観ながら本を読むなど、複数の作業を同時にしようとすると、情報は線条体に入ることが多い。つまり脳は、事実に関する情報を間違った場所へ送ることになる。一度にひとつのことだけすると、情報はまた海馬に送られるようになる。 例えばニューヨークで散歩していたときに超美味しいチョコレートドーナツを食べたことがあるとしよう。またニューヨークに行ったり、別の場所でドーナツを食べたりすると、記憶が甦ることがある。そのときと同じ服を着たり、チョコレートのかかった別の美味しいものを食べたり、ニューヨークにいたときと同じ気分になったりしてもだ。脳は連想が大得意で、何らかの形でその出来事を思い出させるような小さな小さな手がかりを頼りに、記憶を取り出すことができるのだ。 柔軟な記憶を作る能力は、複数の作業を同時にしようとすると部分的に失われてしまう。その原因は、情報が海馬だけでなく線条体にも送られてしまうから。記憶のテストでは、被験者が数字や言葉を覚えられるかどうかを調べることが多いが、記憶というのはそれより複雑なものだ。事実に関する記憶は、その人の個人的体験と融合され、知識として構築される。その知識を吟味し、角度を変えて見つめ直したりもして、自分の周囲の世界を理解しようとするのだ。 この途方もなく複雑なシステムが、情報の洪水にどれほど影響されるのか。それはまだ正確にはわかっていない。だが、デジタル化は思ったより深刻な影響を及ぼしていると言えるだろう。考えてみてほしい。記憶のテストで数字を何桁覚えられるかより、もっと根本的に大切なものを今この瞬間も失っているのだとしたら?第 5章 スクリーンがメンタルヘルスや睡眠に与える影響ある意味、驚きだ。これほど異質な環境にいるのに、人間が今以上の精神疾患にかかっていないなんて。──リチャード・ドーキンス(進化生物学者、作家) バスや地下鉄に乗っていると、ああ、あの人はスマホを失くしたんだな、という場面に出くわすことがある。激しい不安に襲われ、命がかかったみたいに鞄やポケットを探している。ようやくスマホが見つかったときの安堵した様子、そしてパニックが消えていく様がはっきり見てとれる。何千クローナ[訳註: 1クローナは 2020年 10月現在約 12円]もするスマホが見つからなかったら心配でストレスがかかるのは当然だが、あのパニックぶりはお金の問題だけではないだろう。 スマホを強制的に手放した被験者の体内では、ほんの 10分でストレスホルモン、コルチゾールのレベルが上昇する。つまり脳が「闘争か逃走か」のモードに入るのだ。最も顕著に影響が現れるのはスマホを頻繁に使っている人で、スマホを慢性的に使っていない人はそれほど上昇しない。脳がどのように進化してきたかを考えると、それも特におかしなことではない。 ドーパミンを与えてくれる対象に意識を集中させるのは、生き延びるために大切なことだ。一日中、 10分ごとにちょこちょことドーパミンを補給してくれる対象を失ったら、当然ストレス反応が起きる。さらには、「生存のために大切なものが消えてしまった」という信号が脳に送られる。すると H PA系が作動し、脳が私たちにこう命じる。「手を打て! ドーパミンをくれるものを取り返せ! 今すぐにだ!」脳はこの強い不安の力を借りて、私たちに指令を実行させようとするのだ。 スマホは失くしたときだけにストレスを生じさせるわけではない。失くさなくてもストレスは生じるようだ。 20代の若者およそ 4000人にスマホの利用習慣を聞き取り、その後 1年にわたって観察を続けた研究がある。熱心にスマホを使う人ほどストレスの問題を抱えている率が高く、うつ症状のあるケースも多かった。同じような結果が、アメリカ精神医学会( AP A)が約 3500人に対して行ったインタビューでも示された。「アメリカのストレス( Stress in America)」というタイトルで報告されたが、スマホを頻繁に取り出して見る人ほどストレスを多く抱えていた。多くの被験者が、時々はスマホを遠ざけておくほうがいいとわかっているし、 3人に 2人は「デジタルデトックス」が心の健康にいいだろうと思っている。しかし、実際にそれを実行していたのはわずか 30%にも満たなかった。 複数の大規模な研究をまとめてみると、ストレスとスマホの使用過多には関連があることがわかる。その影響には小さなものから中程度のものまであるが、ストレスに弱い状態の人は、たとえ小さな一滴でもコップが溢れることになる。 それは不安障害にも同じことが言えるのだろうか。結果は同じだった。 10件の調査のうち 9件で、不安とスマホの使用過多に相関性が見られた。おかしなことではない。ストレスと不安は本質的に体内の同じシステム、つまり H PA系の作動によって起きる。ただ理由が異なるだけだ。ストレスは脅威そのものが引き金になるが、不安は脅威かもしれないものが引き金だ。スマホがストレスを引き起こすなら、不安も引き起こすのは容易に想像つくし、実際そうなのだ。 被験者がスマホを手放したときの心配と不安を計測したところ、離れている時間が長くなるほど不安が増すことがわかった。 30分ごとに計測するたびに、不安の度合いが増していった。最も不安が大きかったのはどういう人だったのか──もちろん、スマホをいちばんよく使っている人たちだ。過小評価されている睡眠 極端なスマホの使用が、ストレスと不安を引き起こす。だが、何よりも影響を受けるのが睡眠だ。ここ数年、精神科医として患者を診る中で気づいたのは、よく眠れない人が増えていることだ。ほとんど全員が睡眠導入剤のことを尋ねる。最初のうちは、こんなに多くの患者が私のところに来たのは偶然だろうと考えていた。しかしそうではなかった。眠れなくて受診する人の数は爆発的に増え、スウェーデン人のほぼ 3人に 1人が睡眠に問題があると感じている。睡眠時間もますます短くなっていて、平均で 7時間。ということは、 2人に 1人は、必要とされる 7 ~ 9時間よりも短い時間しか寝ていない。同じ傾向が多くの国で見られる。スマホでうつになる? 本書冒頭で見たように、長期のストレスはうつになる危険性を高める。そして今読んだように、現代のデジタルライフとスマホはストレスを引き起こす。さらにもうひとつ、ここにはまるパズルのピースがある。 100万人近く、 9人に 1人以上のスウェーデン人が抗うつ薬を服用していること、抗うつ薬の使用が過去 10年で急激に増加したことだ。同じ時期に、ストレスを招くスマホが皆のポケットの中に登場している。 スマホがこの増加を招いたのは想像に難くない。だが、スマホのせいでうつになる可能性はあるのだろうか。サウジアラビアの研究者が 1000人以上を対象に行った調査では、スマホ依存とうつに「警戒すべきレベル」の強い相関性があると結論づけられた。中国でも、スマホをよく使う大学生は孤独で自信がなく、うつが多いことが確認された。オーストリアでは、うつを患う人はスマホを極端に多く使うケースが多いと判明している。 地球上の他の国からも、同じような調査結果がいくつも挙がっているが、これ以上例を挙げる必要はないだろう。スマホがうつになる危険性を高めるのは明白だ。だが、スマホでうつになるというよりも、うつの人がスマホをよく使うということはないだろうか。スマホのせいでうつになるとは 100%断定できない。 私自身はこう考える。過剰なスマホの使用は、うつの危険因子のひとつだと。睡眠不足、座りっぱなしのライフスタイル、社会的な孤立、そしてアルコールや薬物の乱用も、やはりうつになる危険性を高める。スマホが及ぼす最大の影響はむしろ「時間を奪うこと」で、うつから身を守るための運動や人づき合い、睡眠を充分に取る時間がなくなることかもしれない。 実際、平均睡眠時間はこの 100年で 1時間も減っている。さらに時間を遡ると、狩猟採集民だった祖先は、私たちより長く眠っていなかったにしても、よく眠れてはいたようだ。現在でもその頃のように暮らす部族を調査すると、睡眠障害に苦しむのはわずか 1 ~ 2%だからだ。一方、工業国では 3割。つまり、現代人の睡眠は非常に質が悪い。私たちはなぜ眠るのか 私たちはなぜ眠るのか。その理由ははっきりとわかってはいないが、睡眠中に身体と脳で行われる処理は途方もなく重要なはずだ。というのも、私たちの祖先にとって、 1日 24時間の 3分の 1を無意識に近い状態で過ごすのはとても危険なことだったのだから。動物に喰われる可能性もあるし、そもそも眠っていても何の得にもならない。食料も集められないし、子供を作ることもできない。 では、睡眠の何がそんなに重要なのだろう。自然が、人間やほぼすべての動物に睡眠欲求を備えつけたのはなぜだろうか。とりあえず、エネルギーを蓄えるためではない。眠っているときも、起きているときと同じくらい脳はエネルギーを消費している。睡眠時には、昼間壊れたタンパク質が老廃物として脳から除去される。この老廃物は 1日に何グラムにもなり、 1年間で脳と同じ重さの「ゴミ」が捨てられることになる。夜ごとの巡回清掃は、そもそも脳が機能するために不可欠だ。長期にわたる睡眠不足は、脳卒中や認知症をはじめ様々な病気のリスクを高める。それは「清掃システム」がちゃんと機能していないせいだと考えられている。 睡眠不足は人間の機能も低下させる。 1日 6時間以下の睡眠が 10日続くと、 24時間起きていたのと同じくらい集中力が低下するのだ。さらには情緒も不安定になる。様々な表情の顔写真を見せて脳を観察すると、しっかり眠っていないときはストレスシステムのモーターである扁桃体が激しく反応することがわかる。 それ以外に人間が眠る最も重要な理由は、短期記憶から長期記憶への移動が夜に行われるからだろう。そのプロセスは固定化と呼ばれ、とりわけ熟睡時に行われる。眠っている間に、脳はその日の出来事からどれを保存して長期記憶を作るかを選り分けているのだ。脳は失われそうな記憶を寝ている間に再生することもできる。しかしきちんと眠らなければこうしたプロセスは機能せず、記憶に影響が出る。 このように、睡眠は記憶の保存に重要な役割を果たしていて、それを別の何かで埋め合わせることはできない。ある調査では、学生に迷路の解き方を覚えさせた。その後、一部の学生は 1時間昼寝をし、残りの学生は起きていた。 5時間後、その迷路の解き方をどれくらい覚えているかを調べると、起きていて迷路のことをずっと考えていられた学生たちよりも、しばらく眠った学生たちの方がよく覚えていたのだ。これらの結果を総合すると、訓練だけではなく、訓練とよい睡眠が組み合わさってこそ、何かができるようになるということがわかる。これは特に学校という観点で一考の価値がある。若者に不眠が増えているのだから。子供や若者の睡眠の質が悪くなっていることについては、第 7章の「若者はどんどん眠れなくなっている」の項を参照してほしい。ストレス──それにスクリーン──が眠りを妨げる 脳の掃除、健康の維持、そして情緒の安定や記憶と学習のために睡眠がそれほど大事なら、なぜ私たちは頭を枕にのせた瞬間に眠りに落ちないのだろう。それはおそらく、眠るときに知覚情報を完全オフにするのが危険だったからだ。狩猟採集民だった祖先は、サバンナで眠るとき、誰かに殺されたり動物に喰われたりしない安全な状態を確保することが重要だった。 そのため、入眠は周囲の存在を徐々にスイッチオフしていくことで、段階的に進行する。ベッドに入る前にストレスを受けると、寝つきが悪くなるのはおそらくそのせいだ。ストレスを受けると脳の同じ部分、歴史的には緊急の危機に作動してきた H PA系(「第 2章」を参照)が目覚めてしまう。脳にしてみれば、「今眠ろうとしている場所は安全ではない、だから寝つきを悪くしないといけない」のだ。夜ストレスを感じると眠りにつけないのは、脳が進化してきたとおりに機能しているだけ。つまり、あえてあなたを眠らせないようにしているのだ。ブルーライトの闇 体内リズムはどのくらい光を浴びたか等によって制御される。眠りにつく時間を身体に知らせるメラトニンというホルモンの働きだ。メラトニンは脳内の松果体という分泌器で合成される。分泌量は日中は少なく、夕方になると増え、夜に最多になる。光を浴びすぎるとメラトニン分泌にブレーキがかかり、身体はまだ昼間だと勘違いする。寝室が明るすぎると眠りが悪くなるのはそのせいだ。逆に暗いと、脳はメラトニンを増やそうとし、身体も今は夜だと思い込む。 だが分泌量を左右するのは浴びた光の量だけではない。どういう種類の光なのかも関係がある。ブルーライト[訳註:パソコンやスマートフォンの LEDディスプレイや LED照明に多く含まれる波長が 380 ~ 500 nmの青色光]にはメラトニンの分泌を抑える特殊な効果がある。人間の目の中にブルーライトにだけ強く反応する細胞が存在するが、私たちの祖先にとってブルーライトは晴れ渡った空から降ってくるものだったからだ。この細胞が脳に「メラトニンを作るのをやめろ」と告げる。「さあ起きろ、油断せず警戒を怠るな!」と。私たちの祖先にとってブルーライトは昼間活発に行動するためのものだったから、あなたや私もブルーライトで元気になってしまうのだ。 眠りにつく前にスマホやタブレット端末を使うと、ブルーライトが脳を目覚めさせ、メラトニンの分泌を抑えるだけでなく、分泌を 2 ~ 3時間遅らせる。つまりブルーライトがあなたの体内時計を 2 ~ 3時間巻き戻すのだ。少し大げさに言うと、スウェーデンからグリーンランドか西アフリカに移動したような時差ボケが起きているようなものだ。そのうえ、スマホがストレスを生み、ストレスが睡眠を妨げる。それでも足りないみたいに、すでに書いたようなアプリや SNS、ゲームなど、ドーパミンと関係するあらゆる刺激によって脳が目覚めてしまう。 理論上は、寝る前にスマホを使うと、そういった原因で眠りにつきづらくなる。しかし理論が必ずしも現実と一致するわけではない。本当にスマホが私たちの睡眠を妨げているのだろうか。そう、妨げている。 600人近くの被験者を観察した研究がそれを証明している。スマホなどのスクリーンを見ている時間が長い人ほど、よく眠れなくなる。特に、夜遅くにスマホを使うと影響が大きかった。眠れなくなるだけでなく、眠りの質も落ちる。そして当然、翌日に疲れている可能性も高まる。 そばにあるだけで集中や記憶が妨げられるのと同じく、スマホが寝室にあるだけで睡眠が妨げられるようだ。小学校高学年の児童 2000人にベッド脇のテーブルにスマホを置いて寝てもらったところ、スマホを側に置かなかった児童よりも睡眠時間が 21分短かった。寝室にテレビがあるだけで睡眠時間が短くなるが、スマホはテレビよりも影響が大きい。 21分など大した時間じゃないと思うかもしれないが、さらに深刻な影響を示す調査もある。保護者に子供の睡眠時間を調べてもらった調査では、スマホを寝室に置いている子供のほうがそうでない子に比べて 1時間も睡眠が短かったのだ。電子書籍 vs「普通の」本 寝室にあるのが普通になったのは、スマホだけではない。電子書籍もそうだ。ある実験で、寝る前に本を数ページ読んでもらった。一部の被験者は普通の紙の本で読み、残りは同じ文章を電子書籍で読んだ。その結果は? 電子書籍を読んだ人たちは、紙の書籍を読んだ人たちよりも眠りに落ちるまでに 10分長くかかった。同じ内容を読んだのにだ。本を紙で読むのとスクリーン上で読むのには違いがあるのだろうか。 まず、電子書籍を読むと、メラトニン合成が著しく減少する。さらにはメラトニンの分泌が 1時間以上遅くなる。私個人は、電子書籍がスマホを連想させるのも一因だと思う。スマホなどの端末は新しい情報や脳の報酬系の活性化に非常に強く結びついているので、それを手にしているだけで目が覚めてしまう。「これもスクリーンがついているからスマホみたいだ」と脳が騙されてしまい、興奮が収まらなくなるのだ。感じやすさは人それぞれ 言い方を換えれば、子供も大人も、睡眠の悪化にスマホが大きな影響を与えているという示唆がいくつもある。同時に、ストレスやブルーライトへの敏感さは、人によって違う。ストレスがあったり寝る直前まで画面ばかり観ていたりしても、即座に眠りに落ちる人もいる。一方で、ほんの少しでもストレスになるようなことをすると──就寝の 1時間前にスマホが目に入っただけでも──眠れなくなる人もいる。睡眠に問題を抱えているなら、ストレスになるようなことをしたり、夜遅くに画面を見たりするのは避けた方がいい。スクリーンは食欲にまで影響する? 体重が気になる人は、夜遅くスマホを使うと食欲が増進する可能性があることを知っておいたほうがいいだろう。ブルーライトの影響を受けるのは睡眠を促すメラトニンだけではない。ストレスホルモンのコルチゾールと空腹ホルモンのグレリンの量も増やすのだ。グレリンは食欲を増進させるだけでなく、身体に脂肪を貯めやすくもする。 つまりブルーライトは、身体を目覚めさせ(メラトニンとコルチゾール)、行動に出る態勢を整え(コルチゾール)、エネルギーの貯蔵庫を満タンにして脂肪を蓄える(グレリン)ことに長けているのだ。夜タブレット端末やスマホを使った後、私たちはベッドに横になって天井を睨んでいるだけでなく、食べたいという欲求も抱えている。しかも悪いことに、夜食というのは身体が普段に増して効果的にカロリーを摂取し、皮下脂肪という形で腹周りに貯蔵してしまう。 世界的に有名な病院が、スマホが脳のメラトニン合成に与える影響を徹底的に調べたことがあった。その病院はこう忠告する。どうしても寝室にスマホを持ち込みたいなら、寝る前には画面を暗くして、目から最低 36センチは離して見る。そうすれば、メラトニン合成はそれほど妨げられない。 ただ、私は精神科医だが、今までにない数の若者が睡眠導入剤を求めてやってくる。私は、原則としてすぐには薬を処方しない。その代わり、スマホを寝室以外の場所に置くよう勧める。加えて、週に 3回は身体をしっかり動かすようにアドバイスする。運動すれば早く眠れるようになるし、睡眠の質もよくなる。こうしたことを試さずに睡眠薬を導入すべきではないと考えている。第 6章 SNS──現代最強の「インフルエンサー」比較は喜びを奪う。──セオドア・ルーズベルト(米国元大統領) 仕事で泊まりがけの研修に行くとしよう。自由時間に、あなたは同僚たちとどんなことを話すだろうか。自社製品、ライバル会社のこと、それとも次の四半期報告のことだろうか。もちろん違う。お互いのことを話すだろう。なぜなら、私たちの会話の 8割から 9割は、自分の話か他人の噂だ。私たちはゴシップが大好きなのだ! ゴシップという言葉はネガティブに響くが、不当に悪い評判を立てられている気もする。ゴシップが人間を生き延びさせてきたのだから。先述の通り、人類は 50 ~ 150人程度の集団で暮らしてきて、当然ながら集団の中にはより親しい人もそうでない人もいた。たとえ全員と親しくなくても、それ以外の人にも目を向けておく必要がある。噂話はそのための手段だった。人間の脳は悪い噂が大好き 他の人が何をしているのか、互いにどんな関係にあるのか。これを知っておくと有利だったため、人間にはそういう情報を得たいという強い欲求がある。高カロリーな食べ物を食べると脳が満足感というごほうびを与えてくれ、エネルギーたっぷりのものを食べることで餓死するのを防いできた。それと同じように、他人の情報を知ったり広めたりする──つまり噂話をすると、満足感を感じるように脳のメカニズムが進化してきたのだ。私たちが生き延びるのを助けたのは、食べ物とゴシップだった。 噂話というのは誰かについての情報を得るだけでなく、反社会的な振舞いや誰かがちゃっかりタダ乗りをするのを抑止する効果もある。誰だって「勘定書きがテーブルに来るときには、いつもトイレに逃げているやつ」だとは思われたくない。そう考えると、噂話好きな人は健全な集団を作ることに貢献しているとも考えられる。 おもしろいことに、私たちはとりわけ「悪い」噂が好きらしい。上司が泊まりがけの研修で酔っ払って恥をかいたという話は、上司が秀逸なプレゼンをしたという話よりも興味をそそる。実際に、悪い噂は絆を強める。 2人の人間が第三者のことを話すとき、内容が悪いことであれば、双方に強い仲間意識が芽生えることが判明している。つまり、上司のプレゼンがよかったという話より上司が恥をかいた話をする方が、あなたは同僚により親しみを感じるというわけだ。 だがなぜ、脳は悪い噂を偏愛するのか? おそらくそれは、悪い情報が特に重要だったからだ。誰が信用でき、誰と距離を取った方がよいのかを把握することができる。同じ理由で、私たちは争い事に強い関心を持つ。敵がいる人にとって、他にもその敵を嫌っている人がいるというのは貴重な情報だ。同盟を組めるかもしれないのだから。 人口の 1 ~ 2割が他の人間に殺されていた世界では、誰が誰に恨みを抱いているか、誰に気をつけた方がいいかといった情報は、食べ物がどこにあるかと同じくらい重要だったのだ。争いは特に関心の的になるから、今でもテレビの選挙討論番組は 100万人の視聴者を惹きつける。だが、各政治家が掲げる目標といった事務的な情報になると、多くの人がチャンネルを変える。 それでは、いい噂は脳から見ると無意味なのか? そういうわけではまったくない。いい噂話は内省とインスピレーションによって私たちを向上させてくれる。上司のプレゼンの話を聞くことで、自分も優れたプレゼンをしたいというモチベーションが生まれるからだ。恥をかいた話のほうが、もっとおもしろいとはいえ。ゆりかごから墓場までの社交性 噂話を通じて互いに目を配るのは敵から身を守るためだけではない。他の動物と違い、人間は本質的に社交性がある。お互いに協力して生き延びてこられたのはそのおかげだ。多くの研究により、社交的な人のほうが長く健康に生きられるのもわかっている。逆に孤独だと、病気になり早死にする危険性がある。驚愕の研究結果というわけでもないだろう。 社交への欲求は生まれたときから見られる。例えば、新生児はただの線よりも顔を思わせる形に焦点を合わせる。子供も大人も脳の側頭葉に特定の顔の部分に焦点を合わせる細胞が存在するのだ。このような細胞が複雑なネットワークの中で協業し、会った人の顔を瞬時に解析する。ただし今の時代、噂話をし、コミュニケーションを取り、互いの情報を得るという社交への強い欲求は、スマホやパソコンの中に移動している。この欲求が史上最高の成功を収めた企業の基礎になっているのだ。つまり、フェイスブックと呼ばれる企業の。人生の数年がフェイスブックに吸い取られる 2004年2月、当時 19歳のマーク・ザッカーバーグは、インターネットを使った社交ネットワーク「ザ・フェイスブック」を、ハーバード大学のクラスメートのために立ち上げた。間もなく大勢の学生が参加するようになり、別の大学の学生たち、さらには一般にまで開かれるようになった。世間の関心は尽きることがなく、 14年後、名前から「ザ」を外したフェイスブックの総ユーザー数は 20億人を超えている。一生のうちに何人と知り合えるのか オックスフォード大学の進化心理学者ロビン・ダンバーは、人間はおよそ 150人と関係を築けると考えている。それよりもかなり多くの顔を認識し、名前を覚えることもできるが、他の人のことをどう思っているかまで把握できるほど近い関係ともなれば、そのくらいの数字に限定される。この数はダンバー数と呼ばれている。 おもしろいことに、狩猟採集民だった祖先たちは最大 150人までの集団で暮らしていたようだ。原始的な農業社会でも、平均的な村の人口は 150人だったと考えられている。ダンバー自身はこう述べている。脳の外の「皮」の部分である高次な大脳皮質が人間と動物を分けている。大脳皮質が大きければ大きいほど、その種が暮らす集団は大きくなるのだ、と。 地球上の人間の約 3人に 1人がフェイスブック上にいる。全大陸のほぼすべての国のあらゆる世代が、みんなフェイスブックを使っているのだ。そして私たちはフェイスブックをよく使う。平均すると、写真を眺めたり、更新された情報を読んでシェアしたり、デジタルな親指を集めたりすることに 1日 30分以上もかけている。同じだけの時間を今後も費やすなら、現在の 20歳が 80歳になる頃には、人生の 5年間を SNSに費やす計算になり、そのうちの 3年近くがフェイスブックに充てられる。 20億人もの人が毎日半時間以上使う製品──これまでにそんな成功を収めた企業はない。マーク・ザッカーバーグは、「自分の周囲の人のことを知っておきたい」という人間の欲求をネットワーク化することに成功した。しかし、成功の秘訣はそれだけでは終わらない。常に周囲のことを知っておきたいという以外に、もうひとつフェイスブックを成功に導いたことがある。人間に根差す「自分のことを話したい」という欲求だ。私たちは自分のことを話したい 自分のことを話しているとき、脳の中では何が起きているのだろうか。ある研究グループがそれに答えるべく、被験者を集め、自分のことを話しているときの脳の状態を調べた。スキーについてどう思うかと訊かれ、被験者は例えば「スキーは最高だよ」と言う。それから、他の人がスキーについてどう思っているかも言わされる。 自分のことを話しているときのほうが、他人の話をしているときに比べて、被験者の脳の複数箇所で活動が活発になっていた。特に前頭葉の一部、目の奥に位置する内側前頭前皮質( medial prefrontal cortex)で。ここは主観的な経験にとって大事な領域なので、驚くことではない。しかし、もうひとつ別の箇所でも活動が活発になっていた。俗に報酬中枢と呼ばれる側坐核( nucleus accumbens)だ。セックス、食事、人との交流に反応する領域が、私たちが大好きな話題──つまり自分自身のことを話しているときにも活性化するのだ。 つまり人間は先天的に、自分のことを話すと報酬をもらえるようになっている。なぜだろうか。それは、周りの人との絆を強め、他者と協力して何かをする可能性を高めるためだ。しかも、周りが自分の振舞いをどう思っているかを知るための良い機会にもなる。自分の発言に対する他者の反応を見れば、自分の行動を改善することができる。この先天的な報酬のせいで、発話として私たちの口から出てくる言葉の半分近くが、主観的な経験に基づいた内容になる。 人類の進化の期間のほとんど、聴衆は 1人 ~数人程度だった。現在は SNSのおかげで、思いもよらない可能性を与えられた。数百人から数千人に自分のことを語れるのだ。ただ、たいていの人は自分のことを話すのに夢中だとは言っても、どれくらい夢中かということになると、当然個人差がある。先ほどの、自分と他人のことを話す実験では、被験者の脳では報酬中枢の活動が確かに全員活発になっていたが、その程度には違いがあった。興味深いことに、いちばん活発になったのはフェイスブックをよく使っている人たちだった。自分のことを話して賞賛され、報酬中枢が活性化するほど、 SNSでも積極的になるのだ。 SNSを使うほど孤独に ボタンひとつで 20億人のユーザーと繫がる SNSは、人と連絡を取り合うのに非常に便利な道具だ。でも私たちは本当に、フェイスブックなどの SNSによって社交的になったのだろうか。そういうわけでもないらしい。 2000人近くのアメリカ人を調査したところ、 SNSを熱心に利用している人たちのほうが孤独を感じていることがわかった。この人たちが実際に孤独かどうかは別問題だ。おわかりだろうが、孤独というのは、友達やチャット、着信の数で数値化できるものではない。体感するものだ。そしてまさに、彼らは孤独を体感しているようなのだ。 私たちは人と会うと、それがインターネット上にしても現実にしても、気持ちに影響が出る。 5000人以上を対象にした実験では、身体の健康状態から人生の質、精神状態、時間の使い方まで様々な質問に答えてもらった。そこにはフェイスブックをどれくらい使うかという質問も含まれていた。その結果、本当の人間関係に時間を使うほど、つまり「現実に」人と会う人ほど幸福感が増していた。一方で、フェイスブックに時間を使うほど幸福感が減っていた。「私たちは SNSによって、自分は社交的だ、意義深い社交をしていると思いがちだ。しかしそれは現実の社交の代わりにはならない」研究者たちはそう結論づけている。 だがなぜ孤独になり落ち込むのだろうか。パソコンの前に座っているせいで、友人に会う時間がなくなるからだろうか。別の可能性としては、皆がどれほど幸せかという情報を大量に浴びせかけられて、自分は損をしている、孤独な人間だと感じてしまうことだ。 SNSが幸福感に与える影響を分析するとき、ヒエラルキーの中でのその人の位置は重要な要因だ。その仕組みを理解するために、また別の脳の伝達物質について見ていこう。ドーパミンのように私たちの気分に影響を与える伝達物質、セロトニンだ。 セロトニンはこれまで、心の平安、バランス、精神力に関わるとされてきた。気分に影響するだけでなく、集団の中での地位にも影響するようだ。サバンナザルの群れを複数調査したところ、群れのボスはセロトニン量が多く、支配的でない個体と比べるとおよそ 2倍もあった。ボスが自分の社会的地位の高さを認識していることの表れだろう。つまりボスザルは自分に強い自信があるのだ。 セロトニンは人間にも同じような影響を与えているようだ。米国の学生寮に住む大学生を調査したところ、長く寮に住むリーダー的存在の学生は、新顔の学生に比べてセロトニンの量が多かった。ちょっとしたジョークで、教授と研究助手らのセロトニン量も測定してみた(脳を測定するのは難しいので、血中量を測定)。その結果は? もちろん、教授のセロトニン量がいちばん多かった。手薄になる自己検閲 フェイスブックに投稿してしまって、つい多くを語りすぎたと後悔した経験はないだろうか。それはあなただけではない。私たちは SNSを通じて、より多くの人とコミュニケーションを取るだけでなく、より多く自分のことを話している。相手の姿が見えないからだ。複数の研究によって明らかになったのは、対面で話すにはプライベート過ぎると思うようなことまでネット上ではいとも簡単にシェアしてしまう。おそらくこういうことだろう。誰かが目の前にいると、私たちは自分の行動を制限できる。相手の表情や身振りが目に入るからだ。「あれ、なんだか信用していないような表情だな。これ以上言うのはやめておこう」というように。ところがフィードバックをもらえないと自己検閲は機能しない。そのため、実生活では 3人にも言えないようなプライベートなことをフェイスブック上ではやすやすと 300人に語れてしまうのだ。社会的地位は精神の健康のために重要 お山の大将が誰なのかは、サルであっても人間であってもあっという間に変わってしまう。何らかの理由でボスの地位を別のサルに奪われると、ボスだったサルのセロトニン量は凄まじく減り、新しいボスのほうは増えていた。ボスが不在になったあとの権力争いを、セロトニンで操作できることまでわかった。無作為に選ばれた 1匹にセロトニン量を増やす抗うつ剤を与えると、そのサルが突然指揮を執り出し、新しいボスになったのだ。攻撃的になったわけではなく、むしろ攻撃性は減ったくらいだった。身体を使って脅すのではなく、他のサルと同盟を結ぶことで自らの地位を強固なものにしたのだ。 今日では、セロトニンはサルが自分の社会的地位をどう理解するかに影響すると考えられている。同じことが私たち人間についても言えるようだ。セロトニン量のいちばん多いサルがボスになるだけでなく、自分がボスであることや社会的に高い地位にいることを理解して、セロトニン量が増えるのだ。 こんな意地悪な実験もあった。ボスと他のサルの間にガラス壁を設置し、ボスからは他のサルが見えるが、他のサルにはボスが見えないようにした。ボスがジェスチャーで他のサルに命令をしても、他のサルたちは気にも留めない。その結果ボスは苛立ち、自分には支配力がなくなったのかと不安になり、セロトニン量が減った。ボスたる者、そのことを周囲にもわかっておいてほしいのだ。 興味深いことに、ボスの地位を失ったサルはセロトニン量が減ったばかりでなく、行動も変化した。疲れ切ったように茫然とし、うつ状態になった。これはセロトニンの減少と同時に起きたことだ。これが何に因るものなのかは正確にはわかっていないが、考えられる説明はこうだ。セロトニンが減少すると内向的になるが、これはボスの地位を退いたサルが新しいボスの脅威にならないようにする自然の摂理なのかもしれない。社会的に地位の下がったオスは身を引き、姿を隠す。体力が回復したら戻ってこられるように。自然がそうしたメカニズムを作り上げたのだ。 言い換えれば、ストレスの原則と同じようなものだ。長期間強いストレスを受けた脳は、その人の気持ちを落ち込ませる。危険がいっぱいだと解釈した世界から逃げるためだ。自分のいた地位から突き落とされると、脳はそこから逃げ出して地位を奪った相手の脅威にならないようにする。脳は感情を介して私たちをそんなふうに支配するのだ。その結果、精神状態が悪くなり他人と距離を取ることになる。 現実に、精神科医の私が治療してきた何千人ものうつ症状の人にまさしくこのパターンが見られる。これまでの経験から、うつには主に 2種類あると気づいた。職場や人間関係など、長期のストレスに起因するもの。それから、社会的な地位を失ったことに起因するもの。クビになったりパートナーに捨てられたりした場合だ。デジタルな嫉妬 人間と同じで、サバンナザルにもはっきりした上下関係がある。サバンナザルでも人間でも、ヒエラルキーの中で自分の居場所を確立することは必須だ。その居場所が私たちの気分に大きな影響を及ぼす。セロトニンがヒエラルキーにおける位置と幸福感をつなぐ生物学的な橋になるからだ。上の地位から降りることで精神的にやられるのはわかる。だが少し立ち止まって、それがどういう意味を持つのか考えてほしい。他人と競争して負ける、特に地位が下がると、人は不安になり心の健康を損なう。なのに、現代の私たちは競争ばかりしている。スポーツで競う。数学のテスト結果で競う。フェイスブックやインスタグラムを通じても競い合っている。バカンスにいちばん珍しい場所へ旅行した人は誰? いちばん友達が多いのは? バスルームにいちばん高いタイルを貼ったのは? どの「部門」でも、勝つのはいつも自分以外の誰かだ。 だが、人間は今までもずっと競い合ってきたのでは? もちろんそうだ。しかし、今の競技場はほんの 20 ~ 30年前と比べてもまったく別の物になっている。私が子供の頃は、自分を比べる相手はクラスメートくらいだった。憧れの存在といえば、手の届かない怪しげなロックスターくらいで。今の子供や若者は、クラスメートがアップする写真に連続砲撃を受けるだけではない。インスタグラマーが完璧に修正してアップした画像も見せられる。そのせいで、「よい人生とはこうあるべきだ」という基準が手の届かない位置に設定されてしまい、その結果、自分は最下層にいると感じる。 私が育った 80年代よりもっと前に時間を巻き戻すと、比較対象はさらに変わる。人間の祖先も部族内で競い合ってはいたが、ライバルはせいぜい 20 ~ 30人程度だった。それ以外の人は歳を取り過ぎているか若過ぎた。一方で、現在の私たちは何百万人もの相手と張り合っている。何をしても、自分より上手だったり、賢かったり、かっこよかったり、リッチだったり、より成功していたりする人がいる。ヒエラルキーにおける地位が精神状態に影響するなら、この接続された新しい世界──あらゆる次元で常にお互いを比べ合っている世界が、私たちの精神に影響を及ぼすのはおかしなことではない。 SNSを通じて常に周りと比較することが、自信を無くさせているのではないか。まさにそうなのだ。フェイスブックとツイッターのユーザーの 3分の 2が「自分なんかダメだ」と感じている。何をやってもダメだ──だって、自分より賢い人や成功している人がいるという情報を常に差し出されるのだから。特に、見かけは。 10代を含む若者 1500人を対象にした調査では、 7割が「インスタグラムのせいで自分の容姿に対するイメージが悪くなった」と感じている。 20代が対象の別の調査では、半数近くが「 SNSのせいで自分は魅力的ではないと感じるようになった」と答えている。同じことが 10代にも当てはまる。あるアンケートでは、 12 ~ 16歳の回答者の半数近くが「 SNSを利用したあと、自分の容姿に不満を感じる」という。男子に比べ、女子の方がさらに自信が揺らぐようだ。フェイスブックが人生の満足度を下げる SNSから受ける影響を調べようとすると、「どちらが先か」という問題にぶつかる。つまり、ニワトリが先なのか、卵が先なのか。 SNSを熱心に使う人は気分が沈みがちだとして、その原因が SNSにあるのかどうか、どうすればわかるのだろう。悲しい気分の人たちがフェイスブックやインスタグラムに引き寄せられている可能性もあるのだ。研究者が因果律と呼ぶ問題だ。ある調査では、平均年齢約 20歳の若者たちに「今どんな気分?」「今、人生にどのくらい満足している?」「前回からどのくらいフェイスブックを使った?」といった簡単な質問に答えてもらい、この因果律を解こうとした。 質問は 1日に 5回繰り返され、参加者はスマホを使って回答した。それにより、その瞬間の気分やここ数時間でどれくらいフェイスブックを使ったかが明らかになった。その結果は? フェイスブックを使った人ほど、人生に満足できていなかった。珍しいバカンスや高級グルメの写真に集中砲撃されると、短時間でも人生への満足度が下がる可能性があるのだ。この結果は、立証とまでは言えなくても示唆にはなる。論文の著者たちはこのように結論づけている。「フェイスブックは表面的には、人間のソーシャルコンタクトへの本質的な欲求を満たしてくれる貴重な場である。しかし、心の健康を増進するどころか悪化させることを調査結果が示唆している」何にいちばん嫉妬する? フェイスブックを使っているときの気分を 600人に尋ねたところ、大多数がポジティブだと答えた。しかし 3分の 1は、ネガティブな気持ちになったことがあるという。何よりも、嫉妬を感じてしまう。私たちは何に嫉妬するのだろう。新しい車や改装したてのマンション? どちらでもない。嫉妬を感じるのは他人の体験だ。珍しい場所でのバカンス写真は、高価なソファや高速のスポーツカーよりも嫉妬を起こさせる。そして体験は、私たちが普段いちばんシェアしているものだ。 イェール大学の研究者は、 5000人を超える人々の心の健康を 2年にわたって調査し、同じ現象に行き当たった。ある期間に SNSに費やした時間が長かった人ほど、その後の数カ月間、人生に対する満足度が下がっていたのだ。 SNSは様々な方向から私たちに影響を与える フェイスブックを頻繁にやっているが、それでも問題なく元気で、引きこもったり落ち込んだり、嫉妬を感じたりもしていない。そんな人をあなたはきっと何人も知っているはずだ。 SNSに時間を費やすからといって、全員の精神状態が悪くなるわけではない。いくつもの研究が、 SNSのせいで心の健康が損なわれる危険性を示しているが、 SNSのおかげで元気になるという結果が出た研究もある。フェイスブック上の友達が多い人は皆に支えてもらっている、人生の満足感も増したと感じている。さらには自信もついた。いったいどちらを信じればいいのだろう。 ひとつの方法としては、研究を個別に見るのではなく、複数の結果をまとめてみることだ。 70件近くの研究をまとめると、 SNSは精神面に悪い影響を及ぼすが、平均すると影響は小さいということがわかった。しかし、あくまで平均の話だ。 SNSを頻繁に利用することで精神状態が悪化するリスクのある人もいる。神経質で、心配性で、常に不安を抱えている人たちだ。それほどではない人よりも、強く影響を受ける。 なお、精神状態が「悪くなるような使い方」もある。他人の写真を見るだけで、自分は写真をアップしないし議論にも参加しない消極的なユーザーは、積極的なユーザーよりも精神状態が悪くなりやすいようだ。積極的なユーザーは画像をアップするだけでなく、個々のユーザーとコミュニケーションを取っている。それが当たり前だと思うかもしれないが、実はフェイスブック上のアクティビティで積極的なコミュニケーションはわずか 9%だ。たいていは、尽きることのない潮流のような投稿や画像を次から次へと見ているだけなのだ。ほとんどのユーザーは、ソーシャルメディアを社交に利用するのではなく、皆が何をしているかをチェックしたり、個人ブランドを構築するためのプラットフォームとして使っている。 それ以外の場所で他の人からしっかり支えられている人は、 SNSを社交生活をさらに引き立てる手段、友人や知人と連絡を保つための手段として利用している。そうした人たちの多くは、良い影響を受ける。対して、社交生活の代わりに SNSを利用する人たちは、精神状態を悪くする。ある研究では、最初から精神状態が悪く自信もあまりなかった人は、 SNSを使い過ぎることでもっと精神状態が悪くなったり、自信を失ったりする危険性があることがわかった。 SNSが女子に自信を失わせる そんなわけで、自己評価が低く自信がない人は、 SNSのせいで精神状態が悪くなるリスクを抱えている。自分を他人と比較しがちだからだ。基本的には誰だって周りと比べて自信が持てなくなったり不安になったりはする。人生にはそんな時期がある。そう、思春期だ。現在のティーンは SNSに取り憑かれていると言っても過言ではない。 12 ~ 16歳の若者 4000人を対象にしたアンケート調査では、 7人に 1人( 14%)が 1日に最低 6時間を SNSに費やしていた。起きている時間の実に 3分の 1以上だ。 1万人近い 10歳児に 5年間、精神状態、友達や自分の見た目、学校や家族に満足しているかという質問をしたところ、年を経るごとに、全体的な満足感が下がっていった。おかしなことではない。基本的にその年頃は、幼い頃よりも人生がつまらなくなっていくものだ。脳のドーパミンのシステムがその頃に変化するのも一因かもしれない。ここで興味深いのは、特に SNSをよく使う子のほうが満足感が低いことだ。ただ、その傾向は女子にだけ見られ、基本的には女子のほうが SNSを利用している。研究者たちの推測はこうだ。「 SNSというのは常に繫がっていなければならないものだ……彼女たちは常に〝完璧な容姿〟や〝完璧な人生〟の写真を見せられ、自分と他人を比較するのをやめられなくなる」 SNSが、一部のティーンエイジャーや大人の気分を落ち込ませ、孤独を感じさせ、さらには自信まで失わせているという兆候が大いにある。特に、女子がひどく影響を受ける。しかも、その影響はもっと広範囲に及ぶのかもしれない。他人は自己を映す鏡 30年ほど前、イタリアの研究グループが動作によって脳で何が起きるのかを調べるため、サルの群れを観察したことがあった。サルが餌に手を伸ばすと、運動前野の細胞に活性化が認められた。身体運動を計画する脳の領域だ。特筆すべきなのは、他のサルが餌に手を伸ばすのを見ても同じ細胞が活性化したことだ。この細胞はサルだけでなく人間にも備わっていてミラーニューロンと呼ばれる。 ミラーニューロンは他者を模倣することで学習する脳の神経細胞だ。新生児に舌を出して見せると真似をするのは、このミラーニューロンのおかげだと考えられている。ミラーニューロンは動作を習得するときだけに活躍するのではなく、脳の複数の領域に存在する。そのひとつが体性感覚野で、「他人がどう感じているか」を理解する領域だ。ドアに指を挟んだ人の写真を見ると、あなたの脳でも指を挟んだ人の脳と同じような活動が起こる。痛みまでは感じなくても、同じように嫌な気持ちになる。 ミラーニューロンはその人の体性感覚野を刺激することによって、他者の痛みを理解できるようにする。この領域を刺激するのは痛みだけではない。他人の喜びや悲しみ、恐怖もだ。つまり、自分の身体と心の間、そして自分と他者との間にも橋を架けるようなものだ。他人を理解したいという生来の衝動は心の理論( theory of mind)と呼ばれる。他人の頭の中を理解しようとするとき、ミラーニューロンが重要な役割を果たすが、脳がどう働くのかははっきりとはわかっていない。ただ、判断を下すときに脳が大量の情報を集めることはわかっている。相手の発言だけではなく、目の動きや表情、仕草、態度、声の調子、さらにはその人に対する他の人たちの反応などが判断基準になる。脳はたいていの場合、これらの情報を無意識に処理し、相手の考えや感じていること、意図していることを体験理解という形で納品する。 心の理論は、誰かに会ったり、その人を見ただけでも作動する。あなたの脳は絶え間なく他人の気持ちをシミュレーションしようとしているのだ。それはなぜだろうか。おそらく、相手の行動を予測し、対応策を考えるためだ。すでに書いた通り、脳は終始「今、どうすべきか」という問いに答えようとしているのだから。 他人の考えや気持ちを理解しようとする衝動は、おそらく生来のものだ。ミラーニューロンは生まれたときから存在するからだ。しかし、他人の頭の中を理解すること自体は、生まれつきプロというわけにはいかない。それには鍛錬が必要で、トレーニングは早期に始まる。脳の最も発達した部分である前頭葉が成熟する幼児期や 10代に。どんなトレーニングかというと、親兄弟や友達と対面でやりとりすることで、ゆっくりと経験の貯蔵庫を満たしていくのだ。そうやって他人の心境や考えや意図をうまく認識できるようになる。 脳のミラーニューロンを最大限に機能させるためには、他人と実際に会う必要がある。演劇や映画を観ているときのミラーニューロンの活動を計測すると、「 IRL(現実の世界)」で人と会うときほどミラーニューロンが活性化されることはなかった。人と会うのの次に活性化するのは演劇鑑賞だった。映画鑑賞に同じ効果はなく、ミラーニューロンは活性化されるものの、目の前で何かが起きているときほどの強さではない。映画のスクリーンやパソコンのモニターで何かを見ても、他人の考えや気持ちを本能的に理解する生物学的メカニズムに同じだけの影響はないというわけだ。では、 SNSが私たちの共感力を殺すのか? 他人の考えや気持ちを理解すること──つまり共感することは、人間の重要な特質の基盤だ。そこには他人の苦しみを体感することも含まれる。その苦しみが「抽象的」なほど、脳にとっては複雑な作業になる。普通なら、肉体的な苦痛を理解するのは難しくない。誰かが脚を骨折した写真を見ると、痛みを認識する脳の領域がすぐに活性化する。まるで自分がその痛みを経験しているかのようだ。しかし、誰かが精神的に苦しんでいるとき、脳は理解に時間がかかる。うつに苦しんでいる人や離婚で悲しんでいる人の状況に身を置くのは、骨折した脚が痛いという状況よりも脳にとって複雑なのだ。 心の理論の能力は、他人の表情や行動、仕草を繰り返し観察することで得られる。デジタル社会では人と人との接触をチャットやツイートや画像に置き換えてしまったが、そこでは何が起きているのだろうか。独りで閉じこもり、顔の見えないコミュニケーションばかりになり、 1日に 3 ~ 4時間スマホなどの画面を見つめて過ごしていると、何が起きるのだろうか。お互いを理解することが下手になりはしないか? 精神的な辛さに共感するために、脳はひときわ頑張らなければいけない。それなら、今のデジタルライフは、心の理論がまだ未完成の 10代の若者たちの共感力を弱めてしまうのだろうか。 何人もの研究者や知識人がその点を警告している。心理学者のジーン・トゥウェンギーやキース・キャンベルは若者の行動を調査し、「ナルシズムという伝染病」がいかにして SNSの誕生と共に広がったのか、なぜ自分のことばかり気になり、他の人のことはどうでもよくなったのかを論じている。 ただの憶測に聞こえるかもしれない。 SNSによって世界中の人の目にさらされ、視野が広がり、自分以外の人の生活を知ることができるのだから、デジタル社会の今、もっと共感力が強くなってもいいはずでは? もちろん、そういうことも当然あり得る。だが 70件以上の研究をまとめてみると、トゥウェンギー&キャンベルと同じ結論が示される。 1万 4000人に及ぶ大学生を調査したところ、 80年代から共感力が下がっていた。特に 2種類の能力が悪化している。共感的配慮という、辛い状況の人に共感できる能力。それに対人関係における感受性だ。これは別の人間の価値観にのっとり、その人の視点で世の中を見る能力だ。同じ傾向が大学生だけでなく、小学校高学年や中学生にも見られた。私たちは 80年代末よりもナルシストになっているようだ。 この増加傾向は、スマホと SNSの組み合わせが原因なのだろうか。そのせいでティーンエイジャーが自己中心的になり、ステータスや外見に取り憑かれたようになっているのか? そのせいで、ほっといてくれ、他人なんかどうでもいい、となったのだろうか。事故に出くわしたら、救助よりも撮影するために──フェイスブックで「いいね」の数を稼ぐために──スマホを取り出す人がいるのはそのせいだろうか。これらの問いの答えはまだ解明されていない。デジタルライフが共感力を鈍らせ、心の理論能力を弱めていると 100%断言することはできない。だが、まさにそうだと示す兆候がいくつもあり、心配になる。あなたの注目を支配しているのは誰? 今着ている服をなぜ買ったのか、本当のところを考えてみてほしい。素敵だったから? それとも値段がお手頃だった? そもそもあなたはどこかでその服の情報を仕入れたはずだし、他の所有物についても同じことが言える。誰かがあなたにスマホや家具、テレビやパソコンが売られていることを教え、説得して買わせたのだ。 試算によれば、世界の広告業界は毎年 5兆クローナ[訳註:日本円換算で約 60兆円]規模で、それが新聞、テレビ、街頭広告から猛烈なスピードでスマホの中に引っ越してきた。私たちの脳のメカニズムを考えると、ちっとも驚く展開ではない。これまで見てきたように、何かに注目するという行為は、長期記憶を作る第 1段階だ。営利目的のメッセージを理解させるには、そこが重要な基盤になる。欲しいものがあれば、覚えておかなくてはいけないのだから。それに、社会的な情報は生き延びるために重要だから記憶に残る。それはすでに述べた通りだ。 今はそういったことがすべて、デジタル上のマーケティングに利用されている。脳に日々何百というドーパミン増加を与えてくれる小さな機械。あなたの注目がそれに引き付けられるのを、マーケティング担当者は知っている。喉から手が出るほど周りの人の情報を欲しがっていて、脳が新しい情報を取り込む準備は万端だというのも知っている。それに、これから送ろうとするメッセージを、あなたの脳が知ってか知らずかポジティブに捉える──それもわかっての上だ。あなたの SNSに流れる情報の洪水の只中に巧妙に広告を出すことで、目的が達成されるのだ。 営利目的のメッセージを私たちの脳に伝えるスマホの才能は他に類を見ない。私たちの注目を引きつけるだけでなく、いちばん効果的にメッセージが伝わる形でこっそりと届ける。フェイスブックやインスタグラムのタイムラインに実に巧妙に配置されていて、友達の投稿と見分けがつかないような広告を目にしたことがあるだろう。あなたのために特別に誂えた位置に配置されるのだ。あなたの心にいちばん響きやすい状態で目に入るように。フェイスブックでちょうどサッカーの試合の画像を見た人は、スポーツイベントの広告のターゲットにうってつけだ。誰かの休暇の写真に「いいね」をつけた人は、飛行機のチケット予約に興味があるかもしれない。 気を散らす要素の多いこの世界で、あなたの注目には黄金の価値があり、マーケティング担当者にしてみれば、あなたのスマホよりもいい媒体は思いつかない。そしてスマホの中でも、 SNSほどメッセージを伝えるために効果的な方法はない。学生寮のプロジェクトから始まったフェイスブックが 15年で全世界の広告マーケットを掌握した理由はこれだ。あなたの注目を引く戦いに勝利し、宝箱の蓋は開きっぱなしの状態。 2019年のフェイスブックの時価総額は、スウェーデン国内総生産の 5分の 4に相当する額だ。同社の中間報告に合わせて、投資家たちはユーザーがフェイスブックにどのくらいの時間を費やしているのかを精査する。 1分ごとに黄金の価値があり、新たな広告スペースが売れる可能性を運んでくるのだから。フェイスブック社は、ユーザーがなるべく長く滞留するよう全力を尽くす理由があるのだ。デジタル軍拡競争 自動車メーカーは、常に車の性能を向上させ、安全で環境に優しく、そして値段も抑える努力をしなければならない。その流れについていけないメーカーは、遅かれ早かれ経営危機に陥る。一方、フェイスブック他の SNSにとっての最大の財産は、あなたの注目だ。だからそれをうまく引きつけるような製品を作らなくてはならない。でないとそのうち潰れてしまうのは目に見えている。つまりあなたの注目は手堅い通貨のようなもので、デジタル軍拡競争は日々激しさを増している。アプリやスマホ、ゲームや SNSの作り手はメカニズムにさらに磨きをかけ、数々の雑音を潜り抜けてあなたの頭の中に入ってこようとする。私たちの注目を勝ち取るべく、脳のドーパミンのシステムをハッキングするのがますます上手になっている。 スマホのアプリを見てほしい。色鮮やかで、アイコンはシンプルではっきりしている。まるでスロットマシーンのように見えるのは偶然ではない。どの色が目を引くのかを行動学者がじっくりと研究した結果だ。「スナチャ」と呼ばれるスナップチャットはスロットマシーンを真似ていて、新しい画像や通知を見たければ、スクリーンを下に引っ張らなくてはいけない。おまけに更新されるのに 1秒くらいかかる。まさにスロットマシーンのバーを引くときのように。「チェリーが3つ揃いますように!」それでどうなるかというと、不明確な結果に対する脳の偏愛が作動するのだ。 ツイッターにも独自のテクニックがある。スマホでアプリを立ち上げると、青い画面の中で白い鳥が何度か羽ばたいて、スクリーンを埋め尽くすほど大きくなる。それから突然、ツイートがすべて現れる。これはログインに時間がかかるわけでも、接続状態が悪いせいでもない。待たせることでスリルを増加させているのだ。この遅れは、あなたの脳の報酬システムを最大限に煽るよう入念に計算されている。 SNSのプッシュ通知やチャットの着信音がどれも似たような音なのも偶然ではない。友達がチャットを送ってきたと思わせ、社会的な関わりを求める脳の欲求をハッキングしているのだ。実際には、あなたに何かを買わせようとしているのかもしれないのに。 フェイスブック、スナップチャット、ツイッター各社の製品は、あなたが自由にメッセージや画像をシェアし、デジタル承認欲求を満たすプラットフォームそのものではない。「あなたの注目」こそが、彼らの製品なのだ。それを様々な広告主に転売できるよう、メッセージや画像、デジタル承認を使って注目を引く。無料で使えてラッキーと思っていたら、大間違いなのだ。どんな商品が欲しいのか、決めるのは私たち「私たちの注目」がそんなにお金になるなら、将来的には、さらに巧妙に注目を引きつけるようなスマホや SNSが生まれるのだろうか。数年後の私たちは、 7 ~ 8時間画面を見つめ、社会的接触をすべてデジタルに置き換えているのだろうか。それとも電話やタブレット、パソコン、アプリを使いつつも、最新のテクノロジーを健全な形で扱えるようになっているのだろうか。その答えは、私たちの中にある。私たちが望めば、人間の脳にうまく調和したスマホや SNSが登場するだろう。心や身体の調子を悪くしないように iPhoneを買ったりフェイスブックにログインしたりするのをやめれば、アップル社やフェイスブック社は別の製品を開発しようと必死になるはずだ。だが、勝手にそうなると期待するのは甘い。 テクノロジーがどのようにデザインされているかを気にしても無駄だと主張する人々もいる。テクノロジーはテクノロジーなのだから、人間のほうが慣れるしかないのだと。だが、私はそれは間違っていると思う。テクノロジーは、好き嫌いにかかわらず受け入れるしかない天気とは違う。テクノロジーのほうが私たちに対応するべきであって、その逆ではないはずだ。スマホや SNSは、できるだけ人間を依存させるよう巧妙に開発されている。そうではない形に開発されてもよかったわけだし、今からでも遅くはない。もっと違った製品が欲しいと私たちが言えば、手に入るはずなのだ。 スマホに夢中になるあまり、周りで何が起きているのかさえ気づかないような人を街で見かけることがある。「スマホを支配しているのはあの人なのか、それともスマホがあの人を支配しているのか?」そう考えるのは私だけでなく、シリコンバレーの巨人たちも、自社の製品への後悔の念を露わにしている。特に SNS関係でそれが顕著だ。フェイスブックの元副社長のチャマス・パリハピティヤはあるインタビューで、「 SNSが人々に与えた影響を悔いている」と発言した。「私たちが作り出したのは、短絡的なドーパミンを原動力にした、永遠に続くフィードバックのループだ。それが既存の社会機能を壊してしまった」フェイスブックで初代 CEOを務めたショーン・パーカーも、同社が人間の心の脆弱性を利用したと明言している。彼もまた、こう言わずにはいられなかった。「子供の脳への影響は神のみぞ知る」「自分たち vsあいつら」の血塗られた歴史 本書の冒頭にも書いたように、人間の祖先は危険な世界に暮らしていた。飢餓や感染症、事故、猛獣に襲われるのが当たり前で、 10歳になる前に半数が亡くなった。その中でも最も恐ろしい脅威は、ライオンでも伝染病でも飢餓でもなく、他の人間だった。いや本当に、私たちは同じ人間に対して非常に残忍だったのだ。発見される人骨の驚くほど多くに、頭蓋骨の左側に損傷がある。右利きの人間に頭を殴られたのだろう。 狩猟採集民のうち 10 ~ 15%が、別の人間に殺されていたと言われている。原始的な農業社会になってからはさらに悪化し、 5人に 1人だ。おそらく、言い争いの種が増えたのだろう。それらは仲間内での殺人統計だが、異なる部族間となると数字はもっと高くなるはずだ。自分の部族を出て別のホモ・サピエンスを探しに出かけた人は、死に向かっていたようなものだ。この悲惨な数字が現代社会とどう関係あるのか。実は関係がある。これらの数字は人間のもっとも重要な社交的衝動から生まれたのだから。つまり、人間を「自分たち」と「あいつら」に分類することだ。知らない相手に対する不安、特に、見た目が異なる人に対して不安が湧くのだ。恐怖を作動させる扁桃体は、見覚えのない人に対してすぐに反応する。 7万年前、東アフリカには人類が 10 ~ 20万人暮らしていた。そのわずか一部、おそらく 3000人にも満たない人々がアフリカ大陸を離れた。今なら一軒のショッピングセンターに入れるような人数が、現在アフリカ以外の大陸で暮らす人間の祖先なのだ。私たちの起源がこれほど小さな集団なら、遺伝子的に似ているということになる。そのとおり。人類はほぼすべての他種より同質で、 2人の人間を比べてみると遺伝物質の 99・ 9%が一致する。それでも私たちの見た目はこんなに違うのだ。 実際のところ、見た目の違いは何よりも気候への適応に起因している。肌の色は、例えばどのくらいの量の紫外線にさらされたかによる。色の薄い肌は、ビタミン Dを効果的に取り入れるのに長けている。スウェーデンのように太陽光の少ない地域では、ビタミン Dを生成するために肌が薄い色に進化した。寒さへの耐性にも遺伝子的な違いがある。アジア系の脂肪のついたまぶたは、祖先がモンゴルで極寒の中に暮らしていた時期の遺産だと考えられている。 世界各地の人間たちの小さな遺伝的差異は極めて皮相なもので、暮らしている環境に適応した結果だ。一皮むけば、私たちは驚くほど同じなのだ。ただ、人間に内蔵された「異なるものへの恐怖」は、この見かけの違いを大いに利用してきた。扁桃体は危険を感じると、気をつけないよりは気をつけすぎる方がまし、つまり「火災報知器の原則」の信号を送り、知らない人、特に見た目が異なる人に会うと「気をつけろ」と伝えてくる。 他人に対して偏見をもっているかと訊かれたら、私は即座に「ない」と答えるだろう。だが多くの人々と同じく、私も自分が思うより偏見を持っている。脳は相手が目に入ると、まだ認識もしないうちに結論を下す。私は決して、過激な右翼に追随して人種差別をしろと言っているわけではない。しかし人間に内蔵されたこのメカニズムを知っておくことは大事だ。過ぎ去った時代の名残りが、無意識のレベルで私たちに影響を与えかねないからだ。異なるもの、つまり「あいつら」への恐怖は、血に染まった人類の歴史を考えると理にかなっているが、現代社会にはまったくマッチしない。フェイクニュースが広まるメカニズム インターネット上では、人を「自分たち」か「あいつら」かに分類しようとする強い衝動が、やはりこれも人間に内蔵された災害や危険への恐怖と同じように明らかな効果を発揮する。今は新聞やテレビよりもフェイスブックでニュースを読んでいる人の方が多いが、そこには決定的な違いがある。新聞やテレビのニュース編集局は、どのニュースを報じるかを選択し、それが面白いかどうかだけでなく、真実かどうかも精査する。一方、フェイスブックのタイムラインに流れてくるニュースは、コンピューターのアルゴリズムが選んだものだ。つまり、拡散される記事に書かれていることが真実かどうか、そこに責任を持つ編集局はフェイスブックには存在しない。私たちが「興味を持つだろう」とアルゴリズムが思ったニュース、つまり友人たちが読み、拡散したニュースが目に入ることになる。内容が正確かどうかはまったく関係ないのだ。 人間の歴史のほぼ全期間、人口の 1 ~ 2割が他の人間に殺されてきた結果、私たちは紛争や脅威のニュースに格段の関心を持つようになった。それが生死にかかわる情報だからだ。フェイスブックのアルゴリズムはニュースの選定がいい加減で、私たちが読んで拡散するかどうかだけで決まる。ということは、紛争や脅威に関連したニュースがとりわけ速いスピードで拡散される可能性がある。極端に明るいニュースについても同じだ。それが真っ赤な噓で固められた内容だとしても。 まさしくそうなのだ。 SNS上で拡散された 10万件以上のニュースを調査したところ、フェイクニュースのほうが多く拡散されていただけでなく、拡散速度も速いことがわかった。一方で正確なニュースは、フェイクニュースと同程度に拡散されるまで 6倍の時間がかかっていた。その理由は、フェイクニュースのほうがセンセーショナルだからだろう。真実に忠実である必要はないのだ。読まれるからアルゴリズムに優先され、タイムラインのいちばん上に出てくる。しかも人間にはフェイクニュースを拡散する傾向があるから、アルゴリズムのせいだけではない。アルゴリズムがまずそのニュースを私たちにしっかり届け、その後は私たち自身が友人にそれを転送しているのだ。それに、読む人が多ければ多いほど真実に見えてくる。 人類史上最大のニュース発信源フェイスブックは、拡散される内容の信憑性に編集責任を取っていないという批判を受けている。人間に備わった恐怖や争いへの興味を食い物にして、私たちの注目を引きつけている。すべては広告を売るためだ。こんな指摘をする人もいる。 SNS上のフェイクニュースは軍事紛争を煽っているし、民主主義を揺るがしている。いやそれどころか、すでに決定的な影響を与えてしまってもいると。そろそろデジタル・デトックスを SNSがストレスを与え、嫉妬させ、フェイクニュースを拡散しているわけだから、「フェイスブックする」時間を減らすのはいい考えだ。米国で 150人近くの大学生に精神状態についての質問に答えてもらったところ、予想通り結果が二分した。元気な人と軽いうつ状態の人だ。学生たちは無作為に2つのグループに分けられ、片方のグループは SNSを普段通り使い続けた。もう片方はフェイスブック、インスタグラム、スナップチャットを 1日最大 30分、 1サービスにつき 10分までと制限した。 3週間後、利用を 30分に減らしたグループは精神状態が改善していた。調査開始時にうつ症状のあった人たちは、以前ほど気分の落ち込みや孤独を感じなくなっていた。つまり、 SNSが私たちをうつにする可能性があるのだ。うつの人が SNSをよく使う、というわけではなくて。またこの研究のポイントは、被験者たちが SNSを完全にオフにしたわけではなく、時間を制限しただけで調子が良くなったことだ。悪影響を受けないようにするには時間をどのくらい制限すればいいのか、それは正確にはわからない。研究では無作為に 30分と指定されただけだ。 減らすだけでなく、一時的に止めたり、完全に止められるなら、もっとよい効果を得られるだろうと思う。デンマークの実験では、 1000人近くが丸 1週間それを試してみている。その結果、人生に満足を感じ、ストレスが減り、自分の周りの人たちと「顔を合わせる」時間が増えたという。この実験は、 SNSから受ける影響は人によって違うということも示した。フェイスブックで嫉妬を感じていた人たちへの影響がとりわけ顕著だった。とはいえ、コメントもせず他人の投稿を読んでいただけの消極的なユーザーにも効果は現れた。この章を読んだ後なら、その結果に驚きはしないだろう。第 7章 バカになっていく子供たち

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