構造主義

この本の題を、『はじめての構造主義』といいます。「はじめての」と断わるからには、「構造主義」なんて聞いたことない、一体それなあに?という人にも、わかってもらわないといけません。そこで、ちょっと進んだ高校生、いや、かなりおませな中学生の皆さんにも読んでいただけるように、書いてみました。たとえば、難しすぎる用語をいきなり使ったりしないよう、注意しました。予備知識も特に必要ありません。もちろん、構造主義のことなら大昔から聞いているという、年季の入った読書家の方にも、満足いただけるんじゃないかと思います。 構造主義は、ここ二十年ほど、現代思想を語るキーワードみたいになっています。この本は、小さな本ですが、構造主義のいちばん大切なところがわかるように、心をこめて書きました。ですから、おしまいまでお読みくだされば、構造主義とは何なのか、かなりすっきりした見通しが得られるはずです。 * ところで最近では、「ポスト構造主義」というのが主流です。「ポスト」とは「それ以後」といういみですから、構造主義なんかにいまごろまだひっかかってるようでは、〝遅れてる〟もいいところでしょう。だいいちポスト構造主義でさえ、もうけっこう〝古い〟わけです。新思想がめまぐるしく登場しては、つぎつぎ忘れられていく。構造主義もそんなふうにして、ほこりをかぶっています。 そんなことでよいのだろうか。構造主義のこともろくろく消化しないうちに、ポスト構造主義の本を読んで何がわかるでしょうか? ここはひとつ、あせらないで、じっくりいちから基本的な知識を身につける。そのうえで、ねばりづよく時代を考えていく。そんなやり方がほんものだと思います。 そうは言っても、この本一冊で、構造主義の何から何まで論ずるのは、無理というものです。そこで、いろいろ思案のすえ、レヴィ ストロースというひとりの学者を、大きくとりあげることにしました。レヴィ ストロースは、知るひとぞ知る、構造主義の産みの親とも言えるひとです。この人物を理解すれば、構造主義の半分以上を押さえたことになるでしょう。それから、構造主義を思いついた彼のアイデアのもとをたどると、どうも遠近法と数学にいきつくらしい、という話をしてみました。このふたつが、この本の柱です。そして、構造主義を理解する急所になると思います。そのほかの話題については、ごく簡単に触れてあります。 * というわけで、「構造主義なんでも百科」にこそなりませんでしたが、これ一冊でまず構造主義のなんたるかを知るのには、まことにうってつけの本になった(かな?)と自負しています。この本で構造主義が気に入ったひとは、ぜひほかの構造主義の本も読んでください。気に入らなかったひとは、ポスト構造主義の本を読んで、構造主義のだめなところがどう乗り越えられたか、確かめて下さい。 いずれにしても、構造主義は、とても魅力ある考え方です。現代を読むカギ、二十一世紀を読むカギがここにあります。そのカギを手に入れて、未来のとびらを開いてください。目 次はしがき第一章 「構造主義」とはなにか 構造主義がやってきた/ブームの火付け役/マルクス主義と実存主義/サルトルとの論争/構造主義は「反人間主義」なのか?/構造主義の方法/現代思想は構造主義に始まる/「構造」って、わかりにくい/構造主義の核心に迫る第二章 レヴィ ストロース:構造主義の旗揚げ! 『悲しき熱帯』の衝撃/レヴィ ストロースの修行時代/アメリカ亡命時代/天才ソシュール/記号としての言語/シニフィアン/シニフィエ/レヴィ ストロースのひらめき/音韻論の発展/音素をみつけだす/恣意性の原理/母音三角形と子音三角形/レヴィ ストロースの悩み/機能主義の人類学/機能主義の弱点/人類学の原点にかえる/インセスト・タブーの謎/イトコにもいろいろある/親族呼称の不思議/謎の婚姻クラス/親族の基本構造/クラ交換/贈り物としての女性/女性の価値/限定交換/一般交換/難問もつぎつぎ解決/コミュニケーションの一般理論/交換することが生きること/構造人類学の成功/神話研究と〈構造〉/「構造」か〈構造〉か/神話研究の行き詰まり/神話学の手順/神話学は客観的な方法か/神話学と、テキストの解体第三章 構造主義のルーツ 構造主義のルーツは数学/真理から制度へ/証明という制度の発見/平行線公理/幾何学と論理学/デカルトからニュートンへ/理性の時代/カントの批判哲学/非ユークリッド幾何学の登場/公理主義から形式主義へ/物理学の革命/真理の相対主義/遠近法にさかのぼる/遠近法のウソ/ヨーロッパ社会と絵画/遠近法と「視る主体」/遠近法の合理性/平行線が交わる?/射影変換と図形の群/変換群と〈構造〉/同型写像と代数構造/ブルバキ派と現代数学/レヴィ ストロースとのつながり/オーストラリアの代数学者/ふたたび、神話の〈構造〉とは何か/置換群としての神話/神話学へのいちゃもん/主体が消える第四章 構造主義に関わる人びと:ブックガイド風に ほんのスケッチ・人物篇 ミシェル・フーコー/ルイ・アルチュセール/ロラン・バルト/ジャック・ラカン/ジュリア・クリステヴァ/ジャック・デリダ ほんとにブックガイド 言語学関係/人類学関係/レヴィ ストロースの主な本・書いた順に/構造主義に関連して/数学と遠近法について/日本人による仕事の一例としては/ポスト構造主義に入門するのなら第五章 結び 構造主義は時代遅れか/ポスト構造主義は新しいか/ポストモダンの大流行り/モダニズムがんばれ/これからどうする・傾向と対策構造主義がやってきた もうかれこれ、二十年ほども前の話。 私が大学の門をくぐったころ、ちょうどわが国に、構造主義ブームが吹き荒れているまっ最中だった。クラスにも、同じ新入生のくせに、もういっぱしの学者みたいに詳しいのがいて、「アルチュセールのことなんか、君どう思う?」と聞いてきたりする。「?……」私には、何のことやらさっぱりわからない。 その場はごまかして、あとで別の友達にきいてみると、この「アルチュセール」(舌を嚙みそうだ)というのは、なんでも、フランスでいま話題の「構造主義」の思想家なんだという。構造主義! そうか、そんなのがあるのか。で、注意してみると、確かに雑誌にちょくちょく出ているわけね、構造主義の記事が。(当時はまだ、構造主義を紹介する単行本など、ほとんど出ていませんでした。)その構造主義とやらの旗頭が、レヴィ ストロースという学者らしい、ということもわかった。レヴィ ストロース!? ……こいつはぜひ、読まなければならないゾ。 そんなことを考えながら、ある日ぶらぶら、渋谷の道玄坂を歩いてきますと──なんと、私の知らぬまに、はやばやとでっかい広告の看板まで出ているではないか。「 LEVI STRAUSS」こりゃ不思議だ。どうしてこんなところに、レヴィ ストロースの広告がでているんだろ。そうか、ボクの知らないうちに、世の中は意外に進んでいるのかもしれないな。 だがなんのことはない、じつはジーンズの広告を、構造主義の宣伝かと早とちりしただけでした。 * そのころも今といっしょで、現代思想といえば、フランスから直輸入と相場が決まっていた。構造主義が流行るまでのあいだも、戦後ずっと、実存主義が流行りで、サルトルなどが実によく読まれていた。そのフランスで、実存主義のなお先をゆく構造主義が現れたと聞けば、わが国の新しもの好きの連中がとびつかないはずはない。 ところが、とびついてはみたものの、どうもおかしい。構造主義は、そう簡単に消化できるしろものじゃなかった。哲学ばかりでなく、どちらかといえばこれまであんまり関係ないとされてた、いろんな分野と関連している。人類学、ソシュールの言語学、記号論、はては数学やら精神分析やら……。このへんを読みこなしていないと、もうひとつぴんとこない。それに構造主義は、これまでの哲学と違って、感情移入がしにくい。マルクス主義ならマルクス、実存主義ならサルトル。血も涙もある感じで、知識人のお手本にみたてて共感するのにちょうどよかったが、こんどは勝手がちがう。レヴィ ストロースといっても、写真を見るからにどこか爬虫類みたいなおじさんで、何を考えているのかさっぱりわからない。おまけに、人類学にしろ記号論にしろ、構造主義を理解する基礎知識が、当時の日本ではまだまだ貧弱で底が浅かったから、ブームといっても中途半端だったのは無理がない。 本家のフランスで構造主義がブームになったのは、実はこれよりずっと前で、一九五〇年代の後半のことだった。そのころ日本でどう紹介されたものやら、私は知るよしもないが、おそらくギャップがありすぎて、ほとんどチンプンカンプンだったんじゃないだろうか。それが一九六〇年代も末になれば、マルクス主義の行き詰まりなどもだんだん明らかになって、そろそろ構造主義を受け入れる土壌が整いつつあったわけである。ブームの火付け役 では、構造主義とはいつごろ、誰が言いはじめたものなんだろう。 それは、さっき名前の出た、クロード・レヴィ ストロースということになっている。この人は、フランスの人類学者だが、一九五五年に出版した『悲しき熱帯』というエッセーが評判となって、一躍有名人となった。続けて『構造人類学』という本なども続々出て、構造主義は彼の名とともに、世界中に紹介されていく。 レヴィ ストロース以外にも、ラカン、フーコー、アルチュセールといった人びとがいる。彼らは、レヴィ ストロースと相前後して現れたので、構造主義の四天王とも言われるが、決して一枚岩というわけでない。また、ラカンは精神分析、フーコーは歴史学、アルチュセールはマルクス主義・哲学というように、専門もまちまちである。「構造主義者」と呼ばれて迷惑顔のひともいる。それでも人びとは、彼らを「構造主義」と一括する。あとでみるように、根本のところで共通している、と言えるからだ。 もうひとつ、レヴィ ストロースがサルトルと派手に論争したことも、構造主義をいっぺんに有名にするのに一役買っている。サルトルはもともとレヴィ ストロースと旧知の間柄で、はじめ大いに彼を後押ししていた。ところがそのうち、二人の世界観(ことに歴史に対する考え方)の違いが表面化してきて、論争になってしまう。論争を通じて、構造主義がどんな考え方なのか、人びとによくわかるようになったのはよかったが、二人の関係がなんとなく気まずくなってしまったのはちょっと残念なことだった。マルクス主義と実存主義 サルトルとレヴィ ストロースのあいだに亀裂が生じたのは、どうしてか? 彼らをとりまく思想の流れをたどり直してみると、この二人の対立は避けることのできないものだった、と思えてくる。対立の原因は、複雑でむずかしい問題だろうが、その背景として、どうしてもマルクス主義のことを考えておかないといけない。 マルクス主義は、二十世紀を通じて、最大の影響力をもった思想だ、と言っていいだろう。フランスでも、ドイツでもロシアでも日本でも、マルクス主義の勢力は大変に大きい(大きかった)のだ。最近の若い皆さんは、「マルクス主義」と聞くと、どうしても赤軍や過激派が頭に浮かんでしまって、自分たちには縁がないやと考えがちだが、ところがどうして。信じられないかもしれないけれども、ほんの最近まで、大学で石を投げれば二回に一回はマルクス主義者(といかなくてもそのシンパ =実際の活動はしないが、思想に共鳴している人)に当たる、と言われたものだ。そうでなければ、「 60年安保」みたいな大衆運動が起こるはずもないわけでね。 ところが、戦後しばらくすると、さしものマルクス主義にもだんだんかげりがみえてきた。そして、ちょうどそれと入れ替わりに、構造主義の潮流が人びとの関心を集めはじめた。日本でも、フランスに遅れること十年、だいたい一九七〇年ごろから、マルクス主義の影響力が急速に低下していく。その穴埋め?に人びとが求めたのは、ひとつは、構造主義・記号論の流れ、もうひとつは、エコロジーの流れである。──かなり荒っぽく言うと、こう整理できるかもしれない。サルトルとレヴィ ストロースのあいだの論争は、こうして思想が交替していく前ぶれのようなものだった。 * サルトルの実存主義が人びとにアッピールしたのは、われわれひとりひとりが歴史に関わる意味を、教えてくれたからだと思う。 マルクス主義によれば、人間社会は歴史法則によって支配されている。この法則は、絶対的(科学的真理)だから、動かすことができない。たとえば、資本主義社会がやがていきづまって解体し、社会主義・共産主義社会に道を譲ることは、もう決まっていて、いくら資本家がじたばた騒いでも、どうにもならない。この歴史の道筋をしっかり認識するのが、マルクス主義の基本である。 これは、裏を返すと、こういうことになりかねない。革命が起こって人びとが解放されることは、歴史が約束してくれている。それなら、なにもわざわざ危険な革命運動に身を投ずるまでもない。下手をして命をなくせば、元も子もないではないか。(マルクス主義は唯物論だから、革命の犠牲となっても霊魂だけは救われるぞよ、というような発想がないのだ。)それくらいなら、革命を寝て待っているほうがなんぼかましだ──。 いくらなんでもマルクス主義者に、こんな横着なのはいないだろうが、それでもこの考えを、あながち否定できないのが痛いところだ。実際、革命運動の中心となるのは、大衆よりも一段意識の高いプロレタリア(つまり、エリート)ということになる。思想や革命的規律でがちがちに武装していないと、とてもじゃないが、命がけの革命などやっていられない。 マルクス主義は、ユダヤ教と同じで、社会全体が一度に救済されることを目指すので、ひとりひとりの運命など知ったことでない部分がある。ところが、ヨーロッパ世界の人びとは、キリスト教を通過しているので、ひとりひとりの人格や個性や自由に大きな価値を置く。そこで、マルクス主義の言うことはもっともだけれども、そこでこの私の生きる意味はどうなるんだろう、という感想をもつ。 サルトルの実存主義は、これにこう答える。彼は言う、われわれ人間の存在なんて、もともと理由のないこと(不条理)だったはずだ。どうせ理由がない(つまり、無駄死にする)のなら、いっそ、歴史に身を投ずることに賭けてみようではないか。そのほうが、はるかに値打ちのある生だと言えるはずだ、と。 サルトルは、人間存在を、サイコロのようにこの世界に投げ出されたものとみた(被投性)。そして、それを悟れば、自分を歴史のなかに投げ入れること(参加)ができる、とした。この考えは、倫理的で、魅力的でもあるけれど、その前提として、(マルクス主義の主張するような)歴史の存在を信じなけれはならない。 ところがこの点に対して、構造主義ははっきりノーと言ったのだ。構造主義と言ってもいろいろあるので、しばらくレヴィ ストロースに話を限るが、彼の議論を煮つめていくと、マルクス主義の言うような歴史など、錯覚(ヨーロッパ人の偏見)にすぎないことになる。サルトルにしてみれば、とんでもない主張だ。これで論争にならなかったら、どうかしているだろう。サルトルとの論争 サルトルはコチンコチンの石頭のマルクス主義者ではなかったが、マルクス主義がすぐれて「現代的な思想」である、として譲らなかった。「現代的」とは、資本主義社会の矛盾を鋭くとらえていて、われわれの社会を考えていく場合の指針になる、といういみである。 こんなサルトルにしてみれば、歴史を否定する構造主義など、ニヒリズムの思想にみえる。そういう傾向に、断固反対しないといけない。だいいち、歴史というつっかえ棒をなくしてしまうと、実存主義そのものがニヒリズムに陥る結果になるのだ。 いっぽうレヴィ ストロースにしてみれば、マルクス主義かさもなければニヒリズム、という発想がそもそも不毛に映る。構造主義は、人間や社会のあり方を、歴史(と言って悪ければ、西欧思想の色めがね)抜きに直視する方法を発見した。と、少なくともレヴィ ストロースは信じて、自信満々の様子である。 レヴィ ストロースの思想は、ヨーロッパ世界がマルクス主義(特にその歴史の考え方)の影響を脱するときに、現れるべくして現れたものだった。日本で構造主義や、ポスト構造主義が演じた役回りも、これとよく似ていたと言えるだろう。 さて、論争というのはたいていの場合、誤解・すれちがい・水かけ論に終始して、なかなか決着がついたとは見えないものである。 マルクス主義の言う歴史なんてほんとにあるの?というレヴィ ストロースの疑問は、サルトルの痛い点をついていたはずだ。いっぽう、レヴィ ストロースは論理一貫していて、あんまりこたえたふうにみえない。ひいき目かもしれないが、この論争はレヴィ ストロースに分があるように思う。そのかわり、〝構造主義は「反人間主義」だ〟などという、とかくの評判がたつようになった。このレッテルは、構造主義をよく理解したくない人や、これまでの考えを捨てきれない人によほど気に入ったとみえ、日本で構造主義が紹介された際にも、ずっとついて回っていたものである。構造主義は「反人間主義」なのか?「構造主義 structuralism」という奇妙な名前のせいもあって、どうも構造主義のイメージはかんばしくない。かくいう私も、はじめのうちは俗説にすっかり惑わされ、喰わず嫌いを続けていた。ようやく大学卒業間際に、レヴィ ストロースの『構造人類学』を(まだ邦訳がなかったので英訳で)読んでみて、なあんだ、こんなに面白いものだったのかと、目から鱗が落ちる思いをしたものである。 いまではそんなこと信じている人は誰もいないと思うけれど、そのころは、みんなが言ってるのだから間違いあるまいと、構造主義はすっかり反人間主義ということになっていた。それに用語法も独特で、たとえば「冷たい社会」(後述)などと言うものだから、よく知らない人は、冷酷な主張だという印象をもってしまう。また、人間社会には自覚できない無意識の「構造」があって、時間が経過しても不変である、などときくと、なんて保守的な思想なんだろうと、つい反撥が先に立つことになる。人間のあたたかみや主体性を考慮せず、万事を機械的に割り切っていく──最初はそんなイメージがおおかたのところだった。 いまの私の理解は、その正反対。人間主義か非人間主義かということなら、構造主義くらい人間に理解を示した思想は、これまでにないんじゃないか。これぞ人間主義の究極のかたち、と言わなければ噓だ。「人間主義」という言葉にそれほどこだわる必要もないのだが、いちおう解説してみよう。それは、人びとが互いに対等な人間と認めあって、人類共同体を構成し、そのメンバーにふさわしく協力しあいましょう、という思想のはず。だとすれば、まずなにより、異なる集団、異なる社会、異なる文化に属する人びと同士でも、相手を自分たちと区別せずに対等な人間と認めることのできる、能力をもつことが前提になる。この能力なしに、ほんとうの人間主義は成り立ちようがない。 構造主義こそ、人類学や言語学の方法を用いて、この能力を最大限に拡げようとしたものだ、と言えるだろう。構造主義は、歴史を否定するついでに、西欧的ないみでの「主体」や「人間」を否定するので、反人間主義ときめつけられることが多かった。しかしそれは、否定のための否定でない。むしろ、西欧を中心としてものをみるのをやめ、近代ヨーロッパ文明を人類文化全体の拡がりのなかに謙虚に位置づけなおそう、という試みだ。ここ何百年かの間、人類文化に対して好き勝手な乱暴狼藉をはたらいてきたヨーロッパ文明。そのなかに、それを深く反省して、人類と和解しようという思想が現れたのである。 ……と考えられるかどうかは、この本を読み了えてから、読者のみなさんに判断していただくのがよい、と思います。構造主義の方法 というわけで、構造主義は、比較方法論によっている。 構造主義が、人類学や言語学に縁が深いのも、このためである。人類学は、いろいろの社会・文化を比較するものだ。また、言語学も、さまざまな言語を比較するものだ。これらの学問は、比較のための綿密な方法をそなえている。構造主義がここから出発したのも、当然といえよう。 比較方法論によるからこそ、構造主義は、資本主義社会や西欧近代の常識の外に出ることができる。マルクス主義をはじめとする、十九世紀以来のさまざまな思想が暗黙のうちに従っていた歴史感覚の、外に出ることができる。西欧近代は、知らずしらずのうちに、東洋やいわゆる「未開」の社会を、劣ったもの、自分たちより遅れたものと見なしてきた。それがどんなに根拠のないことか、はっきり示せるのが構造主義である。構造主義は、どんな「未開」の社会だろうと、われわれの社会に劣らない豊かな精神世界をそなえていることを、教えてくれた。「未開」の人びとは、決して「迷信深い」わけでも、「原始的」なわけでもない。正しく「解読」すれば、立派に理性的な思考にのっとっていることがわかる──。 人間の人間らしいあり方は、これまで西欧近代が考えてきたより、もっとずっと広いのだ。いままで片隅に追いやられ、正当な光の当たらなかったところにも、いくらも人間的な文化のしるしを見つけだすことができるのだ。こう、構造主義は主張する。そして、そのことを通じて、西欧近代が特権的な中心でなければ気がすまないという偏見を、打ち砕いてゆく。 構造主義は、西欧近代の腹のなかから生まれながら、西欧近代を喰い破る、相対化の思想である。現代思想は構造主義に始まる 構造主義の登場によって、十九世紀的なものの見方に、ようやくピリオドがうたれる。 十九世紀的なものの見方によれば、社会とは、単純で原始的でどうしようもない段階から、だんだんに、複雑で機能的な段階、つまり近代に向かって、進歩・発展してゆくものだった。たとえば十九世紀後半に、コント、スペンサー、テンニースといった初期の社会学者の唱えた議論は、どれもこういう図式によっていた。マルクス主義は、それよりずっと手のこんだ、ちゃんとした議論だったが、社会をどうみるか、その大枠はやはりこの図式によっている。 マルクス主義は、さっきものべたように、今世紀に入ってからのほうが大きな影響力のあった思想で、ずっと、知識人の世界観(ものの見方)の規準(のひとつ)になっていた。そんなマルクス主義を含め、一般に十九世紀的なものの見方によって、現代社会はもう捉えきれなくなっていること──構造主義の出現は、その象徴だったともいえる。 このいみで、構造主義が現れて以来の思想を、「現代思想」とよぶのがいいだろう。 構造主義より後に、いわゆるポスト構造主義が、いろいろ登場した。これらの思想も、いったんは構造主義に内在し、構造主義を通過したものばかりである。また、しばらく前に注目を集めた記号論も、構造主義と深いつながりをもっている。構造主義を抜きにして、現代思想を語ることはできない。 構造主義はいちおう、レヴィ ストロースが生みの親ということになっているが、もちろん、ある日突然彼が思いついたわけではない。その前に、何人もの先行者がいる。なかでも私が重要と思うのは、つぎのふたりである。まず、スイスの言語学者で、今世紀の初頭に独創的な仕事をしたフェルディナン・ド・ソシュール。ソシュールやその後継者たちの仕事は、直接・間接に、ずいぶんレヴィ ストロースの養分になった。もうひとりは、フランスの人類学者で、デュルケーム学派のマルセル・モース。彼のユニークな仕事は、構造主義のアイデアの有力な源泉といわれる。そのほかにもいろいろな知的潮流を、レヴィ ストロースは、彼一流の仕方で貪欲に吸収し、独自の思想にまとめあげた。「構造」って、わかりにくい このように、現代思想を解くカギ、現代社会を理解するかなめが構造主義である。……のはいいが、じゃ、いったい「構造」とはなんなのか。 この質問は、誰でも当然抱く疑問だけれども、なかなか答えがみつからない。構造主義の解説書など見ても、要領を得ないのがふつうだ。あちこちでいっぱしに構造主義を論じているひとでさえ、案外わかっていないふしもある。〝構造とは何か、よくわからないところがありがたい〟というひとまでいたりして。それでは「信心」と変わりない。 最近はやりのポスト構造主義は、構造主義とひと味違うことを売り物にしている。構造主義なんかもうだめだ、というわけである。それはかまわないが、「構造」とは何で、いったいどこがどうだめなのか、はっきりしてほしい。その辺があいまいで、なんとなくムードで構造主義離れをあおっているだけでは困りものだ。 しかし責任は、構造主義の側にもあるだろう。レヴィ ストロースの書いているものを繰りかえし読んでも、どうもピンとこない。比喩的で、はっきり説明してくれないのだ。こういうことだから、「構造」がわかりにくいというのは、通り相場になっている。「構造」とは何なのか? これには、諸説ある。 まず、マルクス主義にいう「上部構造」(物質的・経済的活動に支えられている、観念やイデオロギー)みたいなものではないか、というもの。これはまあ、見当はずれだろう。 つぎに、無意識と関係あるらしい、というので、フロイトの「潜在意識」みたいなものではないか、というもの。多少の関係はありそうだが、でもだいぶ違うようだ。 さらに、デュルケーム学派の影響を受けたということで、社会学者デュルケームのいう「集合表象」(個々人ではなく、社会集団が抱いているとされるイメージ)の一種ではないか、というもの。これは案外、正解に近そうだが、集合表象という概念が、構造に輪をかけてわかりにくいので、一応パスしておこう。 そのほかにも、世の中に「構造」という術語を使う社会思想は数多いのだが、ちょうどぴったりというものはない。構造主義にいう「構造」は、どうもこれまでと違っている。これまでのつもりで「構造」とはなんだろうかと考えていっても、考えれば考えるほどわからなくなる。 * なぜだろう? 私の思うに、「構造」をどこかにある実体みたいに考えてしまうから、わかるものもわからなくなってしまうんじゃないか。名前にごまかされてはいけない。「構造」といっても、骨組みやなんかでなく、もっと抽象的なもののことである。そして、たぶん、現代数学にいう〈構造〉の概念と、いちばん似てるようだ。(数学嫌いのひとも、びっくりしないこと。数式など出さずに、ちゃんと説明します。)「構造」がなんだかわからなかったら、構造主義の入門書と言えない。そこでこの本では、目一杯がんばって、構造主義のルーツをさぐってみた(第三章)。ここを読むと、構造主義の裏の裏まで、よくわかる仕掛けになっている。構造主義の核心に迫る さあ、前置きはこれくらいにして、本題に入らないといけない。ここまでの話を、まとめておこう。 構造主義のなんたるかをしっかり摑むには、構造主義のいろんな仕事のうわっ面を眺めてるだけじゃ、だめ。たとえば、レヴィ ストロースは人類学者として、ブラジル奥地の「未開」民族などを研究したわけだが、大切なのはそこでの方法である。どういう前提に立ち、どういう仮説にもとづいて、仕事を進めたか。そこをよく見ないといけない。彼の研究方法をとりだしてみれば、他の分野でも方法はおんなじだとわかるはずである。 * そこで、構造主義の核心に迫るため、私はこの本で、ふたつのステップを用意した。 第一のステップは、構造主義の産みの親、レヴィ ストロースの歩みをたどって、彼が構造主義のアイデアに到達するまでを、追ってみること。彼の半生や、彼の専門である人類学についても、ざっと紹介してある。 私が強調したいのは、彼の思索や体験には、同時代の問題がじつに凝縮されたかたちであらわれている、ということ。構造主義者としての彼の半生は、そのまま、同時代の問題史になっている。そこで私は、彼が直面した問題、解決を迫られた問題を、筋道たててたどれるように注意した。こうすれば、どのようないきさつでレヴィ ストロースが構造人類学を樹立し、構造主義の旗頭と目されるようになったか、摑めるはずである(以上、第二章)。 第二のステップは、レヴィ ストロースの構造主義に至る、思想上の系譜をたどってみること。 私の思うに、構造主義の源泉を、ソシュールを通り越してもっと先までたどると、近世初頭の「遠近法」に行き当たる。遠近法に代表されるものの見方(古典的な世界認識の図式)がしだいに崩れていく過程で、〈構造〉として対象をとらえる発想が現れてくる──おそらく、ここがポイントだ。この発想が、極端に拡大されたのが、構造主義と言って間違いない。そして、遠近法と構造主義をつなぐものこそ、数学である(以上、第三章)。 このふたつのステップを踏むと、構造主義のいちばんの急所は、押さえられると思う。 もっとも、ここからはみ出る部分も多いので、それらをまとめて、第四章で紹介した。第三章までで、おぼろげながらも構造主義の輪郭がわかったひとは、その先が知りたいなら、もっといろいろ本を読んでほしい。めんどうなひとは、第四章をとばして、結びに進むように。『悲しき熱帯』の衝撃 一九五五年、フランスの読書界は、一冊の本の話題で持ちきりとなった。書名を、『悲しき熱帯( tristes tropiques)』という。物憂くけだるく、どんより淀んだ植民地の暑い空気。そんな異国情緒と、そこはかとない寂しさを漂わせた旅行記は、繊細な神経の行き届いた、明晰で抑制ある文体と相まって、不思議な魅力で人びとを捕らえた。これが小説だったら、今年のゴンクール賞はこれで決まり! そんな評判が、もっぱらだったという。そして同時に、著者レヴィ ストロースがどんな人物なのか、人びとは知りたいと思うようになった。『悲しき熱帯』は、不思議な魅力にあふれた本である。(翻訳もあるので、早速読んでみましょう。巻末リスト参照。)まず文章がすばらしい。おまけに、良質の映画をみるような、いきいきとした臨場感にあふれている。見知らぬ異国の風物について、教えてもくれる。だが、ベスト・セラーになった理由は、それだけじゃあない。 この書物は、私の思うに、ひとつの時代の終わりを告げるものだった。フランス人の多くが無意識に感じはじめていた、ある時代の終わりを、はっきり宣言するものだった。ヨーロッパを中心とする時代の終わり。帝国主義と植民地支配の崩壊。あるいは、西欧中心主義、理性万能主義がついに行き詰まって、解体に瀕していること。それでもなければ、むかしマルクス主義の掲げた希望が、よれよれの紙くずとなり果ててしまったこと。そんなことを、はるか辺境の、未開の地からようやく帰りついたしょぼくれ人類学者が宣告するのである。ユダヤ人の、遅れてきた育年。彼のもの言いは、露骨なものではなかったが、それだけに、心ある人の胸にはずしりと響くのだった。 レヴィ ストロースは、たちまちちょっとした人気者になる。彼を記念した本に、『英雄としての人類学者』というのも、あるぐらいだ。(この辺のもてはやされ方は、 H・ガードナーの『ピアジェとレヴィ ストロース』でもみてください。) * ひとつの時代の終わり。それは、もうひとつの時代の始まりでもある。レヴィ ストロースの思想には、そういう新たな希望を感じさせる要素もあった。 彼のメッセージは、人間味にあふれている。ひとくちで言えば、こうである。「未開人だ野蛮人だ、文明にとり残されて気の毒だと、偏見でものを見るのはよそうではないか。彼らは、繊細で知的な文化を呼吸する、誇り高い人びとだ。われわれのやり方とちょっと違うかもしれないが、そして、物質生活の面では簡素かもしれないが、なかなか〝理性〟的な思考をする人びとなのだよ。」 人類学の実証に裏付けられているだけに、生半可なヒューマニズムとひと味もふた味も違った迫力がある。同時代を生きる第三世界の人びとのことをどう考えたらいいのか、レヴィ ストロースが初めて教えてくれた、と感じた人が多かったにちがいない。『構造人類学』という論文集が、『悲しき熱帯』の三年後に出る。これは、レヴィ ストロースの学問的な立場を明らかにする、人類学の専門論文を集めたものだった。あまり一般向けのものでなかったのに、人類学以外の学者・知識人・一般読者からも、熱心な注目を集めた。こうしていつの頃からか、レヴィ ストロースの立場(やそのほか幾人かの人びとの考え)が、「構造主義」とよばれるようになっていた。 * 人類学といえば、主流は何といっても英米系の人類学である。英国は植民地も多かったし、アメリカは予算をじゃんじゃんつけた。こうして大量に、世界中に繰りだした人類学者の報告は、判で押したようで味もそっけもないものが多くて困るが、同じ人類学でもフランス人の手にかかると、だいぶちがった感じになる。特に、レヴィ ストロースの仕事をみると、さすがエスプリの国柄と感じいってしまう。 そこで、レヴィ ストロースがどういうことを言っているのか、理解する番だが、そのまえにまず、レヴィ ストロースという人物の、生い立ちや人となりを見ておこう。レヴィ ストロースの修行時代 レヴィ ストロースは一九〇八年、ベルギーに生まれた。両親は教養あるユダヤ系のフランス人で、ちょうど旅先で誕生したのだ。その後はパリに戻り、なに不自由なく、利発で感受性の豊かな少年時代を過ごした。叔父に東洋趣味の画家がいたりして、博物学に興味をひかれていたようでもある。パリ大学に進み、法学部と文学部の両方から学位を受ける。卒業の翌年、難関中の難関と聞こえの高い、哲学教授資格試験に見事合格。同期の最年少だった。この頃の合格者には、 J P・サルトルや、シモーヌ・ド・ボーボワール、 M・メルロー ポンティ、ポール・ニザンといった、そうそうたる顔ぶれが名を連ねている。彼らは気のあった友人同士で、しょっちゅう議論もしていたらしい。(彼らの友情はのちのちまで続きました。) 哲学教授資格を持っていると、リセで哲学を教えることができる。哲学の教師といっても、フランスじゃ極めて地位が高いから、まあ、知識人の卵のお墨付をもらったようなものだ。レヴィ ストロースも、ボーボワール、メルロー ポンティと三人一組で(なんとものすごい三人組みだろう!)教育実習に出かけたりした。 * レヴィ ストロースも最初は、友人たちと同じように、哲学を勉強していたが、そのうち、抽象的な理屈をこねまわすのに飽きあきして、やめてしまう。そこで、なにをしようか、前々から興味のあった人類学でもやってみようか、と思いあぐねているところへ、ちょうど運よくサンパウロ大学に人類学教授のポストが空いているという話になり、二十六歳のときに、ブラジルに渡ることになった。 ブラジルには結局、わずか三年ほどしかいなかったのだが、この時期が重要になる。レヴィ ストロースは講義のかたわら、週末によく、インディオの部族の調査にでかけた。また、何人かの研究者と一緒にキャラバンを組んで半年あまりの間、ブラジル中央部の縦断調査も行なっている。この時の体験が、レヴィ ストロースにどれほど深い印象を与えたかは、『悲しき熱帯』に詳しく書いてある。 人類学者は、自分のフィールド(調査地)を決めていて、何年か住みこんで現地調査をするのが普通だ。ところがレヴィ ストロースは、あとにも先にもこの時しか、調査らしい調査をしていない。そこで、英米系の人類学者のなかには、「日曜調査(ふだんは町に住んでいて、たまに出かけてはちょこちょこっと調査すること)でなにが解るものか」「しょせんは安楽椅子人類学者さ」などと悪く言う人もいる。けれども、レヴィ ストロースは空理空論を唱えているわけではなく、ちゃんと経験的データにかかるようなこと(しかも、誰も気づかなかったこと)を発言しているわけだから、それなりに評価されて当然だろう。 別な言い方もできる。彼ほどの哲学的素養と訓練をそなえた人物が、人類学者となって現地調査を行なったのは、おそらく初めてのことなのではなかろうか? だからこそ彼は、いわば西欧的知性の代表として、貴重な体験を積み、その証言者になることができたのだと思う。アメリカ亡命時代 ところが、そうこうするうちに、ヨーロッパ情勢は風雲急を告げていた。フランスでもヒトラーの進攻にそなえ、総動員令が布告される。レヴィ ストロースも本国にとってかえして応召した。ユダヤ人である彼、喧嘩や暴力沙汰にまったく縁のない彼は、どんな気持で戦地におもむいたのだろうか。 レヴィ ストロースはマジノ線(ドイツ国境の要塞地帯)に配属された。マジノ線は、ドイツ軍を喰いとめ、『西部戦線異状なし』みたいな膠着状態のまま、半年や一年は持ちこたえるはずだった。ところがヒトラーは、電光石火の早わざで中立国(ベルギー)を通りぬけ、まんまとマジノ線の裏側にまわりこんでしまった。これにはなすすべもなく、あっさりフランスは降伏してしまう。 フランス陸軍が崩壊してしまったので、レヴィ ストロースも兵役解除になるが、それからが大変。フランス国内にぐずぐずしていると、ナチに捕まって収容所送りになるかもわからない。国外に脱出しようと逃げまどう人びとの群れに交じって、なんとかマルセイユの港までたどりつくが、そこも大混乱。やっとのことで、大西洋航路のボロ貨物船に乗りこむ。いうなればボートピープルとなったわけで、レヴィ ストロースも、船上にすずなりになった人びとと一緒に、それから何十日も苦痛にみちた船旅に耐えなければならなかった。もっとも、たまたま同船となったシュールレアリストの詩人、アンドレ・ブルトンとあれこれ議論しては、船中の退屈をまぎらわしていたという。 船はマルティニックの港に着くが、目指すアメリカに入国するのはひとすじ縄でない。レヴィ ストロースはいろいろ苦労のすえ、つてを頼って、やっとのことでニューヨークの「社会研究新学院」に腰を落ちつけることができた。 * 社会研究新学院、なんていうと聞こえはいいが、内実は、このころヨーロッパから続々やってくる亡命知識人を受け入れるための、急造施設だった。学生なんかもあんまりいるわけないから、仕方なしに先生同士で授業してたんじゃないのかな。 それでも退屈なときにはどうしてたかというと、映画館にでかけたりしていたらしい。レヴィ ストロースはどういうわけか西部劇のファンで、インディアンが出てきて騎兵隊とやりあう B級映画がお気に入りだったという。(もともと人類学に興味をもったのも、若かったころ博物館で、人類学者がどこかの奥地で撮影してきた「未開人」の、古ぼけたフィルムを観たのが印象に残り、その魅力にとりつかれたせいなのだそうだ。)だからまあ、ニューヨークの生活は、けっこうのんびりした面もあった。そしてそろそろ、博士論文をどうやってまとめようかと、構想をねりはじめた時期だったと思う。 レヴィ ストロースにとって幸運だったのは、この地で、やはり亡命中の言語学者、ローマン・ヤーコブソンと知り合ったことである。身の上や考え方が似通っていたこともあって、たちまち二人は意気投合する。レヴィ ストロースは、彼を通じて、ソシュールの学説のほんとうの意義を知り、のちのち構造主義に発展するアイデアの、重要なきっかけを手にすることになる。 ヤーコブソンは、言語学ばかりでなく、芸術や文化全般にも造詣の深い才人である。レヴィ ストロースより十二歳年上になる。ロシア出身。二十歳ごろにはモスクワにいて、ロシア・フォルマリズムの人びとと交流があった。その後、チェコのプラハ(プラーグ)に移ってからは、プラーグ学派として知られる学者──マテジウスやトゥルベツコイ──たちに混じって、音韻論や詩学の研究を進める。それからまた遍歴を重ねて、ニューヨークにやってきたのだった。 花から花へとび移るミツバチのように、ヨーロッパ文化科学のおいしいところを、残らず吸収して歩いている男。それがヤーコブソンだ。しかも彼は、分析の方法論にとても強い。それこそ、レヴィ ストロースの欲しかったものだ。だから、ヤーコブソンと出会ってどれほど興奮したことか、目に浮かぶような気がする。おそらく、ここ何年かレヴィ ストロースの抱いてきた疑問が、ひとつひとつ解けていくような、刺戟的な時間だったはずだ。 * さあいよいよ、本題にはいってきました。 このときレヴィ ストロースの抱いていた疑問とは、いったい何だったのか? そして、それを解くために、ヤーコブソンが教えた方法とは、いったい何だったのか? ──このふたつが分かってしまえば、構造主義そのものが理解できたも同じである。 そこで話の順序だけれども、レヴィ ストロースの疑問のほうはちょっと後回しにしておいて、最初に、ヤーコブソンが伝授した方法とはなんだったか、というほうを、紹介してみる。最近でこそ誰でも知っているかもしれないが、二人が出会った当時、まだあまり一般に知られていなかった話。そう、孤独のうちに死んだ、スイスの天才的な言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールの話。天才ソシュール ここで話はいったん、五十年ほどさかのぼる。二十世紀はじめのジュネーヴ。 ソシュールは代々続いた名家の出で、青年時代からめきめき頭角をあらわした早熟の言語学者だった。ジュネーヴ大学の先生をして、一生を終えている。若いころの大業績としては、印欧祖語の母音の研究が有名である。これは、英語、ドイツ語、ギリシャ語……など、インド・ヨーロッパ語族に属するさまざまな言語の、母音の変遷をたどっていくと、そのかなり古い段階に、どうしても未発見の、これこれこういう性質をもつ母音があるはずだ、と大胆にも予言するものだった。(ちなみに彼の死後、クリロヴィッチという学者が、予言通りにその母音の存在をつきとめたので、さすがソシュールと、評判はますます高くなった。) このようにソシュールの実力は群を抜いていたから、たちまち押しも押されもせぬ大家になった。が、それ位で満足するソシュールではない。 その当時の言語学者はたいがい、各国語がこれまでどういうふうに変化してきたかという、歴史的な変遷の研究に専念していた。なるほど、それもいいだろう。それに、そういうやり方なら、実際の資料を扱うので、客観的・実証的な研究になる。しかし、とソシュールは考える。こういうことでいいのだろうか。人間はことばを喋る。人間と言語とは、切ってもきれない関係にある。この事実をしっかり受けとめ、それにふさわしい解明を与えるのが、言語学の任務じゃないのか。それをしないで、やれ巻き舌音がどうなったとか、こっちの子音があっちの子音に変化していったようだとか、そんなことばっかり研究していても、いったい何がわかるというのだろう。人間と言語の深いつながりの秘密を明らかにする、そんな学問がきっとある。いや、自分で作ってみせる。それを、言語学といおうじゃないか。 こんなことを考えていたので、言語の歴史的研究に身が入らなくなり、人づきあいもだんだんおっくうになって、ソシュールはひとり悶々と過ごす時間が多くなった。 * そうこうするうち、たまたま大学で「一般言語学」の講義を担当することになった。一般言語学というのは、何語という限定なしに、そもそも言語に取り組む研究法を幅広く論ずるものである。ちょうど考えをまとめるいいチャンスではないか。 ジュネーヴ大学というのは、言ってはなんだが田舎の大学で、学生たちもあんまり出来がよくない(なかった)のだが、それでもソシュールは、熱心に講義の準備を始める。そして、その講義が、歴史に残る名講義となった。 詳しく調べた人によると、この講義は前後二年半にわたって、三回行われたらしい。何回目の講義に学生の誰と誰が出席した、というようなことまでわかっている。そういう話は、ちょうどよい本(丸山圭三郎『ソシュールの思想』)があるので、そちらに譲ることにしよう。ソシュールの講義は空中に消えてしまったが、さいわい、学生たちのノートが残った。 ソシュールは、講義のあと体を悪くして、一九一三年、ついに永眠してしまう。学生たちはがっかりしたが、せっかくの講義がそのままになってはもったいないというので、ノートを寄せ集めて、三回分の講義を一冊の本にまとめた。ソシュールは生前、書物をほとんど出版しなかったから、これはタイムリーな企画だったといえよう。こうして一九一六年、『一般言語学講義』が世にでる。『一般言語学講義』によって、ソシュールは世界中に知られるようになった。すぐあとでのべるプラーグ学派は、ソシュールの圧倒的な影響を受けている。イェルムスレウのコペンハーゲン学派もそうだ。アメリカで一時代を画したブルームフィールドの言語学も、ソシュールと無関係でない。また、わが国の時枝誠記も、ソシュールに触発されて仕事をしたのは有名だ。二十世紀の言語学は、すべてソシュールから出発していると言ってもいい。それほど斬新な視角を、この書物はそなえていた。 *『一般言語学講義』のどこが新しかったかというと、何を言語学が対象として扱うのか、それをはっきりさせた点だろう。なあんだ、そんなことか、と思うかもしれない。しかし案外、これがむずかしいのだ。 ソシュール以前の言語学は、歴史的研究(すなわち、言語のあれこれの特徴が、どういう順序で変化してきたか、という研究)に目を奪われてしまっていた。これに対してソシュールは、ことばが意味をもつ(言語として機能する)のに、歴史など関係ないではないか、と言う。ふつうにことばを話すのに、そのことばが過去どのように用いられてきたか、いちいち知らなくても平気だ。ある時点で、ある範囲の人びとに規則が分けもたれていれば、それで十分である。つまり、言語の機能を知るのに、その歴史を捨象する(わざと考えないようにする)ことができる。 歴史を捨象して、ある時点に釘付けにした言語の秩序を、共時態という。(それに対して、共時態からつぎの共時態へ、変化していく言語の姿を、通時態という。)言語学はまず第一に、共時態を研究対象とすべし、とソシュールは言った。 これだけでは、限定がまだ不十分である。そこで彼は、こう続ける。共時態のなかでも、人びとに共通に分けもたれている規則的な部分(ラング)を、まず対象にしよう。そして、個々人にゆだねられている部分(パロール)について考えるのは、あと回しにしよう。──これでだいぶ、研究対象が限定された。 まあ、この辺のもっと詳しい話は、丸山さんの『ソシュールの思想』でも読んで補ってもらうとして、もっと大事な話題に進もう。それは、ラング(あるいは一般に、記号の秩序)がいったい、どんなふうに成立っているのか、ということである。記号としての言語 ソシュールは大胆で徹底しているので、どんどんこの疑問をつきつめて考えていき、つぎのような結論に達した。 言語は、物理的な現象であろうか? 言語は、物質的な根拠によって支えられているのだろうか? 答えは否、である。 言語が物質世界と接点をもつとしたら、ふたつの局面がありうるだろう。ひとつは、言語の指し示す対象が、物質的な存在であるという局面。もうひとつは言語が、物理的な音声によって成り立っている、という局面。ちょっと考えると、どちらももっともなので、ついつい、言語も物理現象である(だから、自然科学的な方法で研究できる)と考えたくなる。 ところが、『一般言語学講義』によると、どちらも間違いである。 ひとつ目の、言語の指示する対象が物質的な存在であるという説(言語名称目録説)だが、どこが変かというと、言語のいかんによって対象の切取り方が異なることの説明がつかない。たとえば、日本語では「水」と「湯」は別々のものだが、英語では waterといってひとつである。このことに興味をもった人類学者たちがいて、あちこちの民族が色彩につけた名前を調査してみた。その結果わかったことは、虹の七色みたいに共通な分類枠があるかと思いきや、色の名前や区切り方は民族ごとにけっこうばらばらなのだという。色のような自然現象の名前でさえそうなら、ほかはなおさらということになろう。 このことは、よく考えてみると、とても重大である。 日本人はふつう、世界が「山」や「水」や「ナイフ」や「犬」や……からできあがっている、と信じている。しかし、それは、日本語を使うからそう見える、ということにすぎないらしい。英語だとか、ほかの言語を使って生きてみると、世界は別なふうに区分され、体験されることになるだろう。つまり、世界のあり方は、言語と無関係でなく、どうしても言語に依存してしまうのである。われわれはつい、言語と無関係に、世界ははじめから個々の事物(言語の指示対象)に区分されているもの、と思いこみがちだ。ところが、そんなことはないので、言語が異なれば、世界の区切り方も当然異なるのだ。 ある言葉が指すものは、世界のなかにある実物ではない。その言語が世界から勝手に切り取ったものである。また、言葉がなにを指すかも、社会的・文化的に決まっているだけである(自然現象のなかに根拠がない)。別なふうでも(たとえば、水を「湯」とよび湯を「水」とよんでも)、ちっとも構わなかったのである。こういう特徴をソシュールは、言語の「恣意性」とよんだ。(もっとも、言語や記号のなかには、このいみで必ずしも「恣意的」といえないものもまじっている。たとえば、自然の音をまねした擬音語であるとか、毒薬の壜に貼るドクロの記号など。これらは、指示するものとのあいだに実質的なつながりがあって、恣意的でないから「有縁的」という。) 人間の精神生活が豊かなのは、いまのべた、言語の恣意性と深い関係がある。言葉が何を指し、何を意味するかは、言語のシステム内部で決まることであって、物質世界と直接に結びつかない。つまり、物質世界のあり方とは独立に、言語のシステム(ひいては文化のシステム)を複雑化し、洗練していく途が開かれている。人類はそうやって、感性や思考をどんどん高度なものにしてきたわけだ。 * つぎにふたつ目の、言語が物理的な音声によって成り立っているか、という点を考えよう。 ちょっと考えると、(書き言葉は別にして)言語が物理音から成り立っていることなど、当たり前のことに思える。しかしことはそう単純でない。たとえば、日本語だと/ r/と/ l/の区別は問題にならないが、英語でこれを区別しなかったら大変だ。大切なのは、音そのものではなくて、音のなかにある区別である。音だけで区別がなければ、そもそも言語の成立ちようがない。 ところで、その区別なのだが、いまのべた例でもわかるように、どこにどういう区別をたてるかは、言語が異なればぜんぜん違ってくる。区別されるのは物理的な音声の特徴なのだが、どういう特徴を区別する(しない)かは、決まっていない。つまり、区別のたて方自体、恣意的である。言語を建築にたとえるなら、単語や文(建物)は、単位となる音(レンガ)の組合せで出来あがっている。ところで、その音を存在させているのは、結局いまのべたような区別にほかならない。区別があればこそ、/ r/と/ l/は別々の音(レンガ)である。区別がなければなんでもない。このいみで、言語には、区別に先立つ実体などないのである。 言語のなかには、いくら探しても、区別しか見つからない。このことをよく、「言語は差異のシステムである」とか「対立のシステムである」とか表現する。言語の恣意性を支えるのは、このメカニズムである。シニフィアン/シニフィエ 個々の言葉には、ふたつの側面がある。ひとつは、それが音として成り立っている、という側面。たとえば、「犬」という単語なら、/ inu/と発音しないと、その単語のことにならない。これを、シニフィアン(記号表現、意味するもの、能記などと訳す)という。もうひとつは、それが意味をもつ、という側面。たとえば、「犬」という単語なら、「ワンワン吠える生きものだな」「ハチ公もそれだな」などという考えが浮かぶ。これを、シニフィエ(記号内容、意味されるもの、所記などと訳す)という。このふたつの側面は、密接不可分に結びついて、個々の言葉をかたちづくっている。 以上のようなソシュールの考えを、つぎの公式にまとめてもいいだろう:記号(シーニュ) = シニフィアン + シニフィエ これを言いなおすと、「記号とは、シニフィアンとシニフィエとが結びついたものである」となる。 ところで、うっかりしやすいのは、この「結びついた」という部分だ。これを、〝シニフィアンというものと、シニフィエというものとが、まずどっかにあって、それがあとからくっついて、記号とよばれるものになった〟などと理解してしまうと、ソシュールの言いたかったことと正反対になる。 では、どういうことか。 シニフィアンとは日本語を使っている人が、たとえば/ inu/なら/ inu/という音を、他のいろんな音から区別して、聞き分けたり、発音し分けたりすることである。それができなければ、日本語じゃない。そしてその際、「ワンワン吠えるもの」「ハチ公」を、思い浮かべたり、指そうとしていたりするはずなのだ。 こういうことができるのも、日本語に「犬」という記号があればこそである。「オオカミ」でもない、「山犬」でもないものとして、「犬」がいる。もしも日本語をしらなかったら、どうだろうか。たしかに、「犬」とよばれていたあのアイツは、やっぱり存在するだろう。しかしそれは、「オオカミ」や「山犬」とよばれていた別のアレと、必ずしも区別できなくなっている。「犬」という言葉がなければ、もうあのアイツを、「犬」として体験することなどできないのだ。 だからまず、日本語なら日本語という言葉(記号)の体系があり、そのなかで「犬」という言葉が位置を占めているかぎりで、/ inu/という音(シニフィアン)も「犬」の意味内容(シニフィエ)も存在できるのだ。シニフィアンとシニフィエは、結びつきを解かれたとたんに、どちらも空中にかき消えてしまうのである。 このように考えてくると、言語や記号のシステムのなかには、差異(の対立)しか存在しない、と言わなければならない。たとえば、日本語には「あいうえお」という母音の区別があるが、それらは互いに対立しあっているからこそ、「あいうえお」なのだ。「あ」がどういう音か説明しようとしても、「いうえお」でない、としか言えない。消極的に表現するしかないわけである。「あ」がどういう音か。「犬」がどういう意味か。そういうことはたしかに決まっている。日本語のなかで、「あ」や「犬」がどこにどのくらいの場所を占めるかを、ソシュールは「価値」とよぶ。市場で取引される商品の価値と似たようなものだ、と言うのだ。誰かが大根を売ろうとしている。大根がどんなにおいしいか、口をすっぱくして説明しても、その大根の価値は決まらない。ニンジンなら何本、ゴボウなら何本、……と交換できるかがわかって、はじめて大根の価値も決まったことになる。つまり価値は、そのもの自身によってでなく、市場のなかで他のものととり結ぶ関係によって決まるのだ。同じように、「あ」や「犬」の価値も、記号のシステムのなかで、それらが他のものとどういう対立関係にあるかによって、決まるのである。 個々の言葉や記号がいかなるものかは、記号のシステムの内部の論理(だけ)によって決まるので、それより外部の現象(実体)には左右されない。 ソシュールの言語思想は、だいたいこういう内容のものである。ヤーコブソンがレヴィ ストロースに教えたのも、これとあんまり違わなかったろう。レヴィ ストロースのひらめき レヴィ ストロースは、話をきいて、なるほどと感心した。それだけではない。これはいける、これは使えそうだぞ、と直感した(と私は思う)。 なぜ、そうひらめいたのか。これは、彼の抱えていた問題を説明しないとわからないことだが、先回りして少しだけのべておこう。たぶん、これは言語の問題にとどまらないゾ、そのほかの文化現象、みな同じじゃないか、と直感したのだと思う。そこで、人類学──これは、人間の文化全般を扱う──に、言語学の方法論を大々的に導入することを図った。レヴィ ストロースは、親族の研究もしていたし、分類体系や神話にも興味をもっていたのだが、これらをみんな、ソシュールの方法論でやれないか、と思ったわけである。そして、やってみたところ、これがなかなかうまくいったのだ。 そこまで察しがよいとは、レヴィ ストロースもただものでないと言えよう。 というのは、さっきものべたが、ソシュールの弟子たちの出来があんまりよくなくて、彼らのまとめた『一般言語学講義』という本だけから、ソシュールの言語思想をうかがいしることは、難しかったからである。実際、つぎはぎだらけで、弟子が勝手に書き加えたところもけっこうあるという『一般言語学講義』を読んだおかげで、ソシュールの言うことは支離滅裂じゃないかと思った学者も少なくなかったらしい。その後いろいろ、遺稿や資料も発見されて、ソシュールがほんとうは何を考えていたかわかるようになったのだが、ヤーコブソンはさすがに、学力もセンスも抜群だったから、そんな資料など発見されなくても、眼光紙背に徹して、ソシュールの言いたいところをほとんど摑んでしまった。レヴィ ストロースも話をきいただけですぐ、ソシュールの本質を理解したのはすごい。というより、このふたりが、ソシュールはすごいすごいと宣伝したおかげで、ソシュールの再発見・再評価の機運が盛り上がった、という面も無視できないのである。 さて、レヴィ ストロースが実際に、人類学に応用したのは、ソシュールの学説そのままではなく、その影響を受けて発展した、音韻論の方法である。レヴィ ストロースはヤーコブソンから、そのエッセンスも伝授された。そこでつぎに、音韻論とはどういうものなのか、紹介しよう。音韻論の発展 第二次大戦後、東側に編入されてからというもの、どうも東欧は、遅れた辺境、みたいな印象になっている。しかし実は、それ以前、なかなか文化水準も高かったのである。ウィーンを要の位置にして、ワルシャワ、ブダペスト。それにチェコスロヴァキアの首都プラハ。そこでは、言語学者のサークルが世界的な業績をあげつつあった。 今日プラーグ学派とよばれる言語学者のサークルは、一九二〇年代から三〇年代にかけて活発に活動し、現在の音韻論の原型をつくったことで知られる。代表的な学者は、 V・マテジウス、 J・ムカジョフスキー、 N・トゥルベツコイ、 S・カルチェフスキーといった人びとであるが、ヤーコブソンも一時期この仲間に加わって、ずいぶん貢献している。 一九二〇年ごろといえば、ソシュールの『一般言語学講義』が出て、まだ十年ほどしか経っていない。このサークルの人びとは、おそらく前々からソシュールに注目していたとみえ、さっそくこの書物を研究しつくしたようだ。そして、その成果を、音韻論に応用したのである。 * ここで、音韻論なるものについて、簡単に説明しておく。 言語学をふつう、音韻論、統語論、意味論の三部門に分けることになっている。 そのうち音韻論とは、言語がどんな音からなりたっているのか、明らかにするものだ。日本語の母音に「あいうえお」の五つがある、などとしらべるわけである。子音についてももちろんしらべ、それらの間の関係や、つながりに関する規則も研究する。こうして最終的には、その言語がどんな音組織をもっているかをすっかり解明することを目的とする。 これに対して、統語論とは、要するに文法のことで、言葉のつながり・配列がどのような規則に従っているかを研究する。また、意味論とは、ある文がこれこれの意味に理解できるのは、どういう仕組みによるのかを研究する。この三つの部門によって、ある言語の成立ちがほぼ明らかになるわけだ。 ソシュールの議論は、言語を、対立する記号のシステムと捉えるものだった。だから、音組織の分析に、すぐにでも役立つはずである。母音や子音は、互いに他の母音や子音と対立することで存在するものだからである。ここに目をつけたプラーグ学派の人びとは、たいへん勘がよかった。そこで、このあとしばらく、音韻論の研究が急速に進展していく。そのわりに、統語論(文法)のほうはとり残された。ソシュールの枠組みを考えれば、これは無理もないことである。(文法の研究が大発展をとげるのは、一九五〇年代の終わりに、 N・チョムスキーが生成文法という、別のまったく新しい研究プランを提出してからである。意味論などは、いまもって、あまりぱっとしない。)音素をみつけだす さて、プラーグ学派の大きな業績は、「音素」を発見したことである。 音素というのは、化学でいうと、元素にも相当するものである。「単語を成り立たせる、音の最小単位」と理解すればよいだろう。 日本語でいうなら、日本語をローマ字表記したときの一字一字が、だいたい音素に当たる。(発音記号で表すと、もっと正確である。)たとえば、/ inu/(犬)という言葉は、三つの音素からなる、という具合に。ふつう誰でも、音素が存在するとまではしらなくても、自分の話す言語が有限個の音からできているようだ、ぐらいのことならわかっている。そしてそれを、聞き分けたり言い分けたりすることができる。 音韻論が興味深いのは、この、音素をなんとかうまく取り出そうとして、方法論を厳密に磨きあげた点である。 音素も物理音なしに存在できない以上、物理学的(音響学的)に扱おうと思えば扱える。最初はそれで、うまく行きそうにみえた。ところが実際にやってみると、なかなかうまくいかない。 誰が発音しても「いぬ」と聞こえるから、「犬」という言葉なのである。しかし、子供と老人では、声の高さもだいぶ違うだろう。また、ひとりずつ声の特徴があるから、聞いただけで「あ、樹木希林だ」とか、すぐわかる。もっと細かく言えば、たとえ同一の人間でも、まったく同じ言い方で「いぬ」と発音することは、二度とないだろう。……。そういう違いは、この際問題にならない。ではどんな違いが、「いぬ」という言葉とそうでない言葉を、区別する決め手になっているのか。 人間の音声を、波形、周波数、音圧レヴェル、そのほかの物理学的(音響学的)特性から研究する学問を、音響音声学という。結局はっきりしたのは、「いぬ」のいろんな言い方がどう違うかということと、「いぬ」と別の言葉とがどう違うかということが、この音声学の方法だけではつきとめられない、ということだった。人びとがなんなく「いぬ」という言葉を聞き分けているのに、物理的にそれをつかもうとしても、手も足も出ないのである。 そこでつぎには、こういう方法を工夫する。日本語のわかる人を連れてきて、(別の誰かが喋る)いろんな発音を聞いてもらう。たとえば、「いぬ」に対して「いす」とか。そして、どういう発音の時に「犬」という意味でなくなってしまうか、詳しく調べる。これを置換テストという。実際にテストを行なうのにはいろいろむずかしい問題もあるが、要するにこうやれば、/ inu/という発音に含まれる音素/ n/がどんな範囲の音なのか、客観的につきとめられるわけだ。 / n/以外の音についても同様にやっていけば、意味を識別するための最小単位である、音素の完全なリストを手に入れることができる。この方法論を確立したのは、トゥルベツコイという学者で、岩波書店から『音韻論の原理』という翻訳が出ている。恣意性の原理 言語学にとって大切なのは、言葉が物理的にどういう音からできているか、ではない。その音を人びとがどう区別しているか、である。この区別は、(ソシュールのいういみで)「恣意的」だから、いくら自然科学の方法でじっと目を凝らしても見えてこない。言語ごとに成立している、一種の文化(もしくは社会制度)である。だからこれを研究する音韻論は、(音響)音声学とまったく違ったものを対象とするのだ。音声学は物理学に、音韻論は言語学に属する。このように厳密な方法論がそなわったので、音韻論は急速に発展していく。 音韻論が確立するのに、ソシュールの言語思想は不可欠のものだった。言語記号の恣意性の原理がなければ、音素の概念には到達しなかったろう。 そこでさっそく音素の概念をひっさげて、手当り次第に世界中調査してみると、どの言語も数十個内外の音素から成り立っていることがわかった。どうしてそうなっているんだろう。 A・マルティネという学者の説によると、これは記号の経済性のためらしい。彼もソシュールの影響を受けた人だが、人間の言語は二重分節を特徴とする、としきりに強調する。二重分節とは、かんたんに言うと、人間の喋る言葉が、まず単語のような意味のあるまとまりに分かれ、それがもう一度、音素のような音の単位に分かれる、という構造をさす。なるほど、世界中の言語は、そういう構造になっている。また、そういう構造であればこそ、わずか数十の音の組合せによって、何万、いや何十万という意味を表わすことができるわけだ。 こんな構造をそなえているから、ある意味を表わす音素(の組み合わせ)と、その意味とのあいだに何のつながりもないのは当然である。たとえば、/ inu/と/ isu/を考えてみよう。音は似ているが、「犬」と「椅子」の間になにか共通点はあるだろうか? そういえばどっちも四本足だなあ、なんて言わないでほしい。それは偶然。椅子には毛も生えてないし、だいいち尻尾もないでしょ。椅子に腰かけても怒られないが、犬に腰かけて、嚙みつかれても知らないよ。だからふたつの言葉は、いくら発音が似ていても、意味まで似ていると思ってはいけない。 このように考えてみると、言語はなかなかすぐれた記号である。言語以外に、この種の構造をそなえた記号は見当たらない。また、人間の言語はどれも、人種や文化の違いに関係なく、二重分節をはじめとしておどろくほど構造が似通っている。考えるほど、これは不思議なことだ。なにか、人間という種の共通性に根ざすものなのかもしれない。 * こんどはヤーコブソンの仕事について、紹介する番である。 ヤーコブソンは、プラーグ学派に飛入りし、音韻論の分析法を、彼が工夫した「二項対立の原理」によってうまく整理してしまった。こうして、母音三角形だの子音三角形だの(後述)がみつかったわけだが、これは、元素(音素)の周期律表の発見みたいに画期的だ、と思えばよいかもしれない。 ヤーコブソンの着眼は、なかなかうまいのである。音韻論の方法によると、どの言語にも音素がみつかるわけだが、それらは元素と違って、ほかの言語に共通するものではない。たとえば、日本語の音素「あいうえお」は、(厳密に言えば)日本語だけのものである。(ラテン語に「 aiueo」があるけど、似ているだけ。)これでは、研究が進んでいくほど、音素が増えすぎてしまって収拾がつかなくなる。何かよい工夫はないだろうか。 そこで、ヤーコブソンは考えた。音素は互いに対立しあっている。音組織とは要するに、対立のシステムだ。対立の網の目のどこにどんな音素が場所を占めるかは、言語によってまちまちである。でも、対立軸のほうは、どの言語でも共通かもしれないぞ。人間の発声器官や口の形態は似通っているから、人間の出せる音の種類にもおのずから制約がありそうだ。それに、音素は言語が違えばてんでんばらばらというけれど、たとえば母音/子音のように、どの言語にも共通する要素があるではないか。 というわけで、ヤーコブソンはこんな提案をした。どんな音素の対立も、煎じつめれば、二元的な対立(二項対立)の組み合わせで表せるだろう。いちばん単純な、たとえば p/ bの対立では、口のかたちまではおんなじで、無声/有声というところだけが違っている。(英語の時間にやりました。覚えてますか。)この対立軸を、音素の識別に役立つといういみで、弁別特性(または示差的特徴)という。 p/ bの対立には、この特性だけが関係する(関与的である)。もっと一般的なケースでは、二つ以上の弁別特性が、いちどに関係する。 pには「無声」のほかにもたくさん、弁別特性がありそうだから、こんどはそれらが関係しよう。この対立は、多少複雑かもしれないが、理屈は同じことだ。 要するにヤーコブソンは、音素を、弁別特性の束と考え、音素の対立は、二項対立の組合わせで表現できるとした。 このアイデアをもっと押しすすめ、彼はこんなことも考える。 弁別特性はいったい、いくつくらいあると考えればいいだろう。どの言語もだいたい、五十から百内外の音素をそなえている。それだけの規模の音組織を生み出すのに、必要な弁別特性は、何対か。あまり多数ではあるまい。 ヤーコブソンは実際に、弁別特性を残らずつきとめようと、研究を重ねた。最初のうち、調音音声学(発音する際の口のかたちの特徴で、音を記述する)の用語で弁別特性を追っていたが、あとでは少し方針を変えて、音響音声学(発音された音の特徴で、音を記述する)の用語によっている。一九五〇年代になって発表した論文(いわば決定版)では、十二対からなる弁別特性(二項対立)のリストを提案している。母音/非母音、子音/非子音、鼻音/非鼻音、密/疎、無声/有声、……と続くものである。この仮説は、やや強引な感じもするが、異なる言語の音組織を比較したりする場合にはなかなか便利なので、よく知られている。母音三角形と子音三角形 ヤーコブソンは、弁別特性のリストを提案するときに、いつでもその順番にもとても気を使っている。最初のものほど、基本的である、というのだ。この主張の証拠をあげようとして、彼は言語の発達に注目した。構造主義の方法にも関係が深い考え方なので、ぜひ紹介しておきたい。 彼によると、赤ん坊がことばを習得するとき、話せるようになる音の順序は決まっているのだという。赤ん坊は「あぶあぶ」などとデタラメを喋っているようだが、しらべてみるとこういうことらしい。最初はほんとにめちゃめちゃに、いろんな「音」を口から出すだけの時期がある。そのあと、意識的に「声」(言語音)を出すようになる。最初に現れるのは、三つの音の対立だ。母音なら a/ i/ u、子音なら p/ t/ k。これが有名な母音三角形と子音三角形で、この組合わせは世界中どんな言語でも、共通なのだそうだ。(あら、うちの子は最初「うまうま」だったわ、おかしいわね、とおっしゃるお母さんもいるかもしれません。どうなっているのだろう、と私も思いますが、いちおうその先を説明します。) * この三角形ができあがるもとになったのが、さっき出てきた二項対立である。そのうち、ここに関係があるのは、密/疎、鋭/鈍のふたつだ(図 2・ 3を参照)。ふたつの二項対立があると、 2 × 2で四つになりそうなものだが、そこが不思議で三角形になる。 子音三角形を例にとって、説明しよう。密/疎とは、〝周波数の比較的狭い範囲にエネルギーが集中しているかどうか〟というような対立らしい。鋭/鈍のほうは、〝高音調かどうか〟というようなことで、 t/ pの対立に相当するが、 kは中立的だ。この二つの対立を組み合わせると、 p/ t/ kの子音三角形ができる。密/疎という点では、 k: +、 t: 、 p: 。鋭/鈍という点では、 t: +、 p: 、 k: 。 母音三角形のほうも、ほぼ同様である。 * レヴィ ストロースに出会う以前、一九三〇年代に、ヤーコブソンはもう、母音三角形、子音三角形の論文を発表していた。音素を、弁別特性と二項対立から考える議論の基本は、完成していたわけである。レヴィ ストロースも、この段階の議論を吸収したはずだ。そしてその成果を、「料理の三角形」という論文(世界中の料理に共通する構造は、二組の二項対立からなる三角形──生のもの〈焼いたもの〉/火にかけたもの〈燻製〉/腐ったもの〈煮たもの〉──だと主張する)にまとめたりしている。(このアイデアは、神話学にも活かされている。) なお、ヤーコブソンは戦後、この議論を洗練し、母音三角形と子音三角形をひとつに統合して説明することも試みている。レヴィ ストロースの悩み 少し回り道だったかもしれないが、レヴィ ストロースがヤーコブソンからどんな話を聞いたのか、だいたいのところをお話しした。材料の仕込みに手を抜くと、あとの料理がうまくいかないからだが、構造主義のタネと言えるのは、ほとんどソシュールとヤーコブソンだけなんだから、これでもうおしまい。言語学のむずかしい?話も、あとは出てきません。 レヴィ ストロースは、ふんふんなるほどと、ヤーコブソンの話がいちいち嬉しくて仕方なかった。というのは、ちょうど博士論文をどうまとめようかと困っていたところだったので、いろいろひらめくものがあったからである。 レヴィ ストロースは、どんな仕事をしようとしていたのか? どんなネックにぶつかって悩んでいたのか? このへんを少しお話ししよう。 * レヴィ ストロースはブラジルで、原住民の調査をした、とのべた。ナンビクワラ族とかボロロ族とかのインディオを調査したのだが、その結果を、人類学の論文にまとめようとしていたのである。 人類学は、十九世紀以来の長い歴史をもっているが、ずっと旅行者の日記や聞き書きなど、二次資料に頼ってきた。ところが一九二〇年代の終わりに、 B・マリノフスキーという学者が出て以来、現地に乗りこんで一緒に生活し、詳しい調査報告を書き上げるのが当たり前になり、一大進歩をとげたのである。マリノフスキーに始まる学派を、機能主義人類学というが、一九六〇年頃まではその全盛時代で、続々と各地の研究成果が発表されているところだった。 人類学者が現地に乗りこんで、まずまっ先に目につくのが、親族である。誰と誰が親子兄弟で、誰がイトコで……というような、人間関係の網の目や、家族を超えた集団の広がりを、親族という。調査報告をまず、この村の親族の特徴はこれこれで、と書き始めるのが人類学者の常識みたいになっている。 親族といっても、日本の「親戚」みたいなものかと思ってもらっては困る。親戚は、いないよりましという程度の、頼りないものだが、親族はそんなもんじゃない。たいていの民族では、実に立派な親族組織というものが発達していて、生産活動・結婚・祭祀・そのほか社会生活の全般にわたり中心的な役割を担っている。だから親族のあり方を研究すると、その社会のことは大部分わかってしまう。中国にも韓国にも、宗族とか門中とか、ちゃんとした親族組織がある。それらしいものがないのは、日本ぐらいのものだと思ったらいいだろう。 機能主義人類学で、社会構造といえば、親族のことである。親族の調査が最初に詳しく進んだのはアフリカで、きれいな枝分かれ構造がみつかった。そのほとんどは、父‐子の関係をたどっていく父系の組織で、ふつう、大きなまとまりから順に、部族‐氏族‐……‐リニッジ(血縁関係がはっきりしている人びとの、ちょっとした集団)‐……‐家族、と呼んでいる。それ以外の地域でも、もちろん研究が進み、母‐子関係をたどる母系の親族組織や、どちらとも言えないものなどもみつかっている。 * レヴィ ストロースは、自分が調査したナンビクワラ族について、報告書を一冊まとめている。『ナンビクワラ族の家族・社会生活』という。翻訳がないので、仕方なしにフランス語でぱらぱら眺めてみたが、フィギュア・スケートの規定問題みたいで、着実なのはいいが見せ場のない論文という印象だった。 そんなものでは全然満足できないで、レヴィ ストロースは、親族の「理論」を打ち立てようとした。人間がなぜ、どの社会でも親族というまとまりを作って生きるのか、その謎を解明しようとしたのである。そうして、数年がかりで書きあげることになるのが、『親族の基本構造』である。 わざわざそんな仕事をするからには、彼は、英米流の機能主義人類学に、満足できないものを感じていたはずである。いったいどこが、不満だったのだろう。機能主義の人類学 機能主義の人類学も、そのまた前の人類学に、叛旗をひるがえして登場したのだった。 機能主義以前の人類学は、歴史主義、伝播主義とよばれている。社会は「未開」の段階からだんだん進歩していくもので、最終的には西欧近代にたどりつく。進化論の影響もあって、そう考えていた。原住民の社会は、どこか劣っていたり、欠けるものがあったりして、完全なものではない、と決めつける。また、ある場所で別の場所と同じもの(たとえば、文様とか、習慣とか)がみつかると、どちらかがどちらかに伝播したに違いない、と信じてしまう。フレイザーとかモルガンとか、ローウィーとかいう、少し古い世代の人類学者の議論である。 それはおかしいではないか、と機能主義はいう。「未開」社会といっても、それなりにまとまりをもった社会のはずだ。ある習慣は、どこから伝播したかしらないが、そんなことより、その社会のなかでどんな役に立っているのか。それが大切である。いろいろな習慣や制度や宗教(ものの考え方)が、その社会のなかで密接に関連していることを、「機能」といおう。たとえば、トーテム信仰(いろいろな動物が、自分たちの氏族の祖先であると信じること)は、集団の結束を保ったり、親族関係をはっきり認識したりするのに役に立っているではないか。つまり、そういう機能をもっている、と考えればよい。 これは、まことにごもっとも。おまけに、機能主義人類学は、現地調査を重視するから、証拠(民族誌データ)のほうも万全で、たちまちそれ以前の人類学をノック・アウトしてしまった。考え方の方向は、よいのである。ソシュールが、歴史主義の言語学に反対したこと、言語を共時態(記号のシステム)としてみるように提案したことを、さっき紹介したけれども、機能主義人類学の登場の仕方も、それと似たところがある。伝播主義、歴史主義に反対する点は、機能主義も構造主義とおんなじなのだ。ここは文句のつけようがない。意見が分かれるのはその先である。機能主義の弱点 構造主義から、機能主義に文句をつけるとすれば、何から何まで、機能一点張りで説明しようとする点だろう。 ふつう機能というと、何かの役に立つ、といういみである。ストーヴの機能なら、部屋を暖めること。一種の目的だ。 Aが Bの役に立ち、 Bが Cの役に立つ、という具合に、目的/手段の連鎖が一列に並んでいれば、これでちゃんと説明になっている。 ところが、機能主義人類学は、ひとつの社会をまるごととりあげ、そこで見つかるいろいろな事柄のあいだにどういう関係があるか、考えようとする。全部をいちどにとりあげるわけだから、すべてがすべてに関連していることになり、何が何の役に立っているのだか、わからなくなってしまう。目的/手段の連鎖が、一列ではなく、ぐるっとひと回りしてしまうのだ。これではぐるぐる回りの循環論(説明しているようで、実は説明になっていない)になるじゃないか、と文句がでる。 例をあげよう。親族の存在理由とはなにか。ある部族が父系集団によって組織されていた、としよう。その父系集団は、まとまって住み、狩や農業をし、財産を共有していることがわかった。それならその集団は、そういう機能をはたすと言える。ここまではいい。それらの機能は、親族の存在理由だ。ところが調べてみると、隣りの部族は、似たような自然条件なのに、母系集団によって組織されていた。じゃ、どうしても父系でなければいけない、ということはないじゃないか。こういうケースがあると(よくあるのだ!)、機能による説明はチト苦しくなる。 * まだある。機能の観点からして存在理由のよく解らない現象が、けっこうみつかるのだ。代表的なのが、いわゆるインセスト・タブー(近親相姦の禁忌)。この現象はどんな社会にもみつかる。また、「未開」社会ではことのほか厳重に守られている。 なんでインセスト・タブーがあるのだろう。それは、機能的だからに決まっている、と機能主義者は言う。では、どんな機能があるのか。すぐ思いあたるのは、遺伝的に悪い影響があるかもしれない、ということである。近親相姦からは、よくない子孫が生まれる。だから、禁止されるんだ。ほら、どの社会でも禁止してるだろ。禁止しなかった種族は、みんな滅んでしまったからね。禁止した種族だけが生き残ったのさ。──これで説明になっているみたいだが、「近親相姦のおかげで滅んでしまった種族」はもういないから、証拠のあげようがない。おまけに困るのは、〝父方のイトコは禁止なのに、母方のイトコとなら喜んで結婚する〟というような、わけのわからない習慣をもっている部族が、あっちでもこっちでもわんさと見つかるのだ。 インセスト・タブーが、悪い遺伝を避ける目的によるのだとすると、同じ親等(血のつながりの程度)にあたるイトコの、一方を禁止しておいてもう一方を好む、というのはおかしい。そこで、「未開人はやっぱり、非合理なのです」とか、「未開人は遺伝の知識がないから、仕方ないなあ」とか、都合のいい理屈(しかも、どうみても機能主義的でない)を付け加えないと、いけなくなる。 ほかにもある。オーストラリアの原住民の一部に、「婚姻クラス」(後述)という奇妙なものをもっている部族がいて、とてもややこしい規則に従って結婚の相手を決める。これが、どういう機能をもつのか、さっぱりわからない。まさにお手あげ、である。 こういうふうに、機能主義にも弱点と思える部分があった。 たまたまレヴィ ストロースが調査したブラジルのインディオは、アフリカと違って、ごく貧弱な親族組織しかもっていなかった。そんな事情も手伝ったらしくて、レヴィ ストロースは、機能主義人類学のように親族をとらえていくだけでは、少しも原住民の魂に迫ったことにならない、と感じたらしいのである。人類学の原点にかえる レヴィ ストロースには、なぜかひとの考え方がわかってしまう、天性みたいなところがある。人類学者として絶好の素質と言っていいだろう。なまじ人類学のトレーニングを受けすぎなかったことも幸いしてか、彼はブラジルで、インディオと一緒に暮らすうち、天地がひっくり返るような驚きを経験する。もうヨーロッパの教養も、知性も、どうでもいい。そんなものは脱ぎ捨て、裸になりきって、インディオのものの見方で世界をみると──なるほど、それなりに、納得できるじゃないか。インディオの見方で、インディオ自身のことも、ヨーロッパ世界のことも、ずっと考えていけるじゃないか。 現地に入ると誰でもいったんは、こういう心境になりかかるらしい。レヴィ ストロースがちょっと違うのは、それを帰国後もずっと自分の方法にしてしまったことである。いうなれば、複眼思考だ。片方の頭では、ヨーロッパの見方で、原住民をとらえる。もう片方の頭では、原住民の見方で、ヨーロッパをとらえる。これを両方やり続けることが、人類学者の使命だ、と実感したわけだ。つまり、近代ヨーロッパ世界も、インディオの世界も、まったく同じ土俵のうえでとらえないといけない。どうやれば、うまくいくだろうか。 機能主義人類学のやり方では、まずいだろう。機能といっても、しょせんヨーロッパ的発想である。人類学者のものの見方に合わせてインディオの世界を切り刻むかたちにどうしてもなってしまう。(そもそもインディオという呼び名からして、アメリカをインドと勘違いしたコロンブスの早とちりが、尾をひいたものなのです。)あべこべに、(人類学を含めて)ヨーロッパ的発想を根こそぎ揺すぶるような方法が、あっていいじゃないか。 もうひとつの行き方として、原住民の世界に浸りきってしまう、というのもあるわけだが、これもレヴィ ストロースはとらない。いままでの人類学のやり方がまずいと言うなら、それを凌ぐ人類学をちゃんと作ってみせなければだめだ。 人類学を、作りなおすこと。いままでの人類学は、ありていに言えば、植民地支配に都合のいいものだった。ヨーロッパ世界に住む人びとのものの見方に、なじみやすいものだった。思わず知らず、それ以外の世界に住む人びとの差別に通じてしまうものだった。そういう人類学を、もう一回、〝人類のさまざまな営みを理解する学問〟という原点にかえって作りなおすこと。これをレヴィ ストロースは、やりとげたかった。それにはまず、いちばん研究の進んでいる親族の分野で、まともな「理論」を打ちたてることが早道である。──こういうふうに彼は、自分の課題を設定したにちがいない。 * 理論とは、こむずかしい理屈をならべることではない。ややこしい問題にとり組む場合に、思考の手助けとなってくれるものだ。ファミコンでいえば裏ワザみたいに、教えてもらえばこりゃ便利、誰でも嬉しくなるのが当たり前である。 だから、理論の本当の有り難みは、問題にぶつかってみないとわからない。そこで、レヴィ ストロースが仕事をした一九四〇年代に、親族研究の分野で、どんなことが難問として立ちはだかっていたか、見渡してみるとしよう。 十九世紀の人類学といえば、原始乱婚説(その昔、人類は、集団で結婚していた)とか、掠奪婚説(トゲトゲのついた棍棒で女性をボカンとやって、さらってきて結婚した)とか、いま思えば珍妙な学説がまじめに唱えられていた。さすがにこの頃までには、そんなのは退治されてたが、それでも不思議なことはいっぱい残っていた。インセスト・タブーの謎 まず、さっき出たインセスト・タブー(近親相姦の禁忌)。インセスト(近親相姦 =親兄弟とか親戚とか、特定の血縁関係の人達と性関係をもったり、結婚したりすること)を禁止する、といういみである。インセスト・タブーは普遍的(人類社会に共通する)現象だから、ヨーロッパ社会にももちろんある。問題は、インセストとされる人達の範囲だ。日本ではこの範囲がたいへん狭く、イトコとの結婚なんかめずらしくないし、オジと結婚するケースだってないではなかった。(現在は、三親等(オジやオバ)以内の血縁の結婚は認められていません、念のため。)日本ほどでないが、欧米でも、絶対に結婚できない人間の範囲はごく限られている。ところが、中国や韓国では、この範囲がとても広くて、同じ父系血縁集団(宗族や門中)に属している男女は、結婚できない。「未開」社会ではむしろ、これがふつうで、非常に広い範囲の人達が結婚の対象から外されている。オーストラリアの「婚姻クラス」の場合など、結婚できる相手がどれだけいるのか数えたほうが、はやいくらいだ。 こうなると、インセスト・タブーは普遍的、などと言ってすましていられなくなる。インセストになってしまう範囲があんまり広いと、「遺伝に悪いから」といった生物学的な理由で、このタブーを説明することは、無理になる。それでは、このタブーに、どんな理由があるのだろう? また、インセストとされる範囲は、どうやって決まってくるのだろう? これが、第一の問題。イトコにもいろいろある 第二に、交叉イトコ婚の問題。 交叉イトコなんて、初耳かもしれない。そういうのがあるんですよ。人類学では、平行イトコとペアにして、よく使う。イトコは、交叉イトコか平行イトコかのどっちかなので、簡単に説明すると、まずイトコとは、キョウダイの子供同士のこと。これは当たり前。(わざわざカタカナで「キョウダイ」と書いたのは、兄弟と姉妹の両方を表すためで、英語には siblingという便利な言葉があるけれど、日本語にはない。)で、このキョウダイが同性(つまり、兄と弟、または、姉と妹)である場合に、その子供同士を平行イトコといい、異性(つまり、兄と妹、または、姉と弟)である場合には、同じく交叉イトコという(「イトコ」とカタカナで書くのも、性別を問題とせず、従兄弟姉妹を表わすため)。わかったかな? (練習問題。イトコのいる人は、平行イトコか交叉イトコか、ひとりずつ確かめてみなさい。) 交叉イトコの意味がわかったとして、先に進むと、「未開」社会では交叉イトコが重要な場合が多い。日本では、交叉イトコだろうと平行イトコだろうと、イトコならどちらも大差ないが、そうはいかない社会があって、なんと、交叉イトコとしか結婚できなかったりする。平行イトコ/交叉イトコで、同じイトコでもいみがおお違いなわけだ。 そればかりでない。交叉イトコにもまだ区別がある。父親側の親戚にあたるイトコを父方イトコ、母親側の親戚にあたるイトコを母方イトコというのだが、母方の交叉イトコにあたる女性を、特に好んで妻に迎える種族がかなりあちこちにあったりする。こういう種族に限って、父方の交叉イトコのほうは、タブーになっていたりするものだから、ますますわけがわからない。なぜ、母方交叉イトコと父方交叉イトコじゃ、扱いが正反対なのだろう。(ひとつ注意。いま、男性を中心に考えたが、同じ関係を女性側からみると、父方/母方が逆になる──いまの例でいうと、父方が好まれて母方がタブーになる──から、混乱のないように。人類学の習慣では、男性を中心において血縁関係を表現する。) 同じ人間が、父方の親戚であり、母方の親戚でもある場合もある。こういうイトコは仕方ないから、両方イトコという。両方交叉イトコと好んで結婚するタイプの種族もいて、話は輪をかけてややこしい。 * ここまで読んで、たった二ページなのにすっかり頭がごちゃごちゃになっちゃった、と困っていると思うけど、心配しないで。四十年前の人類学者の頭の中も似たようなものだったと考えれば、まあ間違いない。それほど、結婚の習慣に関する当時の研究は混乱をきわめていたわけ。親族呼称の不思議 第三には、親族呼称法の問題。 親族呼称というのも、人類学の術語だが、要するに、親兄弟や親戚の呼びかたのことだ。英語を最初に習ったとき、ブラザーといっても兄か弟か分からなくて、変な気がしたと思う。英語を話す人びとは、兄/弟の区別に関心が薄いのだ。親族呼称法には、その社会が人間関係をどう理解しているかが、反映している。(「未開」社会では、人間関係といったって、親戚関係とほとんど重複する。)なら、親族呼称法を調べない手はないだろう。 キョウダイの呼びかたを除けば、日本語と英語はわりによく似ているが、世界中にはもっといろんなタイプの呼称法が分布している。ローウィーという学者は、いろいろ調べて、これらを五つのグループに分けた。日本語みたいなのはエスキモー・タイプというが、ほかにも、父母もオジオバも区別せず、キョウダイもイトコも区別しないハワイアン・タイプだとか、母方/父方の親戚を区別するタイプ、交叉イトコを他のイトコと区別するタイプ、などいろいろある。 こういうふうに分類できるのはいいが、それでは、親族呼称法にいろんなタイプがあることに、どういういみがあるんだろう? この辺の疑問も、すっきり解かれていなかった。謎の婚姻クラス 最後にもうひとつだけあげておけば、婚姻クラスの問題。〝婚姻クラス〟って、なんのことかと思うだろうが、それこそけったいな代物だ。オーストラリア大陸の北部砂漠に、もともと住んでいたいろんな種族の、結婚の制度である。いくつかタイプがあるのだが、代表的な「カリエラ型」というのを例にあげると、こんなふうになっている。まず図 2・ 5を見てほしい。 この社会の人びとは、運動会かなにかのときみたいに、全員が四つの、だいたい人数の等しいグループ(婚姻クラス)に分かれている。なぜかというと、それで結婚の相手を決めるためである。あなたがこの社会に、オギャーと生まれた、としよう。そのとたんに、所属するクラスが決まってしまう。父親が A 1で母親が B 2なら、あなたは B 1。 は結婚の記号で、 →は子供の帰属を示す。そしてあなたは、 A 2の異性としか、結婚できない。そのほかのクラスの人びととは、タブーの関係になってしまう。そして子供は、あなたが男性なら A 1、女性なら B 2に属す。(図の上をなぞりながら、しばらくながめていると仕組みがわかってくるから、少しそうやって考えてください。) A/ Bというのは、母系の半族(種族全体を二分する血縁集団)である。 1/ 2は、父方の居住集団(一緒に住む人びとの集団)である。要するにあなたは、父と一緒に住むのだが、母の半族の一員となる。そして、もう一方の半族、もう一方の居住集団から、配偶者を捜さなければならない。図は、こういう婚姻規則を表している。 なんでこんな面倒くさいことをするんだろう? 当然の疑問だが、これぐらいで驚いてはいけない。これより複雑な、「アランダ型」というのもあるのだ。アランダ型では、婚姻クラスの数が、倍の八つもある。 半族の制度は、アメリカ大陸などにもあるのだが、これほど手のこんだ親族組織はここにしかない。しかも、なにを目的にこんな制度があるのか、何人かの人類学者が取り組んだが、歯が立たなかった。これまた、謎である。 レヴィ ストロースはこういう謎を、これまでの人類学の限界として受け取った。ここにはなにか、隠れた秩序がある。秘密がある。われわれが気付かないだけで、うまい方法さえみつかれば、これらの疑問はきっと解明できるだろう。 課題は見えている。あとは方法である。親族の基本構造 こうした課題と、ヤーコブソンの教えてくれた言語学の方法が、レヴィ ストロースのなかでひとつに溶けあった。そうして生まれたのが、『親族の基本構造』である。 この書物は、たいそう分厚くて、原著で七百ページほどあり、翻訳では上下二冊になっている。一九四七年に、博士論文として提出され、一九四九年に、フランスで初版が出版された。そしてその内容は──まことに驚くべきものだ。 専門家向きに書かれた本ということもあり、翻訳でも読むのに骨が折れる。まずざっと、目次を拾ってみれば。 全体は、二十九章あり、前半と後半に大きく分かれている。最初の四分の一ほどは、インセスト・タブーの学説史。つづいて、交叉イトコ婚を論ずる部分があって、レヴィ ストロースの仮説が提出される。そのあと四章が、オーストラリアの婚姻クラスの分析。まん中に、数学付録(後述)。後半は、ビルマ、中国、インドの親族組織の分析。最後に、親族の基本構造とはなにかを考える数章があって、おしまい。 * 正直に言うと、あまり見通しのいい構成ではない。長すぎて退屈でもある。そこで、私流にアレンジして、いちばん大事なところだけを、お話ししよう。 まず結論から。レヴィ ストロースの仮説をひとくちで言ってしまうと、〝親族は女性を交換するためにある〟となる。『親族の基本構造』は、この仮説を実証するための本だ。「女性の交換」という部分だけは、すっかり有名になった。キャッチフレーズがひとり歩きしているから、ご存じの読者も多いはず。だがその、ほんとうのところは、なかなか伝わっていないんじゃないか。クラ交換 そこでもうひとりの重要人物、 M・モースに登場願おう。モースは、「贈与論」というユニークな論文を書いたので有名な、人類学者である。彼の着想が、レヴィ ストロースの仮説に大きな影響を与えたのは、間違いない。 十九世紀後半から二十世紀にかけて、社会学者として大きな仕事をし、フランス人類学の草分けでもあったのが、 E・デュルケームである。彼を祖とするデュルケーム学派は、優秀な若手人材を集めて大きな潮流になるはずだったが、残念なことに第一次大戦でばたばた戦死してしまい、空振りに終わった。モースはその甥で、贈与が、「未開」社会で、とても重要な役割を果たしている事実に注目した学者である。 モースがとりあげたのは、クラ交換という風習だった。これは、ニューギニア島の沖合いで、島から島へクラという宝物を交換してまわるという儀礼である。いくつもの部族が参加する大がかりなもので、一巡するのに何年もかかる。 宝物と言ったって、ちょっとめずらしい貝殻でできた首飾りかなにかで、大したものじゃない。しかしクラ交換に参加する人びとに言わせると、とびきり価値あるものなのだ。で、右隣りの部族から、それを手に入れたとなると、もう大変。えっさかほいさと、さっそくカヌーを漕ぎだして、こんどは左隣りまではるばる届けにいく。海に落ちてサメに喰われるかもしれないのに、ご苦労なことだ。で、そんなに骨を折ってどうなるかというと、結局ぐるっと一周して元に戻るだけだとさ。いったい、何のつもり? と言いたくなる。 だが、これを笑う資格があるのかな。 一万円札が落ちてれば、あなた拾うでしょ。しかし見ようによっては、あんなものただの紙切れ。それをなぜ有り難がるかというと、交換に使えるからである。みんなが貴重だと思うものを、あなたも貴重だと思わないわけにはいかない。こんな紙切れのためにあたら命を落とす人が毎日、新聞に載っているでしょう。同じ理屈で、当人にしてみれば、貝殻だって立派な宝物だ。 * さて、ここからが大事だけれど、なぜ交換が行なわれるのか? 当人たちの言い分は、貝殻が大事な宝物だからだ。しかし、はたからみれば、そんなものガラクタ同然。そのものとしてはなんの値打ちもない。だから、当人たちの説明は、説明になっていないのであって、一種の錯覚である。 むしろ、こう考えるべきだろう。〝価値あるものだから交換される〟のではない。その反対に、〝交換されるから価値がある〟のである! ここがポイント。人びとの間に交換のシステムが出来あがっていて、あるものを交換のためにみんな欲しがるから、それが価値あるものとなる。電流が流れると磁場が生まれるように、交換のシステムは必ず価値を孕むのである。このあたり、ソシュールのところで紹介した議論とそっくりになっている。 モースはこういうことに気がついて、この交換のシステムのことを「全体的社会的給付」とよんだ。社会(人びとのつながり)とは要するに、交換することなのであって、誰もかれもが交換に巻きこまれていく。交換されるものに、「価値」がそなわっているとしか見えなくなる。こうしたことが、社会的事実(個々人の意思を離れ、社会全体で成立してしまう事柄)として生じていることを、指摘したのだ。 交換の媒体である宝物や貨幣(「価値」)は、人びとを巻きこむ交換システムの力の象徴になっている。媒体には、なにか使い途があったりしないほうがいい。下手に使い途があると、自分で抱えこんでしまって、交換に参加しなくなるからである。 こういう交換の媒体があるおかげで、交換がスムーズに行なわれていく。首飾りを届けてくれたお礼に、もう一種類の宝物(腕輪)を必ずお返しにする。そのほか、タロイモとかブタ肉とか、自分で食べてもおいしいものがどっさり相手に贈られるのがふつうだ。こうして、隣りあった部族の人びとの間に、友愛が(そこまでいかなくても、殺し合いをするほどの悪意はもっていませんよ、という気持が)確認されていく。贈り物としての女性 モースの「贈与論」という論文は、きっと印象ぶかいものがあって、レヴィ ストロースの脳裏に焼きついたろう。こういう見方をすると、社会が違ってみえてくる。折りにふれて、モースの議論はお手本になったに違いない。 そこで親族についてだが、これには、ふたつの切り口がある。ひとつは、親子関係。もうひとつは、婚姻。(日本の人類学者は、結婚と言わないで、もったいをつけて婚姻と言う。英語ではどちらも marriageなんですけどね。)親族は、この二つの要素から組立てられている。これまでの研究は、このうち、親子関係に力点を置いてきた。ある社会に入りこむと、その社会は父系か母系か、というようなことを気にして、結婚のあり方のほうは二の次だった。少なくとも、当時の英米系の人類学はそうだった。 人類学者はたいてい、ある村に住みついて、一箇所で調査するわけだから、その村の親族集団が父系か母系か、というようなことのほうが調べやすい。なるほど、実証的だ。けれどもそれだと、その社会の全体を見渡したことにならない。サイズの大きな交換のシステムがあっても、気がつかないかもしれない。クラ交換のときみたいに、大騒ぎのお祭りでもやってくれないとね。 そこで、レヴィ ストロースはひらめいた。なら、親子関係のかわりに、結婚のほうから話を始めたらどうなるだろう。そういう議論はまだないじゃないか。 結婚というと、日本もそうだが、結納とか持参金とか嫁入り道具とか、とかく贈り物がつきものである。「未開」社会ともなればなおのことで、花嫁と引替えに家畜などを贈る「嫁資」が有名だ。これをもう一歩つっこんで、花嫁(女性)そのものを〝贈り物〟と考えてみたらどうだろう。 このように考えてみると、はではでしく贈り物を交換する結婚式などをしない場合でも、すべての結婚は、一種の交換であると言えることになるはずだ。だって、女性を贈与するわけだから。ある集団が、女性をどんどん贈りつづけていると、しまいには、女性がいなくなってしまうだろう。そこで当然、よそから補充しないといけない。これもやはり、結婚によるしかないわけだから、さっきの結婚とこんどの結婚との関係がどうなっているか、という話になってくる。「未開」社会の場合は特に、どの結婚も互いに緊密に関連していて、全体でひとつのネットワークをかたちづくっている。このネットワークの作り方に注目していくと、親族の謎が解けるかもしれない。 というわけで、レヴィ ストロースは、どんな結婚も交換とみなすことにした。つまり結婚とは「婚姻交換」である、と考える。この着想は、モースの考え方を、親族の分野にも拡張したものになっている。女性の価値 それはいいが、ほんとに結婚と、クラ交換みたいな財のやりとりとは、おなじことなのか? 見た目ほど違っていると、私は思わないのだが、ひとつ重大な相違点がある。さっきの貝殻やなにかと違って、女性はそのままでも使い途、つまり「価値」がある、という点だ。女性の価値とは、働くこと、子供を産むこと、そしてもちろん、セックスのよきパートナーとなること──。(ここで、ちょっと注。女性の読者を中心に、この数ページの話の運びに相当コチンときている方々が多いだろうと思います。なんて男中心の、勝手な理屈だろ。ヨーロッパ中心主義を脱却する、なんてわかったようなこと言いながら、結局、男性中心主義にどっぷりつかってるじゃないか。実際、フェミニスト人類学というのがあって、レヴィ ストロースの学説をこの観点から批判したりしている。ま、ごもっともですけれど、ここはレヴィ ストロースのことを紹介しているわけだから、がまんしてほしい。それに、女性を「交換する」と言ったって、なにも女性を商品のように考えたり人格を無視したりしようというのと違うと思うんだが。前後の議論をよく考えてもらうとわかるけど。) 女性そのものの価値を、直接味わうことができるようだと、交換のシステム(つまり社会)が成り立たなくなる。だから、親族(すなわち、女性の交換システム)が成り立つためには、それが否定されなければならない。同じ集団のメンバー(男性)にとって、女性の利用可能性が閉ざされなければならない。これがインセスト・タブーだ! 近親相姦は、女性が交換される「価値」であることの、裏側の面(反価値)である。近親相姦が否定されてはじめて、人びとの協力のネットワーク(つまり社会)が広がっていくのだ。 インセスト・タブーは、人間にそなわった本能みたいに考えられたこともあれば、道徳のようなものとして学ばれると考えられたこともあった。どちらでもないようだ。本能のように、もって生まれたものではない。また、意識的に学習できるものでもない。その両方の中間にあって、社会を生きる能力みたいなものである。このタブーが、どんな社会にも必ず見つかって普遍的なのは、それが社会に必要な根本的能力だからである。(もちろん誰をタブーとするかは、後天的に学ばれるにしても。) * もうちょっと、インセスト・タブーについて考えてみよう。 レヴィ ストロースの考え方によれば、インセスト・タブーのいちばん大切な役割は、女性を二種類に分けること。つまり、姉妹/妻の対立を持ちこむことである。姉妹とは、自分が接近できない女性、よその男性に譲りわたす以外にない女性である。それに対して、妻とは、自分が接近できる女性、よその男性から譲り受ける以外にない女性である。──なんて、こんなわかりきったことを、いまさらどうして繰り返すんだと、怒らないでほしい。よっく考えてみると、これくらい不思議なこともないので。 いいですか。女性の身体をいくらじっくり比べてみたって、「姉妹」(結婚不可能な女性)と「妻」(結婚可能な女性)で特に違うところがあるわけじゃあない。物理的・生理的存在としてなら、区別できないはずだ。問題は、社会関係の違いなんだから。これは、音素のときとよく似ている。音声学は、音素をなんとか区別できないか、一所懸命やったけれども、成功しなかった。音素と音素の対立は、物理現象のなかに根拠のない、恣意的な対立なのである。これと同じで、ごしゃごしゃと暮らしている大勢のなかで、どういう範囲の女性が「姉妹」となり、どういう範囲の女性が「妻」となるかは、多分に恣意的な問題なのだ。 ここでモースの考え方を、思い出してみよう。彼によると、〝価値があるから交換する〟じゃなくて、〝交換するから価値がある〟だった。その伝でいくと、〝タブーだから交換する〟じゃなくて、〝交換するからタブーである〟(あるいは、交換とタブーはメダルの裏表である)となる。社会や親族を生きることを離れて、タブーもないわけだ。社会関係を切り離して、インセスト・タブーを心理的な実体みたいに考えてしまってはいけない、ということがわかる。限定交換/一般交換 親族(婚姻交換)のあるところ、インセスト・タブーあり。女性は誰でも、身近かの男性とタブーで隔てられてしまって、交換される「価値」となる。この「価値」が、どういうふうに人びとのあいだで配分されるか。そのやり方がまずいと、社会は成り立たない。どうしてもうまく、女性の流通と再配分をコントロールする必要がある。 レヴィ ストロースによれば、これには、二通りの作戦がありうる。「限定交換」と「一般交換」である。これがどんなことかは、すぐあとで説明するとして、その準備に、少し記号を導入しよう。といっても、あまり大げさなものじゃないので、人類学者がよく使う八つの略号である(表 2・ 8)。 この略号を使うと、例えば母方のオジは M B( mother’ s brother)、父方交叉イトコは FZD( father’ s sister’ s daughter)という具合で、なかなか便利だ。(練習問題 1。私は MBDと結婚しました。彼女からみて、私は何ですか。問題 2。 Z H、 FBW、 DSを書き下しなさい。問題 3。 FZSと MBSが同一人物になるとすれば、どんな場合ですか。) さて、交換の作戦の話だが、出発点は、内部に女性(「 Z =姉妹」)を抱えている、いくつかの集団。この集団は、父系でも母系でも、一応かまわないとする。交換のタイプを考える際に、集団のタイプを特に考慮する必要はないからだ。(この考え方は、レヴィ ストロースに独特である。)この集団が、女性( Z)を手放すいっぽうで、女性(「 W =妻」)を確保するには、どうしたらいいか。たぶん、二通りしかあるまい。ひとつは、いつもニコニコ現金払い。与えた分の女性は、しっかり返してもらう。早い話が女性( Z)の取替えっこで、二つの集団のあいだを、同時に両方向に女性が移動する。交換の相手が限定されているから、このやり方を限定交換という。 もうひとつは、いわば信用取引き。あわてる乞食は貰いが少ない。順ぐりに回って、いつかは戻ってくるからいいや、とばかりに、一方的に女性( Z)を与えてしまう。どの集団もみんなそうやって、うまくいった場合、女性の与え手/受け手がつながった〝輪〟ができる。みんなで交換のワ!をつくるから、このやり方を一般交換という。 * ここで、同じタイプの交換が繰り返される。つまり、制度化する、と考えてみよう。前の世代と同じ集団の間で、同じタイプの女性の交換が生じる、と考えるのである。すると、つぎのことがわかる(紙と鉛筆を用意して、各自確認すること)。 限定交換を続けていく場合、 Wは、両方交叉イトコ(つまり、 MBDで FZD)になる。 一般交換を続けていく場合、 Wは、母方交叉イトコ( MBD)になる。父方交叉イトコ( FZD)は、女性を与えてくれる集団でなく、受け手の集団にいるので、結婚できない。 どちらの交換の場合でも、平行イトコ( FBDや MZD)は、 Zと同じ分類になってしまうから、結婚できない。と、こういう結論になる。(頭がゴチャゴチャになってしまったひとは、ここらでちょっと一息いれることを、おすすめします。) レヴィ ストロースは親族の、この二種類の交換システムの仕組みに、「親族の基本構造」と名前をつけた。難問もつぎつぎ解決 インセスト・タブーを、ソシュール言語学の、恣意性の原理をヒントに、 W/ Zの対立として理解する。そして、モースの仕事を参考に、親族を交換のシステムと考える。このことに気がつくと、これまでの難問があれよあれよという間に解けてしまう。 さっきあげた四つの疑問を、順にもう一度みていこう。 第一の疑問。インセスト・タブーの問題。これはもう、だいたい解決した。まず、 W/ Zの対立が必ずある、といういみで、インセスト・タブーは普遍的である。つぎに、「 Z」とされる人びとの範囲がどうなるかは、どういう交換システムをとるかによって、当然ちがってくるから、これもうまく説明がつく。 第二の疑問。交叉イトコの諸問題。これも、 ~ で、ほぼ解決した。基本構造をもつ社会では、交叉イトコ/平行イトコの区別は、 W/ Zの区別に、だいたい平行する。さらに一般交換のように、女性の与え手/受け手がはっきり分かれている場合には、同じ交叉イトコでも、母方は与え手、父方は受け手の側になる。だから両者は、意味が正反対になるわけだ。実際には、いろんな中間形態や混合形態があるから、イトコの区別の仕方やイトコに対する態度は、ぐんと複雑である。けれども、問題の解きかたは、これで分かった。 * 第三の疑問。親族呼称法のタイプがいろいろある理由。全部の解決はまだ無理だが、少なくとも、基本構造をそなえている社会が、どんな呼称法をもつか、ぐらいのところは説明できるようになった。 地理の時間に習う、メルカトール図法というのがあった。地球儀のまわりをぐるっと円筒で囲い、地球儀の中心に電球を置く。そして影をなぞって地図を描く、というものだった。(本当は縦方向を少し縮めるんだけど。)これみたいなものだと思う。地球儀を親族の構造、赤道を一般交換の径路に見立ててみよう。地球儀の表面は、親子関係や結婚など、親族関係でびっしり覆われている。ある個人は、自分の近所の親族関係しか知ることができない。遠方は歪んだりぼやけたりして、メルカトール図法みたいになる。親族呼称法とは、そうしたもの(一種の地図)だ。もしも一般交換の構造があるなら、その証拠が地図の上に現れる(たとえば、右へたどっていくと左へ出てしまう)だろう。 レヴィ ストロースが『親族の基本構造』で、一般交換が行われているのではないかと推論する場合の手続きは、こんな具合で、親族呼称法を手がかりとする。 第四の疑問。婚姻クラスとは何か。これも解けた。答え。限定交換の、やや複雑なシステムである。 いちばん単純な限定交換は、社会をふたつの外婚単位(その集団外の女性と結婚しなければならない単位)に分け、そのふたつの集団の間で婚姻交換を行なうものである。社会がまっぷたつに分かれている場合を、双分組織という。これがも少し複雑になると、カリエラ型やアランダ型の婚姻クラスになるが、婚姻交換の型は同じ(つまり、両方交叉イトコ婚)だ。(ただし、なぜ複雑になるかは、よくわからない。) こんな具合で、親族に関するまったく新しい理論が誕生した。この理論はなかなか素晴らしいもので、いろいろ批判──つまり、 × ×族をよく調べてみたら、レヴィ ストロースの言ってるのと違っていた、とか──はあるけれど、大筋で多くの人類学者に承認されている。『親族の基本構造』という本に何が書いてあるか。その重要なところは、これで説明したと思う。(人類学を詳しく勉強したい人は、この程度では不足ですから、もっと専門書を読まないとだめです。)コミュニケーションの一般理論 この成功に気をよくして、レヴィ ストロースは、いろんなアイデアをふくらませた。 まず最初に彼が試みたのは、もっと複雑な社会──たとえば、フランスとか──に、同じ方法を適用してみることだった。だがやってみると、これはちっともうまくいかなかった。そういう社会は、女性の交換では片づかないような、複雑な交換システムをもっているのだから、当然の結果だと思う。 そこでつぎに思いついたのが、「コミュニケーションの一般理論」である。 これは、一九五二年ごろのアイデア。思いつきを学会で喋っただけで、ちゃんとした本になっていないみたいだが、内容をかんたんに言うと、人間社会というものを、女性・物財・言語の、三重の交換システムとみなそう、というものである。なかなか興味ぶかい考え方だ。モースばかりでなく、マルクス、ソシュールともつながりがあるみたいだし、仕事にぐんと広がりが出てきた。 コミュニケーション論は、戦後の一時期、大はやりだった。だから、ちょっと見には、なんだ、よくある話じゃないか、と思えるかもしれない。しかし、ここでいうコミュニケーションは、「交流」とか「交換」とか訳したらいいようなもので、モース以来の交換のアイデアを、言語や女性の場合にも一般化したものである。ひと味も、ふた味もちがっている。 コミュニケーション(交流)というのは楽しい。だから、どんな社会でも、いろいろな機会に交換を行なうよう工夫している。バレンタイン・デーもそうだし、プレゼントの交換会なんかも余興にいいですね。──こういうことを、レヴィ ストロースは言いたいのではない。 社会がまずあって、そのなかにコミュニケーションの仕組みができる、というのじゃない。そうではなくて、そもそも社会とは、コミュニケーションの仕組みそのものだ、というのだ。 社会がコミュニケーションなら、何のためにコミュニケーションがあるかという問いは、いみをなさなくなる。たとえばなぜ人間は、言葉を話すのだろう。言葉を話さないでも人間でいられるものなら、それは × ×のためさ、と答えてもいい。しかしそうでない以上、これには答えようがない。むしろ、言葉を話すのが人間、なのじゃないか。同じように、女性を交換したり物財を交換したりするのも、なんのため、と答えられない。そうするのが人間、なのである。それが人間らしいことなのである。交換することが生きること 別な角度からも、光をあててみよう。 何回か名前の出た、デュルケームという社会学者は、世の中にどうして分業というものが成り立つのか、考えてみた(『分業論』)。いろいろ考えたなかで、面白いことのひとつは、彼が人間社会のあり方を「有機的連帯」「機械的連帯」の二種類に分けたことである。有機的連帯というのは、われわれの社会のように、人びとが分業していて、パン屋さん、お百姓さん、大工さん、学校の先生、軍人、……というような別々の活動に従事しており、お互いに依存しているような場合である。この場合には、相手なしではやっていけないわけだから、深くて堅いつながりになるだろう、とデュルケームは考えた。それに対して、「未開」人の社会のように、分業が発達しておらず、どの村に行ってもおんなじような社会(デュルケームのいう「環節社会」、多分ミミズかゲジゲジのイメージです)では、互いに依存する必要がない。そこで人びとの結びつき(連帯)も、おざなりなもの、「機械的」なものに終わってしまうだろう。これは文化の低い段階である、人類は、機械的連帯から有機的連帯に向かって進歩していくはずだ。デュルケームの説は、こんなふうに読める。 この考え方に立てば当然、「未開」社会よりも、分業の高度に発達したわれわれの社会のほうが、だんぜん優れていることになる。 ほんとうにそうかな、とレヴィ ストロースは考えた。 隣り村にあるものがみんな、自分の村にもあるのなら、隣り村なんかに関心が湧くわけない。自分のところで十分用が足りるものね。あわよくば隣り村の分もぶんどって、独り占めしてしまおうという気は起こるかもしれないが。──そういう要素がそりゃ、ないとは言わない。しかしね。そういうところでもお互いを思いやり、つながりを求めるのが人間ていうもんじゃないかな。たとえば女性の交換を考えてごらん。あるいは、クラ交換やポトラッチ(隣り村から互いに人を招いては大盤振舞いをし、果ては自分の大事な財産を火にくべたりする儀礼)のことを考えてごらん。必要があるから交換がある、のではなく、交換のために交換がある。人間は〝交換する動物〟なのだ。必要に迫られて、人間は言葉をしゃべったわけじゃない。言葉をしゃべるのは、まったく無償の行為だ。それと同時に、人間には、人間だけのものである豊かな意味の世界がひらけたのだ。ソシュールが、言語記号のことを、物質的な世界に縛られない恣意的なものだと言ったのは、そういういみですよ。同じように、女性を、物財を、交換するのも、必要に迫られてのことじゃない。そうするのが、人間らしいことだからだ。「未開」社会のように、分業の進んでいない社会に見つかる交換は、こういうふうに理解できる。それは、「未開」人の気まぐれではない。むしろ社会というものの、根源的な姿なのだ。人間社会の成り立ちを、骨の骨にまで絞りこんでいくと、こういう姿が現れてくる。物質的に簡素な社会の人びとは、そんなことさえわからなくなっているわれわれに、この姿を身をもって教えてくれているのだ。 レヴィ ストロースがブラジルで受けた(であろう)霊感を、あえて言葉にしてみたら、こんなふうになると思う。親族の謎を解いた今、彼はその霊感を、社会はコミュニケーションのシステムである、という言い方に表したのである。 これによれば、社会のいちばん基本的な形は、交換のシステムである。その交換は、利害や必要にもとづくのではなく、純粋な動機(交換のための交換)にもとづくものだ。交換のシステムのなかでは、女性や、物財や、言葉が、「価値」あるものになる。しかし、それらが、その「価値」ゆえに交換されるとか、利害動機や機能的な必要にもとづいて交換されるとか考えるわけにはいかない。あくまでも、交換のための交換が基本であり、それが特殊に変化・発達していった場合にだけ、いわゆる経済(利害にもとづいた交換)が現れるにすぎない。 このような見解は、デュルケームの考え方に修正を迫るものだ。歴史は進歩の過程である、という十九世紀以来の発想にも打撃を与える。交換のシステムは機能の観点からとらえきれないというのだから、機能主義人類学にも批判をつきつけたかたちになっている。また、経済(下部構造)が文化や精神世界(上部構造)を規定するというマルクス主義の基本的な考え方にも、まっこうから対立するものだった。人びとの利害なんか、そもそも交換の動機になっていない、と言うわけだから。構造人類学の成功 社会が交換から出来あがっていることに比べれば、社会集団の構成原理(父系か母系か)などはむしろどうでもいい、二義的なことだ。レヴィ ストロースはそう考えたが、ここのところが機能主義の人類学者には、なかなか受けいれにくい。それでもイギリスに、 E・リーチという人類学者がいて、構造主義の重要性をいち早く見抜き、紹介と普及につとめた。そのかいもあって、一九七〇年代以降は、標準的な学説として評価されるようになっている。 論文集『構造人類学』。それに続く『今日のトーテミスム』『野生の思考』。一九六〇年前後に矢継ぎばやに出されたこれらの書物は、人類学の狭い世界にとどまらない、大きな影響を与えることになった。そして、構造主義の名を、世にゆるぎのないものにした。 たとえば言語学の分野では、構造人類学の登場が、ソシュール再評価の引き金になった。哲学・思想の分野では、実存主義やマルクス主義が退潮する、きっかけのひとつともなった。また、フーコーやデリダなど、フランスを中心とする新しい潮流の出発点ともなった。文学・美学や芸術批評の分野でも、構造主義の登場は大歓迎だった。みな、信頼できる方法がなくて、困っていたからである。そのほか、記号論のような新らしい学問も、構造主義の刺戟がなかったら生まれなかったろう。人類学そのものも花形学問となったから、いろんな人材が集まった。たとえば、現在活躍中の日本の学者・思想家で、構造人類学のお世話になった人を調べてみると、これが意外に多い。 さまざまな分野で、誰がどんな仕事をしているか、というようなことは、第四章ですこし話せると思う。 こういうふうに構造主義が大変な騒ぎになっていったあいだ、レヴィ ストロースがどうしていたかというと、あまり浮わついたところもなく、専門の人類学にこだわっていた。そして、一九六〇年ごろを境にして、急速に神話研究に没頭していく。この時期から現在までの彼を、後期のレヴィ ストロースということにしよう。神話研究と〈構造〉 どうして親族研究から、神話のほうに変わっていったのか。インタヴューなどに答えて、レヴィ ストロースが説明しているのをまとめると、だいたいこんな具合だ──私は人間の精神の隠された〈構造〉をさぐりたいと思っています。親族を研究したのも、そのためですが、親族の場合、精神以外の物質的な要因がいろいろ関係してきて、肝腎の〈構造〉が純粋にとりだせないようになっています。もっと精神の働きだけから出来ている現象、そう、神話のほうが、〈構造〉を抽出するのに都合がいい。だから私は、神話を研究するようになりました。 レヴィ ストロースが「構造」と言う場合、普通の人と違う特別な意味をこめている場合が多いので、〈構造〉と書くことにしよう。〈構造〉がなんのことなのか、大変わかりにくいという定評があって、みんな頭を抱えている。しかし、分からないながらも、彼の神話分析はすばらしく、読者を飽きさせない。よく言えば、名人芸。芸術の域に達している、とすら感じられる。 しかし、誰にも真似できないということは、方法がはっきりしない、ということだ。この点、親族研究に比べても、いっそう分かりにくくなっている。 私はなんとかその方法を明らかにしたいと思い、ある推測をしてみた。それが、つぎの第三章でのべる、数学(遠近法)とのつながりである。それが当たっているかどうか判らないが、ひとつの考え方にはなっている、と思う。第三章を、神話研究を理解するための、補助線にしてほしい。『今日のトーテミスム』は、親族研究と神話研究の両方の要素をあわせもった本だ。それに続く『野生の思考』は、「三色スミレ」(フランス語で同音)をかけた、題名からして凝った本で、彼の神話研究全体への入門篇。その後、一九六四年から一九七二年にかけて、『神話学』全四巻が順に発表される。『蜜から灰へ』『生のものと火にかけたもの』『テーブル・マナーの起源』『裸の人間』と題されたこの四冊は、アメリカ大陸に分布する数多くの神話をもとに、野生の思考(自然の動植物や、そのほかの具体的な事物を素材に、比喩のかたちで展開する独特の思考)を浮き彫りにしようとする。そこに、〈構造〉をみてとるためだ。〈構造〉ってなんだ? 神話にはなぜ、〈構造〉が純粋に現れるのだろうか。「構造」か〈構造〉か 話が少しもどるようだが、『親族の基本構造』の「構造」と、神話の〈構造〉との関係から考えるのが筋道だろう。 さっき話さなかったのだが、「親族の基本構造」(複数形)という言葉は、じつはふた通りに使われているのではないかと思う。ひとつは、交換システムのあり方のことで、「限定交換システム」「一般交換システム」が、そうである。こういうものを指すのだとすると、「社会構造」などと言う場合とわりに近い。だが、別の言い方もある。たとえば図 2・ 11をみてほしい。 ここで、 +が表すのは、母方交叉イトコ婚。 が表すのは、父方交叉イトコ婚。 は、両方交叉イトコ婚、という具合で、三つのタイプの結婚が作りだす対立(意味空間)を、この図は表しているらしい。 ところで、母方交叉イトコ婚は一般交換システムを、両方交叉イトコ婚は限定交換システムを、それぞれかたちづくった。では、父方交叉イトコ婚からは、どうしてなんの交換システムも出てこないのだろう? レヴィ ストロースは、こんなふうに説明する。そもそも交換のシステム(ないし社会)というものは、人を信頼するところから出来あがっている。一般交換のような「信用取引き」にせよ、限定交換のような「現物決済」にせよ、いつもいつも女性を交換する、定常的なルートを作りだすのが、交換システムの条件である。ところが、父方交叉イトコ婚というのは、ひとつ上(母)の世代での女性の移動の方向を、子の世代で逆転させるものだ。いちど与えた女性を取り戻すことにほかならず、信頼とは対極の、嫉妬・憎悪の表明である。これでは、社会関係をかたちづくるどころか、破壊してしまうほかない。ゆえに、父方交叉イトコ婚は、どんな交換システムも形成しない、と。「未開」社会の人びとは暗黙のうちに、このことを知っているので、結婚のタイプの意味をちゃんと区別できている。父方交叉イトコ婚と母方交叉イトコ婚は、同じ交叉イトコ婚でも、正反対の意味になるのだ。だから彼らの頭のなかでは、対立している。親族呼称法やら神話やらを、いろいろ調べてみるとそのことがわかる。それをわかりやすく示すために、レヴィ ストロースはこの図を書いたのだ。そしてこの図に関連して、基本構造という言い方もしている。その辺の彼の真意はあいまいなのだが、私はこう理解できると思う──レヴィ ストロースは親族に関して、二つのレヴェルで〈構造〉を考えていた。ひとつは、実際に女性がどう交換されるかという、交換システムのレヴェル。もうひとつは、人びとの頭の中で、交換がどのように理解されるかという、意味のレヴェル。 結婚のタイプを並べたさっきの図は、ヤーコブソンの「子音三角形」にそっくりである。そっくりというより、レヴィ ストロースがヤーコブソンのを真似したにちがいないと思う。父方/母方/両方交叉イトコ婚の三つが、ちょうど音素に相当する。そして、それらは二項対立の束なのだ。安定した関係を作りだす/ださない。信用取引きである/ない。 レヴィ ストロースはもともと、数学的(特に代数的)な頭の働き方をする人だと思う。彼がやってみたい分析はどちらかといえば、うえの二つのうち、意味レヴェルの分析だった。意味の分析であればこそ、ヤーコブソンの方法もストレートに使える。そして、親族研究の分野にはもうそれ以上、意味レヴェルの分析をする余地が残っていなかった。もともと親族は、女性をメディアとするコミュニケーションのシステムなのである。となれば、彼が、残る二つのシステムのうち、物財でなく、言語をメディアとするコミュニケーションシステムのほうに目を向けるのは、当然のなりゆきである。言語は、意味を編みだす織物なのだから。 というわけで、親族研究のときから、〈構造〉への芽はあった。神話研究では、それが全開する。〈構造〉はとかくわかりにくいという評判だが、構造主義のいちばん構造主義らしいところでもある。なんとか、わかるように説明してみよう。神話研究の行き詰まり レヴィ ストロースの神話研究が現れるより前に、人びとは神話をどんなふうなものと考えていたのだろうか。「神話」というと、ギリシャ・ローマ神話や、アマテラスとスサノヲの日本神話が、すぐ頭に浮かぶだろう。文字が伝わる遠い以前、われわれの祖先が天地の成り立ちについて語り伝えていたものが、神話である。旧約聖書のなかにも神話が含まれているし、神話をもっていない民族はいない。「未開」社会も同様で、人類学者が入りこんで調べてみると、あるわあるわ、自分たちの祖先がどこから生まれたかとか、穀物をどうやって手に入れたか、というような神話のオン・パレードである。現地の人びとのものの考え方を知るうえでも大切なので、重要な調査項目のひとつになった。 さて、各地の神話を集めて比較してみると、いろいろなことがわかってくる。まず、あちこちでわりに似たような話が多い。洪水伝説とか、大昔の近親相姦とか、怪物退治とか。また、神話はどれも一見荒唐無稽だが、現実の社会生活をどこかで反映しているらしい、ということも想像がつく。さらに、登場人物にもパターンがあり、やんちゃで知恵のある「文化英雄」(神々の目をちょろまかして穀物を盗んできて、人間に与えた、というような人物)やトリックスター(いたずら者の道化役)がおなじみである。そこで、神話をいくつかの類型に分けてみたり、どこからどう神話が伝播したかと考えてみたりする研究が、それなりに進んでいた。 ところが、いざ細かくみていこうとすると、困った点も出てくる。たとえば、同じような自然環境で、同じような社会生活を営んでいても、ちょっと隣りの村の神話を見てみると、もう微妙に違ってしまう。場合によっては、結末が正反対になったり、途中から違う話になってしまうことさえある。こうなると、どう分析していいものやら判らない。 これは結局、方法の問題である。 神話は、物語の一種である。筋があって、誰でも理解できる。聞いていて面白い。これをどういうふうに扱うか。 ふつうの物語なら、なにか言いたいことがあるわけだ。話し手の言いたいことがわかれば、それで解決。めでたしめでたし、となる。つまり、メッセージとして解読すればいい。 ところが、神話の場合、誰が言い出したともわからない昔から、伝承されてきた話だから、「話し手の言いたいこと」なんてあるのかどうか、はっきりしない。だから、メッセージとして解読しようとすると、おかしなことになる。何が言いたい話なのかさっぱり読みとれず、荒唐無稽という印象になる。そこで、解読をあきらめてしまうか、例によって「未開人はこれだから困る、彼らは支離滅裂にしか思考できないのだ」と結論してすませてしまうか、そのあたりが関の山だった。 こんな具合で、神話研究はちょっと行き詰まっていた。各地の調査が進んでデータが集まるほど、ますますいい加減なことが言いにくくなる。材料の山を目の前にして、どこから手をつけたらいいのか、困っていたところだったのである。神話学の手順 そこへ出てきたレヴィ ストロース。 彼はまず、似通った神話はひと束にして考えよう、というアイデアを出した。 神話は見たところ物語だし、筋もあるが、そういう表面的なレヴェルはどうでもいいのではないか、と彼はみた。だいたい、隣り村だと結末があべこべになってしまうような話を、字義どおり真に受けていったら、頭がおかしくなってしまう。この村のと、隣り村のと、どっちの神話が本当(元の話)か、なんて考えてみてもいみがない。そういうことはどっちでもいいので、とにかくそういう、少しずつ違っているいろんな神話を、いくつも集めてまとめてみましょう。というのが、彼のまず思いついたことである。 つまり、分析の単位を、ひとつひとつの神話でなく、神話の「集合」に格上げしたのだ。 当然、ひとつひとつの神話は、この「集合」の要素に格下げされたことになる。だからいちいち筋にこだわってはいけない。 つぎに彼がやってみたのは、神話をずたずたにしてしまうことだった。 神話の筋に意味があるとしたら、こんな乱暴なことをしてはいけない。話の順序が大切だし、ばらばらにしたらわけがわからなくなってしまう。〝 Aを殴った → Aが泣いた〟と、〝 Aが泣いた → Aを殴った〟では、全然ちがう話なわけだ。しかし、そんなことは気にしない。神話の筋を無視して、「神話素」(〝誰がどうした〟という形の、神話のいちばん小さな単位)に分割してしまう。これが二番目の作業。 そうしておいてこんどは、出来あがった神話素のリストをじっくりながめ、それを貫く対立軸を発見していく。これには、似通っているが微妙に異なる神話をいくつか比較してみるのがよい。じっとにらんでいると、生のもの/火にかけたもの、とか、空を飛ぶもの/地を這うもの、とか、大きな対立がいくつか隠れているのがみえてくる。個々の神話素は、そうした対立軸の片側にのっているわけだ。 このあたりの手順は、音韻論の手法とやや似ている。神話素が音素にあたるとすると、その対立軸は、弁別特性みたいなものである。 最後に、大きな表を作って、神話素を、対立軸のうえに書き並べてみる。(長い神話や沢山の神話を複雑に分析しようとすると、表が大きくなりすぎて、とても一枚には書ききれなくなるけれども、それでもやり方はおんなじだ。)こうしてできあがった表を、もういちどはっしと睨みつけると、プラス αのいろんなことがわかってくる。この表のなかに見つかる、ちょっとした対称性の乱れや、つじつまのあわない部分を、なにか別の要因と関連させて説明してみるのもよい。たとえば、それぞれの神話をになう部族の、生活パターンの違いとか。そうして分かったことを、いろいろ書きつらねていって、分析は終了する。 こういう手続きでもって、神話を分析するのが、レヴィ ストロースの「神話学」である。こう思って間違いない。 * とは言ったものの、まだ話が抽象的で、イメージが湧きにくかったんじゃないかな。 実際どんなふうに分析を進めていくかは、ちょっと説明しにくい。レヴィ ストロースの分析は、あんまり手並みがあざやかすぎて、まるで手品みたいだからだ。なるほどと感心はするけれども、いざ自分でやろうとしてもなかなかできない。実例をみてもらうのが、いちばん手っ取り早いけれども、誰も知らないアメリカ大陸の神話を、ここでとりあげるのもどうかと思うし。誰でもよく知ってる短い話がないものか。 うまいことに、『構造人類学』のなかで、レヴィ ストロース自身がデモンストレーション用にやってみせた、ギリシャ神話の分析がある。『神話学』四巻よりだいぶ古い時期の(ということは、分析手法があまり洗練されていない)論文であることには目をつぶって、ちょっと紹介してみるとしよう。 レヴィ ストロースがとりあげたのは、有名なオイディプス神話である。(エディプス・コンプレックスの、あのエディプスのことです。)念のため、その筋書きのさわりの部分を確認しておく。《カドモス王の血筋をひくテーバイの王ライオスと、王妃イオカステの間に、オイディプスが誕生する。この子は父を殺すであろうという神託が下ったため、捨てられて他国で育てられる。長じて、街道で通りすがりに、それと知らず父王の一行を殺害してしまう。そのあと怪獣スフィンクスを退治し、その手柄でテーバイの王となって、母イオカステを妻とする。二女二男(イスメネ、アンティゴネの姉妹と、ポリュネイケス、エテオクレスの兄弟)をもうける。やがて全てが明るみに出、イオカステは自殺。オイディプスは自分の犯した罪の重さに、わが手で両眼を潰し盲目となって、放浪の旅に出る。ふたりの息子はテーバイの覇権をめぐって争う。》 全体の話はもうすこし長くて複雑なのだが、レヴィ ストロースはこれを分析して、つぎのような表をまとめている。さっきの分析手順でいうと、ステップ まできたところである。 この表の読み方だが、まず、上から下に、各行を横にたどると〝筋書き〟になる。いっぽう、縦の欄のほうは左から順に、親族の過大評価/親族の過小評価/怪物退治/不具、を表す軸だという。神話は螺旋のように、この軸のまわりをぐるぐる廻っているのだ。 以前フロイトは、この神話に、家族関係のなかに隠された個々人の精神の葛藤(性欲)のドラマの、原型をみとめたのであった。レヴィ ストロースの見つけようとする〈構造〉は、深層に「隠されている」点では精神分析の場合と似ているが、個々人のでなく、人びとの集団的な思考をとらえる秩序(神話論理)であるところが違っている。 筋書きに目を奪われているあいだ、縦の軸に、四つのテーマが隠れていることはなかなか目に入らない。しかし、神話のなかに同じテーマが少しずつ、形を変え繰り返し現れていることに気付くと、この表のように、そこに隠れている対立軸を見つけ出すことができるわけだ。 ところで、四つの軸のあいだの関係は、どうなっているのだろうか? 第 1軸/第 2軸は、見ればすぐわかるように、対立(否定)の関係にある。これに対して、第 3軸(怪物退治)/第 4軸(不具)は、実は、第 1軸/第 2軸の関係が投影され、変換されたものだという。こういうことは、ひとつの神話をみているだけではなかなか判らないので、神話のヴァリアントをいくつか照合してみないといけない。 そこでレヴィ ストロースは、(ギリシャ神話じゃないからかなりインチキなのだが)アメリカインディアン・ズーニー族の神話を持ちだして、こう言っている。第 3軸は怪物( =土のなかから生まれてくるもの =親族の否定)を退治(否定)する、ということをいみするし、第 4軸(足の故障)は、〝大地から生まれたての人間はすぐに歩けない〟こと(親族の否定)をいみする。だから、たしかに第 1軸/第 2軸の変換になっている。 というように、神話の異本をつぎつぎに分析していくと、バッハのゴールドベルク変奏曲みたいに、主題がどのように順に変奏されていくか、確かめることができる。こうするあいだに神話の〈構造〉も明らかになる、というわけだ。 オイディプス神話は便宜のため、仕方なしにあげた例なので、彼の本領を知るのにあまり適切でない。(『神話学』はまだ翻訳がないから)『野生の思考』か、『アスディワル武勲詩』あたりを読むのがいいだろう。分析の手際の鮮やかなことは、〝知的アクロバット〟と言ってもいいくらいだ。神話学は客観的な方法か このようにみてくると、レヴィ ストロースの神話分析は、なかなか面白い卓抜なアイデアだということが、よくわかる。こんなふうに神話が分析できるなんて思いついた人は、彼がはじめてである。 もっとも、多少腑に落ちないところがあるとすれば、そのやり方である。分析の段取り(さっきの ~ )まではまあわかるとして、それを誰がやってもほんとに同じ結果になるのか。ならなければ、客観的な研究方法と言えない。いや、そもそもこの分析を、レヴィ ストロース以外に実行できる人がいるんだろうか。そんなことまで心配になってしまう。 親族研究のときに、この種の心配はなかった。彼の方法は、(かなり綱渡り的なところもあったが)一応誰でも実行できるものだった。だからこそ、デ・ヨセリン・デ・ヨン(オランダのライデン学派を代表する人類学者)や R・ニーダム(イギリスの人類学者)をはじめとする大勢の学者が、レヴィ ストロースの方法に賛成し、自分も取り入れているのである。 これに対して、神話分析のほうは、おいそれと後継者がみつからない。同じような立場で研究してうまくいったものとしては、リーチの「エデンの園のレヴィ ストロース」という論文(旧約聖書・創世記を、レヴィ ストロースの真似をして分析したもの)ぐらいしかすぐ頭に浮かばない。それだけ、彼の方法を会得するのがむずかしい、ということだろう。 レヴィ ストロースも、この辺を気にしているのか、神話分析の「公式」みたいなものを掲げている。そんな便利なものがあるのなら、誰でも神話を分析できるじゃないか。と思って、さっそくみてみると、こんなものだ:

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